これまでの「今日のコラム」(2013年 06月分)

6月1日(土) <今の時節に嫌というほど思い知らされる・・・>
今の時節に嫌というほど思い知らされるのが植物の”強さ”である。今日は親戚の家まで出かけて行き、庭仕事に精を出した。樹木や草花が混在する小さな庭でも一年前に徹底的に刈り込んだり草取りをした場所が手を付けられぬほどの荒れ地と化している。1年間の放置は余りに長く、毎日、毎週の手入れを行わなければ植物は信じられないほど野放図に成長する。コンクリートのビルが建ち並ぶ大都会で、ある日人間が消え去ったとすると50年、500年もすると森やジャングルに覆われて人が生活した痕跡もなくなるという話を聞いたことがある。以前、このコラムで書いた記憶があるが東日本大震災による瓦礫を海岸線に集積して後「森の防波堤」をつくる壮大なプラン(=ここ=参照)は植物の強大な力を活用する人間の知恵だ。いずれにしても人間は必死に知恵をだし植物を制御しなければ植物の生命力に負けてしまう。”自然がよい”とか”植物は気が休まる”のはコントロールされた自然や植物の話。両者とも決して人間に遠慮することはしない。自然も植物も人間のコントロールがなければいつでも人間に敵対する存在となることを忘れてはならない。
6月2日(日) <今日の午後、銀座王子ホール・・・>
今日の午後、銀座王子ホールでのピアノリサイタルに行った。迫力と情緒が絡み合ったいい演奏に元気づけられて、コンサートの後、銀座から日比谷公園まで遊びで歩いた。久しぶりに銀座のショウウィンドウを眺めたり名物の猫の写真(下)を撮ったりしながら晴海通りを日比谷方面へ。途中、以前よく知っていたビルが消えているのには驚いた。先ず、ソニービルの向いにあった東芝ビルがない。更地になって基礎工事中だ。更に日比谷シャンテの向い(宝塚劇場隣り)の広いスペースがこれも更地で再開発中。都心の一等地にあった鉄筋コンクリートの建造物が建物の寿命とは無関係にいとも簡単に取り壊されている・・<ふと我が家が処分されようとしている現実と重なる>。日比谷公園では110周年記念のイベントが開催されていた。年月を経て変わらぬものもあれば様相を一変してしまうものもある。日比谷公園の一角に江戸城の面影を残す石垣(1627年建造)と濠(ほり)が「心字池」(上から見ると心の字)として保存されている(下の写真)。経済効率からはあり得ない歴史遺産をみるとホッと救われた気分になる。
 
2013-06-02 銀座にて               日比谷公園にて
 

2013-06-02 日比谷公園にて /野外音楽堂    /心字池と石垣(後ろは帝国ホテル)
6月3日(月) <2日が息子の月命日だが・・・>
2日が息子の月命日だが一日ずれて今日墓参。落ち着いたお寺の中の墓地なので気分転換にも絶好で毎回気持ちよくお墓参りをさせてもらっている。このお墓には息子と非常に親しかった(息子の)祖父母とが一緒に眠っている。墓を作ったのも祖父母(つまり私の父母)。昔からの習慣か、墓は長兄(未だ存命)が引き継いでいるので本来は私も息子もここには居られないかと思うこともある。一方で長兄の長男も次男も娘ばかりで嫡男はいないので長男引き継ぎの流儀だと次々の世代はどうなるのか分からぬ。・・今日のNHKニュースで東京都の小平霊園が去年から実施した樹木葬・樹林墓地のことを取り上げていた。昨年は500体の募集に対して8000人以上の応募があったほどの人気なので今年(平成25年度)は1600体に募集数を増やしたという。樹木葬もいいけれど”倍率”が高いなあ。以前、都内のお寺で家とか兄弟姉妹など一切関係なく個々人を共同の納骨堂に納骨する場所を見学したことがあるが、それもとても感じのいい空間だった(三十三回忌まで永代供養)。これからの時代、墓石付きの墓地の形態や納骨システムは昔のままでは成り立たない。墓参りをしながら自分のことはどうすべきか、いろいろな考えが脳裏をよぎる。
 
2013-06-03 九品仏浄真寺 山門内部        都天然記念物の大銀杏

6月4日(火) <期待しない時に限って物事うまく行く・・・>
期待しない時に限って物事うまく行くのは何故。期待しすぎると裏切られるから心理的に抑えていると当たり前のことでもうまく行った気になるのか・・。今日の午後、気温28度の日差しの中、自転車で陶芸教室に行った。教室で刺激を受けて次の作品造りのインスピレーションでも得られないかと、遊びに出かけたのだけれど、全く期待をしなかった2個の作品の素焼きが出来上がっていた。土曜日に窯に入れるときいていたので3日目の今日火曜日ではまだ窯の中だと思い込んでいたが、丁度窯から出したところであったのか。早速に、方針変更して釉薬をかける作業に入る。陶芸では釉薬をかける時がまた楽しい瞬間である。絵画のように筆の色がその場で見られることはない代わりに、本焼成した後の状況を推測しながら”仕上げする”喜びは格別だ。焼成完了は2週間後と思っておこう。

6月5日(水) <「ヴィオラ・アルタ物語」・・・>
「ヴィオラ・アルタ物語」という本を読み終えた(平野真敏著、集英社新書)。著者が東京で偶然手に入れた楽器が世界でも珍しい”幻の楽器”「ヴィオラ・アルタ」であることを知り、その制作者から歴史に至るまで謎解きをする執念が感動的だ。平野さん自身、ヴィオラ奏者からヴィオラ・アルタ奏者となることを決断し世界にもう一人のヴィオラ・アルタ奏者とオーストリアで競演する経緯も読ませる。現代の楽器としては完全に「消された」ヴィオラ・アルタの物語は興味深いけれども、現代は一方で電子楽器など昔なかった楽器を次々に生み出していることも確か。クラシック音楽の歴史の中で現代に演奏される曲は極々わずかであるように昔使用されていた楽器の全てが継承されないのは不思議ではない。いっそ100年後の楽器がどうなっているか予測してみるのも面白い・・。<ヴィオラ・アルタ関連サイト=ここ
2013-06-05 左=花器に活けたアジサイ、右=庭のアジサイ(別種)

6月6日(木) <一昨日のサッカーで・・・>
一昨日のサッカーで日本代表がオーストラリアとの試合を引き分けに持ち込み2014年ワールドカップへの出場が決まった。お祭り騒ぎのような喜び方であったが、82分、オーストラリアの信じられないほど見事なゴールが決まり先制された時にはほとんどの人は”負け”を覚悟したに違いない。それが試合終了間際にPKを獲得し本田が決めて同点にしたのは奇跡的な幸運・・。勝負事には全て運、不運がつきまとうから面白い。今日の午前中はテニス。勝負にはこだわらない素人テニスであっても”試合の流れ”でどちらに運が行き来しているかを観察できる。一つのショットが決まると俄然流れが変わる。気持ちよくプレーを始めると運までもが寄ってくる。反対に一つの凡(ボン)ミスが運を相手に引き渡すこともある。それでも運というのは短いスパン(時間幅)では一方に偏るけれども長いスパンで見ると結構公平だと思うことが多い。「天は自ら助くる者を助く」という。運・不運を意識する前に自分のやるべきことやるのが先であろうか・・。
6月7日(金) <高校時代の友人たちと・・・>
高校時代の友人たちと我が家で集うことができた。奥様や娘さん同伴で計9人。あっという間に数時間が経過した集まりは一期一会の思いを強くした。少なくとも我が家(現在の場所)で再び集うことはないだろうという事情が特別に貴重な瞬間を過ごしている気持ちにさせた。二度と見られぬかも知れない庭の苔を一緒に鑑賞しながら思い出でなく将来を話した。それにしても皆からそろって元気をいただくのはどうしてだろう。他人の悪口がない、愚痴がない、経験豊富で提案型など会話の内容が前向きだからと思い当たる。このような仲間に50数年前遭遇し、またこのように集う機会があることをただ感謝。
 
2013-06-07 いただいた芍薬のフラワーアレンジメントを私の制作した花器に入れた

6月8日(土) <今日の表紙に「鉄アレイ・・・>
今日の作品として表紙に「鉄アレイ/mieuへの絵手紙」(鉛筆+水彩)を掲載した。鉄アレイはダンベル(dumbbell)のこと。辞書を引くとdumbは「口のきけない、おしの、物を言わない」などとある。元来は教会の鐘(ベル)を鳴らすと筋力がついたが、ベルの内部に詰め物をして”音のしない”トレーニング用具としたものがダンベルと呼ばれたようだ。日本語の「鉄アレイ」はダンベルの直訳で唖(おし)と鈴をつないで「唖鈴」ができたが、「唖」が差別用語にされて「アレイ」のカナ文字が使用されると解説されている。・・絵手紙に描いたような4kgの鉄アレイ2個が今は私の必需品となっている。テニスをやっているといっても雨とか休日のなるとプレーはできない。そうすると一週間、二週間の間に”箸”より重い物を持たないことにある時気がついた。腕の筋力が見る間に低下するのを実感したので毎日「鉄アレイ」を使う習慣を取り入れた次第。最近はエベレストに80歳で登頂した三浦雄一郎の過酷なトレーニングが話題になるので8kgダンベルを朝昼晩に20回ずつ持ち上げたとしても、取り立てて言うほどのことでもない。それでも箸やカメラよりも少々重い物を持つ習慣はとても楽しい。筋力も脳力も楽をすれば一挙に本来のレベルが低下する。ゆとりと過保護が人をダメにするのと似ているかな・・。

 
2013-06-08 目黒天空公園にて、ヤマアジサイ+鴨+ギンバイカ(銀梅花/別名マートル)+カワラナデシコ

6月9日(日) <「禊の塔」・・・>
「禊(みそぎ)の塔/羽黒山五重塔仄聞(そくぶん)」(久木綾子著)を一気に読み終えた。前に同じ作者の「見残しの塔」を紹介していただいた陶芸教室の仲間から昨日お借りした単行本。2012年11月14日のコラムで書いているが(=ここ)、作者の久木綾子さんと小説「見残しの塔」に感動して機会あるごとに友人や知人にも一読をお勧めしてきた。そのコラムでも触れたが久木綾子さんは70歳すぎて伴侶と死別してから小説の世界に入り、「見残しの塔」が89歳のときの小説家デビュー作、今回読んだ「禊の塔」は91歳での第二作目。今現在、94歳でご健在である。・・一方で、90歳前に亡くなる方も多い。今日、作家で精神科医であるなだいなださんが83歳で亡くなったことが報じられている。たまたま私の義兄と旧制中学で同級と聞いており(他に小沢昭一やフランキー堺などユニークな同級生が多かったようだ)、月末にはフランスで講演する予定などご活躍の最中であったようだが、傍目からはうらやましいような逝き方に見える。実際には、この6日に亡くなられたが、同じ6日に自身のブログで体調について書き込みをしている(=ここ)。亡くなる当日までブログが書ける・・一つの理想型かも知れないと不遜ながら我が身と重ねた。合掌。
2013-06-09 @中目黒公園にて

6月10日(月) <久しぶりに有栖川公園・・・>
久しぶりに有栖川公園に行った。広尾に用事があり妻と出かけた後、思いついて立ち寄ってみたのであるが、ベンチに座って池や緑を眺めている時間が何とも贅沢に感じられた。東京・港区南麻布にある有栖川記念公園(正式名称)は明治時代、有栖川宮家の御用地(その後、高松宮家の御用地)であったが、今は港区立の公園(約11000坪)として開放されている。江戸時代には一時忠臣蔵で有名な浅野家の下屋敷であったが、その後、屋敷を等価交換して盛岡藩南部家の所領であった時代が続いたという。現在も「南部坂」と呼ばれる南部家ゆかりの名の付いた坂が公園の脇を通っている。・・都内にある庭園を持った公園はほとんどが江戸時代のお殿様の屋敷跡。明治以降、大金持ちの屋敷として引き継がれたケースもあるが、個人で維持管理できなくなって公共物となったものだけが今公園として我々一般人が利用できる。庭園の姿形が痕跡もなくマンションとなってしまった例は数限りない。有栖川公園で渓谷や庭園を目前にして、殿様でもない我々がこれらの景色を目にすることの幸運を思う。今は王侯貴族でない一般人が訪れることができるベルサイユ宮殿やエカテリーナ宮殿(&エミルタージュ美術館)など歴史遺産と同じだなと少々大袈裟に思いが飛躍した。
 
 
2013-06-10 @有栖川公園にて(東京・港区)
6月11日(火) <久しぶりの雨・・・>
久しぶりの雨の予報に期待をしたが今日の東京はお湿り程度の小雨で、樹木の下はまだ乾いているところもある。農作物のためには台風が来てたっぷりと雨を降らせてもらいたいと思っていたら台風も南方に押しやられているようだ。。「梅雨といふ暗き頁の暦かな」(高浜虚子)。梅雨には暗いイメージを持つ人が多いようだが、今年のように梅雨の時節に雨の降らないのも不自然。降らなくても文句をいい、降り過ぎても文句を言う。人間様は身勝手にできている。「雑草の花もちたれば梅雨の雲」(水原秋桜子)。・・こんなことを書いていると先ほど(夕刻)から少し強く雨が降り始めた。やはり今の時期にはしとしと雨が似合う。
2013-06-11 梅雨空の庭でカラスは身繕い

6月12日(水) <敬愛する義兄が急逝・・・>
敬愛する義兄が急逝した。享年83歳。まさか、マサカ、まさかで言葉もない。義兄のことは、このコラムでも何度か取り上げさせていただいたが、若い頃には3mもある大きなコーン型スピーカーを自分で設計制作したり、パイプオルガンを製作したりしたかと思うと、リタイア後、80歳を過ぎて自分でパソコンを組み上げたり、オーケストラのメンバーで活躍するなど多芸、多趣味の方だった。個人的に教えられることも多く、大いに感化された。一昨昨日(9日)のコラムでも触れた作家で精神科医の故なだいなだ氏の中学時代の同級生でもあった。そんな義兄が連れ合いの介護疲れで弱っている話は聞いていたけれども、結果的に救急隊ー警察への第一通報者として逝去に立ち会うとは夢にも思わなかった。義兄宅から帰ってきたところで全身からどっと力が抜けている。ただ唖然として合掌。

6月13日(木) <命あっての物種・・・>
命あっての物種。何ごとも命があって初めてできる。昨日の義兄の急逝から一夜明けて、義兄の見事なまでの逝きっぷりに敬意を払いつつ、自分のことは今のうちに、つまり生きているうちに(命がある間に)やりたいことをやろうと、急に積極的に動き始めた。「命あっての物種」は「命にかかわる危険なことは避ける」と消極的にとらえるようだが、命をかけて事に挑戦するような人はほとんどいない。命だけを大切にして生きていることが生き甲斐では余りに生命がモッタイナイ。死んだことを考えると遠慮なく行動できる。余計な悩みがなくなる。作品造りでも他人の思惑を気にすることなく自分で思う作品を自由に創ればよい。「今日の写真」(下)には雨にぬれた庭の写真を自由な気持ちで掲載してみる。この庭も遠からず他人のものになると決まってから急に愛おしさが増して苔を手入れし始めた。苔の命もいわば今が花。庭がなくなり、土地がなくなると存在できない。「生々流転」であるからこそ、いま雨粒を浴びた緑の命が格別に美しい。
 
2013-06-13 雨の庭(東京・渋谷区)

6月14日(金) <南無妙法蓮華経・・・>
南無妙法蓮華経・・。義兄の通夜から帰ってきたところで日蓮宗のお経が耳に残る。通夜や葬儀の時しか顔を合わせないつながりは寂しいが、小さいと思っていた子どもの成長に驚いたり、寄る年波に抵抗しがたい容貌に出会って我が身を重ねてみたり、諸行無常を感じるのもこのような機会である。それにしても故人があの世に行ってしまった(あるいは今三途の川を渡ろうとしている)ことが未だに信じられない。その内に”あ〜、よく眠った”といって起きだしてきて、以前と同じようにやさしく新しいヒントをを授けてくれそうな気がしている。下に掲載する「今日の写真」も義兄からいただいたカメラ:NIikonD200を使って撮影した。
2013-06-14 合掌

6月15日(土) <義兄が荼毘に付される儀式・・・>
義兄が荼毘に付される儀式に参列しながら、ふと「ダビ」の漢字はどうであったか考えたが思い浮かばなかったことを白状する。「荼毘(ダビ)」とは仏教の経典が書かれた言語(パーリ語、サンスクリット語)で「火葬のため死者を焼くこと」を表す言葉の音写(茶は”チャ”のほか古き日本では”ダ”と音読みされた)という。とにかくも、火葬の後の会食では誠実な故人の思い出ばかりが語られた。これほど掛け値なしで人徳のある方に接することができたのを誇りに思う。このような義兄に何かインパクトをもらって記念になる作品を作りたいと考え始めた。今日の表紙には出来上がったばかりの陶芸作品「ペン立て」を掲載したが、これはいわば模様の描き方のテスト用として制作したもの。このテストの結果も反映させて、全く別の形状で、故人に捧げる気合いを入れた陶芸大作を制作する構想ができつつある。


6月16日(日) <雨の中を明治神宮・・・>
雨の中を明治神宮にいった。義兄の急逝に絡んで無性にお参りをしたくなったのと、もう一つの理由は花菖蒲を見たくなったためでもある。昨年は明治神宮の花菖蒲を見る機会を逸したが一昨年・2011年には6月18日にいって、このホームページに写真の特集を組んだ(=ここ)。明治神宮のサイトでは「御苑の花菖蒲」の情報を見ることができる(=ここ)。昨日の土曜日現在、”3273輪の花菖蒲が開花しました”と随分細かい数値が出ていた。今日実際に見たところでは雨の中で花のピークが少しすぎたようにも思えたが、まだ十分に楽しめた。花菖蒲園の先に「清正の井戸」と呼ばれる湧き水の場所がある。おもしろ半分にパワースポットとして騒がれた時期もあったが今日の昼前には日曜日というのに人は余りいなかった。果たしてパワーをいただけたか・・。「ひとりたつ 身になりぬとも おほしたてし 夫の(親の)恵みを わすれならざむ」。明治天皇御製の和歌<=( )内オリジナル>が勝手に変化して見えた。
 
2013-06-16 明治神宮(東京・渋谷)にて     花菖蒲園
 

6月17日(月) <梅雨の晴れ間にテニス・・・>
梅雨の晴れ間にテニスをした。”蒸し暑いですね”と挨拶しながらも、身体を動かすとモヤモヤしたものは消え失せて気分は爽快だ。テニスをしているときに、ふと亡くなった義兄のことを思い出した。このテニス場にも義兄の紹介で入会し一時は義兄とプレーをしたこともある。それが10年以上前か、義兄は70歳を過ぎた頃にテニスをやめた。その理由が体力の衰えと同時に、「相手の嫌がるところばかりに球を出す意地悪なゲーム」を引退すると言ったのが忘れられない。それほどに心優しい人であった。私はというと未だに平気でテニスを続けている。それでも、意地悪コースでなく相手の大好きなコースに球を送り、受けて立つ技術を身につけた。大抵は相手が自滅。自分のミスで負けたと思って、こちらにやっつけられた意識はないだろう。もし相手もミスをしなければどうなるか。ペアの組み合わせにもよるが、延々とラリーが続くかも知れないが、それもまた楽しい。
今日の表紙には 陶芸作品「ペン立てB」として前回の別アングル写真を掲載。陶芸コーナーには裏面写真も掲載した。


6月18日(火) <「音」が脳に対して作用する癒しの効果・・・>
「音」が脳に対して作用する癒しの効果を実験してみた。”癒しの効果”と書いたが要はストレスリリーフ。何かと蓄積されているストレスを「音」だけで解放する力があるのではないかと考えた。普通はそのために「音楽」がある。ジャズ、クラシック、その他音楽の種類を問わずに音楽を聴くことによって元気を得るのは正に音楽の力であろう。今回は音階のある音楽ではなく「おりん」を使った。4年前に息子が亡くなった際、高岡銅器の球形の「おりん」を購入し以来気に入って使用している(=ここ)。この「おりん」は本当に名品で軽く叩くと微妙に揺らぎながら20秒ほど余韻が続く。この音を途切れることなく連続して鳴らし、耳を近づけて(目はつぶって)集中して聴く。その結果は簡単に表現しにくいが、”脳の中におりんの音が重く残った”感じがする。”癒された”というより、想像以上に音が重く脳に影響を及ぼしたように思える。もし他人の嫌な言動が頭の中に残っていたりすると、おりんの清らかな音はそれらを消し去る効果はあるかも知れない。
<明日は小旅行のためコラム休みます>
2013-06-18 @中目黒公園(東京・目黒区)にて

6月20日(木) <日光近辺(栃木県)をドライブ旅行・・・>
日光近辺(栃木県)をドライブ旅行して先ほど帰宅した。梅雨時の小雨や曇天がかえって静かな雰囲気を醸し出してくれて非日常を満喫することができた。日光というと1999年、世界遺産に登録された「日光の社寺」が知られるが、その主な社寺群(二荒山神社、東照宮、輪王寺など)は全て巡った。以前に訪れたときと比べると社寺が美しくリニューアルされたところも多く、鮮やかな「金色」が印象に残る。今回はそれほどは知られていない「田母沢(たもざわ)ご用邸記念公園」(大正天皇のご静養地でもあった)や(「イタリア大使館別荘記念公園」(建物は建築家レーモンドの設計、中禅寺湖畔)などにもいった。日光には社寺だけでなく他にも多くの歴史的建造物がある。
 
2013-06-20  日光東照宮(陽明門 & 唐門)
 
田母沢ご用邸記念公園               イタリア大使館別荘記念公園


6月21日(金) <同年代の友人や親戚と合うと認知症・・・>
同年代の友人や親戚と合うと認知症に話が及ぶことが多
くなった。話題としては好みではないが成り行き上、耳で聞く知識は増えるし、少々調べてみたりもする。アルツハイマー型認知症、認知症を伴うパーキンソン病など認知症といっても色々ある中で治療可能なものもあるし、日々治療法が進化していることも分かるが、結局、原因とか予防法について納得できるものはない。認知症(アルツハイマー型)の初期症状として一般的に次の3項目が挙げられている。一つは、自己中心的で、わがまま、頑固な症状(軽い人格変化)、二番目に、抗鬱症状(不安増大)、三番目に、睡眠障害(夜眠れない)。それにしては、自己中心的で頑固な老人などどこにでもいるし、眠れないといいながら元気いっぱいで活動する人も多い。ただの”加齢のため”でも、このような症状はいくらでも見られるだろう。一方であれほど聡明であったのにと思う人が認知症となるケースもあるのも確か。認知症について私は現段階では”脳の不思議”、”神の采配”以上に理解できていない。
 
2013-06-21 那須高原(栃木県)アルパカ牧場にて(毛を刈るbefore-after/写真撮影は 6/19)

6月22日(土) <日本では何故「撮影禁止」がまかり通るのか・・・>
日本では何故「撮影禁止」がまかり通るのか改めて疑問に思う。先日、日光の社寺を巡った時に、輪王寺、東照宮、二荒山(ふたらさん)神社など訪れた全ての社寺の内部で撮影禁止だった。日本ではほとんどの美術館や博物館でも「撮影禁止」。時に指摘されることもあるが、欧米ではケースバイケースではあるが大抵は撮影自由である。以前、ニューヨークの近代美術館でムンクの絵の前で多くの人がカメラや携帯で写真撮影の順番待ちをしていたことを思いだす。撮影禁止にする理由は、美術作品などの著作権保護、所有者として現物以外の公開(第三者が勝手に公開)を望まない、フラッシュによる損傷防止、他の鑑賞者への迷惑・・などが考えられるが、日光でお寺の欄干から外の風景を撮影しようとしたら「撮影禁止」と注意をされたのはどうしてだろう。門にある仁王像は撮影自由だが内部の仏像は全て「撮影禁止」。一度規則ができてしまうと”お上”の決めたことに逆らわない習性で、内容を吟味することなく引き継がれる。規則を最小限にするには、先ず役所的な感覚から脱皮しなければならないから「自由」への障碍は大きい・・。
2013-06-22家の紫陽花は終わり間近

6月23日(日) <ウォーキング大会に初めて参加・・・>
ウォーキング大会に初めて参加してみた。「新歌舞伎座コース」のタイトルで町内地区に案内があったもので、近所の小学校から、恵比寿-白金高輪-三田(慶應大学前)-札の辻-本芝公園(休憩)-大門(浜松町)-新橋-<銀座中央通り>-銀座4丁目-三原橋-<新歌舞伎座前>-万年橋-築地川銀座公園(ゴール)のコースを約2時間半かけて歩いた。総勢70〜80名が、「早め」、「普通」、「ゆっくり」の3グループに分かれての集団ウォーキング。「早め」グループに入って歩いてみたら、"早め”ではなく”普通”の速さだったので私にとっては楽なウォーキングだった。集団でこのように街を歩いたのは初めての経験であったが、「大会」というだけあって水分補給、途中の適度な休憩、おやつの提供など過保護とも思えるほどの気の配りようであった。その気になれば個人でも好きに街を歩くことができる。集団であっても2時間、3時間を当たり前で歩く経験をすると、これをきっかけに新たな自分の歩きの世界が拓けそうだ。参加費無料で貴重な体験をさせてもらった「大会」に感謝。
 
2013-06-23 港区本芝公園(休憩地/左は新幹線線路) 浜松町大門
 
 新歌舞伎座                    築地川公園(ゴール)

6月24日(月) <「今日の写真」として紫陽花・・・>
「今日の写真」として紫陽花(アジサイ)の写真を下に掲載する。この写真は間違いなく2013年6月24日、この日に撮った写真である。けれども5年前でも10年後でも同じような紫陽花の写真を撮ることができる。50年前、100年後と言い換えてもよい。花に限らず、風景でも何でも同じ事だ。一昨日「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に正式登録された富士山(富士山という山が自然遺産として登録された訳ではない)の風景を撮ったとしても「この日」でなければ撮れない富士山はない。一方で、私がこの世に存在しているわずかな期間に毎日撮影する”その日の写真”は二度と同じものはないとも云える。生きた証とまで大袈裟でなくても何を目にして何に興味を持ってカメラを向けたかの記録である。「今日の作品」もまた何に興味を持ったかの証なのだろう。表紙には「32面体 AGAIN」(陶芸作品)を入れた。陶芸作品の写真が難しいのは画像では作品の大きさが表し難いこと。部屋を入れて大きさの分かるようにうまく撮った写真を友人から送っていただいたのに触発されて、AGAIN 改めて写真を撮った。32面体は今もこのように部屋の中で大きくのさばっている。
 2013-06-24 @目黒川緑道にて

6月25日(火) <ネット通販で購入した自転車用レインコート・・・>
ネット通販で購入した自転車用レインコートが今日の午前中に届いた。梅雨時であるので自転車で移動の際には常時携帯することにして、早速午後リュックサックの中に入れて陶芸教室に自転車で出発。家を出て直ぐに雨模様なので自転車を止めてレインコートを着用。その内ゴロゴロと雷の音がして急に雨が強くなったがレインコートのおかげで全く問題がない。このレインコートのフード(hood)には透明なひさしが付いており視界も良好、またリュックサックと同時に自転車のハンドル部分を含めてすべてコートで覆うことができるので完璧だった。それにしてもネット通販で簡単に購入できる便利さ。お値段は2000円足らず。しかも、タイミングよく初めて使用した「自転車用レインコート」の具合のいいこと! もろもろに感激しながら、やはり世の中進化しているのでないかと少々気持ちよくなった。

6月26日(水) <雨の中お墓参り・・・>
雨の中お墓参りをした。来週の2日が息子の月命日であるが旅行の予定があるので1週間早い墓参。今日もまた墓前にはビールと花が供えてあった。サッポロビールの北海道プレミアムというビールだったので、息子と親しかった札幌に住む友人が上京して来てくれたのかも知れないし、また別の友人かも知れない。亡くなってから4年経ってもまだ頻繁に墓参していただく友人たちにただ感謝、感謝。息子はいい友人に恵まれた。「友人」というと高齢者の友人について興味がある本の記述を見つけた。「友人の多い女性ほど高齢になってからの病気が少なく幸せな老後を送る可能性が強い」という。何故「女性」なのか。男女ともにストレスを感じるとストレスホルモン(アドレナリン、コルチゾールなど)を分泌するが、女性の脳はストレスを和らげるため「結びつきのホルモン」(オキントシン)を分泌しようとする。つまり友人、子どもとのおしゃべりやペットと接することによりオキントシンが分泌しストレスを解消できると説明されている。男性は脳の化学反応が女性と少々違うとされるが本当かどうか分からない。ちなみにこの本では友人といっても「脳がいい刺激を受ける人」(ポジテイブな気持ちを分けてくれる人)と付き合いなさいと推奨しているが、これは男性も同じだろう<以上、三笠書房、シャイモフ著「脳にいいことだけをやりなさい!」から引用>。お互いに楽しさや元気を分かち合える友人や仲間が何より貴重であるのは間違いない。
 
2013-06-26 九品仏浄真寺(東京・世田谷区) 山門 & 鐘楼

6月27日(木) <「沈黙は金」・・・>
「沈黙は金」という。最近、雄弁にはほど遠い弁解を聞けば聞くほど相手の信用がなくなったことがあり、この言葉を思い出した。せめて黙っていればいいものを・・。今時のテレビは「沈黙の価値」とは無縁に見える。自分たちだけではしゃいで大騒ぎするのに耐えかねてスイッチを切ると何と静寂がうれしいことか。教育テレビの美術の番組でもバックに流れる音楽が余計に思えることがある。「音楽」もまた美術にとってプラスになるとは限らない。小林秀雄の「美を求める心」を読んでいるとこんな文章があった:「・・美は人を沈黙させます。どんな芸術も、その創り出した一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らえてきた。」この感覚は非常によく分かる。冒頭の「沈黙は金」(Silenceis golden.)は「雄弁は銀」(Speech is silver.)に続くもので「雄弁」とか「言葉」の価値を重んずる(=”初めに言葉ありき”のキリスト教圏の)イギリス人が源であるところが興味深い。私としては、言い直した次の言い方の方がピンとくる:「言葉はつかの間、沈黙は永遠」。

6月28日(金) <「写真俳句」のサイト・・・>
「写真俳句」のサイトを時々みることがある(=ここ)。「写真俳句は森村誠一氏の登録商標です」と断りがあるように、誰でもが写真と俳句を自由に投稿できる場を森村氏が作って提供したものだ。画像とぴったりマッチした俳句ができると確かに面白い。それでは、過去の有名な俳句からどんな画像が思い浮かぶかを考えてみた。先ず、「閑(しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声」(芭蕉)、「古池や 蛙とびこむ 水の音」(芭蕉)、「柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺」(子規)など「音声」を詠んだ句は写真向きではない。一茶の「われと来て 遊べや親の ないすずめ」、「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」など心情の句も「雀」や「蛙」の写真では表現しきれない。「やれ打つな はえが手をする 足をする」(一茶)の句は動画に合わせると結構面白いと思う。蕪村の句は写真向きが多いことに気がついた。「富士ひとつ うづみ残して 若葉かな」(蕪村)、「ぼたん散って うち重なりぬ 二三片(にさんべん)」(蕪村)。俳句で写生論を展開したのは正岡子規であったので子規の句を挙げてみるが、一枚の写真で句のイメージを容易には表現できない。「梅雨晴れや ところどころに 蟻(あり)の道」、「紫陽花や 壁のくづれを しぶく雨」。写真に俳句を付けるお遊びはあるが、やはり俳句は五感全てを駆使しても足りぬほどに奥が深いようだ。
6月29日(土) <曹洞宗の開祖、道元・・・>
曹洞宗の開祖、道元が53歳(満年齢)で亡くなっているとは知らなかった。たまたま「正法眼蔵」をひもといていて1200年〜1253年の生涯であったことを教えられた。鎌倉時代初期であれば一般的な寿命であろうが、有名な僧侶は何か長寿であると先入観念があった。長寿の怪物というと直ぐに室町時代の浄土真宗・本願寺中興の祖とされる蓮如(1425〜1499)を思い起こす。84歳で亡くなるまでに5度の婚姻で子どもが27人(男13人。女14人)というから、自ら妻帯して子どもも多かった浄土真宗の宗祖・親鸞の直系としてお見事というべきか。その親鸞(1173〜1262)は89年の生涯であるからやはり当時としては異常に長寿であったのだろう。ついでに他の高僧についても調べてみると、空海(774〜835)は61歳、日蓮(1222〜1282)は60歳の生涯。いずれも生きた期間を比較してみても何も意味はない。言えることはいずれの宗祖、高僧方の生涯も最後の最期までいわば“戦い”の連続であったことか。「正法眼蔵」の中で仏法の「身人一如」を説き、死後のことを気にしない生き様を薦めている。悟りは脳を老化させない高等手段でもあるのだろう。
2013-06-29 @中目黒公園にて

6月30日(日) <「mieuへの絵手紙・日光東照宮内/上神庫」・・・>
「mieuへの絵手紙・日光東照宮内/上神庫(かみじんこ)」(ペンと水彩)を今日の作品として表紙に掲載した。先日、日光へ旅行したときの絵。有名な東照宮の陽明門手前に三神庫(さんじんこ)とよばれる建物が三棟並んでいる。上神庫、中神庫、下神庫の三つで、倉庫として御神宝や武者行列に使われる1200人分の装束、流鏑馬(やぶさめ)の道具などが収められているという。絵手紙に描いたのは「上神庫(かみじんこ)」。奈良の正倉院と同じ校倉造り(あぜくらづくり)で倉庫といっても立派な宝物殿である。・・この絵手紙をNYに住む孫娘mieuへ投函はしたが、まだ到着はしていないだろう。来週にはmieu家族が日本に一時帰国して一緒に旅行する予定だ。mieuが来たら絵手紙ではとても伝えきれない日本の文化に思う存分触れさせてやりたい・・。
 2013-06-30@目黒川にて(田楽橋近辺)

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