これまでの「今日のコラム」(2012年 7月分)

7月1日(日) <パスタ好き・・・>
パスタ好きを自認している。食べ物に好き嫌いはないがパスタとなるとどれも「大好き」。「パスタ」はスパゲッテイ、ペンネ、ラザニアなど麺製品の総称として使われるが、今日、塩野七生さんの本を読んでいるとイタリアでは昔は「マカロニ」が「パスタ」と同様に麺全般を指す言葉として使用されていたという(スパゲッテイはマカロニの中の一種類の名称に過ぎなかった)。マカロニグラタンなど日本では長さが4cmほどで太く、中に穴がある棒状のマカロニ(あるいは貝殻状マカロニ)を使うが、世界各国のマカロニ料理はバラエテイに富んでいるようだ。昨夜、内輪の集まりで外食した店の名が「すぱじろう」。「釜あげスパゲッテイ」とサブタイトルが付いている通り庶民的なスパゲッテイ屋さん(=ここ)。この種のイタリア料理店はコース料理にこだわらず気楽にパスタだけを注文できて、しかも味や雰囲気にも満足感が得られるところがいい。ところで家庭の中では案外にパスタ料理の頻度が少ないことに気がついた。一方で、待てよ、うどんやラーメンは日本のパスタ。広義のパスタなら家でも食べる機会は少なくないか・・。
7月2日(月) <発達障害・・・>
「発達障害」のことが今朝のNHK-TV「あさイチ」で取り上げられていた。たまたま今朝の毎日新聞のコラム・余録(=ここ)でも同じ「発達障害」を話題としており、「エジソン、アインシュタインなどの天才はいずれも発達障害があったとされる。彼らがいなければ人類の進歩はなかったはずだ・・」などの記載がある。はじめに私は「発達障害」という日本語が気に入らない。何か別の言葉にできないのだろうか。「脳機能の発達に関係する障害」といっても障害者を正常者のように発達していない、劣った人間と決めつけるような語感は誤解の元となる。テレビでも人並み優れた能力を持つ大人の「発達障害者」の事例が紹介されていたが、障害者と言われる人がアインシュタイン級の人類の宝となる能力を持っていてもおかしくはない。反対に、障害者の特徴とされる「コミュニケーションの障害」で「他人のことを思いやることが苦手」な人など正常者でも数限りなくいる。「発達障害」の情報を仕入れても人間の脳機能についての不思議さが増すばかりで、とても十分に納得できるものではない。
「今日の写真」は息子の月命日の今日、九品仏浄真寺に墓参した際
撮影したもの。右は半夏生(はんげしょう=夏至から数えて11日目の半夏生の日に開花する)または半化粧、片白草(=葉の半分ほどが白くなる)とも呼ばれる。
 
2012-07-02@九品仏浄真寺(東京・世田谷区)

7月3日(火) <「ロコモ」・・・>
「ロコモ」という言葉が最近目に付くようになった。正式には「ロコモティブシンドローム」というが、これでもさっぱり分からない。解説によれば「足腰の骨、関節、筋力の劣化が歩行困難をもたらす”運動器症候群”」のこととか。何のことはない、一時、メタボ=メタボリックシンドローム(症候群)の言葉を使って肥満や高血糖、高血圧などをやり玉に挙げたのに次いで、歩行や運動機能の衰えをターゲットにした言葉を作ったのだろう。「ロコモティブ」というと私は直ぐに蒸気機関車を思い出した。蒸気機関車(=SL)はSteamLocomotive。ロコモティブシンドロームは人間の「機関車相当部の症候群」と考えれば私にとっては分かり易い。人間が動いて活動するためには、心臓(=エンジンに相当する蒸気発生装置)以外に、骨や筋肉、関節など(=動輪への連結棒やシリンダー類)が非常に重要であることは言うまでもない。それにしても人間機関車は良く動く。更にロコモ体操をやって(=ここ)、100歳まで歩くとは!一体それで何をやるのかな・・?
今日の 表紙には「 庭1/mieuへの絵手紙(鉛筆画) 」を掲載。深く考えず、何でもいいから鉛筆画を描くことにした。


7月4日(水) <「バイオリズム」・・・>
「バイオリズム」という言葉を最近聞かなくなった。バイオリズムは100年も前にドイツの学者が生命体の生理現象全般は周期的に変化するという仮設を提唱したことに始まったようだが今は流行らなくなってしまったのか。それでも、人間の身体、感情、知性が正弦波の形状で強さが変動する考え方は実感として捨てがたいところもある。誕生日を基準として各々が少し違った周期(30日前後)を持つとするのは潮の干満が月によって起こることを考えれば全くデタラメとすることもない。星占いは生を受けた時点の天体の配列から人間の運命までも決めてしまうのでインチキ臭くなるが人間の生理が月や太陽の引力の影響を受けてもおかしくはない。・・今朝、目を覚ましたら何か気分が改まり前向きに行動したくなった。これまでは浮き世のトラブルやらマイナス仕事で将来の不安ばかりが念頭を離れなかったのだが、先のことはどうでも良くなった。自分のやりたいことをできる内に存分にやりたい。そう考えると次々とやりたいアイデイアも浮かんでくる。久しぶりに、身体、感情、知性共にバイオリズムが上昇に転じたと解釈しよう・・。

7月5日(木) <「白い花が咲いてた」・・・>
「白い花が咲いてた」という歌はいつ頃の季節を謳ったのだろう。梅雨の合間の曇り空の下、庭で白い花を撮影しながら(下の「今日の写真」)そんな思いが頭を過ぎった。写真の下側は「インパチェンス」の白。インパチェンスは普通ピンク色のものが多いが白もいい。このインパチェンスは3週間ほど前に購入して(秘やかに)植えたのだが梅雨の中で根付いてくれた。写真の上側は胡蝶蘭の最後の花二つ。鉢植えの胡蝶蘭を去年の年末にいただいたものが何といままで咲き続けている。白い花をみるといつも気持ちが落ち着く。清楚な白が以前よりもはるかに好きになってきているのはどうしてだろう・・。冒頭の「白い花が咲いてた」は約60年前に岡本敦郎が歌って大ヒットした歌。私は子供心に良く覚えていて懐かしい。「白い花が咲いてた」をYouTubeで聴きながら(=ここ)、こんなことが出来るネット技術にまたまた感謝である。
今日の表紙に「庭2/mieuへの絵手紙(鉛筆画) 」を掲載。鉛筆画をしばらく続けてみるつもりだ。
2012-07-05 

7月6日(金) <コピー用紙やノートのサイズ・・・>
コピー用紙やノートのサイズについて普段はほとんど気にしない。けれども全世界が同じ規格ではないので時として戸惑うことがある。ニューヨークから帰省してきた孫娘が日本の用紙サイズが米国と違うので困っていた。日本のJIS規格で定めたA版のサイズは国際標準に従っているが米国ではレターサイズと呼ばれる別の規格を使っている。日本のA版サイズ(A列)は縦横比が全て√2=1.414であり、A0の面積が1平方メートル、以下A1はA0の半分、A2はA1の半分、A3はA2の半分、A4はA3の半分・・と極めて分かり易い。ただし国際標準と言いながらドイツなどではこの規格を使うがアメリカはじめA版を使わない主要国も多いようだ。日本でもB版サイズを使うことがあるが、これは日本以外に中国や台湾以外が使うのみとか。アメリカやカナダなどで使われるレターサイズはインチ(ヤード・ポンド法)をベースにしており縦横比は1.294。国際標準がありながらローカルの規格が踏襲されるのは紙のサイズだけでない。アメリカやイギリスではメートル法が定められてもなおヤード・ポンドの生活が続く。マイル、エーカー、ガロンだけではなく、温度は華氏表現でなければ日常会話も成り立たない。日本では尺貫法をいち早く見限ってメートル法に切り替えた。歴史の知識として尺貫法を学習する一方、通常使用する規格を国際標準に統一した日本のやり方が最も妥当に思える。
今日の写真は「クチナシの花」。左の蕾を撮影した15時間後には右のように開花した。最右の花は角度を変えて撮った同じ花。
 
2012-07-06  くちなしの花

7月7日(土) <七夕(たなばた)の逢はぬ心や・・・>
「七夕(たなばた)の逢はぬ心や雨中天」(芭蕉)。今日、七夕の日は芭蕉が詠んだように東京も一日雨模様。芭蕉は雨でなければ牽牛(彦星)と織姫が「有頂天」に逢瀬を楽しめたのに雨で「雨中天」になったとふざける。今日の表紙には「紫陽花/mieuへの絵手紙」(鉛筆画)を掲載した。このところ「鉛筆画」が気に入って、孫娘、mieuへの絵手紙は毎回鉛筆画にしている。鉛筆画は絵画で何かを表現するといった気張ったところがなく素直な”描く楽しみ”を満喫できる。たまたま以前何度も読んだことのある本「絵のある人生/見る楽しみ、描く喜び」(安野光雅著、岩波新書)を読み返していると、”描く楽しみ”、”描く喜び”の話しが沢山でてきた。安野光雅さん(1926〜)は私が大好きな画家。画家であるのに科学や数学などにも造詣が深く、一般の絵画以外に普通の画家が描かない独創的な作品を数多く残している。その点で私とも波長が合い大きな影響を受けた。安野さんの書いた本を再読すると安野さん自身が描くこと、絵を見ることが楽しくてしようがないことが随所ににじみ出ている。「絵描き」にならなくても絵によって人生を豊かにできることを安野さんは伝えてくれる。

7月8日(日) <小雨の中、朝7時過ぎに家を出て・・・>
小雨の中、朝7時過ぎに家を出て丸一日テニス三昧の一日。高校の時代の友人に誘われて、小旅行の先で普段とは全く別のグループのテニス試合に参加をさせてもらったのである。友人は大学時代にテニス同好会を主催し、今も現役の学生(ただし女子)の強化を手伝っているほどのテニス好きだが、趣味でやってきた私は彼とテニスをしたことは一度もなかった。午前中は少々の雨をモノともせずに雨中の練習。午後には雨は止んで時々日が射す中で存分にゲーム。今日、一緒に練習や試合をした人全員が私とは初めて会った人ばかりであったが、始終楽しくプレーができた。20代、30代、40代の仲間と(たとえ女子であっても)スポーツで同等に戦える(”遊べる”というべきかも知れないが)ところがテニスのうれしいところだ。若い人は勿論、同年配の人とテニス以外の会話をするのもよき刺激となった。非日常の機会を与えてくれた友人に感謝・・。
7月9日(月) <人さまざま・・・>
人さまざま・・というと紀元前・ギリシャの哲学者テオプラストスの著作名にもあるが(岩波文庫「人さまざま」、書評例=ここ)、「人さまざま」ある中で、世の中には本当に立派な人、偉い人もいる。最近接した人から続いてそんな思いをすることができた。リッパとかエライという言葉が適切かどうかは分からないけれども、自分のことをさておいて他人のためのことをするとか、金儲けなどとは無縁な高邁な知識を他人のために使うとか、自然体で他人のことを優先する人がいるのは確かで、人さまざまある中で特に清々しさを感じる。反対に人さまざまな悪徳、不徳のさまは2000年前から存在していて現代でも変わりがない。不平不満、貪欲の種はどんな時代でも尽きることなく、また悪人がなくなった人間社会はかつて存在しなかった。それだからこそ「人さまざま」な今の世の中でも、できる限り清々しい希望を与えてくれる人に目を向けていたい。

7月10日(火) <久しぶりに陶芸の新作茶碗・・・>
久しぶりに陶芸の新作茶碗が完成したけれども「今日の作品」として表紙に掲載することは止める。陶芸教室で焼成の終わった茶碗を見たとたんに”ウーン"とうなり声をあげた。想像したイメージと違う。特に必要でもなし、注文された訳でもなくあえて「お茶碗」を制作したにしてはやりたいことが不明確。自分の言葉でいえば、”インパクトがない”。陶芸作品というのは教室で多くの他の作品と並べて見るのと家のテーブル上で一品だけ見るのでは印象が変わることがあるが、今回も家で机の上に置いてつらつらと茶碗を眺めると、やろうとしたことは分からないではないがやはり不本意。それでも何とかモノにはしたいと、更に一手間加えて家の窯でもう一度焼き直しができないか検討している。今日の所は改めて世阿弥の言葉を綴って自分に言い聞かせておこう:「是非とも初心を忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」<花鏡より>。
2012-07-10小川の風景@目黒川緑道(東京)にて

7月11日(水) <寝ている最中に閃いたこと・・・>
寝ている最中に閃いたことを忘れない内にメモするため枕元にメモ帳を置いているという人の話を昔聞いたことがある。物理学者だったか誰の話かは忘れた。寝ているときには色々なアイディアが浮かぶことは確かだが私の経験では目を覚ましてからアイディアを書き出してみると案外に凡庸であることも多い。昨晩の就寝中に(今朝の明け方だろう)陶芸の新作アイディアがいくつか浮かんだので今朝起きてから直ぐに絵に描いてみた。内容は思ったほどに斬新ではなかったが、久しぶりに陶芸のことを集中して考えることができてうれしかった。寝ているときに創作のことに集中できるのは一つの理想的な姿だ。それがどろどろした人間関係やらお金の話しなどを思いながら寝られないなどというのが最悪のパターン。趣味とか創作の有り難さを痛感する。
今日の写真は「桔梗」。桔梗(キキョウ)は秋の七草であので秋の雰囲気があるが花の時期は6月〜9月と長い。
2012-07-11@中目黒公園(東京)・目黒区)

7月12日(木) <明日からニューヨークのホイットニー美術館で・・・>
明日からニューヨークのホイットニー美術館で草間彌生のニューヨーク回顧展が開かれる。美術館以外にニューヨークの数カ所の会場でも作品が展示され”マンハッタンが草間彌生祭の舞台となる”と報じられている(=ここ)。回顧展といっても彼女は昭和4年(1929)生まれの83歳で健在だ。草間彌生は彫刻家とか画家とされることもあるが前衛芸術家と呼ぶのが相応しく思える。私は草間彌生の作品というと松本市美術館の屋外彫刻を思い出す(彼女は松本の生まれ)。草間彌生のホームページ(=ここ)をみると水玉模様の元気なおばあさんの姿が見られるので微笑んでしまう。それにしてもこの時代の人のバイタリテイはすごい。生涯前衛の勢いがある。ひるがえって今の若者は行儀が良すぎて「前衛」が感じられないのはどうしてだろう。草間彌生をみているとハチャメチャをやっているようで実は統一感があり心を打つ精神性もある。生きるエネルギーを発散できるか否かは年齢と関係ないようだ。

7月13日(金) <ロンドン五輪で米国代表チームが着用する・・・>
ロンドン五輪で米国代表チームが着用する公式ユニフォームが中国製であることが判明して米国内で問題になっている。ラルフ・ローレンがデザインした公式ウェアは”アメリカ的”と好評だったがユニフォームに付いたタグに”madein China"と記されているのが発覚したという。それがブレザーやパンツだけでなくベレー帽から靴に至るまで全て中国製とか。しかし、それも無理からぬ話。最近、娘がニューヨーク土産でニューヨーク最先端の店、Abercromble & Fitchで買ったTシャツをもらったが、”madein China"とある。私のテニスシューズなどテニス用品も中国製。五輪の日本チームのユニフォームは日本製なのだろうか。米国チームのユニフォームがどう決着するのか注目している。
今日の表紙に「茶碗A(陶芸)」を掲載した。これは7月10日に完成した茶碗を家の窯で焼き直したもの(7/10コラム参照=ここ)。当初は縦の線(溝の中に着色)のみであったのを荒くブルー(呉須)に着色した。


7月14日(土) <これしきのこと・・・>
これしきのことを話題にするなと叱られるかも知れない。それでも私にとっては人生初めての経験。自動販売機に120円を入れて缶コーヒーを飲もうとしたら商品は出ない、お金は戻らないで120円とられてしまったのだ。人がほとんど通らない裏道の自販機で押しても叩いてもあらゆる操作をしても反応しないのであきらめた。日本の自動販売機や各種自動装置の性能は世界に誇るものであるらしい。自分で世界各国の比較をやった訳ではないがニューヨークに住む娘が事ある毎にいう。Suicaなど鉄道のICカードの正確さ、安心感は当然だと思っているが、アメリカの地下鉄や鉄道などはそうはいかないとか、自販機の故障など珍しくないとか・・。そうだ、先日もインターネットで鉄道の乗り換え案内を調べて3度乗り換えをしたが、全ての電車がピタリと定刻に到着、発車した。日本では当然と思っているバスや電車の正確な時刻も他の国ではそうはいかないらしい。そこで冒頭の自販機の件、日本でも条件が悪ければいくらでも乱れる証となりそうだ。半分放置されたままで管理がなされていないところ、責任の所在がはっきりしないところでは機械だって(人間はどうかな)まともに動かなくなるのは不思議ではない。
2012-07-14
左はセイヨウニンジンボク(西洋人参木)&蜂@中目黒公園(東京・目黒区)、右は@目黒川にて

7月15日(日) <東京・お台場にある日本科学未来館・・・>
東京・お台場にある日本科学未来館にニューヨークから一時帰国中の娘&孫娘たちと一緒にでかけた。これまで未来館には何度か行ったことはあるが、今日は行き帰りの交通手段で新しい経験をした。まず、往路は新橋から「ゆりかもめ」を利用。「ゆりかもめ」は高所に専用につくったコンクリートの走行路をゴムタイヤで走る交通システムで、特筆すべきは運転士や車掌が車両にいなくて自動運転されること(自動運転仕組み=ここ)。そこで今日はあえて本来ならば運転手が座る最先端部の席をとって特別な風景を楽しんだ。「ゆりかもめ」を利用するチャンスがあれば是非先頭の席(4人分)をお勧めする。帰路は青海桟橋(船の科学館)から日の出桟橋まで船を使った。この船が徳川将軍家の御用船を模して製作された御座船「安宅丸(あたけまる)」。東京湾のクルーズは流線型のスマートな形の船が多いけれども江戸情緒のある安宅丸も素敵だった。それにしても東京湾上でみる東京は広い・・。

左=ゆりかもめ先頭にて              安宅丸全景

2012-07-15安宅丸にて東京湾航行

7月16日(月) <クレーンを見ると美しい・・・>
クレーンを見ると美しいと思う。今日の写真(下)に散歩中に撮影したクレーンを掲載。昨日東京湾岸を巡った際にもクレーンの写真を何枚も撮影した。クレーンの美については以前このコラムでも書いた記憶があるが、無駄がない美しさだ。駄肉が一切なく必要最小限の部品で構成されながら確実に機能を発揮して安全も確保されているところに美が生まれる。昨年の東北地方大地震の際、ほぼ完成間際のスカイツリーの頂上ではクレーンが作業中であったが被害もなく一段落して工事は進められたという。風や地震に対する安全性も見事だ。クレーン写真と並べてヒマワリの写真を下に掲載した。自然の無駄のない構造は人工物以上に見事と言うしかない。あの大きなヒマワリの頭を一本の細い茎で支える構造はクレーンの安全率を持った設計ではやりきらないかも知れない。それでもヒマワリは少々の風には柔軟に対応できる。自然のデザインは全て人間のお手本となる。けれどもクレーンや蒸気機関車は自然を模していない美しさだけに、今のクレーンは果たしてこの先更に進化できるのだろうか、少々気になった。
今日の表紙には「灯籠/mieuへの絵手紙」(鉛筆画)を掲載。
2012-07-16@目黒区にて

7月17日(火) <アーティチョークの花・・・>
アーティチョークの花が咲いていた。梅雨明けが宣言され今年一番の暑さとなった東京・目黒区の公園で一際目立って咲き誇っているアーティチョークの一団に思わずカメラを向ける。和名を「朝鮮アザミ」というだけあって花の頭の部分はアザミそのものだ。それにしてもアーティチョークは全体にでかい。花は1m以上の位置であるし葉や蕾も尋常でなく大きい。原産地は地中海沿岸とされるだけあって、イタリアやフランスではアーティチョークというと非常にポピュラーな食材であるらしい(=ここ=参照)。若い蕾の部分を茹でたり油で揚げたりして食べるととても美味しいそうだ。昔、知り合いのフランス人がアーティチョークを好んで食べていたことは覚えているが、残念ながら自分では食べた記憶はない。東京でこれほど立派にアーティチョークが育つなら食用の材料も入手できるのだろう。食欲をそそる外観ではないが機会があれば味見をしてみようか・・。
2012-07-17 アーティチョーク@中目黒公園

7月18日(水) <「ガリガリ君」を食べた・・・>
「ガリガリ君」を食べたなどというと笑われそうだ。東京でも最高気温33度を超した今日、近所のコンビニで買ってきた「ガリガリ君」を妻と味わった(?)。ニューヨークに住む娘によると今や外国人にも人気があり成田に着くと先ず空港で「ガリガリ君」を食べるファンもいるとか。今日は「ソーダ」と「梨」を妻と半分づつ食べたが、味の種類が何十種類もあるのが特徴であるらしい。今更だが、「ガリガリ君」は赤城乳業が製造・販売する氷菓の商品名で、いわばアイスキャンデーの一種だ。そんなガリガリ君は1981年発売以来約4億万本を売り上げたという。先日たまたまテレビで「ガリガリ君」のレポート番組を見て知ったのであるが、赤城乳業の工場でガリガリ君を製造する最大能力は現在一日250万本(!)。大量生産の効果は絶大で、ガリガリ君は発売当初50円、現在でも60円の低価格であるから、その割に味や食感でお得感がでるのだろう。このような氷菓はいくら美味しくても値段が高いとダメ、いくら安くても美味しくないとダメ。コマーシャルで誤魔化されているようでも長期的に見ると消費者は厳しく評価している・・。
7月19日(木) <東京で最高気温35度を記録・・・>
東京で最高気温35度を記録した今日もテニスだけは欠かすことはない。珍しくゲームに大敗したりしたが負けても気持ちがよい仲間とプレーできることがうれしい。何より炎天下でも運動ができる健康に感謝。テニスと違って、このところ陶芸ができないのがやや不満。次に制作する予定の設計図はできているのだが、陶芸の場合、一日で完成しない大物を制作するときは粘土の乾く工程まで考慮していないとスタートできない。連続して陶芸教室に通う目処が立たなくて制作に入れないのである。今日はその代わりまた「mieuへの絵手紙」を描いた(表紙に掲載)。先日、お台場にある日本科学未来館に行ったときの最寄り駅が「東京テレコムセンター」。絵手紙の凱旋門風の建物が東京テレコムセンター(地上21階)で、その手前にある低層の建物が「ゆりかもめ」の駅。お台場にはまだ知らない建築や施設が色々とある。お台場に行くたびに何か発見があるので是非また行く機会をつくりたい。


7月20日(金) <午後、久しぶりに陶芸教室・・・>
午後、久しぶりに陶芸教室に行く。はじめ自転車で出かけようとしたら小雨が降っているので家に戻って一思案。結局、傘を持って電車とバスを乗り継いで教室まで行ったが自転車の倍以上の時間がかかった。電車とバスの待ち時間だけで20分。おまけに料金がバカにならない。教室では素焼きが完成している皿1枚に釉薬掛けをして終わりとする。帰りは傘をさして歩いて帰ることにした。緑道を歩きながら時々周囲の草花にカメラを向けて「今日の写真」を撮っていると退屈することがない。所要時間を最短にして家にたどり着くことが目的でないと少々時間がかかっても"豊かな時間”を満喫している気分になるから面白い。撮影時には知らなかった花の名前でも後で調べて分かると一つ物知りになるのでこれも楽しい。下の写真、左は「サンパチェンス」という花(赤い花もある)。これは「サカタのタネ」が開発したインパチェンス系の品種で、二酸化炭素を吸収する能力が従来より高いとか大気浄化機能が優れていると宣伝されている(=ここ、日当たりの悪い我が家の庭にも最適でないかと興味深い)。右は「ハツユキカズラ(初雪葛)」。葉に白い斑がはいるので”初雪”、「カズラ」は蔓性(つるせい)植物。
2012-07-20@北沢緑道&目黒川緑道にて

7月21日(土) <都心を散策すると新たな発見・・・>
都心を散策すると新たな発見がある。今日は自由に散策をした訳ではないが、「赤坂」近辺でこれまで余り通ったことのない路地を歩いた。まず意外だったのは赤坂のアメリカ大使館の側にはいくつものお寺があること。大使館の脇の坂は「霊南坂」で、この坂の説明に「江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつしか嶺が霊となった」とあるように、坂の由来からしてお寺と関連がある。アメリカ大使館の周辺にあるお寺は、正福寺、澄泉寺、常國寺、陽泉寺などがあるが、お寺はいずれもマンションに挟まれた路地の脇に遠慮がちに生きながらえている雰囲気だ。今日の写真には陽泉寺の側を歩いているとき突然目に入った石像を掲載する(下)。お寺の外からみる石像(仏像)ながら一瞬別世界に誘い込む不思議な様相であった。
 
2012-07-21@赤坂・陽泉寺横(東京)にて

7月22日(日) <アメリカの国花は・・・>
アメリカの国花は何?、と質問されて答えられなかった。国花は国民に最も愛されてその国の象徴となる花とされるが、多くの州の寄り集まりであるアメリカ合衆国の場合、断定し難いところもあるようだ。大勢は「アクレイギア(セイヨウオダマキ)」とする説が強いが、イングランドと同じ「バラ」とみることもあるとか・・。アメリカ人によっては「アクレイギア」(=このような=花)を認めない人も多いのだろう。日本の場合、特に定められてなくても「桜」か「菊」で異論のある人はいない。中国の国花も牡丹か梅かどちらかは決まらないようだ。分かり易いのは韓国の「ムクゲ(木槿)」、インドの「蓮(ハス)」、オランダの「チューリップ」、スイスの「エーデルワイス」など。それにしても、ほとんどの国の国花を知らないことを自覚した。世界中の国々の気候は千差万別。それぞれの国の環境にマッチして咲く花の名前を知らなくても恥ずかしくはない・・。
今日の写真(下右)には韓国国花のムクゲを入れた。いまムクゲが沢山咲いているが俳句では秋の季語。
「それがしも その日暮らしぞ 花木槿」(小林一茶)
2012-07-22@中目黒公園/左はハーブ種、グリーンサントリナ

7月23日(月) <「スッパ抜く」の語源・・・>
「スッパ抜く」の語源は戦国時代の「忍者」=「透破(すっぱ)」が素早く情報を手に入れるさまからきた。このような話を満載しているのが「日本人の知らない日本語2」(蛇蔵&海野凪子著)という漫画本。ニューヨークに住む孫娘が置いていった漫画本だが、日本で外国人に日本語を教えている著者が生徒から思いもよらぬ質問を受けながら自分も日本語を奥深く勉強していく様子がおもしろく、また、私も”知らない日本語”を教えられる。日本では緑色の信号をなぜ青信号というかなど「色」に関する話しの中で、日本では子供が描く太陽いえば赤が一般的だが欧米では黄色が普通とあるが、孫娘は当然のように黄色に描くと言っていた。「おいしい」(=味がよい、好ましい)は昔、宮中や貴族に仕えていた女性=女房が使っていた言葉である「女房詞(にょうぼうことば)」の一つであることを知った。元来は「いしい」に丁寧に「お」を付けた(いし=優れている、見事だ)。確かに味が良い場合は「うまい」よりも「おいしい」の方が丁寧に聞こえる。<「うまい」は技術や技量が優れている意味でピッタリすることも多い> 「タラコ」が鱈(たら)の子(卵)ならば、「メンタイコは?(「ミンタイ」はロシア語で鱈、明太は韓国語で鱈)、「ナマコ」は?・・なんて言うのもあった。

7月24日(火) <今日の話題は大リーグ・・・>
今日の話題は大リーグ、マリナーズのイチロー選手がヤンキースに電撃移籍したこと。シアトルで移籍記者会見をした2時間後にはイチローはヤンキースのユニホームを着てマリナーズ戦に8番右翼で先発出場。第一打席でヒットを放ち、マリナーズに恩返し(?)をした。打席に入る前、スタンドの観客から大きな拍手が送られイチローはヘルメットを取って深々とお辞儀をしたという。イチローはマリナーズ一筋に7月22日まで実に12年間、背番号51番で活躍した。それが本人も希望したというトレードで、この時期に背番号31番を付けてヤンキースの一員となる。大リーグでないと見られないドライな移籍劇である。「一番勝っていないチームから(マリナーズはリーグ優勝もワールドシリーズ選出も果たしたことのない唯一のチーム)一番勝っているチーム(ヤンキースはリーグ優勝40回、ワールドシリーズ制覇27回)」への移籍。イチローの38歳からの再出発を心から応援したい。ちなみに、私が毎日使っている帽子はヤンキースの野球帽だ。

7月25日(水) <今日はめずらしく美術館のハシゴ・・・>
今日はめずらしく美術館のハシゴをした。一つは東京都美術館がリニューアルオープン記念として開催中の「マウリッツハイス美術館展」(案内=ここ、9/17まで)。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を目玉にして朝日新聞が大宣伝しているので混雑を心配したが、早い時間に入場したためか、ゆっくりと鑑賞することができた。オランダの「マウリッツハイス美術館」は私にとって特別に思い出のある美術館だ。今から16年前、1996年にマウリッツハイス美術館でフェルメールの作品23点を集めて特別展が開催された(現存するフェルメールの作品は35点しかなく23点の作品を世界中から集めるのは画期的なことだった。このホームページのリンクページ=ここ=参照)。その時、ハーグ市にあるマウリッツハイス美術館の直ぐ側にあるホテルに宿泊して早朝から美術館の切符売り場に並んで当日券を買ったのも懐かしい。今回の展覧会ではフェルメールの作品は2点だがルーベンスやレンブラントなど巨匠の作品を生で見られたのはやはり得難い機会だった。この展覧会が”古典鑑賞”とすると、次に行った東京国立博物館の特別展「青山杉雨の眼と書」(9/9まで、案内=ここ)は意外に現代の創作とは何かを考えせさられる展覧会だった。青山杉雨(あおやま さんう、1912〜1993、展覧会は生誕100年記念)は昭和・平成に活躍した書家で文化勲章も受章している。篆書(てんしょ)や隷書をもとにした独特の表現方式を生み出したとされるが、独自の書体に秘められた猛烈なパワーに共鳴させられる。書家として一つの権威に安住せずに生涯、書の道を求め続けて自ら変革していく姿勢に何より刺激される。
7月26日(木) <炎天下でテニス・・・>
炎天下でテニスをやりながら自らの不甲斐なさの「原因分析」をする。先ず、汗が目に入る。飛び散った汗でメガネが曇る。汗による視力妨害は間違いなく運動機能の低下を招く。しかし、こうした物理的な障害以上に今日実感したのは、暑さによる反応速度の低下である。一般的に集中力がなくなると言われるが、集中しようとしても追いついていかない自分を感じた。具体的には何をすべきか分かってはいるが脳からの指令がいつもより一瞬遅れる。身体の反応が遅れると言っても良い。スポーツに限らず90歳になったご老人が自分の意志とは無関係にレスポンスが鈍くなると、こういう状況なのでないかと老人体験をしたような気分になった。自分がミスをする言い訳はいくらでも見つけることができるけれども暑さの条件はみな同じ。熱中症にならないように気をつけながら存分に汗をかく楽しさはミスを帳消しにしてくれた。
今日の表紙に「丸皿」(陶芸)を掲載。家庭で使用できる皿を制作しようと新たに試みた箇所もあるが、結果的には外観は二年前に制作した皿と全く変わらなくなってしまった。進化がないと反省


7月27日(金) <今日は土用の丑の日・・・>
今日は土用の丑の日。この日にウナギを食べるというのは鰻屋(?)の宣伝だ。ウナギが異常に高騰しているそうだが、それならば鰻を食べなければいい。そう言えば秋の松茸も最近は縁がなくなった。鰻も松茸も食べなくても何ら命に別状はない。フカヒレでもトリュフでもフォアグラであろうが、食べる習慣がない食材が高価だといって嘆くことはない。・・そんな信念だか、負け惜しみのようなことを日頃から言っているのに、今日の東京は最高気温35度を超す猛暑日。珍しく暑さで体力を消耗してしまったので少しは元気を回復したいと、「鰻釜飯」を注文してしまった。土用の丑の日に鰻を食べるとは我ながら想定外。ロンドン五輪の男子サッカー一次リーグで日本が優勝候補スペインを破ったことが驚きを持って報じられている。まさか勝つとは思っていなくても結果は大いに結構。まさかこの日に鰻を食べるとは思ってもいなかったが美味い(うまい)ものはうまい。

7月28日(土) <ロンドン・オリンピックが開幕・・・>
ロンドン・オリンピックが開幕した。日本時間で今朝の5時から開会式をテレビが生中継。早朝の掃除の後はLIVEで開会式の様子を見続けていた。204の国と地域から1万人以上の選手が参加するスポーツの祭典だが、スポーツ以上に開会式の演出内容が見所の一つ。自分の好みでは花びらの形をした7本のトーチに点火した聖火が最終的に204の炎となって伸び上がり一つの巨大な聖火になる仕掛けが特に面白かった。開会式全般はイギリスらしい華やかでかつ安定感のある演出はさすが・・。ロンドンが、イギリスが、これほど元気だったのかと思わせるオリンピックはやはり「祭典」の名がふさわしい。開会式の花火の様子を直ちに動画でみることができるのが今の時代だ(=ここ)。写真の特集ではテレビで見損なったシーンも見られる(=ここ)。
下の写真は東京・恵比寿駅前での「夏祭り」=盆踊り<昨晩に続いて今日も>
2012-07-28

7月29日(日) <高校野球の地方予選・・・>
高校野球の地方予選が大詰めだ。東東京大会の決勝戦は成立学園対国士舘(4-3で成立学園)、神奈川大会決勝戦は桐光学園対桐蔭学園(11-4で桐光)。これらの試合を交互にテレビでみていた。日頃、熱中症の注意ばかり聞かされるテレビで猛暑の中甲子園を目指して力一杯戦っている高校生たちを見ていると何故かホッとする。暑さなどものともせずに全力を出すのが若者本来の姿だ。甲子園の本大会に限らず高校野球には筋書きのないドラマがあるので面白い。この時期には別のチャンネルで放送しているプロ野球が何とも気が抜けて見える。今日の試合に負けても明日勝てばいいという態度がミエミエだ。勝って泣き、負けて泣く高校野球の方がプロ野球より見るものを感動させるのは示唆に富んでいる。・・ロンドン五輪2日目の今日、金メダルの獲得数は中国が4個でトップという。日本は未だゼロ。
今日の写真(下)は ホオズキ(鬼灯)。7月の上旬に浅草寺の「ほおずき市」で求めたものを冷蔵庫で保管しておき、最近取り出して花器に入れた。花器は2008年11月制作の陶芸作品(=ここ=参照、月日の経つのは早い!)。
2012-07-29

7月30日(月) <床の中で閃く内容・・・>
床の中で閃く内容で体調が分かる。今朝、目覚める前に今作っている陶芸作品の大改造を思いついた。日頃お世話になっている人にプレゼントしようと珍しく制作前から行き先を決めた大物陶芸(噴水兼花器)。ほとんど粘土細工は完了して土を乾かすばかりであるが、使い勝手を考えて大きく変更するアイデイアが浮かんだのである。こんなことが頭に浮ぶときは間違いなく体調がよい。厳密に言うと”体調”でなく”精神状態”がいいと言うべきかも知れない。創作に頭を使っているとドロドロした浮き世の人間関係を忘れることができる。起床した後、予想の通り午前中のテニスは好調、午後は直ぐ陶芸教室に行って制作途中の粘土の削り。大改造は成功して気分爽快である。

7月31日(火) <緑道と親しむ・・・>
緑道と親しむようになったのはつい最近である。以前は都内にこれほど多くの緑道があることを知らなかったし利用することもなかった。都内では中小河川を暗渠とした際、その上部を有効利用する方法として緑道が整備された。車の入れない歩行者用の空間を確保して災害時の避難路にもなる。ただし、建築基準法での敷地の前面道路としては認められないようだ。今日も陶芸教室に自転車で行くときに緑道を通った。歩行者専用の道路脇に車は入れないが自転車が通れる道があるので自転車でも緑道を楽しむことができる。今日の写真(下)として北沢川緑道の風景を掲載した。北沢川緑道(世田谷区)脇を流れている水(「せせらぎの水」と呼ぶ)は”下水の再生水”と説明した看板があった。これによると下水処理場で処理した再生水を濾過した後、更にオゾン反応塔で殺菌や脱臭処理をしてせせらぎへ流しているという。樹木や草花を維持管理をするだけでも相応の経費がかかるだろう。ましてや人工の小川を装備した緑道はお金のかかった贅沢な環境であることを心しよう。
<明日から小旅行のためコラム休みます>
 
2012-07-31@北沢川緑道(東京・世田谷区)

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