2013-09-11 谷中霊園内徳川慶喜の墓 谷中霊園から見た東京スカイツリー9月12日(木) <今年はサンマに縁がない・・・> 今年はサンマに縁がないかも知れない。先の日曜日、8日に東京・JR目黒駅近く(品川区)で開催された恒例の「目黒のさんま祭り」にも行かなかった。例年は岩手県宮古市のサンマが提供されるが今年は異常気象のため宮古ではサンマが不漁なので北海道・根室で水揚げされたサンマが用意されたという。次の日曜日、15日には目黒区で「目黒のさんま祭」が開催されるが、こちらにも行く予定はない。昨年は家から歩いて祭りの会場まで行ってみたが余りの混雑に早々に退散した覚えがある。目黒区の「さんま」は気仙沼市(宮城県)とタイアップしているが今年はどうなるのだろう。ニュースでは昨日、例年の20日遅れで今季初のサンマが気仙沼港で陸揚げされたと報じられている。新サンマの価格は昨年の約2倍の高値とか。それにしても今日は30℃を超す残暑でありながら秋の味覚、サンマが話題になるようになった。秋はもうそこまで来ている。「秋」は大歓迎であるけれども、松茸にも栗にも秋刀魚にもそれほど執着がないのは、いいことか悪いことか。「味覚」がお粗末だと言われても反論はできないなぁ・・。9月13日(金) <「ハンバーガーと秋」・・・> 「ハンバーガーと秋」か「ハンバーガーと恋に落ちる」か知らないが「FALL in BURGER」の期間限定フェア真ただ中の店で巨大ハンバーガーを食べた。今日の昼、東京・新宿のJ.S.BURGERS CAFEという店でこれまで見たことのないほど大きなハンバーグを食べたのであるが、味やトッピングなど付属のサービス、価格などを含めたトータルでの満足度は申し分がなく”当たり”であった。最近はこのようなアメリカンスタイルの巨大バーガーを提供する店が多くなったようだ。後でチェックしてみると、J.S.BURGERS CAFEのJOUNAL STANDARD(J.S.)はファッションブランドの系統の店であり、本体はベイクルーズ・BAYCREW'Sという会社。全くの異業種がハンバーガー店を開く。私などマクドナルドしか縁がなかったが、この業界も凄まじく変貌している。時に外食をすると別の世界が見えて面白い。 今日の表紙に掲載した写真は陶芸作品「24面体」を植木鉢に乗せて庭で撮った。 <明日は陶芸仲間と小旅行のためコラム休みます> 9月15日(日) <波の音で目が覚めた・・・> 波の音で目が覚めた日曜日。昨日から続いて千葉・館山の海沿いにある別荘で遊ばせてもらった。陶芸仲間数人と仲間の別荘にお邪魔して、海で泳ぎ、貝や海老をとり、またトランプ遊びをしたり、時には陶芸や芸術について議論したりとこれぞ非日常の贅沢三昧・・。陶芸の仲間であるけれども、女性は勿論、男性も皆そろって料理が上手であるのに驚かされる。それもただの料理でなく海で収穫した食材も含めて名人級の味を作る。誰もが他人の指示で動く待ちの人ではないし、また論評をするだけの評論家でもなく自分でやってみせる人であるのに大いに触発される。台風接近で波が高くなったものの、今朝強く降った雨が午後には上がり晴れ間も見えた。明日の敬老の日、台風はどう進むだろうか・・。 2013-09-15@館山・千葉県 9月16日(月) <敬老の日の台風来襲・・・> 敬老の日の台風来襲で予定を変えざるを得なかった人が多かっただろう。町内会で世話役をしている知人がお年寄りに記念品を配って歩くことができなくなると困っていた。日本列島を縦断した台風18号は今(16日午後5時半)は宮古から三陸沖を北上中か。東京では強い風も雨も夕方には収まって台風一過の夕焼け。今日は余り身体を動かしていないので夕方大風で飛ばされた道路上の雑物掃除を始めた。家の向かいに大きな姫リンゴの樹がある。ファッション関連の会社が所有している樹木であるが私が毎日早朝この樹木の下も掃除する習慣にしている。今日は休日で人がいないので遠慮せずに姫リンゴを掃除できた。このところ毎朝道路に散乱するかなりの数の姫リンゴを処分しているが今日はその何倍もの数の小さな林檎や引きちぎられた枝などがあり掃除のやりがいがあった。姫リンゴの小さな球だけであれば道路の片隅に転がっていても情緒があってよさそうに思えるが実際には自動車がリンゴ球を踏みつけて汚してしまう。都会の道路沿いの樹木というのは実や葉が落ちる時期にはゴミ発生機となるのが悩ましい。・・とこれは他人事でなく自分のこと・・。9月17日(火) <宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英語に飜訳・・・> 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英語に飜訳した作家ロジャー・パルバースさんがニューヨークで野間文芸翻訳賞を贈呈されたというニュースをみた。ロジャー・パルバースさんは1944年ニューヨーク生まれ、ハーバード大学大学院を卒業後世界各地で活躍する作家、演出家(現在オースオラリア国籍)。日本とも縁が深く、東工大の教授、宮沢賢治賞も受賞した。パルバースさんの「雨ニモマケズ」は「Strongin the rain」(パルバースさんの英訳全文=ここ)。このリンクしたページにも説明があるが、「雨ニモマケズ」の英訳にはいろいろある。「Unbeaten by rain」とか「Notlosing to the rain」、「I will not give in to the rain」など。私には英語の微妙なニュアンスは分からないが、宮沢賢治の詩がこれほどまでに英語で紹介されているのが何か誇らしい。宮沢賢治(1896〜1933、37歳で没!)が今の岩手県花巻で産まれる2ヶ月前に三陸地震が、産まれた直後に陸羽地震が発生し賢治の母親は念仏を唱えながら赤子を守ったという逸話がある。東日本大震災の後に改めて宮沢賢治とその作品が注目されるのもむべなるかな。俳優の渡辺謙さんが震災に関連して「雨ニモマケズ」を英語と日本語両方で朗読する動画(=ここ)が感動的だ。また、それ以上に宮沢賢治の原文「雨ニモマケズ」を繰り返し読めば読むほど心に染み渡る。Such a person,I want become. 2013-09-17北沢川力緑道にて9月18日(水) <百歳以上に8万円の敬老祝い金・・・> 百歳以上に8万円の敬老祝い金が支給された群馬県高崎市で祝い金の是非について議論が交わされているという。一昨日の敬老の日には既に支給された訳だ。昨年度高崎市は100歳以上の201人分を含めて総額8400万円の「敬老祝い金」を支給したと記事にある。昨日亡くなったトヨタ自動車の最高顧問、豊田英二氏は100歳であったし、先週亡くなった灘校の名物教諭が101歳であったとか、百歳を超えて死去した人が報道されることも珍しくない。老人方から反発を食うことを覚悟でいうと超高齢化社会となりつつある今「敬老祝い金」は最早廃止すべきと考える。今や年齢を重ねたことは特別に祝うことではない。最近、認知症患者に関する本を読んだり、周囲が大変な思いをしながら老人を介護する実態に触れると老人問題はお祝いムードとはほど遠いとの思いが強くなる。むしろ迷惑老人が亡くなった時点が周囲にとって目出たくなるのが皮肉っぽい。老人は何のために生き続けるのかなどとは問うまい。老人が生きるために社会が既に相応の負担をしている。少なくとも老人はそれ以上に現役で働く世代の子どもたちに面倒をかけてはならない、負担を強いてはならない。老人が特別の存在ではない超高齢化社会では「敬老」は死語となると認識しておこう。9月19日(木) <いつまでもあると思うな○と○・・・> 「いつまでもあると思うな○と○」の○に何を入れるか。諺(ことわざ)では言うまでもなく「いつまでもあると思うな親と金」、その後「無いと思うな運と災難」と続く。「親と金」は親と非常に親密でべったりと付き合っている人、お金を持っている人が実感するだろうが、私のように既に親がなくお金もなければ他のものを入れなければならない。考えてみるとこの世の全てが「いつまでもあると思うな」であることは間違いない。諸行無常である。このところ現在住んでいる家を手放し新たな行き先を探す事態となってから急に共同庭の手入れを頻繁にやるようになった。いつまでもこの庭と一緒でないと思うと俄然今のうちに世話をしたくなる。永遠でないから余計に愛おしくなる心理は全てに通じるのかも知れない。同じように、愛用するカメラ、パソコン、携帯電話などの物品は勿論、自分の持っている健全な目、耳、歯、身体、頭脳(頭髪はなくて元々)、やはり連れ合い、そして最後は我が命まで、何でもが「いつまでもあるものでない」と思うだけでこれまでになく無性に愛おしくなる。みんな大切にしなければならない・・。9月20日(金) <いつの間にか彼岸花・・・> いつの間にか彼岸花が咲いている。そういえば今日はもう彼岸の入り。夕方、久しぶりに西郷山公園まで歩いて行った。以前、犬(コーギー)を飼っている時には毎朝犬を連れて公園まで散歩したが最近はほとんど行くことがない。途中で初めて見る新しい店舗や前に何があったか思い出せないマンションの工事現場の横を通って公園に着く。西郷山公園で今日一番目についたのがオシロイバナ。公園の中の至る所で自生しているので生命力が抜群に強いのだろう。一方、オシロイバナ(白粉花)は見れば見るほどユニークな花だ。一つの株から赤や白、さらに混ざった色の花を咲かせるのはどんな仕組みなのか、植物学者なら絶好の研究材料になりそうである。「白粉の 花落ち横に 縦にかな」(高浜虚子)。・・昨日が満月の中秋の名月であったので、一日遅れの今夜、お月さんの写真を撮ったがただの丸。望遠鏡を使わないと月の写真は面白くない。ひとまず「今日の月」をオシロイバナの写真に重ねてみた(下の写真右上)。