これまでの「今日のコラム」(2011年 10月分)

10月1日(土) <秋来ぬと 合点させたる 嚔・・・>
「秋来ぬと 合点させたる 嚔(くさめ)かな」(蕪村)。「くさめ」とは「くしゃみ」のこと。漢字は難しくて普通のワープロ変換でもでてこない。平安・鎌倉の時代には「くしゃみ」は鼻から魂が抜けて寿命が縮まる縁起の悪いことと信じられていたので、くしゃみをした人あるいはその近くにいた人が「くさめ」という呪文を唱えてお払いをする習慣があったという。「くさめ」の言葉の語源は「休息万命(くそくまんみょう)」とか「休息万病(くそくまんびょう)」、「糞食め(くそはめ)」など諸説あるが、いずれにしても呪文の「くさめ」が変化して「くしゃみ」となったようである(解説例=ここ)。・・今日から10月。このところ寒暖の差がはげしく「くさめ」をしながら秋が来たことを実感する。しばらくは”くさめ”、”くさめ”と呪文を唱えよう・・。
「今日の作品」として表紙に「mieuへの絵手紙・GPS」(ガラスペン画)を掲載した。以前娘からプレゼントされたガーミン社製のハンデイータイプGPSを描いたもの。3〜4年前にはこのGPSでジオキャッシングという宝探しゲームをしばしば楽しんだことがある。最近は使用することなく机の上に置きっぱなしなので、今一度このGPSを見直したいとあえてmieuへの絵手紙にした。

10月2日(日) <息子の月命日で・・・>
息子の月命日で九品仏・浄真寺(東京/世田谷区)に墓参りに行った。この寺には東京都の天然記念物に指定された大きなカヤとイチョウの樹がある。幹の周囲がカヤが5.4m,イチョウが4.4mといずれもかなりの巨木である。時期が来るとイチョウ(銀杏)は見事な紅葉をみせるが今日はまだ濃いグリーンの葉で黄変の兆しも見えない。けれども先日の台風の影響かギンナン(銀杏の実)が沢山落ちていた。妻がこの大きな銀杏の木の下でギンナンを拾っていると、通りかかったおばさんが親切に声をかけてくれた。ギンナンを拾うなら老木の実より境内の他の銀杏のギンナンの方が美味しいとか、境内のどの場所にいいギンナンがあるとか、ギンナンの皮の向き方、料理の仕方に至るまで・・。東京ではこのような見ず知らずの人との交流は珍しいので何か時の流れまでゆったりと感じられたのが面白い。「緑濃い イチョウの下で 実を拾う」。
 
2011-10-02@九品仏・浄真寺(世田谷区)

10月3日(月) <ヤマトの航海・・・>
「ヤマトの航海」を表紙に掲載した。言うまでもなく葛飾北斎の版画「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のパロデイーだ。北斎のこの版画は大好きでいつか模写をしたかったので、こんな形で孫娘mieuへの絵手紙とさせてもらった。船だけは宇宙戦艦ヤマト風の船に置き換えて宇宙を飛び回るのでなく海の航海で悪戦苦闘するヤマトとした。余りに有名な北斎の版画であるのでよく知っているつもりだが模写してみると随所に新しい発見がある。細かい波の表現、全体の構図など見れば見るほど感動的だ。どんな模写やパロデイーであってもmieuへの絵手紙だから許される。Mieu-chan、ありがとう!


10月4日(火) <世の中を 何に譬えん・・・>
「世の中を 何に譬えん(たとえん) 朝開き(あさびらき) 漕ぎにし船の 跡なきがごとし」。これは万葉集にある沙弥満誓(さみのまんぜい)の歌。世のはかなさを朝早く港を漕ぎ出ていった船の航跡がたちまち消えていく様に喩えた。この歌は8世紀に詠われたのであろうが日本では古来から文芸には無常観が色濃く反映されている。現代を激動の時代という人がいるが奈良・平安など今以上に激変の時代であったであろう。短期間に平城京、長岡京、平安京に都が変わり天皇、指導者も目まぐるしく変わった。冒頭の沙弥満誓の歌の上二句を使った短歌がその後随所で見られるが、無常感だけは変わらない。いくつかを並べてみよう:「世の中を何に譬えん 茜(あかね)さす朝日待つ間の萩の上の露」、「世の中を何に譬えん 夕霧も待たで消えぬる朝顔の花」、「世の中は何にたとえん 水鳥の嘴(はし)ふる露に宿る月影」(道元伝)、「世の中を何に譬えん 雷の露の命と思う間もなし」(仙涯伝)。こうなると「世の中を何に譬えん・・」と自分で歌を詠みたくなるが止めた。世の中こんなもの、人生こんなものと辞世の句を詠むのは早すぎる。

10月5日(水) <期待が大きすぎると・・・>
期待が大きすぎると反動が怖い。日本時間の今日未明(米国時間4日)アップル社のイベントで期待された新機種iPhone5は登場せずにiPhone4SというiPhone4の改良モデルに留まったということで、この日アップルの株価はやや下落したそうだ。それでもiPhone4Sは現在のiPhone4と比べると画像処理速度が7倍、データ処理速度が2倍となり、また音声認識機能が大幅に強化されたり(英語の音声指示による操作、英語の話し言葉を文字に変換する機能など)、バッテリーの改善、カメラ機能の高性能化など随所に性能アップが計られている。これほど優れた多機能携帯電話(スマートフォン)を目前にしながら何もしない(=開発技術とは無縁の)ユーザーは文句だけを言っていればいいから気楽なものである。我が家では従来から携帯はauを使用しており、ソフトバンクのiPhoneに乗り換えをしようと考えていた矢先にauが新たにiPhone販売に参入することになった。これを機会にいまはauのままiPhone4Sとすることを検討している。今日はau(KDDI)に行き、準備段階として先ずは現在の契約を更に軽く(=最低限の条件に)変更。さてiPhone4Sはいつ手に入るだろうか。
「今日の写真」は池の金魚。冷たい雨が降り続く中、金魚たちは生き生きしている。水面の白い点は雨粒の跡。
2011-10-05

10月6日(木) <ステイーブ・ジョブ氏・・・>
ステイーブ・ジョブ氏が亡くなった。オバマ米大統領は「米国で最も偉大な革新者の一人」と深い哀悼の意を示し、また「世界中の多くの人々がスティーブの発明した機器で彼の死去を知ったという事実は、彼へのこの上ないはなむけとなるだろう」とジョブ氏の業績をたたえたという。私も、ジョブ氏の米アップル社の前CEO(最高経営責任者)という肩書きよりも、22歳でアップル社を設立し(1977年)パーソナルコンピューターの先駆者であった氏の経歴に特別の感慨が湧く。私は今に至るまで自分のコンピュータは全てマック。初期のマッキントッシュコンピュータからの愛用者であるので、この30年余はジョブ氏の発明品の恩恵を受けてきたことになる。ステイーブ・ジョブ氏は1955年2月生まれで享年56歳。ちなみに、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏も同じく1955年10月生まれである(氏がマイクロソフトを創業したのは1975年、20歳の大学生の時)。パソコン黎明期に奮闘した若き両氏の逸話は熱気に満ちており、まさにアメリカンドリーム実現への大ドラマを見る思いがする。世界の隅っこからステイーブ・ジョブ氏に弔意を表したい。

10月7日(金) <秋晴れのもと原宿・・・>
秋晴れのもと原宿を散策した。たまたま妻と一緒の自由時間がとれたので、どこかに出かけたいといくつかの案を検討したのだが、結局手近なところで"原宿”と決めたのである。「原宿」の名は今や全国で知られる街となったが、人によってどのようなイメージを持つのだろうか。今日は目的なく歩いたこともあって、いろいろな顔を持つ「原宿」を改めて認識した。下に掲載した写真Aは竹下通り。10代の女の子に人気がある通りだが外国の人にも物珍しいと見えて外国人の撮影隊を何組も見かけた。竹下通りからわずか3分ほどの場所に東郷神社がある。日露戦争の日本海海戦(1905)でロシアのバルチック艦隊を破った海軍大将東郷平八郎が祀られている神社。竹下通りの雑踏とは別世界の静寂な空間が突如として現れる不思議な場だ。写真Bは東郷神社の敷地にある東郷記念館前の池で撮影した亀と鯉。その後、神社から数分の浮世絵太田記念美術館の前まで行ったが、中に入らず、山手線を越えて明治神宮方面に廻った。初詣では例年日本一の参拝者数を誇る明治神宮。鬱蒼とした森に囲まれた広い参道を歩いているだけでゆったりとした気分になるのがこの場所である(写真C)。原宿の多様性は東京あるいは日本全体についても同じことを示唆してくれる。いろいろな要素があるから面白い。一つの傾向に決めつけてはならない・・。
 
2011-10-07@原宿<左上A、右上B、下C>

10月8日(土) <シリアでもジョブズ氏追悼・・・>
”シリアでもジョブズ氏追悼の輪”というニュースが流れている。先日亡くなった米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏は政治学者であったシリア人の父親と米国人の母親との間に生まれた後、養子に出された。この話から思い出したのは、ニューヨークに住む孫娘が自分のルーツを皆の前で発表する際に余りに単純で説明する内容がなかったと拍子抜けしていたこと。自分の両親は日本人でその両親も日本人、更にその親も・・と面白くないらしい。大抵の米国人は親がジョブズ氏のように外国人でなくても祖父、祖母、更にその親が英国のどこ出身だとか、どこの国からきた移民だとか、ルーツを語り出せば世界中のあちこちに飛んでいくらしい。例えば、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏はイングランド、スコットランド、ドイツの血を引く。ハワイ生まれのバラク・オバマ大統領の父親はケニア出身であることはよく知られている。日本ではさすがに今は長州だ薩摩だと出身地にこだわることはなくても外国人への妙な差別感はなくならないようにみえる。もはや世界中の人材を活用しなければやっていけない時代。大相撲のように国際化した実力勝負が広がれば日本はもう少し元気になるのでないか・・。

10月9日(日) <猿楽神社の前で猿回し・・・>
猿楽神社の前で猿回しを見た。今日、明日の二日間、代官山で猿楽祭(さるがくまつり)が行われている(余談ですが、「さるがくさい」でキーボードを叩くと「猿が臭い」と変換された!)。私の通う陶芸教室も毎年猿楽祭に参加してロクロ体験コーナーを開いたり陶器市で陶器を販売したりする。教室は猿楽神社の側にあり陶芸仲間の様子を見に行ったところ神社前の小広場で今年は猿回しをやっていたのである。この辺りは町名も猿楽町。猿楽古代住居跡や猿楽塚(この塚に猿楽神社が造られた)など猿楽がつく歴史建造物がある。Wikipediaによれば「猿楽」とは”中国大陸から、散楽(さんがく)と呼ばれる芸能が移入されたのが猿楽のはじまりで、平安時代に物真似などの滑稽芸を中心に発展していった”と解説されている。鎌倉時代に更に進化し、後の観阿弥や世阿弥らの創り上げる「能」の原型となったとされるが、猿楽の字は散楽から申楽、そして猿楽に変化したものでとくに”お猿さん”とのつながりはないようである。それにしても猿楽神社前での猿回し芸はなかなか良かった。お猿さんで楽しむなんて正に猿楽祭にピッタリ!
 
2011-10-09@代官山猿楽祭(東京・渋谷)

10月10日(月) <我が家へのiPhone導入・・・>
我が家へのiPhone導入を決着させた。二転三転の末に結局ソフトバンクのiPhone4(最新型4Sでない)にして現物も今日手に入った。これまで我が家では携帯は妻も私もau。前にauの契約を解約してソフトバンクのiPhoneに変更しようとした矢先にauでもiPhoneを扱うこととなったので新機種(iPhone4S)を待ってauに予約を入れるところまでいった。冒頭に”我が家”と書いたがiPhoneは妻の名義。先日、特別なauの店(近所の店ではできない)まで私が出かけて予約をしようとしたところ、予約でも(本契約ならまだ分かるが)本人が来ないと絶対にダメだと断られた経緯がある。この時にau、つまりKDDIの余りのお役所的対応にかなり驚いた。”売ってやろう”という感覚で、”お客様”が不在なのは、担当者というより経営トップの体質でないかと思い当たった。更にauのiPhone4Sの方がかなりランニングコストがかかる。ソフトバンクがここぞとばかりに旧型iPhone4をサービスしていることもあり、月額3000円以上の差が出るのでソフトバンクに決定したのである。多機能携帯電話(=スマートフォン)の熾烈な戦いの一端を垣間見たがこの業界に関しては数年先の状況すら予測が付かない。

10月11日(火) <「みまもりケータイ」を二つ・・・>
「みまもりケータイ」を二つ持つことになった。昨日、ソフトバンクでiPhoneを購入した際にサービスで2個付けてくれたもの。「みまもりケータイ」とは普段は時刻だけが表示されている時計(ダイヤルは一切ない)に見えるが家族との国内通話は24時間無料(2年間は基本料金も無料)で交信できる。オプションでGPSを取り込むとケータイの場所が即座に親機の地図上に表示させることもできる。子供や老人に持たせておくと簡単に話ができ、かつ場所の確認もできるので安心というわけだ。当面は二個も必要ではないが、一つを試験的に使ってみると極めて調子がよい。妻と大した用事はなくても外出先で連絡を取り合うなど十分に楽しめる。それにしても小さなデジタル時計に見えるケータイに内蔵されたマイクとスピーカーの性能の良さに今更ながら感動。
「今日の作品」として表紙に「 mieuへの絵手紙・花(ガラスペン画) 」を掲載した。余り深く考えたり悩んだりせずに今日のように即興でドンドン絵手紙を描きたい。
「今日の写真」(下)は有栖川公園(東京・港区)にて。もともとは忠臣蔵で有名になった浅野家の下屋敷があったところが色々な経緯を経て今は港区立の公園となっている。紅葉はまだまだ先になりそうだ。
  2011-10-11@有栖川公園

10月12日(水) <池上本門寺のお会式・・・>
池上本門寺のお会式(おえしき)にいった。本門寺のお会式は日蓮の命日10月13日に合わせる法要で前夜(今日12日)は万灯の行列など今も賑やかな行事が繰り広げられる<以前は数十万人が訪れる祭で知られ、江戸時代に広重が描いたお会式の浮世絵もある>。この際、日蓮に少し触れてみたい。日蓮(鎌倉時代、日蓮宗宗祖、1222年〜1282)の生涯を見ると何度も時の権力者・権力を持った宗教に対して迫害を恐れず意見をした情熱が強烈だ。「立正安国論」では法華経を広めるため当時相次いだ地震、台風、飢饉、疫病などの災害は浄土宗(=その時代の主流)に起因すると批判。結果的に政治批判にもなったので、浄土宗徒から襲撃されたり処刑を免れたりした後伊豆へ流罪となった(1261年)。その10年後(1271)にはまた佐渡へ流罪(3年間)。「立正安国論」の中で「法華経を持たなかったならば、内乱がおこったり、他国から侵略される」と予言したところが後の政治情勢や蒙古襲来とも一致して日蓮は幕府の信頼を得ることとなる。蒙古襲来の国難を奇跡的に逃れたのが神仏への祈祷のお陰とする土壌も作られた<もし蒙古襲来がなかったならば日蓮の運命はどう変わっただろう>。1282年に日蓮が開山した身延山久遠寺(山梨県)を出て病気療養(湯治)のため常陸(茨城)に向かう途中、武蔵国池上郷(今の東京・大田区池上本門寺の場所)に到着し、この地で入滅。享年60歳であった。それから729年を経た今この地にいる・・。 さて、お会式では”南無妙法蓮華経 ”を一度も聞くことができず、日蓮はどこに行った、法華教はどうした・・と不思議な感じを受けた。まあ、これも現代の 万灯練り歩きのやり方と理解して、先ずは万灯と団扇(うちわ)太鼓から元気をもらったことは確か・・。

 
2011-10-12@@池上本門寺 <お会式/満月が美しかったが写真ではダメ>

10月13日(木) <横浜の元町・中華街・・・>
横浜の元町・中華街駅の側で開催されている「4人の作家による練り込みの陶磁器作品展」に行った(16日まで、場所=ここ)。以前、陶芸教室で先生をしていた城田さんが出展しているので見に行ったのである。城田さんは実は中国茶器、紫砂茶壺(しさちゃふー)作りの名人でもあるが、今日見た”練り込み”作品はシンプルな木目調に仕上げた器。練り込み作品としてこれまでに見たことのない表情に感動した。横浜まで来て作品に元気をいただいたところで、ついでに横浜山手地区を散策した。港の見える丘公園から外国人墓地、山手資料館、山手イタリア山庭園などを歩きながら、感心するのは観光用の案内地図や説明板が実に丁寧なこと。途中に教会や庭が見られる西洋邸宅がいくつもあるが全て観光客を歓迎する眼差しが感じられてうれしい。今日の収穫は横浜再発見であった。
 

2011-10-13(左)港の見える丘公園・ローズガーデンから横浜ベイブリッジが遠方に見える
       (右)イタリア山庭園/このような建物が次から次に見られる

10月14日(金) <mieuへの絵手紙・模様・・・>
「mieuへの絵手紙・模様」(ガラスペン画)を今日の作品として表紙に掲載した。正真正銘、今日描いた絵手紙で、「模様」を参考にしたのは「1000PATTERNS=古代から現代まで世界1000の模様1000選」という本(デザインエクスチェンジ社発行)。裏表紙に本を入手した来歴をメモしてあるが、何と2004年の私の誕生日に娘夫婦から(孫娘mieuの名前も入っている!)プレゼントされた本だった。描いたのは上部の二つは「ヨーロッパケルト」の文様。7世紀頃の模様らしい(原版は縦型)。下部の二つは16世紀、ヨーロッパルネサンスと言われる文様。いずれも文様を正確に写したものではなく絵手紙用にアレンジしている。それにしてもこの機会に古代から現代に至る文様の数々をみると絵画とは違ったデザインの歴史が見られて面白い。言えることは現代の国力とか科学技術力とは全く無関係に地球上のあらゆる地域に古代からの歴史があり文様遺産が存在していること、そして現代の方が優れているというような比較の評価ができないことか。1000年、2000年前いやもっともっと以前から人類はすばらしい文様を創り上げている。現代という時代に人は新たな模様をイメージできるのか。改めてこの本をじっくりと読んでみたい。

10月15日(土) <久しぶりのNHKホール・・・>
久しぶりのNHKホールはN響定期公演(チケットをいただいた)。出し物は「ブラームス/ドイツ・レクイエム」(指揮:アンドレ・プレヴィン、合唱:二期会)。「三大レクイエム」というとモーツアルト、ヴェルデイ、フォーレとされるが、このブラームスのレクイエムは作曲の段階から他のレクイエムと違う。通常カトリック教会で死者の霊を慰めるための典礼音楽がレクイエム(死者のためのミサ曲)であるが、ブラームスがカトリック教徒でなくプロテスタント信者であったため歌詞はカトリック流儀でないドイツ語であるし、初めから典礼音楽用ではなく演奏会用に作られたという。私も三大レクイエムのCDを持っており聴くチャンスはあるがドイツレクイエムには馴染みがない。しかし、音楽にカトリックもプロテスタントもなかった。1929年生まれの指揮者プレヴィンは舞台への出入りは手押し車を使い指揮は座って行ったが、70分間休憩なしで全7曲を一気に指揮した。N響、二期会&独唱も名演奏だったのでないか。心の奥底に響く本当にいい音楽、ブラームスのレクイエムを聴くことができて幸いだった。

10月16日(日) <自転車で東京ミッドタウン・・・>
自転車で東京ミッドタウンに行った。最近は六本木方面に自転車で行く場合、混雑するメインの通りでなく自動車も人もほとんど通らない裏道を覚えた。国立新美術館で開催されている美術展(独立展)の切符をいただいたので先ず第一目的の美術館へ。ここには自転車専用の駐輪場がある。「独立展」については大規模な公募展を見る度に発している感想を繰り返さねばならない。個性ある大画面の連続で「食傷」してしまうのである。もっと単純でささやかな画面で十分・・。毎度のことながら現代の画家の苦悩を見る思いもする。何を描いても自由、そして豊かな環境(大画面に豊富な絵の具、時間をかけるゆとりetc.)で人は逆に何を表現したいのかを見失うのか。不遜ながらそんな感じさえ受けてしまう。次に東京ミッドタウンのメインに移動。ミッドタウンガーデンの入口には駐輪場が完備しているのでうれしい。ここの芝生広場やガーデンで今日の夕方から1400個の和紙キャンドルに火を灯す「和紙キャンドルガーデン」の催しがあるとのことで、スタッフが一生懸命準備をしていた。隣の檜町公園(港区立)で休憩し水の流れをじっと見ていると”食傷気味”であった脳が回復してきた。やはり自然の力が一番とは・・。
 
2011-10-16@東京ミッドタウン(左)芝生広場、(右)檜町公園にて

10月17日(月) <脳の仕組みは謎・・・>
脳の仕組みは謎だらけだ。現代の科学で解明されているのはほんの一部であるにもかかわらず俗説ばかりが先行する。例えば右脳・左脳論。芸術肌で直感的な人を右脳型(右脳は映像や音声を担い感覚的、芸術的創造の中枢)とか理屈っぽい人を左脳型(左脳は論理的思考の中枢)と呼んだりするが、人間の脳がそれほど単純でないのは当然だろう。それでも認知症は左脳優位な人の方がかかりやすいとまた俗説をみると自分をチェックしたくなる。私は両手の組み方、腕の組み方(これらは明らかに個人の傾向がある)でみたり論理的でなく感覚的なことから、どう見ても右脳型であると思っていたが、今日、うっかりと(!)インターネットで右脳左脳の自己診断をしたところ(15の質問にyes,noを答えるだけ)左脳型とでてしまった。これだけで右脳・左脳のインチキ性に目覚めたところがある。脳の研究の一環として右脳、左脳の働きを追求するのは分かるが、人間の頭脳の働きに右も左もない。神経の役割は全てがつながっておりバックアップ体制もあるのだろう。いつもと逆の両手の組み方(通常上になる親指は左→右)をして脳を刺激してみている・・。

10月18日(火) <たまに大型のスーパーマーケットにいくと・・・>
たまに大型のスーパーマーケットにいくと退屈することがない。豊富な品数に圧倒されながらも商品を見ているだけで面白い。今日は例えば魚売り場。ブリ、タラ、サケの切り身が並んでいた。私でもこの程度の切り身の区別はつく。ちなみに漢字で書くと、鰤、鱈、鮭。これはその場では鮭しか思いつかなかった。切り身はともかく魚本体が並んでいたら区別がつくかどうか分からない。少し離れた場所に「わらさ」の切り身があった。こうなると切り身でも分からない。「わらさ」の脇に「天然ブリ」と言う文字があったが「わらさ」は「稚鰤」と書くようにブリの成魚となる前の名前。出世魚であるブリはモジャコ(稚魚)からワカシ、イナダ、ワラサ、ブリと呼び名が変わる(地方により呼び名は異なるようだ)。それにしても毎日のように魚を美味しくいただいているのに、魚の全体像をみてもほとんど名前が分からないのは魚様に申し訳ないような気がする。こんど水族館に行った時には魚をもっとよく観察してこようと
思いながら切り身を眺めていた。
10月19日(水) <毎日「感謝の儀式」・・・>
毎日「感謝の儀式」をやると脳にいいという本を読んだことがあるので、思い出してはトライする(未だ習慣にはなっていないのが残念)。要は毎日数分間でもいいから感謝することを三つ探して”ありがとう”と言ってみることが”儀式”。これを自分流に就寝時に試みる。世の中には不愉快なこと、心配なこと、頭に来ることは限りないとしても、それらを一時忘れ、許して感謝すべきことのみに意識を向けるのは脳というか精神的にいいことは間違いない。寝床の入ってからそれをやると、三つ、五つと考えているうちに眠ってしまう。感謝の内容は何でも良い。今日も生きていることだけでも大感謝。健康で一日を過ごせたならば文句なしの感謝。友人とメールのやりとりができればそれも感謝。さて、まだ床に就く時間ではないが、今日の私のありがとうを書き出してみよう。妻が特別美味しいリキュール入りのココアを作ってくれた・・ありがとう。胡蝶蘭の花、今日で最後の一輪が終わった・・去年から咲き続けてくれて本当にありがとう。自然教育園という贅沢な庭園、年齢だけで無料にしてくれる・・ありがとう。何よりホームページを訪れてくれた人がいれば、ありがとう!!
 
2011-10-19@自然教育園(東京・港区) 左=のはらあざみ(野原薊) 右=巨木の一つ

10月20日(木) <「花器付き壁掛け」(陶芸)・・・>
「花器付き壁掛け」(陶芸)を表紙の「今日の作品」に掲載した。久しぶりに陶芸教室で制作した作品。今日、まさか焼成まで出来上がっていないと思いながら教室に遊びに行くと(時々、用はなくても遊びに行って仲間の制作しているところを見学する)”できてますよ”と教えてくれた。そのうちの一つを持って帰り早速写真を撮ったのが表紙の作品だ。二ヶ月ぶりに陶芸教室で制作したにしては小物。それでもいくつか試作的な試みはやっている。一つは壁掛けに花器を付随させてみた。それから一段ずつが単独の角柱である階段を作った。小さな玉が階段にしたがって最下部まで転がって落ちるが、これは単なる遊び。ところが予想に反してというか期待通りというか、玉が転がるときの音がよい。磁器土で制作したせいもあるが、特に壁に吊した場合に澄んだ音が出る。次なる陶芸作品は"音の出る陶芸シリーズ”はどうだろうと少し夢が膨らんだ。


10月21日(金) <「琉球アサガオ」の写真・・・>
「琉球アサガオ」の写真を下に掲載した。朝顔は夏の花という感覚があり、今日写真を撮った場所で7月に咲いている花を昼顔と間違えたことがある(昼間に元気に咲いていたので)。今日撮影した花は今の季節にも勢いよく咲いているので写真を撮り調べたところ、「琉球アサガオ」(「オーシャンブルー」とか「宿根アサガオ」などの名で呼ばれることもある)であることが分かった。沖縄原産の「ノアサガオ」の園芸品種であるようだ。蔦は3〜4mの高さがあり非常に勢いが強い。開花期間も長く6月下旬から11月頃まで咲き続けると解説があり納得した。普通の朝顔と違ってノアサガオは朝から夕方までしぼまずに咲き続ける。しかも一日花でなく一日目には青紫、二日目には赤紫に変化するという(早朝と昼でも変わることがあるようだ)。ところで朝顔は俳句では秋の季語である。秋の訪れを告げる花と見るようだが、ノアサガオ(琉球アサガオ)は正に秋に堂々と咲き誇っている。正岡子規は「仰臥漫録(ぎょうがまんろく=晩年の病床の目録)で朝顔の句をいくつも詠んでいる(琉球アサガオではない正統朝顔の句であろうが)。「朝顔や 絵の具にじんで 絵を成さず」、「朝顔の しぼまぬ秋と なりにけり」、「朝顔や 我に写生の 心あり」。
2011-10-21@中目黒公園(東京・目黒区)

10月22日(土) <最近のマジック・・・>
最近のマジックは実に巧みだ。種があるはずだと一生懸命に考えるがさっぱり分からない。一方で古いマジックは種が公開されたりして使えなくなるからマジック界も常に新しい種を創らなくてはならない厳しい世界に見える。昨夜のテレビでたまたま”時空をとらえました”で売れっ子のマジシャン、Dr.レオンが中国の超能力者の実態を暴く番組を見た。中国側にかなり遠慮した現地取材であったが、相手はあくまでも超能力でマジックではないと主張して”超能力”とやらを披露する。”種”は単純なマジックであったが、中国では「技」でマジックを見破られずにいた。はじめからマジックですと言えばいいものを真顔で”超能力”といってお金を稼ぐから詐欺になる。・・今の時代インターネットでマジックの種明かしを見せてくれるサイトも多い。「人体切断マジック」(=ここ)とか「コップにコインが貫通するマジック」(=ここ)、「タバコが通るコインマジック」(=ここ)等々何でも種明かしをしてくれるが、やはり本当は種を見る前に自分で「これに違いない」と考えつく方が面白いのだろう。
「今日の表紙」に前回掲載の壁掛け(陶芸)を単品として掲載した。前回掲載分は電灯の下で撮影したので 色が余りに現実と違うとの指摘があった。今回は昼間に単品で写真を撮り直したもの。


10月23日(日) <「今日の失敗」・・・>
「今日の失敗」というコーナーを作ると書く種に困らない。ただし「今日の作品」や「今日の写真」以上に他人様が読んで興味が湧くかどうかは疑問ではある。個人的な失敗は進歩のための貴重な体験であると割り切ることにしているが、それにしても同じような失敗を繰り返す。今日の失敗は完成したばかりの磁器製部品(陶芸教室から持ち帰ったもの)を家で仕上げの工作中に落として破損させたこと。まだ「今日の作品」に掲載もできない"作品”である。今回は復元不能でどうしようもない。今日はまた顔の右の頬が膨らんだまま元に戻らないという奇妙な体験をした。何が失敗で何が原因かよく分からないが手で顔に触れていたことは確か。幸いに時間が経過して膨らみは減ってきたが初めはとても外出できないほどの腫れだった。肉体的な不調が何時訪れるか分からない恐ろしさを実感したが、再発防止の手段はハッキリしない。私に関しては「過ちは繰り返しません」とはおこがましくて言えない。”同じ轍(てつ)”を踏みながら、二度あることは三度ある、と懲りない野郎だ。

10月24日(月) <陶芸の設計・・・>
陶芸の設計をいま楽しんでいる。設計をデザインと言い換えてもいいがイメージ図を描くだけのデザインではなく詳細のDESIGNをする。勿論、私の陶芸でも事前に何も準備をせずに粘土をこねながら形を考えて制作することも多い。けれども大物で仕掛けを付ける作品の場合、予め何枚もの詳細図面を描いて検討する。制作に入る以前のこのような設計が私にとっては結構楽しいのである。この段階では形も構造も何通りもの選択ができるし、アイデイァ次第で無限の可能性に発展する。時には傾斜した構造物の寸法を決めるときに三角関数を使ったりして計算もする。そうはいっても設計はそれほど厳密ではない。いざ本番で粘土を使って制作し始めると設計を変更して別の思いつきを採用することは珍しくない。だから陶芸は面白い。こんなことを言いながら結果が見えるのは何ヶ月先だろうか・・。
「今日の写真」は都会のススキ。明日からは自然のススキを見に小旅行に行く予定。2〜3日コラム休みます。
2011-10-24@代官山アドレス(東京)
にて
10月27日(木) <秋の小旅行・・・>
秋の小旅行から先ほど帰宅した。箱根〜富士五湖方面という近場のドライブ旅行であったが、天気に恵まれて紅葉と富士山を満喫した。富士山については今更改めて賞賛しようにも新たな言葉がないが無心に富士の山を目の前にするだけで感動が湧き上がる。下に掲載する(a)「今朝の富士山」は朝起きてみると眼下に見えた風景<霧が晴れると丁度霧の部分に山中湖がみえる>。他の写真が掲載できなくて残念だが、見ているうちに霧も光もどんどん変わっていく。一瞬一瞬の色合いの変化は正に神の演出というべきか。富士山麓には山中湖の他、河口湖、精進湖(しょうじこ)、西湖、本栖湖を加えた富士五湖があるのはご承知の通り。昨日訪れた、河口湖、精進湖でみた富士山の風景を並べて掲載してみた。富士山はどこからみても美しい。
2011-10-27(a)今朝の富士山@山中湖

(b=左)河口湖・天上山にて         (c=
右)精進湖にて   
10月28日(金) <大学の機械工学科同窓会・・・>
大学の機械工学科同窓会に出席した。二年に一度の集まり。今年は卒業48年を経て出席者は同窓の約四分の1。既に亡くなった人も約四分の1。出席できた人は健康で余裕のある恵まれた人といえる。それでも何人もの人が大病を克服したり九死に一生を得た経験を生々しく話した。この同窓会では皆が物事をポジテイブにとらえて斜に構えたところがないのが気持ちよい。今回、特に顕著に思えたのは"老老介護”のすさまじさ。ある人は父親が106歳(!)。親が102歳の人、98歳、95歳など次々に現れる。自分の健康維持もさることながら100歳の親の面倒を見る人が特別のことではない現実がある。いくら健康であってもやがて来る自分の老いの姿を誰も予測できない。他人に迷惑をかけない歳のとり方はあるのだろうか・・。同窓会で思わぬ老人問題を考えさせられた。

10月29日(土) <六義園から旧古川庭園をハシゴ・・・>
六義園から旧古川庭園をハシゴした。JR山手線・駒込駅から南に徒歩5分で六義園、北へ徒歩10分余で旧古河庭園という立地。ただし、どうも分かり難いのは住所が六義園は東京都文京区(本駒込)、旧古河庭園は東京都北区、JR山手線の駒込駅は何と東京都豊島区である。そんなことはどうでもいいか・・。六義園(りくぎえん)は徳川時代、柳沢吉保が造営した大名庭園として名高い。明治時代には三菱財閥の創業者・三菱弥太郎が購入して維持したことでも知られる。片や旧古河庭園は古河財閥の古河家が所有していた庭園。大正の初期に整備され洋風庭園と和風庭園がミックスした独特の趣がある。洋館(下に写真掲載)は明治時代にイギリスから招かれた建築家コンドルの設計。両方の庭園とも今は都立の庭園となっているため財閥とは無縁の私たちも気楽に訪れることができるのがうれしい。今日は木々や池のたたずまいをのんびりと眺めながら妻も私も十分にリフレッシュしたが、紅葉の時期にはさぞかし美しいだろうと思わせるところが随所に目に付いた。妻と一ヶ月後にまた紅葉の庭園巡りをしようともらってきた「紅葉巡りスタンプラリー」の用紙を大切に保管している。
 
2011-10-29(左)六義園にて        (右)旧古河庭園にて

10月30日(日) <現代の脳科学では「幸せ度」は・・・>
現代の脳科学では「幸せ度」は自分の脳が幸せをどう評価するかによって決まるものであり、幸せを感じるには特別の豊かさは必要ないとされる。お金がなくても地位や名誉と無縁でも脳の考え方次第で十分に幸せになる・・とこれは今や常識ではあるが。昨日、NHKテレビで錯覚に関連して一つの事柄に気をとられていると大きな変化に全く気がつかないという実験をやって見せていた。脳の仕組みとして一方に集中していると視覚に入っているものでも認識しない。こうした脳の仕組みは非常に示唆的だ。およそ全ての事物には二面性がある。人間の脳の特性として自然に任せるとどうしても心配事に焦点がいく。マイナス面、不愉快なところばかり気にして被害者となり不幸になるパターンだ。長所より欠点ばかりを見てしまう。したがって幸せ度を増やすにはある種の訓練が必要となる。同じ人に接触したとして長所に目を向ける。不満はあっても感謝すべきところに注目する。こうしたことを習慣にすればよいとされる。実際にやってみると明らかに気苦労というか、ストレスはそれだけで低減するように思える。プラス面をみているとマイナス面が余り気にならない。人間の脳は元来物事をポジテイブにとらえるとネガテイブな側面を忘れさせてくれるようにできているようだ。
「今日の作品」に「磁器モビール」(陶芸)を掲載した。制作に手間をかけた割には完成してみるともっと新規性が欲しい感じ。磁器製なので叩くと澄んだ音がする。


10月31日(月) <陶芸でフクロウを制作・・・>
陶芸でフクロウを制作しようと一時計画を始めたことがあった。フクロウの漢字「梟」は木の上に鳥をさらした形で気持ちよくないが、「フクロウ」は不苦労、福来郎、福老などの当て字があるので一般的に縁起がよいとされる。そこで陶芸で置物を作ろうと思ったのであるが、途中で諦めて止めた。フクロウは具象。抽象それぞれの置物が多く作られている。だから自分らしくフクロウを表現するアイデイァが浮かばないのである。種類も200種以上あり、どのフクロウをモデルにするか決めきらない。それでも前からフクロウという鳥には親しみを覚えていた。先週、富士山麓をドライブしたときにフクロウの日本随一のコレクションがある「富士花鳥園」にもいった。富士花鳥園(富士山の西、朝霧高原、案内=ここ)はベゴニアなどの華やかな花(=下の写真、左)で知られるが、フクロウやハヤブサなど鳥の飛行ショーも見せる。フクロウの目の感度は人間の100倍とか、数メートル先の雪の中を移動するネズミの音を検知するという驚異的な聴力を持つとか、目と耳ではるか先にある目標への正確な距離を把握できるなど、フクロウの人間にはない能力を検証しながらフクロウの飛行ショーを見ているとフクロウが更に身近に感じられた。そして写真(右)のようなフクロウさんたちも見て回ったが、今現在、陶芸フクロウの閃きは未だ得られてはいない。
 
2011-10-31 <今日の写真ではないが、10/26@富士花鳥園にて>

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu +  Picture + Ceramics  + Gallery +  Corgi +  Ebisu /Daikanyama  +  Special  +  Links