2012-03-13@目黒川緑道 (東京)3月14日(水) <アルトゥール・ピサロの名・・・> アルトゥール・ピサロの名を記憶しなければならない。昨晩、久しぶりに東京文化会館小ホールで聴いたピアノリサイタルで、アルトゥール・ピサロの演奏は真に感動的だった。演奏曲目は地味というか実にユニーク。全てショパンの曲で24の前奏曲(Op.28)、12の練習曲集(Op.10)、12の練習曲集(Op.25)。この合計48に及ぶ膨大な曲が全く退屈することも飽きることなく気がつくと終わっていた。脳の奥が浄化された感覚だけが残った。弱音の繊細な響きだとか、早いパッセージの凄さ、切れ味の見事さを私などはうまく表現できない。ただ、これまで頭の裏当たりでよどんでいた気分がどんどんほぐれていく音の力を実感していた。ピサロは1968年ポルトガル生まれのピアニスト。これまで「ピサロ」というと19世紀印象派の画家、カミーユ・ピサロであったが、これからはアルトゥール・ピサロを一番に思うだろう。この若き大ピアニスト、アルトゥール・ピサロの生の演奏を聴くことのできた幸せを今日になってもまだ味わっている。3月15日(木) <「求めない」・・・> 「求めない」という本を読んでいる。この本(加島祥造著、小学館)は大学の頃の友人が今年の正月に紹介してくれたもの。”すべてが「求めない」で始まる詩約100篇を収録した珠玉の詩集”と紹介しているサイトがあったが確かに本というより「詩集」の方が相応しいかも知れない。作者が序文で『誤解しないで欲しい。「求めない」と言ったって、どうしても人間は「求める存在」なんだ。それは良く承知の上での「求めない」なんだ。』と述べているように押しつけがましいところがないのがいい。序文の続き:『・・ぼくが「求めない」というのは求めないですむことは求めないってことなんだ。すると体の中にある命が動き出す。それは喜びにつながっている。』。本文の一部はネットでも紹介されている(例えば=ここ=)が、やはり実際の本にはネットにないパワーがあり座右の書になりそうだ。イマドキ「求めない」別世界にいざなってくれる本はそうあるものではない。著者の加島祥造さんは1923年生まれで、アメリカ文学者、翻訳家、墨彩画家、詩人などと呼ばれて多方面で活躍する現役の文人だ。3月16日(金) <吉本隆明さん・・・> 吉本隆明さんが亡くなった。1924年(大正13年)生まれで享年87歳。日本の言論界をリードし戦後最大の思想家と呼ばれるが、詩人で評論家でもある。最近はインターネットで糸井重里さんのサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に「吉本隆明プロジェクト」があり(=ここ)、ここでも親しく接することができた<「親鸞」についての吉本隆明-糸井重里の対談など面白い。是非一読をお勧めする=ここ=>。いわゆる「戦中派」の世代で詩人、思想家となった吉本隆明さんが東京工業大学出身であるのが私には非常に興味深い。東工大在学の頃、数学者の遠山啓教授の講座「量子論の数学的基礎」に衝撃を受けたというベースがその後の思想形成にどう影響したのだろう。日本の知識人と言われた人たちには知識だけの論理やマスコミ的風潮に左右されるいかがわしさを漂わせる人が多かったが、吉本隆明さんは世間の風潮や常識にとらわれず自ら思索するという真の思想家の姿を見せてくれた。ふと思う、吉本隆明さんに続く日本の思想家とは誰なのだろうか・・。 表紙の「今日の作品」 が更新されないので、あえて 少し前にも紹介した作品「ピラミッド型遊具台座セット 」(陶芸) を掲載した。この作品も工作箇所があるので今もなお細かいところに手を加えている。 3月17日(土) <久しぶりに「mieuへの絵手紙」・・・> 久しぶりに「mieuへの絵手紙」を表紙に掲載した。題名を「祝入学」としたが適当かどうか分からない。思いつくままに即興で描き、英語のことわざや名言を書き加えた。説教臭くなっても嫌だけれどニューヨークで中学合格が決まった孫娘に”おめでとう”のつもりで言葉を選んだ。”A thing of beauty is a joy forever." 、 "There's many a good tune played on an old fiddle."、"No sweet without sweat." など少々気恥ずかしく書いた。"Where there is a will, there is a way." は私が中学生の頃覚えた懐かしい言葉だ。"Ask and you shall receive."は聖書の言葉。描き手・書き手の独善は否めないが、こんなことを出来るチャンスはそれほどないと割り切る。それにしても「絵手紙」の頻度が落ちたのはどうしたのか。孫娘の成長に合わせて以前と違った新しい絵を描きたいと自意識過剰であるかも知れない。もっと気楽に、素直に描けばよいと言い聞かせて、これから絵手紙の出直しとしよう・・。 3月18日(日) <インターネットの威力・・・> インターネットの威力を改めて知らされたのが一年前の東日本大震災の時だった。震災時、孤立した宮城県気仙沼市の公民館から東京消防庁のヘリコプターで救出された人たちが一年を経過した一昨日東京都庁を訪れて改めて謝辞を伝えたことが報道されていたが、これなど昔は考えられなかったドラマチックな救出劇に見える。津波を避けて公民館の3階と屋上に避難した人は子供を含む446名。やがて建物の周囲は火の海となった。避難していたある女性がロンドンに住む息子に「周囲は火の海、ダメかも」とメールを送信。それを受けた息子さんがツイッターに救助要請を書き込んだところ、たまたま猪瀬東京都副知事がそれを目にして急遽東京消防庁のヘリを出動させることを決定。結局、3機のヘリにより全員無事に救出されたという。このケースは猪瀬直樹氏の情報力と決断力の功績と思われるが、敬意を表して猪瀬氏のblogサイトを紹介しよう=ここ<救出劇の詳細が記述されている>。・・私は自分ではほとんどやらないが、妻は電車の中でも当たり前のようにニューヨークに住む娘とメールのやりとりをする。娘もまたインターネットを駆使して日本の情報にも詳しい。世界中がリアルタイムでつながっていると安心感があることは確か。有り難い道具が手に入ったものである。3月19日(月) <強風の中のテニス・・・> 強風の中のテニスもまた楽しい、と言えば負け惜しみに聞こえるかも知れないが、実際に風を計算に入れたお遊びテニスは本当に楽しいものである。テニスのプレーは満喫できたけれども今日は強風下にコートまで自転車で行く途中でアクシデントがあった。突然自転車のペダルが具合悪くなったので停まって調べるとビニール袋がチェーンに絡まっている。長年自転車を使っているが、こんなことは初めて。ビニールを外したけれども調子がおかしい。結局はチェーンが外れたのを自分で修理して解決できたが、風のいたずらで運転中の自転車が故障することがあり得ることを知った。家に帰って自転車を大整備(といっても清掃や油差し程度)したのも最近は自転車に余りに無頓着であったとの反省からだ。この自転車を購入したのは2001年8月。確かテニスに行くための往復の電車賃を考えると1年足らずで自転車購入代を償却してしまった。今はテニスに限らず少々の距離には自転車を使用する必需品となった。それにしても自転車の品質の良さ、故障の少なさには感心する。これからまた10年も使用すると何か自転車メーカーさんには申し訳ない・・。3月20日(火) <彼岸の中日・・・> 彼岸の中日の今日はお墓参り。毎月息子の月命日には墓参りをするので年間を通してこのお寺の自然と親しんできた。今は仁王門の脇、社務所入口側に紅梅・白梅が並んで咲いている。最近、「梅の花」の英語は”ume blossom"がよいと知った。「梅」はplumとかapricotと覚えていたが、確かに、「プラム、西洋スモモ」と「アプリコット=あんず」と「梅」は違う。「Japanese apricot」でもいいかも知れないが、「柿」のことを「Japanese persimmon」といっても欧米人によく理解されないという話しを思い出す。「梅」の英語を気にしたのは孫娘、mieuへの「梅絵手紙」のタイトルを考えたからであるが、梅が終わり桜の季節となると間もなく息子の命日だ・・。息子より更に若く、35歳となる前に亡くなった正岡子規は病床で多くの「梅」や「彼岸」の俳句を詠んでいる:「紅梅に中日過し彼岸かな」、「紅梅の落花をつまむ畳かな」、「紅梅の散りぬ淋しき枕元」、「病床に日毎餅食ふ彼岸かな」。合掌