これまでの「今日のコラム」(2014年 2月分)

2月1日(土) <今日から2月・・・>
今日から2月。一日早い息子の月命日で墓参りに行ったところお寺の境内にはもう梅が咲いていた。お寺は東京・世田谷の九品仏浄真寺。我が家の近所では色づいた花を見ることは全くなかったので突然の梅の花は感動的だった。立春前に咲く梅を早梅(そうばい)というそうだが、早梅は寒梅とならんで俳句では冬の季語。与謝野蕪村にはこんな句がある:「早梅や 御室の里の 売屋敷」、「冬の梅 きのふやちりぬ 石の上」。小林一茶の句は分かり易い:「冬の梅  あたり払って 咲きにけり」。境内には梅と一緒にロウバイ(蝋梅)が強い香りとともに黄色い花を咲かせていた。蝋梅もまた俳句では冬の季語。「蝋梅や 雪うち透す 枝のたけ」(芥川龍之介)。季語は冬でも梅やロウバイを見ると墓前に供えられたグリーンラベルの缶ビールまでが心なしか春めいて感じられた。
 
2014-02-01 @九品仏浄真寺境内にて

2月2日(日) <表紙に今日の作品・・・>
表紙に今日の作品として「Mieuへの絵手紙/micro-world 」(水彩)を掲載した。久々の作品入れ替え。少し体調が回復して午後やる気が出たので「mieuへの絵手紙」を描いたものだ。ただし、内容はほんの思いつき。タイトルを「micro-world」としたが何でもよかった。先月の終わり頃に「ミクロファンタスティック」という写真集を見て感動したことは前に書いた。その後、陶芸で「ミクロ」に関連した何かを制作しようと案を練っているところなので、一つのイメージとしてミクロの世界をハガキに描いてみたものである。陶芸でこの絵を立体化したものを制作する訳ではないが、人間が見ている世界は自然のほんの一部分であって、ミクロの世界では人間の想像とは全くかけ離れた形状をした自然が存在するところが面白い。ミクロの世界をのぞくと人間が目で見て美しいと感じるセンサーは脳が何をどう捉えるのだろうと不思議に思えてくる。

2月3日(月) <セカンドオピニオンを初めて・・・>
セカンドオピニオンを初めて聞く機会を得た。我々素人はたまたま巡り会った医師がどれほどの技量や情報、見識を持っているのかは全く分からない。また日進月歩の医療において対処法の選択肢が多岐にわたる場合、専門の医師の間でさえ判断が大きく分かれる場合がある。「セカンドオピニオン」は一人の専門家の判断に任せないで他の専門家の意見を聞けるところが大きい。ただし広い意見を聞けるのはいいことではあるが出来るだけ異なった意見が聞けなければ意味がない。セカンドオピニオン、サードオピニオンも同じであったので従ったら結果は凶であったという事例には事欠かない。どの「専門家」の判断がベストであるかは神のみぞ知る。セカンドオピニオンを聞きながら、これは人生の生き方の選択に似ていると思った。他人任せにするのでなく自分自身がどう生きるかが問われている。保険適用外での相談料(治療ではない)が高くはないと思えたのは確かである。
2月4日(火) <立春の今日・・・>
立春の今日、東京では夕方から雪がちらついた。昨日の節分までの2〜3日はまるで春がきたような温かさだったから季節を分ける”節分”は逆転現象を起こしている。ニューヨークに住む孫娘が昨日のブログ(日本時間では今日)で節分に合わせて「恵方巻き」を食べたことを書いていた。マンハッタンの日本食料品屋さんにいくと「節分ですよ〜、恵方巻きありますよ〜」と売り込みをしていたので恵方巻きを買ったという。孫娘が恵方巻きの食べ方(恵方の方角、丸ごと一気に食べることなど)まで学習していたのが驚異。実は昨夜の夕飯は我が家でも恵方巻きだった。妻が巻き寿司を作り、今年の恵方が東北東であることを調べて、その方角に向いて丸かぶりした。私は70年以上日本に暮らしていても恵方(=その年の吉の方位)を向いて恵方巻きを食べたのは初めてだ。何はともあれ巻き寿司は美味しかった。それにしても少し温かくなって気温マイナス4℃といっているニューヨークで立春だ、恵方巻きだと日本の行事が生きているのはうれしい。

2月5日(水) <新しい万能細胞・・・>
新しい万能細胞「STAP細胞」を30歳の女性研究者が発明した快挙の余韻がまだ残る。私は元より万能細部を創り出すメカニズムを理解するにはほど遠いが、”細胞に刺激を与える”という極めて単純なプロセスを経て細胞を変化させることが出来るという事実が非常に魅力的にみえる。「刺激」というのは従来考えられている以上にあらゆる面で重要なのでないか。老化を防ぐためには脳細胞や神経細胞、筋肉の細胞などに良き刺激を与えることが有効であるのは感覚的には分かる。問題はどのような刺激を選択できるか。人間の身体全体ではものすごい数の細胞が死滅・再生を繰り返している。その過程の中で刺激の意味は大きいだろう。刺激には「意識」とか「考える」刺激もある。ストレスというと通常悪い負荷のイメージがあるが、よい刺激、よいストレスが細胞を活性化することもあるだろう。・・こんなとりとめのないことを考えながら、やはり私もSTAP細胞の小保方さんにかなり刺激を受けたことは確かだと思う。

2月6日(木) <ソチ冬季オリンピック開幕まで・・・>
ソチ冬季オリンピック開幕まで後29時間となった今の時点で現地の様子がいろいろと報道されている。オリンピックでは人並みはずれた身体能力に恵まれた選手が競う素晴らしさを堪能できる。それにしてもオリンピックに出場できるトップアスリートは本人の努力が尋常でないとは思うが本質的に身体条件が極めて恵まれて生を受けたことを「神に感謝」すべき人たちばかりだ。直接的には「親に感謝」であるかも知れないが、やはりいい意味で「神の為せる業」を思う。・・今日の私は凍えるような寒さの中で仲間とテニスをやった後、更に自転車で銀行やら区役所を廻って帰るという行動ができた。こんな自分をみて正に”神に感謝”であった。少し前までは身体の調子が悪くてとてもそんな元気はでなかった。体調が悪いと意思の力ではどうしようもない限界を感じる。トップアスリートでなくても五体満足で健康であることがどんなに有難いことか。・・といっても、五体満足ではなくても社会のために活動する人が沢山いるのも事実。オリンピックと同時に開催されるパラリンピックでは障害者でさえここまでできるのかと驚嘆させられる。やはり世界中の人が集うお祭りは何かを感じさせてくれる貴重な機会なのだろう。

2月7日(金) <観客のため息にクレーム・・・>
観客のため息にクレームをつけたのはベテランテニスプレーヤのクルム伊達だった。伊達は日本でテニスの試合をする場合、伊達がミスをすると観客が一斉に「あ〜っ」と大きなため息をするので集中力が切れると抗議した。この話は私も非常によく分かる。どんなプレーヤであってもミスをすることはある。その都度、ため息やネガテイブな反応があるのではプレーヤを真に励まし応援することにはならない。このような観客の反応はどうも日本人に限るらしい。一生懸命に応援はしているのだが必ずしも選手のためにはならない。・・開会直前で予選もはじまったソチ冬季オリンピックのマスコミの報道に接していると正に過大な期待とため息の連続のように見えて「クルム伊達」を思い出してしまった。スノーボードの予選で角野がちょっと着地ミスをして敗者復活戦に廻っただけで”大ため息”。大舞台で完璧な力が発揮できるのなら誰も苦労はしない。ミスもパーフォーマンスの内。選手は気にすることは無い。テニスの観客席のため息は即、選手に聞こえるが、オリンピックの選手たちはマスコミ報道を一切見ないでいることはできる。賢明な選手たちはオリンピックが終わるまでマスコミを無視することだ。

2月8日(土) <都心に大雪・・・>
都心に大雪が降り続いている。今朝起きた時でも辺りは雪化粧。その後雪は降り続け、昼間には16年ぶりに都心の積雪が10cmを越したという。今夜半から明日にかけても雪が続く予報でどこまで積るのか。雪で外出できないことを理由に今日は一日部屋にこもってe-tax仕事。久しぶりに電子証明書とか住民基本台帳カード、公的個人認証サービスなど普段は使わない道具を思い出しながら悪戦苦闘した。パソコンソフトの設定までが絡んでくるのでスムースにはいかない。理由がハッキリしないまま送信エラーとなり最後は欲求不満が残った。・・今日の写真は庭の雪景色。上半分は朝の雪景色。5時間後には下のように雪が増えた。明日の朝にも比較してみようか・・。
2014-02-08 東京でも雪<am8:00&13:00>

2月9日(日) <都心で45年振りの積雪27cm・・・>
都心で45年振りの積雪27cmという大雪。昨日からの雪は夜半には止み今日は朝から晴れ間も見えて昼には暖かく感じるほどの快晴になった。朝、昼、そして午後と家の前の雪かきを行ったが、45年振りという割には雪が凍らないので後の始末がやりやすい。そうはいってもまだまだ雪に覆われた東京で今日は都知事選挙の投票日。大雪の影響がどうでるのか知らない・・。昨日から続けていたe-taxによる申請は目出度く落着した。私のパソコンでMacのSafariを使っているが、普段はサファリのコピーでインターネットを起動していた。これは32ビットモードに設定してあったが、コピーでない本体の設定が32ビットに設定していなかったことが送信エラーの原因と突き止めて解決した。e-taxというと大層なことをやっているように見えるかも知れないが結果はお役所から「確定申告をする必要はありません」とコメントをもらう”埃”ばかり。それでも今年は還付でなく何千円かの税金を払うことになった。
2015-02-09今朝の雪<昨日の写真と同じ場所>

2月10日(月) <先週発覚した驚くべき事件・・>
先週発覚した驚くべき事件がマスコミでもう見られなくなってしまった。聴力を失った作曲家として一世を風靡した佐村河内(さむらごうち)守(50歳)という人の代理人(弁護士)が作曲は別の音楽家が作ったものであることを明らかにした事件。その後、ゴーストライターであった本物の作曲家新垣隆氏(42歳)が記者会見をして謝罪した。その席で佐村河内氏が実は耳が聞こえていること、作曲はほとんど出来なかったこと、新垣氏に注文を付けて作曲させた曲を両耳が聞こえないと装った佐村河内氏が作曲をしたとして長年通してきたことなどが明らかにされた。何年か前に私も佐村河内作曲の「交響曲第一番 HIROSIHIMA」のCDを買おうと思ったことがある。結局は手に入らなかったものの評論家も内容をベタ褒めであったこの曲に大いに興味を持った。大体、人は被爆二世、作曲を独学、聴力を完全に失うも絶対音感で作曲を続けるなど曲以前のストーリーに騙された。考えてみると聴力障害のインチキを装うことは簡単に思える。実質以上の障害者を装う人はいくらでもいる。ただ、佐村河内氏(名前も本名か否かは知らない)ほどに徹底して弱者を演出する人間がいることを信じたくなかった。一方の新垣氏については私は同情的。新垣作曲の交響曲第一番のCDならば手元に持っておいても良い。それなりの作曲家にとって大衆受けする曲作りは容易だと聞く。映画音楽やテレビの主題歌などの作曲も同類だろう。その上の真にオリジナリテイある曲を作るために命をかけて奮闘する作曲家がいることも忘れない。

2月11日(火) <11日は昨年6月に亡くなった義兄・・>
11日は昨年6月に亡くなった義兄の月命日。11日というと直ぐに3月11日(2011年)の東日本大震災が思い浮かぶ。更に、9-11の日。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが発生した。11日は何故不幸な大事件が起きるのか問うてみても答えは得られないだろう。今日は粉雪が舞う中を義兄の墓のある谷中(東京)の寺に墓参りに行った。墓前で一年前にはこの日の4ヶ月後に義兄の命がなくなるなんて夢にも思わなかったことが妻と話題になった。義兄本人も4ヶ月先にあの世へ旅立つとは想像もしなかったに違いない。健康指標の数値は何も問題なし、身は軽く毎日運動もよくするし、地区のオーケストラの世話など社会的な奉仕もしていた義兄の様子からは、心臓が静かに止まってしまうことなど信じることが出来ない「まさか」であった。義兄の墓参りをすると「今を存分に生きる」ことを毎度教えられるような気がする。先のことを心配したり悩んだりしてもしようがない。期待し過ぎてもいけない。なるようになる。今出来ることを今やるだけである。
今日の写真(下)は 谷中にある日蓮宗の 寺院・経王寺(きょうおうじ/山号大黒山)。1868年の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため新政府軍の攻撃を受けてできたという銃弾の痕が山門(写真の左右枠)に残っている。
2014-02-11谷中・経王寺

2月12日(水) <何年振りかで整体・・>
何年振りかで整体の世話になった。関節痛が完治しないので知っている整体所に行ったのであるが、30分余の治療で格段によくなった。かなり以前に早朝に犬の散歩に出かける際、歩き初めの20〜30分間だけ関節が痛くてしようがない(その後は正常となる)ので大病院の整形外科に行ったことがあるが、話を聞いただけで”そんなのは病気ではありませんよ”と一蹴されたことがある。”何ならレントゲンを撮りましょうか”と言われたが何もしなかった。医学の進歩が凄まじいことは認めるが、そんな西洋医学の限界を思い知らされることも多い。人間の身体や神経のデリケートな部分は未だに解明されていないことは言うまでもない。西洋医学の薬療法で治療しきれない症状を整体は人間の身体に直に触れることで治療する。それも痛みを感じる患部と離れた場所を触れる程度の軽いマッサージで治す技はペーパーテストでは決して得られない。整体の効果を体験すると病院とは別に街中にこれほど多くの整体所が存在できる理由を納得できる。
表紙の写真に陶芸作品「急須用蓋」を掲載した。陶芸教室には体調が優れないこともあり、もう3週間も行っていない。その間、破損した急須の蓋の代用品を家の窯で作ったもの。それなりに心を込めて小品を制作したつもりだが急須とうまくマッチせず家人の評判は悪い。


2月13日(木) <ソチ五輪・・>
ソチ五輪で今までのところ日本の金メダルゼロ。そんな中でもスノーボード・ハーフパイプで銀メダルの平野歩夢(15歳)、銅メダルの平岡卓(18歳)など若手の活躍が目立つ。金メダルが確実などと周囲からものすごいプレッシャーをかけられたスキージャンプの高梨沙羅(17歳)は4位であったのに期待はずれと扱われるのが可哀想。”若さ”は将来があるのでまだまだ先を静かに見守りたい。それにしてもマスコミ報道は番組を見ているだけで気が滅入るほどの過度な期待をするのは何とかならぬものか。若手の活躍を見るにつけて真反対の老人の元気さに辟易したのが東京都知事選挙だった。当選した舛添要一氏(65歳)はともかく話題となった元首相の細川護熙氏(76歳)、細川氏とタッグを組んで応援したこれも元首相小泉純一郎氏(72歳)。後は選挙では毎回お馴染みのドクター・中松氏(85歳)その他に80歳を超える候補者が二人(60〜80歳は別に8人)であった。全候補者16名のうち供託金300万円を没収されなかった人は4人だけ(有効投票数の10分の1に満たないと没収)。選挙がお金のある老人の道楽になっているとは言わないけれども”功なり名を遂げた”人物までがノコノコ出てくる場ではないだろう。政治の世界にも若い血が欲しい。そのためには過去の人は身を引かなければならない。

2月14日(金) <また朝から雪・・>
また朝から雪。先週末に都心でも記録的な大雪になったばかりというのに・・。部屋でパソコンを操作しながら窓の外を見ていると庭の石や樹々などが雪で少しずつ白さが変わっていく様子が面白い。こんな機会は余りないと思って絵はがき用紙をとりだして孫娘への「絵手紙」を描いたのが表紙に掲載した「mieuへの絵手紙・雪が降り始めた庭」。これを描いてしばらくすると小さな庭石は雪で見えなくなり全体が白く変容してしまった。今夜半まで雪は降り続く予報なので明日は道路の雪かきが大仕事となりそうだ。絵手紙を送る先のニューヨークでは孫娘の通う学校が連日大雪のため休校続きとか。しかも気温マイナス10℃の寒さというからマンハッタン暮らしも楽ではない。それにしても東京もニューヨークも今現在雪で苦労しているという共感がある。ふと、南半球のリオデジャネイロの人たちは今行われているソチ冬季五輪を暑さの中でテレビ観戦をしているのだろうかと気になった。


2月15日(土) <今朝の午前2時に・・>
今朝の午前2時に都心でも積雪27cmを記録したとニュースが報じている。各地で先週に続いて記録的な大雪。コラムの話題もこのところ雪ばかりだ。外出の予定を止めて家にいるので昨日に引き続いて「mieuへの絵手紙」を描いた。表紙に掲載した「雪の中のアジサイ」は部屋から庭を見たそのままの風景。雪が止んでアジサイが雪を抱え込むようにして強かに(したたかに)生きている。葉が多い樹木は雪でつぶれてしまったものもあるが枯れたアジサイは雪にも耐えられる。後3〜4ヶ月するとこのアジサイも立派な花を咲かせるだろう。大雪の翌日の雪かきは自分の体力を測る格好な場となる。今日は先週よりは体調が回復してまずまずであった。我が家の向かいの家は洋服のブランドメーカーさん、両隣も会社だ。土日の休日には従業員さんの出勤はなしで除雪の手がないことになる。お向かいの会社も周囲も従業員さんはとてもよく教育されており普段から道路の掃除などもきっちりとやる。以前の大雪の時には大勢の従業員さんが一斉に除雪をやってくれた。今日は自分一人で頑張ったが直ぐに体力の限界となった。後は雪の溶けるのを待つしかない。

 
2014-02-15雪の庭

2月16日(日) <気の力・・>
気の力について考えている。最近、しつこい関節痛を整体で治療してもらって西洋医学と違う手先の技を体験したところでもある。私が通った整体は身体には一切触らずにいわゆる気功で治療する類ではないので、気功治療が真に効果あるものかどうかは知らない。私の場合、他人の「気」の力を借りるのでなく”自らの気の力”を引き出す働きができるかどうかで体調が大きく変わるのでないか思い始めた。テニスやウオーキングも悪くはないが、それだけでは筋肉の使い方が片寄る可能性がある。内臓も含めた身体全体のバランスを良くすることを考えると太極拳なり気功など何か天地のエネルギーを自らに注入する技に興味が湧いてきた。人の身体は気力、気合いが入ると免疫力が高まって元気を持続できる。勿論、自律神経や基礎代謝にもよい。気の力とはつまりその人の潜在エネルギーであるから、身体機能だけでなく生きることの基本となるのだろう。作品造りにしても何かアウトプットされるものには全てその時の気の力が表れている。「気が入っているか否か」を、これからの生活そしてこれからの創作品の評価基準にすると面白そうだ。

2月17日(月) <関東甲信から東北にかけての記録的な大雪・・>
関東甲信から東北にかけての記録的な大雪の影響は今日も続き、各地で雪のため孤立状態になった地区住民を救出する活動が報じられている。都心ではほとんど除雪されているとはいうもののやはり雪の影響は残る。今日は本来はテニスの日であるけれども、もとより諦めている。先週の月曜日も雪の影響でテニスはお休み。雪が止んで快晴になってもテニスコートの雪は一挙に溶けてなくなることはないので影響が長引く。次の木曜日にテニスが出来る状態になるかどうか分からない。テニスが出来なければ他にはかどることもある。少しは身体を動かしたいので気温10℃を越した陽気の中、久しぶりに西郷山公園(東京・目黒区)まで歩いて行った。梅が咲いていたのは思った通りだったが、河津桜まで咲き始めていたのはうれしい誤算。続けて代官山・蔦谷書店(T-SITE/渋谷区)にいくと何とここでも河津桜が咲いている。西郷山公園の河津桜は昔からよく知っているがTSUTAYAの河津桜は知らなかった(T-SITE、奧のペットショップ前の辺り)。今日は、何と云うことでしょう・・この河津桜にメジロが何羽も到来して蜜を吸っておりました!<「今日の写真」(下)>
 
2014-02-17 紅梅・白梅@西郷山公園(目黒区)   河津桜にメジロ@代官山T-SITE(渋谷区)

2月18日(火) <「赤楽茶碗」を水彩で描いて・・>
「赤楽茶碗」を水彩で描いて「mieuへの絵手紙」とした<今日の表紙に掲載>。正確にいうと桃山時代、長次郎作の「赤楽茶碗・銘 早船」の模写。といって本物(畠山記念館蔵/東京・品川)のスケッチではなく実物大の写真を見て描いた。長次郎はご存じの通り楽焼きの創始者とされ楽吉左右衛門家の初代(現代の楽吉左右衛門は15代目)。長次郎というと先ず黒楽茶碗の名品が目に浮かび、銘・大黒、銘・俊寛など今は重要文化財となっている茶碗は千利休の美意識はこういうものかと納得させてくれる。一方で長次郎はまた赤楽茶碗の名品をも残している。銘を見ると「夕暮れ」と赤を連想させるものもあるが大抵は「無一文」など赤とは結びつかない銘である。描いた「早船」は「利休七種茶碗」(利休自身が名作と見立てたとされる七種)の一つで、利休が茶会のため早船で運ばせたことから名前がついたとされる。この赤茶碗を細かく観察しながら描いていると、やはり利休の美を教えられるような気がする。全体のバランスは勿論、窯での焼き模様などの景色、色合いなど全てが何かを感じさせてくれる。割れた模様までが梅の枝振りの趣に見えるから不思議だ。いいものをじっくりと見て描くことは、これほどまでに面白いものかと今更ながら収穫があった。

2月19日(水) <14世紀イタリアを舞台にした本・・>
14世紀イタリアを舞台にした本を読んでいるとペストが大流行した話がでてきた。今、地球上で地震、台風など自然災害やテロ、地域紛争・戦争など多くの問題を抱えてはいるが中世ヨーロッパで大流行したペストの凄まじさを知ると現代は実に平穏に見える。ネズミやノミから感染するペスト菌は中央アジアからヨーロッパへの交易に伴ってもたらされた。何度かのペスト流行の後、14世紀には全ヨーロッパにまたがる大流行となる。この際、ヨーロッパの人口の1/3から2/3、約2000万人〜3000万人がペストで死亡したとされる。ペストの死者の記載をみると例えばヴェネチア(イタリア)では全住民の3/4を失ったとか、イングランドでは総人口400万人の1/3が死んだ、○○では毎日3500人が死亡したなどと信じられない内容ばかりだ<19世紀のインド-中国でも1200万人死亡>。人類がこうした伝染病を克服した結果、今地球上で暮らしている人の安心がある。医学の進歩は目覚ましく次々と難病も克服されていくが、さて長寿を得て人は何をするのか・・。

2月20日(木) <人は一人では生きることができない・・>
人は一人では生きることができない。他者から完全に自由になったとしても孤独になるだけで幸せではない。そこで幸福に生きるための最高の技術として「愛」がある。・・ドイツの哲学者、エーリッヒ・フロム(1900〜1980)のベストセラー本「愛するということ」(1956年出版)を紹介する中でこのように解説されるのだが、どうも日本人として「愛」の概念が定まらず戸惑ってしまう。古代ギリシャ時代から続く4種類の愛は西欧のキリスト教文明の中で重要な意味を持った。大雑把にいえば、「ストルゲー」は家族愛、「フィーリア」は友人愛、「エロス」は自己を充実させる愛(後に性愛、もらう愛)、そして「アガペー」は与える愛。キリスト教では「アガペー」を真の愛とした。「隣人を愛せ」は待っている愛ではなく、理屈でない「無条件の愛」であろう。「愛」という場合、それぞれの人がどのような概念を持っているかで受取方が異なる。それにつけては、愛に満ちた毎日の暮らしに感謝するか・・。

2月21日(金) <”頑張れ”と言われたくない・・>
”頑張れ”と言われたくない、”楽しめ”の方がまだいいという選手がいた(ソチ五輪中継で)。この気持ちはとてもよく分かる。私もテニスで”ガンバレ”と言われるのは大嫌いだ。何も頑張っていない人から頑張れと言われる筋合いはない。”頑張れ”は応援というより命令に聞こえる。余計なお世話だ。大体において日本語で「頑張れ」は余りに多用される。英語では何と言うか:Cheerup!=元気を出せ、Do your best!=一生懸命やれ、Take it easy! Good luck! Go!  などきりがない。同じ“ガンバレ”でも「挫折しかけている、放棄しようとしている状態のものを励ます表現として、Hangin there!=諦めないで、などもWeb辞書にでている。英語の場合もこれらを言われて特別元気が出る言葉ではない。命令形での励まし言葉は余計なお世話である。いずれにしても、自分よりはるかに努力を重ね、また才能もある世界一流の選手に対して「ガンバレ」の言葉は失礼だ。

2月22日(土) <久しぶりに陶芸教室・・>
久しぶりに陶芸教室にいく。まだ体調は万全とはいえず、自転車で教室に着いたとたんに左の手がつってしまった。途中、寒さで背負ったリュックサックが背中にひびいて苦痛になるほどだった。それでも土をいじり始めると痛さのことなど全く考えない。集中して気がつくと2〜3時間の時が経過して現物の成果が目前にある。陶芸仲間で以前はほとんど毎日のように教室に来ていた人が今日は一ヶ月振りとのことで一緒になった。風邪で体調を崩して動けなかったという。お互いに、轆轤(ろくろ)を回したり土をいじっている時が何より幸せである。高望みはしない。先ずはもう一息関節痛を完治させたい。

2月23日(日) <今日は東京マラソン・・>
今日は東京マラソンの日。先週、先々週の日曜日ならば大雪のため東京でのマラソンはとてもできなかっただろうけれども、今日は絶好のマラソン日和となった。東京マラソンに出場した私の甥は練習を予定していた週末に大雪で走れず練習不足の影響を心配していたが何とか走りきったようだ。3万6000人のランナーが東京のメイン通りを数時間独占する東京マラソンのランニングコースは東京の名所巡りともいえる贅沢な観光コースだ。もう少し若ければ自分も走ってみたいと思っていたら君原健二がテレビで東京マラソンを走る姿を映していた。君原は1964年の東京オリンピックでのマラソンランナーの最有力選手であったが8位に終わり(実際の成績では円谷幸吉が銅メダル)、1968年メキシコオリンピックでは銀メダルをとった(円谷は1968年初めに自殺)。君原、円谷共に私と同学年、同年齢で昔から親しみを感じていた。特に君原は高校(福岡県)で同級だったという仕事仲間がいたり、八幡製鉄の陸上部出身のランナーであったとか、赤の他人とは思えぬつながりもあった。その君原が3時間40分余で悠悠と東京のマラソンコースを走りきる。そして君原は今日でマラソンは70回目とコメントした。2時間5分余で今日一位となったケニアの選手(現在の世界最高は2時間3分23秒/やはりケニア人の記録)たちの記録の勝負とは違う側面が見られる所が東京マラソンのいいところだ。
2014-02-23@中目黒公園(東京・目黒区)

2月24日(月) <宇沢弘文さんの名前・・>
宇沢弘文さんの名前をご存じの方はどれくらいいるだろうか。1928年(昭和3年)生まれだから今85歳でご存命。経済学者とか理論数理学(数理経済学)の専門家と呼ばれる学者さんで、1997年(平成9年度)には文化勲章を受章している。宇沢さんの業績や経済学について語ることなどとても出来ないが、今の経済学や経済分析が極めて難解な高等数学と結びついている事例として宇沢さんを挙げた。宇沢さんは元来は東大理学部の数学科出身。数理的経済理論をもって経済学者として米国の大学(スタンフォード大学、カリフォルニア大学、シカゴ大学)で研究・教育活動を続け、のちに東大の経済学部に戻った。現代の経済学は数学が理解出来なければ学ぶことも出来ないだろう。ところで、2007年のサブプライムローン問題に端を発した米国のバブル崩壊、負債総額約6000億ドル(64兆円)をかかえたリーマン・ブラザーズの破綻など記憶に新しいが、米国のこれらを含む経済活動の基本に数学を駆使する世界トップクラスの頭脳がかかわっていたことは周知だ。リーマン・ショック(2008年)にかかわらず、今でも経済とか景気、株式の動向など人間の心理が微妙に左右する案件に「数学」の手法が多用されていることには変わりがない。素人の目では人間の動向など数式で解析しきれるものかと他人と全く逆の行動をしてみたくなるけれども、そんな「天の邪鬼」の人間は確率として無視されてしまうのか。ただし、数式での結論は善とか良心といった価値判断と結びつかないことだけは承知しておこう。

2月25日(火) <今日は渋谷の区役所まで・・>
今日は渋谷の区役所まで歩いていった。このところ大雪で運動不足であると自覚しているのと先日の東京マラソンに刺激された面もある。渋谷まで歩いてもマラソンの十分の一程度の距離だから、ほんのお遊びだ。特筆するような”今日の成果”がないところで、歩く途中に撮影した風景を「今日の写真」として下に掲載する。今回は欲張って撮影した画像6枚を使ってまとめてみた。左から順に、鍋島松濤公園の水車、マレーシア大使館の外壁模様(イスラム様式)、エジプト大使館門の脇の像、西郷山公園の花(河津桜と紅梅、白梅)。こうして改めて写真を見ると全て間違いなく今日撮影したのであるが、5年前の写真と言われても納得するし、5年後であっても同じ写真が撮れるだろう。特に花の画像は何百年前であっても同じかも知れない。そうすると今現在の意味はどこにあるのかと考えてしまう。今この瞬間に生きている証を残すことは容易ではない・・。
 
2014-02-25

2月26日(水) <「日々是好日展」・・>
「日々是好日展」という展覧会をみた(3/1まで開催、@自由が丘・もみの木画廊=ここ)。陶芸家の知人が出展している展覧会で、内容も充実していて刺激を受けたが、展覧会の名前が気に入った。「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」は禅の言葉として知られている。いわば禅の悟りの境地を言い表している言葉で、毎日をその場での優劣とか損得、善し悪しにとらわれるのでなく、全てを好日に転化する生き方を示している。過去のことにこだわるのでなく、また先のことを心配したり期待することもなく、今ある瞬間をありのままに、そして意のままに生きるのが「日々是好日」。そうはいっても人間は雑念だらけで日々悩んでみたり腹をたてることもある、それでも、あえて「日々是好日」とするところがいい。「日々是好日」の陶芸創りを早速にまねをしよう・・。

2月27日(木) <「mieuへの絵手紙・くーちゃん」・・>
「mieuへの絵手紙・くーちゃん」(水彩)を表紙に掲載した。ニューヨークに住む孫娘Mieuの家で飼っている「くーちゃん」をMieuのブログに掲載された写真を見て描いたもの。写真であるからまだ顔を描けたが、この犬は実物を前にしても描くのは結構難しい。ビデオで動きを見たりするが、まともに顔(特に目)をだしてじっとしていることはまずない。目が見えないとただの布か雑巾のようにもみえる。実物を見ないで描き、毎日実物と戯れているMieuへ「くーちゃん」の絵手紙を送るのも変な話であるが、Mieuができばえを見てくれるだろう。この犬は「ヨーキープー」といってヨークシャーテリアとプードルの混血。アメリカではこのような混血種は珍しくないらしい。混血でそれぞれの長所を併せ持った新種となると信じられているようだ。ヨークシャーテリアは”活気と自尊心にあふれたエネルギッシュな犬”とか、”知的で感覚鋭敏、忍耐力があり利口”、”小さくても捕食本能は強くネズミ捕り用にも適す”などといいことが書いてある。一方でプードルは匂わない、毛が抜けない、頭がいいなどやはり混血には適する特性が挙げられる。混血になるとどのような性格になるのか知らないけれども娘の家族にとって「最良の友」であればそれで十分であろう。

2月28日(金) <孫娘のブログ・・>
孫娘のブログには日米の文化比較を見るようでいつも触発される<サイトを紹介できないのが少々残念>。○○バカと言われそうだが今日は13歳でニューヨークの中学に通う孫娘Mieuのブログ(日本語)を引用する。先日、南北戦争前後のヒストリーを宿題でやっている話題の後、こんなことを書いていた(そのまま転用):「今、ヒストリーでは、Vanderbiltがどんなお金持ちでどうやってお金持ちになったかとか、Carnegieのお金の稼ぎかたとか、Rockfellerが何でお金を作ったか、とか、J.P.Morganの、他の会社のつぶしかたと自分の会社の持ち上げかたとか、そんなことばっかり習っていて、なんというか、笑えます」。私はVanderbiltが「海運業と鉄道業で莫大な富を蓄積した実業家」である人物であることを知らなかった。昨日のブログでは今英語で読んでいるShakepeareのRomeoand JulietでRomeoが余りにいい加減な男で、”なんであんな変なのをJulietは好きになっちゃったんだろう?”と憤慨していた。かつて、”日本の常識は世界の非常識”と言ったのは竹村健一であったが、少なくとも日本の教育と他国の教育とはかなりのズレがあるのは確かだ。歴史認識の違いが問題となるが、そもそもほとんどの人は教科書で習う自国(+α)の歴史しか知らない。他の国の歴史など真贋の認識以前に無知であろう。

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