これまでの「今日のコラム」(2010年 12月分)

12月1日(水) <雪の函館・・・>
雪の函館を旅行して先ほど帰宅した。昨夜は函館山からの夜景を見た後、函館の宿(湯ノ川温泉)に泊まったが、今日は朝から五稜郭とかトラピスチヌ修道院を観光して函館空港を出発したのが午後3時。夕方にはもう東京の家でくつろいでいる。今更ながら、こんな旅ができる今の時代を有り難く思う。それにしても函館では雪道をよく歩いた。昨日は一緒に行った建築が専門の義兄の案内で古い建造物や教会などをほとんど歩いて見て回った。万歩計は途中の段階で16000歩を記録。健康でないとこのような旅はできないと同行した二夫婦とも健康にも感謝である。今日の写真として五稜郭タワー(高さ98m)からみた雪の五稜郭と津軽海峡方面の風景を掲載する。右側写真の先にかすかにみえる島影は本州・津軽半島。
 
2010-12-01@函館・五稜郭タワーよりみた風景

12月2日(木) <時代と共に変わるもの・・・>
時代と共に変わるものと変わらぬものを見極めなければならないと自分に言い聞かせる。人の心、感性などは千年経っても変わらないけれども、人類の「道具」(交通手段などを含む広い意味での道具)の変化するスピードは想像を絶する。人類初の有人動力飛行は1903年、ライト兄弟による12秒、約36mの飛行(同じ日、4回目には59秒、260mを記録)。それからわずか66年後(!)1969年に人類は月面に着陸したのである(アポロ11号)。こうした進化の歴史の中で一人の生涯を通してどれほど多彩な交通手段を体験できたことか・・。これからも自動車はガソリン車から電気車にあっと言う間に変わるかも知れない。更にまだ大変革が予想される「道具」はパソコンだろう。今現在使用しているパソコンが歴史博物館に入るのは目に見えている。パソコンを含めて最新の道具を使いこなすのは本質的には面白いはずであるが、経験が自慢の年長者は食わず嫌いで新しいものを敬遠することがある。昔、飛行機が営業を始めた頃、”あんな重いものが空中を飛ぶことは不自然で恐い”と言って絶対に飛行機を利用しない人がいた(外国旅行は船)。道具に関しては「経験」はむしろマイナスになりかねない。「昔取った杵柄(きねづか)」は忘れた方がいいかも知れない。

12月3日(金) <「吹き溜まり」・・・>
「吹き溜まり」の落ち葉は掃除しやすくできている。丁度、箒(ほうき)で落ち葉を掃き集める仕事を風がやってくれているようなものなので溜まった分をゴミ袋に入れればよい。今日の東京の天気は目まぐるしく変化した。早朝には雷雨、続いて豪雨、・・と思うと昼には晴れ間が出てきて午後は快晴。その代わり猛烈に風が強く、時に突風が吹き荒れる。雨が止んだ当初は強い雨で落ちるべき樹木の葉は全て落ちてしまったと思うほど落ち葉が積もっていた。けれども”濡れ落ち葉”であるので十分には掃除できない。その内、突風で路上の落ち葉は乾いて吹き飛ばされる。新たな落ち葉も次々に風で舞い上がる。そこで落ち葉は専ら「吹き溜まり」に集中して溜まり、路上は掃除機で清掃したように綺麗になる。さて、「吹き溜まり」とは風で吹き飛ばされない物陰、凹みなどにできる。流体力学で風の流れを想定すると風が滞留するとか風速が落ちると考えられる場所に正直に「吹き溜まり」ができているので面白い。こんな調子で落ち葉掃除を楽しみながら、家の近辺で今日集めた落ち葉は45Lゴミ袋にぎゅう詰めで4袋となった。

12月4日(土) <高田屋嘉兵衛・・・>
「高田屋嘉兵衛資料館」の絵を今日の作品として表紙に掲載した。先日、函館に行った時に訪れた建築の一つを描いたもの。この資料館は明治36年に昆布蔵として建造された建物を高田屋嘉兵衛が19世紀初頭、この地(函館・金森赤煉瓦倉庫の側)に造船所を置いていたことにちなんで資料館の一つとして利用されているという。高田屋嘉兵衛を今ほど有名にしたのは司馬遼太郎の功績と言っていいだろう。司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」(1979〜1982新聞連載、2000年にNHKテレビドラマ化))の主人公が高田屋嘉兵衛。高田屋嘉兵衛(1769〜1827)は江戸時代後期の船乗りで一代で高田屋という豪商となった人物であり、”北海道開拓の祖”、”国後・択捉航路を発見し多くの漁場を開発した”、”ロシアと日本の間で軍事衝突となろうとした際、ロシアに捕虜になったことを逆用して日露間を奔走して和平をもたらした”など色々と紹介される中で、司馬遼太郎は、「いまでも世界のどんな舞台でも通用できる人」と評している。江戸時代に淡路島(兵庫県)で農民の子として生まれた高田屋嘉兵衛は船乗りから豪商になったが、高田屋嘉兵衛の亡くなった年に土佐の貧しい漁師の子供として生まれたジョン万次郎は漂流をきっかけにアメリカに渡り幕末の日本で大活躍した。こんな話を並べてみると日本という国はエリートでない人物のポテンシャル=持てる潜在力がすばらしい。
「今日の写真」として神宮外苑の銀杏を掲載する(下)。昨日の強風で紅葉(黄葉)は終わり、見所は落ち葉の絨毯。
   2010-12-04@神宮外苑・東京

12月5日(日) <都庁45階の展望室・・・>
都庁45階の展望室は無料で混雑することも少ないのでお勧めスポットだ。今日は初めその気は全くなかったけれども所用で西新宿までいき余りに天気が良く時間もあったので、思いついて都庁の展望室にいってみた。前回は北展望室にいったので今日は南展望室を選んだ。天気が良いのに待ち時間もなく直ぐに45階、地上202mの展望室に到着。残念ながらモヤがかかり丹沢山系や富士山など遠景は見えなかったが、いつもながら巨大都市東京のダイナミズムを目の当たりにした。東京の街を見下ろしながら展望室を一回りすると私は東京に住んでいるといっても蟻の一匹のような存在であることを実感し、時に何かホッとする。これだけ多くの建物があり多くの人が暮らす都市・・。そのトータルのエネルギーは膨大である一方、隕石が落ちようと、ミサイルが飛んでこようが、一軒の家に命中する確率は極めて低い。蟻は蟻らしく自分の巣の周りだけでも掃除をしようかという気にさせてくれる・・。
「今日の写真」は都庁・展望台からみた新宿中央公園 の紅葉風景(遠景写真はモヤがあるので止めた)と新宿中央公園からみた都庁本庁舎。
 
2010-12-05@東京都庁45F展望室より(右は都庁)

12月6日(月) <トラピスチヌ修道院・・・>
「トラピスチヌ修道院」の絵を今日の作品として表紙に掲載した。これも先日函館に行った際、訪れた修道院を描いたものである。この修道院に行こうとして、タクシーの運転手に行き先を”トラピスト修道院”と言ったところ”トラピスト”と”トラピスチヌ”では全く場所が違うと叱られた。トラピスチヌ修道院は函館郊外、湯川(函館空港に比較的近い)にある。カトリック修道会の一つ、厳しい規律で知られるシトー修道会はフランス・ノルマンデイー地方にあるトラップ修道院の場所の名をとって「トラピスト」と呼ばれるが、その女子グループが「トラピスチヌ」である。トラピスト(&トラピスチヌ)は「典礼を重んじ、沈黙・禁欲・観想・菜食の戒律を厳格に守り、農業労働の共同生活をする」(大辞泉より)。函館のトラピスチヌ修道院は明治31年(1898年)にフランスから派遣された修道女により創立された。労働をして自活する宗派であるのでバターを作ったりケーキを焼いたりして販売も行うので一般にも知られている。歴史のあるトラピスチヌ修道院であるが、見学に行ってその規模の大きさは想像以上であった。絵に描いた残雪の中の修道院はほんの一部。絵の正面描いた塀から向こう側には見学者は入ることができない修道女たちの厳しい戒律生活の場がある。それでも修道女さんがパソコンを操作する写真を見ることができたし、選挙の時には皆で投票に行くという話を聞いて少しホッとした。


12月7日(火) <創作する友人・・・>
創作する友人に恵まれていることを有り難く思う。最近でも何人もの友人・知人の作品展を見せてもらった(このコラムにはあえて書くことはしなかった)。展覧会ではないが、陶芸教室に出かけるとやはり世界に一つの作品作りに精を出す仲間に会うことができる。私の場合、絵画や陶芸の仲間が多いが、木工、料理、菓子作りなどどんな分野にも創作者はいる。創作する人は皆自分の好み、考えをもっている。他人の言う通りにするのでなく、また他人にやらせるのでもなく自分で思う通りに作業をする。そこでは決して等級を付けられない。みなが自分が一番ベストと思う作品を創る。10人いれば10人の個性がでる。だから創作者は逆に他の人に対して「寛容」である。出来上がった権威以外を認めない人、価値観に融通性がない人は、決まって自分自身で創造することとは無縁であるように思えてならない。創作の仲間が意識しているかどうかは知らないけれど、私はいつも周辺にいる創作仲間の作品から元気と勇気をいただく・・。
「今日の写真」としてクリスマス用サンタ人形を掲載する。底の直径2m、高さ3mほどの円錐形外面にびっしりとサンタ人形が吊してある。
2010-12-07@東京ミッドタウン・ガレリア入口にて

12月8日(水) <失敗は成功のもと・・・>
「失敗は成功のもと」は発明やモノツクリでは当たり前のことで失敗を恐れることはない。挑戦に対する失敗は必ず改善につながる。こうした失敗と意味合いは異なるが、人は誰でも生活をしている中でちょっとした失敗<ミスとか誤りと言ってもよい/以下同じ>を犯す。失敗を犯した時に周囲がどのように反応するかで人間関係が分かる。たまたま茂木健一郎氏(脳学者)が今日12/8の日記で爽やかなエピソードを披露していた。茂木氏は小学校5年生の時に父親と蝶の採集に出かけた際、転んで魔法瓶のガラスを割ってしまう。魔法瓶を割って父親から怒られるかと思ったら、「怪我はしなかったか」とだけ聞かれてうれしかったと思い出を書いているのである(=ここ)。子供の失敗はここでは父親との暖かい人間関係を形成している。大人の失敗に対しても、糾弾するのか、心配するのか、同情するのか、元気づけるのか・・、対応一つでその後の人間関係が決まる。テレビではこのところ海老蔵さんが酔った上での失敗の釈明に記者会見を開いて大わらわ。顔などを殴られて大けがをした被害者のはずの海老蔵さんが妬みの塊のようなマスコミ人のいじめにあっている図にみえた。こんなちっぽけな失敗が大きく"糾弾”される経験だけでも無駄ではない。海老蔵さんにはこれからの"大成功”につなげて欲しい。
12月9日(木) <「大型立方体」・・・>
「大型立方体」(陶芸)を今日の作品として表紙に掲載した。今日、陶芸教室で受け取ったのであるが、この大物は家まで手では持って帰れないので自動車で取りに行った。単品で写真に撮ると大きさの感覚が伝わらないと思って陶芸コーナー(=ここ)と(下)に角皿と大きさを比較した写真も掲載してみた。日記で見直すと、この作品は約二ヶ月前、10月12日に制作を開始している。”板作り”といって粘土の板を基本として次々に板を結合する手法で制作したので接着が十分でないとひび割れが起きる。この大型立方体も焼成が完了するまでは上手く出来上がるか予断を許さなかった。結果的には表面に目立つ割れもなく、非常にうまくできたと思う。この立方体はこれからLEDを挿入したりする仕上げの工作仕事を予定している。陶芸でも二ヶ月かかったのであるから、焦らず楽しんで工作をしよう。ところで、この立方体何に使うの?、と聞かれたらどう答えようか・・。
 
12月10日(金) <サザンカ(山茶花)の季節・・・>
サザンカ(山茶花)の季節となった。散歩の途中でサザンカを見つけると”さざんか さざんか 咲いた道・・”と昔の童謡の歌詞がでてくる。そして、”たき火だ たき火だ 落ち葉焚き”と続くので、このところ毎日欠かさずにやる落ち葉掃除のことを思う。そういえば、たき火は防火上などの理由から今は自由にはできなくなった。歌詞の続きは、”あたろうか あたろうよ しもやけお手々が もうかゆい”。私は子供の頃にひどい”しもやけ”で苦労したようだ(自分では苦しんだ思い出は全くない)。今でも左手の人差し指にしもやけの痕跡が残っている。歌詞を綴った歌のタイトルは「たき火」(”さざんか”編は二番歌詞、全体の歌詞=ここ)。作詞は巽聖歌(1905〜1973)、作曲は渡辺茂(1912〜2002)。この童謡は1941年の12月、正に太平洋戦争が勃発(12/8)した直後の12月9日&10日にNHKで初めて放送されたが軍当局から「たき火は敵機の攻撃目標になる」、「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」と批判が出てその後放送されなかったそうだ(Wikipediaの解説による)。一般に広まったのは戦後になってからで、こんな歴史を経て「たき火」の歌を今でも口ずさみたくなるのがうれしい。「今日の写真」にピンクと赤のサザンカ、それと都心では珍しい水車風景を掲載した。
 
2010-12-10山茶花@西郷山公園(目黒区)& 水車@鍋島松濤公園(渋谷区)

12月11日(土) <強い風で落ち葉が舞う・・・>
強い風で落ち葉が舞うが樹木にはまだかなり葉が残っている。今日は東京では気温も高く冬というより晩秋の趣だ。「人は何に 化けるかもしらじ 秋の暮れ」という与謝蕪村の句が気になった。蕪村は他(新花摘)で、「秋の暮れ 仏に化ける 狸(たぬき)かな」という句を詠んでいるので、最初の句の”何に化ける”には"仏”が意識されたことは確かだろう。それにしても仏〜化ける〜狸、という続きが不気味である。狸(たぬき)は一方で何となく愛嬌があって親しみ易い。蕪村には狸を詠んだこんな句もある:「戸をたたく 狸と秋を おしみけり」。今現在、東京23区内に狸が1000頭ほど生存しているのでないかと言われているようだが、この程度の数ではお目にかかるチャンスはなさそうだ。いや、ひょっとすると狸さんが化けた何かには毎日出会っているのかも知れない・・。最後にまた蕪村の句:「落穂拾い 日あたる方(かた)へ あゆみゆく」。

12月12日(日) <銀座四丁目・・・>
銀座四丁目の写真を今日の写真として下に掲載した。私たち(妻と)が銀座に行くのは大抵「伊東屋」に行くために決まっている。今日も目的は伊東屋さん。はじめ蒲田のユザワヤ(手芸用品の材料専門店)でスカイバーテックス(革の風合いのペーパー)を探したけれども適当なものがなく、急遽、銀座の伊東屋に廻ったのであるが、伊東屋では選択に迷うほど種類があるのでやはり大したものである。伊東屋は創業1904年(明治37年)の老舗文房具店。文房具は見ているだけでも楽しい。掲載した銀座四丁目の写真では右側の建物が新装なった銀座三越、左が銀座和光。和光の隣、銀座ミキモト(真珠店)の前にある名物クリスマスツリーの写真も掲載してみた(ミキモトのクリスマスリンク=ここ)。この写真を撮ろうとすると周囲は中国人か韓国人か、外人ばかりであった。今の銀座は老舗店に並んで海外の高級ブランド、ルイ・ヴィトン、アルマーニ、エルメス、カルチエ、ブルガリ、ダンヒルなどがあるかと思えばカジュアルなユニクロ、H&Mなどの店もある。こんな雑多な魅力もあるのだろう、今日の日曜日、歩行者天国の通りはにぎわっていた。
「今日の表紙」には「大型立方体2」(陶芸)を掲載。前回掲載の作品を別アングル写真とした(一部にLED挿入)。
 
2010-12-12@銀座四丁目、右は銀座ミキモト


12月13日(月) <「氷雨」・・・>
「氷雨」は俳句の世界では夏の季語であり、また冬の季語にもなるという不思議な季語である。夏の積乱雲が発達して雷雨に伴って雹(ひょう)が降ることがあるがこれが夏の氷雨。一方、冬に降る冷たい雨や霰(あられ)をも氷雨というので季語としては両方で通用するらしい。今日は東京では終日冷たい雨。残り少なくなった紅葉が冷たい雨粒を貯えていた。「氷雨うけ なお輝ける 紅葉(もみじ)かな」(TH)
 
2010-12-13@渋谷(東京)

12月14日(火) <シクラメン「アンテイーコ」・・・>
シクラメン「アンテイーコ」をいただいた。下に写真を掲載するがシクラメンの中でも珍しい品種で私は名前を知らなかったが「アンテイーコ(Antico)」の札があり名前を覚えた。今の季節、花屋さんには多くのシクラメンの鉢が並ぶ。いつか東京の一角でシクラメンを専門に育てている温室を訪れたことがあるが、シクラメンの品種の多彩なことに驚いた。色でも白やピンク、赤と単純ではない。赤系でもワインレッド、ローズ、パープル、その他赤いろいろ・・、そして色が組み合わされたものなど。さらにアンテイーコのような花弁に変化を持たせた品種など実に豊富だ。下のアンテイーコ写真に並べて我が家で丁度一年を経過したシクラメンの花(最後の一つ)の写真を掲載する。これまでシクラメンを大切に育ててはいるが、このシクラメンのように一年経ってもまだ花を咲かせるケースは初めてである。さて、シクラメンというとやはり布施明の「シクラメンのかほり」の歌(作詞、作曲小椋佳)を思い出す。「真綿色した シクラメンほど 清(すが)しいものはない 出逢いの時の 君のようです・・」。1975年に日本レコード大賞をはじめ年末の音楽番組のタイトルを総なめにしたこの名曲をインターネットで今聴けるのがうれしい<リンク例=ここ>。
  
2010-12-14@シクラメン・アンテイーコ  &  一年経過したシクラメンの花

12月15日(水) <”今日覚えたこと”・・・>
”今日覚えたこと”を書こうと思ったが知っている人からは”何を今更”と言われそうだ。小学生、中学生でも電気工作マニアなら知っているだろう。電気部品である「抵抗」の色の表示法のことである。電圧や電流の調整に欠かせない「抵抗」は50オームとか、470オームなど、必要に応じて使用する抵抗値は「色」で識別できる。昔からこれくらいは知っていたが、今日改めて実物の色で確認できた。「抵抗のカラーコード」としてnetで解説されている(=ここ)ように、黒茶赤橙黄緑青紫灰白の全10色が0から9までの順に番号が決められている。そして抵抗値は初めの二つの色(仮数部)と三番目の色(=10の何乗であるかの指数を表す/(例)茶色=1,10の1乗=×10)で決まる。その後に付く4番目の色は誤差の色帯で、誤差10%=銀、誤差5%=金など。ちなみに私の持っていた抵抗、470オーム=黄(4)紫(7)茶(×10)金(誤差5%)であった。今になって何をやっているのか・・。表紙の作品に掲載した「大型立方体」の内部にLEDを多数装着しようと計画しているのであるがLEDは色によって必要な電圧・電流値を調整しなければならないので抵抗の確認と計算が不可欠なのである。こんなことで少々は新しいことも覚える。

12月16日(木) <ヤマギワの終焉・・・>
ヤマギワの終焉を今日初めて知った。台所の照明をLEDランプを使って大幅に改造する計画を立てて、久しぶりに秋葉原のヤマギワ本店に行ったところ、本店がない!そういえば最近は秋葉原の電気街に来てもヤマギワまで足を伸ばすことはなかった。それではと、わざわざ少し離れた場所のヤマギワリビナ館までいった。ところがこのショールームは予約制でフリーでは入ることさえできない。以前のリビナ館はデザインの斬新な照明が多くあり、見るだけでも面白かったのに・・。ヤマギワは照明を主力として戦前から秋葉原に店を構える老舗であった。それが家に帰って調べてみると、経営不振のため家電部門を石丸電気に、音楽ソフト部門をソフマップに譲渡。東京本店(秋葉原)はソフマップが使用中(確かに今日ソフマップのビルになっていた)。そして今年の8月にはヤマギワリビナ館も閉店し、店舗事業から撤退したとある。残ったのはオンライン販売と業者向け事業のみ。リビナのショウルームは一般客でなく業者向けの予約制ショウルームであることが分かった。我が家にはヤマギワで購入した照明器具があり、20年〜30年を経ても満足感は変わらない。少々残念であるが、栄枯盛衰が世の習いか・・。今日の秋葉原の風景写真2葉を下に掲載する:
 
2010-12-16@秋葉原・中央通り 右は昌平橋付近(手前鉄橋は総武線、先の鉄橋は中央線)

12月17日(金) <誰もが「今日の作品」を・・・>
誰もが「今日の作品」を持っている。私の場合、たまたま絵画や陶芸の作品を”今日の作品”としてこのホームページに掲載するが、女性の方で料理や菓子などをインターネットで紹介する人も多い。これなど正に”今日の作品”だ。そう言う目で見ると主婦で毎日食事を作る人はネットに掲載することはなくても、ものすごい量の「今日の作品」を作っていることになる。掃除もまたマイナスのノルマ仕事と考えなければ立派な作品でないか。ピカピカの風呂場や台所シンクは出来上がって心地の良い"作品”。勿論、掃除のやり方には個性が発揮される。・・今日の私の成果はその種の作品ということにしよう。台所の照明を改造する工作仕事を70%ほど完了したのである。この台所は少し特殊な構造で以前は流し台とかガス台から離れた位置に100W二個の電球を付けてあった(シンク用には別の蛍光灯がついているが使いづらい)。これを6.9WのLED電球二個に代えたのである。当然、取り付け位置も変更したし、器具は旧品にヤスリをかけたり金鋸で加工したりして手作り。消費電力では10分の1以下のLED照明で明るさに関しては遜色ない。ただし台所に入るときに以前より”電球を感じる”のが気になるところ。この”作品”、もう一息手を入れて会心作としたい・・。

12月18日(土) <小澤征爾が指揮・・・>
小澤征爾が指揮するサイトウ・キネン・オーケストラの演奏会がいまニューヨークのカーネギーホールで行われている。最終日が18日土曜日(日本時間では明日)の予定であるが今週半ばに行われた演奏会の評がニューヨークタイムズにでている(=ここ)。厳しいことで知られるニューヨークタイムズの音楽評で非常に好評なのがうれしい。小澤征爾は今年の初めに食道癌が見つかり治療のために全ての活動を停止。その後、8月に松本で毎年開催されるサイトウ・キネン・オーケストラの演奏会で一部代役としたが総監督として復帰したことは知られる。そのオーケストラを率いてニューヨークで本格的な復帰の舞台を飾ったのはいかにも小沢さんらしい。この演奏会はカーネギーホールが開催する「JapanNYC」と呼ぶ日本芸術祭の一環で来年にも色々な予定が組まれており、この全体の芸術監督を小澤征爾氏が担当しているようだ(=ここ)。それにしても小澤征爾さんが癌を克服して国際的な活動を再開できたことを日本中でもっともっと話題にして歓迎してもいいのでないか・・。
「今日の写真」には神宮外苑の通りと拾ってきた落ち葉を掲載:
 
2010-12-18@神宮外苑  右は庭の落ち葉

12月19日(日) <久しぶりにブリジストン美術館・・・>
久しぶりにブリジストン美術館に行った。いま、机上のメモ用紙には今年中に行きたい展覧会が数件書いてあるが、とても年内に全ては行けそうもない。今日はその中の一つ、ブリジストン美術館(東京駅八重洲中央口から5分)に秋葉原での用事の後、立ち寄ったのである。開催中の展覧会は「セーヌの流れに沿って=印象派と日本人画家たちの旅」(12/23まで)。”印象派”のタイトルであったので、ある程度こんなものかと思うところがあったけれども、展示品の豊富さ、画家の多さ、内容の濃さなど予想を超えるものであった。印象派というので期待もしていなかった、ルソーやブラマンクの名作まで見ることができたのが大収穫。また懐かしくセーヌ川を思い出しながら、これほど多くの人が一つの川を描いていることに感無量であった。主な展示作品についてはブリジストン美術館のホームページ(=ここ)で見ることができる。それにしても美術館としては老舗(1952年創立)といえるブリジストン美術館は昨年、内装を一新するリニューアルを行い、従来以上に気持ちの良い雰囲気を作り上げている。一方で昔からある常設展示の作品はそのまま。今日も以前からお馴染みの、セザンヌ(サント・ヴィクトワール山)、ピカソ(腕を組んで座る若者)、ルノアール(座る女の子)などに会うこともできてうれしかった。
「今日の写真」はブリジストン美術館の側で見つけたもの。中央区平和都市宣言記念「平和の鐘」とあった。
2010-12-19@東京・中央区

12月20日(月) <グレゴリオ聖歌・・・>
「グレゴリオ聖歌によるクリスマス暁のミサと小コンサート」にいって今帰ってきた。副題が「"幼い難民を考える会”のために」、主催、CANTATADOMINO。聖心女子大学聖堂(東京・広尾)で行われたこの催しは今年で19回目と説明があり常連の参加者が多いようであったが、信者でもない私にとっては今日が初体験だった。グレゴリオ聖歌はローマ・カトリック教会の礼拝のための音楽でヨーロッパ音楽の源流とされる単旋律(ハーモニーなし)をユニゾンで歌う単純な曲であるが心に染み入る何とも不思議な魅力がある。ミサを司式する神父さまは自らも歌い聖歌隊を指揮するように祭儀を進行させる。敬虔な場で何もが物珍しげな自分が少々恥ずかしかった。それにしても”クリスマス商戦”とは全く異なった本当のクリスマス=降誕祭は異空間に解放されたような貴重な経験であった。

12月21日(火) <函館ハリストス正教会・・・>
函館ハリストス正教会の絵を今日の作品として表紙に掲載した。11月30〜12月1日に函館へ旅行した際、訪れた教会の絵を描いたもので丁度クリスマスシーズンであるので登場させたもの。この教会は国の重要文化財にも指定されており、日本正教会の中でも最古の歴史を持つ教会。日本の正教会は実に江戸時代末期、1858年にロシア領事が函館に着任した時に領事館内に聖堂を建てたのに始まった。後に東京・神田のニコライ堂を中心にして拠点は東京に移るが、函館は日本正教会の発祥の地であった。正教会というとギリシャ正教会、ロシア正教会が思い起こされるが、現在の函館ハリストス正教会は1916年に再建されたものでロシアの教会を思わせる見事な建築だ。「ハリストス」は「キリスト」のギリシャ読みと知った。もう一つ教会を訪問した際、案内の人が説明してくれて覚えたことは、十字架の形がカトリックの教会と異なり、「八端十字架」であること。普通の十字では4箇所の端部であるが、8箇所の端を持つ十字架。つまり普通の十字の下に磔(はりつけ)になったイエスの足台となる斜めの線を入れる(左右斜めにそれぞれ意味がある)。また、上部にも一本イエスの名札を表す線が入る。<十字架の説明その他=ここ=に詳しい>・・クリスマスはキリストの降誕を祝うキリスト教の記念日であるが、キリスト教といっても余りに広く深い。


12月22日(水) <皀樹橋・・・>
「皀樹橋」の字を読める人はどれくらいいるだろう。「さいかちばし」と読む。勿論、私もはじめ読めなかった。この橋は東京・中目黒交差点の側、駒沢通りが目黒川の上を通る場所に架かる橋。私は目黒川沿いを散歩(ウォーキング)をするとき10個以上の橋の名前を確実に言えるかどうか順番に橋を確認する習慣にしているが、皀樹橋の箇所は「さいかち橋を横断する陸橋」を渡って駒沢通りを越すので数には入れず、その後から目黒川上流へ橋の名を言いながら歩く。皀樹(さいかち)とはマメ科の落葉高木で皀莢とも書く(=ここ=参照)ようだ。「皀莢(さいかち)に 秋の日落つる 小窓かな(正岡子規)」の句があるので知る人ぞ知る樹木なのだろうか。それにしても地元であるので何故この橋の名が付いたのか調べようとしているが今のところまだ分かっていない。

2010-12-22@「さいかち橋歩道橋(陸橋)」から駒沢通り(恵比寿方面)を見る

12月23日(木) <今日は天皇誕生日・・・>
今日は天皇誕生日で休日。東京は午後からは雲一つない快晴となった。思い切って、この日しかないと皇居にでかけた。まず記帳のみの一般参賀。坂下門を入る前に荷物検査とボデイーチェックを受けて特設記帳所で都道府県と名前を書く。その後皇居東御苑を一回りした。一般参賀は勿論、皇居東御苑に入ったのも私にとっては初めての経験。東京に住んで50数年経ってこの有様はどういう訳だろう。これまでは何となく皇居は天皇家とつながったイメージがあったが、門を通り皇居の中に入ると、これは"江戸城跡”であると改めて思う。東御苑は江戸城本丸の場所であり天守台の跡や松の廊下跡、いくつかの番所などが並ぶ。姫路城や松本城には何度も訪れているのに江戸城跡に来たことがなかったのは”灯台もと暗し”。桜の季節にもまた来てみたい。
 
2010-12-23@皇居、右の写真は東御苑、本丸跡(中央奥が天守台跡)

12月24日(金) <掃除の法則・・・>
掃除の法則を納得しながら掃除を続ける。自分勝手に作った法則である。1)ある箇所の汚れをとると他の汚れが目立つ。2)第三者は汚れを取った箇所には気がつかない。その分他の汚れが気になる。・・つまり掃除に”十分”ということはあり得ない。美しくなったところは比較をしない限り違いが見えないので美しくて当たり前。第三者は掃除を評価することはない。これは台所など家の中の掃除に限らず、このところ毎日習慣として行う落ち葉掃き(道路掃除)も同じである。道路はどこまでもつながっているので際限がない。フト、これは政治や行政などでも同じことで、一種の掃除を苦労してやる割には評価されないで可哀相だなと思ったりする。何もやらない人たちはあそこが汚い、ここが汚いと指摘する。綺麗になったことに対しては何も言わない。私の場合、半分は趣味と身体を動かす意味で掃除をやるので評価されるとか感謝されることなど全く期待しないが他人から"指摘"されないのが一番である。落ち葉はゴミとして捨てないで腐葉土にしたらどうか、とか少しは葉っぱを残した方が風情があるなどと言われると困る。年末は自分の家の中を少々の汚れは気にせずに適度に掃除するのがよさそうだ。
クリスマスイブの行事はこれから・・。明日、紹介できるだろうか・・。

12月25日(土) <今日はクリスマス・・・>
今日はクリスマス。語源は、Christ's Mass=キリストのミサ(Massはミサ、カトリック教会の聖体祭儀)。昨晩は聖心女子大学聖堂(東京・広尾)で行われたクリスマスイブの夜半のミサに参加した。先の12月20日にこの聖堂で「グレゴリオ聖歌によるクリスマス暁のミサ」に行ったときに案内をいただいたので続けて参加したのである。ミサは本来は信徒が参加する儀式であるが私のように信徒でなくても加わることができる。知人の薦めで前から二番目の列に場所をとったのでミサの間に執り行われる新たな信者への受洗儀式なども間近に見ることができた。ミサを通して感じたのは”信仰の強さ”、あるいは”信じることの強さ”であろうか。今の社会では政治や実業界などの指導的な立場にある人でも真に信念のある人物がみえない。他人事でなく自分にしても信念は常に揺らぎ定まらない。その点、信仰者は弱き人の味方、貧しき人の仲間として生まれた救い主イエスキリストを信じて実行力が伴っているように見える。恵まれない人に対しても傍観者でなく奉仕者となる。信仰のある、なしは別にして、私たちの誰でもが何かを信じて行動すること、それが本当の力となるのだろう。
写真は昨日、夜半のミサに行く前に立ち寄った皇居前でのクリスマスイブ風景:
 
2010-12-24@皇居外苑和田倉噴水公園(大規模なLED照明を採用)
 
@駅前通り<真正面が東京駅(改装中)>  右写真@日比谷<左側は皇居お堀の照明>

12月26日(日) <神の存在証明・・・>
「神の存在証明」についてクリスマスが終わった今日、少しだけ触れてみたい。私は20数年前にある勉強会でこんな「証明」があることを初めて知った。当時、いろいろ話を聞いたけれどもさっぱり分からなかったことを覚えている。確かにキリスト教文明の歴史を通して多くの人が「神の存在証明」を試みている。それは、アンセルムス(1033〜1109)、デカルト(1596〜1650)、カントなど哲学者が思索する重大なテーマであった。けれども数学の証明と違って論証には反証もでる。ニュートンやオイラーなど哲学者でなく科学者や数学者の場合、この宇宙全てが余りに見事な(人知を越えた)法則で出来上がっているのに感動して"神”の存在を考えるケースがあったようだ。最近、ある神父さまの話を聞く機会があったときに「神の存在証明」についてどう思うかを質問した。そうすると神父さまは”神の存在を証明などできません。信じるだけです”と極めて明解に答えられた。私がこの神父さまを信頼するようになった一言であった。
「今日の写真」は 散歩途中で見つけた"メキシカンセージ”。

2010-12-26@中目黒公園(東京)

12月27日(月) <「大型立方体<LED装置制作中>」・・・>
「大型立方体<LED装置制作中>」(陶芸作品)を今日の表紙に掲載した。「今日の作品」を入れるコーナーであるが制作過程の仕組みを紹介してみたい。写真で見るように陶芸で制作した立方体の底に4箇所穴を開けてある。この穴を通してLEDの装置を自由に設置できる。今回は電源は手持ちのACアダプター(AC100VからDC4V/公称
は3Vだが実際には4V)を使うこととした。電源に対してLEDを直列につなぐやり方と並列につなぐやり方があるが、赤と青の二種類のLEDを使って、赤のみ点灯、青のみ点灯、両方点灯の選択ができるように切り替えることを考え「並列」接続を採用。そしてスイッチを沢山取り付けることによって自在に点灯、消灯ができるようにした。並列接続であるので、それぞれのLED毎に電流を調整する抵抗を付けるという手間はかかったけれども、掲載した写真にみるように基盤毎に赤、青のLEDと抵抗、スイッチをまとめて裏から装着する方式でまずは上手くできあがった。当初は青色LED一つでまとめようと思っていたのだが、赤のみでも悪くない。何より赤、青両方を点灯すると紫系の色がでて意外に面白いので気に入っている。<陶芸コーナー=ここ=に完成品写真掲載>

12月28日(火) <バリデーション・・・>
「バリデーション」という手法が認知症の人とのコミュニケーションをする上で非常に有効だという<NHKテレビ(再放送)で今日放映されていた>。認知症の人が何を言っても決して否定せずに相手の言ったことをオウム返しに言葉をだして気持ちを合わせるやり方だ。バリデーション=validationは、validate(有効にする、正当であることを確認する)からきており、相手が妥当であり「価値あることを認める」といった意味合いでこの言葉が使用されるようだ。このやり方一つで認知症の人の気持ちが落ち着き表情が変わるのは興味深いが、私は認知症でない普通の人でも全ての人は何らか「認められたい」のでないかと思った。誰でもがバリデーションのあるなし(価値を認めてもらうか否か)で感情が左右され、バリデーションがなければ生き甲斐を失う。必ずしも多くの人から認められなくても誰かには認めて欲しい。孤高の芸術家でも一人でも理解者があれば挑戦を続ける。誰も理解者がいないときには”神のみぞ知る”と思いたい。一方で普通の人は、否定されたり認められない経験を積みながら更に向上しようとしたり軌道修正しようとする。不当な非難を無視することもできる。そこで必要なのは真の理解者一人だけかも知れない。それにしても日常の会話、コミュニケーションでバリデーションに配慮すべきは私たち皆が同じことなのだろう。議論すべきはその後でやればよい。

12月29日(水) <捨てるのにも元気・・・>
捨てるのにも元気がいる。年末の整理をしながらそう思っている人は多いのでないだろうか。体調が悪かったり、気持ちが沈んでいるときには「捨てる」決断をして作業をする気にはならない。特別に捨てることをしなくても現状維持で何ら問題はない。「捨てる」のが難しいのはモノだけでなくあらゆる対象に当てはまる。例えば、習慣、手法、思想、体制、知識、地位、肩書きなど諸々の出来上がっている対象すべてである。模倣をしながら学び、習得した上で、最後には学習したものを捨て去らなければ独自のものはできないと云われる。ピカソは美術アカデミーで絵画の古典手法や基礎を完全にマスターした後に学んだものを捨て去り独自の美術を創り上げた。どんな分野でも革新的な業績を残した人は一度学んだものを捨てて新しいものを見つけている。完成した居心地のよいぬるま湯から脱却する、つまり捨てるには、当然のことながら猛烈なエネルギーがいる。やはり元気でないと「捨てること」そして「新しいことに挑戦すること」もできない。年末にどれだけモノを捨てられるかを元気のバロメーターとしてみるか・・。
今年最後の作品として「大型立方体<LED比較>」(陶芸)の写真を表紙に掲載。赤、青、両方点灯の三種を比較して並べた。


12月30日(木) <散歩すると体調が分かる・・・>
散歩すると体調が分かる。以前、膝が悪かった時には歩くことだけで一所懸命、いかに膝に負担をかけないかに気を遣ってばかりだった。今日は違った。年末の片付け仕事に飽きたので渋谷まで歩いて行くことにして、歩き始めるとほとんど自然に歩くことができて膝を感じない。
普通に歩けることが本当にありがたい。そうすると歩きながら"思索”ができるので更に楽しい時間になった。といっても立派なことを考えるのではない。今日は初めに陶芸で次に制作する構想を練った。それから来年の課題を考えた。歩きながら、来年はもっと歩くことをテーマにしようかと思った。それも決まったコースでなく新しいコースを探して歩くこと。「今日の写真」に渋谷の街で撮影した風景を掲載する(下)が街中を歩くこともまた散歩であろう。東京の街は停滞していない。街の様相を直接自分の目で見るだけでも何かインスピレーションが得られそうだ。
 
2010-12-30@渋谷道玄坂、 右は@代官山のショウウィンドウ

12月31日(金) <大晦日・・・>
大晦日にあることを気づいた。それは今年の年末にはいくら掃除をやっても終わらない理由。昨年末は息子が亡くなったことによる喪中、一昨年はその前哨戦であった闘病生活のサポートと大掃除どころではなかった。久しぶりの掃除をしながら掃除をできる平穏に気がついたのである。掃除をできなかった時にも神社仏閣には何度もお詣りをした。結果がどうこうよりも他に何もできなかったというべきだろう。こんなことをキーボードで打ち込んでいると昨年の大晦日にはレクイエムを聴いたことを思い出した。早速、今パソコンにモーツアルトのレクイエムCDを入れて聴き始めた・・。この後、掃除を終えたら今年は「紅白」でも見ることにしようか・・。
みなさま、よいお年をお迎え下さい!!

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