これまでの「今日のコラム」(2010年 3月分)

3月1日(月)   <「さくらや」が64年の歴史に幕・・・>
「さくらや」が64年の歴史に幕を閉じ、昨日までに全店が閉鎖したという。「安さ爆発 カメラのさくらや」のCMで一世を風靡した「さくらや」も首都圏での家電量販店の激烈な低価格競争に敗れたことになる。私も昔は「さくらや」によく行った。しばらくして「ヨドバシカメラ」に代わり、その後専ら「ビッグカメラ」の時期が続いた。ごく最近は「ヤマダ電機」を利用することが多い。途中で「さくらや」をのぞいたことがあるが”お呼びでない”という雰囲気で二度と行く気にならなかった。こうした実体験は自分では意識していないけれども一般客の動向と余りに類似しているので恥ずかしいほどだ。一方で私の購買センスと大きな隔たりがあって分からない業界もある。今日絵画展を見に行った日本橋の三越本店では林武とか東郷青児の小さな絵に何百万円の値札がついていたり、欲しいとも思わない陶芸茶碗が何十万円もする。そうかと思うと銀座通りには今や海外のブランドショップばかり目に付く。高価な地代に即した超高価な商品を一体誰が買うのかと思うけれども、三越もブランド店も「さくらや」のように閉鎖にならない。家電量販店を利用する人間の感覚では後数年もすると今のデパートの形態は大きく変わるのでないかと思うのだが、どっこい世の中広くて先のことは分からない・・。
3月2日(火)   <「ピアノ蝶」(ペン画)・・・>
「ピアノ蝶」(ペン画)を今日の表紙に掲載した。この種の作品はこれまで掲載しなかったがピアノ演奏会のプログラムの表紙用に描いたペン画の一部である。表紙のデザインも任されて好きにやってみると面白い。今回は「キアゲハ」の羽をピアノで描いて遊んでしまったが、ピアノは白と黒の鍵盤の模様があるのでデザインの対象として楽しめる。私の場合、気楽に描かせてもらっているが、人を集めるためのポスターとかパンフレットは真剣勝負であろう。音楽会や展覧会もポスターがよければ行ってみたくなる。あえて言えば、今の日本で行きたくなるようなポスターやパンフレットが少ないのは何故だろう。19世紀末のヨーロッパ、アールヌーボーをはじめ色々な流派がポスターで自分の芸術の特徴をアピールしたことはよく知られる。ロートレックやミュシャが描いた展覧会のポスターそのものが年月を経て価値を持つ。「キアゲハ」を入れたプログラムもほんの一瞬しか役に立たないといって手抜きをしてはならないと言い聞かせたが、表紙全容を紹介できなくて少し残念。

3月3日(水)   <「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」・・・>
「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」を読み始めた。35歳となる直前に亡くなった正岡子規(1867〜1902)が最晩年1901年に病床で綴った日記(目録)であり、同じ頃に新聞に掲載された「墨汁一滴」や「病床六尺」と違って公表するつもりのない記録である。子規没後「仰臥漫録」の原本は長年行方不明であったが平成13年に発見された経緯があるという。私が読み始めた本は角川ソフィア文庫(初版が平成21年9月、再版22年1月/岩波文庫でもある)で、子規直筆の水彩画が多く掲載されているというので見たかったのである。毎日食べている菓子パンの絵や病床からみた庭の絵、見舞いにもらった盆栽の絵など確かに子規の絵は興味深いが、日記の方も朝昼晩の食事や間食の内容を実に細かく記録しているかと思うと苦しげな症状を克明に綴る、更に俳句もきっちり作っている。実のところ余りにリアルであるので私は昨春子規とそれほど違いない歳で亡くなった息子のことを思い出して読み進めなくなった。ある人は子規の「仰臥漫録」を読んで"助けられました”と言っているが私はこの本を当分の間開くことができそうもない。「仰臥漫録」の中にある俳句を一つだけ掲載しておこう:「紅梅の 散りぬ淋しき 枕元」。
3月4日(木)   <ケト土、富士砂、赤玉土・・・>
ケト土、富士砂、赤玉土を買った。いずれも園芸用の土。陶芸用の粘土ならば多少知識があるが園芸用の土となるとまるで初心者である。「ケト土」は盆栽などの石づけ(岩の隙間のにある植物の環境作り)や苔玉作り用に調合された用土で粘度が高く保水力に富む。本来は河川や湿地に生えていた植物が堆積して土状(黒色)になったものという。・・ここまでは調べることができたが何故「ケト」と呼ぶのかまだ理解していない。「富士砂」の場合は富士山の火山灰(御殿場近辺に堆積)を園芸用に調合したもので名前の由来は分かり易い。火山灰であるので鉄分が多く、通気性・保水性がよい。色は黒褐色から漆黒まで。赤玉土は園芸用土として私でも知っていた。「赤玉」の名のごとく関東ローム層の赤土を高温で焼いて均一な粒状にしたもので通気性、保水性がよく無菌であるので鉢植えの基本用土に使用されることが多い。今日は購入しなかったがしばしば目にする「鹿沼土」も名の通り栃木県鹿沼市で産出する火山砂礫が風化した粒状土(黄色の軽石)。こうして園芸用の土を並べてみると日本の土地の多様性が見えてくる。園芸初心者は土を知るだけでも楽しい。
3月5日(金)   <小石川植物園・・・>
小石川植物園にいった。今日は朝から抜けるような青空、そして昨日より格段に暖かいので妻と急遽予定を変更して植物園に出かけたのである。東京・文京区にある広大な(16万平方メートル余/東京ドーム3.5相当)小石川植物園は今の正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園と仰々しいが、前身は徳川幕府が所有していた「御薬園」の土地であった。薬用植物を栽培していた名残で現在でも薬用に用いられる樹木がある。それよりも園内には四季を通して必ず見所の植物があるので多くの人から愛好されるようだ。今の時期は勿論「梅林」(50品種100株)。梅の写真はネット上にもあるのでこれで雰囲気は分かる(=ここ)。梅にもこれほどの種類があるかと今更ながら感激したけれども、私には梅以外の樹木もとても興味深かった。例えば、今日の写真(下)に「枝垂れ梅」の次に掲載するのは「バショウ」である。高さ数メートルのバショウの枯れ木から垂れ下がるのは実であろうか。<小石川植物園サイト=ここ
 
2010-03-05@小石川植物園

3月6日(土)   <雨の土曜日・・・>
雨の土曜日。 習慣としているテニスをせずに午前中部屋にこもっていると体調がおかしくなった。正確に言うと身体よりも精神に異常を覚えた。突然亡くなった息子のことを思い出して、憂鬱になり何にも集中できなくなったのである。それが昼食後外出して陶芸教室で粘度をこねたり買い物をしているうちにはっきり自覚できるほど元気になった。スーパーでは何故トマト一個が178円もするのだと怒った。どうにもならなくても怒ってみるのは元気な証拠だ。インターネットをみる元気もでてきた。午前中は画面をみるのも嫌だったのだ。シリウスのことを中国語で「天狼」ということも覚えた。シリウスは冬の空に青白い光を放つ星で太陽を除けば地球からみえるもっとも明るい恒星。和名は「青星(あおぼし)」と呼ぶが、俳人の山口誓子が「天狼」という俳句雑誌を創刊(1948年)したように俳句界ではシリウスよりも「天狼」がかっこいい言葉として通るようだ。「闇あるかぎり天狼の煌めける」(黛まどかの最新句)。それならば、こちらはシリウスを使ってみよう:「シリウスの煌めきうれし夜道ゆく」(TH)。

3月7日(日)   <「さいたま市」・・・>
「さいたま市」は埼玉県の県庁所在地である。最近、私は”ひらかな”を反射的に漢字を書いてみる癖(クセ)がついた。半分は"脳トレ”をかねて毎日漢字の書き取りをやるのだが、自分でも情けなくなるほど簡単な漢字が書けないことがある。努力も「とろう(徒労)」に終わるとか、「いさぎよい(潔い)」など書けずに悔しい思いをした字を逆に思いだす。そこで”ひらかな”を漢字にする習慣ができたのだが、テレビや官公庁が必要以上に漢字を敬遠しているのには驚く。冒頭の「さいたま市」は正式名称で浦和市、大宮市、与野市が合併して2000年に発足した市。この時公募した名で一位は埼玉市であったが、市民代表、学識経験者などで構成する委員会が公募二位の「さいたま市」を採用したという。何が学識だか知らないが全国的な”ひらがな名称”のブームに乗ったに過ぎない。ひらかな地名は漢字に込められた歴史や文化の抹殺であり易きに付くだけの手抜きである。全国的に見ると日本文化壊滅作戦が進行中でないかと愕然とする。むつ市(陸奥)、つがる市(津軽)、いわき市(岩城)、つくば市(筑波)、ひたちなか市(常陸那珂)、さぬき市(讃岐)、えびの市(蝦野)などはほんの一部だ!どこかでこんなバカげた”ひらかな化”を止められないものか・・。
3月8日(月)   <世界に門戸を開く・・・>
世界に門戸を開くのは世界の趨勢であるが世界を迎える地元では厳しい現実に直面する。昨日のゴルフ競技、ダイキン・オーキッドでは日本ツァーに初出場のアン・ソンジュ(韓国)が優勝した。日本のプロ入り後65日目に優勝という新記録である。大方の期待を担った宮里藍はこの大会では7位タイで終えたが、宮里も米国ツァーで開幕二連勝という44年振りの快挙を成し遂げたばかりだ。スポーツの世界ではかなり前から「ウィンブルトン現象」が知られている。英国のウィンブルトン・テニスは伝統ある大会だが長年地元の英国選手が活躍できず優勝は常に外国選手だ。ウィンブルトン現象はテニスから派生して「市場経済において市場開放(自由競争)によって国内企業が外国企業に淘汰されてしまうこと」にも使われる。英国のテニスと同じことは日本の大相撲で見られることは周知である。芸術の世界でも似たようなことが起きつつある。最近聞いた話ではアメリカ・ジュリアード音楽院の受験者は80%がアジア系であったそうだ。その内日本人はほんのわずか、大部分は中国人とか。当然、いまやスポーツで大活躍の韓国の人も日本人より多いだろう。インターネットの時代、ますます国境が希薄になってくる。よき時代である一方で世界的な競争を強いられる厳しい時代でもある。
3月9日(火)   <長谷川等伯展・・・>
長谷川等伯展にいった。冷たい雨が降る真冬のような寒さにもかかわらず東京国立博物館(平成館)での展覧会は大勢の人で混雑していた(3月22日まで、案内=ここ)。長谷川等伯は言うまでもなく安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した絵師。この展覧会は没後400年の特別展である(等伯は1539年生まれ1610年3月19日没)。長谷川等伯の絵画については今更コラムで書くものでもないが私はいくつかの絵をみて身体に震えがきたことを告白する。感動の余りぞっとする経験はそうあるものではない。当時の絵師の主流であった狩野派に所属せず狩野派の圧迫を受けながら、ついには天下人の信頼を勝ち取っていく様は絵師の戦国時代をみるようだ。それだけに思い切りがよく狩野派にない工夫や創造も随所にあるので現代の感覚にもマッチするのだろう。「柳橋(りゅうきょう)水車図屏風」のモダンなデザインセンスはどこからきたのか(私は水車の回転方向を一生懸命に考えもしたが)。「松林図屏風」に漂う静けさの中の強さ!何度見ても、いつまでみても引き込まれるものばかりである<ネットでの等伯紹介例=ここ>。絵を見ながら長谷川等伯のような自由な感性を受け入れてきた日本の土壌を幸せに
感じた。
2010-03-09@東京国立博物館敷地(上野)にて
=寒緋桜(カンヒサクラ)と河津桜が咲く=

3月10日(水)   <入口のない水注(みずつぎ)・・・>
「入口のない水注(みずつぎ)」(陶芸)を今日の作品(表紙)に掲載した。題名は「水注」でなく「酒器」でもよい。例によって”仕掛けもの”。お酒をおつぎしますと杯(さかずき)にたっぷりとお酒を注ぐのはいいが、はてお酒を容器に入れる口はどこにあるの?そう思ってくれればうれしい。今から200年ほど前に中国や英国でこの種の器が作られたという記録をみたので構造を推測して作ってみたものである。当然のことながら水(あるいは酒)の入口は下部につける。この入口を天井に付く程度まで長くとって反転(=正規な位置にセット)させた場合に内部に水を保つような構造とした。容器から水(酒)を注ぐ場合に容器内部が真空にならないように取っ手の中には空気抜きの通路を作ってある。このような仕掛けを付けたけれども完成してみると、仕掛けを喜んでくれる人はほとんどいない。家でも先ずはただの置物として飾り、いつの日か「酒器」として披露できる機会を待つこととした。今回の作品では黒色の金属っぽい仕上がりは意図した通りとなった。釉薬は二酸化マンガンと鬼板をある比率で混ぜて調合したもの。この釉薬がうまくできたのが最大の成果かも知れない。


3月11日(木)   <アカデミー賞・・・>
アカデミー賞の話題とは最も遠いところにいる私でも今週初めに開催されたアカデミー賞授賞式の様子は承知している。今年の話題は作品賞の有力候補である「アバター」のジェームズ・キャメロン監督と「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグロー監督が元夫婦であったこと。結果は、全世界で歴代一位の興行収入を記録している3D映画「アバター」が敗れ、イラクでの爆発物処理班の活動を描いた”アカデミー賞受賞作の中でも最も収益が少ない作品”である「ハート・ロッカー」の完勝であった。ビグロー監督は史上初の女性の監督賞とか。実に見事な宣伝効果のある対決であったが私にはキャメロン監督の私生活が興味深かった。「ターミネーター」、「タイタニック」そして「アバター」と押しも押されぬ大ヒットメーカーであるキャメロン監督は現在55歳、ビグローさん(58歳)とは(多分)3度目の結婚だった。その前の奥さんと離婚した直後にビグローさんと結婚したが二年でまた離婚、その後二度結婚、離婚を繰り返すが今はどうなっているか知らぬ。キャメロンさんの生まれは奇(く)しくも石田純一さんと同じ1954年だ。芸能人並みの人気を誇るキャメロン監督の映画を是非見たいと思っているが、まだ実現しない。

3月12日(金)   <鶴岡八幡宮の大銀杏(イチョウ)・・・>
鶴岡八幡宮の大銀杏(イチョウ)が強風のため根本から倒れたのは一昨日10日の未明だった。樹齢800〜1000年といわれる古都鎌倉の象徴的な巨木(高さ約30m)が倒壊したのが午前4時過ぎ。一人のけが人も出さなかったのは不幸中の幸い、さすが"ご神木”というべきか。一昨日のこんなニュースを思い出したのは、今日、自然教育園(東京・白金、NET=ここ)で「樹木の倒壊の恐れがあるため通行止めとします」と一部の道路を閉鎖する看板を見たからである。この自然教育園にも多くの巨木がある。何時倒れても不思議ではない樹木も多い。入園者の制限をする以外にこの森(白金の森)では樹木の剪定を頻繁に行っているようだ。今日も至る所で太い樹木を切り倒した跡がみられたし一部の樹木の枝も切られている。この自然教育園は極力自然のままの姿を残すことをモットーとしていわゆる「公園」とは全く異なる管理がされているが、それでも一本の立派な樹木を育てるために周りの多くの木を伐採することが不可欠のようだ。人間による伐採と自然の淘汰をくぐり抜けた幸運な樹木のみが巨木となる。それにしても生命体である以上いつの日か滅びるのは自然の道理である。鎌倉の大イチョウは枝を切り取って挿し木を試みたり遺伝子の増殖技術(クローン技術)を使って苗を作るなど再生に取り組むという。
2010-03-12@自然教育園・東京

3月13日(土)   <「今日の意味」は・・・>
「今日の意味」はあるのか、こんなことを考えてしまうのは「今日の写真」を掲載する時である。今日は「辛夷(こぶし)」の写真を掲載する。寒い寒いといいながら久しぶりに公園を訪れると「辛夷」が咲いている。二週間前には白い花は全く目に付かなかったのに・・。確かに見事な辛夷の花は2010年3月13日の今日撮影したものであるが、これが昨年でも10年前でも、いや100年前の写真だと言われても何もおかしいことはない。毎日更新されるインターネットの写真俳句を見ても同様のことを思う。「今日の意味」があるのかと考えるのは新しいはずのニュースでも同じ。固有名詞を○○として政治がらみのニュースを読むと1年前、10年前と同じやりとりをしているように見える。「今日の意味」とはつまり”今生きている意味”でもあろう。しかしながら一方で無理に意味を求めることもないとも思う。我々は何百年も前の絵画に感動し、200年前の音楽に元気づけられる。先人たちは後世の人を元気づける"意味”など考えもしなかっただろう。その時代、その日時を精一杯生きること以外人間のなし得ることはないのかも知れない。
2010-03-13@西郷山公園・東京目黒区

3月14日(日)   <盆栽の趣味・・・>
盆栽の趣味はないが、陶芸で制作した抹茶茶碗の活用とか壊してしまった茶碗を利用するため簡単な小品盆栽を試みている。先に制作した黒楽茶碗が割れた経緯は2月12日のコラム(=ここ)に書いたが、この茶碗も植木用に底に穴をあけた上で小さな「千両」の木を植えてみた(下左写真)。下右の写真は2005年1月に制作した茶碗(=ここ参照)が破損したのでこれも底に穴をあけて「ボロニア」という可憐な花を咲かせる木を植えたものである。写真中央は同じく2005年1月制作の茶碗に苔を植えた。どうも私はデリケートな植物を育てるのは得意ではない。水を与えすぎると根腐れして駄目になる、水をきらせても駄目、暑くても寒くても駄目。それに我が家では日照の確保が難しい・・。過保護なことをのたまわず雑草のように強く生きろと言いたくなるのであるが、ここはじっと我慢してできるだけ丁寧に育ててみるつもりである。

3月15日(月)   <先のことは分からない・・・>
先のことは分からない。翌日の天気予報でさえしばしば外れる。 激変する世の動きは予測通りにいかずに"想定外”があるから面白い。けれども先の変化でも自信を持って断言できることもある。・・今日、目黒川(東京)に沿って散歩しているときにこんな奇妙な思いになった。「今から2〜3週間すると川沿いのサクラが確実に満開になる!」。今現在はサクラの気配さえない。ただの枯れ枝を満載した木々が連なっているようにみえる。これが2週間、3週間経つと景観は激変する。これほど確実な予測が他にあるだろうか。世界や日本にどんな事件が起きたとしても、また人間の生死に関係なく"サクラ”は間違いなく咲く。そして咲いたサクラがやがて散ることも間違いない。・・確実にやってくる春、人間の営みを超越した自然に思いを馳せると何か深い安心感を覚えた。
「今日の写真」(下)には妻の友人が制作し我が家の電気窯で焼成した作品を掲載する。 はじめて制作した方々の 見事な出来映えにただ感服(1/27コラム参照=ここ)。

2010-03-15友人の作品

3月16日(火)   <「今日の誤り」・・・>
「今日の誤り」を書くのがコラム欄を埋めるのには最も容易であることに気がついた。毎日最低20問の簡単な書取問題をする。内容は小学生レベルであるので満点でも自慢にはならないが一つ二つは間違えることがある。ホームページとしては「今日の作品」を表紙に掲載して”作品”の解説をコラムで書くことを目指したが作品の成果は毎日あるとは限らない。その点「今日の誤り」は毎日確実にネタがでる。例えば「警テキ(笛)」とか「畑をタガヤス(耕す)」のような文字が一瞬出てこない悔しさはない。恥を忍んでこのことを記すと二度と思い出せぬことはないだろう。これは「誤り」以前に「思い浮かばない」方だが「ゼッタイ絶命」の絶体を絶対と書いてしまうのは「誤り」の方だ。「復興のキ(気)運」を機運と書いたのも「誤り」。ワープロやパソコンの時代となって自分で文字を書く習慣がなくなると如何に「書けなくなる」ことか。それでもわずかな光明は書取を続けていると「誤り」の確率が減少する兆しがみえることだ。一年間で365回誤りをして365個の記憶が残るとすると少しは進歩するかも知れない。
3月17日(水)   <最近疲れている・・・>
「最近疲れているのでない?」とコラムを読んだ娘から言われた。鋭い指摘だ。確かにこのところ陶芸を創ったりや絵を描くゆとりもなく、何かコラムの文章にも生気がないのかも知れない。それでも私の疲労などたかが知れているが、妻のくたびれ方は尋常ではない。この一年間余り、息子の看病、葬儀、法事、それに諸々の行事を気丈にこなしてきた疲れが今になって噴出してきたのが側からも分かる。しかし妻も「疲れ」を意識しているので対外的な緊迫感をバネとして徐々に回復できると信じている。妻のサポートという面では自分は何とも無力である。こんな時、自分には元気薬がある。インターネットで好きな「絵」を見るのである。最近は縁があって洋画家の大場節子さんのサイトをみる(=ここ)。例えば、水彩画で「ローマの街が見える」(=ここ)や「窓まで空まで」(=ここ)、「フィレンツェ、ルネッサンスの時を経て」(=ここ)<他の油彩も好きだ>。細かいところまでじっくり見ていると時間を忘れる。絵のパワーで元気になろう!
3月18日(木)   <「雀」の激減・・・>
「雀」の激減を実感した。きっかけは我が家の狭い庭に珍しい小鳥が二三羽訪れていたことに始まる。そういえば以前は必ず「雀」を見かけたのに最近はほとんど見ない。"珍しい小鳥”とはいくら鳥に疎い私でも判別できた特徴、”黒い頭に真っ白な頬”があった。インターネットで調べると直ぐに「シジュウカラ」であることが分かった(写真=ここ)。それにしても「スズメ」が何故来ないのかとしばらく庭の様子を見ていたがついにスズメさんは現れなかった。「雀」の数が激減していることは色々と報道されているが、ある調査では日本全国でこの50年間で10分の1まで減少したと推測されるそうだ。都会のスズメだけでなく農村部のスズメも減っているとのこと。もっとも日本だけでなくヨーロッパのスズメも半減、90%減などの報告がある。そこでふと思い出したのは我が家の近所でスズメの大集団で覆われる樹木があったこと。毎日夕方になると樹木一帯がスズメの合唱で大騒音になっていた。今日の夕刻、散歩のついでにこの樹木の下に行って撮影したのが(下)の写真である。確かに20〜30羽のスズメが枝に留まり賑やかなさえずりを聞かせていたが、10年前には全ての枝に200〜300羽は群れていた。以前と比べると正に10分の1の数だ!今日はスズメのさえずりは騒音ではなく愛しい鳴き声に聞こえるから勝手なものだ。もはやスズメを焼き鳥にしてはならない。
2010-03-18@東京・恵比寿

3月19日(金)   <ドットコム誕生から25年・・・>
ドットコム誕生から25年と報じられている。インターネットのウェブサイトを見るために世界ではじめてドットコムサイト「Symbolics.com」が登録されたのが1985年3月15日。それまではインターネットのサイトに接続するためには最大12桁の数字の羅列であるIPアドレスを入力しなければならなかった。それが、DomainName System(DNS)が開発されて、ドットコムのアドレスを入力するとDNSサーバと呼ばれるコンピュータがドットコムデータから該当するIPアドレスを検索して自動的に接続してくれるので飛躍的にインターネットが使いやすくなった。考えてみると1985年当時には私はまだインターネットを利用していない。使い始めたのはその10年後、1995年頃からであろうか<このホームページを作ったのが1997〜8年頃>。その後の爆発的な普及にはYAHOOやGOOGLEなど検索サイトの役割が大きい。そしてコンピューターの性能アップと相まってインターネットは今や社会に欠かせない道具となった。インターネットを含むコンピューターのドラマチックともいえるこの大変貌の時代を生きてきて何種類ものコンピュータに親しみながら進化の課程をみることができたのは幸せだった。さて、これからの十年はどうなるか・・。
3月20日(土)   <人はお金で動くものではない・・・>
「人はお金で動くものではない」ことの実証実験がテレビで紹介されていた。お金を払うからと言って荷物の運搬を依頼するケースと(お金の話は全く出さずに)申し訳ないけれども荷物を運ぶのを手伝って欲しいと依頼するケースを比較したもの。数十件、実際に依頼をしたところ、お金を払うと言った場合はほとんど断られて、逆にお金の話がない場合には親切に手伝ってもらえたという。これはアメリカでの実験であるが当然の結果とも思える。人間にはお金のためでなく無償でも他の人のためになること、人が喜ぶことをしたいという本性がある。話は飛躍するがインターネットの百科事典というべきWikipediaの編集はボランテイアで成り立っていることが知られている。内容は多くのボランテイアが関係するからこそ修正されたり淘汰されて充実するという不思議な現象をもたらす(学術的な議論は残すが)。もちろん利用者は無料で資料を閲覧できる。これがお金を払った識者が編集する記事であれば無料とはいかないだろう。お金の報酬を求めない人、更に他人のために自分のお金を出す人が社会に変革をもたらす可能性がある。そして、これからの高齢化社会ではリタイアした後にお金ではなく他人の幸福のためを思い行動する人が最も生き甲斐を感じるようになるかも知れない。

3月21日(日)   <春の嵐・・・>
春の嵐に直撃された日本列島。今暁、5時前に東京でも瞬間風速35メートル/秒が観測されたとか。それでも昼近くになると風も収まり日差しがでてきた。こんなときに足下をみると思わぬ発見があった。先ずは「菫(スミレ)」。「菫」の漢字は僅差(きんさ)などと使われる極めて小さいことを表す「僅(キン)」の文字が当てられている。「菫ほど 小さき人に 生まれたし」(夏目漱石)、「山路きて 何やらゆかし すみれ草」(芭蕉)。スミレはいつも小さく、可憐であることで得をしている。次に「金魚」。冬の間、姿を見せなかった金魚がいつのまにか現れて元気に泳いでいる。水面から口を出して”春が来たよ!”と叫んだ瞬間を写真に撮った。スミレも金魚もそれぞれの春を迎える。

2010-03-21@恵比寿・東京

3月22日(月)   <亡き弟子二人の名を冠した賞・・・>
亡き弟子二人の名を冠した賞の初授賞式が昨日行われたとのニュースが目に付いた。ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊氏(83歳)が創設した「折戸周治賞」(加速器分野)と「戸塚洋二賞」(素粒子分野)である。これは小柴さんの研究室を主導し大きな業績を上げていた両氏が相次いで亡くなったことに衝撃を受けた小柴さんがあえて二人の名前を付けた賞を創設したものであるという。学者の世界でも一般的には功名争いは激烈である。アメリカなどでも弟子の業績を自分のものとしてしまうのは珍しくない。もっと下世話なところでは社長が有能な重役をみな左遷して自分の云うことをきく人間だけを側に置くことなどよくある話。それが小柴さんは「私の研究を受け継いだ者の中からノーベル賞を受賞する者が二人は出るだろう」などと発言していたとか。弟子の業績を正統に評価するだけでなく名前を付けた賞を創設するのは余程の度量であろう。小柴さんの研究分野については何も言えないがこうした行為については拍手。

3月23日(火)   <黄色い「カタバミ」の花・・・>
黄色い「カタバミ」の花が咲いていた。カタバミ(片喰・酢漿草)は極めて強い繁殖力を持つ雑草中の雑草。人が嫌って除去しても直ぐにまた成長してくる。それでも都会ではスミレなどと同じように公園の隅っこに可憐な花を咲かせているとホッとする。カタバミは葉に特徴があって分かり易い。クローバーと同じような葉をしているがクローバーは丸い形状の葉が3枚(あるいは4枚)であるのに対してカタバミはハート型の葉が3枚でハートの尖った先端を合わせた形状をしている。そしてカタバミの葉は夜には折り目を付けたようにハート型の半分に閉じる。花も曇りや雨の時には閉じてしまうから、今日の曇りに全開の花が撮影できなかったのもやむを得ない。カタバミが光や天候の変化に敏感に反応するのも生命力の強さと関連があるのだろうか。そういえば私の「家紋」は(今はもう使用することもないが)「ケンカタバミ(剣片喰)」で、カタバミの三つ葉の間に剣がついた形であった<カタバミ(片喰)の家紋は種類が多い=ここ>。家紋を使うことはなくなったがカタバミのしぶとい生命力にはあやかりたいところである。
2010-03-23@中目黒公園・東京
3月24日(水)   <高校野球の「21世紀枠」・・・>
高校野球の「21世紀枠」に思わぬ注目が集まった。現在甲子園で行われている春の選抜高校野球では(今日は雨で全面中止だが)基本的には各地域での秋季大会での成績を考慮して春の”選抜”が決められるが、特別に(2001年から設けられた)「21世紀枠」がある。この枠では部員不足などの困難の克服したチームや他校の模範となるチームが選出されることになっている。一般の選抜を勝ち取ったチームにとって「21世紀枠」のチームなど実力がないのに選ばれていると余程バカにしているのだろうか、一昨日の試合で21世紀枠出場の和歌山・向陽高校に敗れた島根・開星高校の野々村監督(58歳)がとんでもないことを試合後に発言してしまった。曰く:「21世紀枠に負けたことは末代までの恥です、腹を切りたい・・」。発言が物議を醸してから”向陽高校を侮辱するつもりはなかった”と必死で弁解したが本音がでたことは取り消せない。それにしても今の時代、監督が「末代までの恥」と発言するのが高校野球の文化であるのかと驚いてしまう。監督はともかく生徒、選手たちは決して恥などかいていない、むしろ生涯誇りとなる試合であったに違いない。21世紀枠は10年目を迎えた今年見直されるという。確かに現在の選考基準は非常に曖昧である。末代までの恥をかいた開星高校・野々村先生のおかげで、もしかすると21世紀枠は今年が最後となるかも知れない。

3月25日(木)   <私は未だかって嫌いな人にあったことはない・・・>
「私は未だかって嫌いな人にあったことはない」という言葉を脳科学者茂木健一郎さんがブログで紹介していた。これは映画評論家淀川長治さん(1909〜1998)のモットーとして有名である。茂木さんはそこまで触れていないが、淀川長治さんは著書で以下の三箇条を自分の信条と書いている。1)私は未だかつて嫌いな人にあったことはない、2)苦労歓迎、3)他人歓迎。けれども晩年淀川さんは自分が年中モットーとした三箇条に反することをしてきたと弟子に打ち明けたそうだから正直である。モットーとしたこと、そしてモットーの通りに実行できないことを白状したところがいかにも淀川さんらしくて好ましい。「他人の良いところだけ見る」とか「プラス思考」なども信条(理性)としては同感であってもどれだけ実行できているかが問題。人間の感情は理性を超えると開き直った方が気が楽なようである。
「今日の表紙」に「角小皿A」(陶芸)を掲載した。一連の実用的な食器を制作していると陶芸仲間から、”珍しいモノを作っている”とか”何か仕掛けがあるの”と言われるのも楽しい。単純な形状の中に自分らしさをどう表現するか。初心に返って陶芸の面白さ、難しさを感じるのがこのような作品を創るときである。


3月26日(金)   <ユキヤナギの白い花・・・>
ユキヤナギの白い花が咲いていた。・・こんな書き出しは自分にとっては少々危険である。花の名前をしばしば間違えるからである。この前は”辛夷(こぶし)が咲いた”と書いたら”白木蓮”でないかと注意された。ユキヤナギ(雪柳)はコデマリ(小手毬)に似ているので一瞬迷う。コデマリの白い花が集まって大きな半球状の毬になった形状は小手毬そのものであるが花が枝垂れた形であると一見ユキヤナギと間違えやすい(コデマリ写真=ここ)。私は最近、葉の形状の違いを「葉っぱでおぼえる樹木(柏書房)」の本で習得した。ユキヤナギの葉は細長く縁には細かい均一な鋸歯があるのに対して、コデマリの葉はユキヤナギより葉幅が広く(先端はユキヤナギと同様に尖っているが)葉の縁の中程から上に大きく切れた鋸歯があるのが特徴である。ユキヤナギもコデマリも共にバラ科の植物で春に白色の小さな5弁の花を咲かせる。サクラの開花ばかり話題になるこの季節、ユキヤナギの花は静かに、しかし華やかに咲き誇っている。
2010-03-26@目黒区・東京

3月27日(土)   <六義園の垂れ桜・・・>
六義園の垂れ桜をみた。六義園(りくぎえん)は東京・文京区にある都立の庭園であるが、歴史的には徳川時代、5代将軍綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄8年(1695)に江戸下屋敷として与えられた地に7年の歳月をかけて元禄15年(1702)に完成させた庭園である。明治時代には三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の別邸となったが、その後東京市(現東京都)に寄贈された。六義(りくぎ)の名前は柳沢吉保が古今和歌集の序文にある「六義」にちなんで庭園で和歌の「六義」を表現したと言われる(和歌の六義については=ここ=の解説が明解で分かり易い)。さて六義園は国の特別名勝に指定されており四季を通して見所があるが、今は何と言っても垂れ桜。この桜(エドヒガンサクラ)は植栽されて50年ほどというから柳沢吉保はもとより岩崎弥太郎も見たことのないサクラである。東京ではソメイヨシノはまだ見頃ではないがこのヒガンサクラは今見事に花を咲かせている(ライブカメラで昼夜を問わず生の桜を見ることもできる=ここ=)。

2010-03-27@六義園

3月28日(日)   <タイプライター・・・>
タイプライターを楽器とした珍しい曲がある。ルロイ・アンダーソン(1908〜1975)作曲の「タイプライター」(1950年作)でタイプライターの打鍵の音を効果的に使った軽妙な音楽だ(視聴=ここ=)。ルロイ・アンダーソンはアメリカ軽音楽の巨匠と呼ばれ、いわゆる"セミクラシック”音楽分野で「シンコペイテッド・クロック」など多くのお馴染みの曲を残している。この「タイプライター」の演奏にからんで古いタイプライターを手元にお借りした。タイプライターがメカとして極めて巧みにできているのに感心しながらタイプライターの作動を調整。その時キーボードの配列が今のワープロ、パソコンのキーの元祖であることにあらためて気がついた。パソコンもタイプライターも共にキーボードの上の段には、QWERTYUIOP(=QWERTYクワテイー配列)が並ぶ。これはタイプライターが開発された初期の時代にTYPEWRITERの10文字を素早く打つデモ用にうまく配列されているともっともらしい説明がされることもあるが、それほど単純な理由ではないようだ。タイプでは機械的なレバーを使うので文字を打刻する際に打ちやすくしかもレバーが絡まないようしなければならない。レバーが絡まないためには打刻の間をおかなければならないのであえて"打ちにくい”配列も必要だったとかキーボード配列の歴史は諸説あるようである。いずれにしてもタープライターの原型と機構が全く変わったパソコンのキーボードにもタイプライターの配列がそのまま引き継がれているのが実に興味深い。
「今日の作品」に「角小皿B]( 陶芸)を掲載した。前回の続き作品。


3月29日(月)   <遅まきながら映画「アバター」・・・>
遅まきながら映画「アバター」をみた。ジェイムズ・キャメロン監督の最新3Dサイエンスフィクション映画「アバター」は全世界での興行収益の記録を塗り替えたとか、アカデミー賞の3部門受賞したなど今話題の映画だ。私が見たのは川崎(神奈川県)の109シネマズでIMAX3D方式。偏光板メガネをかけて立体的に映画を見る3D方式にも色々あり中でも劇場の音響効果も合わせて109-IMAX3Dが最もよいという噂をきいて川崎まで出かけた(全国でIMAX3Dは4館のみで上映)。確かにCG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使した立体映像は臨場感があるし迫力もすごい。20年前には決して見ることのできなかった映像である。大層なお金をかけて作り上げた超大作の見せ物を楽しむことはできるし3D技術もすばらしいとは思う。けれども途中からストーリーというか脚本が何ともアメリカ的であるのがやりきれなくなった。土着インデイアンの土地を完全制覇して国作りをしたアメリカとどうしてもイメージが重なってしまう。映像を楽しむべき娯楽大作に深みがないとクレームをつけるのも野暮といいきかせたが、映画の名作は3DやCGとは無関係であり、またお金の力で生まれるものでもないと妙なところで納得した。<「アバター」の公式サイト=ここ
3月30日(火)   <目黒川の桜・・・>
目黒川の桜が見頃を迎えている。この数日肌寒い曇天が続いたが今日は久しぶりの陽光のもと花見を楽しんだ。ほんの少し前には枯れ枝であった木々にあっという間に満開の花を咲かせる様は"すさまじい”ほどである。日本の四季は「変化」を体得させてくれるが中でも「桜」はその冠たるものかも知れない。平家物語の「諸行無常」や「盛者(じょうしゃ)必衰」などにある無常観を日本人なら誰でもまず桜を通して学習する。「チェンジ」を声高に言わなくても待てば確実に変わる。見事な満開の桜を見ながら散ることを言いたくないが、誰でもがまたやがて散ることを知っている。だからこそ満開の桜を愛でたい・・。
 
2010-03-30@目黒川・東京

3月31日(水)   <「テルマエ・ロマエ」・・・>
「テルマエ・ロマエ」といって直ぐに分かる人はかなりの漫画好きか情報通に違いない。「テルマエ・ロマエ」はヤマザキマリさんの漫画で2010年漫画大賞を受賞した話題の作品。娘に借りて単行本を読んだのであるがすっかりハマッテしまった。「テルマエ・ロマエ(THERMAEROMAE)」は”ローマの浴場”というほどの意味であり、古代ローマの風呂設計技師が現代日本の銭湯や温泉などにタイムスリップして日本の風呂をローマの風呂設計に応用するという奇想天外な”風呂漫画”である。とにかく発想や目の付け所が実にユニークで面白い。作者のヤマザキマリさん(1967〜)は日本生まれの女性漫画家で、10年以上イタリアで過ごし今はイタリア人の夫とポルトガルのリスボンで暮らしている(ヤマザキマリさんのポルトガルからの日本語ホームページ=ここ)。彼女はこの漫画を「ローマ人はお風呂好きだったのに、現在の欧州には公衆浴場が全くない。『何で?』という憤りや日本のお風呂に対する渇望から生まれてしまった作品」と語っている。そういえば外国で暮らすからこそ気がつくであろう日本の文化の独自性とか長所が漫画の随所に表れる。日本の漫画(&アニメ)は世界的に高い評価を受けていると言われるが、絵が上手いだけでなく内容の質の高さ、独創性は驚くばかりだ。天才が描く「テルマエ・ロマエ」第二巻を心待ちにしている。
「今日の表紙」に「丸小皿A」(陶芸)を掲載した。前の角小皿と一緒に制作した一連の丸小皿の一つ。


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