これまでの「今日のコラム」(2012年 5月分)

5月1日(火) <般若心経・・・>
般若心経は日本人なら誰でもどこかで縁ができて写経をしてみたり暗記をしたりしてみたくなる親しみやすいお経だ。「色即是空」など一般にもお馴染みの言葉を含めて、わずか300字足らずのお経文の中に仏教のエッセンスが詰まっている。もう30年ほど前になるかな、家族で奈良・京都などお寺巡りをした際(子供を連れて宿坊に泊まった)写経のお手本を手に入れたり、本を読んだりしたこともあるが、般若心経とは長い間ご無沙汰していた。最近になって妻が知人に勧められて「現代語訳 般若心経」(玄侑宗久著/ちくま新書)をアマゾンで購入したので私も借りて読み終えた。久々に触れた般若心経は非常に新鮮。若い頃とはまた感じ方が違う。玄侑宗久さんの書き方も今の私には分かり易かった。この人の解説は現代の量子力学での「光は粒子でもあり波でもある」という一元論でない事例を仏教の考え方に結びつけたりするなど現代的なセンスで説明するので親しめる。現代的という意味ではインターネットではYouTubeで般若心経の唱え方、木魚リズムのとり方が見られると思えば、若者言葉での現代訳など何でも見ることができる。余りに安易すぎてネットの般若心経は少々有難味が薄い。それにしても釈迦の時代、紀元前何百年の人間の考察力の大きさに改めて驚嘆する。
2012-05-01 今日から5月@東京・青山/こどもの城

5月2日(水) <息子の月命日・・・>
息子の月命日で墓参り。全国的な大雨予報であったが降り出す前で墓掃除も徹底的にやることができた。先月は丸三年を経過した命日前後に友人が何人か来てくれたようだ。ビールが3缶、日本酒が1瓶墓前に供えてあった。ありがとう・・。一ヶ月前には桜が咲き始めていたお寺の境内は花もなくすっかり新緑に包まれている。生々流転。時の流れに留まることはない。
「今日の表紙」には「ハナミズキ<mieuへの絵手紙>」(ペンと水彩)を掲載した。今、東京の街中でも至る所でハナミズキが咲いている。ハナミズキは別名「アメリカヤマボウシ」。アメリカワシントンDCに日本から桜を送った(明治45年)返礼としてアメリカから日本に送られた樹木として知られる。 ハナミズキは英語では「dogwood」。少々味気ない名前なので「flowering dogwood」と書き込んだ。実は今日、この「ハナミズキ」の絵手紙を描く前にもう一枚mieuへの絵手紙を描いた。珍しく絵だけでなく文章や宛先もこちらで書いたので(いつもは文章は妻の係)、描いた絵をスキャナーで取り込むこともせずに直ぐにポストに入れて発送してしまった。絵手紙も気をつけていないと時々こういう失敗をする・・。


2012-05-02@九品仏浄真寺(東京・世田谷区)

5月3日(木) <ゴールデンウイーク後半・・・>
ゴールデンウイーク後半のスタートは日本各地で記録的な大雨。東京でも朝方の激しい雨は恐ろしいほどだった。外出の予定があったのでどうなることかと心配したが、最近は悪いときには全て時間が解決すると割り切る。待てば海路の日和あり。苦あれば楽あり。これ以上悪くはならない・・。その通りに出かける頃には雨は小降りになり、いま、夕刻にはほとんど雨は止んだ。プールのように冠水していた道が見えるだけで安心をする。ところで「楽あれば苦あり」ともいう。物事には両面あることは確か。晴天であってもいつまた雷雨が来るか分からない。所詮「浮き世の苦楽は壁一重」か。
2012-05-03@Narita Airport

5月4日(金) <ムンクの「叫び」・・・>
ムンクの「叫び」が米ニューヨークでサザビーズ(大手競売業者)のオークションに掛けられて1億2000万ドル(約96億2000万円)で落札されたという。いくら高額で落札されようが我々とは別世界でどうでもよいが、絵画「叫び」には少なからず関心がある。ノルウェーの画家、ムンク(1863〜1944)が残した「叫び」の作品は合計4点(リトグラフを入れると5点?)あり今回競売に掛けられたのは個人が所有していたパステル画。他の3点はノルウェーの美術館が所蔵している。いま4点の比較を「ここ」のサイトで見られる(リンクサイトで”画像を拡大する”)。このパステル画の「叫び」は1895年、ムンク32歳の作品だ。ムンクが1893年に初めに描いた油彩の「叫び」はさらに大きな画像で見ることができる=ここ。「叫び」の絵は描かれた人物が叫んでいるように誤解されるが実は「自然の叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる人物が描かれている。ムンクの日記:「・・太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた」(Wikipediaより転載)。ちなみにムンクがこの絵を発表したとき評論家に酷評されたとある。「叫び」もまた絵画の価値とは何かを考えさせる。

5月5日(土) <今日の表紙に「夕焼け」・・・>
今日の表紙に「夕焼け<mieuへの絵手紙>」を記載した。最近は年間を通して「夕焼け」をみるチャンスがほとんどない。ニューヨークに住むMieu-chanは夕焼けを見るのだろうか。今日描いた「絵」は心象風景と言っておこう。<Mieuへの絵手紙>はある時期から掲載順に番号を付けて絵を登録するようにしている。今日の絵はmieuの94番目。このところ早く100番を達成したくなって描くピッチが早くなった。今日のような絵ならば毎日描くのも容易。毎日絵手紙を描くのも面白いかと思い始めた・・。
「今日の写真」はまた目黒川緑道(川の本流を暗渠にして上部に造った人工の道と小川)で撮影した風景。私の趣味から言えば、緑道の小さな川に巨大な鯉は似合わない(それも何匹もいる)。小川にはメダカの方がふさわしいのに・・。そう思いつつ写真を撮ってしまった。
 
2012-05-05@目黒川緑道(東京)

5月6日(日) <「春夏秋冬」という本・・・>
「春夏秋冬」という本を本棚から取り出して久しぶりに目を通した。この本は「絵と文」が香月泰男、谷川俊太郎編(=谷川さんが香月の文章の中から選りだして絵に添える編集をしたもの)、新潮社発行(1994年版)。香月泰男(1911〜1974)は私が好きな画家で10年以上前にこの本を求めた。何かある度にこの本を開くと刺激を受けて絵を描きたくなる昔からの愛読書だ。今回、何となく目を通していると今まで気にしなかった文章の方に引きつけられた。曰く「太陽、月、星と、鳥たちと、虫どもと、花花と。変わらぬ姿でいるもの、わたしに憎しみを持たぬものなどと話しすることにしよう。いずれ土に帰るその日まで」。確かに”私に憎しみを持つ”のは皆人間だ。踏みつけている草も、鋏で切り取る樹木や花も、命をいただいている魚や動物でさえ何も言わない。中傷や誹謗も脅迫もない。それに反して人間を相手にするとそうはいかない。樹木の葉の一方に陽光が当たり他の葉が日陰になっても葉は何も言わないが人間ならばそれだけで嫉妬の種になる。嫉妬はいわれのない憎しみともなる。歴史上、嫉妬の戦いの事例は枚挙にいとまがない。一方で、自然界は個人を対象にした"憎しみ”など一切ない。けれども大震災や大津波(今日は東北に大竜巻が発生した)のように、自然は時として人間に対して無作為に恐ろしい牙をむくこともある。”土に帰るその日まで”憎しみを持たぬ温和な自然と話しができるかは何とも分からない・・。
5月7日(月) <ゴールデンウイーク明け・・・>
ゴールデンウイーク明けの月曜日にはテニスコートはいつになく混雑する。何故か。土日と休日はテニスコートを使用することができないウィークデイ限定の会員が休みにテニスをできなかった欲求不満から連休明けと共にコートに集まるのだろう。そんな中に私もいる。それにしても良き仲間と存分に闘い、身体を動かすことの何と心地よいことか。
「今日の作品」として「花菖蒲 <mieuへの絵手紙>」(ペンと水彩)を表紙に掲載した。このところ毎日のように「絵手紙」を描く習慣ができた。毎日となると、もう内容には拘らない。思いつくと何でも描く。今回の「花菖蒲」は私が宛名と本文を書いてもうポストに投函したが、mieuへ花の説明をするときに困った。英語ではアヤメもカキツバタもハナショウブも適当な語句が見当たらない。みんな”iris”の一種となるのか。日本語の植物名の多さから植物の繁殖に適した日本の風土を思う。「五月雨の 軒の雫に 玉かけて 宿をかざれる あやめぐさ(菖蒲草)かな」(西行)。


5月8日(火) <久しぶりに「鮭のムニエル」・・・>
久しぶりに「鮭のムニエル」を作った。レシピには「ムニエル」とは「食材に小麦粉をまぶし、バターやサラダ油で焼くことをムニエルといいます」と丁寧に説明まである。別の解説書では「フランス料理の魚の調理法の一つで・・フランス語で粉屋風の意」ともある。冒頭で"久しぶりに"と書いたが、料理本を見ると例えば「きのこと鮭のグラタン」を作ったのが2007年3月13日などとメモまでしているからご愛嬌だ。それだけまれにしか料理を作っていない証拠にもなってしまう。男の料理としては以前は料理本のレシピを良く読んで材料を集めてレシピ通りに作ると比較的うまくできていた。グッチ裕三の料理本でもレシピ通りに作ると実に美味しい。ところが冷蔵庫の中にある材料で適当に作るとなると俄然実力発揮でワンパターンの味しか出ない。この数年で料理本に代わってインターネットの料理サイトが力を持ってきたようだが、レシピを見て作る側は同じ事。たまに作る料理に関しては私の好きな独創性は放棄してただ教えられるままが一番よい結果になる。今晩の「鮭のムニエル」も結構で御座いました。

5月9日(水) <国宝「燕子花(カキツバタ)図」・・・>
国宝「燕子花(カキツバタ)図」を見た後、庭園にでて今を盛りと咲き誇る「カキツバタ」に接する贅沢な時間を過ごした。根津美術館では今、所蔵する尾形光琳の「燕子花屏風」とニューヨーク・メトロポリタン美術館から借り受けた「八橋図屏風」(やはり尾形光琳画)を並べて展示している(5/20まで、案内=ここ)。この2作品が並べて展示されるのはおよそ100年ぶりとか。尾形光琳(1658〜1716)が58歳の生涯で画業に携わった期間は意外に短く20年間ほどと言われる。「燕子花屏風」は光琳、40代の作、「八橋図屏風」は50代の作。屏風絵の内容もさることながらこの美術館の庭園がいつ訪れてもすばらしい。今は庭園の一角には本物の「カキツバタ=燕子花/杜若」。更にこの美術館の常設展示で必ず見るのが3000年前の青銅器・双羊尊(=ここ)。私が2011年に模写して陶芸で制作した双羊尊(=ここ)を家の居間に飾っているが古代の双羊尊にはゾッとするような迫力がある。美術・工芸品をみると、300年前も、3000年前も変わらぬ人間のエネルギーに圧倒される。
 
2012-05-09@根津美術館庭園(東京・南青山)

5月10日(木) <今日もまた「カキツバタ」・・・>
今日もまた「カキツバタ」の話題。昨日、尾形光琳の「燕子花図」を見ながら、5千円札をだして、札の裏面に描かれている「カキツバタ」と比較してみた。このデザインは間違いなく光琳の「燕子花(カキツバタ)」であることを確認した(下の写真)。尾形光琳のもう一つの燕子花図は「八橋図屏風」の名がついている通り、三河国八橋(今の愛知県知立市八橋)は昔からの「カキツバタ」の名所。平安時代に伊勢物語で在原業平が「カキツバタ」を詠み込んだ歌を作った場所として知られる。「・・みかはの国八橋といふ所にいたりけるに、その川のほとりにかきつばたいとおもしろく咲けりけるを見て・・」:「唐衣(らころも) つつなれにし ましあれば るばるきぬる 旅(び)をしぞ思ふ」<解説=ここ=が面白い>。ちなみに「カキツバタ」は今の愛知県の県花であるという。そんなことを気にしながらJRの渋谷駅で電車を待っていたら、ホームの乗車口に似たような花のデザインがあったので写真を撮った(下右)。区の花かと思って調べると、渋谷区の花は「ハナショウブ(花菖蒲)」であった<明治神宮の菖蒲田が地元=このHPで紹介=ここ)。
 
2012-05-10

5月11日(金) <ミョウガ<mieuへの絵手紙>・・・>
「ミョウガ<mieuへの絵手紙>」ペンと水彩)を今日の作品として表紙に掲載した。このところ<mieuへの絵手紙>の題材に困らなくなった。原点に立ち返って身の回りの目に付くものを描くことにすると「題材」はどこにでもある。初めに食材に目がいくのが面白い。ジャガイモでも人参でもよかったけれど、今回は「ミョウガ(茗荷)」とした。食用になる花穂部分は単純で絵に描くのも簡単。一般的な絵の題材にはなりにくいかも知れない。それでも無心になって「ミョウガ」を描いてみると自然の造形の片鱗を垣間見ることはできる。形ある全てのものは細かく観察すると”不思議”が満ちている。Wikipediaによると、和名=ミョウガ、英名=Myogaとある。「ミョウガの絵手紙」はもうNYに住む孫娘、mieu宛に発送してしまったが、恐らくアメリカではミョウガを見ることはできないのだろう。


5月12日(土) <セザンヌ・・・>
セザンヌを何も知らなかった・・と、今日、国立新美術館で開催されているセザンヌ展を見てショックを受けた。フランスの画家、ポール・セザンヌ(1839年〜1906)は当時の印象派絵画を更に進めた独特の絵画洋式を追求しキュビズムや20世紀絵画に多大な影響を与えて「近代絵画の父」とまで言われる。私は"何も知らなかった”というより、セザンヌをよく知っていると思い違いをしていた。セザンヌが1839年1月19日生まれであること(実は誕生日が私と同じ、丁度私の生まれた102年前にセザンヌが生まれた)、裕福な家庭で育ち父親の意向で法学を学び(父親の)銀行勤めをするが結局画家の道へ入ったことなど枝葉末端の知識を持っていたし、10年以上前になるが南フランス・プロバンス地方をセザンヌの描いた「サント・ヴィクトワールト山」を見るためにドライブをした思い出もある。そんな特別の感情を持っていたセザンヌの展覧会で油彩、水彩、デッサンなど約90点のセザンヌ作品をみると、これまで見てきた作品が余りに偏っていたことを思い知らされた。セザンヌは近代絵画の礎となる画風を作り上げる以前に、歴史的な題材の絵画、写実主義の絵画、当時流行っていた印象主義の絵画など全てを自ら試みている。クールベ風の厚塗りを試みたり、大きな壁画を描いたり、初期の悪戦苦闘した作品がむしろ人間セザンヌとして興味深い。決して一箇所に留まらずに常に新しい何かを求めた結果「セザンヌ」が出来上がったのだろう。<セザンヌ展案内=ここ、6/11まで>
 
2012-05-12@東京ミッドタウンにて、左=デザインサイト、右=檜町公園(旧毛利家屋敷)

5月13日(日) <梅づくし・・・>
「梅づくし」<mieuへの絵手紙>を今日の表紙に掲載した。前回掲載した「ミョウガ」は絵に描く材料を台所で見つけたものだが、今回の「梅づくし」の梅も全て台所で集めた。冷蔵庫の中や瓶の中など梅がこれほど沢山の種類に姿を変えて我が台所にあることに驚いた。2008年ものの梅酒はもう残り少なくなっているが2009年分の梅酒はまだいっぱい残っている。梅酒や梅ジュースもよいが、絵に描いたような「梅」そのものも美味しい。自家製梅に関しては専ら妻の製造ノウハウと努力に頼っていて、私はただ”食べる人”。「梅づくし」の絵を描きながら自家製の梅が幾種類もそろっている豊かさは妻のお陰と感謝すべきことを遅まきながら気がつく。絵に描いた直後に「梅」は全てお腹の中へ。とても美味しいデザートとなりました・・。
  2012-05-13ラベンダー@中目黒公園にて

5月14日(月) <この夏には大いに節電・・・>
この夏には大いに節電に協力したいと思いつつ、どうもマスコミで取り上げる論調が気にくわない。曰く:”幼児やお年寄りにクーラーを止める訳にはいかないので・・”。日本の幼児・子供や年寄りにどうしてクーラーが必需品なのか理解に苦しむ。今の老人が幼児の頃に家庭に冷房施設など全く存在しなかった。それで皆元気に育った。今でも熱帯地方の多くの子供が冷房が欲しいなどと言うことはない。年寄りが熱中症で亡くなることがあるって?その何倍もの人が熱中症以外の原因で亡くなっている。暑さで亡くなるとすれば自然の成り行きだ。幼児・子供の環境は必要以上に過保護であるとむしろ本人たちのためにならない。暑ければ大いに汗をかけばよい。冷房は現役の人が効率よく働くためにこそ必要となる。ちなみに去年の夏には我が家の電気代は数年前のほぼ半分で済んだ。節電というより設備の変更、電球のLED化などが利いたと思われるが、数年前がいかに野放図であったかを証明したことにもなった。

5月15日(火) <磁石オモチャ<mieuへの絵手紙>・・・>
「磁石オモチャ<mieuへの絵手紙>」(ペンと水彩)を今日の表紙に掲載した。今日のように一日雨が降っていると陶芸教室には行かなくなった。以前は歩いて教室に通うことができたけれど、この4月から教室が変わり自転車を使う。雨の日には電車とバスを乗り継いで行くのが億劫で家で過ごすこととなる。そうすると表紙のような「mieuへの絵手紙」が増える。磁石オモチャは人形も犬の形も足の部分が磁石で普段は絵のような床面ではなくH形鋼でできた柱に横向きに付着させて飾っている。鉄でできた柱にはこれだけでなく、磁石の付いた「タングラム」や動物型の模型など色々な種類の磁石オモチャが並んでいる。時々家に来てくれる小さな子供たちを喜ばせるためと言っているが、実は自分で喜んでいるだけかも知れない・・。
下に掲載した今日の写真も雨で外に出ないのでできた「作品」(?)。陶芸作品としては3年前の2009年の「横長花器」(=ここ=参照)。たまには我が家でも古い花器を活用しようと、こんな飾り方をしてみた。
  2012-05-15/横長花器は2009年製

5月16日(水) <新緑の自然教育園・・・>
新緑の自然教育園にいった(案内=ここ)。ずいぶん久しぶりだと思って調べてみると、2月に一度だけ行ったことがあるので3ヶ月振り。ここは自動車の免許証を見せると無料で入場させてくれるので有り難い。世が世なれば白金長者か大名しか入れない広大な庭園(というより白金の森)を自由に散策できるのは何と贅沢なことか。「教育園」だけあって樹木や草花に名札が付いているし、植物、昆虫、鳥などについて細かい解説を見る場所もある。この自然教育園でこれまでどれだけ”学習”させてもらったか分からない。さて今日は何を学んだか・・などとは言わない。新緑の森の中で深呼吸をし巨木を見上げている時間がとれただけで今日は充実感がある。
 
2012-05-16@自然教育園(東京・港区)

5月17日(木) <テニスの仲間・・・>
テニスの仲間から様々な人生模様を見せられることがある。テニスクラブで40年以上の長い期間に何らかの係わりを持った人々は数多いので当然かも知れない。そんな中で、若かりし頃に相手をしてもらった人、ミスをすると叱られたりしながら技を教えてもらった人、少し前まで一緒にプレーをしていた人などの訃報をどれだけ聞いたことだろう。ある人はテニスの最中に倒れて救急車で運ばれてそのまま亡くなった。仲間同士では本当にいい死に方で本望だっただろうと噂した。今日はかつてしばしば一緒にゲームをやったことのある人が入院して”危ない”状態だという話を聞く。奥さまのことを以前から介護(老々介護)していたとか、一つの病院に長く入れてくれないので次々に病院を変えなければならないとか、入院した自分の姿形を他人に見せたくないので見舞いは断るとか、付随した事情も伝わってくるのが痛ましい。今日、一緒にプレーした中の一人は癌を患っている。明るくプレーするので外観からは分からない。私と組んで勝利した後、更に元気になったように見えたは気のせいだろうか。テニスのプレーを楽しんでいるときには時間の経過も病気も悩みも全て忘れてしまうところが何事にも代え難い瞬間だと改めて思う・・。
今日の作品として「人形<mieuへの絵手紙>」を表紙に掲載した。女の子らしい素材を家中探してようやく見つけたものを描いた。


5月18日(金) <H2Aロケット・・・>
H2Aロケット21号が今日未明、午前1時39分に種子島宇宙センターから打ち上げられた。初めて海外から受注した衛星(韓国の多目的実用衛星)を含む4基の衛星を同時に打ち上げることに成功したことをもっと大きく報道されてもいいのでないか。衛星打ち上げの数から見るとアメリカ、ロシアは言うに及ばず、ヨーロッパよりもはるかに日本は少ない。ロケットのような高度でお金がかかる技術は世論と国の後押しがなければ進展しない。ロケットの発射現場を見たことはないが、私はいつも飛行機を見ると感動する。航空力学を学ぼうが理屈を教えられようが、あの巨大な重量物をジェットエンジンの推力で空中に浮かす技術は無条件に驚異である。今日は空港でしばらく飛行機の発着に見とれていた。人類が成し遂げた最高級技術の成果をこれほど間近に、確実にみられる場所はない。いや〜〜、飛行機ってすばらしいですね〜。
 
2012-05-18

5月19日(土) <「よみうり」が危ないか・・・>
「よみうり」が危ないか、そんなことを思ってしまう。プロ野球の話しではない。巨人はこのところ"珍しく”連勝しているし、オーナーのナベツネさんは86歳になろうとしているのに未だ健在。異変を感じたのは毎日愛読していた読売新聞のコラム「編集手帳」が有料になったからだ。読売新聞を購読していれば無料になるが「読売プレミアム」という特別枠に入れてコラムを有料にしてしまった。ちなみに社説や一般ニュースは従来と同じく無料で閲覧できる。毎日、新聞各社のコラムをチェックするが「よみうり」だけが今回コラムを無料で読ませなくした。どういう了見かは分からない。グーグルの検索にしてもスカイプにしても、またYouTubeにしてもどうして「無料」でこれほどのサービスを受けられるか不思議なサイトばかりに接しているところで「よみうり」さんは時代錯誤のことをやっている。「編集手帳」の内容は朝日の「天声人語」よりむしろ好きな方だったので残念ではあるがお金まではださない。私はこれからも新聞を購読することはないし、あえて言えば、読売でも朝日でも消滅したところで誰も困らないのでないか。有料化の元に何か高慢な思い違いを感じる。新聞が今後どのようになるか高みの見物といこう。
「今日の写真」は都心でみた亀の甲羅干し。
2012-05-19@鍋島松濤公園(=ここ

5月20日(日) <ボランテイアとは何・・・>
ボランテイアとは何だろう。Wikipediaで調べると、「自発性、無償性、利他性(社会、公共、公益)に基づく活動」の定義で、今日では更に「先駆性(先見、創造、開拓)」を加える場合が一般的とあった。毎朝7時前後に近所の道路掃除をするのが習慣となっているが、先日時間がずれて6時半頃に掃除をしているとき初めて会ったおばさんと挨拶をした後”ボランテイアですか”と聞かれて驚いてしまったのである。ボランテイアとは考えもしない。”近所に住んでいるものですから・・”と言葉をつないだが掃除のおじさんでなければボランテイアという発想があることを知った。ただし冒頭の定義から見ると近所掃除は自発性、無償性はその通りであるが利他性はどうだか分からない。人によっては自分の家の前の公共道路でも他人がこれ見よがしに掃除されるのを嫌う人がいるので他人の家の前を掃除する時には極力知られないように気を使う。他人が掃除の是非に対して全く違う意見を持つのと似ているのが「樹木の剪定」である。今日の日曜日、共同庭の樹木を思う存分(でもなくかなり遠慮気味に膨大な量)剪定したが、これも共同所有の他人は自然のまま(私には荒れ放題にみえる)がよいとする見方もある。本来は「利他性」を望んで行動するにしても”公共、公益となるか”、”他人が喜ぶか”は微妙な問題である。私は本当のボランテイア活動をする人を尊敬するが、自分がやることについては”自分の美意識に基づいた(自分勝手な)掃除・剪定”と割り切った方がよさそうだ。
5月21日(月) <金環日食の日・・・>
金環日食の日。日本の3大都市圏を含む広い範囲で金環日食を観測できるのは932年振り(平安時代以来)とか、東京都市圏で見られるのは173年振り(1939年、セザンヌが生まれた年以来だ!)などの情報につられて事前に525円の日食メガネも準備していた。家の周囲では朝陽を見ることはできないので、妻と7時に家を出て近所の駐車場までいって観察開始。曇り空なので余り期待をしてなかったけれども思った以上に見事な日食を見ることができた。金環になる前後も雲の流れで条件は変化したけれど金環をハッキリ認めることができたのは大収穫。雲がフィルターの役目を果たして肉眼でも薄く金環が見られたのも想定外の経験だった。ただ「日食」の写真を撮る準備をしていなかったので「今日の写真」で金環の写真を掲載できなくて残念。代わりに日食メガネをカメラレンズの前に置いて撮影したデタラメ写真(一部画像処理)をこの日の記念に掲載する。
2012-05-21/日食開始

5月22日(火) <mieuへの絵手紙が100枚目・・・>
mieuへの絵手紙が100枚目となった。ある時からmieuへの絵手紙に番号を付けて整理を始めた。調べてみると2004年の作品(=ここ、orここ)辺りがスタートだ。「絵手紙」としては10年間で2000枚を送った事例を知っているから8年ほどで100枚のペースは決して多くはなく、ゆっくりとコツコツ続けたことになる。何より相手の"mieu-chan"の方はどんどん成長しているのに絵手紙を受け取ってくれるだけでもうれしい。Mieu-chan、本当にありがとう<mieuは間もなくマンハッタンの小学校を卒業、秋にはニューヨークで新たな中学生活が始まりますね!>。100枚目の絵手紙はこのページの表紙に掲載したように「100枚目の自由」のタイトルとした。このところ頻繁に身の回りの小物をスケッチして絵手紙としたが今回はイメージ画。これからも自由に絵手紙を描き続けたい。
ところで今日は「東京スカイツリー」開業の日。東京は一日雨模様で展望台に上がった人には可哀相な天気だったが、やはり「ツリー」は大きく育つには「水」を欲するとみえる。


5月23日(水) <幸福度で日本21位・・・>
幸福度で日本21位・・のニュースが飛び交う。OECD(=経済協力機構、参加34カ国、本部パリ)が昨年から行っている「幸福度」を表す指標が日本は36ヵ国中21位(昨年は19位、非加盟のロシア、ブラジルを加えた)となったいう。分かり易く「幸福度」と報道されているが、「より良い暮らし指標(=Better Life Index=BLI)」を算出したもので。アンケート調査をベースにしたのだろう。BLIは国内総生産(GPS)に代わる”国民の豊かさ”を測る指標とされるが、例えば”食事に充てる時間の割合”が少ないと”不幸”と判定される(日本は世界平均を下回る)。また「生活の満足度」も日本人の自己採点は世界の平均よりも低い。BLIが1位の国はオーストラリア。この国の人口密度は実に3人/km2(日本は343人/km2)、BLI2位、ノルウェーの人口密度は16人/km2)。このような国々と日本では他人との関わり方が全く異なる。日本人は直ぐ隣にいる他人と比較して簡単に”満足”とはいえずに常に励まなければならない。「幸福度」のニュースを聞いて何故か母親が生活保護を受けていることで話題になっている吉本興業の芸人河本準一のことを思った。お笑いタレントとして5千万円もの所得があっても、母親をネタにした本の印税が4千万円手に入っても、「生活に満足」などと言わない。母親が当然の如く生活保護を受けられる何と鷹揚な国か。豊かさとは、幸福とは、何だろう。世界一の長寿国は幸せではないのか。この際、現状に満足しないこと、先により良き幸せを求めることが進化につながると考えるか・・。

2012-05-23@渋谷ヒカリエから見た新宿方面 /現状に満足せず過密の中建設は進行する

5月24日(木) <訃報記事・・・>
「訃報記事、懐かしき名を思いだし」。デイートリッヒ・フィッシャーデイスカウ(享年86歳)、樫尾俊雄(87歳)、邱永漢(88歳)と全く関連がない有名人がこの1週間ほどの間に相次いで亡くなった。ドイツのバリトン歌手、フィッシャーデイスカウの歌う「冬の旅」を何度聞いたことか。樫尾俊雄さんはカシオ計算機を創業した兄弟の一人で世界初の電気式電卓の開発者として知られる。まだカシオの名誉会長を務める現役であった。経済評論家(かつ直木賞作家)であった邱永漢は一時”お金もうけの神様”とまで言われた人気者であった。たまたま90歳を前にして亡くなったお三方を並べてみると、みなさま良い潮時であったと思ってしまう。最近は長生きの人が多いけれども周囲の負担を考えると素直に100歳の長寿を祝えないケースが少なくない。「人は何のために生きるのか」は若者だけのテーマでなく、高齢者が考えるべきテーマでもある。少なくとも延命治療で”息だけしている”生き方はしたくないと決めているが自分のことは思い通りになるとは限らない。「88で 惜しまれて逝く 果報者」。
5月25日(金) <久しぶりに「陶芸作品」・・・>
久しぶりに「陶芸作品」を表紙の「今日の作品」コーナーに掲載した。これまで通っていた陶芸教室が2月末日で閉鎖されたことは以前のコラムに書いた。その後、4月から前の先生が別の場所(下北沢)で新教室を開いたので仲間と一緒に心機一転また陶芸を始めた。ところが、アウトプットとしての「作品」がなかなか完成せずに、ようやく今日の新作掲載となった次第。新教室で先ず制作する事にしたのが「正12面体」。ただし、組立式の大型12面体を作ることにして、そのための素材として「正五角形」(=ペンタゴン)を12枚制作中だ。今日、掲載したのはその中の一枚。円盤にすれば直径約20cmほどの大きさの「正五角形」。これから次々と同じ大きさの「正五角形」が完成してくる見込みであるが(これまでに6枚完成済み)、今日から毎日「正五角形」の作品を紹介してみるつもり。正五角形内部の模様を如何にするか、12枚分のデザインを考えるだけでも結構楽しめる。正12面体は何の用途があるのか問われれば、”完成してから考えます”と答えよう・・。


5月26日(土) <陶芸教室での昼食会・・・>
陶芸教室での昼食会。各自が家から適当な食べ物を持ち寄り、庭にテーブルと椅子を並べてお昼をいただく。今は北海道勤務である元会員さんがワイン持参で参加されたので昼からお酒が入って皆いい気分になった。別の会員さんは自分の庭で咲いた「花筏」の実物を持ってきて見せてくれた(下の写真)。”葉の上に花が咲く”珍しい植物で、私は花筏の実物を見たのは初めてかも知れない。陶芸窯の横で美味しい食事と楽しい会話・・。こんな貴重な機会へ感謝。
表紙に「正五角形02」<陶芸作品/昨日のコラム参照>を掲載した。青い溜まりのような箇所はガラスを溶融させたもの。
2012-05-26花筏
 
5月27日(日) <ムラサキカタバミを退治・・・>
ムラサキカタバミを退治するのに時間を費やした。ムラサキカタバミはカタバミ科の植物で”三つ葉のクローバー”と同じような3枚の葉を持っているのでクローバーと間違いやすい。カタバミ(ムラサキカタバミも)はハート型の葉が三枚あるのに対してクローバー(シロツメグサなど)の葉の形状は丸形。ちなみにクローバーはマメ科である(カタバミの黄色い花例=ここ)。ムラサキカタバミはクローバーに似ているところもあるため、雑草としてそれほど気にならないが放置しておくとあっと言う間に繁殖する。とにかく生命力が強くて絶滅することはない。家と塀の間、40〜50cmほどの石砂利のあるスペースにムラサキカタバミとドクダミが一緒に大成長するので、ときに駆除するのだが今日は少々腰が引けた。丁度ピンクの可憐な花が咲いていたので刈り取る手がひるんだのである(ムラサキカタバミ花の写真例=ここ)。カタバミ種は繁殖力の強い雑草であるので昔は子孫繁栄を意味するとも解釈されたようだ。そういえば今はもう無縁であるが、我が家の家紋は「丸に剣片喰(カタバミ)」であった。ムラサキカタバミの生命力にあやかるべきなのかも知れない。
今日も表紙に陶芸の新作品「正五角形03」 を掲載した<5月25日コラム参照>。


5月28日(月) <月曜日は、午前中テニス・・・>
月曜日は、午前中テニス、午後は陶芸。このような至福の時間がとれることに感謝である。今日は陶芸教室(東京・下北沢)で午後の3時頃急に真っ黒な雲が接近したと思うとゴロゴロ雷が鳴り始めた。急遽、ロクロを中止してリュックサックを背負い自転車を全速力で走らせて帰宅。家に着いた5分後にはどしゃ降りの雨となった。危うくセーフであったがリュックサックの中には陶芸の新しい完成品が入っていた。このホームページの表紙に、このところ「正五角形」(陶芸作品)を掲載してるが、今日、新たに5枚の「正五角形」が完成したのである。これで「正12面体」を作る素材として「正五角形」が12枚全て出来上がったことになる。さて、これからは「正12面体」の完成を目指して工作である。今日は「正5角形04」を表紙に掲載した。当分の間は表紙には「素材」の写真を毎日更新しながら掲載してみたい。

5月29日(火) <サッカーボールの作り方・・・>
「サッカーボールの作り方」が、YouTubeで簡単に見られるのに今更ながら感動する(例=ここ)。いま表紙に掲載中のように陶芸作品で「正五角形」を制作している。正五角形を12枚合わせて正12面体を形作るつもりである。何を作っているのか聞かれたときに「正十二面体」と答えると、”ああ、サッカーボールのようにですね”と言われることが多い。サッカーボールはよく知られているように、正五角形12個と正六角形20個で作ることができる。サッカーボールの話しがでると、いま制作している12個の「正五角形」に更に20個の「正六角形」を追加して本当に巨大なサッカーボール型の球体を制作する誘惑に駆られる。いま作っている正五角形の大きさならば、約550mmの球体を作ることができる! それにしても、これから更に20個の正六角形を作るのは容易ではないので、今のところ「正十二面体」を先ず完成させようと思っている。それでも、この12個の正五角形を使って将来サッカーボールの作り方で大きな陶器の球体を作る夢は残しておきたい。


5月30日(水) <友人の絵画展・・・>
友人の絵画展に行った。10数人のグループ展で今日は初日だったので指導の画家がそれぞれの絵画についてコメントしているところであった。しばらくプロの画家先生がどのようなことを話しするのか興味深く聞いていた。この絵画グループはいわば年期を重ねた男女が自由に個性を生かした作品を発表している。指導者と称する先生はいるようだが、ワンパターンでないところが傍から見ていて好ましく思える。だから、専門の学校で学んだ先生が余計なコメントをして欲しくないと願っていたが、それなりに言葉には気をつけていたようだった。絵画の批評、指導は非常に難しい。十人十色で全員センスが異なるし、常識的な絵画手法がいいとは限らない。印象派やキュビズムなど現代絵画は先駆者たちが周囲からの酷評にめげず作り上げた歴史であって伝統を守っているだけでは何も進化をしないし面白くもない。指導者の役割は個々人のいいところを見つけ出して伸ばすこと、やる気を出させることであろう。一方で、60歳、70歳の年齢となって自分より若い先生のコメントを素直に聞いている人たちにも感心する。先生と生徒さんの作品を並べてみると私なら生徒さんの方が好きというものもあったけれども・・。
今日の表紙にはまたまた陶芸作品「 正五角形06」を掲載。
  2012-05-30@三鷹八幡神社/絵画展帰りに

5月31日(木) <菅刈公園・・・>
菅刈公園の側を自転車で通ることが多くなった。菅刈公園は東京・目黒区の公園。江戸時代には回廊式の庭園として有名な大名屋敷であったが、明治時代に西郷従道(西郷隆盛の弟)の屋敷(庭園付き)となった(西郷山公園が直ぐ近くにあり昔は一帯が西郷の広大な屋敷だった、区の案内=ここ))。「菅刈(すげかり)」の名は全国のいろいろな所にあるようだが、そもそもは「菅(スゲ)」とはカヤツリグサ科スゲ属の多年草で昔は笠や蓑の材料にもなった。このスゲを「刈り取る」ことが各所で夏に必要な行事でもあったのだろうか。菅直人、菅野美穂、菅原道真などの「菅」の名字も草冠(くさかんむり)で元は「スゲ」だ。こんな「菅刈公園」に立ち寄ってみると、今日も公立(区立)の公園は”宝の持ち腐れ”の感じを受けてしまう。公園を管理する側に愛情やセンスが感じられないのだ。最近は高速道路のサービスエリアの調度品が一流店に負けぬぐらいに洗練されている。区立の公園は今後サービスエリアを見習って大変革できる可能性を宿していると思いたい・・。
今日の表紙に陶芸作品「正五角形07」を掲載。合計12枚の正五角形は着々と進行中。

 
2012-05-31@菅刈公園にて<右の石は犬が笑っているようにみえる>

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