これまでの「今日のコラム」(2010年 11月分)

11月1日(月) <岩頭の鵜図・・・>
「岩頭の鵜図」という葛飾北斎の絵が面白いので絵はがきに模写をして孫娘への絵手紙とした(表紙の「今日の作品」に掲載)。「鵜(う)」は長良川の鵜飼いなどで知られる鳥だが私は野生の鵜を見たことはない。北斎がこの絵を描いたのは天保初年、1830年前後と解説されており、当時は北斎自身も目の前で鵜を観察できたのだろう。岩頭に首を下げて留まる姿は次の瞬間眼下の獲物(魚)に狙いを定めて飛び立つ気配が感じられる。・・それにしても絵手紙という描くチャンスがあることを有り難く思う。ほんのわずかな時間で描く絵手紙でも描くことの楽しさを思い出させてくれる。絵手紙を描くことで大きな絵に挑戦する気持ちが復活してくる。そうだ、陶芸もいいが絵も描こう。"模写”でなくオリジナルなアイデイアを正月までに考えるなんてどうだろう・・。
「今日の写真」は秋らしい色を撮影。
 2010-11-01@目黒区/東京
 

11月2日(火) <湿度計のバラツキ・・・>
湿度計のバラツキを検証した。今日は天気予報で最低湿度の予報が20%とか、とんでもなく低い予報がでたので久しぶりの快晴の中、部屋の風通しをしたり物干しをしながら湿度計の数値に注目する。まず、居間の湿度計(A)をみると60%前後。この湿度計はメインが気圧計で湿度と気温がサブの計器。同じ部屋の机上にある湿度計(B)では45%。これは時計、湿度、気温が三つ並んだ小型の計器である。いくらなんでも数値が違いすぎるので、私の部屋の計器(C)を合わせて比較することとした。私の部屋の計器は時計がメインでサブに湿度、温度がついたもの。同じ場所で、同じ条件で比べるために半屋外にA、B、Cを並べて数値を調べる。結果は、A、B、Cの順に50、33,34%など(時間をかけて何通りもみた)。結論はAの湿度表示は誤差が過大で信頼性なし。考えてみるとこのドイツ製の計器Aを手に入れたのは40年以上前だ!A、B、Cの湿度計共に感湿剤をゼンマイ状の金属に張り合わせたバイメタル式の湿度計と思われるが、湿度計メーカーの言い分では長年使用すると内部に埃などが蓄積し水分を吸ったりするため誤差が生じやすくなるので”3〜5年を目安にお取り替え下さい”とある。愛用した湿度計(A)は"目安”の10倍を楽しんでハッピー・リタイアメントだ・・。
11月3日(水) <student of the weekで自己紹介・・・>
student of the weekで自己紹介をした孫娘のブログを読んだ。ニューヨーク・マンハッタンの学校に通っている孫娘(小学4年)が今週studentof the weekの担当になって自分の紹介を終えたとのこと。父母も祖父母もその親も日本人で一つの血しか流れていないのはクラスで自分だけかも知れないと書いている。クラスメートはアメリカ人といっても色々なルーツを持っている。”ボクにはアイルランドとドイツとイタリアの血が流れています・・”という調子で祖先のルーツから自己紹介を始めるのが一般的らしい。孫娘は世界地図を広げて日本の位置を説明することから日本をアピールしたらしい。自分のルーツから自己紹介を始める話はアメリカやイギリスで大学生活を送った人からも聞いたことがある。「以心伝心」、「阿吽(あうん)の呼吸」など、単一民族の日本人同士だから理解できる感覚もある。一方でルーツの違いをそれほど過大に見ることもないとも思う。私の場合、自分と全く違うルーツを持った外国人の方が日本人より気が合ったという経験もある。国やルーツの違いではなく人間として考え方が理解し合えるか否かが問題であろう。
「今日の写真」は自然教育園(東京・白金)の秋風景。今日は祭日で誰でも入場無料だった。
 
2010-11-03@自然植物園/右写真には、イナゴ、クモ、トンボがいる

11月4日(木) <東京には坂道・・・>
東京には坂道が多い。我が家から数分の場所にも「別所坂」という急勾配で知られた坂があり散歩の時には先ずこの坂を下って目黒川方面にいく。別所坂の頂上からみた富士山を安藤広重が描いたほどの江戸名所であったが今はもう富士を見ることはできない。別所坂の中腹に「別所坂児童遊園」という小さな公園がある。この公園から撮影した景色を「今日の写真」として下に掲載した。別所坂の傾斜は13度、23%(最後の一部は30%)で東京23区内の傾斜ランキングで4位(総合2位)とか坂の傾斜にランクつけたサイト(例=ここ)があるが坂の傾斜には独特の「%」を使う。これは、水平100mに対して垂直1mの上昇坂で1%、垂直100mの坂、つまり45度の勾配であると100%と表す(坂の道路標識に%表示がある)。ちなみに東京23区内に「名前の付いた坂」は700以上あるという(区ごとに坂道をまとめたサイト=ここ)。面白いのは外国では坂に名前を付ける風習というか趣味は日本ほど多くないらしい。坂道の名前にこだわるのも文化の一つなのだろう。
 
2010-11-04@別所坂児童遊園からみた風景/左のマンションが坂の頂上部、右の写真は中目黒駅方面

11月5日(金) <「自然」のイメージ・・・>
「自然」のイメージは人それぞれであろう。広辞苑で「自然」を引くと「おのずからそうなっている様。天然のままで人為の加わらない様。あるがままの様」から始まって実に1ページ半に及んで説明が続く。最近よく見かける自然食品は「農薬や化学肥料を使わずに作った農産物あるいは食品添加物を含まない加工食品」。本来「無農薬食品」とか「無添加物食品」と言うべきところで、自然というより”大変な人手をかけた”食料であることには変わりがない。このところ自然教育園(東京・港区/サイト=ここ)に行く機会が多いが、毎回ここを訪れる度に管理する人たちが並大抵でない努力を重ねていることに感心する。今も枯れ草、枯れ枝を処分し、木々を剪定し、時によっては大きな樹木も伐採する。「水生植物園」とか「武蔵野植物園」など植物を適度に維持するためには"自然に任せる”のではなく人間が知力、労力を使って働いていることがよく分かる。自然は放置の中では全く別物になる。人手をかけて面倒を見ることによって始めて訪問する人が心地よくなる”自然”を観察できる。自然はちっぽけな人間を淘汰する恐ろしい力も持っている。”自然が一番”などと安易には口に出せない・・。

11月6日(土) <「四角深皿A」(陶芸)・・・>
「四角深皿A」(陶芸)を表紙の今日の作品に掲載した。先に同じ形状の深皿を陶芸教室で制作していま素焼きの最中である(完成予定は2週間ほど先)。陶芸教室でこの深皿の粘土成形を終えた後、我が家で手持ち粘土を使って一枚余分に作った。皿の寸法を計測すると家の電気窯に入ることが分かったので家で焼成することにした。そして、乾燥・素焼き・釉薬かけ・本焼成の工程を経てもう出来上がってしまったのである。家の電気窯では縦横27×27cmまでが入れられる限界。今回は限度いっぱいであった(1230度の温度で焼成すると完成品は約15%収縮する)。家の窯で焼成すると陶芸教室で多くの人の作品を集めて焼成するより所用時間が早いだけでなくはるかに経費も安く済むことは確かであるが作品の出来具合はどうも陶芸教室の方がよく見える。これは多分気合いの違いではないかと思われる。教室では仲間の熱気が直に伝わってくるので、お互いに関係のないことをやっていても良き刺激を受ける。・・結局はモノツクリは気合いの入る環境作り・雰囲気作りが重要なポイントであるような気がしてきた・・。

11月7日(日) <一区切りの「今日」・・・>
一区切りの「今日」が終わった。自分のことではない。妻が指揮をしている合唱のコンサート(@東京・紀尾井ホール)が今日無事に終わったのだが、今回は脇で見ていて可哀相になるほど妻の心労は大きかった。それでも結果all-rightで、今は"お疲れさんでした”とパッピーである。親しい知人からは”内助の功”が大変だっただろうと冷やかされるが、何か助けてやろうと思っても何もできないと思い知らされるばかりであった。合唱団に限らず、企業の組織、政治の組織など人の集まるところでは必ず意見の違いが生ずる。どんな集団でも様々な人がいる。誰でもが人間関係で苦労する・・なんていうのは当事者でない者の雑音であろうか。とにかくも大勢の人たちにコンサートに来ていただいたのがうれしい。ありがとう、感謝!・・と書くとまるで当事者の弁だ。本当の話、自分のことのようにホットしている。

11月8日(月) <蔦谷重三郎・・・>
「蔦谷重三郎」の展覧会をみた。画家でない名前をつけた美術展は極めて珍しい。正式のタイトルは「歌麿・写楽の仕掛け人、その名は蔦谷重三郎」、会場はサントリー美術館(東京ミッドタウン、12/19まで、案内=ここ)。蔦谷重三郎(1750〜1797)は江戸時代に版元として本格的な出版業を行った人として知られるが、狂歌絵本、戯作、浮世絵など庶民が喜びそうなあらゆる出版物を発行しただけでなく、いわば作者の発掘からはじまり、企画、宣伝、売り込みまで全てをこなした"プロデューサー”的な人物であった。レンタルビデオ店の「TSUTAYA<つたや>」は創業者が”現代の蔦屋なる”と命名したことは広く知られている。これほど現代でも人気がある蔦谷重三郎に関する展示物を見ながら私はやはり現代の芸能界を連想した。先ず庶民が無条件に受け入れる明るさ、面白さ、諧謔(かいぎゃく)。そこには深刻な人生観とか生活の苦しさはみえない。寛政の改革で風紀の取り締まりが厳しくなると蔦谷重三郎は過料を科せられたことがあったというが、現代のヌード写真家が罰金を払わされるのと類似している。現代も美人の写真集や芸能人を持てはやすメデイアは多いが、蔦谷重三郎のように後世に残るタレントを発掘し平成文化を構築できるかは分からない。それにしても蔦谷重三郎にみる江戸の世は何と平穏であることか、そして現代もやはり平和なのだろう。
 
2010-11-08@東京ミッドタウン

11月9日(火) <根津美術館は庭園・・・>
根津美術館は庭園がお勧めだ。今年は秋の紅葉の季節に是非とも訪れたいと以前から思っていた。根津美術館(東京・南青山、サイト=ここ)でいま開催されている展覧会は「南宋の青磁」(11/14まで)。展覧会の終了期限も迫ってきたので急遽今日になって行ってみた。国宝や重文数点を含む青磁の展覧会は自分の陶芸にインスピレーションを得るところがあり、それなりに面白かった。予想外であったのは都心では紅葉はまだ早すぎると思っていた庭園の紅葉が十分に楽しめたこと。東京では今日の昼間強風が吹き荒れた。池の水面には落ち葉がびっしりと敷き詰まっていたがこれも情緒。今日
は根津美術館の写真を4枚挿入し文章はこれで終わる。
 
 
2010-11-09@根津美術館の庭園(東京・南青山)

11月10日(水) <やり直しのできること・・・>
やり直しのできることとできないことがある。人生やり直したいといってもできない相談であるし、仮にできたとしても私は一度で結構。一度だけを悔いのないようにやりたい。さて陶芸では基本的には一発勝負。本焼成(約1230度)で完了であるが特に上絵付けといって一度完成した後に800度弱の温度で再焼成して色を付けることもある。また特別な場合には何度も本焼成をやり直すこともできる。これは零からの"やり直し”ではないが完成品の釉薬の加減が気に入らない場合などに釉薬を再度溶融させて変化をつけるのである。表紙の「今日の作品」に掲載したのは前回掲載した「四角深皿」を家の窯で再焼成したやり直し作品である(一部に新規釉薬を追加)。写真では差異ははっきりと見えないが、今回の再焼成は自分としては成功の部類。前回に不本意であった箇所(白釉薬の部分の凹凸、黒線部分の凹み、底面のゆがみなど)が大旨改善された。このような「やり直し」も要は自分の決断で実行することだろう。そうすると後に悔いが残らない・・。

11月11日(木) <「贅沢は敵だ」は・・・>
「贅沢は敵だ」は戦争中のスローガンだったが、幼児期に敗戦を迎えた私などは元より贅沢とは無縁に育った。そのためか後に成長過程で目にするもの、経験するもの全てが贅沢で眩しく見えた。比較的最近のバブル景気がはじけた時でもバブルで特別に浮かれたこともなかったので惨めな思いをすることはなかった。「贅沢」とは”必要以上に”お金(あるいは時間、人手)をかけることであるので、人によって贅沢の基準が異なる。いまは適度な贅沢を味方にしなければ経済は活性化しない。私が個人的に贅沢になったと実感するのは一つはケーキ、もう一つは花であろうか。ケーキは昔は想像もできなかった豪華で美味しいケーキが簡単に手に入る。そして花屋さんでは花の種類の豊富さにはいつも圧倒される。しかも最近の花屋さんは花のアレンジ(複数の花の組み合わせ、色の混ぜ方など)が非常に上手だ。「今日の写真」(下)に先日いただいた花束を掲載した。この花束はハラン(葉蘭)を下部に丸めておき、薔薇、ガーベラ、赤い実、アンセリウム、ピンクッション、スカピオサを組み合わせたもの。写真右下の「ピンクッション」の名は妻から教えてもらった。文字通り「針刺し」状の珍しい花は南アフリカ原産の熱帯植物。その上、黒い色の花の名前も知らなかったが調べて「スカピオサ」(西洋マツムシソウ)の黒色の品種だと知った。こんな贅沢な花に囲まれていると申し訳ないような気分になるのは育った時代のせいだろうか・・。
2010-11-11

11月12日(金) <落ち葉掃き・・・>
落ち葉掃きが毎朝の習慣になってきた。早朝の散歩は犬が亡くなってから全くやらない。その代わりでもないが時々家の前の道路を掃除することを始めた。元より義務で掃除をするのでもなく、他人様のためとも思わないが、だんだん朝の掃除が面白くなってきた。特に今の季節、落ち葉掃きはやり甲斐がある。落ち葉を掃き始めるとどんどん範囲が広がっていく。近所の貸し駐車場や自動販売機のある場所では一般ゴミやタバコの吸い殻などが目に付くのでしばしば他所様の土地まで清掃する。そうすると最近通勤途中のOLさん(?)やおじさんに挨拶されるようになった。勿論お互いに名前は知らない。以前、犬を散歩しているときには大勢の人と挨拶をしたり話を交わしたことを思い出す。都会の中でも何かきっかけがあればコミュニケーションができる。そして挨拶だけでその日が爽やかになる・・。
「今日の写真」には今日の恵比寿ガーデンプレイス風景を掲載。今年もクリスマスシーズンの到来だ。
2010-11-12@恵比寿ガーデンプレイス

11月13日(土) <自転車の前輪タイヤ・・・>
自転車の前輪タイヤの空気が抜けている。今朝テニスに出かけようとした時のことである。空気入れで空気を入れようとしても直ぐに漏れてしまう。空気を入れる部分の「ムシ」(ゴムのチューブでできた一種の逆止弁)が駄目になったのは明白。しようがないので急遽歩きと電車でテニス場までいった。電車&地下鉄を乗り継ぐ必要があるので所要時間は自転車を使う場合とほとんど変わらない。その上、電車、地下鉄を乗り継ぐと往復の電車賃がバカにならない。以前、正確に算出したことがあるが、電車賃が零となったので自転車を購入してから2年足らずで自転車代金を償却してしまった。この自転車を買ったのは丸9年以上前(自転車の絵を2001年10月に描いている=ここ)。そうするとこれまでに電車賃で同じ自転車を更に4台ほど買えたことになる。この間の修理代はほとんどネグリジブル(無視できる)。今日は家に帰って直ぐに「ムシ」を交換すると自転車は正常になった。「ムシ」代金は105円。自転車は実に有り難いと今更感激する・・。
「今日の写真」に”枝垂れ桜の紅葉”を掲載する。この枝垂れ桜を見ると今は亡きコーギー犬たちを思い出す。自分のHP「アンとアール散歩メモリアル」(=ここ)をしばらく見入ってしまった。
2010-11-13@東京・代官山ヒルサイドテラス

11月14日(日) <自己と経験について・・・>
自己と経験について興味深い話を聞いたので紹介してみたい。たまたま見たテレビ番組で禅僧の西村恵信氏(禅文化研究所所長)がはじめに西田幾多郎の言葉を引用して解説を加えたものを更に私が自分流に解釈したので、あくまでも自分で納得した範囲と断っておこう。「出来上がった自己(自分)があって、そこで諸々の経験をするのでなく、経験によって自己ができる」という考え方である。そして、「死を経験することにより自己は完結する」。この思想であると死の瞬間まで人は何らか経験を積みながら進化する。自己が完結するまで朽ちることはない。全てが新たな"経験”となって自己を充実させる。・・この考え方は高齢化社会においても馴染みやすいのでないか・・。元より学問とか哲学的な観点から議論する気はないが、日本を代表する哲学者、西田幾多郎(にしだきたろう/1870〜1945)は、知・情・意の区別が全くない「純粋経験」を想定し、「我」は純粋経験の後から派生すると見なした。このことを綴った「善の研究」(=かつて高校生、大学生の必読図書とされた)を今インターネットで容易に読み返すことができるのも時代の有り難さである(善の研究=ここ)。

11月15日(月) <今日は新聞休刊日・・・>
今日は新聞休刊日。といっても新聞を一切購読していない私としては”関係のないことでござる”と言いたいところ。けれども毎日インターネットで数種の新聞コラムなどをチェックしているので、”今日も休刊日?”と気がついて、新聞業界の甘ったれにはゲンナリする。毎月一回、正確には2010年は3月、7月を除く毎月一回で、年間10回の休刊日は結構多く感じる。何故に今の時代に休刊日か。新聞協会が「新聞販売店の慰労・休暇を目的に新聞の発行を行わないとあらかじめ定めている日」が休刊日であるが、これは発想が50年ほど古い。今時ローテーションとか配置変えなどにより労務管理の一貫として従業員に休暇を与えることをどんなところでもやっている。新聞社や販売店が自主的に努力するわけでもなく一律に新聞協会が決めた日に休刊するとは、どうみても自由競争のメデイアとは思われない。もっとも月に一日新聞がなくても困らないでしょうと言われれば、月に30日、年に365日新聞がなくもいいと言い返したい。大量の紙を(無駄に)消費することを100年間続けてきた新聞産業はいま転機にある。新聞休刊日は斜陽産業であるのに危機意識がない新聞の象徴にみえてしようがない。
2010-11-15@恵比寿ガーデンプレイス

11月16日(火) <アウンサンスーチーさん・・・>
アウンサンスーチーさん(1945年生まれ、1991年ノーベル平和賞受賞)が一昨昨日(13日)約7年半振りに自宅軟禁を解除されたが、後日のコメントが非常に印象的だった。「私を拘束した人たち(ミャンマー軍事政権)に恨みはない(敵意を抱いていない)」と語ったというのである。軍事政権側と対話する意向を示したとされるが、さすがにスケールの大きさを感じる。恨み辛みを並べ立てて徹底抗戦を叫ぶよりも軍事政権にとっては余程"恐い”コメントであったのでないか。独裁政権とでさえ対話を試みる度量と比較するのもおこがましいが、生活の周辺でのささやかな対話の難しさを痛感するこの頃である。対話は相手を非難すると成り立たなくなる。相手を無視すると続かない。相手を認める言葉を発し、感謝する気持ちを表現するのが対話をスムースに運ぶポイントだとしても意識していないとできない。対話を楽しくするには独りよがりでない相手への気配りが必要なのだろうと改めて思う。

11月17日(水) <久しぶりの妻とのデート・・・>
久しぶりの妻とのデートは小雨の中、五反田散策となった。主目的は地下鉄・高輪台駅から徒歩5分の畠山記念館(サイト=ここ)。いま「織部が愛した茶碗-高麗・割高台-」の展覧会が開催中(12/19まで)であるが、今日ここに行ったのは特別の理由がある。今日11月17日はこの記念館の創設者である畠山即翁の祥月命日(しょうつきめいにち=一周忌以降の亡くなった月日<命日>)でこの日に限ってお抹茶を無料でいただけるのである。展示室の横にある茶室で干菓子(ひがし)とお抹茶(茶碗も風格のあ茶碗だった!)をたっぷりといただきながら、本当に久しぶりに妻とのんびりした時間を過ごすことができた。ちなみに創設者の畠山一清(1881〜1971)は元来は機械工学を学んだエンジニアで荏原製作所の創立者として知られる。畠山記念館のある敷地は江戸時代には薩摩藩主島津家の別邸であった。次に、畠山記念館から歩いて数分の場所にある「池田山公園」(リンク例=ここ)に寄った。この公園もまた旧岡山藩池田家下屋敷跡を整備した和風庭園(面積7000m2)。下に写真を掲載するがいずれも今紅葉が美しい。更に徒歩5分ほどの場所にある「ねむの木の庭」公園(リンク=ここ)にも行った。美智子皇后の生家、正田家の邸宅があった場所で、相続税の一部として国に物納された後に公園となったものであるが、先の殿様の屋敷跡と比べると何とささやかな庭か・・。それでも、ねむの木を中心にしたシンプルで上品な雰囲気が十分に気持ちを和らげてくれる。
 

2010-11-17@畠山記念館(左) & 池田山公園(右)
11月18日(木) <横綱・白鳳の連勝記録・・・>
横綱・白鳳の連勝記録が63で途絶えたのが大相撲九州場所3日目の15日であった。この日、稀勢の里の寄りに屈して64連勝はならなかったが、その後今日までまた3日間負けなしを続けているのは尋常ではない。双葉山が69連勝のあと安藝ノ海に敗れたのは1939年(昭和14年)1月場所の4日目、その後、5日目、6日目と三連敗を喫した。それほど連勝が途絶えることのショックは大きいのであろうが白鳳はこの点では双葉山を超えている。白鳳は稀勢の里に破れたことについて、「もう一つ連勝を伸ばしたいというところにスキがあった」と語った。"不滅の連勝記録”といわれた双葉山の69連勝を目前にして”勝ちたい”のは当然の気持ちながら、この辺りの精神と肉体の相互作用は計り知れない微妙なものがありそうだ。双葉山は連勝が69で終わった場所には4敗を喫したが、白鳳は64連勝できなかったこの場所でも14勝1敗で優勝する可能性がある。不出世の大横綱・白鳳の今後にもまた注目しよう。

11月19日(金) <今日は穏やかに晴れた小春日和・・・>
今日は穏やかに晴れた小春日和。ご存じのように「小春日和」は晩秋から初冬にかけての春のように穏やかな晴天のことをいう。小春とは元来が陰暦10月の別称、今の太陽暦では11月から12月上旬に相当する。この時期には西高東低の冬型気圧配置で木枯らしが吹き付ける一方でほんの一瞬西高東低が崩れて大陸からやってきた移動性高気圧が日本列島をおおい、「小春日和」となる。小春日和の次に出番を待っているのは厳しい冬の寒さだ。こんな日には屋外で思う存分に太陽を浴びたり紅葉を楽しみたいところであるが今日は半日陶芸教室で大物作品の釉薬かけをやった。一心に作業を続けてふと気がつくと4時間が経過していた。太陽は浴びなかったが暖かい気候が心地よかったので仕事もはかどったのかも知れない。「玉のごとき 小春日和を 授かりし」(松本たかし=高浜虚子の門下、1906〜1956)。「小春日や 釉薬かけも はかどりし」(TH)。
11月20日(土) <仏像の値段・・・>
仏像の値段はいくらなら適正か・・。「陶仏」の展覧会を見ながらこんな俗っぽい思いばかりが頭を駆けめぐった。どんな展覧会でも何かインスピレーションを得たり触発されるのだが「陶仏展」に"聖なる”展覧会を期待した反動で珍しく落ち込んだのである。陶芸仲間にもセミプロ級の人は大勢いるし陶芸としてどの程度に手間隙かけた作品であるかは見れば分かる。円空の木彫を思わせる素朴な陶仏もそれなりにはいいとしても、陶芸仲間が作品を販売するときの10倍、20倍の値段がついている。同じく(?)実用にならない動物の陶芸品や抽象的なオブジェ作品の相場と比べても非常に高い。「仏」の精神性を謳うと高額で販売しやすくなるのだろうか。今やインターネットでも「仏像激安」とか「仏像通販」など仏像商売も盛んであることを知った。江戸時代前期、円空さん(1632〜1695)は何千体もの木彫仏(円空仏)を残した(実際にはその何倍も仏像を彫ったとされる)。それほど仏像を手彫りで大量生産したけれども勿論円空さんはそれでお金を稼いだ訳ではない。「仏」に値札は相応しくない。仏はただ静かに微笑んでいるだけがよい・・。
11月21日(日) <「バカな私」・・・>
「バカな私」と言えるようになりたい。いや、元来が「バカな私」であるので、そのまま告白すればいいのだが、最近周辺のいろいろな人を観察しているとある程度の年齢(60〜70歳)になったら積極的に自分を「バカな私」と認めるのが精神的に健全であるように思えてきた。裏を返せば、いつまでも「お利口さんな私」を通さないということ。「バカな私」を前面にだして人との付き合いをした方が全てにうまくいく。「バカな私」の例をできるだけ多く挙げてみる習慣をつければ人間関係がスムースになること間違いない。ところで「バカな私」といえば、なかにし礼作詞・作曲の歌謡曲「知りすぎたのね」(昭和42年、歌=ロス・インディオス)。ここでは「・・嫌われたくなくて、嫌われたくなくて、みんなあなたにあげたバカな私」(歌リンク=ここ、歌詞=ここ)。更に、なかにし礼作詞、中村泰士作曲の歌「心のこり」(昭和50年、歌=細川たかし)では、「私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指 さされても・・」(歌リンク=ここ)。いや〜、久しぶりに聴いてみると両方とも本当にいい曲ですね。・・バカな私。

11月22日(月) <50年振りに友人に再会・・・>
50年振りに友人に再会した。高校時代の友人が奥様同伴で我が家にお越しいただいたのである。彼とは高校生の頃奈良大和路を一緒に旅行したことがあるので、そんな話をすると彼はご夫妻で少し前に奈良の正倉院展に行ってきたところだという。彼は高校時代に私からもらったと言う本を持ってきたが私には全く記憶がない。私はこの日に備えて陶芸の噴水などを動くように整備しておいて一通り見てもらったのであるが、ご夫妻ともに陶芸作品に興味を持ってくれたのがうれしい。・・あれやこれやで楽しいひとときを過ごして別れた後、何とも清々しい気分であるのは何故だろうかと考えた。それは愚痴っぽい話がでなかったことでないかと思い当たる。年齢相応に大病を患ったり身体の調子を崩したことが話題になっても愚痴ではなく前向きのとらえ方になる。それともう一つ。友人ご夫妻のお互いに思いやりのある雰囲気がいかにも爽やかだった。そうか、今日、11月22日は「イイフウフ(いい夫婦)」の日であった。

11月23日(火) <「秋のひょうたん池」・・・>
「秋のひょうたん池」(水彩)を今日の作品として表紙に掲載した。今日、自転車で自然教育園(東京・白金/リンク=ここ)に行き、園内のほぼ中央部にある「ひょうたん池」を描いたもの。描いた動機は非常に単純。今朝、たまたまNHKテレビで27年間「一日一絵」を描き続けている野崎耕二さんの番組をみて感動したのである。野崎さんは筋ジストロフィーという難病にかかり不自由な身体でありながら一日も休まず絵を描き続ける。健常者の私たちは”描く時間がない”とは決して口に出すことはできない。その気になれば「今日の作品」を毎日でも掲載できるはず・・。振り返ってみると自然教育園の絵を描くのも"波”があるようだ。2007年には年間で数点、自然教育園関連の絵を描いている(2007年作品=ここ)。これからはまた自然教育園で絵のテーマを探そうかと思い始めている。ちなみに今日の写真(下)も自然教育園で撮影したものであるが、風景でない接近したスケッチもまた面白いかも知れない。
  2010-11-23@自然教育園(東京)

11月24日(水) <今日は妻と昼の部の歌舞伎・・・>
今日は妻と昼の部の歌舞伎にいき一日非日常の世界に浸った。演目は通し狂言「河内山と直侍<天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)>」(@新橋演舞場、明日25日が千穐楽)。河竹黙阿弥(1816〜1893)の代表作といわれる歌舞伎狂言で、これが今回は通しで上演された。江戸時代後期の茶坊主で強請(ゆすり)たかりは元より博徒の親分格として悪事の限りを尽くした河内山宗俊(役者=松本幸四郎)を柱として剣客、遊女、小悪党などが織りなす人間模様を河竹黙阿弥が巧みに脚色している。歌舞伎では希代の悪党も何かユーモラスな人間として描かれるのが救いである。今日は四幕目の清元連中による浄瑠璃が特に美しく耳に残った。歌舞伎とか芝居は自分とはほとんど無縁な世界であるだけに、見る度に、触れる度に新しい発見がある。

11月25日(木) <バチカンは進化論を認めている・・・>
バチカンは進化論を認めていると神父さまが明言なさった。今日、六本木の教会で私のような信者でない一般人も加わった神父さまを囲んだ集まりのでの話。バチカンはカトリック教会の総本山。カトリック、プロテスタントに関係なく、またキリスト教でなくても、神が人間をお造りになったとする宗教にとって類人猿が人間に進化したと言う進化論は大きな論争を呼ぶ。アメリカの保守的な地域では教義のため進化論を子供に教えないなど問題にもなった。私が率直にこの辺りの質問をすると冒頭の説明があったのである。これまではカトリックというともっと形式的な堅さがあると思っていたが、他の話も含めて意外に考え方が自由で融通性もあることは新発見。日頃宗教に関連して議論したり質問したりする機会はほとんど皆無であるが、今日という日は私にとって宗教を考える特別な日となった。
今日の写真は帰途立ち寄った東京ミッドタウンでの風景。
 

2010-11-25@東京ミッドタウン(六本木)檜町公園(左) & ガレリアのクリスマス飾り(右)
11月26日(金) <桜の紅葉は意外に・・・>
桜の紅葉は意外に美しい。紅葉というのとカエデ(楓)<モミジには紅葉の字が当てられるので紛らわしい>やドウダンツツジ、ナナカマド、あるいはイチョウ(これは正確には黄葉か)などを思い浮かべるが「サクラ」は春の花のイメージが強すぎるのか一般には余り注目されない。それでも「さくらもみじ(桜紅葉と書く)」という言葉があるくらい紅葉ファンにはお馴染みの紅葉樹木なのだろう。いま東京では桜の紅葉が真っ盛り。今日はウォーキングで春の桜の名所である目黒川沿いの道を歩くと思いの外「桜紅葉」が華やかだった(下の写真)。花が散った後、長い間地味な葉桜が続き、この時期にまた桜紅葉で人を楽しませてくれる。「目黒川 さくらもみじ(桜紅葉)に 花忘れ」(TH)。
2010-11-26@目黒川沿いにて(東京)
11月27日(土) <「トウカエデ(唐楓)」・・・>
「トウカエデ(唐楓)」の絵を今日の作品として表紙に掲載した。今朝はテニスの前に神宮外苑でイチョウの紅葉を撮った(下に写真掲載)。一般には紅葉は葉の色が変わる現象を総じて言うようだが、イチョウの場合は黄色く変わるので狭義には「黄葉」である。さてテニスから帰宅した後、中目黒公園の隣、共済病院の敷地にイチョウでもモミジでもない見事な紅葉した樹木をみつけて早速に描いたのが冒頭の絵である。はじめ名前を知らなかったが落ちた葉を持ち帰り「葉っぱでおぼえる樹木」という本(柏書房)で調べたら「トウカエデ(唐楓)」であることが分かった。この樹木の葉は三つに切れておりそれぞれが三角形の形をしている。イロハモミジ系統の葉が鋸歯のついた細い切れ目が何本もあるのとは明らかに異なる。樹木は大きくてカエデの類とは思わなかったが18世紀に中国から渡来した品種であるのでトウカエデ(唐楓)と呼ばれるという。この唐楓、紅葉といっても今は緑、黄緑、黄色、橙、赤が組み合わさって何とも微妙な風合いをだしながら病院の白壁を背景に輝いていた。
  2010-11-27@神宮外苑(東京)


11月28日(日) <「紅葉狩り」・・・>
「紅葉狩り」という言葉があるが、今日もまた紅葉を見るために美術館に行った。この一週間、コラムの話題や写真は紅葉ばかりで少々気が引けるけれども、今日「狩り」に行ったのは根津美術館(東京・南青山)。11月9日にもこの美術館にいって庭園のことはコラムに書いた(=ここ)。この時も十分に紅葉を楽しむことができたが、それから2週間以上経って、紅葉の"赤の色”が際だって鮮やかになっていた(ただし紅葉は終盤)。前回(11/9)に掲載した写真と一部対応して今回も4枚の写真を掲載する(下)。庭園のことばかり書いたが、今開催されている展覧会は「絵の中に生きる=中・近世の風俗表現」(12/23まで、案内=ここ)。室町時代の絵巻、桃山時代や江戸時代の屏風(例えば、洛中洛外図屏風)などで、絵画の中の細かい風俗を見れば見るほど新しい発見があり実に面白かった。
<明日から小旅行のためコラム2〜3日休みます>
 
 
2010-11-28@根津美術館庭園

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