これまでの「今日のコラム」(2013年 03月分)

3月7日(木) <コラム再開・・・>
コラム再開。非日常を体験すると普段は当たり前と思っていることに深い意味を感じることがある。今回はわずかな期間日常を離れただけで、今ここに生きていることが幸せで有難い気持ちになった。個々の人間の一生なんて人類の長大な歴史と比べるとほとんど瞬時に等しい。その中で、この地球という奇跡の星に生を受けて人類が長い期間に造り上げた文明の恩恵をいま最大限享受できているのは幸運としか言いようがない。大勢の人を地球上のどこにでも安全に移動させられるジェット機にしても驚嘆すべき技術の成果だ。人類の歴史遺産を王侯貴族でない私たち一般人が目の当たりにできる幸せ、3食おいしい食事をいただける幸せ・・。何より身の回りを善意の人々に囲まれている幸運・・。こんなことを考えながら、感謝、感謝と念仏のように唱えていると何か心身にエネルギーが充電されたような気になった。さあ、心機一転創作に励もう・・。
「今日の写真」にはこれから総組立を開始する陶芸作品「32面体」の正六角形素材No.19を掲載した。


3月8日(金) <早咲きの河津桜が満開・・・>
早咲きの河津桜が満開、白木蓮の蕾はほころび始めている。そうかと思えば梅は梅でまだまだ頑張って咲き続けている。桜の開花が早いの遅いのと言ってもほんのわずかな季節のズレで春は確実に訪れる。今年も春を迎えるにあたって昨年よりも進化したことがあるだろうかとは問わぬ。小林一茶の句にこんなのがあった:「梅咲いて 身のおろかさの 同じなり」。一茶も”おろかさ”を自覚しながら前向きに進んだのであろう。自然の確実でズレることのない法則を「自然の摂理」という言い方をするが、”偉大な神の力”を連想して「摂理」と表現した先人の考え方がよく理解できる。春の到来もまた単に地球が太陽の周りを回ることによる四季の変化と片付けられない「自然の摂理」に思える。

 
2013-03-08 河津桜と白木蓮@西郷山公園     梅@菅刈公園<各目黒区・東京>

3月9日(土) <”優越の錯覚”・・・>
”優越の錯覚”という言葉が新聞やインターネットで目に付く。これは放射線医学総合研究所が先の2月26日に行った研究発表に関連している。なんでも従来は認知心理学の分野であった「優越の錯覚」を世界ではじめて脳機能やドーバミンなど分子メカニズムの面から研究して注目されているらしい。そもそも人間には自己の性格や能力を過大評価する傾向があり、心理学的には、自分を平均より優れていると思う錯覚=「優越の錯覚」があるがゆえに自分自身の可能性を信じて前向きな姿勢で行動できるし、「優越の錯覚」を持つことは心の健康に重要な役割を果たと考えられてきた。今回の研究では『脳内のドーパミンと脳活動ネットワークの相互関係が優越の錯覚に影響を与えること」を発見したとされている。その内容をみると(=ここ、YouTube動画=ここ)確かに興味深いアプローチであるが、脳内メカニズムからはほんの入り口に触れた程度に思える。それにしても心理を脳のメカニズムから解明する兆しがあるところがすごい。『優越の錯覚」でいえば「平均よりも22%優れていると自己認識」(今回の計測データ)は私にはテストのやり方からみると当然と思えるし、「優越の錯覚」が大きすぎる人の異常(弊害)をどう解釈するのかなど脳機能以前の問題が気になってしまう。
今日の表紙に陶芸作品「正六角形No.20=32面体素材=」を掲載した。中央部に鉄球を置くと外側に転がるように溝の深さを変えて傾斜を付けているが写真では表しきれない。

3月10日(日) <強風と共に東京に中国から黄砂・・・>
強風と共に東京に中国から黄砂来襲かと思ったら違っていた。午後の2時頃に強風と合わせて空全体が薄暗くなりモヤがかかったように視界が悪くなった。丁度その頃外出したら排気ガスのスモッグではなし、雨が降りそうな雲ではなし、これまでに見たことのない茶色がかった気持ちの悪い砂ぼこり。てっきり黄砂だと思っていたら気象庁の発表では地表付近の砂ぼこりなどが巻き上げられて視界が悪くなる「煙霧」であり黄砂とは異なるという。「煙霧」の定義は=ここ=細かく解説されているが、今日の東京では視程(水平方向で見通せる距離)が10km未満(一時は2〜3km)となり、かつ湿度が75 %未満であったので「煙霧」と発表されたのだろう。「煙霧」に関連して調べてみると、、微細な水滴が大気中に浮遊して視界が悪くなる霧と靄(モヤ)については湿度が75%以上で「視程が1km未満のものが霧、1km以上10km未満のものが靄(モヤ)」と区別されるようだ(=ここ)。当たり前で使っている言葉でも気象用語としての差異は知らないことが多い、今日の東京都心では最高気温25℃を越し、1876年に観測を開始以来最も早い夏日となった。天の気は大荒れのご機嫌の後に本格的な春をもたらす・・。

2013-03-10 pm2:00頃、東京・恵比寿GP39階から渋谷・新宿方面=新宿高層ビル街がみえない

3月11日(月) <東日本大震災から2年・・・>
東日本大震災から2年、3月11日は忘れられない日。今日は地震が発生した午後2時46分に外出先で1分間の黙祷をした。この日のことをただ忘れないでいるとか、犠牲になられた方々に”ご冥福をお祈りします”と念じるだけでいいのかと自問しながらも何ができるものではない。何ごとでも口先で言うだけでは意味がない、評論家でなく実行者であれと言い聞かせるが、具体的な行動を起こすことは容易ではない。それでも、被災者のためにあれができないか、こうしようか・・、と妻といまだに話すことが続いているのも確か。援助に期限なし、充分もなし。身の程のことしかできぬが密やかに被災者のためになることを実行することを諦めてはいない・・。

3月12日(火) <陶芸作品32面体の組立を開始・・・>
陶芸作品32面体の組立を開始した。素材の正六角形20枚と正五角形12枚は既に陶芸教室の窯で焼成済なので組立仕事は全て家での作業となる。32面体を自分で組立・制作するのは初めて。試行錯誤しながら先ず「今日の作品」として表紙に掲載した「32面体組立ブロックA」を組んだ。これと同じように正五角形の周りに正六角形を5枚をつないだブロックを合計4セット作ることにより正六角形20枚+正五角形4枚を使用する。4つのブロックをつなぐために正五角形8枚を間に入れると32面体が完成するはずだ。組立を始めると一気に完成できると思っていたが意外に時間がかかりそう。完成品は直径600mmの球程度の大きさになるので接続にもより強度が必要と分かり、当初計画していた接続部品を別のタイプに変更したり現物合わせで臨機応変に組み方を変えている。ここまできて焦ることもない。一歩一歩進む過程を楽しんでいる。
今日の写真として表紙に掲載したブロックAを裏から見た写真を掲載する。
2013-03-12 陶芸・ブロックAの裏面

3月13日(水) <東京都心で最大瞬間風速27.4m/s ・・・>
東京都心で最大瞬間風速27.4m/sを観測したと言う今日の昼前、自転車で渋谷まででかけた。今日の強風はただごとはなく身の危険を感じるほどだった。道路脇に停めてある自転車はひっくり返っているし、何が飛んでくるか分からない。少しでも風の抵抗を少なくするように身をかがめて必死に自転車をこいだ。ビル風で風速が倍加している場所では信号待ちをしているときに倒されないように前後のブレーキを強く握りしめていた。レインボーブリッジは強風のため閉鎖、電車もかなりの運休がでたようだ。このような日には決して自転車で外出するものではない・・が今日、体験して得た教訓。
「今日の写真」として、表紙の陶芸作品「ブロックA」に続く「ブロックB」を組み上げたので、A,Bを並べた写真を掲載した。
2013-03-13、32面体制作途中

3月14日(木) <バチカンのシスティーナ礼拝堂の煙突から ・・・>
バチカンのシスティーナ礼拝堂の煙突から白い煙が上がり新しいローマ法王が選ばれたことを告げた。日本時間、今日の午前3時過ぎのこと。コンクラーベ(=ラテン語で”鍵がかかった”の意)と呼ばれる法王を選ぶ選挙では投票総数(115名の枢機卿)の三分の二の票を集められなければ「決定せず」を示す黒い煙が焚かれる。5回目の投票で選出された新法王は南米・アルゼンチン出身の76歳。以後「フランチェスコ一世」を名乗る。中南米出身の法王の誕生は史上初めてだ。信徒約12億人を抱えるローマ・カトリックの最高指導者が選出されたと言っても自分とは関係がないとする人も多いだろうが”世界の平和”にとっては決して無視はできない。現代においても宗教は個人の信仰の問題と単純には片付けられない政治的要素をはらむ。イスラム過激派のテロを例に出すまでもなく、特にイスラムの指導者の思想一つで平和が揺らぐ。仏教者も含めて宗教指導者の交流が実現すれば世界は変わるだろうが・・。当面は新法王の行動に注目しよう。
「今日の写真」は久しぶりに訪れた公園の水車小屋。
2013-03-14@鍋島松濤公園(渋谷区)

3月15日(金) <今日のアウトプット ・・・>
今日のアウトプットとして表紙に陶芸作品の「32面体用・組立ブロックA,B,C」を掲載した。この場合「アウトプット」とは「成果とか結果」の意味合いを持つビジネス用語に近い。会社などではとにかくも「アウトプット」を出すことが要求される。営業の成約、売上向上、設計図面や書類の完成、新製品開発、製造行程の進捗などどんな分野でも何か目に見える「成果」がなければ仕事をやったという証明ができない。言うまでもなく「アウトプット」は情報処理の用語としては「出力」。「入力」=「インプット」に対する出口が「出力」で、Input/Output=I/Oがそろって機能を果たす。ビジネス面では「アウトプット」を声だかに叫ぶ割には元になる「インプット」があやふやなケースがよくある。私の場合「今日のアウトプット」は「今日の作品」と同義。ビジネスと決定的に違うのは「アウトプット」を急がないことだ。アウトプットはでなくても熟成期間が長い方が結果的にはいいものができる。またアウトプットと無関係に思える読書とか美術鑑賞が”よき肥やし”になる事は多い。やはり「今日のアウトプット」の言葉を使うことは今後なしにしよう。アウトプットと言うほどでないささやかな「作品」が掲載できるだけで十分だ・・。
「今日の写真」は「白木蓮」( 1週間前に撮影したのと同じ木)と「椿」。
  2013-03-15 @西郷山公園(東京・目黒区)

3月16日(土) <今日から東急東横線渋谷駅が地下駅に ・・・>
今日から東急東横線渋谷駅が地下駅に変わった。夜中の1時に終電車が通過して今朝5時の始発電車が出発するまでの4時間の間に地下駅への線路に切り替える工事が予定通り完璧に行われた。代官山駅から渋谷駅へは従来山手線の上をまたぐ高架線であったが、この地下を事前に掘り進め線路を架設しておいて今日の切替時に一挙に地下化する技術はいつもながらすばらしい。ちなみに代官山-渋谷間の地下鉄道は渋谷川の下を通り、新渋谷駅ではホームは地下5階。こうして東京メトロ副都心線との相互直通運転が今日から開始された。更に路線で見れば東横線-副都心線の直通運転の他、みなとみらい線、西武池袋線、東武東上線までが路線として結ばれたことになる。昨日までの東急東横線渋谷駅をはじめデパートなど全て解体されて渋谷駅周辺は大規模な再開発に入る。15年先の再開発計画まで示されているが、その頃私は果たしてどこにいるか、墓の中かなどとふと思う。
今日は墓参の後、早速に代官山駅、新渋谷駅を通った。この日の記念にと撮影した写真を下に掲載:
 
2013-03-16@九品仏浄真寺(世田谷区)にて     代官山駅にて、渋谷方面この先地下にもぐる
 

渋谷駅にて、地下鉄フロアが見下せる<安藤忠雄設計>  東横線新渋谷駅案内、拡大=ここ
3月17日(日) <東京都心で桜が開花 ・・・>
東京都心で桜が開花した。靖国神社のソメイヨシノ(標本木)を基準とする気象庁の開花宣言は昨日16日で、60年前に統計を開始して以降、2002年と並ぶ最も早い記録であるという。平年より開花は10日早いとか、少々のバラツキはあるにしても確実に春が来て桜が咲く。こんな以前なら気にもしなかった当たり前のことが最近は奇跡のように有り難く思える。地球規模というより宇宙規模の精緻なメカニズムや大自然の仕組みを誰が考えつくか・・。中世の昔、キリスト教の神に関連してデカルトやアンセルム、カントなどの哲学者が「神の存在証明」を試みたり分類した中で、ニュートンなど科学者もまた「神の存在証明」にかかわったのは、世界の事物<太陽、星などの運行、動物や植物、更に人間の仕組みなど全て>を知れば知るほど、その余りに精巧かつ壮大な秩序に対して神の他に創造主の説明ができなかったように思える。私は未だに「神の存在証明」を納得はできないけれどの、宇宙や自然の成り立ちに神を見ざるを得なかった心情は理解できる。・・ともかくも今日見た開花早々の桜は真にみずみずしかった。川で潜りに忙しい鴨の写真と一緒に掲載する:
 
2013-03-17 @目黒川河畔にて<東京・中目黒近辺、鴨も同じ>

3月18日(月) <開花したばかりの桜が強風の中でも ・・・>
開花したばかりの桜が強風の中でも決して散ることなく咲き続けているのを見ると多くのヒントを得る。言うまでもなく桜の枝は強い風を受けて大きくしなうから折れない。枝と花は風に逆らわぬように巧みにやり過ごす。柳に風折れなし(& 堅い木は折れる)と同じだ。このような曲がりやすい状態をフレキシビリテイー(=flexibility)があるという。たわむことができる意味で可撓性(かぎょうせい)とも訳されるが一般的に柔軟性、融通性、適応性などにもフレキシビリテイーが使われる。私は常々頭(考え方)にフレキシビリテイーを持たせるように言い聞かせるが、これが容易ではない。自分が学んだり経験したことにこだわると頭が硬くなってしまう。この場合のフレキシビリテイーは風をやり過ごすのでなく頑固なこだわりをなくして柔軟に新しいものを取り入れること。もしかすると自分より相手の意見が正しいかも知れない、自分の考え以上に優れたものがあるかもしれないと、フレキシブルに物事を考えると変革が怖くなくなる・・。
3月19日(火) <電車(山手線)に乗ると今の時期独特の ・・・>
電車(山手線)に乗ると今の時期独特のどぎつい週刊誌の広告が目についた。先ずは週刊朝日の中吊り広告の実物確認を=ここここ。大学合格者のランキングを目玉として今年も恥ずかしげもなくデカデカと宣伝している。朝日新聞(週刊朝日も同系列だ)の偽善性は随所で指摘されるが、日頃のもっともらしい主張と真反対の高校、大学のランク付けを平気で繰り返す。知りたい人がいるからやるというのは口実で週刊誌を売って儲けるため以外に理由は見当たらない。社会に害悪を垂れ流す意味では一昔前の公害企業と同じだ。これが朝日に限らず大手新聞社系列の週刊誌がこぞって同様の扱いをするところが異常と言わざるを得ない。人間の特殊能力や資質を把握しきれない「偏差値」をベースにした現行の入試制度の欠陥を糾弾する姿勢の新聞がどこか一社でもあれば面白いのに・・。今の新聞、マスコミは全く個性のない偏差値でしか人間を評価できない集団に成り下がっていないか・・。

3月20日(水) <32面体の組立がようやく半分 ・・・>
32面体の組立がようやく半分仕上がった。表紙に掲載した写真のように、陶芸で製作した板、正六角形を10枚、正五角形を6枚、計16枚を使用して半分の完成。これと同じ形をもう一つ組立て合体すれば32面体が完成するが、実際には合体させるために”つなぎ”をしなければならないので、同じものをもう一つ作る訳にはいかない。最後にどのような結合をするかが考えどころ。今回、32面体の組立は初めてであるのに加えて、正五角形(以前制作した12面体を転用)と正六角形の辺の長さが若干異なっているので辺を合わせるやり方を何度も試行錯誤した。更にサイズが大きく重量も重いので慎重にゆっくりと組み立てている。つくづく納期のない仕事は楽だと思う。自分が納得するようにやり直しをしたり途中で思いついて接続部に模様を追加して遊ぶなど期限がないからできる。半分完成した形が丁度卵の殻のようにみえて球体が想像できるようになった。桜の満開と合わせて完成させることができれば最高だ・・。


3月21日(木) <百花繚乱 ・・・>
百花繚乱(ひゃっかりょうらん)という。今年は桜の開花が早かったので東京でも7分咲きの桜に加えていろいろな花が同時に咲き乱れ、文字通り「百花撩乱」の趣。梅はまだ元気よく咲いているし白木蓮、辛夷(こぶし)の白い花も残っている。公園では名前が異なる椿が何種類も咲いていた。雪柳の白い花は大波が押し寄せているように華やかに目を引くが、ジンチョウゲ(沈丁花)の手毬状の花は比較的地味だ。しかしながら一般には今の時期を「百花繚乱」とは言わないことに気がついた。春は、「桜の季節」。「桜」が圧倒的に強い。「花見」は何を見に来るか。勿論「桜」。桜が咲けば人が集い、お酒や食事でお金も使う。・・東京・目黒川沿いの桜を見物しながら確かにこのような桜は貴重な財産でもあることを納得した。
 
2013-03-21 梅と椿@中目黒公園(目黒区)  桜は目黒川、桜橋上にて撮影

3月22日(金) <六義園の桜 ・・・>
六義園の桜を見に行った。朝の10時頃までは別の予定を組んでいたがテレビで六義園の桜が紹介されているのを見て急遽今から行こうということになり、直ぐに家を出た。計画性も何もなく申し訳ないような遊び方ではある。六義園では今日から4月7日まで「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」と銘打って夜9時まで開園している。名物のしだれ桜は今が見頃。晴天下での巨大なしだれ桜はやはり迫力がある。以前、このしだれ桜をライトアップで見たことがあるが、これもすばらしかった。昼と夜でそれぞれに違った味わいがある。大勢の人が桜を前にカメラを構える。私も同じことで写真を撮ることに夢中になっていたが、ふとカメラをおいて桜をじっくりと観賞すべきでないかと気がついた。桜の花を味わうには10秒間でも1分間でも自分の目で花を見つめるのがよい。「花見」とは本当に花を見るのでなく仲間と集う楽しみがあることも確かだが、真っ盛りの花をじっと見つめていると花は元気を与えてくれる。<六義園解説=ここ
 
2013-03-22@六義園、 名物のしだれ桜(大画面=ここ)  庭園内藤代峠よりの展望
 
木瓜(ぼけ)の花と海棠(かいどう)のつぼみ     (右)=池の動物

3月23日(土) <日本で「介護」という言葉 ・・・>
日本で「介護」という言葉が使用されるようになったのは比較的最近であるようだ。法令の言葉としては明治の半ばに恩給に関連した概念としてはじめて使用されたが、介護保証とか介護人が制度として生まれたのは30〜40年前。最近つくづく感じるのは「介護」の実態は元より介護の概念は30年前と激変していること。施設や自治体の制度は今も毎年のように変化している。一昔前の介護の常識は通用しない。昔は介護というと何か負い目があったり”まともな人”は介護を受けなくても済むという感覚があった。今は全く異なり、誰でも、どんなお金持ちでも、どんな有名人でも介護を受けるし介護施設を利用する。先日テレビの「徹子の部屋」にゲスト出演した永六輔(79歳)が愉快な話をしていた。東南アジアからきた介護士に「上を向いて歩こう」を歌いながら一緒にリハビリをするように勧められて躊躇していると”この歌を知らないのですか?”と叱られる。医者から介護士には正直に教えてやってほしいと言われたので、今度は”嘘を言ってすまなかった。実はあの歌の歌詞はボクが作った”と言ったところ、介護士は”また嘘を言って・・。永六輔がパーキンソン病と闘病しながら壮絶なリハビリを行っていることは知られているが介護の逸話も暗くならないところがいい。高齢化社会が現実となって誰もが介護を受ける可能性がある。介護を受ける人が明るく感謝の念を持っているケースが一番ホッとさせてくれる。ところで、「介護」を英語で何というか=care。老人介護=elderlycare(care for the elderly) 、介護人=care worker、care giver、介護福祉士=certified care worker(personalcare worker、あるいは単に、care worker)、介護支援専門職=care manager 、ホームヘルパー=home helper 。こうしてみると日本語の「介護」がいかにも大袈裟で重すぎる。ケアやお世話であると格段に気が楽になるのに・・。

3月24日(日) <「32面体完成」(陶芸作品) ・・・>
「32面体完成」(陶芸作品)を例年になく早く満開になった桜と同時期に表紙に掲載することができた。完成してみると約600mmの直径の球体ほどの32面体は結構デカイ。はじめに陶芸で正六角形20枚、正五角形12枚、合計32枚の板を全て異なった模様を付けて焼成。それぞれの角部に2個の接続用の穴を開けておき、陶製の板が完成した後、穴に接続具を通して隣同士の板を結合させて32面体としたものである。接続具には直径2mmの自在ワイヤーを使用し完成時に表にワイヤーが見えないようにするため先端にビーズを接着剤で固定した結合用の部品を製作した。その数、6(6角形)×2×20枚+5(5角形)×2×12枚=360個。それぞれの合わせ面には厚手の両面テープを貼り付けた。その長さ、一辺が約130mm×6×20+130×5×12=23400mm(各辺二重に補強)。正五角形の周辺をアクリル棒で隙間調整、棒の数=5×12=60,アクリル棒の長さ(約)120mm×60=7200mm。こうしたことを今考えてみると、思ったより結合・組立に時間がかかったこともしようがないのだろう。本当の「完成」までは未だ細かい仕上げが残っているが、先ずは満開の花見に合わせて祝杯をあげたい・・。
「今日の写真」は正にピッタリ満開の桜・桜。

 
2013-03-24 @目黒川沿い(東京・中目黒近辺にて)<拡大画像=ここここ

3月25日(月) <高齢者が自分を変えること ・・・>
高齢者が自分を変えることは案外に難しい。通常、若者は常に変わりながら向上し幅を広げる。ところがある年齢になって自分のわずかな経験を基にして現状維持となる人が多い。特に現状に満足している人は自分を変えられない。周囲から社会から十分に認められた人は変わる必要を感じない。ところが落とし穴がいくつかある。一つは本人が気がつかなくても社会がどんどん変わる。評価基準が変わることもあればパソコンなど技術ベースの道具も激変する。過去に人並みの実績を誇っていてもあっという間に時代遅れとなり、気がつけば置いてきぼり・・。もう一つの落とし穴は加齢。これまでは順調だとしても70歳、80歳になって何も変えなければ体力、知力は衰えるのみ。若い頃以上に生活を変える努力をしなければ現状維持もおぼつかない。「三つ子の魂百まで」というが、”幼い頃の性格は年をとっても変わらない”と単純な”不変”の解釈はしない。3歳の子は何も教えなくても周囲からどんどん吸収し環境に応じて変わっていく。このような「三つ子の魂」つまり適応能力、変わる能力を100歳まででも継続できる人間の凄いところを表現しているとみる。80歳で今春エベレスト登頂に挑戦する三浦雄一郎は「現代の還暦は80歳ですよ」と言った。80歳になって自分の新たな可能性に挑戦する気概を持った人を歓迎したい。
「今日の写真」はまたまた「桜」。
 
2013-03-25 @目黒川沿いにて

3月26日(火) <「ありがとう」の一言 ・・・>
「ありがとう」の一言で人は苦労が一気に吹き飛んだり、またやる気になったりする。「ありがとう」はできるだけ頻繁に使うに限る。ところが、例えば親しい身内、夫婦間などで「ありがとう」を交わせないケースが多いのは何故だろうと疑問に思えてきた。考えてみると明治の中頃に生まれた私の父が母に「ありがとう」を言った会話の記憶がない(英語が堪能だったのでThankyou.は言った?)。それでは江戸時代はどうだったか。「有難き幸せ・・」は家来が言う言葉。「かたじけない」とか「済まぬ(今のすみません)」も殿様は決して言うことはない。町人は「ありがとよ」とか「おおきに(有り難し)」と言ったかも知れないが、どうも殿様と奥方の間、旦那と女房の間で感謝を伝える言葉はなかったように見える。このような土壌の中で言葉でない「以心伝心」の文化が発達してしまったのかも知れない。日本人は身内同士(特に目下の人に)軽く感謝を伝える言葉の伝統はなかったが、”有難い”ことに「ありがとう」の言葉は残った。これからの時代、「以心伝心」ではなく「ありがとう」を口に出そう。これほど安上がりで効果絶大な言葉はない。

3月27日(水) <ヒヨドリとの戦い ・・・>
ヒヨドリとの戦いが始まった。今は、庭の苔が美しい。日当たりの悪い共同庭なので苔だけでも育てようと時々雑草をとって苔を優先して育ててきた。今朝気がつくと、この苔がほじくり返されていて見るも無惨。我が家の近辺にはカラスが多いのでてっきりカラスの仕業と思って、先ずは手数をかけて植え直し水やりまでした。しばらくすると、また同じように苔がほじくり返されて側にヒヨドリがいる。これも植え直しをして様子を見ていると今度は間違いなく2羽のヒヨドリが苔を突っついている。三度目の正直でカラスは濡れ衣、ヒヨドリが現行犯であることが判明した。インターネットで調べてみるとヒヨドリが苔の下の虫を食べようとして苔をはぎ取り穴を掘る例は珍しくないようだ。苔庭を保つには防鳥網を張るなど、どこも苦心をしていることを知った。ヒヨドリは繁殖期には果実に加え昆虫類も多く捕捉するとか、柑橘類を庭先に置いておくと直ぐにやってくるとの説明もあった。それではと、ミカンを苔の側に置いておきミカンで満腹にする温情作戦をとったところ、一瞬目を離した隙にまたもヒヨドリが苔をつつき始める。追い払ったが手遅れで苔はまたまた無惨。その後もやられっぱなしで、連敗を続けている。今のところ怒ってみても次なる作戦が思い浮かばない・・。
2012-03-27 ヒヨドリに荒らされた苔(この日3度目の補修前)

3月28日(木) <ホリエモンこと堀江貴文氏 ・・・>
ホリエモンこと堀江貴文氏が1年9ヶ月の服役を経て仮出所した。刑務所では認知症となった受刑者の下の世話などもやりながら服役中に体重を約30kg減量し、66kgのスマートな姿で記者会見に現れた。以下は全く根拠のない私の”動物的なカン”であるが、ライブドアの社長として大活躍していたホリエモン氏は検察に狙いを付けられて餌食にされたと思っている。半分は調子に乗りすぎる若者を懲らしめてやろうという嫉妬心であろう。米国のビルゲイツやザッカーバーグ(フェイスブックの創始者)のような若者を育む土壌が日本にはなく嫉妬に満ちた足の引っ張り合いが目立つ。中でも検察が”正統に”権力を使うと怖い。それでも罪を犯しているのが悪いというのは浅はか。その気になれば誰でも犯罪者にされる。私は早朝近所の道路掃除をするが他人の敷地内のゴミや落ち葉を断りなく処分した罪を追求されれば弁解できない。自動車のわずかな速度違反を摘発されると罪になる。いくら善人であっても検察が罪人にしようと思えばできる。厚生労働省の局長であった村木厚子さんが逮捕・起訴された事件はたまたま検察側の取り調べの不正が露見して村木さんは無罪となったが、罪人にされる可能性は十分にあった。これも”カン”であるが、リクルートの創始者・江副氏もまた検察の餌食とされた部類か。このような人はまだまだいるだろう。報道のみを真実の歴史としてはならない・・。
今日の写真は江戸城の外濠の一つ「真田濠」(四谷・上智大学前)の桜:
 
2013-03-28 @真田濠にて(後ろの建物は聖イグナチオ教会)
 

3月29日(金) <電車の吊り広告でみたシルバー川柳 ・・・>
電車の吊り広告でみたシルバー川柳:『「アーンして」 むかしラブラブ いま介護』。思わず微笑んで覚えてしまった。このところ故あって、ケアマンションとか老人向けのリハビリ施設などを見て回る機会があるが、一昔前の老人ホームのイメージと随分違う。例えば若い男性の介護士さんがお婆さんたちの中で生き生きと働いている姿を見ていると時代が変わったと感じる。高齢者の方はなかなか変わらず、昔からお医者さん好きの高齢者が多いようだ=「体調の 良い日は医者を はしごする」。それでも医者にかかるより何と言ってもお仲間と温泉にでも行って遊ぶ人たちの方が元気だ=「手遅れの 人で混み合う 美人の湯」。・・ここに引用させていただいたのはいずれもシルバー川柳のサイトの作品で比較的面白いものを掲載したが、他の川柳をみていると今の老人医療の課題が随所に表れる。特に医者好き、薬好き・・。例えば、「デザートは昔ケーキで今くすり」など、面白いより薬好きの高齢者の問題が際立つ。シルバー川柳は極力自虐的なものを控えなければ暗く深刻なイメージが先行してしまう。ユーモアを持った前向きの川柳がもっとみたい。

3月30日(土) <今日がNHKテレビの朝の連ドラ最終回 ・・・>
今日がNHKテレビの朝の連ドラ最終回であったようだ。めでたし目出度し。今回の連ドラ(純と愛)ははじめの数回を見たところで耐えきれなくなった。NHKテレビを見ていても朝8時になると他のチャンネルに変えるのが習慣になった。途中で時にドラマを見始めることもあったがやはり直ぐにテレビを消した。これほど生理的に受け付けられないドラマは珍しい。好きではないのは専ら脚本。こんな脚本家を採用したNHKには受信料を払いたくない。可哀相なのはヒロインはじめ俳優さん。俳優さんがいくら頑張って演じたところで脚本が悪いとどうしようもない。この時期、脚本家というと猪瀬東京都知事がツイッターで「アホ脚本家が・・」とつぶやいたことが、自分のことを指しているとして550万円の損害賠償を求めた脚本家がいる(猪瀬氏は名前をだしていない)。この御仁、以前にも同じような訴訟を起こしているとか。批判を「汚名」と勘違いするほど名声を得ているとすればその方が問題だ。脚本家といわれる職業にも色々な人間がいる。劇作家の元祖、シェークスピアを期待するのは土台無理なのだろう・・。
2013-03-30枝垂れ桜@代官山ヒルサイドテラス(東京・渋谷)

3月31日(日) <将棋の「電王線」 ・・・>
将棋の「電王線」で現役のプロ棋士が初めてコンピュータに負けた。いま行われている「電王戦」は現役のプロ棋士5名が世界トップレベルのコンピュータの将棋ソフト5種類と順次5局の対戦をする。先週の一局目はプロ棋士(阿部光瑠四段)が将棋ソフト「習甦(しゅうそ)」に勝ったが、昨日の第二局では将棋ソフト「ponanza(ポナンザ)」に佐藤慎一四段が破れた。今時のコンピュータ将棋に使用されるコンピュータは並みのものではない。この日のソフトでは合計10台のコンピュータを駆使し1秒間に3000万〜4500万(!)の局面を検討して最善の一手を選んだという(ちなみに、4月20日対戦する第5局のGPS将棋ソフトは駒場・東大にある約700台のコンピュータを使用するそうだ)。コンピュータの将棋ソフトの強さは昨年1月に米長邦雄・永世棋聖(2003年に現役引退、昨年12月に69歳で死去)が将棋ソフト「ボンクラーズ」に敗れたことからも十分に予想された展開ではある。それにしてもコンピュータは凄いとみるか。いや、コンピュータ何百台と対等に競い合うプロ棋士の頭脳がすばらしと思いたい。

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu +  Picture + Ceramics  + Gallery +  Corgi +  Ebisu /Daikanyama  +  Special  +  Links