これまでの「今日のコラム」(2012年 2月分)

2月1日(水) <「めぬまねぎ」・・・>
「めぬまねぎ」を買った。この葱は埼玉県熊谷市の”妻沼(めぬま)地域”で栽培されるので「めぬまねぎ」と呼ばれる。埼玉県の葱というと「深谷ネギ」が有名だが、妻沼と深谷は地続きで共に利根川流域の肥沃な土壌で栽培されている。俳句では「葱」は冬の季語。葱を詠んだ句を取り出してみよう。「葱白く 洗いたてたる 寒さかな」(芭蕉)。「葱買うて 枯木の中を 帰りけり」(蕪村)。葱の俳句は昔の作でも現代の感覚とピッタリするのでうれしい。「夜の客に 手探りに葱 抜いて来し」(中村汀女)。そういえば根付きの葱を土の中に斜めに埋めておくと欲しいときに抜いて使えるので便利だ。最近の作では私は次のような句も好きだ。「平凡と 非凡の境 葱刻む」(浜岡健次/NHK俳句より)。
2012-02-01


2月2日(木) <毎月2日にお寺に墓参・・・>
毎月2日にお寺に墓参をすると月毎にこれほど季節が変動するかと驚くことが多い。これまでのコラムをみると2日には大抵お寺の写真を掲載しているのに気がついたが、それもよしとしよう。今日も息子の月命日で九品仏(くほんぶつ)・浄真寺(東京・世田谷区)に墓参。一年を通してみると今が一番”枯れた”時節だろうが、余計な飾りや化粧を外した素顔の美しさがでる時でもある。今日掲載する写真(左)は浄真寺境内にある上品堂(じょうぼんどう)<2009年1月にスケッチをした作品があった=ここ)。この右側には中品堂(ちゅうぼんどう)、左側には下品堂(げぼんどう)というお堂が並んでいる。それぞれのお堂の中に三体の阿弥陀仏像が安置されて合計九つの仏様があるので「九品仏」と呼ばれる。人があの世へ渡るとき(往生するとき)に生前の行いによってお迎えの阿弥陀仏にランクがあることになるが、この辺りの考え方をうまく説明してあるサイトがあったので納得した=ここ。・・今日は全国的には大雪と寒波で事故が頻発している様子。東京では墓の花入れの中の水が凍っている程度の気候で何か申し訳なくさえ思える。お参りをして帰る途中、境内で鈴なりのミカンを見つけた<写真・右>。これもまた有り難い恵みに見える。
 
2012-02-02@九品仏・浄真寺
2月3日(金) <「歌川国芳展」・・・>
「歌川国芳展」をようやく見に行くことが出来た(森アーツセンターギャラリー<六本木ヒルズ52F>にて2/12まで、案内=ここ)。評判を前から聞いてはいたが、今日展覧会で400点以上の国芳の浮世絵に接すると改めて強い衝撃を受ける。歌川国芳(1797〜1861)は江戸後期の浮世絵師として知られる。生まれが全く同年である安藤広重(1797〜1858)や葛飾北斎(1760〜1849)等の浮世絵もすばらしいが国芳の作品は他の人にはない発想の面白さに満ちている。大胆な画想とか独創的な構成といった画一的な言い方では表しきれない自由奔放な作品群をみていると江戸時代の先輩日本人のオリジナリテイーが誇らしく思えたり、江戸という時代の文化の高さに驚嘆したり、また精緻極まる版画技術にも脱帽したり、頭の中をいくつもの思いが駆け巡る。江戸時代よりもはるかに表現が自由であるはずの今の時代、美を専門とする人たちに創造する楽しさが国芳ほど感じられないのはどうしてだろう・・。
 
2012-02-03@六本木ヒルズ(左=毛利公園にロウバイの黄色い花が咲いていた)

2月4日(土) <「自分を知ること」が一番難しい・・・>
「自分を知ること」が一番難しいとは古代ギリシャの哲学者タレスの言葉。ちなみにタレスは逆に一番容易なことは「他人に忠告すること」とした。こんな言葉に納得させられるこの頃、自分自身の感覚がこれほどまでに変わるかと思う体験をした。親戚にしばらく使ってもらっていた陶芸作品のフロアランプを久しぶりに家に持ち帰って見ると何とも気に入らない。以前は気にもしなかったアラばかりが目立ち貸し出していたことが恥ずかしくさえなる。陶芸の場合も10年の歳月を考えると当然制作する技術も少しは進歩しているが、私は一般的には初めの頃に制作した作品は決して嫌いではない。その時点で今以上に制作する迫力がみえて自分で感心するものもある。また不出来と認めるものでも”できの悪い子ほど可愛い”の類でそれなりの良いところを見て評価をする。それが今回のように長期間目の前になかった場合、自分と無関係となったため見る目が厳しくなるのだろう。第三者の目、他人の目とは苦労をしたり愛情を注いだ経緯など一切を取り除いた結果だけを見る。結局は自分の見方が変わっても、作品の場合は他人の評価など気にせずに自分の好みで割り切ればよい。それにしても本人自身の言動は「好み」では割り切れない。誰もが他人の見方は本人とはずれていると認識していた方がよさそうだ・・。
 
2012-02-04@恵比寿(東京)左=ショウウィンドウ、右=ガーデンプレイス

2月5日(日) <iPhone4のビデオ・・・>
iPhone4のビデオを使って表紙に掲載しているピラミッド型遊具の上から鋼球が転がり落ちる様子を撮影してみた。iPhoneの機能に習熟しようと色々と試みている一環であるが、撮影したビデオをパソコンに取り込んで再生してみると画質がいいのに驚く。このホームページから動画をリンクするやり方(YouTubeを使うか?)は検討中であるが、球が転がるなど動きのある作品はやはり動画の方が断然分かり易い。インターネットでは膨大な情報が流れるけれども「現物」に接し、現実に自分の目で見なければ真実の姿には触れられないことも確かだろう。もっとも自分の目で見ても真実が見えるかどうかは別問題。料理の写真だけでは香りも味も分からないといって食べてみても”違いが分からない”のと同じかなぁ。とにかくも「動画」掲載を急ぎたい・・。
「今日の写真」は会心作?? 下左はパソコン画面がバック。デスクトップの壁紙を変えれば色々なバックが自由自在だ。下右の山並みのように見えるのは実は溶岩。西郷山公園に西郷従道さんの縁で鹿児島から送られた溶岩が飾ってあるのでこれを手前にして夕日を撮影した。
 
2012-02-05

2月6日(月) <「シクラメン/MIEUへの絵手紙」・・・>
「シクラメン/MIEUへの絵手紙」(ペン&水彩)を「今日の作品」として表紙に掲載した。毎年都内のシクラメン専門の農家で鉢植えのシクラメンを買う。見渡すばかりのシクラメン棚の中から買いたいものを自由に選ぶことができるのだが、自粛ムードで売れ行きが悪いのか今年は例年よりも在庫の数が多くみえた。最近はシクラメンといっても非常に種類が多く、どれを選ぶか迷ってしまう。今日絵手紙に描いたシクラメンの品種名は知らないがフリンジというか、房飾りを付けたような独特な花柄ではある。素直なシクラメンの絵は面白くないのでこんな部分画にして描いてみた。シクラメンの和名は「篝火(かがりび)花」というそうだ。「煩悩を みな焼き尽くせ シクラメン」(TH)


2月7日(火) <YouTubeに初めて自分の動画・・・>
YouTubeに初めて自分の動画を入れた。一昨日、i Phone4のビデオを使って陶芸で制作した「ピラミッド型遊具」で鋼球が転がり落ちる様子を撮影したことを書いたが、その後、MACのiMovieというソフトにビデオを読込み編集をして、iMovieからYouTubeに登録した次第。YouTubeのアカウントを初めて取得するとき本人を確認するやり方が面白かった。ロボットによる機械的な操作をされていないことをチェックするために先ず二つの英文字を読んでスペルを書かせる。これがまともな文字でなく判別不可能な難しい書体でアルファベットの特定が出来なくて苦労した。ロボットだとどう判定するのだろう。次には雑音入りで非常に聞きづらい中で時々数字が発音されるのを聞き取って数字を書く。とにかくも本人と確認されてアカウントを取得し目出度く登録された動画サイトここ=。
途中で球が止まらないように微調整するのが結構大変だった。それでも登録した動画はノーカット。連続して転がりとリフトを繰り返してくれた時の快感が忘れられない・・。

2月8日(水) <人間はしばしば報酬なしの方が懸命に働く・・・>
「人間はしばしば報酬なしの方が懸命に働くことがある」という言葉を記憶している。昨年の大震災のときに数知れない多くの人が報酬など考えずに懸命に働いた。今もなお続く支援活動でも多くの人は報酬を目的にしているのではなく人の役に立つことに喜びとしているだろう。一方で復興事業を金儲けの大チャンスとしかとらえない人もいるのは確か。全てのものを金と儲けの尺度で考える習性が身についた人には無報酬で働くなど想像すら出来ないかも知れない。ところが人間社会はよくできていて、お金のために働く人より報酬なしで懸命に働く人が社会を活性化し、多くの人に希望を持たせることが多い。私の周囲にも年金生活をしながら特別な報酬は求めず他人のため、社会のためのボランテイアに駆け回っている人たちがいて見ているだけで清々しい。人の役に立つことの満足感、喜びはお金には代えられないことを改めて教えられる。
2012-02-08@恵比寿ガーデンプレイスにて

2月9日(木) <今日は双葉山の生誕100年目・・・>
今日は双葉山の生誕100年目の日。双葉山は1912年(明治45年)2月9日生まれで1968年(昭和43年)に56際で亡くなった。69連勝を達成したこの不出世の大横綱・「相撲の神様」は歴史上の人物のように思えていたが、双葉山と同じ年に生まれた人は今の日本にはいくらでもいる。私の友人の親は103歳でご存命だ。・・と書いたところで、もし私の母が生きていたなら丁度103歳になると気がついた。今時、100歳の人は珍しくないが、明治、大正、昭和そして平成の時代を生きてきた人を考えると超高齢化の社会は何か恐ろしい気さえする。一方で昔の倍近い人生を謳歌できることをやはり感謝しなければならないと思う。私の場合、もし双葉山と同じ年齢で人生が終わっていれば絵画も陶芸もこのホームページも存在しない。iPhoneを操作し、GPSで遊べる幸せもまた今だから満喫できる・・。

2月10日(金) <クレーンが好き・・・>
クレーンが好きだ。街中でも港でもクレーンがあると思わず立ち止まって見とれてしまう。クレーンは英語ではcrane。鶴そのままの単語で形状が鶴そっくりなので名付けられたようだが日本語でも「起重機」というより「鶴」と呼べば面白い。クレーンのどこが魅力的かといえば、”無駄がないところ”だ。荷を吊り上げて移動させる機能を最小限の部材で構成するために"駄肉”が一切ない。力学的な荷重の条件と必要な部材の関係を完璧にとらえていないとクレーンの設計は出来ない。時には見た目に不安感を与えるほどの極限設計の成果を裸で見ることの出来るのがクレーンだ。昨年の東北大震災の折、建設中のスカイツリー(東京・墨田区)の現場で634mの高所作業をしていたクレーンは地震で直ちに停止したがトラブルは起こさなかった。日本のクレーンは地震をも想定しなければならない。技術の粋を街中で見られるのがクレーン。クレーンを見ると製作した人々に敬意を払おう・・。
2012-02-10@目黒区・東京

2月11日(土) <今日は何の日?・・・>
今日は何の日?「建国記念の日」と答えられるだろうか。「建国記念日」ではない。「の」が付くところがこの祝日の出来た当時(1966年)の複雑さを表している。明治時代から終戦に至るまでは2月11日は「紀元節」であった。この日付は奈良時代に編纂された日本書紀にある神武天皇が即位した日を採用したものとされる。紀元節に相当する”建国記念日”を制定する機運が起こったとき当時の社会党が猛反対して祝日とする法案が通らず、最終的に「の」の字を入れた「建国記念の日」で社会党も妥協し法案が成立したという。日本の「建国」はいわば神話から神武天皇が即位したとされる紀元前660年の2月11日を用いたが、世界の「建国記念日」は様々だ。韓国の建国記念日に相当する「開天節」は何と紀元前2333年に建国されたとされる神話の日を用いている。一方で、あの悠久の歴史を持つ中国には昔の「建国」の記念日はなく、毛沢東が共産党政権を樹立し建国宣言をした日を「国慶節」とした(1949)。米国はじめ多くの国が「独立記念日」を建国の記念日としていることから国が「独立」する歴史の重さが伝わってくる。それにしてもインターネットをはじめとして世界中で情報の国境がなくなった現代でも「国」の存在の何と大きいことか。ふと年金もこの国でしかもらえないことを思った。
 
2012-02-11@自然教育園の池 (東京・港区)

2月12日(日) <北斗七星の庭・・・>
「北斗七星の庭」と題する展覧会に行った。内容は昭和期に日本の古庭園を徹底的に研究し、自らも200余の庭をデザインした重森三玲(1896<明治29>〜1975)の回顧録的なものだった(@ワタリウム美術館/案内=ここ、3/25まで)。重森三玲は全国各地の日本庭園を実に400件以上実測調査して記録に残し日本の庭園史を作り上げた。その後に依頼されて自分で庭園を造る場合には決して古典を模倣してはならないと独自なモダンで前衛的な庭の設計を行ったところが非常に興味深い。これまで庭を鑑賞する感覚などほとんど持ち合わせていなかったが、三玲の造った庭をみるとまるで抽象彫刻を楽しむように庭を見ればよいと教えられる。・・三玲の庭に影響されたのか、美術館からの帰り道に東京の街が何かモダンな庭の延長のように思えて写真を撮ったのが「今日の写真」(下)。
 
2012-02-12@原宿教会&原宿幼稚園(同じ敷地でつながっている)

2月13日(月) <スポーツの勝負の面白さ・・・>
スポーツの勝負の面白さ、楽しさは実力が伯仲しているときが最高。・・このところ月曜日のテニスでダブルスの試合をした帰り道に、”あーぁ楽しかった”と心底満足してそんなことを思う。何十年もやってきたテニスで今更勝負に拘ることは一切ない。勝つこともあれば負けることもある。それでも一方的に勝ったとしてもそれほどうれしくはない。自分たちのチームの良いプレーができた時に限らず、相手チームがすばらしいショットを決めた時も感嘆するところに楽しさが生まれる。どちらに転ぶか分からない均衡した試合の中でダブルス4人のベストショットが飛び交えば最高なのだ。・・考えてみるとスポーツに限らず、囲碁将棋、創作や学問などあらゆる分野で同じような事が言えるのでないか。切磋琢磨する仲間がいてはじめて自分も進化する。仲間のすばらしさが自分の喜びともなる。色々な分野で仲間に恵まれていることを感謝しよう。

2月14日(火) <音の間にある無音・・・>
「音の間にある無音。そこに芸術がある」というアルトゥル・シュナーベルの言葉が紹介されていた。シュナーベル(1882〜1951)はオーストリア生まれのピアニストでナチスに追われて米国に亡命した音楽家の一人。ベートーヴェンの演奏で技巧に頼らぬ独自の境地を拓いたとされるのは、冒頭の言葉で分かるような気がする。元より生演奏に接する機会はなかったが、現代のピアニストでいえば、アファナシエフの演奏を想起させる。<因みにベートーヴェンのピアノソナタの楽譜は現在でも「シュナーベル版」がしばしば利用される>”無音の美”と同じ感覚で「余白にこそ芸術がある」など「無」の境地に価値を見いだす日本的な感性が世界で通用しているところが興味深い。いつの時代もある種の感性は国境とは無関係につながっている。騒々しい音ばかりに囲まれて、「無音」ほど有り難いものはないと思う昨今である。
2月15日(水) <今年は梅が遅い・・・>
今年は梅が遅い。例年ならば早咲きの桜や梅が咲いていると思って、久しぶりに西郷山公園(東京・目黒区)に行ってみると早咲きの河津桜はまだ蕾であるし梅が全く咲いていない。蕪村の有名な俳句にこんなのがある:「二(ふた)もとの 梅に遅速(ちそく)を 愛すかな」。梅は桜のように一気に咲き誇ることはない。早く咲くものもあれば遅く咲くのもある。蕪村はどちらの梅もよしとした。自然の節理として遅速はあっても時期が来れば必ず花が咲く。何か蕪村は人間に対しても遅速は問題でありません、大輪の花を待ちますと励ましている感じもする。それにしても今の時期どこかに梅が咲いてないかと別の公園まで足を延ばしてみた。確かに白梅が咲いているのを見つけてホッとしたのがおかしい。これから”遅い梅”を待つとして、「遅速を愛す」とは良い言葉なので覚えておきたい。
2012-02-15@菅刈公園(目黒区)にて

2月16日(木) <腰の痛みの解消法・・・>
腰の痛みの解消法が今日のテニスのときに暫し話題になった。昨日のNHKテレビ(ためしてガッテン)で取り上げられた内容。慢性腰痛の痛みを恐れて安静にすると、筋力低下、血行悪化が起こり、それらのストレスで「痛みの悪循環」になるので対処法としては姿勢を正して毎日「歩くこと」がよいという。「ウォーキング法」とは随分当たり前の方法が紹介されたが、その程度で解決するなら苦労しないと思う人も多いだろう。テニスに来る人も腰や膝に支障がありながら運動している人は珍しくない。私も長年左膝をかばいながらテニスをやってきた。現在は随分よくなったが毎回”無理をしない”と自分に言い聞かせながらプレーする。テレビの内容を全面的には受け入れないが痛みが脳神経に絡んでいることはよく分かる。球に集中してゲームを楽しんでいると痛さを忘れるのは確かだ。私の場合、そこでつい図に乗り動きすぎて治りかけた膝をまた悪化させることを何度も繰り返した。それにしても「脳」が他のことに気をとられて「痛い」と感知しなければ”痛くはない”。今日のテニスは4℃を切る寒さの中で遊んだが、プレー中には「寒い」とは一度も思わなかった。そういえば「心頭滅却すれば火もまた涼し」といって信長の焼き討ちに平然としていた快川禅師の話がある。脳科学も何もない時代に感覚は脳でコントロール出来ることを知っていたのか・・。
2月17日(金) <最悪の場合を想定・・・>
最悪の場合を想定していると何が起きても恐くはない。2月末日で閉鎖される陶芸教室で最後の記念にと制作した「三角錐型照明具」の三角板3枚の焼成が昨日完了した。以前このコラムでも書いたが粘土を乾かす途上で三角板を一枚割ってしまった。制作し直さずにをそのまま素焼きを行い、素焼き後に専用の(素焼用)接着剤などを使って補修をしてみたが本焼成しても割れたままであることを「想定」して覚悟を決めていた。果たして昨日出来上がったものは三角形が三つに割れたままで更に釉薬や接着剤で合わせ面が乱れている。慌てず騒がず、直ぐにルーター(小型の電気研磨機)を使って合わせ面を研磨して接着剤での補修が出来るように修正。今日の作品として表紙に掲載した写真はこの補修した三角板を合わせて仮組した状態である。これから更にこの三角板の補修跡をカモフラージュし、そして本格的な「照明具」として完成させる予定だ。”できの悪い子ほど可愛い”の言葉通り、私はいつも欠陥のある作品ほど徹底的に手を加えて良い作品にしてやろうとファイトが湧く。この照明具を必ずや名品にしたい・・。

 
2012-02-17ショウウィンドウで見かけたよ@渋谷

2月18日(土) <年齢によって呼び方を変える・・・>
年齢によって呼び方を変えることを一切しない。いつの頃からか相手が年上、年下に関係なく「さんづけ」を使うようにした。一方で一つ年下というだけで「○○君」とか「君」と呼ぶ人にしばしば出会う。80歳の人が75歳の人を「△△君」と呼ぶ。年齢だけで一生目下扱いにしたいのだろうか。当然のことながら年齢は尊敬に値するものでも価値があるものでもない。ある時、人類の遺産と言うべき業績を残した人たちが自分よりはるかに若く亡くなっていることに気がついた。少し例を挙げよう<( )内は享年>。樋口一葉(24)、シューベルト(31)、坂本龍馬(32)、モーツアルト(35)、正岡子規(35)、芥川龍之介(35)、ゴッホ(37)、宮沢賢治(37)、ショパン(39)・・。これだけでも十分だが40代、50代を挙げるときりがない<織田信長(48)、夏目漱石(49)、松尾芭蕉(50)・・>。勿論、歴史に名を残した人に限らず尊敬すべき多くの「○○さん」は今の私の年齢などよりずーと若く生涯を終えている。高齢化社会となった今では年齢は最早”敬う対象”ではない。私にとって尊敬すべき人は年齢に関係なく他人に「香ばしい風」を吹かせる人か。良寛の書で曰く:「一生成香」(生涯いい香りを発せよ)。

2月19日(日) <「三角錐型照明具」・・・>
「三角錐型照明具」が着々と完成に近づいている。今日の表紙には問題の3片に破損させてしまった三角板を補修し割れ目をカモフラージュした写真を掲載した。割れ目部分の仕上げには「セラミックカラー」と呼ばれる塗料を使用。白、銀、金の3種類の塗料を適宜塗り込むと割れ目はほとんど気にならなくなった。「災い転じて福と成す」という。割れたが故に反って自由に装飾を加える勇気が湧いてきている。売り物にする訳でもなしコンクールに出展するのでもないから、開き直った強みを出せる。照明具としては今回「ホログラム」を使った新式照明を考えているので、これからの仕上げがますます楽しみだ。今日の写真としてはもう一枚、三角板中央窓部分のアップ写真を掲載する(下)。
  三角錐型照明具部分

2月20日(月) <今日もまた陶芸作品・・・>
今日もまた陶芸作品の「三角錐照明具」のことを書く。浮き世ではドロドロした愉快でないことが続くが陶芸などモノつくりに集中している時が一番楽しい。今日の表紙に掲載したように照明具として今日ひとまず完成させた。三角形の三枚の板を合計18個(=3×6)の孔を使ってうまく固定することができたのが大満足。当初は内部に電球をセットするだけの単純な照明を考えていたが、電球を上部の頂点の箇所に吊り下げて底面にホログラムのシートを置いてみた。ホログラムはレーザー光線を使って光の方向、強さを干渉縞として平面的な材料(感光材)に記録する技術で3次元の立体画像をいわば印刷する事も出来る。ホログラムシートとしては色々な種類が市販されているが今回使用したものは縦横の単純な線だけで構成されたもの。光が当たると見る位置によって色が変化して面白い。ところが目で見ると非常に美しく光るけれども写真では思うように表現できない。なんとか虹色の干渉縞をアップで撮影した写真を下に掲載してみる。それにしても照明具全体の写真もまた難しい・・。

  三角錐型照明具

2月21日(火) <書を捨てよ、町へ出よう・・・>
「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったのは寺山修司だった。家の中でジクジクしているより外に出て動くこと、何でもいいから外界に目をやることが活力を生む。・・といって大したことはできないが、今日はわずかばかりウォーキングの距離を延ばして初めて目黒川の上流方面に行ってみたところ色々な発見があった。「灯台もと暗し」ではない。足下を知らないだけでなく、その先も明るくない。東京に住みながら東京のことに疎い(うとい)。日本に住みながら日本のことをよく知らない。世界中の国のことなどほとんど知らない。地球上に住みながら地球について何も知らない。だから地球上のどんな場所にいても外をみれば新鮮な世界が見えるなどと考える・・。さて目黒川を上流にさかのぼると池尻大橋の先で川は暗渠となり地表は人工的なせせらぎを配した「目黒川緑道」となっている。小川というか小さな池には鴨がのんびり遊んでいる。特別に珍しくもない都会の中の平穏な風景が何か貴重で掛け替えのないものに思えるこの頃である。
2012-02-21@目黒川緑道にて
 
2012-02-21の目黒川  右は同じ場所にて4日前、02-17の川<水量は自在にコントロールされている>

2月22日(水) <梅が香に・・・>
「梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな」(芭蕉)の句を思い起こす寒さが今週初めから続いているが、それでも随所に春の兆しをみる。今日は故(ゆえ)あって自宅とは関係のない多摩川縁の住宅街を歩く機会があった。この時梅に囲まれてマイホームを本当に楽しんでいる風情に接して心が和んだ。「住む」とはこういうことなのかと感動さえ覚えた。「梅が香」ではじまる芭蕉の句は「梅が香に のっと日の出る 山路かな」も有名だが、日の出前の薄暗い山道で漂う梅の香りに気がついたところで「のっと」太陽が昇ってきた情景に類似した感動は今の時代の住宅街にもある。同じ梅を詠った一茶の句:「梅咲けど 鴬鳴けど 一人かな」もまた共感できる好きな句だ。淋しげな中にも決してへこたれない「一人」の強さを感じる・・。
今日の表紙の写真は「三角錐型照明具」(陶芸作品)の使用例。季節柄小さなお雛様も一緒に飾った。


2月23日(木) <どこかに置いたはず・・・>
どこかに置いたはずのものが見つからない時に人の性格がでる。妻は「ニンニク、にんにく」とおまじないを言いながら探す。私の場合はあるべき所に見つからないと直ぐに他ばかり探す。結局見つからず、振り出しに戻って自分のところを徹底的に探すと、一番あるべき所で見つけたなんていう経験が何度もある。捜し物に関しては反省&反省・・。 昔の人はうまいことを言っている。「七度尋ねて人を疑え」。「七度探して人を疑え」とも言う。勿論、このことわざは捜し物から転じて、むやみに他人を疑ってはならないとの教訓である。「人を見れば泥棒と思え」の反対だ。実際に人が他人のことを「悪い人間だ」(盗んだ)と単純に決めつけるのは極めて危険である。人は自分のことが見えない。自分のことはなぜか勝手に善人にして決して悪い人とは思わない。相手もまた自分のことを"泥棒か”と思っていることには気がつかない。もしかすると自分の態度が相手に影響を与えたとも考えない。捜し物の場合には見つけて自分の愚かさを認めれば済むが、悪人と疑われた人との修復は容易にはできない。なるほど「七度(ななたび)」とはつまりその間に疑うことをやめろとのことと納得する。

2月24日(金) <人を非難すること・・・>
人を非難することを書きたくないが今日は書いてしまう。先ずは下に掲載した目黒区のある公園の写真を見て欲しい。ベンチに座ろうと思うと、どのベンチにも「禁煙」、「ポイ捨て禁止」の張り紙。ベンチの前を見るとまた看板。写真はほんの一例でその他何でもかんでも注意看板を立てかけてある。笑い話ではないが「公園を綺麗にしましょう」と張り紙を出して公園を汚している風情だ。公園課の職員が一生懸命仕事をやっていることは十分に分かるのだが典型的なお役所仕事で利用者にとってはそんな仕事をせずに張り紙を止めてくれた方がはるかに心地よくなる。この種の役所の「余計なお世話」がどうしてはびこるのだろうか。美的感覚がないというほど大袈裟でもなし、”余計”と注意をする人がいないのか、公園管理の仕事内容を勘違いしているのか・・。一つの提案として、公園課の職員を海外に研修に出したらどうだろう。海外で注意看板がない美しい公園管理のやり方を目の当たりにするときっと変わるに違いない・・。
 
2012-02-24@菅刈公園(目黒区)

2月25日(土) <陶芸作品をバックにしたお雛様・・・>
「陶芸作品をバックにしたお雛様」の写真を表紙に掲載した。前回掲載していた「三角錐型照明具」と一緒にお雛様を撮影した写真で暗い影の中のお雛様が余りに可哀相なので今回はお雛様を正面にして撮り直したもの。けれども、できあがった写真を見て笑ってしまった。これはどう見ても「お雛様」の雰囲気ではなく山小屋の前の「ヤマガール」だ。そこで思い出したのが反対に最近デパートでみたお雛様の贅沢なこと。金屏風の前におなりのペアの雛人形でさえ10万円、20万円でも安い方。その高価なことにだた呆れながらも今時どういう人が買うのだろうと疑問に思ったものだ。そういえば振込詐欺でだまされおばあちゃんは孫の名を騙って困っていると言われると何百万円ものお金をだす。世の中にはお金を沢山お持ちの方は多いようで。豪勢な雛人形が売れるのは結構なことですね・・。
今日はこれから陶芸教室のお別れ食事会にいく。 10年間通った教室の閉鎖。時の経過は変化を必然とする。常に変わることを覚悟しなければならない・・。


2月26日(日) <今日、東京マラソンの日・・・>
今日、東京マラソンの日、東京は少し肌寒い曇り空でマラソンには絶好の日和になった。オリンピックの選考会としては藤原新選手が2時間7分台の好記録で二位。トップクラスのマラソン競技はテレビで見ても時間を忘れさせる緊迫感がある。一方で36000人が参加したという東京マラソンは年に一度都心の道路を大勢のランナーが占拠するお祭りとしてすっかり定着した。40代で子供が二人いる父親である甥が昨年に続いて今年も東京マラソンに出場したが、今回はインターネットの具合が悪く昨年のように登録番号からコースを通過する状況を時々刻々把握することができなかった。マラソンに影響された訳でもないがテレビを止めて、2.5kmほど先の所用があるところまで歩いて行くことにした。帰り道もまた徒歩。わずか5kmであっても汗びっしょりとなり家に帰り着くなり下着を全部交換。テレビを見るとまだマラソン中継を続けていた。制限時間7時間ギリギリでゴールした最終ランナーが都知事からメダルをかけてもらう映像が印象的。甥は5時間40分で42.195kmを完走したという。
2月27日(月) <アマゾンの通販を利用・・・>
アマゾンの通販を利用する機会が増えた。勿論、インターネットで購入する際にアマゾンに限らず無数に販売サイトがある。それぞれ価格の比較が出来るし、評判(カストマーレビュー)の書き込みを見るのも役に立つ。ポイントとなるのは配送料。アマゾンの場合、配送料が無料となるケースが多く、つい利用してしまう。先日はアマゾンで「LED電球」を購入したところ昼前に注文したら夕方には物が届いた。配送無料でしかも街の電気屋よりもかなり安い。アマゾンは書籍の通販と思っていたら今は家電から食品まで何でも扱っていることを最近知った。そのアマゾンで今日は「本」を購入した。といっても極めてささやかなお買い物。大切に保管する種の本でなく回し読みで十分とすれば「中古品」を探すと非常にお買い得となる。因みに今日注文した一冊は中古の価格が何と1円。ただしこの場合、送料250円だからトータルではブックオフの方が安いかも知れない。それにしても交通費をかけずに新刊書でも中古でも自在に多くの本を選ぶことが出来る。・・Amazon.comが米国で設立されたのが1994年。その後、激烈なネット販売競争を勝ち抜き業績をあげているようだ。日本でもアマゾンは優位にあるのだろうか。利用しながら通販の行方にも注目したい。

2月28日(火) <神は細部に宿る・・・>
「神は細部に宿る」という。最近、この言葉が実感として納得できるような気がしてきた。このところ以前制作した陶芸作品の細部を改変することに専心しているのであるが、やればやるほど奥が深い。焼き物としての陶芸作品を手直しするのは釉薬なり色絵の具で再度仕上げして焼成をやり直さなければならない。私の場合、一部それもやるが、大部分は台座や工作など陶芸に付随したところの細部に手を加える。例えば「組み合わせ型ピラミッド」作品の板をつなぐやり方を美しく改変したのだが恐らく他の人が見たところ変化には気がつきもしないだろう。それでも自分としては細部が変わったことにより全体の品格が格段にあがったように思えて一人喜んでいる。細部に心を込めて仕上げると作品をできるだけ時間をかけて見て欲しいと思うようになる。全体を瞬間に見た第一印象も大事であるが見れば見るほど味がある作品とするには細部がポイントであろう。God is in the details.・・いい言葉だ。
2012-02-28クリスマスローズを飾った

2月29日(水) <閏日(うるうび)に雪・・・>
閏日(うるうび)に雪。明日は3月というのに東京でも朝から雪が降っている。わずか数センチの積雪であっても景色ががらりと変わる。雪の”白化粧”とは言い得て妙だ。白化粧は陶芸でも使う言葉。色の付いた粘土の上に白い土を”化粧”して表情を変えることをいう。同じように「雪の花」は文字通り雪が樹木に花を咲かせたように付着した状態から、様々な連想を生む。酒や味噌の銘柄になったりドラマや歌のタイトル、グループの名前や本のタイトルまで多種多様な「雪の花」がある。確かに「雪の花」は植物のDNAとは全く無関係に枯れ木にあっと言う間に見事に花を咲かせる不思議で意味深長な自然の技にみえる。東京で今日「雪の花」を見たからこそこんな話題に出来るが、東京でみる雪の花など厳しい寒さの中で雪の結晶がつくり出す北国の花と比べると貧弱かもしれない。・・ところで、今日もう一つ「閏日」の英語を覚えたので書いておこう。英語では閏日=leapday。これは知らなかった。leapは「跳ねる、飛び越える」の意。普通の年はある日の曜日は翌年に次の曜日にずれる(月曜日が火曜日になる)。ところが閏年には曜日を一つ”飛び越す”ので、leapyearという。閏日はleap yearにならって leap day となるようだ。
 
2012-02-29東京に雪

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