これまでの「今日のコラム」(2013年 05月分)

5月1日(水) <「藝人春秋」(水道橋博士著)を読了・・・>
「藝人春秋」(水道橋博士著)を読了。茂木健一郎が書評で「・・絶対に買って読んだ方がいい。代金だけの見返り、いやその何十倍、何百倍の報いがあるはずだ」と絶賛していた。脳科学者がそこまで薦めるならと、早速、蔦屋書店で購入したのは”博士”のサイン入り本だった。読み終えたところで、確かに定価(1500円+税)以上の満足感は十二分にあった。何と言っても著者・水道橋博士の文章力がベースにあり10数人の有名無名の芸人(あるいはゲスト)の個性の引き出し方に魅了される。”博士”は自身が非常に懐が深く、聞き上手であるようだ。有名人は特に自己中心で他人を認める度量がないケースが多いが、この著者にはどの相手に対しても鋭い批判精神の裏に温かい眼差しがある。著者の人間的な魅力から「藝人」とは最も縁がない私たちも結構勇気をもらったりする箇所も多い。ネット上の藝人春秋特設サイト(=ここ)のインタビューやコメント記事をみるのも面白い。
今日もまた目黒天空公園(東京・目黒区)に行って花の写真を撮った(下)。公園までは時間をかけて妻と ウォーキング。
 
2013-05-01  左より、オキザリス(カタバミ科)、インカカタバミ、ミヤコワスレ、ワスレナグサ

5月2日(木) <今まさに新緑の季節・・・>
今まさに新緑の季節。朝方降った雨が上がり日も射してきてお寺の境内の緑が目映い(まばゆい)。今日は息子の月命日。毎月2日の墓参りは供養と同時に私たち夫婦にとって貴重なリフレッシュの機会として定着した。新緑に囲まれた境内のベンチに座っていると時間の経つのを忘れる。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と江戸時代の俳人は詠んだが、さわやかな風と目に青葉があればそれ以上は望まない。素直に「新緑の風に吹かれて墓参り」であった。雨上がりの空気が気持ちよくて「新緑の墓前で大きく息を吸い」。
 
2013-05-02 @九品仏浄真寺(東京・世田谷)

5月3日(金) <「終わりなき挑戦」のテーマ・・・>
「終わりなき挑戦」のテーマを持っているか。これからの高齢者にはこれが問われそうだ。100点満点がない、模範回答がない、勿論、偏差値や順位とは無縁なテーマでなければならない。人は”1等賞”になると何かその分野を"極めた"錯覚に陥る。1等賞はほとんど意味がない。そんなテーマを見つけるのは年齢に関係ない。事例を挙げよう。米国のグランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん/)は75歳で夫と死別した後、絵を描きはじめ101歳で亡くなるまで1500点余の絵画を残した。20世紀でアメリカでもっとも愛された画家として歴史に名を残している。日本では久木綾子さんは89際で処女作「見残しの塔」の名作を発表して評判になり(前にコラムで取り上げた)その後も続けて新作が続く。書家の篠田桃紅さんは御年100歳で現役だ。世界でも評価され実績もある上でなお新たな創作を続けている篠田桃紅さんの姿は終わりなき”神への挑戦”にみえる(連休が明けたら是非彼女の展覧会を見に行こうと予定をしている)。こうしてみると女性ばかりだ。男性は虚名を博して後消え去るパターンが多いのか。挑戦を始める年齢に制限がないのが救いとみよう・・。
「今日の写真」(下)は陶芸作品[酒器」にコデマリを入れて庭で 撮影した。
2013-05-03

5月4日(土) <富士山が世界遺産に登録・・・>
富士山が世界遺産に登録されそうだとのことで浮かれた報道がある。正式に登録が決定されるのはまだ先だが、「富士山」は世界遺産にならない。「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」の名で文化遺産として登録される見通しだ。文化遺産として登録されるとしても、当初日本国内での選考の段階で自然遺産としては「富士山」が落選した事実をこの際もっと深刻にとらえて真剣に対応をとるべきだろう。以前から富士山はゴミの多い山と酷評されゴミ処理やし尿処理の対策はいまだに確立したとは言えない。自然遺産としての登録が無理ならば文化遺産とする少々強引な作戦が功を奏したとはいえ、富士山を世界の遺産とするにはまだまだやることがある。いうまでもなく世界遺産の国際条約は観光推進のためではなく遺産の保護を目的として保護・保存に関連して様々な義務を伴う。遺産を守り継承する大役を課せられる関係者の責任は重大だ・・。
表紙には「今日の作品」、「mieuへの絵手紙・富士山」(金銀ペンと水彩)を掲載した。これもまた「金と銀」で描こうとしたが今回は水彩を加えた。
  2013-05-04 @菅刈公園(東京・目黒区)の前にて

5月5日(日) <ペンキ塗りとドブ掃除・・・>
ペンキ塗りとドブ掃除をしたこどもの日。それと草取りもしたよ。自分の家でなく他人のところでのボランティア。穏やかな快晴の下で身体を動かして”他人のために働く”のは何より気持ちがよい。最近、樹木の世話や雑草取りをしたり、わずかなスペースの中で土いじりをしていると庭師とか農業に適性が有ったかも知れないと早合点するほど楽しくなる。ゴールデンウイークにはどこにも遠出はしないけれども非日常の開放感を味わいながら動いていると、それだけで気分はゴールデン。・・「今日は何の日」をみると5月5日は小林一茶の誕生日となっている。250年前(1763年=宝暦13年)の今日生まれた一茶の俳句を引用しようと思いながら2万句の中からどれを選ぶか迷う。ここは一つ毛色の変わった句:「君が代は 乞食の家も のぼりかな」(一茶)。
2013-05-05 レモンのつぼみ<草取り場所から持ち帰った>

5月6日(月) <今日も休日・・・>
今日も休日。平日ならばテニスをする月曜日だが今日は一日自分の部屋を大掃除した。掃除といってもホコリを払う掃除でなく不要品を分別して“捨てる”作業がほとんどだ。室内に乱雑に散らばっているのは、いつの日にか使うかも知れないと捨てきれなかったものばかり。改めて見ると不要なゴミである。ついでにパソコンの中をみると、これまたゴミの山。毎日撮影する写真にしても90%は保存する意味がない。身の回りの全てに過剰なモノが溢れている。整理をしながら捨てずに保管することにしたモノでもどれだけ価値があるかを考えると皆ゴミ同然と思えてくる。そういえば最近世間ではきれいに終末を迎えようと生前から自分のアルバムを処分するとか身辺を完璧に整理する高齢者も多いと聞くが、とてもそこまではできない。いくら自分で整理をしたところで、所詮、人間はゴミの山を残して亡くなる。当人もゴミとなって消え去れば後は後の人がやる。生きている間にゴミを創ることを躊躇してはならないと自分にはいい聞かせたい。
「今日の写真」(下)の左はメイフラワー(=5月の花)とも云われる「西洋サンザシ」、右は月見草。
2013-05-06 @中目黒公園(東京・目黒区)

5月7日(火) <「案ずるより産むが易し」・・・>
「案ずるより産むが易し」とは実によくできた喩えだ。余りにポピュラーなので有難味が薄いが非常に説得力がある。本来は実感できないはずの男性でもとてもよく理解できる。一生の重大事、生命に関わる真剣勝負、考えれば際限なく心配になる「出産」を目前にした心情はいかばかりか。それを母親はさらりとやってのける。こんな諺(ことわざ)を思い起こしたのは、夕方陶芸教室から帰ってきて”産むが易し”を実感したからである。午前中、陶芸の新作を創るべきか否かで大いに悩んだ。設計図を描き上げたけれども、今更、特別制作する意味があるか、役に立つか、お金をかけてゴミとなるものを作ってもしようがない、どうせ作るなら別の物に手を付けるべきか・・。珍しく設計図を見せて妻と相談までした結論が、午後陶芸教室に行くこと。その結果、二時間ほどでモノが出来上がってしまった。粘土をこねて無心で制作を始めると机上で考えるよりはるかにスムースに事が運んだ。こんな些細なことでも”取り越し苦労”する自分がおかしいが世の中「事前検討」をやればやるほど否定論がでるのが筋であった。今更であるが、”やるのは今でしょう”と先ず実行しなければならない。「案じるより団子じる」!!
2013-05-07 @目黒川緑道にて

5月8日(水) <展覧会「百の記念・篠田桃紅の墨象」・・・>
展覧会「百の記念・篠田桃紅の墨象」に行った。篠田桃紅さんは1913年3月生まれの百歳で今なお創作活動を続けられている。「墨象」とは水墨抽象画の意味で篠田桃紅が切り開いた新ジャンルである。今回、百歳を記念した展覧会を開催した智美術館(東京・港区、案内=ここ、墨象展は5/26まで、墨象展のpdf=ここ)では他の展覧会(現代陶芸の展示が多い)の時も篠田桃紅の作品が常設されており、智美術館を訪れる際には毎度それを見るのが楽しみだった。今日は新たに40数点の桃紅作品が結集した特別展示をみた。50年ほど前の作品もあるが比較的最近のもの、90歳〜98歳の作品も多く展示されている。どれを見ても年齢による衰えを全く感じさせないシャープな切れ味には驚く。篠田桃紅さんの作品をみながら、どうしてこの人の作品が好きなのか、なぜ安心して気持ちよく受け入れられるのかを考えた。直感的には鋭い造形に加えて、どれも”うるさくない”、”余計なものがない”、”余白がいい”などの要因を思いつくが理屈ではないだろう。篠田桃紅さんの経歴をみて、ニューヨーク(米国)で高い評価を得た後に日本で認められるという”逆輸入型”芸術家であったことを初めて知った。書道を抽象画として昇華させる革新的手法も外国の権威と共にしか日本の村社会に適合しなかったという典型的なパターンだった訳だ。篠田桃紅さんの墨象から久しぶりに多くのインスピレーションを得て何でもいいから描きたくなった。
2013-05-08 智美術館入り口(隣はホテルオークラ)

5月9日(木) <表紙に「mieuへの絵手紙・無題」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙・無題」(金銀ペンと水彩)を掲載したが、これは昨日篠田桃紅の展覧会を見る前に描いた抽象画。金、銀にプラスして他の色を付けたくなって描いた。色の微妙な配置を楽しむ絵としてはスキャナで撮った画質が今一つ原版と違ってしまうけれども、この際原画のデリケートな再現はあきらめる。絵手紙の便りがニューヨークに住む孫娘mieuに届けば現物を見てもらえるだろう。昨日たまたま44年前、mieuの母親(娘)の初めてのひな祭りに撮影した写真がでてきてしばらく見入ってしまった。娘の両親(私たち)、祖父母の他、叔父、叔母、いとこたちなど合計22人の親戚が並んでいる。写真の人たちは祖父母以外今も健在でそれぞれに歩んでいる人生を思うと感無量になった。いまのmieuの周囲にはこれほど多くの親戚がいないのは寂しいが、それ以上に多くの縁のある人をつくることはできると思いたい。
「今日の写真」(下)はサルビアの仲間でチェリーセージ<サルビア・ミクロフィラ>。唇にみえることで、”ホットリップス” とも呼ばれるようだ。
  2013-05-09 @目黒川緑道にて

5月10日(金) <テニスのマドリード・オープンで錦織圭が・・・>
テニスのマドリード・オープンで錦織圭がロジャー・フェデラーを破る大金星を挙げた。31歳とはいえ元世界ランキング1位、数々のテニスの記録を塗り替えるほど圧倒的な強さを誇ったロジャー・フェデラーに世界ランキング16位の錦織が勝ったことは真に大快挙である。通常、サッカーや野球のようなスポーツと異なりテニスのシングルスゲームは大番狂わせは起きにくい。テニスは一つのミスも許されないことはない。一つのセットを失っても残りのセットを勝てばよい。偶然性が少なく数多くのゲームをやるので必ず実力の差が勝負に現れる。ロジャー・フェデラー(1981年スイス生まれ)の戦績を少し見てみよう。世界4大大会=全豪、全仏、全英、全米=の全ての大会で優勝しており、その優勝回数実に17回。この1〜2年は体調不良などで戦績は良くなかったというものの、2012年の全英オープン(ウィンブルトン)では7度目の優勝を果たしている。錦織の健闘はもちろんすばらしいが、一方でフェデラーほどの選手でも年齢による衰えがあるのかと無常観が交錯する。それにしてもマスコミは錦織の快挙をもっともっと大きく報道して欲しい・・。
2013-05-10 東京・目黒区の街中にて

5月11日(土) <Bad money drives out good. ・・・>
Bad money drives out good. 「悪貨は良貨を駆逐する」は16世紀中頃イギリスのグレシャムが唱えたのでグレシャムの法則と云われるのはご存じの通り。今は「悪がはびこると善が滅びる」のたとえにもなる。人間社会では何でもをただ流れに任せる、自然の成り行きがよい、悪いようにはならないだろうと言った楽観論は非常に危険である。極端に言うと地球上に70億もの人がいる中でお人好しの日本人1億人が消えたところで人間は地球上に当たり前で生存を続ける。消えずに生き残るためには日々戦うことも必要となる。・・何がいいたいのか・・。自然界には善悪がないので、ただ強者、適者が生き残る。アマゾンの強力な魚や亀が日本の川に増殖すると在来種の魚たちは絶滅しかねない。人間の手が入らない草木は常に自然とのバランスでのみ生き残る。他と共生できる場合はもあるが、生命力の強い植物が他を枯らしてしまうことも多い。・・「今日の写真」(下)に掲載した「カランコエ」(紅弁慶)は驚くほど生命力が強い。余り世話をしないのに寒い頃から花が咲き今も鉢一杯に花を咲かせている。葉が多肉質で乾燥に強いから、水をやらなくても花が続いたのだろう。この品種は原産がマダガスカルで、いかにもアフリカ的というか可憐さとはほど遠い。自然界の強力な動植物をみると、一方の弱い種の”絶滅”が仮想ではないことを思い知らされて、つい冒頭のように人間社会と結びつけてしまった。可憐な善人であっても生存し続ける強さを持ちたい・・。
2013-05-11 カランコエ(右)

5月12日(日) <表紙に「mieuへの絵手紙・無題」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙・無題」(金銀ペンと色インク)を掲載した。”ハガキ和紙”を使用して「にじみ」の面白さを狙ったが表にはそれほどにじみを出せなかった。けれども中央の三色の裏側には裏打ちをしなければハガキの住所、文章が書けないほど大きくにじみが表れてしまった。四角の三色は”irosizuku”という水性インクで左から「山葡萄(やまぶどう)」、「松露(しょうろ)」、「露草(つゆくさ)」の名が付いている。先日(5/8)に見た篠田桃紅の展覧会に関連して、アメリカ(ニューヨーク)で成功した彼女が日本で仕事をすることにした理由の一つが、日本の「湿度」が「書」にはより適しているからとの記載を目にした、和紙に筆で書を書くときにニューヨークでは空気が乾燥しているため湿度の高い日本とにじみ加減が違ってくるという話だった。書家、水墨画家はそこまで微細な表情に心を配るのかと感動したものだ。百歳の大桃紅先生に刺激を受けて、今回の「無題」だけで終わらせずに更にハガキ和紙を使って「にじみ」を追求してみたい。
  2013-05-12 @緑道にて(東京・目黒区)

5月13日(月) <「ほころび」の漢字は「綻び」・・・>
「ほころび」の漢字は「綻び」。では何故「糸が定まる」が「ほころび」になるのか、意味からみると逆ではないのか。・・これは今朝、我が家で議論になったこと(こんな話題は家内安泰ですかね)。少し調べてみた。「綻び」は縫い目がほどける・合わせ目が開く(ほころびる)こと、あるいはその部分の意味のほか、平安時代などの絹を縫い合わせた帳(とばり=几帳)の下部で(最初から意図的に)縫い合わせていない部分のこともいう。つまり「綻び」は単に”壊れる”とか”悪くなる”だけの意味合いではないようだ。「花の蕾がほころぶ」とか「顔がほころぶ」などの用法もある。また「綻」は「破綻(はたん)」の「たん」であり、この場合あえて「破れた」「綻び」とつなげている。こんなことから何となく「ほころび」は”固まったものが柔らかく変化する”状況で、締め付けから解放されて本来の「糸に定まる」であってもかまわない気もしないではない。こうした自己解釈で「綻び」の漢字を記憶することになった。
 
2013-05-13@北沢川緑道にて/いつも花のアップばかりを掲載するので水の景色をいれた

5月14日(火) <「日々新た」を心がけたい・・・>
「日々新た」を心がけたいと常々思う。けれども容易ではない。「日々是新」は中国古代殷の時代(紀元前16世紀)、名君と言われた湯王(とうおう)が洗面台に刻み付け日々の自戒の言葉とした故事で知られる。一昔前の日本の優れた経営者、松下幸之助さん、土光敏夫さんたちはこぞって自らのモットーとしてこの言葉を公言していた。最近、高齢者こそ「日々新た」を実践すべきとの思いが強い。毎日を”惰性”だけで動く習性を破るには”日々新た”の気概で何かを発見することが望ましい。それでは今日の「新た」は何だったかを自問する・・。今日は久々に訪れた自然教育園(サイト=ここ)でカルガモの子どもを初めて身近に見た(下の写真)。そこまではよかったが、教育園のスタッフと話をすると一週間前(6日)には雛が11羽いたのが12日には8羽に減り今は5羽しかいないとか。その間、青鷺が雛をくわえて飛び去るのが目撃されているという。この教育園はカラスのねぐらでもあるから常時カラスにも狙われているのだろう。カルガモの親が一生懸命に小ガモのあとを追っている姿が何とも痛々しく見えた。<15日は小旅行のためコラム休みます>
 
2013-05-14@自然教育園      右写真はフタリシズカ(二人静) + チョウジソウ(丁字草)
 
エゴノキ + マルバウツギ(丸葉空木)

5月16日(木) <御前崎に一泊・・・>
御前崎に一泊して静岡県内をドライブで巡った。御前崎は南に遠州灘、東に駿河湾を臨む岬で夕日が美しい浜岡砂丘と共に浜岡原発のある場所としても知られる。今回もホテルで浜岡原発のメンテナンスを行うために来日している数人の米国人エンジニアと一緒になった。清水港〜三保の松原(羽衣の松)〜日本平〜静岡市美術館などドライブしながら訪れた中で、ここでは「いちご摘み」のことを書こう。掛川市にある「赤ずきんちゃんのおもしろ農園」といういちご農園で「いちご摘み」をしたのであるが、この農園の広さが想像を超えていた。いちごハウスだけで2.2ha、農園の総面積はテニスコート130面相当とある(農園のサイト=ここ)。実は私は「いちご摘み」初体験。子どもと一緒でもなく、いい歳をした年寄りたちがもぎたての苺を嬉々として食べている姿は笑えたかもしれない。農園内を歩くだけで快適な運動にもなり「いちご摘み」がすっかり気に入った。
 
2013-05-16                    @三保の松原
 
@おもしろ農園

5月17日(金) <花にも可憐とはほど遠い・・・>
花にも可憐とはほど遠い個性の花がある。散歩のついでに「今日の写真」にしようと思って公園内の可愛らしい花々を撮影した。そのあと公園の外に出たところで、突然釣り鐘が何十個もぶら下がったような巨大な花が目についた。見るからに毒々しい花の名前は分からなかったが、このユニークな花を「今日の写真」とすることに決めた。好みではないが強烈な個性の勝ち。家で名前を調べると「ジギタリス」だった。別名(和名)「狐の手袋」、英名「Digitalis」。コンピュータなどで使う「デジタル」と同じラテン語の「指(digitus)」が語源で花の形が指サックに似ているところから名付けられた。西洋では不吉なイメージがある植物で「魔女の指ぬき」とか「血の付いた男の指」と呼ばれる地域もあるとの解説もあった。何より「ジギタリス」には猛毒があるので取り扱いには注意が肝要という(Wikipedia解説=ここ)。植物の個性は善し悪しではなく命そのものであろう。人間の個性もまた多様な面白さを醸し出す。そういえばテレビで見る芸能人の中にも清楚な美しさとはほど遠く毒を含んで危険だけれども独特の個性と存在感を持った「ジギタリス」型の人間がいる・・。
 
2013-05-17 @中目黒公園にて(東京・目黒区)

5月18日(土) <「想定外」という言葉があるが・・・>
「想定外」という言葉があるが想定もしていない場合は「成り行き」なのだろうか。表紙に掲載した「今日の作品」、「mieuへの絵手紙・NYと太陽のにらめっこ」は正に成り行き作品。NewYorkに住む孫娘、mieuちゃんへ何か絵手紙(絵)を描こうと思ったが構想が浮かばない。アイデイアがないままに先ずは北米大陸を描いてみた。地図ではお馴染みだが細かく自分で描き写したのは初めてだ。いくつもの半島や入り江、国境線などを納得しながら楽しく描き終えたが、絵手紙としては物足りない。NYはどこかなと黒点を入れて絵を眺めている内に。NYが目玉、フロリダ半島が鼻の顔に見えて「太陽とのにらめっこ」ができあがった。この絵手紙はともかくとして私の場合「成り行き」が必ずしも悪いとは云えない。陶芸作品でもはじめから綿密な計画を立てた場合よりも、その場の成り行きで制作した方が結果として気に入った作品となることが多々ある。アイデイアがなければ先ず手を動かすことを今回も学んだ。

5月19日(日) <他人のあら探しは好まない・・・>
他人のあら探しは好まないし、テレビ番組の批評をしても始まらないと思いつつ、今朝の「健康カプセル・ゲンキの時間」(朝7時から、TBS-TV)が余りにひどかったので一言。この番組、日曜日の朝によく見るが今回の内容が最低だった。今日のテーマは「胃ガンの元凶ともなるピロリ菌を除去しましょう」ということか(テーマ自体も飛躍している)。事例として体調が悪かったピロリ菌保有者に対して除菌を行い除菌が完了した後にこんなに大きく体調が改善したでしょうと説明する。この際、ピロリ菌保有者は除菌と同時に生活改善を徹底的に行った。この被験者の元の生活習慣が余りにデタラメだった。暴飲暴食(タバコも何十本も吸う)、栄養バランスなど考えない食事など。これを禁酒・禁煙、食生活改善など生活全般を改善して、除菌を行った結果が体調改善したと言う。これは誰が見ても生活習慣を改善するだけで体調はよくなる。ピロリ菌と結びついた証明は何もない。素人考えであるが胃がんとピロリ菌の因果関係はゼロではないとしても”元凶”というほど強くはないのでないか(日本のピロリ菌保有者3500万人のうち胃がん発症0.5% by 日経新聞)。癌の要因は多くの因子が絡み合って十分に解明されていない。分からないことをさも分かったように解説するとまた直ぐにくつがえる学説が横行する。

5月20日(月) <世界一流の芸を・・・>
世界一流の芸をインターネット(YouTubeほか)を使っていとも簡単に見ることができる。今日もこんな時代の恩恵に感謝しながら技に酔った。「芸」とか「技」といっても数々あるが今日の「芸」はこれまで私は見たことも聞いたこともなかった「バランス芸」。演じるのは日本人のSHIDAMiyakoさん(舞踏家。総合アーテイスト?)。内容を説明するよりこの美しい神業を見て欲しい=ここ、または(ロシア版)=ここ。世界中の舞台で活躍する日本人は多い。ただし日本のマスコミが取り上げないと名前は知られない。日本というローカルな新聞・テレビを信用し過ぎてはならないことまで示唆してくれた「技」であった。
「今日表紙」には陶芸作品「マグカップA」を掲載した。私にしては珍しく実用的なカップ。日常使っていたコーヒーカップを壊してしまったので少々大きめのマグカップを新しく作った。轆轤(ろくろ)は使用せずに手捻り(てびねり)による。


5月21日(火) <変わることと変わらぬこと・・・>
変わることと変わらぬことのバランスをいつも考えさせられる。私は行動にしろ考え方にしろ常にフレキシビリティ(可撓性、融通性といった意味)を持たなければならないと思っている。今現在のやり方や考えが唯一正しいことではないかも知れないとして、変わることを怖れてはならない。特に高齢者はその人の極めて狭い経験の中で自分のやり方や考えに固執するので要注意。「変わる」ことは人格の否定でも何でもない、進化であると自分には言い聞かせる。一方で、簡単に変えてはならない「習慣」がある。”継続は力”であるのは間違いない。ただし続けている内容がベストかどうかは時に見直しも必要だろう。毎日の生活習慣、体力づくりからこのHPのコラムを書く習慣に至るまで続けていることの中味は絶対というほどのものではない。よき習慣と惰性との違いを見極めねばならない。・・考えてみると、社会や政治のあり方も類似している。守るべきことも多いけれども時代に合わせて変わっていくべきこともまた多い。社会の変革には個人のフレキシビリティがベースとなる。

2013-05-21 ホットリップス(チェリーセージ)&ガウラ(白蝶草)

5月22日(水) <午前中に気の張る仕事を終えたので・・・>
午前中に気の張る仕事を終えたので午後自転車で自然教育園に行った。ところが駐輪場まできて鍵を忘れたことに気がついた。鍵なしで自転車を置きっぱなしにすることはやりたくない。東京でも鍵なしでは盗まれる危険がある。一瞬どうしようか迷ったけれども今更引き返す訳にもいかないので鍵をかけずに置いた。自転車を盗まれる可能性はないことはないが、確率からみるとまず大丈夫だろう。盗まれた時には運が悪いと諦める。こう結論づけたときにヨセミテ旅行で経験したサイクリング(二年前)が頭の中を駆け巡った。レンタサイクリングでは鍵など一切なし。自転車道路の終点まで云った後、自転車を置いて長時間の山登りをしたので、もし帰ってきて自転車がなかったらどうするのか不安だったが全く問題はなかった<ちなみに、このとき借りた自転車は日本で禁止されているブレーキなし型=逆回しでのブレーキのみ>。・・今日の結果は勿論(幸いにもかな?)盗まれることはなく無事だった。自然教育園(=ここ)でも下に掲載する写真のように緑の中で森林浴を満喫することができた。
 
2013-05-22
 @自然教育園(東京・港区)
 
山法師(ミズキ科) 中=ヤマブキショウマ(山吹升麻) 右=アイイロニワゼキショウ(藍色庭石菖)
5月23日(木) <史上最高齢80歳でエベレスト登頂・・・>
史上最高齢80歳でエベレスト登頂!今日の日本時間12時15分(現地時間午前9時)、三浦雄一郎さんが8848mの世界最高峰エベレストの登頂に成功したニュースは多くの人に勇気を与える快挙に違いない。三浦さんはエベレスト登頂は3度目で、初登頂は70歳、2度目は75歳(この直前に76歳のネパール人が登頂に成功したのがこれまでの最高齢記録だった)。そして今回は80歳7ヶ月の記録だ。今回登頂に成功した三浦雄一郎チームに”おめでとう”と言いたいところであるが、しばらくは様子を見よう。今現在、必死で下山をしている最中であろう。上りよりも下りがリスクが高くなることなど知り尽くした人たちの幸運を祈る。今日、登頂に成功した日本人4名を含めて、これまでエベレストに登頂した日本人は合計194名(延べ人数)であることを知った。ちなみに昨年5月に登頂した渡辺玉枝さんは当時73歳で、女性の世界最高齢登頂者として認定されている。男性女性ともに世界最高齢登頂者は日本人であることは余り報道されていない。
今日の写真は珍しい「ブラシの木」が花盛りであったので撮影したもの。場所は恵比寿ガーデンプレイスの一角、「LA TABLE/de Joel Robuchon」の入口。メンテをしていた花屋さんに聞いたところ、この樹木(オーストラリア原産)のブラシ状の花は咲いている期間が非常に短く(雨でも降ると散ってしまう)今が最盛期という。葉の形状が槙(マキ)に似ているので「マキバブラシノキ」とも呼ばれる。
 
2013-05-23@恵比寿ガーデンプレイス にて「ブラシノキ」

5月24(金) <「今日の写真」をコラム欄に掲載・・・>
「今日の写真」をコラム欄に掲載するようになって花や植物の名前を調べるようになった。対象は無限。一度覚えたつもりでも名前を忘れてしまうことも多い。今日、掲載した「トクサ(木賊、砥草とも書く)」は珍しく私の子どもの頃に遊んだ記憶のある親しい植物である。田舎の家の庭に当時名も知らなかったが「トクサ」がいっぱい生えていた。節の部分を抜いたりソケットのように差し込んだりして遊んだ。茎はザラザラしており実際に紙ヤスリの代用として研磨用に使われることは知らなかったが手の感触は忘れられない。今日写真を撮ったのは東京・代官山の「T-SITE/蔦谷書店が開発したゾーン=ここ)の庭に栽培されたもので、とても茎を折って遊べる雰囲気ではなかった。トクサの隣には鮮やかな黄色い五弁の花々。錦糸梅の園芸品種で「大輪錦糸梅」=ヒペリカム・ヒドコートであると思われる。この花は以前、このコラムに掲載した覚えはあるが、黄色の花を見たときに直ぐに名前が出てこなかったことを白状しよう。今週のコラムだけで8種の植物の名前を掲載している。脳トレの材料として、これらの名前を活用すればもう少し頭が冴えてもいいはずだが・・。
2013-05-24 @代官山T-SITE

5月25(土) <スエーデン暴動収束せず・・・>
「スエーデン暴動収束せず、5夜連続・・」のニュースが痛々しい。私の親しい友人がスエーデンにいるので他人事ではない。私が知っているスエーデンというと美しい街並、親切な人柄、比較的日本人と似た感性で派手な色より落ち着いた色が好き、地味で着実、好奇心が強く技術も優れている、税金は高いけれども福祉が充実、教育費は全て無料など・・。「暴動」とは無縁な国に思っていたが、いまや”移民”が社会全体を覆す問題を引き起こしている。スエーデン人は非常にリベラルな(進んだ)考えを持っていて移民の受け入れに積極的だった。ある時期、イラク、イラン、レバノンなど中近東の難民を移民として大量に受け入れた。難民たちはやがて身内も呼び寄せ地区によっては人口の4人に1人がイスラム教徒となるほどであったという。スエーデン語を理解せず母国でも教育を受けていない若者も多く不満分子が増殖・・。初めはごく一部と思っていた移民の人口が爆発的に増加するとともに、あれほど治安がよく安定していた街が一挙にスラムなど危険な地域に浸食されはじめて収拾がつかなくなる。・・移民への対応はきれいごとでは解決しない。移民の国、米国の舵取りの難しさが思いやられるし、日本にとっても”対岸の火事”ではない。
 
2013-05-25 @旧朝倉邸(東京・渋谷区=ここ)の庭にて

5月26(日) <「徳川家康公遺訓」・・・>
「徳川家康公遺訓」が部屋片付けをしているとでてきたので、改めて読み返すと心が洗われる思いがした。「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、・・不自由を常と思えば不足なし・・怒りは敵と思え・・勝つことばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身にいたる・・己を責めて人を責めるな・・」。このところドロドロした人間関係で落ち込みがちだったが言葉一つで気分が随分変わる。ただし考えてみるとキリストや仏陀、宗教家の言葉で元気づけられるのは分かるけれども最高権力者となった家康の遺訓に下々の我々が共感し勇気づけられるのは尋常でないと思われる。今ではやはりこの遺訓は後世のものと考証されている事を知った。明治時代に徳川光圀の遺訓「人のいましめ」を元にして作られて家康の自筆花押文書の体裁を整えて各地の東照宮に納められたものと判明しているようだ
が、その内容が良くできているためか今もなお家康公遺訓として人に感銘を与えている(全文例=ここ or ここ)。
今日の表紙には「紫陽花・mieuへの絵手紙」(ペン&水彩)を掲載した。庭の紫陽花が少しづつ色づいてきた。

 
2013-05-26 自然植物園にて、ヒヨドリ<剥製>+カキツバタ  ムクドリ<剥製>+アサザ

5月27(月) <ステテコとは・・・>
「ステテコとは主に男子が着用する、裾が股より長く膝下丈まであるズボン下である」と解説されている(by Wikipedia)。いままで「ステテコ」の語源など考えもしなかったが、語源由来辞典によれば明治時代に流行した”すててこ踊り”に由来するという説が有力なようだ。。当時の落語家が”すててこ てんてこ てんとんとん”と滑稽な踊りを踊って評判になり、踊りの最中に着物の下から見えていた下着が「ステテコ」と呼ばれるようになったとか。・・最近私がユニクロの店に行って買った「ステテコ」が余りに調子良いのでこんな話題を取り上げた。これまでのステテコ概念をガラリと変えた「エアリズムステテコ」。”空気のような軽さ心地よさ”から「AIRism」そして、今は「STETECO」と呼び「AIRism STETECO」だ。少々ユニクロの宣伝臭くなるが「極細繊維で肌をすべるような、なめらかな肌触ざわり」、「汗をかいてもすぐに乾くのでサラッとした肌ざわり」、「着た瞬間にひんやりとして涼しい着心地」そのほか伸縮素材、抗菌防臭、消臭など。これらがユニクロの過大広告と思わせない満足感を与えるところがすごい。「STETECO」を使用しながら布地の進化を肌で味わっている。

5月28日(火) <大山(おおやま)に登ってきた・・・>
大山(おおやま)に登ってきた。大山は神奈川県の丹沢大山国定公園にある標高1252mの山。古くから山岳信仰の山として知られ、「大山詣り(まいり)」は江戸の庶民の最も身近なレジャー的な対象であったとされる。今の東京から2時間ほどで行ける距離であり馴染みは深いがこれまで一度も山に登ったことはなかった。突然に妻と都合が一致して今日大山に行こうと朝食もとらずに出かけたのであるが想像以上に「登山」は厳しかった。けれども逆にそれだけ充実感があったとも言える。大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)の下社まではケーブルカーで行ける。ところが海抜700mの下社から山頂拝殿や山頂奥の院のある大山の頂上までの登り(標高差520m)がかなり急勾配で片道90分余。今日は富士山を見ることもできずただ霧の中を登った。元々、大山は別名「雨降山(あふりやま)」、「阿夫利山(あふりやま)」と呼ばれるが曇天の中でも水滴を浴びながら「あふりやま」を堪能した。
 
2013-05-28 大山阿夫利神社下社(海抜700m)   山頂拝殿(海抜1252m)
 

5月29日(水) <友人の絵の展覧会・・・>
友人の絵の展覧会を見に行った。油彩など絵画を趣味とする十数人のグループで毎年展覧会を開催する。もう10年以上毎回見に行っているので、このグループ展はすっかりお馴染みだ。指導者はプロの画家というか大学などで美術を教える教師でもある人。今日もたまたまこの指導者が一人一人の作品をコメントしながら会場を回っている時間に行き会わせ、”プロ”の絵画評を聞くことができた。一つの絵に対して何を感じ、何を言いたいか、内容が人それぞれであることが他人の評を直に聞いていると本当によく分かる。自分の意見と同じこともあり真反対のこともある。”この部分にはもう少し明るい色を重ねて全体に暗くない方がいい”といっても描いた人は別の感性かも知れない。絵の批評、指導は実に難しい。先生に言われるまま”上手に”なった絵が個性のないつまらない絵となる例は余りに多い。その点、今日の絵のグループは年齢的にも大ベテランばかりで「学んだ後(学んだことを)捨てる」の極意を知った人ばかりだろう、その上でいくつになっても良き批評、良き指導を自分の糧にすることのできる人々と見えた。それぞれの個性を確実に発揮しながら更に向上しようとの意欲もみせたすばらしいグループ展だった。

2013-05-29 @三鷹市八幡大神社にて<この神社の直ぐ右隣が太宰治の墓のある禅林寺>

5月30日(木) <関東も梅雨入り・・・>
関東も梅雨入り。木曜日のテニスは雨でお休みとなり代わりに4kgのウェイト2個を使ってトレーニングに励んだ。「今日の表紙」には「ajisai・mieuへの絵手紙」(水彩)を掲載する。「ajisai」とタイトルを入れたがイメージのみ。筆を使わずに指で描き、途中から水滴を垂らしたりして遊んだ。紫陽花のイメージなんていうほどのものはないが、紫陽花を前にして描いたことは確か。今、庭の紫陽花が一雨毎に急に大きくなってきている。苔もまた雨が似合う。一昨日に登山した大山の「あふり(雨降、阿夫利)神社」は農民の雨乞いの神として信仰を集めたというが、雨はまさに恵みの雨であることを心しよう。「あ」づくしの山頭火の俳句:「あざみ あざやかな あさの あめあがり」は「紫陽花」の句にもなる:「あじさい あざやかな あさの あめあがり」。

5月31日(金) <六本木ヒルズ・・・>
六本木ヒルズに久しぶりに行ってみた。10年前の4月末に開業した六本木ヒルズは職・住・遊が隣接した都市開発のモデルとして注目されてきたが10周年を迎えて何をやっているか興味があった(グランドオープンした2003年4月25日に「六本木ヒルズ見学」をコラムに書いているので我ながら感心=ここ)。六本木ヒルズ森タワー53階にある森美術館で10周年記念展が開催されているがパス。開催中の「LOVE展:アートにみる愛形-シャガールから草間弥生、初音ミクまで」にはあえて訪れる意欲なく、また過去に開催されたミュシャ展、村上隆展も敬遠した。結局、今日は毛利庭園に10周年記念として設置されているハート形をしたモニュメント(フランスのジャン=ミシェル・オトニエル氏作/下の写真参照)を見ただけ。刺激を求めて行った割には小手先の人工物が面白くなくなったのは年齢のせいか、好奇心減退のせいか、余りいいこととは思えない。同じ毛利庭園で遊ぶカルガモ親子の姿には時間を忘れてしばらく見とれていた。
 
2013-05-31@六本木ヒルズにて
 
毛利庭園にて

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