これまでの「今日のコラム」(2012年 12月分)

12月1日(土)  <いま根津美術館で開催されている「柴田是真・・・>
いま根津美術館で開催されている「柴田是真の漆工・漆絵・絵画」特別展(案内=ここ、12/16まで)をみて、漆工芸や漆絵についての認識が変わった。柴田是真(1807〜1891)は江戸末期から明治中期に活躍した漆工家。漆工芸というと私などは何も知らず伝統を継承する古く保守的な工芸と偏見を持っていたが、是真を見ながらその新鮮さに感動しっぱなしだった。是真は蒔絵(漆で文様を描きその上に金銀粉などを付着させて磨く)にしても下絵から蒔絵までの制作過程を全て自ら一貫して行うことによって独自の個性を発揮している。実に細密な絵画の中に表現される洒脱でウィットに富んだデザインセンスは現代のモダンアート以上に刺激的。随所にユーモアとか遊びもみられて、是真の作品に接していると自分の陶芸や絵画でアイデイアが不足しているなどと甘ったれたことは言えなくなる。それにしても是真のような芸術の巨人が日本では余り評価されず、海外での高い評価の末に日本で再評価されるというお決まりの道をたどったところが何ともお粗末。いつの時代でも官製の美術史(更に官製の模範解答)を信用し過ぎてはならない・・。
根津美術館では庭園の紅葉がいま真っ盛り。是真と紅葉、是非お奨めです。
 
 
2012-12-0@根津美術館(東京・港区南青山)の庭園にて

12月2日(日)  <息子の月命日で墓参り・・・>
息子の月命日で墓参りをした。毎月墓参をすると季節の移り変わりが面白いほどよく見える。今日の境内は紅葉真っ盛り。お墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)には都の天然記念物に指定されている大きな銀杏(イチョウ)の樹があり、この老木を含めて見事なイチョウの黄葉がみられたが思った以上に他の樹木の紅葉も鮮やかだった。午後はところを移してドビュッシーの生誕150周年を記念したドビュッシー音楽の生演奏を聴いた。ピアノの熱演に続いて、ヴァイオリン・ソナタの演奏もあった。ドビュッシーがこのようなヴァイオリンの曲を作曲したとは知らなかったが、解説ではドビュッシーはこの曲の作曲を最後に世を去ったとある。息子は「奏明」の文字を戒名に頂いたほどヴァイオリンを弾くのが好きだった。このコンサートではドビュッシーのヴァイオリン・ソナタを聴きながら息子がこの曲を演奏するならどんな風に弾いただろうと想像して耳が冴えた。
 
 
2012-12-02@九品仏浄真寺にて

12月3日(月)  <笹子トンネルの崩落事故・・・>
笹子トンネルの崩落事故は他人事とは思えない。昨日、日曜日の朝8時頃に山梨県の中央自動車道・笹子トンネル内で天井崩落事故が発生し、巻き込まれた車に乗っていた人を救助する活動が徹夜で行われたが、何人もの犠牲者が出たという。何しろ重さ1トン以上ある天井板が150枚近く、130メートル以上にわたって崩れ落ちたというから防ぎようがない。実は、丁度2週間前の日曜日、中央自動車道で長野県の安曇野にいったので、朝の9時頃に笹子トンネルの下り車線を通り、帰路は夕方の4時頃に上り車線を通過した。トンネル内の崩落事故が2週間前に起きても何の不思議もない。運命と言ってしまえばそれまでだが、事故に遭遇するか否か、1分いや何秒かの崩落のタイミングで生死が分かれる。今回の大事故でトンネル内にコンクリート製の”吊り天井"構造があることが明らかになったが、トンネル内上部の構造物が開通から”わずか”35年で経年劣化は許されない。老朽化は当然想定内であるべきだから、メンテナンス不良ではこれほどの事故は起きない。重大な基本設計ミスか、そうでなければ大手抜き工事か・・。
今日の写真 (下)は神宮外苑のイチョウ並木。朝8時過ぎ (テニスの前)で人の少ない写真が撮れたが、普段は大勢の人で賑わう。
 
2012-12-03@神宮外苑(東京・新宿区)にて

12月4日(火)  <この冬、東京に雪が降るだろうか・・・>
この冬、東京に雪が降るだろうか。私は関西で育ったので子供の頃にはほとんど雪とは縁がなかった。東京に出てきてから時々は"大雪”を経験しているが、非日常の楽しみのような雪でとても雪に馴染んだとは言えない。それでも雪の不思議さは十分に理解する。「雪は天から送られた手紙である」と言ったのは中谷宇吉郎。中谷宇吉郎(1900〜1962)は世界で初めて人工雪を作ったり数多くの雪の結晶の研究で知られる物理学者だが師匠の寺田寅彦と同じように随筆家でもあり、子供にも分かり易い「雪」の本を著している。私たちの時代には中谷宇吉郎によって雪を知った人は多い(私の友人など中谷の豪華本を今も宝物として保管している。今年は没後50年の記念行事も開催された)。<中谷宇吉郎の「雪」を日本を代表する科学の名著として紹介している松岡正剛のページ=ここ=>
さて、今日の表紙に「正六角形07」として雪の結晶模様の陶芸作品を掲載した。正六角形20枚と正五角形12枚で32面体を制作する予定であることは以前書いた。正六角形の模様としてどうしても欠かせないのが雪の結晶模様。この結晶の形だけで正六角形20枚でもできてしまうほど種類が多い。どれを選ぶか迷うほどでうれしい悲鳴をあげながら、今日掲載したのはその雪の結晶模様第一作。

12月5日(水)  <歌舞伎俳優・中村勘三郎さんが今日・・・>
歌舞伎俳優・中村勘三郎さんが今日(5日)午前2時33分急性呼吸窮迫症候群のため死去。57歳だった。特別な歌舞伎ファンでもない私でも何故にこのような人から先にあの世へ召されるのか天の不条理を覚える。400年の伝統のある歌舞伎の世界で勘三郎さんは伝統の中に埋没するのでなく常に現代の歌舞伎を考えた人であった、・・などと私がコメントできるものではないが、渋谷でのコクーン歌舞伎や新作歌舞伎、ニューヨークでの歌舞伎公演など勘三郎が実行してきた軌跡をみると、単なる伝統芸能の伝承者でなく創造者、挑戦者であったことは確かだろう。社会にとって惜しい人を失ったといくら嘆いても返っては来ない・・。合掌
 
 
2012-12-05@自然教育園にて(東京・港区=ここ

12月6日(木)  <エンゲル係数・・・>
エンゲル係数という言葉をほとんど聞かなくなった。150年以上前にドイツの学者エンゲルが「家計の消費支出に占める飲食費の割合」(=エンゲル係数)が高いほど生活水準が低いという法則を作ったものだから、生活水準の内容まで様変わりしている現代では単純に「エンゲル係数」で豊かさを計ることはできないのだろう。それにしても「食べること」がどんな時代でも最大の関心事なのだと思う。今のテレビ番組を見ていると、とにかく「飲食」をネタにした番組が多い。おいしい店食べ歩き、料理をつくる、身体にいい食事、食のランキング、料理の値段当てなどなど視聴率をかせぐには「食べる」話題が一番であるようだ。超高級料理を若い芸能人らが美味しいとかうまいとかいいながら食べている番組もあるが大勢の視聴者はこれを見ながら何を思っているのだろう。芸能人にとってはいくら高級な料理を食べても「エンゲル係数」は低い。エンゲル係数を考えるまでもなく自分はそんな料理には興味がないと言えば貧しいのかなあ・・。
 
2012-12-06@有栖川公園(東京・港区)にて

12月7日(金)  <自分の記憶がよくない・・・>
自分の記憶がよくないことに自信がある。特に都合の悪いこと、嫌なことは直ぐに忘れる。世の中には20年も30年も前に意地悪されたこととか不愉快だったことを執念深く記憶している人がいるが私の場合は余程うれしかったこと以外は忘れてしまう。一種の防衛本能かも知れない。ところが案外に悪いことに限らず良いことでも忘れる。10年も昔に描いた絵をみて初めてこんな絵を描いたこともあるのだと感心したり陶芸で新境地と思って勇んで作ったものが以前作ったものと類似していたり、手を使って制作したものでさえ記憶が定かでない場合がある。表紙に掲載している陶芸作品「正六角形」は全部で20枚の板を制作する過程の一枚であり、このような完成品は模様がみえるが、次々と粘土で制作しているときに乾燥中であったり素焼き中であったりする作品はどんなデザインをしたか忘れそうになる。そこでまだ素焼に出す前の粘土の段階で写真を撮って記録することにした。勿論、原案のデザインは別にあるが制作最中に好き勝手に変更することもあるから、粘土の写真は原案との違い、そして釉薬を掛けた最終完成との違いが分かる面白い資料となる。記憶に残らない分、記録に残そう・・。
2012-12-07陶芸粘土/正六角形No.9-10

12月8日(土)  <スチームクリーナーが故障・・・>
スチームクリーナーが故障して全く蒸気がでなくなったので処分することにした。テレビショッピングでよく宣伝している「シャークスチームモップ」と称する品。故障というと私の担当で一応修理を試みるが分解修理をできる構造でないと判断して捨てることにした。ゴミとしての処分も私の担当。不燃ゴミでまとめて処分すれば手間がかからないのに我ながら正直に”バカ”がつく丁寧さで不燃ゴミと可燃ゴミに分けた。CDやプラスチックゴミは今は十分に燃やすことができる「可燃ゴミ」。クリーナーはほとんどがプラスチックに見えるので接続用のボルトナット、ビスの類を不燃ゴミとして外し、プラスチック部分と不燃の部分(金属類)とに分けたのである。その間、鉄ノコギリでプラスチックを細かく切断までした。結果は全体の90%は可燃ゴミとなった。事のついでに蒸気発生装置(=心臓部でこれは不燃)も分解してみたところ内部にカルキらしき異物がびっしりと詰まっている(下の写真)。ノズルもカルキで塞がれておりこれでは蒸気はでない。遅まきながら、処分する段階で得たスチームクリーナーを使う上での教訓:(1)水道水を使う場合はカルキ除去パウダー(別途に購入できる)を使うこと(1〜3ヶ月に一度)、(2)できれば水道水でなく蒸留水を使う(この方が安価?)
2012-12-08 蒸気発生装置の内部

12月9日(日)  <能なしは 罪も又なし・・・>
「能なしは 罪も又なし 冬籠(ふゆごもり」。小林一茶のこの俳句をそれぞれの人がどう感じるだろうか。”能なしでも罪は多々あり”、であったり、”能ありも又冬ごもり”であったり、”みなが罪を一杯かかえて”いたり、一茶の句に素直に共感するとは限らない。一茶に限らず、自らを「能なし」と称する謙虚な態度は日本の伝統的な感性として存在するようだ。松尾芭蕉の句:「能なしの 眠たし我を 行々子」(行々子はヨシキリのこと、やかましく大声で鳴く)。芭蕉でさえ自らを"能なし”と卑下している。日本には「能なしの口たたき」ということわざがある。つまり「才能がない人ほどしゃべる」とされる。反対に「能ある鷹は爪を隠す」ともいう。日本のこのような謙虚さは世界の中で必ずしも認められない事例を見聞して「文化」の違いは微妙なモノだと感じている昨今。外国では「才能」は黙っていれば伝わらないと承知した方がよさそうだ・・。
今日の表紙に「正六角形08」(陶芸作品)を掲載した。雪の六角形モデルの第二弾。

2012-12-09 @中目黒公園にて(東京・目黒区)

12月10日(月)  <今日、12月10日はアルフレッド・ノーベルが・・・>
今日、12月10日はアルフレッド・ノーベルが亡くなった日(1896年に63歳で亡くなっているから没後116年だ)。この日、スエーデンのストックホルムでノーベル賞の授賞式が開催される。日本時間では今日の深夜(11日0時30分から)の授賞式であるが、今年、iPS細胞に関連してノーベル生理学・医学賞を受賞する山中伸弥さんのストックホルムでの動向が逐一報道されている。私にとってストックホルムの街が懐かしく、またスエーデンという国が好きなのは専ら一人のスエーデン人との付き合いによる。きっかけはエンジニア同志、仕事上での交際が始まりだったが、意気投合してプライベートな親友となった。お互いの家庭の行き来もしたし相手の子供さんたちとも親しくなった。娘さんがオーケストラのメンバーとして来日したときは東京案内もした。気がつくと仕事上の関係がなくなって20年以上の付き合いをしている。スエーデン人の感性は案外に日本人と似ているところがある。ラテン系のように陽気ではなく落ち着いた雰囲気。一方で好奇心が強く、ノーベルが発明したダイナマイト以外に多くのスエーデン人の発明をみる。プロペラ、ジッパー、自在スパナ、マッチ、ボールベアリングなど一般にも知られる部品の発明も多い。人口はわずか1000万人足らずの国であることを考えるとそのポテンシャルの高さが分かる。・・山中さんが訪れているストックホルムの街の景色を見ているとまたスエーデンに行きたくなった。
12月11日(火)  <小沢昭一さんが亡くなった・・・>
小沢昭一さんが亡くなった。昭和4年(1929年)生まれで享年83歳。俳優、タレントであった小沢昭一に私が特別関心を持っていたこともないが、たまたま義兄が旧制麻布中学で小沢昭一と同級であったという話を聞いていたので直ぐに義兄の歳を思ってしまった。ちなみに麻布中学ではやはり俳優の仲谷昇や加藤武、フランキー堺なども同級生で実に多士済々というかユニークなメンバーが多かったと義兄が話していた。”芸能人”としての小沢昭一さんには余り縁がなかったが「変哲」という俳号を持つ俳人としての一面は興味深い。<小沢昭一の俳句>を二三引用してみよう;「疲労困ぱいの ぱいの字を引く 秋の暮れ」(こんぱい=困憊/これは書けない!)、「ポストまで 娘の傘の 春時雨」、「病む妻へ 餅を小さく 切りにけり」・・。実に優しい一面が垣間見られる。合掌。
2012-12-11 @目黒川緑道(世田谷区)にて

12月12日(水)  <久しぶりに東京国立近代美術館・・・>
久しぶりに東京国立近代美術館に立ち寄った。いま開館60周年の特別展が開催されているので機会があれば行きたいと思っていた。特別展のタイトルは「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」(案内=ここ、2013-1/14まで)。この美術館には以前から何度も通っているのでどの絵画も懐かしく鑑賞した。明治期に西洋画を習得しようと必死に頑張った日本の洋画先駆者の作品が多いが、一方でパウル・クレーやカンデインスキーなどの名作もある。今回、私が「ぶるっ!」ときたのは、松本俊介の絶筆「建物」(=このサイトに絵の紹介がある)。しばしこの絵に見入ってしまいながら、いま世田谷美術館で開催されている松本俊介展にも是非行かなければとの思いが募る。美術館の前庭に面白い休憩所があると思ったら、これはインドのスタジオ・ムンバイという建築事務所が作った「夏の家」という東屋だった(下の写真右、関連記事=ここ)。美術館に行くと多くの刺激を受ける・・。
 
2012-12-12 @東京国立近代美術館(東京・千代田区)

12月13日(木)  <以前読んだことのある本・・・>
以前読んだことのある本を何かの機会にまたページを開くと別の発見があったり新たな感動を覚えることがある。聖書や仏典などで多くの人がそのような経験をしているのだろう。私が最近どんなときでもページを開くだけでホッとする本は加島祥造著「求めない」<小学館>(前に紹介したことがあるが関連サイト例=ここ、amazonでの購入=ここ、著者は1923年生まれの詩人)。そこには自分が知らなかった別世界がある。短い言葉で、”本当だ!”と思うところを突いている。「求めない・・すると いま持っているものがいきいきとしてくる」、「求めない・・すると 心が広くなる」、「求めない・・すると 時はゆっくり流れはじめる」、「求めない・・すると 求めたときは見えなかったものが見えてくる」、「求めない・・すると 自分の好きなことができるようになる」・・とこんな調子だ。「無欲の勝利」という言葉があるが、世の中に「求めない」人がいることを知るだけでも心休まる・・。
12月14日(金)  <今日の表紙に「茶碗2012-12」・・・>
今日の表紙に「茶碗2012-12」(陶芸作品)を掲載した。このところ陶芸では32面体の完成を目指して正六角形の板を専ら制作してきたが、たまには他のものをと湯飲み茶碗を作った。これは我が家で使うための湯飲み。実用品は時に壊したりして消耗するので緊急に必要とされたものだ。普段、お茶碗はほとんど作らないので初心に返って”手びねり”を楽しんだ。陶芸をやる人はお茶碗ばかり作って何十年という名人も多いが、どんな人でもその人の個性がお茶碗一つに現れるから面白い。出来上がった自分の作品についても、反省すべきところ、注文する箇所を挙げれば際限ないが、思う存分に作ったのでこれはこれ・・。お茶碗一筋でも奥深いことを今更ながら納得する。
今日の写真(下)は冬の日差しを浴びて「ホオヅキ」の色が鮮やかだったので撮影した。花器は昔制作した「正12面体=正五角形12枚」。

2012-12-14

12月15日(土)  <侘(わび)・寂(さび)の美意識・・・>
侘(わび)・寂(さび)の美意識がどのように日本人の心に定着したのか不思議に思えることがある。「利休と織部//茶人たちの好みと見立て」という展覧会でやはりそんな思いがした(畠山記念館/東京港区にて12/16まで開催中、案内=ここ)。例えば、重要文化財に指定されている「伊賀花入 銘:からたち」(写真=ここ)。私もこれが大好きで四方八方からいつまで眺めていても飽きなかったが、このような花器を”面白い”と見立てた昔人の感性に驚く。いわば出来損ないとか貧相で片付けられて捨てられていてもおかしくないものを秀でた「景色」として評価する。それもごく一部の茶人が認めるだけでなく時の最高権力者も侘・寂の茶を楽しんだのだから掛け値なしに「いい」と思ったに違いない。勿論、秀吉が金の茶室を造るとか権力者なりの力を見せることがあったとしても、西欧の王侯貴族がみれば「ウサギ小屋」どころか何とも粗末な趣味だと思われても不思議ではない。完璧な美のみを認めるのでなく崩れたところ(英語でimperfect)にも美があることを発見する感性は自由な発想がなくては育たない。侘・寂の茶人の世界には自由に考え、創造するヒントがありそうだ・・。

 
@畠山記念館2012-12-16
12月16日(日)  <春夏秋冬の四季・・・>
春夏秋冬の四季は日本では当たり前であるが地球上で四季を体験できるのはほんの一部の地域に限られる。日本で四季があることを幸いと思いたい。四季は留まることのない生々流転を実感させてくれる。日本人の「無常観」も意識しなくても移り変わる四季が心情的に影響しているのは確かだろう。特に秋の紅葉が終わり冬の到来を待つ今の季節には「驕れる者久しからず・・」の感覚がぴったりくる。「諸行無常・・、盛者必衰(じょうしゃひっすい)」である。「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」と春の桜に無常を見ることもあれば、「やがて死ぬ けしきも見えず蝉の声」(芭蕉)と夏に詠んだ「無常」の句もある。今日、自然教育園(東京・港区=ここ)の立ち寄ってみると、まだ一部に紅葉は残っているがピークは過ぎて冬支度の雰囲気だ。<下に写真掲載//同じ港区の畠山記念館を昨日に続いて訪問して庭の写真を撮った> 園内を巡りながら植物の枯れゆく姿を見ていると”滅びゆくからこそ美しい”という心情になる。仮に永遠に変わらず元気、元気なんていう姿であると”もう結構”と言いたくなるだろう。植物に限らず、動物でも人間でも同じ・・。
 
2012-12-16@自然教育園にて

12月17日(月)  <朝8時過ぎにテニスの準備・・・>
朝8時過ぎにテニスの準備をして自転車で家を出ようとすると、何と雨が降り始めている。早朝に道路掃除をしたときには雨の兆しはなかった。天気予報では確か午前中は曇りだったはず。一旦部屋に戻りパソコンで天気予報を確認すると雨マークは午後の3時からになっている。それではと再度自転車で外に出てみたが、やはり雨は降り続きそうなのでテニスはあきらめた。予測よりも現実が強い。・・こんな日にはエネルギーが余っているのか思わぬ仕事がはかどる。先ず年末の大掃除を早取りして各部屋の掃除。新しく手に入れたスチームクリーナーに蒸留水を入れて面白半分に片っ端から蒸気で洗浄した。更に小雨の中で落ち葉掃除。それから陶芸作品の調整等々・・。休みなしに動き回っても、まだ余力があったのか自ら夕食造りも買って出た。一日過ぎてみれば、テニスをするより余計に動いたかも知れない。
今日のニュースは昨日行われた参院選挙での自民党圧勝。多くのコメントの中で31歳、小泉進次郎氏の話が秀逸だった。もしこの人物がいなくなれば自民党はまた一挙に衰退するのでないか。更に東京都知事選で猪瀬直樹氏が個人の最多得票記録となる約434万票を獲得して当選したとの報道。恐らくは猪瀬氏はこれまで自分が都知事になると一度も考えたことはないだろう。それでも400万余の人がこの名を書くことになるところに運命の不思議さ面白さを見る。

12月18日(火)  <サギ(鷺)を直ぐ側でじっくりと観察・・・>
サギ(鷺)を直ぐ側でじっくりと観察したのが今日の初体験。これまでサギがこれほど人に馴れているとは知らなかった。陶芸教室からの帰り道、北沢川緑道で白鷺に遭遇。自転車を降りて写真機を構えると、こちらには全く警戒することなく近づいてきたり、小川で餌を獲ったりする。50cmから1mの距離でカメラを向けても動じないのには驚いた。家に帰って調べて分かったのは白鷺にもダイサギ(大鷺)、チュウサギ(中鷺)、コサギ(小鷺)などあるが、今日会ったのは「コサギ」であった。足の指色が黄色いのはコサギの特徴であるという。この鷺に出会った場所から自転車で5分ほど動いた目黒川緑道でまた別の白鷺に出会ったのだから今日はどうかしている。小川の脇に自転車をとめて休んでいると突然白鷺が小川に舞い降りてきたので初めは少し前に見たサギが追いかけてきたと思ったけれど別のサギだった。それでもやはり「コサギ」。胸元や背の部分に細かい羽がありこれも「コサギ」の冬羽の特徴であるようだ。サギも既に冬対応。それにしても都会のサギの住処(すみか)はどこなのだろう。緑道の小川にまで餌を獲りに来るサギたちが何か健気(けなげ)にみえてしようがない。
 
2012-12-18 左=北沢川緑道(東京・世田谷区)にて  右=目黒川緑道にて

12月19日(水)  <将棋の米長邦雄永世棋聖が亡くなった・・・>
将棋の米長邦雄永世棋聖が亡くなった。享年69歳。いま私の真うしろの本棚を見ると米長の本が目に付く。3年前に亡くなった息子は将棋が趣味で米長の本をよく読んでいた。息子の本棚から引き揚げて持ってきた本を私も時々目を通してきた。一冊目のタイトルは「ふたたび運を育てる=ピンチとチャンスは同じもの=」(平成10年版)。表紙のカバーに当時の厚生大臣、小泉純一郎氏が推薦の辞を書いているのが懐かしい。曰く「肩書きを外してからの自分を考えよう」。もう一冊、「人生、惚れてこそ」(平成8年版)。これは羽生善治さんとの対談集だ。米長の言葉はどれもが自分で体験し考えたことを素直に表現して明解だ。一つ引用してみよう:「・・いかなる局面においても”自分が絶対に正しい”と思ってはならない。謙虚でなければならない。どんなに自信があっても、それを絶対と思い込んで発言してはならない」。・・毎度のことながら、まだまだ長生きをして欲しい人に限って先に天に召されるのは何故だ・・と怒りを込めて、合掌。

12月20日(木)  <先日、80歳の数学が趣味という方・・・>
先日、80歳の数学が趣味という方に私の陶芸を見ていただきながら楽しい数学談義の時を過ごした。今、陶芸で私が制作中の正六角形20枚、正五角形12枚を合わせた32面体については、この方に触発されたところがある(陶芸コーナー=ここ=参照)。何しろ多面体でできる種類を全て解析して模型で再現して見せてくれる(正三角形80個、正五角形12個の92面体まで!!)。以前、この方に「天地明察」(冲方丁の小説、江戸時代の天文歴学者渋川春海の物語)を紹介したことがあるが、来宅された時には、この小説の中に出てくる関孝和など和算の達人たちが議論をした設問をみな解いて解説してくれた。80歳という年齢で頭脳が何と若々しく働くことか・・。昔の思いでだけで生きている”お年寄り”とは全く別種のお年寄りには周囲を元気にするエネルギーが発散していた。
今日の写真(下)には陶芸の粘土作品「正六角形No.11,12」を掲載した。今は陶芸教室の窯で素焼き中。
今日の表紙に茶碗2012-12a掲載。


2012-12-20正六角形No.11,12粘土(陶芸制作途中)

12月21日(金)  <今日は冬至・・・>
今日は冬至。冬至というと二十四節季の一つ(第22番目)と説明されるので、24の節季をどれだけ言えるか試してみた。先ずは冬至-夏至。春分-秋分。それから、立春-立夏-立秋-立冬。ここまでは問題なかったが次がでない。しばらくして「啓蟄(けいちつ)」があることを思い出したが、これは漢字が書けなかった。そこで回答を見てしまったが、冬至の次に来る、小寒-大寒、そして、小暑-大暑(たいしょ)は分かってもよかった。それにしても、ここまでで、まだ13しかない。残り11の中には、小雪、大雪、雨水、穀雨など比較的馴染みのある節季もあるが24の節季全てをとても言えるものではない。いずれ脳トレを兼ねて覚えるのも悪くはないと思いながら、今日のところはのんびり柚子湯にでも入ることにする。
12月22日(土)  <今日の表紙に陶芸作品・・・>
今日の表紙に陶芸作品「正六角形No.09」を掲載した。以前から制作を継続している正六角形20枚と正五角形12枚を合わせて「正32面体」(サッカーボールと同じ)とする部品の一つ。全てを異なった模様とするのが楽しみなのだが、今日掲載したのは雪の結晶模様の第三弾となる。雪の結晶模様は4枚までと決めた。自然界で正六角形を形作るものは多く、雪はその代表格。雪の結晶模様だけでも20種類はできてしまうので、あえて他の模様を考えて雪は4種類までとしたのである。これまで陶芸の色づけについて触れなかったので、今回書いておこう。粘土は貫入土という白ベースの土。縁取りなど青い線は粘土に線を付けた後、線の溝部に呉須(ごす)<酸化コバルトが主体の青系下絵の具>をたらし込んだもの。強いブルーの部分は色ガラス(青)の塊を置いて溶かした。この箇所は粘土の段階ではかなり深く削り込み、ガラスの溜まりができるようにした。釉薬としてはガラスを置いた後で、全体に透明釉薬を霧吹きで吹き付けただけ。対角長さが26cm(完成品での寸法、粘度では15%大きい)の正六角形がもう10枚出来上がった(10枚目は追って掲載予定)。

  右は12/24クリスマスバージョン
12月23日(日)  <今日、23日・日曜日は「待降節第4主日」・・・>
今日、23日・日曜日は「待降節第4主日」と呼ばれる。これはキリスト教の信者でもない私が、昨日の夜「グレゴリオ聖歌による待降節第4主日のミサと小コンサート」に行って色々なことを学んだ中の一つだ。昔は「一日は前日の日暮れから始まる」とされていたので昨日、22日の夕刻からのミサでも23日相当になるという。キリストが厩(うまや)で誕生した25日のクリスマスは降誕祭。そしてクリスマスを準備する期間をカトリックでは待降節(たいこうせつ/英語ではAdvent=到来、出現)という。待降節はクリスマスの前、4週間の日曜日毎に第1、第2、第3、第4主日と呼ばれ、クリスマスイブに最も近い日曜日(今日)が「待降節第4主日」である訳だ。グレゴリオ聖歌もまた興味深かった。近年の5線譜ができていない頃(10世紀〜15世紀に発展)、4線の譜面に表された単旋律の聖歌はいかにも清純な宗教的雰囲気を醸し出す。この日のミサとコンサートの副題は「”幼い難民を考える会”のために」とあった。ここには恵まれない人のために献身的に尽くす人たちがいる。このような損得勘定がない人々と接するだけで精神は清められる。非日常の別世界に浸ることができた待降節であった。

12月24日(月)  <クリスマスイブのこの日・・・>
クリスマスイブのこの日、決まってやることが二つある。一つはスエーデンの友人家族にクリスマスのメールを出すこと。以前はクリスマスカードを事前に交換したが、最近はお互いに英文での長文の近況報告などを兼ねたクリスマスの交流をするので一仕事になる。もう一つは夜、教会のクリスマスミサにいくこと。といっても私にとってはまだ3年ほどの経験しかない。キリスト教の信者ではないが拒まれずに今日も非日常の儀式で心洗われた。
「今日の写真」となるとまた俗っぽくなり、教会ミサに行く前に立ち寄った「カレッタ汐留」の「3Dプロジェクションマッピング」を掲載する(下)。最近はやりの建築の壁面に光で映像を作る見せ物だが、期待が大き過ぎたのかやや失望。
表紙の「今日の作品」にはクリスマスバージョンとして陶芸作品の横にガラスの クリスマスツリーを置いた。
 
2012-12-24 @カレッタ汐留(東京・港区)

12月25日(火)  <シュトレンの 風味がうれしい・・・>
「シュトレンの 風味がうれしい クリスマス」(T)。シュトレン(Stollen)はご存じ、ドイツの菓子パン。このクリスマス用に知人からお手製のシュトレンをいただいた。ドイツではこのお菓子をクリスマスを待つ待降節(アドベント)の間に少しずつスライスして食べる習慣があるそうだ。毎回スライスして風味の変化を味わいながらクリスマス当日を待つという。私は何も知らなかったのでクリスマス当日の今日まで大切に保管してクリスマスになって初めていただくこととなった。クリスマスといっても特別な食事をしなくなって久しいが、今日は美味しいシュトレンのお陰でちょっぴりクリスマスの気分だ。「シュトレンを 妻と分けあう クリスマス」(T)。
 
2012-12-25  シュトレンを皿に

12月26日(水)  <多摩市まで展覧会を見に・・・>
多摩市まで展覧会を見に出かけた。多摩美術大学美術館で開催されている「モノミナヒカル展=佐藤慶次郎の震動するオブジェ=」(案内=ここ、2013-1/14まで)。佐藤慶次郎(1927〜2009)は慶應の医学部を卒業しながら、作曲家、現代音楽家、かつ前衛芸術家として活躍したユニークな人物。「磁場や磁石が生む振動を利用したオブジェ」といわれると私の趣味と一致するので何が何でも見ておきたかった。実際に多彩な動くオブジェに接して色々な面で啓発された。特に今回の展示方法についてはまだ改善の余地があるように思えた。動くオブジェの仕掛けをことさら見せるような電気コードなどが露出しているのはいただけない。動きが面白いだけでは”それがどうした・・”となる。作者が表現しようとした動きによる「美」あるいは「精神性」が見せられなければ飽きる。「仕掛けモノ」を作る自分としても精神性が表現できなければ仕掛けに興味がない人にとっては全く無意味なガラクタになりかねないと反省させられた。・・ところで会場のある多摩センター駅(東京・多摩地区)周辺にははじめて行ったが、余りに立派な施設が林立しているので驚いた。今日の写真は駅周辺のサンリオ・ピューロランド(下左)とパルテノン多摩への道(下右)。
 
2012-12-26 @多摩センター駅周辺

12月27日(木)  <文字を書く機会・・・>
文字を書く機会がなくなった。特に他人に自分の字を見せることは非常に希になった。この時期、年賀状に一言直筆で書いていると、我ながらもう少しマシな文字が書けたらいいのにと思う。文字は個性といいながら味のある個性が欲しい。空海や良寛などの達筆が貴重な宝であるのは別格として近年の夏目漱石や芥川龍之介などが書いた原稿も個性と小説を如何に創作したかを見せてくれる。最近は小説家でも大抵ワープロ(パソコン)を使うようだけれども漢字を忘れてしまわないのだろうかと余計な心配をする。年賀状の慣習はまだ「書くこと」を思い出させてくれた。これが新年メール交換だけになると果たしてどうなるのか。この際、新年を期して「書き取り」でも始めるかと思いつつ・・。
「今日の写真」は恵比寿ガーデンプレイスでの夜景。ニコンD200カメラにはかなり馴れてきたが夜間の撮影がうまくいかないので練習のためあえて暗くなってから撮影したもの(もう一息シャープさが欲しい)。
 
2012-12-27  @恵比寿ガーデンプレイスにて

12月28日(金)  <”今年最後”が続く・・・>
”今年最後”が続く今の時期。昨日は今年最後のテニス、今日は今年最後の陶芸、今年最後の自転車掃除などもやったが来年もできることであれば特別の感傷に浸ることもない。それが「今年」を除いた「最後の」となると話が違う。”最後の年末庭掃除"となるかも知れないと思いながら庭の掃除をするのは感一入。来年末にはこの庭もこの家もないかも知れぬ。・・「今日の表紙」に「正六角形No.10」(陶芸作品)を掲載した。このような陶芸作品もこのもの<形状、模様、色合い>は”最後”であるから意味がある。二つとして同じものができないところが面白い。一方で、最後と言うことは次が新しくなることになる。この正六角形の板よりも更に工夫された唯一の正六角形ができる可能性がある。・・今日、大リーグで活躍した松井秀喜がニューヨークで記者会見を開き現役引退を発表した。現役最後の場で自らの野球人生を語った松井にはこれから新たな道が拓けるだろう。・・どのような「最後」の先にも新世界があると考えたい。
  2012-12-28@目黒川緑道にて

12月29日(土)  <ボルシチパーテイー・・・>
ボルシチパーテイーで楽しい時を過ごした。妻が「ボルシチ」を作って親しい親戚をご招待したのだが日頃我が家でボルシチをいただいたことはほとんどないので心配したが大成功だった。ボルシチはビートとタマネギ、ニンジン、牛肉などをじっくり煮込んで作る具だくさんのスープ。ロシア料理の代表のように言われるが元来はウクライナの伝統的な料理とか。ビート(テーブルビート)の色素によってスープが鮮やかな深紅色となるのが特徴。紅色の上に真っ白なサワークリームが乗る彩りもよい。パーテイーでは女性軍がサワークリームのことを「スメタナ」とも呼ぶことについて盛り上がっていた。Wikipediaによるとスメタナは「東欧など原産の発酵乳の一種。一般にサワークリームのこと」とある(人名ならチェコの作曲家だ)。またヨーグルトの水気を切ったものをスメタナという地方もあるようだ。インターネットでボルシチのレシピを調べると色々な流儀が紹介されていて迷うほどだったと妻はいう。ボルシチはウクライナやロシアその他東欧諸国で数えきらない多くのバリエーションがあるからボルシチと言っても幅が広い。とにかくも我が家流ボルシチを美味しくいただけたことに感謝。
12月30日(日)  <「消せるボールペン」・・・>
「消せるボールペン」を年末押し迫った今日購入した。来年はこの「消せるボールペン」の三色をフル活用して手帳や日記に書き込みをするつもりだ。このボールペンは知る人ぞ知る筆記具メーカー・パイロットCo.のヒット商品だが私は初めて使用する。65℃以上の温度になると色が消える特別の「フリクションインク」を使用しているので専用のラバーでこすると摩擦熱によって色が消える。温度変化で無色になるから消しカスもなく何度も繰り返して書き直しもできる。こうした機能が実用的に面白いのは確かだが、私は”なぜフリクションインキは消えるのか”(3種類の成分を組み合わせて一定温度以上で消える仕組みを作り上げた)とか”いかにして開発されたか”が興味深い<パイロットのサイトで詳細の性能や開発への道のりを見ることができる=ここ、他にプレジデントの記事が面白い=ここ)>。現在、日本を初め世界の100ヵ国以上で販売されている「消せるボールペン」が開発当初、日本より先にヨーロッパ、特にフランスでヒットしたという。優れた文房具が日本では売れずに直ぐ側の店頭で眠っていることがある・・。
2012-12-30 陶芸にて粘土乾燥中No.13,14

12月31日(月)  <「Wii fit」の”からだ測定”・・・>
「Wii fit」の”からだ測定”が700日を越えた。任天堂の健康管理用ソフト「Wii fit」には「バランスWii ボード」と呼ばれるボードがついており、「からだ測定」ではそのボードに乗って体重を計測すると肥満度の指数となるBMI値(BodyMass Index)をグラフで示してくれる。体重測定に続いてランダムに選ばれた二種類の運動とバランスのテスト(反射神経とか片足立、判断力テストなど)が行われて”バランス年齢”が判定される。私は他の「トレーニング」プログラムはたまにしかやらないが、この「からだ測定」だけは毎日実施する。ちなみに昨夜のバランス年齢は20歳で実年齢よりマイナス51歳ですと褒められた。時にはマイナス20歳となることもあるので相当年齢で一喜一憂するような精度ではない。1年後の年末には「からだ測定」が果たして1000日を越して続けているだろうかと思いつつ、年が暮れる。
みなさま、よいお年をお迎え下さい!!<年末年始特別更新時間としました>
2012-12-31@中目黒公園
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