これまでの「今日のコラム」(2013年 10月分)

10月4日(金) <世界遺産「白川郷・五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」・・・>
世界遺産「白川郷・五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」を訪れた(10/1〜10/3)。世界遺産としては一緒に登録されているが白川郷は岐阜県(最北部)五箇山は富山県(岐阜県との県境)で双方の集落は約20kmほど離れている。一般的に白川郷が有名であるが今回はじめて五箇山(菅沼集落)を訪れてみて五箇山の静かな景観は白川郷に勝るとも劣らずすばらしかった。豪雪地帯に合わせた日本独自の建築様式である合掌造りは何と言っても姿形が美しい。それにしてもこれらの歴史的建造物を維持する苦労が思いやられる。今回の旅行では世界遺産巡りだけでなく飛騨高山の旧い街並を散策したりもした。その中で高山の街の一角にある「吉島家住宅」が非常に印象に残ったので挙げておきたい(吉島家住宅リンク=ここ)。この建築は明治時代に再建修理された酒屋で重要文化財に指定されている。私はいくつもの部屋に現代の書家、篠田桃紅の作品が飾ってあり全てが旧い建造物と見事にマッチしているところが何より気に入った(ちなみに篠田桃紅さんの本籍は岐阜の関市で吉島家とは遠縁に当たると聞いた)。
 
2013-10-04 白川郷にて
 
五箇山・菅沼集落

10月5日(土) <今日一日「捨行」に励んだ・・・>
今日一日「捨行(しゃぎょう)」に励んだがまだ道は遠い。三年ほど前に「断捨離」という言葉が流行したが、これはヨガの行法「断行(だんぎょう)」・「捨行(しゃぎょう)」・「離行(りぎょう)」を応用してモノを片づけ心豊かに暮らす生活術を提案した。「断」は入ってくる物(欲望)を絶つ、「捨」は不要な物を捨てる、「離」は物への執着から離れることとされたが、私の場合、新しく入手したいものはそれほどないし、執着心もないが、使用していないし今後使う見込みのないモノが山ほどある。先ず「捨てる」ことから始めている。実践に当たっては前に(9/26コラム)に書いたことがあるが最近読んだ「人生がときめく片づけの魔法」(近藤麻理恵著)の流儀で、一度手で触ってみて”心がときめく”ものだけを残して他は全て処分とした。思い出のあるモノには“感謝”の別れをして捨てる袋に入れた。モノを処分するだけでは人生豊かになれない。お気に入りの”ときめき”を感じるモノに囲まれてこそ幸せになるのは確かだろう。それにしても自分では執着がないけれども、まだ使用できるので喜んで使用してくれる人がどこかにいると思えるものが沢山ある。ゴミとするには”もったいない”モノを社会全体で活用する仕組みがないものか・・。
10月6日(日) <二年ぶりに大学の同窓会・・・>
二年ぶりに大学の同窓会(機械工学科)に出席した。卒業当時の約20%の人数が集まったが既に鬼籍に入った人が17%もいた。出席できた人は健康に恵まれた幸せ者といえる。それでも出席者のスピーチを聞いていると大病を患ったり治療を続けている人も多く、それぞれに苦労を経験している。親の話をする人がいたが、一人は103歳になる母親。もう一人は100歳になる母親を面倒見ているという。一方で介護に専念しなければならないので欠席しますとメールで近況を報告した人もいた。高齢化社会の現実を見せつけられる集いになったのも止むを得ないか。そうかと思えば放射能や原発について議論し合う工学部出身者の側面も見せる。同じ年月を生きている人々の生き様がみな違うところがいい。そしていろいろな話の中から何らか啓発されるのも確かである。

10月7日(月) <創作活動と片付け・・・>
創作活動と片付けや整理整頓とは両立しないのだろうか。最近、不要品の処理とか身辺の雑物整理をしながら創作が一向にはかどらないのでそんな疑問が湧いてくる。陶芸にしても絵を描くことにしても”役に立つ”ことを一義的に考えることはない。やりたいから作る、描く。結果として必要とされないこと、ゴミとなることを心配していては創作などできない。しかしながら創作作品以外のものを片付けても創作とは本来無関係であろう。片付けはいわば「守備」と考えようか。そして創作活動が「攻撃」。攻撃を活かすためには守備を確実にやらなければならない。このところ守備ばかりやっているのでそろそろ攻撃に転じなければならない・・。

10月8日(火) <今日の表紙に陶芸作品・・・>
今日の表紙に陶芸作品「小皿」を掲載した。久しぶりに陶芸教室をのぞくと、この小皿が焼き上がっていたので持ち帰ったもの。これは以前三角錐を制作しているときに使った貫入土が余ったので、これを使って気楽に制作した単品だ。釉薬の模様もマスキングテープを使って遊んだ。陶芸教室に自転車で行ったついでに、これも久々に中目黒公園に寄ってみた。今日は10月というのに28℃を超す異常な暑さになったが公園に何か秋らしい風景がないかと探した<下に写真掲載>。写真は掲載しなかったが、カリンや柿の樹木には果実が満載。残暑がまだ続くけれども収穫の秋は直ぐそこまで来ている・・。

2013-10-08 @中目黒公園(東京・目黒区)にて

10月9日(水) <今年のノーベル物理学賞・・・>
今年のノーベル物理学賞には「ヒッグス粒子」の存在を提唱したピーター・ヒッグス氏(英国)とフランソワ・アングレール氏(ベルギー)の受賞と報じられている(10/8)。予測された素粒子の中でも唯一見つからず「神の粒子」とも言われた「ヒッグス粒子」を今年スイスのCERN(欧州合同原子核研究所)の巨大装置を使って国際実験グループ(日本人も多く参画)が発見したと話題になったばかりだ。たまたま今KINDLE(電子図書)で「重力とは何か=アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」(大栗博司著)を読んでいる最中で、重力研究が宇宙の創成につながる壮大な物理の世界に浸っている。この本は素人向けに随分易しく解説してくれているとは思うけれども私などは雰囲気だけで本当にはとても理解できていない。50年前の原子、分子、原子核までの知識では、その後の陽子、中性子さらにはクオークなど素粒子の分野へはとてもついて行けない。ヒッグス粒子も質量の仕組みを考察する過程で提唱されて宇宙創成の瞬間まで関連する。次々に物質や宇宙の成り立ちが解明されるロマンを垣間見ることはできるが、人間は知れば知るほど新たな不思議を生み出すだろう。天才たちがやるべきテーマに終わりはない。
「今日の写真」(下)は目黒川にて。日本海側を通過中の低気圧(台風)によって東京の気温28℃、風も強かった。
2013-10-09 目黒川(東京)田楽橋にて

10月10日(木) <「mieuへの絵手紙・白川郷にて」・・・>
「mieuへの絵手紙・白川郷にて」(ペン&水彩)を表紙に掲載した。先日、白川郷(岐阜県)を訪れたときの風景をmieuへの絵手紙としたもの。白川郷は「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されているので、この際、世界遺産についてレビューしてみる。現在のところ日本で世界遺産に登録されている数は文化遺産が13件、自然遺産は4件で合計17件である(ちなみに富士山は”信仰の対象と芸術の源泉”として文化遺産、また「原爆ドーム」が一つ、負の文化遺産として登録されている)。全世界では世界遺産には981件が登録されており、数の多いのはイタリア49件、中国45件、スペイン44件など、日本の17件の登録件数は13位だ。一方で気がつくのは、幸福度世界一とも言われた王国ブータンでは一つの世界遺産も登録されていない。勿論、この国には歴史ある僧院や美しい自然があるけれども・・。「遺産」という言葉でいうならば、私には東京でもニューヨークでも目にする街は全て人類の遺産にみえる。プラスマイナス零程度の遺産もあれば大きな正の遺産も多い。登録された遺産と違うところは、これらの遺産をベースに新たな価値ある遺産造りをするのが今生きている人の役割というところだろうか・・。


10月11日(金) <11日は義兄の月命日・・・>
11日は義兄の月命日で今日も谷中に墓参りにいった。6月に義兄が急逝して4ヶ月。義兄はそれまで私の息子の月命日の墓参にほとんど毎回同行してくれた。世田谷にあるお寺で墓参の後、二子玉川で昼食バイキングを一緒にとるのがお決まりコースで、それも義兄がバイキング費用を払うと言ってきかなかった。お返しでもないが今度は義兄の月命日に妻と一緒に谷中のお寺に墓参りに行くことを決めている。墓参りした後、谷中の近くを散策することにしており、今日は根津神社までいった。谷中に隣接する千駄木とか根津界隈には夏目漱石、森鴎外、林芙美子など文豪たちが居を構えていた場所も多く、散策するにも行き先を選ぶのに困るほど名所が多い。主祭神がスサノオノミコトという根津神社には初めて訪れたが随分に派手な神社の模様に少々驚いた。今日は都心で30℃を超す真夏日となったと報じられているが、散策の間、i-phoneをポケットに入れて歩数を計測すると11000歩を超えていた。
 
2013-10-11 @根津神社(楼門<ろうもん>/重要文化財)

10月12日(土) <記憶のメカニズム・・・>
記憶のメカニズムはどうなっているのか、自分の脳を心配する出来事が続く。最近、陶芸の制作にしばらく関わっていない(完成品を受領するだけは4日前にやった)。今日、素焼きが完了した作品が一つの残っているはずなので釉薬をかけるために陶芸教室に行ったが、どんな作品であったか実物を見つけるまで思い出すことができなかった。このところ他の用事で陶芸に関与できなかったといってもわずか1ヶ月前に粘土をこねて制作した卵形の一輪挿しのことが完全に記憶から抜けていたのをどう解釈するか。更にもう一つ。身辺の片づけを進めている中で大きな段ボールに描いた3〜4枚の絵がでてきたところで何のためにこれらを描いたのかが思い出せない。10年ほど前に自分で描いたのは確かでなかなか面白い絵だが段ボールを使った理由が記憶に残っていない。人間の脳の記憶のメカニズムは大脳の中の「海馬」が関わっていることはどの解説書にも書いてある。全ての情報(5感)は「海馬」で一度整理整頓されファイルされる。新しい記憶(短期・中期の記憶)も海馬が先ずとらえて、その中で”特別必要なもの、印象的なもの”と海馬で認識した内容が「大脳皮質」に長期保存されるという。アルツハイマー型認知症になると海馬がダメージを受けるので少し前の記憶が怪しくなるが、大脳皮質に保存されている古い記憶(長期記憶されたもの)は正常で認知症でも昔のことをよく覚えているのはそのためと説明されている。さて、陶芸作品「卵形一輪挿し」が何故記憶から欠落してしまったのか。そもそも粘土で制作を始める時の愛情不足であろうか。粘土が余ったので何でもいいから作っておこう、事前の計画も考えもなしに手の動くまま作っていると卵形になった・・。これではやはり記憶に残らない。気合いが入っていないと見事に脳も手抜きをする。脳は正直だ・・。

10月13日(日) <昨夜はドミンゴのコンサート・・・>
昨夜はドミンゴのコンサートに行った。ドミンゴはご存知の世界的テノール歌手。「三大テノール」として知られたイタリア生まれのルチアーノ・パヴァロッティは既に数年前に亡くなり、スペイン生まれのプラシド・ドミンゴとホセ・カレーラスがいまだに現役。昨夜のコンサートは日本とスペインの交流400周年を記念した公演とのことで皇太子殿下もご来臨された(@東京国際フォーラム・ホールAにて)。ドミンゴにソプラノ、スペイン舞踊家が加わり東京フィルハーモニー交響楽団の伴奏というコンサートで、たまたま切符をいただいてこのコンサートに行くことができた(感謝!)。今回はじめてあのドミンゴさんは私と同年生まれ、それも2日だけ私が先に生まれたことを知った。ドミンゴさんはテノール歌手だけでなく、今は音楽監督や指揮者として幅広く活躍しているが、私自身の体力を考えると、ドミンゴさんの声の方はピークを過ぎて衰えているのでないかと勝手に想像していた。ところが、これが大間違い。最盛期の実際の声を聴いたことはないが、昨夜は声量、声質、張り、勢い、ニュアンスなどさすが世界のテノール歌手とはこういうものかと感じ入った。アンコールでは懐かしの「ベッサメムーチョ」もよかった。最後は日本語で「ふるさと」。一昨年の大震災の後、原発事故の影響で外国からの演奏家がみな日本公演をキャンセルした中、ドミンゴさんだけは予定通りに4月の公演を実施して日本人を励まし、最後に客席の人々と一緒に唱歌「故郷(ふるさと)」を大合唱したことが伝説となっている。昨夜もまたそれを彷彿とさせる見事なエンデイングだった。
2013-10-13@恵比寿ガーデンプレイス/恵比寿文化祭開催中

10月14日(月) <今日の表紙に「mieuへの絵手紙・無題」・・・>
今日の表紙に「mieuへの絵手紙・無題」(墨&水彩)を掲載した。妻と外出する予定があり、準備を整えて待っていたら30分出発が遅れると云うので、急遽ハガキ用紙をとりだしてこの時間に描きあげたもの。つまり30分の間に何を描こうと意識せずにその瞬間に思うがまま筆を走らせた結果である。私はこのように他人を意識せずに好き勝手に描くやり方が好きだ。それならば毎日何枚でも描けばいいものを、それが何故かできない。できないけれども以前表紙の枠を作った時点で「今日の絵」の名を付けたのは毎日作品造りを続けることを考えたからでもある。毎日30分で作品造りができるという原点をもう一度見直そう・・。「無題」というタイトルは好きではないが勿体ぶった題をつけるより増しだろうと「無題」にしてしまった。毎日「無題」の絵を描けば、題はなくてその日の心情が表せるかも知れない。

10月15日(火) <運を天に任せる・・・>
運を天に任せるのが精神衛生上一番よいという。別の言い方をすれば精神的な疲労・ストレスを最小限にするには自分の努力の範疇でないことは運命と思って気にしないこと。大型の台風26号が接近中で明日未明にかけて関東を直撃する予報がでている。もしかすると今日元気にしている人が台風で命を落とすことになるかも知れないが、大方の人は大風で吹き飛ばされないように屋外のものを取り込むなど自分でできることだけをやり、後は成り行き任せ。だから台風も怖くはない。台風ならば心静かに運を天に任せることができるのに、人は他人の思惑や人間関係など自分で関与できないことを思い悩み、ひどくなると病気になってしまう。人間を相手にするから人はくたびれる。同じことでも、神の思し召し、運命と思うと許せる。勿論、人は運命を切り開く努力も怠りない。たとえ”神も仏もあるものか”と思える結果だったとしてもそれは神の思し召しによる試練と解釈もできる。昔の人は実にうまいことを言っていた:「人事を尽くして天命を待つ」。

10月16日(水) <「ななつ星」が評判・・・>
「ななつ星」が評判となっている。昨日10月15日に運営開始したJR九州の豪華観光寝台列車のこと。この7両編成の「ななつ星」列車は九州7つの県を、7つの観光テーマを持って巡る。3泊4日で費用が40〜90万円もかかるのに予約殺到で抽選でないと切符は手に入らないとか。客室は高級ホテルの造り、もちろん全個室にはシャワー・トイレ付き、洗面台は有田焼の人間国宝の作という調子。私が一番注目したのはこの豪華列車を発案し推進したのが工業デザイナーの水戸岡鋭治さんであるところだ。水戸岡さんは数々の斬新な鉄道車両(九州新幹線、電車「つばめ」など)をデザインした実績を持ち、鉄道関係者や鉄道ファンなら誰でも知っている有名デザイナー。今回「ななつ星」の調度品から内外装全てをデザインしたのも水戸岡さんだ(年齢66歳=ここ=参照)。水戸岡さんのデザインだから乗りたくなる、見たくなる、人が集まる。鉄道に限らず一般的にも、デザイン一つで生活が豊かになり、またデザインを目玉にして大きな事業を展開することも可能であるのは確かであろう(Appleの戦略がそうであった)。このようなデザインのものすごい力を改めて教えてくれる「ななつ星」である。
2013-10-16 台風一過の中目黒公園(東京・目黒区)にて

10月17日(木) <「おでんぬいぐるみ」を求めて7000歩・・・>
「おでんぬいぐるみ」を求めて7000歩。ニューヨークに住む娘・孫娘がローソンの”秋のリラックマフェア”で発売されている「おでんぬいぐるみ」(=熊がおでんを抱えたぬいぐるみ)を買ってほしいという。今日の午後、ローソンの店舗をインターネットの地図で検索しローソンの店を巡った歩数が7000歩という訳だ。合計6店舗を廻ったが結局数量限定の「おでんぬいぐるみ」を手に入れることはできなかった。今日の午前中にはテニスで一万歩以上の運動をしているので、ローソン巡りの後、国立新美術館(東京・六本木)に着いた時にはいささかバテていた。国立新美術館の中の椅子に腰掛けてしばらく休んだ後、開催中の「独立展」をみた。この絵画展を見ながら身体の調子が絵画の見方に大きく影響することを実感した。どんな絵画展であっても極力いいところだけに目を向けてプラス評価することを信条としているはずなのが、疲労困憊しているとそれができない。絵を描く人は個性とか自己主張とかいいながら何と独りよがりで傲慢なんだとか、100年一日のごとく変わりがなく工夫もない絵だとか、マイナス面ばかり見る。頭と体力に余裕がないとこれほどまでに拒否反応が強くなるのかと我ながら情けなくなった。
こんなことを言いながら「mieuへの絵手紙」を表紙に掲載 。代わり映えしない絵でもハガキサイズの小品ということでお許し頂こう。


10月18日(金) <立つ鳥跡を濁さず・・・>
「立つ鳥跡を濁さず」という。一般的に立ち去る者がきれいに後始末をしていくこと、引き際を美しくすることには異論はない。最近、遠からず転居しなければならないので身辺整理やら部屋片づけを始めているが、こちらが去った後に部屋や家が残らないのであれば、濁すも濁さずもないと気がつく。けれどもできる限り”美しく”して去りたい心情はある。関連して人があの世に旅立つときに”跡を濁さず”とはどういうことになるか考えてみた。相応の年齢で人が亡くなる場合は死によって全てが浄化されるので”濁さず”の配慮はいらないとみたい。跡にゴミの山があろうが、生前罵詈雑言を周りにばらまいていようがほとんど関係がない。この世にいなくなることが一番の浄化作用である。旅立ちが濁りも汚れも全てを解決してくれるとして、一方でその人の光り輝くもの、美しいものだけは残る。輝きが人の心の中に永遠に残り続けるのが人間。死んでしまえば「後は野となれ山となれ」で十分であるが、ただ人徳の輝きだけが後の世を照らす・・。
2013-10-18インスタレーションは代官山ヒルサイドテラスにて

10月19日(土) <「今日の表紙」に「mieuへの絵手紙・無題」・・・>
「今日の表紙」に「mieuへの絵手紙・無題」(水彩)を掲載した。今日のコラムを書く時間になり、さて何を書こうかと思案する。今晩11時からNHKのETV特集で放映される予定となっている90歳の詩人・加島祥造さん(「ひとりだ、でも淋しくない」のサブタイトルあり)のことを書こうか(=ここ
、それとも「徳川慶喜の食卓」にしようか、いや「医者に殺されない心得」にしようかなどと迷った末に、結局「mieuへの絵手紙」を掲載しての絵手紙の話題とする。10月14日に同じ「無題」のタイトルで「mieuへの絵手紙」を掲載したが、この時のコラム(10/14=ここ)で書いたように絵手紙は毎日でもアウトプットが出せる作品造りとして絶好の素材だ。ニューヨークに住む孫娘・mieuはもう13歳になった。普段は妻とスカイプでお互いに顔をみながら話をしているので「絵手紙」はいわば一方通行の贈り物に過ぎない。mieuへの絵手紙は途中から番号を付け始めて、今回は140枚目となる。ほとんどをこのホームページのギャラリーで見ることができるが、改めて自分で見てみると何だ最近はほとんど「絵手紙」しか絵を描いていないではないかと内情がばれる。mieuの学校では今はほとんどペーパーレスとの話を聞く。普通の授業は教科書もパソコンで、更に宿題からレポート、グラフ作り、テストなど全てノートパソコン(i-Pad)なので鉛筆を使う機会がないという。一方で、思う存分筆を走らせて描く美術の実習時間はパソコン授業と全く別にあるようだ。

10月20日(日) <朝から一日中雨・・・>
朝から一日中雨が降り続いている。爽やかな秋晴れの下で秋の行事が予定されていたところが多かっただろうに・・。なぜか元気がでないのは雨のせいか、20数年前に相次いで亡くなった父母の経緯を整理したせいか。気分が晴れないときには読書がよい。現実からの逃避である。私の場合、ストレスから脱却するには”宇宙とか物理の本を読むのが一番効果的だ。時間や空間が歪むとか超巨大ブラックホールだとか六次元空間とか天才たちの頭脳が考え出した”真実”に触れていると俗世間の小事を忘れる。それにしても物理学者には到底なれなかったと当たり前ながら思う。そうだ、高校生の頃に物理研究部に所属して「霧箱(きりばこ=ここ=参照)」などを作って喜んでいたことを思い出した。手作りの霧箱で宇宙から降り注ぐ宇宙線、放射線を観測したものだ。宇宙から降り注いでいるアルファ線やベータ線などの飛跡を見ながら、我々の身体を貫通しながら常時降り注いでいる放射線に感動した。この程度の物理で遊んでいたのが一番幸せだったかも知れない。
10月21日(月) <今日の歩数は13000歩・・・>
今日の歩数は13000歩余。私は毎日歩く歩数にこだわることは全くないし、歩数を記録することもしない。けれども周囲の人を見ると「歩き」を趣味にしている人は結構多い。実際に中山道や東海道を歩いている人もいれば、毎日1万歩をノルマとしている人もいる。先日の同窓会では15年間毎日の歩数記録をとり、間もなく歩きで地球一周(=4万km)を達成するという人がいた。私の場合は今日は午前中にテニスをやったので1万歩を越えたが普通の日にはとても1万歩にはいかない。ただ歩くことを面倒だとか億劫と思うことは一切ない。昔は時間が大切で歩く時間が無駄という感覚があったが今は違う。散歩の時間は考え事をするのに最適だし街の移り変わり季節の変遷に接するだけで頭はリフレッシュする。歩きの時間はいまや「贅沢な時間」となった。今日のような秋晴れの日には先ず外へ出たい。今年、没後30年にあたり色々なイベントが催された寺山修司(詩人、劇作家)の言葉(本のタイトル):「書を捨てよ、町へ出よう!」(=ここ=参照)。
10月22日(火) <ベートーヴェンの交響曲第3番・・・>
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を久しぶりに聴いた。それも親戚の家で作業をしながらCDを小さな音量で聴いたのであるがクラシック音楽はいいなあと感動した。特に第2楽章の葬送行進曲を聴いていると深く複雑な思いが交錯した。この曲を心魂を傾けて聴いていたのはおよそ50年ほど前になる。もちろんCDではなくLPレコードだった。その後何度か「英雄」に出会ったことはあるが20歳前後の真剣な聴き方には及ばない。その頃、クラシック音楽といっても、マーラーの交響曲(レコード)を全て集めてみたりストラヴィンスキーに傾倒していたけれども、ある時期からやはりベートーヴェンなどいいものはいいと納得した思い出もある。それにしても最近は余りに交響曲の音楽とは疎遠になっていたと反省する。70を過ぎた年齢になってシンフォニーを聴くと一つ一つの音の重なりが脳の隙間に入り込んで脳細胞を活性化しているのが実感できる・・といえば大袈裟過ぎか。昔のLPレコードは全部処分してしまったが、今はインターネットを使うとクラシック音楽を聴くのも容易。またインターネットの活用分野が広がりそうだ。<「英雄」のYouTube例=ここ>。

10月23日(水) <振り込め詐欺から電話・・・>
振り込め詐欺から電話があったと妻が騒いでいる。これで何度目の詐欺電話なのだろう。以前、私が海外出張中に”ご主人が電車で痴漢をして捕まりまして・・”などというひどい電話もあった。知人でも息子が家にいる時に”僕だけど・・”と電話がかかったり、周囲のほとんどの人が詐欺電話を受けた経験者だから、詐欺師の電話回数は大変なものだ。今回の電話もよく聞く手口。社会保険庁からと称して法律が変わり保険金が還付されることになったと切り出す。ついては○○円を支払うので・・、そこまではよかったのに、銀行のATMに行って・・とくるので、妻でも直ぐに詐欺だと気付いてしまう。後になって、そしらぬ振りをして相手の話をじっくり聞いていれば面白いのにと言うのは簡単だが、大抵の人は詐欺と分かったとたんにドギマギして相手に直ぐに切られてしまうようだ。それにしても今でも振り込め詐欺が続くということは詐欺師が儲かるほどの確率でだまされる人がいるということ。昔から「千のうち三つしか本当のことを言わない嘘つき」を「千三つ(せんみつ)」というが、確率からも1000の内の3(=0.3%)は例外的な分野とされる。「千三つ」でだまされる人がいると一日中電話をしていても成り立つのか、それともだまされる人はもっと多いのか、詐欺師のみが知るか・・。
2013-10-23干し柿/柿は東京・目黒区の無人販売所で購入

10月24日(木) <今日は1000日目・・・>
「今日は1000日目です」と昨晩Wiiのバランスボードに乗った時に表示が出た。ほとんど毎日WiiFit Plus(任天堂の健康管理ゲームソフト))を続けているが1000日間の記録がある訳ではないので一つの過渡期に過ぎない。このゲーム機ではボードの上に乗って体重計測と肥満度チェック、更にランダムに選ばれた2種類のバランステストを行い左右のバランス機能や反応を採点して「バランス年齢」を表示してくれる。ボードの上に片足で立ったり、ウォーキングしたり、動く目標に重心を移動したり、障害物を左右に避けながら流れを下るなど色々なテーマがあり、私の場合、テストの組合せによって成績が顕著に異なる。反射神経ものは得意だが片足バランスが苦手。1000日目の昨日はバランス年齢がはじめ19歳と表示が見えたけれど最終判定は20歳となった。テスト内容よって20歳になることはよくあるが悪い時には48歳なんて言うこともある。まあ、70歳とならないことでよしとする。「千日」というと比叡山の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を連想する<=ここ=参照/一ヶ月前、この荒行を二度達成した酒井雄哉さんが87歳で亡くなったことが大きく報じられた>。これは7年をかけて通算千日の間に行う信じがたい荒行として知られる。同じ「千日」でもこのような重い千日もあることを思って、Wiiの千日を次の千日につなげよう・・。

10月25日(金) <脳にいいこと・・・>
「脳にいいこと」は何か、理屈でなく体験としてかなり明瞭に分かってきた。「脳にいい」とは何かと問われれば「ストレスがなくなること」、「気分が良くなること」、「前向きの行動に意欲が出ること」、「ぐっすりと眠れる状態になること」などか。私の経験では創作に没頭するのが一番よい。絵画でも陶芸でも世界に二つとないモノをいかに創るか、頭の中で考えているだけでも「脳にいい」と実感できる。反対に脳に悪いことは挙げればきりがない。お金と特別の人間が絡むのが最悪。威張る人間、文句ばかり言う人、批評ばかりする人、何でもマイナス思考をする人が苦手だ。まじめに介護問題を考えたり将来を心配するのも脳には悪い。それでも俗世間とのお付き合いも必要だからストレスは途切れることがないのだろうか。読書は明らかに「いい」方向に触発されるので本は読みたい。結局はプラス思考をいかに取り込むかで脳は変わる。余計な心配事をしないことも大きいなぁ。「ケセラセラ」がベスト。Quesera sera、Whatever Will Be, Will Be、なるようになる!!
10月26日(土) <今になって父の重さ・・・>
今になって父の重さを思う。父と母が2ヶ月違いで相次いで亡くなってから既に26年が経過している。あらゆる面で父母の”お陰”を感じるこの頃だが、もし、偶然の父母のつながりがなければ私などこの世に存在しなかったというだけではなく、戦争の緊迫感がなければ生を受けたかどうかも分からない・・。実際の「父の重さ」については父の最晩年に忘れられない思いをした。歩けなくなった父を病院に連れて行くため背負って階段を降りようとしたのであるが、初めて背負った時、余りの重さに身体がつぶれてしまった。少し元気があると自分で肩につかまったり、重心を整えるのだろうが、全く何もできない体は石を背負うのと同じになってしまう。父の肉体を背負うというより石を担ぐつもりで細心の注意を払いながら運んだ思い出は今考えると貴重だ。父を背負った体験と物理的な重さの記憶がは年月を経て精神的な「重さ」(つまり感謝の気持ち)に転化してきたように思えてならない。
2013-10-26午後には台風が通過して雨が止んだ(@東京)

10月27日(日) <久しぶりの秋晴れ・・・>
久しぶりの秋晴れ。雲一つない真っ青な空にさわやかな風。今年10月、日本列島に接近した台風の数は6個で過去最高と報じられているように不順な天候が続いただけに「秋晴れ」の素晴らしさ、有難さが余計身にしみる。人は爽やかな秋風のもと青空を眺めているだけで十分に幸せになれる。その意味では江戸の昔には現代以上に秋晴れを満喫していたと思うのだが、江戸時代の俳句には「秋晴れ」という言葉がほとんど出てこないことに気がついた。余りに当たり前で有難味を感じなかったのか単語が存在しなかったのか・・。一方で「秋風」は俳句でよく使われている。例えば、「秋風や あれも昔の 美少年」、「秋風や のらくら者(=なまけもの)の うしろ吹く」(各一茶)、「秋風の うごかして行く(ゆく) 案山子(かかし)かな」(蕪村)。下に掲載した「今日の写真」は近所の公園で撮影した;「秋晴れに 手招き歓待 ススキさま」。
 
2013-10-27@中目黒公園(東京・目黒区)にて

10月28日(月) <ひとり燈(ともしび)のもとにれ・・・>
「ひとり燈(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」。これは「徒然草」の第十三段の一節である。「ともしびの下に書物を開いていると見たこともない昔の作者を友とする気持ちがしてこの上なく慰められる」と兼好法師は読書の楽しみを語っている。古典を読むことによってその著者と友人になる幸せ感は現代でも全く変わりがないだろう。それはそれとして私はこの一節を読んだとき現代の若者文化を連想してしまった。つまり、「ひとりパソコンのもとメールやSNSをひろげて、見ぬ人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」という次第。今の若者の一部はネット交流に週何十時間もの時間を費やすとの調査結果もある。いつの世でも人と人の結びつきが「慰め」になるのは変わらないにしても姿が見えぬ相手を友にする現代のシステムが人間関係にどのような影響を及ぼすか。人間は平均的に見れば(例外はあるだろうが)最新の道具をうまく活用する知恵を持って来たので心配することはないだろうが・・。
10月29日(火) <今日も一日雨・・・>
今日も一日雨。秋晴れはどこに行ってしまったのか。自分の部屋の片付けくらいはいい加減に「けりをつけたい」と思いながらそうはいかない。「けりをつける」とか「けりがつく」の「けり」は歌や俳句の最後に助動詞「けり」で終わる例が非常に多いことから、「終わりになる」とか「決着を付ける」意味で「けり」が使用されるようになったという。「秋の風 書(ふみ)むしばまず なりにけり」(蕪村)、「瓜(うり)むいて 芒(すすき)の風に 吹かれけり」(一茶)、「桐(きり)一葉 日当たりながら 落ちにけり」(虚子)など秋の句でも「けり」で終わる句を探すのはやさしい。同じように「最後の最後」の意味で使う「挙句(あげく)の果て」の「挙句」は連歌や俳諧の最後の句からきている。日本の言語は案外に詩歌の教養がベースにあるのかと今更ながら感心する。それにしても何十年も住んだ場所に「けり」をつけるのは大変な労力であると痛感しながら励む日々である。
2013-10-29胡蝶蘭は雨でも元気<10ヶ月以上咲き続けている>

10月30日(水) <お客様をお迎えした・・・>
お客様をお迎えしたところで改めて「初めて」に気がつく。私たち夫婦を含めて4夫婦。それぞれ初対面ではないがこの4夫婦の組合せで会うのは初めてだ。「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」(論語)は余りに有名だが、現代でも友人の来宅が楽しいことには変わりがない。友人といってもいろいろあるだろうが、お互いの夫婦がそろって何となく考え方や価値観が似ていると安心感がある。一方でそれぞれの人がユニークな経験や能力をお持ちなので私など話を聞くだけで大いに刺激を受ける。パワーをいただける集まりは本当に貴重だ。遠路はるばると家にまで来ていただいた友人に感謝、そして友人に巡り会えた幸運に感謝・・。

10月31日(木) <久しぶりに表紙に陶芸の新作品・・・>
久しぶりに表紙に陶芸の新作品「卵形花器」を掲載した。今年の陶芸作品は「32面体」とか「24面体」など幾何学模様の大作が続いた(陶芸コーナー=ここ=参照)。そろそろ次のテーマに取組みたいと思いながらなかなか構想がまとまらない。今日掲載した「卵形花器」はそんな中で、32面体や24面体で使用した「貫入土」という白系の粘土を残らず使い切るために制作した作品だ。いわば花器でも皿でも何でもよかったのだが、このようなものが出来上がった。ただし、制作する時は妙に落ち着いて心地が良かった記憶がある。特別に気張らずに遠慮もせず素直に創りたいものを作った。白系の地の色に釉薬で色を付けたのも深い意図はない。結果として自分ではまずまずと思える作品となった。音楽の間奏曲が意外な名曲となることもある。小品を作る楽しみを思い出させてくれたうれしい作品である。


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