これまでの「今日のコラム」(2011年 6月分)

6月1日(水)  <涼しい6月のスタート・・・>
涼しい6月のスタート。今朝の気温は4月上旬並の15.5度(東京)だった。天候を話題にするときは他に話題にすることがないとする説がある。余り外れてはいないが今日はようやく名前を探し当てた「花」を話題にしよう。散歩途中で撮影した黄色の花の名前が分からなかった(下の写真)。インターネットで調べて判明した名前は「ヒベリカム・ヒドコート」。キンシバイ(金糸梅、別名クサヤマブキ<草山吹>)の園芸品種。分類名が「ツバキ目オトギリソウ科」で、葉がツバキ(椿)そっくりであるのが納得される。金糸梅の場合、長い雄しべを「金糸」と呼び、花弁が梅に似ているから「金糸梅」の名前が付いたと分かり易いが、「ヒベリカム・ヒドコート」とは全く面白くもない名前だ。花の名前を誰が認定するか知らないけれども、もう少し情緒のある日本語名が付けられないのか、名前を覚えられない負け惜しみで文句を言ってみたくなる。この花を「梅雨に輝く金色の花」と表現したサイトがあった。酷い(ひどい)コートを着ているような名前より”梅雨に輝く”方がずっと親しみ易い・・。
2011-06-01@中目黒公園にて

6月2日(木)  <阿吽(あうん)の呼吸・・・>
「阿吽(あうん)の呼吸」で物事を達成できたときほどの快感はない。それはテニスのようなペアでプレーする競技でもチームでの行動でも、また夫婦で一緒に仕事をするような場合でも言い得る。私の感覚では、形式的な取り決めとか打ち合わせなしで、お互いの微妙な気持ちや動作の間合いがぴったりと合致するのが「阿吽の呼吸」だ。語源的には「阿吽(あうん)」は仏教の真言の一つで、「阿」は口を開いて初めに発する音、「吽(うん)」は口を閉じて最後に出す音であり、宇宙の始まりと終わりを表すのが「阿吽」と説明されている。仁王像(金剛力士像)には口を大きく開いている「阿形(あぎょう)」の像と、口を閉じている「吽形(うんぎょう)」の像がある<狛犬(こまいぬ)も阿吽両方の表情がある>。仁王像も狛犬も二つのペアが一対となって”お守り”の仕事を完成させるのだろう。・・今日は息子の月命日で雨の中を墓参りに行った。雨のせいかほとんど人影もなく、お寺の山門をいつになくゆっくりと鑑賞した。仁王門の両端にはそれぞれ阿形、吽形の仁王さま。大きく口を開けた怒りの表情にみえる阿形の仁王様も”あ〜〜”とア行の初めの音を大声でお唱えになっていると考えると一層ありがたく頼もしい・・。
 
2011-06-02@九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて、仁王門、右は 阿形仁王像

6月3日(金)  <交差点でいつになく・・・>
交差点でいつになく自動車の流れが悪くモタモタしていると決まって警官が交差点の交通整理をやっている・・なんていう経験を何度もしたことがある。外国ではいざ知らず日本の場合は下手に警官が出て指令するより自主的に任せた方が車はスムースに流れるし事故もない。このところの余りにお粗末な政治の動き(菅内閣不信任案否決前後の小沢一郎・鳩山由紀夫グループの造反、妥協、再造反など)をみているといっそ政治家はいない方が日本はうまくいくかも知れないとさえ思ってしまう。元来は官僚あるいは官僚的な考えは好きではないが、政治家が下手な指示をするよりは日本の優秀な官僚に任せておけば”そこそこに”うまく流れるだろう。大震災の初期対応で世界中から賞賛されたのは官僚ではないが"自衛隊員”の働きだった。大震災の後処理やそれに続く原発の沈静化という大問題をかかえた時点での”政争”は政治家とは何をする役目なのか根本を考えさせられる。

6月4日(土)  <「今日の作品」を掲載するインターネットのサイト・・・>
「今日の作品」を掲載するインターネットのサイトは女性、それも主婦のサイトが圧倒的に強い。私は表紙に「今日の作品」欄を作り毎日デッサンでもスケッチでも何でも良いから掲載しようと試みたができなかった。実際に毎日新しい作品を継続して掲載することは容易ではない。ところが女性はこれを簡単にやってのける。毎日の料理やケーキ作りの成果を写真に撮り掲載しているサイトをいくつも知っている。毎日料理という作品を作り続けるのはサイトに掲載されるものに限らない。料理作品を造り出すエネルギーを考えると自分などが作品のネタが切れたなどと言い訳はできない。今日の表紙には「CDcase-paint03/太陽・鳥・樹・岩」を掲載した。今回はCDケースを縦にしてアクリル絵の具で描いた。ケースの半月型の爪部分(4箇所)を太陽と樹木と岩を描いて隠した。いわば爪を隠すために適当な題材を組み合わせた遊び(右上の下を向いた鳥は雪舟のカワセミ図より拝借)。料理でいえば味は分からないが新素材を使った試作料理か。
「今日の写真」は明治神宮にて撮影した写真を掲載。

 
2011-06-04@明治神宮/盆栽展が開催されていた

6月5日(日)  <一期一会・・・>
「一期一会」が心底納得できるようになったのは年齢のせいだろうか。若い頃は”チャンスは二度と来ない”などとは思わず、次の機会を待てばいいと考える。けれども人が一生の間で出会う人は極めて限られていること、話す機会のある人はまたほんの少しだけであることを年期が教えてくれる。茶会に限らず出会いとは一期一会の不思議な縁である。・・陶芸教室の仲間が数名家に作陶を見に来てくれた。教室で開催する予定だった作陶展が大震災の影響で中止になったのでこれまでの陶芸作品を家に飾った。初期の作品から最近のものまで大々的に展示したのは初めてだったので教室の仲間に声をかけたら来てくれたのである。私より陶芸歴の長い大ベテランの人も含めてみんな厳しい目をお持ちだろうに暖かくみていただいたのがうれしい。話をしながら何となく「一期一会」を思った。いまの作品群をこのような仲間に見ていただく機会は二度とない。話をする時間もまた一度だけの貴重な瞬間かも知れない。・・仲間との一期一会は次の創作の活力にもつながりそうである。
6月6日(月)  <史上最大の上陸作戦・・・>
史上最大の上陸作戦といわれるノルマンデイー上陸作戦が行われたのは1944年6月6日。この日ナチスドイツによって占領された西ヨーロッパを奮還するために連合軍がドーバー海峡を渡ってフランスノルマンデイーに上陸を開始した。最終的には300万人もの兵員がノルマンデイーに上陸したという。こんな記念すべき日に我が筋力の衰えを警告された。今日、久しぶりにテニスに行く。旅行やら梅雨などでしばらくテニスができず、調べてみると18日振りのプレーだった。そこで痛感したのが”腕の筋力の衰え”。脚や膝の鍛錬は毎日何かやっているが、握力や腕は何もやっていないことに気付く。箸しか持たないのでは筋力が衰えて当然だ。そこで早速”腕の筋力奮還作戦”を即実行することとした。庭の片隅に放置されていた4kgのウェイト2個を部屋に持ち込んでトレーニング開始。スーパーにいってお米を買ってくることを頼まれれば直ぐに5kgの袋を喜んで運ぶ。そうすると明らかに腕の筋肉が刺激されたことを自覚できる。問題は継続するか否かであるが、もしかするとこの日は筋力回復の記念すべき開始日となるかも知れない。

6月7日(火)  <昨日に続いて筋力トレーニング・・・>
昨日に続いて筋力トレーニングについて書きたい。昨日のコラムで腕力、握力の低下を実感したのでダンベルで筋トレを始めたことを書いたが、今日、外出したときいつになく左右の脚の膝が均等に動き、自然に歩けるので、もしかするとダンベルの思わぬ効果かと驚いた。これまでは左の膝が時に痛むので不自然な歩き方をしていた。スクワットなどを繰り返して、かなり回復はしていたけれども左脚膝を意識しながらのウォーキングだった。それが今までになく調子よく歩けたのである。まだ仮定の段階でしばらくは様子を見ないと断定できないが、右、左にそれぞれ4kgのダンベルを持って腕のトレーニングをしているときに脚膝の関節に体重以上の負荷がかかり、膝に対してよい影響を与えた可能性もある。昨日、ダンベルでの筋トレを始めるに当たって「筋肉」について調べたが、筋肉は実に巧みな不思議な特性がある。筋肉はトレーニングの刺激によって疲労するけれども回復する際に元のレベルの一段上まで「超回復」すること<漸次過負荷に耐えられて筋力が強化される>、筋肉は以前にかけられた負荷を記憶していること、負荷がかからない状態がある期間継続すると筋力は確実に衰えることなど、知れば知るほど「使うこと」の重要性が分かる。また、筋力のピークは男性30歳代、女性40歳代だが”年齢に関係なく発達する”との記述もあった<Wikipedia>。・・よかった、よかった・・。
 
2011-06-07(左)ヤマボウシ(山法師)@自然教育園、(右)アリウム(ネギ科)@恵比寿ガーデンプレイス

6月8日(水)  <フクロウの鉛筆画・・・>
フクロウの鉛筆画を今日の表紙に掲載した。これは久しぶりの「mieuへの絵手紙」(私が絵の担当、妻が表に文章を書く)。ニューヨークに住む孫娘mieuへ前回出した絵手紙は2月20日付であるので大震災をはさんで100日以上途絶えていたことになる。絵手紙は出せなかったけれども時々はSkype(無料のインターネット通話)で話をしている。先日、Skypeで思いもかけぬmieuの唱える「般若心経」を聞いた。「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空・・」とお馴染みの般若心経を10歳のmieuがニューヨークで読み上げているのが何とも感動的だったが、本人は漢字に特に興味があってフリカナを読みながら漢字を覚えているらしい。mieuは宇宙飛行士になることが夢だと言っていた。最近ではバイオリンでジュリアードのPrecollegeに合格したようだ。色々な可能性があるかも知れないが、いずれにしても自分で進んだ道がベストと思うのがよい。私ができることはもう少し頻繁に絵手紙を送ること・・。


6月9日(木)  <弱味とか弱点が他人と・・・>
弱味とか弱点が他人とよき関係を作るという。余りに優等生であったり欠点がない人とは付き合いにくい。特に高齢になるにしたがって自分の欠点や劣っていることを認める訓練をするべきとまで言われる。そうしないと友人がいなくなる。年齢と共に記憶力が低下したり体力が衰えるのは当然だし、若い頃の長所が欠点となることもある。ある対談で「歳をとると周囲があの人は面倒を見てやらなければダメだと思うような穴を自分で上手に作っておかなければいけない」という趣旨の話をしていた。全く同感である。もっとも自分については、”自分で上手に作っておく"以前に、「穴だらけ」であると自覚するが・・。一方で、自分の弱点に焦点を当てる以上に他の人の長所や力を認めるのがいいのかも知れない。いずれにしても周囲のサポートなしの「一人」では生きられない。
 
2011-06-09@恵比寿ガーデンプレイス

6月10日(金)  <閑古鳥・・・>
「閑古鳥」というとガラガラの映画館とかレジャー施設などほとんど人がいない淋しげな「閑古鳥が鳴く」状況を連想するけれども、閑古鳥とはカッコウ(郭公)のことであることはよく知られている。蕪村の俳句集を読んでいると夏の句にやたらと「閑古鳥」が出てくる。カッコウの鳴き声が人を呼ぶ泣き声のように響き「喚子鳥」から転じて「閑古鳥」となったとされるが、俳句の閑古鳥はどれも物寂しい雰囲気ばかりである。「親もなく 子もなき声や 閑古鳥」(蕪村)のほか、俳人の閑古鳥を並べてみよう。「憂きわれを さびしがらせよ 閑古鳥」(芭蕉)、「俳諧の 地獄はそこか 閑古鳥」(一茶)、「淋しさは 闇人にこそ 閑古鳥」(千代女)。昔の人は余程カッコウが身近であったのだろうが、カッコウの鳴き声さえ実感のない私などはカッコウが自分の卵を自分の巣で育てることをせずに他の鳥の巣に卵を産み付けるという生態(托卵)の方が「淋しさ」を覚える。閑古鳥=カッコウはまた不思議な生命体でもある。

6月11日(土)  <3月11日の東日本大震災から・・・>
3月11日の東日本大震災から丁度3ヶ月目の今日、紫陽花が咲いている。3ヶ月前には梅が咲いていた。3ヶ月という期間は普通一つの進展度合いを測る目安となる。生まれた赤ん坊は3ヶ月が大きな転機だというし、身体や筋力を改造する場合にはまず3ヶ月経過したところで成否の目処がつかめる。今回の大震災の大きな問題は3ヶ月を経て復興が軌道にのらないところだろう。大震災による死者は1万5千人あまりで更に現在でも8千人を越す行方不明者がいる。放射線漏れという経験したことのない事態で原発は終息の目処が立たない。このため復興に注力できないのが何とももどかしい。今日は今この時点で被災地を忘れずに個人として何ができるかを改めて考えている・・。
2011-06-11

6月12日(日)  <夏休みはまだまだ先・・・>
夏休みはまだまだ先の話かと思っていたら、ニューヨークに住む孫娘、mieuの学校(小学5年生)はもう夏休みに入ったという。9月初旬まで3ヶ月に及ぶ長い夏休みのようだ(mieuのブログ=ここ=参照、公開することとしました)。米国では夏休みの期間はそれぞれの都市で異なるけれども、早いところでは5月の中旬から夏休みとなるところもあり6月中旬にはどの学校も夏休みに入っている。日本の学校のように宿題も多くはなく長い夏休みをいかに過ごすか、成長の具合なども個人差が大きいのだろう。よく言えば子供たちの多様な生活体験が育まれる。mieuは今年は日本に帰ることもないようだ。どのような夏休みを過ごすのか知らないが、私としてはこの夏休み期間に「mieuへの絵手紙」をいつもよりも沢山描いて送りたい・・。
2011-06-12

6月13日(月)  <久しぶりに銀座通り・・・>
久しぶりに銀座通りを歩いた。銀座の画廊で陶芸の展覧会を見た帰りに頼まれて銀座の店を2〜3廻ったのである。展覧会は陶芸教室で以前先生をしていた女の子(私の娘より年下であるが「女性」というべきかも知れない)がグループで作品を展示したもので、今は立派な陶芸家として活躍している彼女といろいろ陶芸談義をすることができて楽しかった。それぞれに個性のある上質の陶芸作品を見ている内にこちらまで気合いを入れられたように元気になったのもうれしい。絵でも陶芸でも音楽でも、何でも善し悪し(よしあし)は見た後(あるいは聴いたあと)にエネルギーをもらうか否かで判断することにしているが、今日の展示品は間違いなく強いエネルギーを発散していた。・・「今日の写真」を下に2葉掲載する。左は松屋(銀座3丁目)前にある年月日時分秒(上部に曜日)を示す表示灯<瞬間の証拠写真となる>、右は和光(4丁目)のショウウィンドウ。
 
2011-06-13@銀座3丁目、4丁目

6月14日(火)  <今日は「デジイチ」を手に入れた・・・>
今日は「デジイチ」を手に入れた記念すべき日。「デジタル一眼カメラ=デジイチ」は従来のデジカメと一線を画することを改めて思い知らされた。デジタル一眼カメラの特徴はレンズが交換できる程度に考えていたが、従来のデジカメより大きなイメージセンサー(昔のフィルム面に相当する大きさ)を装備し、(間接的にファインダーで見るのでなく)センサー上に実際に焦点を結ぶ像を見ることができるので高画質の上に構図やボケの程度などを的確に把握できるなど数々の特徴を持っている。昔のカメラでは「一眼レフカメラ」といって「反射鏡」を使いファインダーに像を結ばせたが、今のデジタル一眼カメラでは鏡を使わない「ミラーレス」であるので「一眼レフ」とも言わない。デジタル一眼カメラの欠点としてはデジカメと比べて重量が重くなること。私は一部のカメラマニアのように重い「デジイチ」を担いで写真を撮影するといった趣味はないので、悩んだ末に中では超軽量のソニー製のデジイチを選んだ。問題は写真の出来具合。早速撮影した写真が下に掲載する"花器と花”。フラッシュなしの電灯光だけでこれだけの写真が撮れたのにまず驚いた。当分の間、少しずつでも機能を覚えながらデジイチ写真に挑戦だ・・。
2011-06-14/初のデジイチ写真

6月15日(水)  <報道写真家(あるいは報道写真)の終焉・・・>
報道写真家(あるいは報道写真)の終焉・・、東京都写真美術館で開催されている「世界報道写真展」を見に行っての感想である(8/7まで、案内=ここ、毎月第三水曜日<今日>は65歳以上無料)。報道写真は”悲劇”を見つけなければならない。かつては溺れて助けを求める人を撮影した「写真」が受賞し、見殺しにした写真家は大栄誉を得たこともあった。今も同じ。死にそうな人、殺された人、助けを求める人、惨めな人、貧しい人・・、これらの被写体を素直な記録写真でなく芸術ぶった意図的な構図を配した写真が次から次に表れるので、こんな”真実の写真”はもう結構と言いたかった。今は写真家でなくても写真は撮れる。現場での真実は連日インターネットに溢れている。報道は全世界の人がネット配信をしているので報道写真家はいなくても困らない。真実を伝えると称する一枚の写真の影には他の千、一万の反対の真実もある。写真家が決定的瞬間(シャッターチャンス)や構図に拘るのであれば、”真実の報道”などとは言って欲しくない。「写真展」をみて悲劇がテーマである写真は巧みであればあるほど不快(嫌み)となることを知ったのである。・・・・昨日、新しいカメラを手に入れて今日もウキウキして持ち歩いたが、今更「写真」を侮ってはならないと言い聞かせる・・。
 
2011-06-15@恵比寿ガーデンプレイス(写真美術館の側)

6月16日(木)  <フラッシュのない写真・・・>
フラッシュのない写真を楽しんでいる。一昨日から使っている新しい「デジタル一眼カメラ<デジイチ>」の高性能には驚きの連続であるが、従来は自動的にフラッシュが光ったのに、暗くても全くフラッシュを使わずに美しい写真が撮れることにも感動する。特別のライティングをすることなしに自然のままで陰影が付くのでフラッシュを使うよりデリケートな映像が撮れる。下に掲載した写真(左)はガラス作家、高松純子さんの片口器。クロスする細い線の中央に極めて小さな"気泡”を生成させて模様とした作品である。このようなガラス器ではフラッシュでは模様が表現できないのにデジイチでは細かい点まで見ることができる(模様のクローズアップ=ここ
。写真(右)はコスタ・ボダのカップ。これもフラッシュなしだ。「感度が優れていれば人工的に光を当てるより自然が一番」とは何か示唆的でないだろうか。
「今日の作品」として表紙に「 mieuへの絵手紙・陶芸翼鳥」(ペン&水彩)を掲載した。一番身近にあった自分の陶芸作品をそのまま描いて「絵手紙」としたもの。

    
2011-06-16ガラス器

6月17日(金)  <かきつばた(杜若)という能・・・>
かきつばた(杜若)という能の演目がある。能を現代語訳で紹介した本(別役実著)を読みながら「かきつばた」の舞を想像するだけでもうれしくなった。旅の僧が花ざかりの杜若をみていると薄紫の衣を着たうら若い女性が現れる。「らころも(唐衣) (着)つつ馴れにし ま(妻)しあれば るばる(遙々)きぬる び(旅)をしぞ思ふ」<かきつばたを句の頭に詠み込んだ折句>と在原業平が詠んだ「かきつばた」はいまみている杜若だと教え、業平の歌を口ずさむ女性は「かきつばたの花の精」であった・・(あらすじ参考=ここ)。・・「かきつばた」の折句を真似して作ろうと思ったが止めた。下手な句はない方がよい。1ヶ月ほど前に咲き誇っていた自然教育園のカキツバタの花は今日は一つも見ることはできなかった。明日は明治神宮に花菖蒲を見に行く予定だ。
アヤメは花びらの根本が「網目状」、花菖蒲は「黄色い目型」、カキツバタは「白い目型」と区別するポイントを復習している
 
2011-06-17@自然教育園、(左)クサフジ(草藤)、(右)クガイソウ(九蓋草)

6月18日(土)  <朝8時に明治神宮の花菖蒲園・・・>
朝8時に明治神宮の花菖蒲園にいった。週末で花菖蒲の見頃の時節であるので早朝でないと混雑するとみて思い切って朝早く家をでたのである。狙い通りに曇天ながら朝の空いている時間に花菖蒲を満喫できた(開園=am8時)。花菖蒲は実に種類が多い。花の色も白、ピンク、紫、青、黄、そしてそれらの組み合わせなど複雑な花の形状と合わせて品種改良された歴史を感じる。江戸時代には朝顔などと並び珍重された園芸品種であったのだろう。明治神宮の花菖蒲も江戸から引き継がれている「名前」を見ているだけで別世界に連れて行かれる。今日は、「鶴の毛衣(つるのけころも)」(白系)、「四方海(よものうみ)」、「和田津海(わだつみ)」(各薄紫系)、仙女洞(せんにょほら)」(紫絞り系)、など10種類について名前と一緒に写真付けて「明治神宮花菖蒲」特集ページを制作した(=ここ)。江戸花菖蒲で現存しているものの名前の一覧表(=ここ)を見ると江戸人のネーミングの妙を見るようで面白い。

2011-06-18@明治神宮花菖蒲園にて

6月19日(日)  <白妙菊(しろたえぎく)・・・>
白妙菊(しろたえぎく)が黄色い花をつけている。白妙菊はまたの名を「ダステイーミラー」というが、ダステイーはほこりっぽいというより、灰色のというニュアンスなのだろう。それにしても灰色鏡とはいただけない名前だ。この植物は英名の通りに葉と茎が灰白色(銀白色ということもある)の綿毛でおおわれているのが特徴。花の咲かない秋から冬の時期でも白い葉が目立つので葉を鑑賞するために寄せ植えなどにも珍重されるようだ。この白妙菊は息子が育てていた鉢を我が家で引き取って庭に植え直したもの。いわば息子の形見である。今まで何もしなかったのに花が咲いた。これからは育て方を研究し増やしてみようと思っている。
 
2011-06-19白妙菊の花と葉

6月20日(月)  <オーパーツ・・・>
「オーパーツ」という言葉を覚えた。「オーパーツ」とは、OOPARTS=out-of-place artifacts。直訳すると「場違いな工芸品」で、「考古学上その成立や製造方などが不明とされたり、当時の文明の加工技術や知見では製造が困難と考えられる出土品」と説明されている(Wikipedia=ここ)。きっかけは「紀元前200年の電池」とか「最古のアナログコンピュータ」のタイトルにつられて見た記事(=ここ)。”最古のアナログコンピュータ"と大袈裟な見出しを付けた記事は古代ギリシャで製作されたとされる歯車式機械(アンティキティラ島の機械)のことであるが、この記事よりもWikipediaページの下にあるリンクで「オーパーツ一覧」を見る方がより冷静な解説がみられる。つまり、当時の技術水準を見直さなければならないが”ありえない技術ではない”としている。またこの機械は地動説に基づいて製作された装置でコペルニクスのはるか前のこの時代既に地動説が存在したことも確認されているという。出土品一つで歴史の常識が崩れる場合もある。色々なオーパーツを見ていると、(中にはインチキ臭いものもあるが)人類は今考えている以上の大昔からかなり高度な文明を持っていた可能性が感じられて興味が尽きない。

6月21日(火)  <「マイ野球帽」の絵・・・>
「マイ野球帽」の絵を描き「mieuへの絵手紙」とした。表紙に「今日の作品」として掲載したが、正真正銘の"今日の作品”である。このような身の回りの題材はほんの少しの時間があれば描くことができる。いずれも私の”マイ帽子”。中央の帽子はニューヨーク・ヤンキースの野球帽で、私がニューヨークのヤンキースタジアムで購入したもの。先日、これを被って明治神宮に行ったとき外国人が”オー、ヤンキース!”といって話しかけてきた。”NY”が付いたヤンキースの野球帽なので、時々帽子から野球に話が弾むことがある。左側の野球帽には「Route66]の文字がついている。アメリカ土産にいただいたのだが、「ルート66」は我々の若かりし時代には独特の響きがあったので懐かしい。アメリカの国道66号線はアメリカ大陸を横断する大動脈として一世を風靡した。映画、文学、音楽などいろいろなジャンルで”ルート66”は人気があったが今は国道も廃線となり観光用としてのRoute66となったようだ。右側の野球帽は孫娘・mieuがNASAに行ったときの土産で、私がもらったもの。よく見ると”KENNEDY SPACE CENTER--NASAの文字がある。正面のエンブレムにはNASAが図案化されて入っている。どれもが愛用の、ちょっと贅沢なマイ野球帽である。
     2011-06-21「ムラサキカタバミ」

6月22日(水)  <今日は一人の作家さん・・・>
今日は一人の作家さんとその作品との出会いで脳が沸き立つように活性化する体験をした。それほど期待はせずに今日が最終日ということで訪れた陶芸の展覧会で最近にない衝撃を受けたのである。これまで自分の陶芸でこれから何をやるか道が定まらず意欲も停滞気味でどうしようもなかった。それが今日のふとした出会いで憑き物(つきもの)が落ちたような爽やかな気分となった。このところ何かと自分を枠に入れすぎていたように思われてきた。もっと自由な選択肢がいっぱいある。遠慮することはない。格好を付けることもない。もっともっと好き勝手な作品を創ればよい。・・こんな思いを起こさせてくれたのは、私の娘より2〜3歳若い女の作家さんだった。年齢は関係なくパワーとオーラを発する作家さんの作品に感謝である。

6月23日(木)  <今日の気温や天気・・・>
今日の気温や天気をみるのはWebのYOMIURI-ONLINE(東京の場合=ここ)に決めている。ここでは東京の中でも区ごとに細かいデータをみることができる。今日の渋谷区の気温は0時(夜中)=27.5℃、6時=25.8℃、12時=28.9℃、15時=31.3℃とある。この夏日に午前中はテニスをした。テニス場は新宿区であるので念のため新宿区の気温をみると全く同じ数値であった。天気の記録も「曇り」と一律同じ。ところが実際の天気は微妙に異なる。この日必ずテニスに来る新宿区の人は小雨で止めたようだ。電話をして誘うとそちらは雨が降っていないの?と不思議がる人もいた。私はパラパラ降っていた雨が家を出る1時間ほど前に止んだのでコートまで自転車を走らせたが途中小雨の場所があった。テニスコートの状態は多少湿ってはいるが雨量が少なくプレーするには支障がなかった。テニスから家に戻った午後からは晴れてきて3時頃には快晴となった。夏到来!今年も夏を楽しみたい、専ら扇風機で・・。

2011-06-23 モントブレチア・別名ヒメヒオウギスイセン<姫檜扇水仙>

6月24日(金)  <一ヶ月ぶりに陶芸教室で土練り・・・>
一ヶ月ぶりに陶芸教室で土練りを行った。それも大震災の後にはすっかり創作意欲を失って湯飲みとかお皿など日用品の小物を手がけただけであったので今日のような創作的な作品造りは大震災後初めてかも知れない。粘土を練ったり形を作ったりしながら無心に陶芸に打ち込んでいる時が本当に幸せな時間なのだと改めて思う。人並みにいろいろな雑事や心配事をかかえてはいるが、そんなことを忘れさせてくれるのがモノヅクリに集中している時である。更に今日の気温は熊谷(埼玉県)で39.8℃=6月史上最高気温を記録したという猛暑(東京は32.8℃)。こんな暑さも陶芸をやっている最中には気にならないから不思議だ。世間では熱中症にならないように一生懸命注意をしているが、夏の猛暑を乗り切るベストの方法は何かに”熱中”して暑さを忘れることのように思えてきた。

6月25日(土)  <「森の木琴」・・・>
「森の木琴」を見たことのない人には是非3分間の映像をみることをお勧めしたい。「森の木琴」はNTTドコモが開発した木材(ヒノキ)を外装に使ったケータイのコマーシャル映像である。木材といっても森のメンテナンス時に切り出される間伐材を使用し森林の保護活動に大きく寄与するもの。このコマーシャル映像はTouTubeで何と550万回以上のアクセスを記録し全世界で激賞されている(NYタイムズ、CBSなどでも紹介された)。森林保護と企業の開発が見事に一致したテーマである以前に森林の中で木製の球が転がりながら全長44mの木琴でバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を演奏する様は感動的だ。私はこの「木琴」を製作するときの苦労を思いやったが本番でさえ49回目に録画を成功させた(本番前にはその何倍の試行錯誤があろう)という裏話の映像もある。先ずは「森の木琴」ドコモ版(本編)=ここ、ドコモ製作苦労版(making)=ここ。ドコモのケータイ商品=ここ=も見てやってください。ドコモ版(本編)と同じだが、YouTube映像=ここ/回数、評価コメントなどあり。
6月26日(日)  <「ねむの花」・・・>
「ねむの花」は俳句では夏の季語である。この花を詠んだ俳句の例として必ず出てくるのが芭蕉の次の句:「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」。芭蕉が象潟(きさかた=秋田県)を訪れた際 雨に濡れて咲いているねむの木(ねぶの木、あるいは合歓の木)の花を見て、その淡く紅を含んだ柔らかな花を伝説の中国美女、西施(せいし=中国古代4大美女の一人とされる/紀元前5世紀頃)になぞらえて詠んだ句とされる。そんな合歓(ねむ)の花が咲いているとの情報を得て、夕方、写真を撮ろうとカメラを持って公園に行ってみた。ところが確かに合歓の木に花が咲いてはいたが。みな背丈よりかなり高い位置に咲いているので花のアップを思うように撮影できない。今日のところはしようがないとひとまず撮ったものが下の写真。残念ながらとても絶世の美女を連想するまでにいかなかった。
 
2011-06-26@中目黒公園にて、ねむの花

6月27日(月)  <今日はテニスと陶芸の”ダブルヘッダー”・・・>
今日はテニスと陶芸の”ダブルヘッダー”という最も贅沢な時間を過ごした一日であった。ところが両方で進化の止まった我が身を思い知らされた一日でもあった。先ずテニスでは珍しく壁打ち練習をしたときに、以前には必ず「今日はこのポイントを気をつけよう、修正しよう、上達させよう」と意識したものだか、最近は全くそのようなことがないことに突然気がついた。毎回"無理しない”と言い聞かすだけが今のテニスである。次に陶芸。このところ余り創作意欲がないところで作陶を絶えさせないようにと制作した小皿が出来上がっていた。4年前に沢山制作した小皿はプレゼントしたりしてなくなったので我が家用に制作したもの。小皿なんて初心者でも簡単に制作できる・・。ところが完成したものは周囲が”垂れて”ほとんどフラットな板状になってしまった<「今日の作品」として表紙に掲載>。初めて使用した唐津土であるのに垂れやすい性状を配慮しなかったとは言い訳で、4年前と同等のものさえ出来ていない。テニスでは体力の問題で以前と同じにできないことはある程度は許せる。けれども陶芸の場合は油断か慢心か・・。「初心忘るべからず」。これを陶芸でのリベンジのきっかけとしたいところだが・・。


6月28日(火)  <「立つ」構造・・・>
「立つ」構造について「能に学ぶ身体技法」という本(安田登著/ベースボールマガジン社)に面白い解説があった。「立つ」に興味を持ったきっかけは毎日やる”Wii-FIT"(任天堂のフィットネス用器具)での重心計測。じっと立っている状態で数秒間重心の軌跡をみる項目があるのだが、決して一点に停止していることはなく前後左右に微妙に変動する軌跡が描かれる。しかも本来の重心位置にピタリと一致することはない。それほど自分で重心をつかむことは難しい。前記の本によれば理想的に「立つ」基本は、先ず頭頂から足裏まで身体の真ん中を貫く一本の軸=体軸=を体感すること(体軸感覚)という。次に重心感覚をつかむこと。これは自分の身体の重力の中心、すなわち丹田(下丹田)をつかむことで、丹田から水平移動の感覚へ発展する。更に天から頭上を通して持ち上げられるような「スカイフック感覚」をつかむ。下半身は重心感覚で地上に安定して接した上で上半身は自由な立ち方をすべきという。「立つ」という最も基本的な動作(つまり姿勢)が骨格のベースを決めていると考えると案外に健康のキーポイントは”立ち方”であるかも知れない。

6月29日(水)  <夏には命のこと・・・>
夏には命のことを考えさせられる。・・というと大袈裟だが不本意ながら蟻の大量虐殺を実行するのが今の時節である。今日は日本列島各地で「猛暑日」。東京(練馬)でも36.8℃を観測した。この日だけでどれだけの蟻が人間に殺されたか数知れない。蟻の絶対数に対して殺された蟻の数など微々たるものであるかも知れないが命は命。我が家でも大量の蟻が部屋に入り込んで来たので必死に退治した。きれい事など言っていられない。今は蟻撲滅用の強力な兵器もあるので躊躇なく使う。けれども自らが目の前の蟻の命を如何様にもできる瞬間にどこかに人間の命を自在に左右できる全能の神が私たちを見つめているような気になる。審判次第で私たちも目前の蟻と同じ運命になるかも知れない・・。自らが虐殺者とならなくても人間は肉や魚など他の命の恩恵で生きていることも事実。非常に幸いなことに生き続けられている自分は誰に感謝すべきか・・。
<「今日の表紙」には前回の陶芸作品の続き「唐津土小皿B」を掲載した>

6月30日(木)  <教科書を墨で塗りつぶす・・・>
教科書を墨で塗りつぶすシーンが今朝のNHK連ドラ「おひさま」にあった。終戦(1945-8月)直後、これまでの教育内容がガラリと変わって教科書が間に合わないので小学校では以前の教科書を新たな検閲(当然GHKの指導下で)の下に不都合な部分を墨で塗りつぶした教科書を使った。私が小学校に入学したのは新教科書が出来立ての頃であったので自分は経験していないが、2歳年上の義姉は「墨で塗りつぶした教科書」を使い、”墨で塗りつぶした”のが余程ショックだったのだろう、何度もその話をしていた。恐らくは子供心に”教科書の本質”を嗅ぎ取って考える子供へと成長したに違いない。大人が実社会で問われるのは如何に教科書を乗り越えるかであろう。教えられた通り、覚えた通りのことで片付くのであれば誰も苦労しない。マニュアル通りの作業ならロボットでもできる。小学生はともかくとして学ぶ時の基本は先ず学んだ後に教科書以上のことを考える習慣を付けることでないか・・。

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu +  Picture + Ceramics  + Gallery +  Corgi +  Ebisu /Daikanyama  +  Special  +  Links