これまでの「今日のコラム」(2012年 3月分)

3月1日(木) <テニスコートに雪が残っている・・・>
テニスコートに雪が残っているため今日のテニスはお休み。その代わりに都内の各所で滅多に見られない三月の残雪風景を楽しんだ。先ず息子の月命日で九品仏・浄真寺に墓参(明日の日程を一日早めた)。境内に残る雪も珍しかったが予期しない満開の梅の花にも出会うことができた。今年は梅の開花が非常に遅いけれども待っていれば自然は必ず花を咲かせてくれる。そして梅の後には桜が控えている。ところで昨日、2月末日をもって38年間続いた代官山の陶芸教室が閉鎖された。私は10年間しか通っていないがやはり感慨無量。損得や経済性の視点しかないと陶芸の教室など閉鎖されてしまう・・。この教室の先生が窯などの設備を引き継ぎ、世田谷に新たな陶芸アトリエをオープンする準備をしているというので、今日は自転車でその場所まで行ってみた。所々に雪が残る道路を時々は迷ったりしながらの自転車であったが、とても走りやすい道で快適だった。途中で桜の名所である北沢緑道、目黒川緑道なども通る。桜の季節に新たな陶芸教室に通い始めること、今日の自転車行で90%確定かな・・。
 
2012-03-01@九品仏・浄真寺(世田谷区)

3月2日(金) <一万時間の法則・・・>
一万時間の法則といわれる考え方がある。どんな分野であってもその道を極めるには最低限一万時間の練習量が必要という見方。”極める”の定義は一流になるとか世界的に通用するレベルとか正確ではないが、要は音楽、スポーツ、工芸など専門的な技能を極めるには最低一万時間を必要とするという訳だ。人によって能力差はあるにしても、どのような天才も能力を発揮するまでに一万時間以上の努力をしていると見る。一年365日は8760時間(=365×24)。人間は24時間活動できないので、もし一日3時間の練習(学習でもよい)をすると、一年間で1095時間(=365×3)であるから、約10年間の毎日欠かさない継続が必要ということになる。毎日6時間の猛特訓をしても5年の歳月、毎日1時間しかやらなければ、約28年間が必要だ。寝ても覚めても一つのことに集中して一日10時間練習すると3年足らずで達成できるから年数の問題ではない。一万時間は長いようで長くもない。3歳でバイオリンを初めて毎日3時間練習して13歳で卓越した技能を持つ例は珍しくない。因みに私の陶芸は10年間続けたが時間にすれば道半ばか・・。一万時間の法則は”継続する力”を説くお遊びとも思えるが、人間は生存可能な約70万時間(=寿命80歳にて)に何が出来るのか、何をやりたいのかを考えるヒントになる。

3月3日(土) <家事の「さしすせそ」・・・>
家事の「さしすせそ」をどれだけやるかレビューしてみた。先ず「さ=裁縫」。今時、家事として裁縫をする主婦はそれほど多くないとも思われるが、一方で趣味としての裁縫は面白そうではある。ただし今のところ私には一番縁がない。次に「躾(しつけ)」。はじめは「しつけ」とは「布をミシンで縫い合わせる前に布がずれないように仮止めする」方の「仕付け」を連想し何故裁縫と別にするのかと思ったが「躾」であるようだ。子供の躾を家事にするのには異論があるが、これも今は縁がない。その先、「す=炊事」、「せ=洗濯」、「そ=掃除」は部分的な担当と言っておこうか。それ以外に「ゴミ出し」は専らこちらが主担当。改めてみると最大の家事である「炊事」は妻の割合が圧倒的に多いので家事を手伝っていますと大きな顔はできない。「食事」を独りで作ることは簡単であるが、初心者の作る食事を50年のキャリアのある連れ合いが満足できるかは別の話となる。密かに料理の技を磨くにはどうするか、作戦を練らねばならない。

3月4日(日) <CUBE型フロアランプ・リフォーム・・・>
「CUBE型フロアランプ・リフォーム」(陶芸・工作)を今日の表紙に掲載した。これは2009年の12月に制作した作品のリフォーム(旧作品=ここ参照)。cube型フロアランプは上下に立方体のブロック(陶芸品)を4個づつ、合計8個のブロックをつないだものであるが、今回は接続するやり方を変えた(その他細部を改造)。手持ちの外形11mmのガラス管を切断して(久しぶりのガラス加工だった)8本の接続用ガラス棒を作り、クッション材やOリングなどをガラス管周りに使用してブロックの中央の孔部分に埋め込んで接続した。ガラス管の内部には色つきの球などを入れて遊んだ。リフォームしてみるとフロアランプとして暗闇で使用するよりも明るい場所で置物にしたくなる。・・ここで過去の作品を細部にこだわって改変できるのは手元に作品が残っているからだと認識を新たにする。作品を手放すともう手を加えることはできない・・。
  2012-03-04:クリスマスローズに水仙が加わった

3月5日(月) <ハングリー精神・・・>
ハングリー精神が人間を向上させる。現代では経済的に貧乏であるというより自分が達成したいことに対する精神的な飢餓感がハングリーでないか。現状に満足して周囲に感謝の気持ちを持っていても更に自分がこの世で成し遂げたい対象があれば、それがハングリーであるだろう。やりたいことが何もない、もう食べたいだけ食べたというのであれば進化はしない。それにしても最近の研究で「空腹」が老化を減衰させる遺伝子のスイッチをオンにする(=老化を防ぐ作用をする)ことが解明されたことは象徴的である。「空腹」は生物のメカニズムとして、生き延びること、長寿であることに直接プラスに作用する・・。問題はその老化を防ぐ遺伝子のサプリメントが開発されて満腹に食事をしながら長生き出来そうな気配であること。歳をとっても腹の減ったライオンのように強欲に争うのは論外として、サプリメントのお陰で毎日腹一杯に食ってブクブク太り、それでも健康、やりたいこともなし、ただ生きながらえているだけという超老齢化社会など願い下げだ。他人のために自分がハングリーに生きることの出来る人を見たい。
3月6日(火) <念願の小龍包・・・>
念願の小龍包(しょうろんぽう)を食べたことを書こう。といっても昨日のこと。東京では今日は午前中の強い雨が上がった後、午後は太陽が出て暖かくなったが昨日は今日より10度も気温が低く終日冷たい雨降りだった。そんな中、外での用事が早く終わったので新宿・高島屋10Fの鼎泰豊(ディンタイフォン)に11時30分頃に行ってみた。驚いたことにこの時間(&この気候)で既に行列ができていたが何とか店に入ることができた。鼎泰豊という店には10年以上前に出張で台湾に行ったとき現地の人が連れて行ってくれたことがある。台湾の鼎泰豊で食べた小龍包が忘れられず、東京・新宿高島屋の出店の入口までは何度か行ったことあるが、いつも混雑して入れないので諦めていた経緯がある。さて、ここでの小龍包も期待に違わず美味しかった。小龍包は薄皮の中に具(豚の挽肉)と一緒に熱いスープが包まれているのが特徴。薄皮を壊さないように中央上部の部分を箸でつまんで酢醤油などで味付けたあと「レンゲ」(蓮華の花びらの形をしたスプーン)の上に乗せるのが食べるコツだ。熱々スープでやけどをしないように少しづつ食べてもスープはレンゲの中に溜まってくれる。こんな食べ方もまた楽しかったが、小龍包を食べるのが10年に一回とは少々淋しい。

3月7日(水) <今日の表紙に「噴水塔頂部」・・・>
今日の表紙に「噴水塔頂部」(陶芸用工作)を掲載した。2月末日で陶芸教室が閉鎖になり、このところ過去の陶芸作品のリフォームや陶芸に付随した工作に精を出している。表紙に掲載した「噴水塔頂部」は一昨年、2010年の夏に制作した「噴水塔」(=ここ=7/12前後)の頂上に設置する部品。噴水塔の名前にしているが水が上部に噴き出す”噴水”を半球の中に隠して、天から水が降り注いで頭頂部から水が流れ落ちる形を狙っている。下部の透明の筒を水が覆って流れ落ちる姿となる。いずれリフォームした噴水塔をYouTubeの動画で紹介しよう。・・過去の作品のリフォームをしながら、リフォームする意味があるだろうか、リフォームしても必ずしもベターにならないのではないかと、しばしば考えさせられる。今日は10年前に制作した照明具に手を加えたが、後で見ると10年前の作品そのままでもなかなかよかったと逆に感心する。人生いろいろ不本意なことがあったとして、それではやり直したらどうなるか・・。その時点でベストを尽くした結果に勝るものはないと思えてきた・・。


3月8日(木) <能に学ぶ身体技法・・・>
「能に学ぶ身体技法」という本を読んでいる(安田登著、ベースボール・マガジン社)。雪やら雨降りが続いたので今日は久しぶりのテニス。数年前から具合の悪かった足膝についてはほとんど完治したつもりでいたが、まだ何かの拍子に不安定で痛みを感じることがあり、テニスも自重しながらの運動だった。本棚で冒頭の本を見つけて膝痛対策にもいいかも知れないと読み始めたのである<この種の本は息子が買い集めた本に決まっている>。この本では能の動きにはスローな中にもあらゆる動きの根本と言うべき秘密が隠されているとみる。能における「立つ」、「すり足」、「指シ込ミ・ヒラキ」、「呼吸」、「声」の身体技法によって大腰筋や深層筋などがどう鍛えられるかを解説している。毎日やっている「スクワット」もスロー。共にスローな動きで筋肉を鍛えるところが面白い。

3月9日(金) <「流水タワー」(陶芸)・・・>
「流水タワー」(陶芸)の写真を今日の表紙に掲載した。この陶芸作品は2010年7月に「噴水塔」の名で掲載した作品(=ここ)をリフォームしたものである。一昨日には「噴水塔頂部」の名で上部の工作部品を掲載したが、今日掲載した写真の右側のように、この「塔頂部」では重い感じとなり全体のバランスが良くないので結局この塔頂部は使用せずに当初の筒形をそのまま採用することとした(写真左)。そうするとリフォームといってもほとんど2年前の形と変わらないが今回はYouTubeで水の流れる状態を動画として見られるようにした。写真と動画を比べると改めて動画の情報量の豊富さに感動する。iPhoneで動画を撮影して即YouTubeのサイトで動画を登録できるのだから便利になったものである。<この「流水タワー」はこれまでどこにも展示・公開するチャンスがなかったものです。水が流れ落ちる様を是非ご覧下さい=ここ)>


3月10日(土) <フランスで「マドモアゼル」・・・>
フランスで「マドモアゼル」を公文書で用いないように通達がだされたと少し前のニュースで伝えられていた。男性が「ムッシュ」であるのに対して女性だけが既婚、未婚かを明示するような「マダム」、「マドモアゼル」の表記を改めて「マダム」に統一するとのこと。英語圏で男性が「ミスター」であるのに女性は「ミセス」、「ミス」と使い分けるのを止めて「ミズ」一本としたのと同じだろう。日本の場合、書類などでは「男」、「女」、そして呼称としては男でも女でも「○○さん」、「○○さま」ならば問題がない。日本の「さん」や「さま」で面白いのは男女の区別がないばかりか、「お稲荷さん」、「お伊勢さん」、「観音様」などと神仏に対しても使われるところだ。ところが「奥さま」、「奥さん」になると俄然使い方が微妙となる。パーテイーで「奥さま」と呼ばれた人が魚屋さんで「奥さん、安いよ・・」と声をかけられる。「奥さん」に変わって「お姉さん」といわれてもしっくりしないか・・。奥さんでない女性は何と呼ばれればいいのだろう。

3月11日(日) <3月11日・・・>
3月11日は忘れられない日となった。昨年の東日本大震災の日から今日で一年。個人的なあのときの貴重な体験はさておき被災者の方々にまだ何か応援をしたいと思いつつ具体的な行動を起こせない自分がもどかしい。タングラムで「11日」の数字を作り、改めて今日は特別な日だと言い聞かせながら地震発生時刻の午後2時46分に西郷山公園(東京・目黒区)の時計の前に立った。この時刻を写真に撮った後、軽く黙祷。その時、日曜日で多くの人が集っている公園で予期せぬ光景を目にした。ベンチに座っていたアベックが2時46分に立ち上がり黙祷を始めた。周りを見ると沢山の人が頭を垂れていたり手を合わせたりしている。芝生の上に正座をして合掌をしているスーツを着た若者もいる。震災発生時刻に犠牲者をしのび震災をを忘れていない人が東京のほんの一角でこれほど大勢いる・・。これだけのことで何か気分が明るくなった。希望がでてきた。勇気が湧いてきた。ありがとう・・。
 
2012-03-11、左=タングラムにて3・11用   右=西郷山公園にて

3月12日(月) <「専門家」にも色々・・・>
「専門家」にも色々ある。「自分は専門家様だと分かった振りをする中途半端な専門家」が苦手で嫌いだ。「本物の専門家」はその道を究めた上で如何に自分がわずかなことしか分かっていないかを知っている。例えば今話題の地震学者も地震予知の困難さを素直に話す。地殻変動の仕組みを少々解明したところで「予知」が難しいことを本物の地震学者が一番承知している。腰痛についてもほとんど正確な原因は分からない、多くの要因との因果関係が解明されていないと本物の専門家は話す。脳や神経の問題、痴呆の問題、更に宇宙の仕組みにしても知れば知るほど人間には未だ未知なる分野が多いと謙虚にならざるを得ない。ところが真理の探求とはほど遠い世の中にある「専門家」と称する人たちが威張るので始末が悪い。最近何故威張るのかヒントを得た。進化しないから浅はかな知識をひけらかして威張る。本物の専門家は進化しているから決して威張ることがなく謙虚に分かっていることの限界を語ることができる。

3月13日(火) <昨日に続き今日も春らしい日差し・・・>
昨日に続き今日も春らしい日差しが続く。寒く不順な冬であったがお天道様は忘れることなく暖かな春を呼んでくださる。陶芸教室が閉鎖されて外出の機会が少し減ったせいか気持ちの良い青空をみると外に出たくなった。そこで前の陶芸教室の先生が新たに教室を開設しようとしている場所まで自転車で下見に行ってみた。丁度先生やスタッフの方々が借りた民家を手作りで教室に改装中。次に来るときには手伝いをする準備をしてこようと思いつつその場を後にしたが、きっとすばらしい教室が出来上がるに違いない。帰途、自転車で通る道の側で早咲きの桜や花の蜜を吸うメジロを見かけた。月並みな言い方だが”春はもうそこまで来ている”を実感。
 
2012-03-13@目黒川緑道
(東京)
3月14日(水) <アルトゥール・ピサロの名・・・>
アルトゥール・ピサロの名を記憶しなければならない。昨晩、久しぶりに東京文化会館小ホールで聴いたピアノリサイタルで、アルトゥール・ピサロの演奏は真に感動的だった。演奏曲目は地味というか実にユニーク。全てショパンの曲で24の前奏曲(Op.28)、12の練習曲集(Op.10)、12の練習曲集(Op.25)。この合計48に及ぶ膨大な曲が全く退屈することも飽きることなく気がつくと終わっていた。脳の奥が浄化された感覚だけが残った。弱音の繊細な響きだとか、早いパッセージの凄さ、切れ味の見事さを私などはうまく表現できない。ただ、これまで頭の裏当たりでよどんでいた気分がどんどんほぐれていく音の力を実感していた。ピサロは1968年ポルトガル生まれのピアニスト。これまで「ピサロ」というと19世紀印象派の画家、カミーユ・ピサロであったが、これからはアルトゥール・ピサロを一番に思うだろう。この若き大ピアニスト、アルトゥール・ピサロの生の演奏を聴くことのできた幸せを今日になってもまだ味わっている。
3月15日(木) <「求めない」・・・>
「求めない」という本を読んでいる。この本(加島祥造著、小学館)は大学の頃の友人が今年の正月に紹介してくれたもの。”すべてが「求めない」で始まる詩約100篇を収録した珠玉の詩集”と紹介しているサイトがあったが確かに本というより「詩集」の方が相応しいかも知れない。作者が序文で『誤解しないで欲しい。「求めない」と言ったって、どうしても人間は「求める存在」なんだ。それは良く承知の上での「求めない」なんだ。』と述べているように押しつけがましいところがないのがいい。序文の続き:『・・ぼくが「求めない」というのは求めないですむことは求めないってことなんだ。すると体の中にある命が動き出す。それは喜びにつながっている。』。本文の一部はネットでも紹介されている(例えば=ここ=)が、やはり実際の本にはネットにないパワーがあり座右の書になりそうだ。イマドキ「求めない」別世界にいざなってくれる本はそうあるものではない。著者の加島祥造さんは1923年生まれで、アメリカ文学者、翻訳家、墨彩画家、詩人などと呼ばれて多方面で活躍する現役の文人だ。
3月16日(金) <吉本隆明さん・・・>
吉本隆明さんが亡くなった。1924年(大正13年)生まれで享年87歳。日本の言論界をリードし戦後最大の思想家と呼ばれるが、詩人で評論家でもある。最近はインターネットで糸井重里さんのサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に「吉本隆明プロジェクト」があり(=ここ)、ここでも親しく接することができた<「親鸞」についての吉本隆明-糸井重里の対談など面白い。是非一読をお勧めする=ここ=>。いわゆる「戦中派」の世代で詩人、思想家となった吉本隆明さんが東京工業大学出身であるのが私には非常に興味深い。東工大在学の頃、数学者の遠山啓教授の講座「量子論の数学的基礎」に衝撃を受けたというベースがその後の思想形成にどう影響したのだろう。日本の知識人と言われた人たちには知識だけの論理やマスコミ的風潮に左右されるいかがわしさを漂わせる人が多かったが、吉本隆明さんは世間の風潮や常識にとらわれず自ら思索するという真の思想家の姿を見せてくれた。ふと思う、吉本隆明さんに続く日本の思想家とは誰なのだろうか・・。
表紙の「今日の作品」 が更新されないので、あえて 少し前にも紹介した作品「ピラミッド型遊具台座セット 」(陶芸) を掲載した。この作品も工作箇所があるので今もなお細かいところに手を加えている。


3月17日(土) <久しぶりに「mieuへの絵手紙」・・・>
久しぶりに「mieuへの絵手紙」を表紙に掲載した。題名を「祝入学」としたが適当かどうか分からない。思いつくままに即興で描き、英語のことわざや名言を書き加えた。説教臭くなっても嫌だけれどニューヨークで中学合格が決まった孫娘に”おめでとう”のつもりで言葉を選んだ。”A thing of beauty is a joy forever." 、 "There's many a good tune played on an old fiddle."、"No sweet without sweat." など少々気恥ずかしく書いた。"Where there is a will, there is a way." は私が中学生の頃覚えた懐かしい言葉だ。"Ask and you shall receive."は聖書の言葉。描き手・書き手の独善は否めないが、こんなことを出来るチャンスはそれほどないと割り切る。それにしても「絵手紙」の頻度が落ちたのはどうしたのか。孫娘の成長に合わせて以前と違った新しい絵を描きたいと自意識過剰であるかも知れない。もっと気楽に、素直に描けばよいと言い聞かせて、これから絵手紙の出直しとしよう・・。

3月18日(日) <インターネットの威力・・・>
インターネットの威力を改めて知らされたのが一年前の東日本大震災の時だった。震災時、孤立した宮城県気仙沼市の公民館から東京消防庁のヘリコプターで救出された人たちが一年を経過した一昨日東京都庁を訪れて改めて謝辞を伝えたことが報道されていたが、これなど昔は考えられなかったドラマチックな救出劇に見える。津波を避けて公民館の3階と屋上に避難した人は子供を含む446名。やがて建物の周囲は火の海となった。避難していたある女性がロンドンに住む息子に「周囲は火の海、ダメかも」とメールを送信。それを受けた息子さんがツイッターに救助要請を書き込んだところ、たまたま猪瀬東京都副知事がそれを目にして急遽東京消防庁のヘリを出動させることを決定。結局、3機のヘリにより全員無事に救出されたという。このケースは猪瀬直樹氏の情報力と決断力の功績と思われるが、敬意を表して猪瀬氏のblogサイトを紹介しよう=ここ<救出劇の詳細が記述されている>。・・私は自分ではほとんどやらないが、妻は電車の中でも当たり前のようにニューヨークに住む娘とメールのやりとりをする。娘もまたインターネットを駆使して日本の情報にも詳しい。世界中がリアルタイムでつながっていると安心感があることは確か。有り難い道具が手に入ったものである。

3月19日(月) <強風の中のテニス・・・>
強風の中のテニスもまた楽しい、と言えば負け惜しみに聞こえるかも知れないが、実際に風を計算に入れたお遊びテニスは本当に楽しいものである。テニスのプレーは満喫できたけれども今日は強風下にコートまで自転車で行く途中でアクシデントがあった。突然自転車のペダルが具合悪くなったので停まって調べるとビニール袋がチェーンに絡まっている。長年自転車を使っているが、こんなことは初めて。ビニールを外したけれども調子がおかしい。結局はチェーンが外れたのを自分で修理して解決できたが、風のいたずらで運転中の自転車が故障することがあり得ることを知った。家に帰って自転車を大整備(といっても清掃や油差し程度)したのも最近は自転車に余りに無頓着であったとの反省からだ。この自転車を購入したのは2001年8月。確かテニスに行くための往復の電車賃を考えると1年足らずで自転車購入代を償却してしまった。今はテニスに限らず少々の距離には自転車を使用する必需品となった。それにしても自転車の品質の良さ、故障の少なさには感心する。これからまた10年も使用すると何か自転車メーカーさんには申し訳ない・・。
3月20日(火) <彼岸の中日・・・>
彼岸の中日の今日はお墓参り。毎月息子の月命日には墓参りをするので年間を通してこのお寺の自然と親しんできた。今は仁王門の脇、社務所入口側に紅梅・白梅が並んで咲いている。最近、「梅の花」の英語は”ume blossom"がよいと知った。「梅」はplumとかapricotと覚えていたが、確かに、「プラム、西洋スモモ」と「アプリコット=あんず」と「梅」は違う。「Japanese apricot」でもいいかも知れないが、「柿」のことを「Japanese persimmon」といっても欧米人によく理解されないという話しを思い出す。「梅」の英語を気にしたのは孫娘、mieuへの「梅絵手紙」のタイトルを考えたからであるが、梅が終わり桜の季節となると間もなく息子の命日だ・・。息子より更に若く、35歳となる前に亡くなった正岡子規は病床で多くの「梅」や「彼岸」の俳句を詠んでいる:「紅梅に中日過し彼岸かな」、「紅梅の落花をつまむ畳かな」、「紅梅の散りぬ淋しき枕元」、「病床に日毎餅食ふ彼岸かな」。合掌
 
2012-03-20@九品仏・浄真寺(東京・世田谷区)

3月21日(水) <長閑な一日・・・>
長閑な一日を過ごした。妻が「のどか」を漢字で「長閑」と書く意味が本当に良く分かると何度も頷いていたのであえて「長閑」を使う。友人夫妻と一緒に軽いドライブで先ず湯河原梅園(神奈川県湯河原市)へ行った。山の斜面に植えられた約4000本の梅は今年に限って丁度今が見頃。梅を見ながら歩き回るというより梅林の下に腰を下ろして「長閑」に梅を眺める時間が何よりうれしい。昼食は真鶴半島の海辺にあるお店で海を見ながら「長閑」に海鮮料理。その後、真鶴半島の最先端、真鶴岬まで行った。岬の先端には三ツ石と呼ばれる大きな岩がある。波打ち際で海を眺めていると海の景色、波の音が脳の奥底をリフレッシュしているような感覚になりしばし俗世間を忘れた。ここでもまた「長閑」な時間が経過する。「長閑」な一日により何日分の充電ができたか計り知れない。友人に感謝。
 

2012-03-21(上)@ 湯河原梅園 (下)真鶴岬・三つ石

3月22日(木) <組んだ手と梅・・・>
「組んだ手と梅/mieuへの絵手紙」(鉛筆と水彩)を今日の表紙に掲載した。奇妙な絵になってしまったが作者としては深い意味はない。「組んだ手」は私自身の手。自然に手を組むと右手の親指が必ず下になる。この場合、脳との関連は「右脳型」とされて性格は直感的、イメージ的などと分析されることもあるようだ。どちらかというと反対に左手の親指を下に組む方が多く(70%の説あり)、この「左脳型」は論理的、言語的であるとか。それほど単純に決めつける訳にもいかないだろうが、人によって組み方が異なるのは確かである。西洋の宗教画の中には手のひらを合わせる合掌のほか手を組んでキリストに祈りを捧げる姿があるが、これまでどちらの指が上か下かなど気にもしなかった。自分の手の組み方と比べて、これからは祈るときの組み方の違いにも目がいきそうだ。紅梅、白梅の絵は今の時節を描いたまで。そういえば今日、近所の公園では河津桜が満開だった。例年よりも一ヶ月遅れで梅と河津桜が一緒に見頃となっている。
  2012-03-22@西郷山公園(東京・目黒区)

3月23日(金) <いくつになっても啓発される・・・>
いくつになっても啓発される対象が必要。それで元気になる。今日はそんな思いを強くした一日だった。一つは知人の作品展(陶芸とガラス)をみたこと。若い人の作品展だったが創作には年齢と無関係にその人のパワーが発散される。そして質の高い作品からは間違いなくエネルギーを享受できる。もう一つ、読書から元気をもらった。本の中であっても(また歴史上の話であっても)人間の高邁な部分に接すると新たな挑戦をする意欲というか、やる気がでる。人がどこに視点を置くかによって世の中の見え方が全く違ってくることを改めて実感する。汚い面をみれば際限がない。けれども一方で人間には清く美しい面も多い。悪知恵もあるかも知れぬが、本当に優れた知恵や能力に接すると人間の凄さに触発される。年齢を重ねれば重ねるほど、より優れた、より高き外界と接触することを心しよう・・。
3月24日(土) <妻が花粉症・・・>
妻が花粉症で苦しんでいるのをみて「アレルギー」という実に奇妙な現象を思った。アレルギーとは外部から入ってきた異物(抗原)を排除する免疫反応が過剰に起こることとされる。妻も私も同じ空気を吸引するのに妻は「花粉」という異物に異常反応し、一方私は全く花粉など感知しない。花粉に限らず人によっては食物アレルギー、金属アレルギー、動物アレルギー、ハウスダスト類に対するアレルギーなど可哀相なほど過敏に反応する。私は幸いそれらのアレルギー体質ではないが、半分冗談で、幼児〜子供の頃にどちらかというと田舎の非衛生的な環境で育った効用を認める。汚い川や泥にまみれて遊び、手も洗わず何でも口にした。山に住処(すみか)を作って遊んだ後に犬や猫と一緒に寝たりもした。ダニやシラミもいただろう。少々の異物に対する免疫は子供の頃に試したと思う。成人してからアレルギーがないことと子供の頃の生活習慣との因果関係は明確でなくても人間の免疫機能のデリケートな側面を垣間見る。それにしても敏感過ぎるよりむしろ鈍い方がいいと身体が教えてくれていることは非常に示唆に富んでいる。耳からはいる「言葉」を抗原と考えると精神的にも同じことが言える。他人の一言一言に過剰に反応して傷つくよりも適当に聞き流して(これが適度の免疫作用だ)感度が鈍くなれば精神は安定する・・。
2012-03-24/今年のシクラメンは快調

3月25日(日) <シナプス・・・>
「シナプス」というタイトルの絵(mieuへの絵手紙)を今日の表紙に掲載した。シナプス(synapse)とは神経細胞末端のこぶ状に膨らんだ伝達部(神経をつなぐ中継部)のこと。絵を描いたのはシナプスを含む神経細胞の形がフラクタル形状で美しく思えたからという単純な理由である。形の面白さもさることながら、この機会に神経細胞を多少調べてみると神経細胞は実に不思議で興味深い。脳を構成する神経細胞の数は大脳だけでも数百億個という。一つの神経細胞は絵に描いたような木の枝のように分岐した突起を持ち、この突起が他の神経細胞から電気信号の情報を受けて軸索といわれる経路(絵の右側)を通って次の神経細胞に伝達されること(神経細胞の一セットは「ニューロン」と呼ばれる)。一つのシナプスと別のシナプス(あるいは受容体)との間には隙間(数万分の1mm)があるため神経細胞間の情報伝達の際、電気信号が一旦化学物質(=神経伝達物質)に変換されること。そのため伝達に0.1mmsec〜0.2mmsecの時間遅れがあること。・・そんな神経細胞の断片的な知識を得るだけでも、何か気楽に描いた神経細胞風の絵が神秘的に思えてきた。
「今日の写真」(下)は親戚との会食のとき食卓に飾られていた「デルフィニューム」の花。
   2012-03-25

3月26日(月) <1804年3月26日・・・>
1804年3月26日(208年前の今日)ウィーンでケンペレンが70歳で亡くなった。ケンペレンは当時のオーストリア-ハンガリー帝国の官吏であったが物理学、機械工学、水利学などにも通じ科学研究や発明が趣味でもあったという。ケンペレン35歳の時(1769年)、帝国の女帝マリア・テレジア(彼女は科学に非常に関心が高かった)に奇術ショーのトリックを解説する役割をしたことを契機に女帝から自動人形の製作を命じられた。ケンペレンは数ヶ月掛けてチェスを指す自動人形「ターク」(=トルコ人風の衣装を着た人形がチェスを指すのでこう呼ばれた)を完成させ、その名は「ターク」発明者として歴史に刻まれる。「ターク」はチェスの高段者を連戦連破(負けることもあったが)する機械的な人形として大評判となりケンペレンの死後も含めて製作から85年間ヨーロッパ各地(パリ、ロンドンなど)からアメリカ各地まで興行師と共に巡業した(最後には火事で焼失)。・・これは友人が貸してくれた本『謎のチェス指し人形「ターク」』(トム・スタンデージ著/服部桂訳、NTT出版)からの抜粋。内容が面白く一気に読み終えてしまった。特に興味深いのは、マリア・テレジア(フランス王妃となったマリー・アントワネットの母)だけでなく、エカテリーナ大帝、ナポレオン、フランクリン、エドガー・アラン・ポーなど歴史的な人物が「ターク」の動きを目前にして仕掛けをあれこれと推論していること。一般的な歴史書ではでてこないこれらの人々の尋常でない科学や発明への興味が伺えて面白い。<謎の仕掛けは本をお読み下さい>

3月27日(火) <「緑道」とは・・・>
「緑道」とは「都市河川や暗渠化された小河川を利用して植樹帯を設け、必要に応じてベンチ等の休養施設を配置した施設」(コトバンク)」、とか「緑に覆われ、緑を楽しみながら安全に歩けるようにしている歩行者専用道路または歩行者、自転車専用の道」(Wikipedia)と説明されている。これまで緑道とは全く縁がなかったが間もなく新しくオープンする陶芸教室が下北沢の緑道の側にあるので突然に緑道が身近になってきた。今、以前の陶芸教室の先生が古い民家を借りて教室用に大改装中なので今日も自転車で緑道を通りお手伝いに出向いた。といっても、こちらが出来るのは屋根や壁にこびり付いたまま朽ちている蔦を取り除いたり雑草取りなど掃除だけ。30リットルのゴミ袋二袋の成果を残してまた緑道を通って帰るのは気持ちがよい。先ずは「北沢川緑道」、それから「目黒川緑道」、その後は暗渠でなく「目黒川沿い」の道路を走る。この緑道と川沿いの道にはいずれも桜並木がある。桜の季節に自転車が思うように走れるかどうかは分からないが2週間後に桜を見ながら陶芸に通うのが待ち遠しい・・。
 
2012-03-27@目黒川緑道(東京・世田谷区〜目黒区)

3月28日(水) <庭の苔・・・>
庭の苔が美しい。陽が当たらない、自由に世話も出来ない共同庭なので雑草とりだけをやっていると苔が生き残り目映い緑をみせ始めた。苔の種類は何百種もあるようだが名前は知らない。最近は特別な立木や花、植物がなくてもシンプルに地面に苔だけあれば十分に思えてきた。苔は放置していると勝手に生育するように思われるが他の飛散してきた植物の種や雑草などの方が強いので苔が主役ではない雑草地面になる。京都の西芳寺(苔寺)などは一方ならぬ苔の維持管理をやっているに違いない。時間の経過に任せた「放置」は荒れ果てるだけだ。英語のことわざ:「Rolling stone gathers no moss.」も苔(Moss)の解釈で微妙に意味合いが変わる。一般に「転石苔むさず」といい、”物事をころころと変えることなく長く続けないと苔がむすような立派な成果は得られない”と解釈するが、一方で、”活発に動いて行動を続ける人には古びた苔のようなものは付かない”との意味にもなる。「苔」を善玉と見るか古き悪しきものととらえるかで見方が真反対となる。英語のことわざに関しては私の趣味は石が転がり続ける方で苔など付けなくても良い。苔はたまたま一部であるからいいのであって周りが苔だらけになるほど停滞して欲しくない。
2012-03-28「苔」

3月29日(木) <ハクモクレンとコブシの違い・・・>
ハクモクレンとコブシの違いがようやく分かってきた。桜が開花する直前のこの時期、華やかに咲く白い花をハクモクレン(白木蓮)かコブシ(辛夷)か何度か間違えたことがあった。一度覚えたはずの特徴を翌年には忘れてしまってまた迷うとか・・。今は、単純に厚ぼったい大きな白い花が上に向かって勢いよく向かっているのをハクモクレンとみる。更に花の盛りの時に白木蓮の葉はないが、辛夷の花の下には葉が一枚付いている。・・と言うことで今日の写真(下)はハクモクレン。同じように植物には紛らわしい種類が多い。例えば、千両と万両、山茶花(サザンカ)と椿(ツバキ)、アンズと梅なども以前は違いを気にしなかったけれども今は区別できる。名前を正確に覚えるかどうかは関心の度合いによるのだろう。かなり昔のことだがある人が私の名前を何度も間違えたことがあり未だにこの人のマイナスイメージは抜けきらない。花の名といえども疎か(おろそか)にはしないようにしよう・・。
2012-03-29ハクモクレン@西郷山公園(東京・目黒区)

3月30日(金) <本人が亡くなった後のホームページ・・・>
本人が亡くなった後のホームページの一つのあり方が「田中好子公認ホームページ(=ここ)」でみられる。アイドル歌手であった元キャンデイーズのスーちゃんこと田中好子(本名小達好子)さんは昨年の4月21日乳ガンのため亡くなった。享年55歳。一周忌を前に昨日のテレビでは一年前に東日本大震災を見た彼女が震災の被災者を病床にいる自分のこと以上に気遣っている肉声が放映されていた(映像=ここ)。今日はまた田中好子さんの姪(同時に夏目雅子さんの姪でもある)小達はるなさんが宝塚音楽学校(競争率23倍)に合格したことがニュースになっていた。そんな田中好子さんの公認ホームページが引き継がれ、「田中好子”いつもいっしょだよ"基金」が設立されることなども伝えられている。震災の被災者の方に”天国からお役に立ちたい”との本人の意志が具体的な形となっているところが感動的だ。平均寿命が86歳(女性)を越す時代に、有為で善い人ばかりが何故早く召されるのか・・。スタッフの方々のご苦労はあるだろうが、ホームページの中に彼女は生き続けている。

3月31日(土) <夕方、新しい陶芸教室の”お披露目会”・・・>
夕方、新しい陶芸教室の”お披露目会”にでかけた。今日は日中、猛烈な強風が吹き荒れ、時々雨が加わって外出し難い天候であったが、夕刻には雨は小降りになり風も収まっていた。それでも風雨を避けて初めて電車とバスを乗り換えて下北沢の新陶芸教室に向かう。所用時間は約45分ほど。これまで自転車で何回か改装中の教室を下見に行ったことがあるが自転車ならば半分の時間で行くことが出来る。雨降りでなければこれからはやはり自転車が便利だ。”お披露目会”には30人近くの人が集まっただろうか。前の陶芸教室での懐かしい顔ぶれが並ぶ。平屋の民家を改装した教室は手作り感が随所に表れていて好ましい。何でも畳の部屋をフローリングに改修する大工仕事まで先生が自分でやったとか。陶芸の道具やロクロが明日からの教室オープンを待ちかまえている風情。ところがこちらは何の準備もできていない。新教室での作陶のためにまずは設計(計画)を始めなければならない・・。
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