これまでの「今日のコラム」(2014年 5月分)

5月1日(木) <インターネットでのモノの購入・・・>
インターネットでのモノの購入が当たり前になった今でも店舗に出かけて現物を見て買うことはなくならない。我が家でも最近はネットを使って購入するモノが増える一方。果物は産地から取り寄せるし、本は電子書籍をダウンロードするだけだ。新聞はネット情報で用が足りるので数年以上前から紙の新聞を購入して読んだことはない。ところが今日はLEDのシーリングライト(天井灯)が必要となったのでインターネットの楽天やアマゾン、価格com.,その他のサイトでさんざん調べた末にどうしても決めることは出来ず、量販店まで出かけていき実物を見て購入した。照明の特性であろうがLEDを多量に使った天井灯は各メーカーで明かりの光のバランスが微妙に異なる。また形状やデザインのデリケートな部分はパソコン画像では差異が分からなくても実物でははっきりと違いが見える。全体の大きさを即座に実感できるのも現物の強みだ。価格は"最低価格品を選択する”ことができないと割り切らなければならないが、やはり実物をみるメリットは大きい。今日購入したライトはインターネットのサイトで日立製、東芝製、アイリスオーヤマ製など調べはついていたが、結局は全く候補に入れていなかったメーカーのものを購入した。どんなにネット業種が拡大しても「現物」をみて判断する機会を失わないようにしたい・・。


5月2日(金) <つつじ咲いて・・・>
「つつじ咲いて(さいて) 石移したる 嬉しさ(うれしさ)よ」(蕪村)。今日は息子の月命日で、いつものようにお墓参りにいった。お寺の境内は新緑真っ直中。1ヶ月前の桜は夢であったのか、今はあの華やかだった桜の気配さえない。お墓の周りには躑躅(つつじ)が咲き誇っている。「百両の石にもまけぬ つつじかな」(一茶)。高価な庭石に決して劣ることのない躑躅の花は本当に見事であるが、つつじの花は桜と違って散り際が無様ではある。そうはいっても散り際、散った後が賞賛されるものは極めて希有であるので躑躅には同情もする。最盛期がどれほど華やかでも盛りが過ぎた後が無惨であるのは人間も同じである。一方で散り際、散った後がすばらしい人たちも周辺にいるので希望が湧く。「お墓撫でさすりつつ、はるばるまいりました」(山頭火)
 
2014-05-02 @九品仏浄真寺(東京・世田谷)山門  墓のつつじ

5月3日(土) <今日から4連休・・・>
今日から4連休。ゴールデンウイーク後半のスタートだ。といっても、こちらは特にいつもと変わりのないマイペース。ただ、都内の車の数は明らかに少なく、自動車で道路を走るのは楽だ。自動車と関係なく所用があり、夜暗くなって久しぶりに原宿(神宮前)から表参道を通り青山通りまで歩いた。このような休日の夜に原宿界隈を歩くのは本当に珍しいことなのだが、正直、その人の多さにぶったまげた!まるで、ブロードウェイか、タイムズ・スクエアか(実は知らない)。昼間、渋谷のスクランブル交差点でお目にかかる以上の人の多さ、電車のラッシュアワーのように身体が接触してしまうほどの人また人。中には外人の団体さんも混じっている。周囲のお店も何となく活気が感じられ、”お上りさん”の気分になって混雑の中の歩きを楽しんだ。天下太平。いい連休のスタートだ。

5月4日(日) <「Change , Yes , We Can ! 」・・・>
「Change , Yes , We Can ! 」はオバマ大統領が6年前大統領に初当選した時のスローガンだった。最近、この言葉は老人向けにも適していると思うことが多くなった。年寄りはとかく変化を望まない。築き上げたものの上に安住して新たな挑戦を避ける。不本意ながら変化を受け入れざるを得ない状況になるとボケる。嫌なことから逃避したい心理は分からないことはないが現状からCHANGEがなけば進歩はない。逆に、お年寄りでも何かに前向きに取り組んでいる人を見ると、自らCHANGEしようとしている共通項があるように見える。少々奇抜な例であるが、265年も続いた江戸幕府最後の将軍となった徳川慶喜は大政奉還の大変革を受け入れて後、明治維新以降は引退して余生を過ごし、死去したのは大正2年、満76歳であった。この年齢は徳川の歴代将軍の中で最長命という。慶喜は新たな趣味である写真などに没頭して明治時代を悠々と過ごした。自らを環境に適合させて変化する達人であったのだろう。・・今日の陶芸教室でこれまでやったことのない初めての技法を試みたところ意外にうまくいった。このところDEADROCK状態であった陶芸でCHANGEできる光がみえてきた・・。

5月5日(月) <早朝5時18分に地震・・・>
早朝5時18分に地震の衝撃で目が覚めた。揺れが収まったところでまた眠ってしまったが、次に目を覚まされらたのはヘリコプターの騒音だった。起きてから事情は直ぐに理解できた。テレビで”今東京上空から生中継でお伝えしています”と得意げに放送されている一方で、外からはテレビと同じヘリコプターの生の音が聞こえる。ヘリコプターからの中継でテレビ(見たのは日本テレビ)で伝えたのは上空から見た東京は”何も異常ありません”ということ。東京で震度5弱の揺れを記録した地震であったが、テレビが何もないことを伝えるために何万人、何十万人の都民を朝早く無理矢理起こしたことか。この種のテレビの傲慢さはきりがないほど多い。テレビ画像で傲慢さが目に余るときにはスイッチを切ればよいが、取材、報道の自由などを理由に気ままに人に迷惑を及ぼすのはどうにかならぬものか。海難事故で溺れて死にそうな子供の写真を撮って紙面を飾った報道写真家は何故子供を助ける行動をしなかったか当然のことながら 非難される。報道はそれほど高尚なものでも必要不可欠のものでもない。テレビやマスコミ報道が"ない方が増し”とならぬよう謙虚であって欲しい・・。
5月6日(火) <日本橋・浜町(東京)の明治座で「5月花形歌舞伎」・・・>
日本橋・浜町(東京)の明治座で「5月花形歌舞伎」をみた(=ここ)。昼の部で上演時間は午前11時に開演、14時40分まで。この間、幕間が2回あり劇場内でお弁当を食べる。今日の演目は「義経千本桜」、「釣女」、「邯鄲(かんたん)枕物語/艪清の夢」の三つ。今回の歌舞伎の切符もいただいたもの。自分ではなかなか切符を購入できないところで観劇する機会を得られるのはありがたい。今のテレビなどではお笑い芸人が大流行(はやり)で、芸もないのにかなり思い上がっている芸人も多い時代に歌舞伎の世界では若手の歌舞伎役者さんたちがしっかりと伝統を引き継いでいる。見せ物とかお笑いの原点が歌舞伎の中に充満しているのもよく分かる。私は歌舞伎の物語もさることながら、舞台装置の鮮やかさにいつも感動する。今日も舞台の転換を観客に隠すことなくあえて目の前で見事にやってのける技術に見入っていた。

5月7日(水) <根津神社の境内はツツジ・・・>
根津神社の境内はツツジの名所と聞いていたので今日は谷中に墓参のあと根津神社に寄った。昨年亡くなった敬愛する義兄の墓が谷中の寺にあるので妻と出来る限り毎月墓参りをしているが、墓参とあわせて谷根千(谷中・根津・千駄木)地区を散策するのが月一度の特別な楽しみとなっている。5月には是非根津神社に行ってツツジを見ようと決めていた。そして今日、根津神社に行ったけれども残念ながらツツジの最盛期は過ぎていた。2〜3週間前ならばどれほどすばらしかっただろうと想像をしながらツツジの山々を眺めた。それにしてもツツジは盛りを過ぎて大部分の花が散ってしまったといっても全然悲壮感がない。悠然と成り行きに任せているように見える。そうだろう、これから一年の間またエネルギを溜め込んで来年また確実に派手に花を咲かせる。「花は散るからこそ美しい」とは古来日本人の美意識だった。同じものが変わらずにいつまでも続くならば、面白くも、珍しくも、美しくもない。「人間」もまた花と同じく変化し、散るからこそ美しい・・。
 
2014-05-07 根津神社(東京・文京区)バックにツツジの山

5月8日(木) <Tomie Ohtakeといっても・・・>
Tomie Ohtakeといっても日本ではほとんど知られていないがブラジルでは誰もが知っている有名アーティスト。先日テレビでこの大竹富江さんが紹介されていた。富江さんは1936年、23歳の時にブラジルに渡りブラジルに定住して子育てした後に絵を描き始めたという日系ブラジル人。現在、御歳100歳の富江さんはブラジル現代アートの巨匠と目される現役アーティストである。画家、造形作家としてブラジルの現代アートを牽引してきたエネルギーがテレビ画面では躍動していた<テレビとは関係なく日本語netで紹介された大竹富江さんの一世紀=ここ>。ブラジルで真に敬愛されているという大竹富江の話をきくと日本人として何かこちらも誇らしいが、一方でもし日本でアートを志していたら果たしてこれほどまでに自由に芸術の才能を発揮できただろうかとも思う。日本の社会ではせっかくの才能を型にはめて閉じ込めてしまったり、学歴だけで評価する傾向が強い。下手な教育や指導がなけれもっと芸術の才能を伸ばせたのにと思うことは多い。それにしても全くの異国で開花した大竹富江さんの抽象絵画が何か私など日本人のセンスと合致するのがうれしい。<Tomie Ohtakeさん99歳のポルトガル語バージョン紹介例=ここ
5月9日(金) <「片づけの魔法」・・・>
「片づけの魔法」という本をまた読み始めた。妻が買ってきたこの本「人生がときめく片づけの魔法」(近藤麻理恵著)を前に拾い読みしたことはある。このところ転居が具体的になり、引っ越し準備の片づけに待ったなしで「魔法」が欲しくなった次第。この本では「家の中を片づけると、その人の考え方や生き方、そして人生までが劇的変わってしまう」とおっしゃる。「大好きなモノだけに囲まれた生活」もいいだろう。この本の内容はなるほどと感心する所も多い。それにしても本屋さんには同種の「整理のやり方」の本が山ほど並んでいる。同じく本屋さんに陳列されている「ダイエット法」について、”どの本のダイエット法もみな正しい、ただし本の中身を継続して実行すれば・・”とコメントされていたことを思い出す。どの「整理法」も正しいに違いない。「片づけの魔法」を手に入れるには実践あるのみ。もはや理屈を言っている時ではない・・。

5月10日(土) <明日、5月の第2日曜日は「母の日」・・・>
明日、5月の第2日曜日は「母の日」とのことで、娘家族から妻に花束が届いた。一昔前なら考えられないが、今はニューヨークに住む娘がインターネットで注文すると日本の花屋さんから間違いなく花束が贈られてくる。今回は日比谷花壇の花束であった。日比谷花壇は注文を受けると東京に限らず日本全国に約1300社の生花店が加盟したグループ会社のネットワークを利用して日本中どこでも届け先の近くのお花屋さんから直接生花を届けるシステムを作り上げている。それだけでも凄いと思うのに、「日比谷花壇 フラワーサービス」は更にアメリカ、ヨーロッパ諸国ほか世界140ヵ国に各国の生花店ネットワークを使って花を届ける海外注文にも対応している。母の日は日米ほか多くの国で5月の第2日曜日であるがフランスやスエーデンでは5月の最終日曜日とか各国で日付が異なるので、今年の”母の日に花を届ける商戦”は世界中でまだまだ続いている訳だ。それにしてもカーネーション一本でもうれしいのに華やかな花束。一挙に部屋中が明るくなった(下の写真)。
<小旅行のため明日のコラム休みます>
2014-05-10

5月12日(月) <一泊二日の小旅行から・・・>
一泊二日の小旅行から先ほど帰宅した。東京からは車で3〜4時間で行くことが出来る伊豆半島の東側、伊豆高原の海岸寄りである城ヶ崎海岸から八幡野、赤沢温泉近辺を巡った。以前家族でよく行った伊豆高原の周辺であるのでドライブしながらある種の感慨に浸った。何年振りの伊豆高原だろう・・。変わったところもあるが全く変わらないところも多い。車を置いて歩いた城ヶ崎ピクニカルコースで撮った写真が下の(1)と(2)。1は珍しく私が万歳をしている写真を掲載。2は岩の形が恐竜の頭の部分に見えたところ。写真(3)は伊豆四季の花公園、(4)は帰途立ち寄った峠の茶屋(伊豆スカイライン・冷川)。4枚共に10年前でも同じ写真が撮れたと思われる景色であるが、一方で10年後もまた同じように私たちを和ませてくれるであろうとの安心感もある。やはり、たった一泊でも旅行はうれしく、ありがたい・・。
 
2014-05-12 (1)伊豆城ヶ崎海岸  (2)岩場が恐竜の頭にみえる
 
(3)伊豆四季の花公園          (4)峠の茶屋(冷川)

5月13日(火) <本の大処分を敢行・・・>
本の大処分を敢行した。各部屋の本棚から50年間ほど積もり積もった本を取り出して原則は「処分」。久しぶりにみる本のタイトルに懐かしさがこみ上げたり、少しでもページをめくると捨てずにもう一度読みたくなる。そこをぐっと我慢して思い切りよく処分処分・・。展覧会や美術館のカタログ、美術書の類は原則保存としたが、それだけでも何百冊かになってしまう。単行本やビジネス書は最小限、トキメクものだけを残した。BOOKOFF渋谷センター街の出張買取を予約しておいたので夕方ブックオフの車が本を引き取りにきた。乱雑に積んでおいた本の山をブックオフの担当者は手際よく段ボールにつめていき、ミカン箱15個分の本を持っていってくれた。買い取り価格は後日だが気にしない。処分してくれるだけでもありがたい、それにしても家の中はまだすっきり片付いたとは言えないなぁ・・。
5月14日(水) <行く川のながれは絶えずして・・・>
「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず・・玉しきの都の中に棟(むね)を並べ甍(いらか)を争へる、高き卑しき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり・・」。ご存知、鴨長明の「方丈記」の出だしだ。鎌倉時代、今から800年も前に書かれた随筆(記録)でありながら、その無常観とあわせて妙に現代とのギャップを感じさせない。都の大火や大地震の描写も生々しいが、ここでは方丈記の内容ではなく、このような古典文学にいとも簡単に触れることが出来る現代の驚異を書きたかった。昨日、本の大処分のことを書いたが、以前は蔵書家でないと方丈記など読むことが出来なかったものが今は自宅の本を処分しても公園や電車の中など好きな場所で方丈記を読むことが出来る時代となった。私はiPhoneのKINDLE(アマゾンの電子図書)で読んだが家のパソコンならばインターネットの青空文庫で読むことが出来る(=ここ)。あらためて、これは凄いことだと感動する。しかも国境に関係なく世界中のどこにいても(インターネットができる環境であれば)読める。一昔前は家の中に百科事典や大型辞書があるのがステータスの一つであったが今は全く必要なくなった。文学への接し方、文字への親しみ方も川の流れのように絶えず変化している・・。
5月15日(木) <またキャンバスに油絵を・・・>
またキャンバスに油絵を描いて見たくなった。友人の絵画グループの展覧会(@三鷹・芸術文化センター)に行って友人と仲間の人たちが本当に描くことを楽しんでいることが伝わってくる作品ばかりなので羨ましくなったのである。毎年、このグループ展を見させてもらっているが、素人といっても画歴は20〜40年のベテランばかりのグループでみなそれぞれに個性はあるが素直な絵に毎度心が癒される。前にコラムに書いたが国立新美術館で開催される公募展を見に行くと毎回巨大な絵画の羅列と独善的な主張を押しつけられる作品群に圧倒されて疲れ果てる。今日の展覧会でみた絵画は10号から20号程度の大き過ぎないサイズであるのもうれしかった。もう一つ、”油絵をまた描きたくなった"理由は、午前中の雨でテニスに行くことが出来ず、その時間に家で昔描いた油絵の大整理を行った事による。物置倉庫からでてきた沢山の油絵の中に描いたことすら忘れていたものもあり自分で感激してしまった。20年ほど前にはF3サイズ(273×220)の小さな油絵も多く描いている。このホームページでも油絵コーナー(=ここ)を作っているが、ここに掲載した以外の油絵作品も多い。このところ何年間も油絵を描いていないが、俄然また描きたくなった衝動をどうしようか・・。
5月16日(金) <「終活」という言葉が嫌い・・・>
「終活」という言葉が嫌いだ。言葉だけでなく「人生の終わりのための活動」などをする魂胆が大嫌い。自分の葬儀や墓、財産があれば相続などあえて活動しなくてもなるようになる。逆にいくら計画を立ててもその通りにならぬことがいくらでもある。死んだ後のことなど知ったことか。大体、”俺はもう老い先短い”などと言って準備している人間ほどいつまでも長生きをして状況が激変する。死ぬことを考える時間があればかけがえのない生きている時間に何をするかを考えた方がよい。・・「終活」について書き始めてしまったのは、今日も家中の不要品を分別する作業をしながら、終活の一つとして自分の身辺整理をする人がいることに気がついたからである。自分が死んだ後余りに乱雑だとみっともないから整理するという人が確かにいるが、何もしなくても後を引き継ぐ人があっという間に処分してくれるだろう。私が整理しているのは住み替えのためであるが、それにしても使用しないものを山ほど溜め込んでいるものだと我ながらあきれる。もし私の子供が整理する立場であったら何が残るだろうか。原則は全て廃却。アルバムや絵画、陶芸の作品も残しておくスペースはない。自分で整理してみると今はモノを代々引き継ぐことはできない時代であることを認識させられる。

5月17日(土) <インドの総選挙で野党が圧勝・・・>
インドの総選挙で野党が圧勝して10年振りに政権が交代するというニュースで懐かしいインドの地名を目にした。新たにインドの新首相に就任すると見られるモデイ氏(63歳)はインド・グジャラート州の州政府首相を務めグジャラート州の高度成長を実現したリーダー。40数年前私は「グジャラート州」(インドの西部地区)に数ヶ月滞在したことがある。日本企業が肥料プラントを建設しそのスタートアップ時の仕事だった。入社後はじめての海外出張で短期間に体重を10kg減らしたが全てが貴重な体験だった。インドは今も昔も日本的なスケールでは計れない。人口は日本の10倍、12億人が暮らす。今回の総選挙での有権者数が8億人とか。モデイ氏はグジャラート州に多くの日本企業を誘致して他の州にはない発展をもたらしたとされるがグジャラート州はインドで唯一停電のない州と報じられていた。昔からのカースト制が根強く残っており私の知っている頃でも、インドのお金持ちは日本では想像できないくらいにお金持ち、下層の人たちは実に惨めであったが、今はどうなっているのだろう。私が滞在中にヒンズーとムスリム(イスラム教)の宗教対立で街の映画館が焼き討ちにあったりしたが、今でも宗教間の争いは増すばかりだ。インドはまた余りに国土が広大なので言語が複雑である。上流階級の人はみなお互いに英語を話していたが今は英語は準公用語でヒンディー語が公用語、ほかに22の指定言語があるというから訳が分からない。あらためて方言はあっても読み書きが一つの言語でまとまった日本という国の有り難さを思う。
5月18日(日) <初めての80代、おめでとうございます・・・>
「初めての80代、おめでとうございます。希望がいっぱいですね」と80歳を迎えた先輩に声をかけると笑顔にならない。初めての中学生、初めての高校生、大学生、初めての就職・・どの時点でもこれからどのような新環境、新生活が始まるか期待に夢を膨らませる。初めてのリタイア(年金生活)も自由な生活初体験であろう。初めて80歳の老人になる人もやはり期待の新生活であってもよい。体力が衰えているとか記憶力が衰えているなどマイナス面を見るよりも「年の功」を活用すれば老人初体験は決して暗くならないのでないか。・・とこれは未だこの初体験のない若造(?)の独り言。それにしても80歳老人初体験のときには笑顔を返したい・・。
5月19日(月) <月曜日に一緒にテニスを・・・>
月曜日に一緒にテニスをする常連4人の内二人が欠席。私ともう一人で練習ばかりすることになった(4人でダブルス試合ができないということ)。欠席した二人は、滅多なことではテニスを休まない人たちなのでどうしたことかと思ったら、二人とも海外旅行中と判明。一人はフランス・パリ、もう一人は北部ヨーロッパとか。今はヨーロッパ旅行にいいシーズンなのだろうか。私がヨーロッパに行ったのはもう10年以上前の話だ。別の仲間で毎年海外旅行に行く人やこれまで30回以上渡航経験があるという人もいる。いい時代になったものだと評論家のようなコメントをしてみてもしょうがない。”あなたも海外旅行をしたいのなら行きなさいよ”とささやきが聞こえる。このところ相変わらず不要品の選別ばかり続けている。転居準備だけでいささかくたびれてしまった。”今に見ておれ、海外旅行!”と言い聞かせると少し元気になるかも知れない・・。

5月20日(火) <求めない・・・>
「求めない---すると いまじゅうぶんに持っていると気づく」、「求めない---すると いま持っているものが いきいきとしてくる」。このような詩が連なっている本「求めない」(加島祥造著、小学館)を久しぶりに開いてみた。加島さんは1923年生まれ、今も91歳でご存命。詩人とか英米文学翻訳者、老子に関する著作者として幅広い分野で活躍された。この本は友人から推薦されてネットで手に入れたもの。このところの書籍大整理の折にも廃却せずに残した。時に、このような本をひもとくとホッとする。著者の加島さん自身が書いているが、人間は「求める存在」であることを承知の上での「求めない」だ。人が求めて動くことを肯定しての「求めない」。「五欲を去れ、煩悩を捨てろなど誰にもできない」ことを承知の上での「求めない」。だから加島さんの「求めない」が共感できるのかも知れない。「求めない---すると 自分に本当に必要なものはなにか 分かってくる」。<netサイトでの紹介例=ここ
5月21日(水) <人が所有するモノの意味・・・>
人が所有するモノの意味は何だろう。多少なりとも財産的な価値があれば譲ったり引き継ぐことが出来るが所有者の思い出しかないモノは本人以外の人にとっては意味はない。ゴミと同等の扱いとなっても不思議ではない。このところの書籍の整理やギャンバスに描いた絵画の整理に引き続いて「コレクション」の整理をはじめると一層「モノの意味」を考えさせられる。昔から珍しいオモチャ類が好きで50年ほどの間にかなりの量が貯まっている。新たな住居には全てを持って行くことはできないので、この際、相当数を廃棄しなければならない。コレクションとは別に大きな象の置物とかほとんど使わない花器、古い外国のコイン(1964年のケネデイーコインなど)もある。実際に処分をする際には「これまで楽しませてもらってありがとう」と潔く別れを告げよう。自分の私有物には財産的な価値は何もないことに気がつくと、廃棄するモノにも残すモノにも区別なく楽しい一時を一緒に過ごすことができたことを感謝するのみである。

5月22日(木) <朝9時テニスを開始・・・>
朝9時テニスを開始する時には快晴。夏の日差しを浴びて汗をかいた頃に空は一転怪しい黒雲が広がりはじめる。昼前に帰宅した直後には雷鳴がとどろき猛烈なにわか雨。天候の激変に接すると人間もまた自然界に存在する変わりゆく小さな生の一つであることに改めて気づく。自分はたまたまポカポカ陽気の原っぱに寝っ転がっているが何時どしゃ降りの雨が降ってくるか分からない。平家物語では「諸行無常」を「おごれる人も久しからず」、「たけき者もついには滅びぬ」と「盛者必衰」に焦点を当てたが「風の前の塵に同じ」は盛者(じょうしゃ)だけでなく弱者も一般人も全て同じであろう・・。「変わりゆく」中で今現在直面している「住まいを変わる」ことはやはり大きな環境変化であることを痛感する。人間の力ではどうしようもない天候については昔からお天道様など神様に祈るしかなかった。自分や周りの人の行く末も結局は神頼りだ。塵となって飛ばされる運命であっても後によい結果を残す人もいる。今日はとにかく気分は「合掌」。
5月23日(金) <今日から私も参加する作陶展・・・>
今日から私も参加する作陶展が始まった。東日本大震災の年の4月に開催予定であった作陶展が中止されたので今回の展覧会は5年振りとなる。これまでは何年間も代官山のギャラリーでビエンナーレ(2年に一度の展覧会)を行ってきたが今回はじめて下北沢の陶芸教室(2年前に代官山から移動)での展覧会となった。陶芸教室ではお互いに制作過程を見ることはあっても完成した姿を見ることは少ない。作陶展では何より仲間の作品をじっくり鑑賞できるので創作意欲を刺激される。新たなアイデイァが浮かぶのもこんな時だ。今日から4日間の作陶展初日に私の友人も見に来てくれた。32面体など大物作品は部屋の中に置くことが出来ずベランダに飾ってもらったのが愛嬌。余計に目立つ存在となった。
2014-05-23作陶展でのベランダ展示
***今日から「孫娘Mieuのブログ」への特別リンクを追加(下の欄)

5月24日(土) <陶芸作品「コスモス碗B」・・・>
陶芸作品「コスモス碗B」を表紙に掲載した。今日は作陶展の二日目。来客にそなえて展覧会場である陶芸教室に待機していた時に焼成が完了した自分の作品を見つけて持ち帰ったもの。この作品はいわば下絵の具による彩色の試作品であるので会心作とはほど遠く、思惑と違うところが非常に多い作品ではある。失敗があるから進化もあると解釈しよう。・・今日の作陶展にも友人が何人か遠路はるばる来てくれた。出展しているそれぞれの人の作品がワンパターンでなく皆の個性がはっきりと現れていると指摘してくれた友人がいた。その通りで、だから私たちも作陶展で仲間の作品を見るのが楽しい。友人の一人は娘さんと一緒に来てくれた。私の娘と同じ年代の彼女は特別に熱心に作品を鑑賞し子供のためにといって小さな陶芸品を土産に買って帰った。そうだ、次の機会には娘さんが子供を連れてきても喜べるような陶芸作品を作ろう・・。


5月25日(日) <今日の写真として「緑道の花」・・・>
今日の写真として「緑道の花」を掲載した(下)。このところ久しく道端の花の写真を撮影することがなかった。散歩もなければ草花に目を向ける余裕がなかったとも云える。今日の写真は作陶展が開催されている陶芸教室の側、北沢川緑道で撮った。今日もうれしいことに友人・知人が陶芸教室で開催されている作陶展を見に来てくれた。その昼休みの合間に緑道で花の写真を撮ったのであるが、それだけで何か大きなゆとりを感じた。作陶展も後一日で終わる。懸案の行事が一段落することで、いよいよ次のステップに入る。これからはパワーというか”勢い”が必要だと自分に言い聞かせている。花々から元気をもらって、GO,GO ,GO !!
 
2014-05-25@北沢川緑道にて

5月26日(月) <「考えるな、見よ!」・・・>
「考えるな、見よ!」という言葉に妙に引かれる。哲学で深い意味合いを持つ言葉であるが、単純に考えすぎが誤解を生む、現実だけを素直に見なさいとの忠告とも受け取れる。疑心暗鬼というが、人と人とのいさかいはあれこれと考えたり推測して勝手に被害者とか敵対者になることが少なくない。一つの言葉を拡大解釈したり裏の意味を考えて相手の主旨と全く違う内容を”考え出す”こともある。下手な考えをするよりもただ見ているだけの方がよいのは確かだ。被害妄想なども一種の脳の考えすぎ現象であろう。一方で「見る」といっても色眼鏡なしに素直に見るのもまた容易ではない。「真理は目の前に現前している」と言われても何も見えないのが凡人であろうか。最後にもう一つ、含蓄のある言葉がある:「人は語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。

5月27日(火) <昨夜来の雨があがると・・・>
昨夜来の雨があがると庭の紫陽花(あじさい)の色がまた変わったように見える。この一週間ほどで急に花開いた紫陽花が一雨ごとに大きくなり色を変える。正岡子規は「夕立の はるる跡より 月もりて また色かふる 紫陽花の花」と詠んだ。漏れてきた月の光で水滴が輝くのでなくても庭の紫陽花にも正に子規の短歌のアジサイを見る思いがした。いまパソコンのキーボードを打っている私の部屋から見る庭のアジサイの姿は子規の短歌のままとして、最近の諸々の出来事からは心情的に樋口一葉の次の短歌が近いかも知れない。「世の中の ひとの心に ならひけん かはるにはやき あぢさゐの花」。”人の心”はともかくとして「変わる」こと自体は悪くはない。
2014-05-27庭の紫陽花
5月28日(水) <寺山修司の本・・・>
寺山修司の本は今読んでも面白い。相変わらずの身辺整理を続けている時、寺山修司の単行本「ポケットに名言を」(角川文庫)を見つけて読みはじめると止まらなくなった。詩人、劇作家、評論家、演劇の主宰者などとして多方面で活躍した寺山修司(1935〜1983)は満47歳の生涯であったことを改めて知る。30年以上前に亡くなった時には私より数年先輩の有名人の死という程度の認識しかなかったが今考えると実にユニークな才能を若くして失ったものだ。もし今も存命であれば何を見せてくれたか・・。没後30年を経て未だに若者に人気があると聞くと納得する(例=ここ)。寺山自身の言葉を引用してみよう:「すべてのインテリは東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど、前進しない」(東芝は扇風機を作っていたよ!)、「ふるさとの訛り(なまり)なくせし友といてモカ珈琲(コーヒー)はかくまでにがし」。

5月29日(木) <プライドとはやっかいなもの・・・>
プライドとはやっかいなものである。隣人とのトラブルとか店員との諍い(いさかい)の原因が大層なことでなくちょっとしたプライドに係わるものであることも多い。認知症の人もプライドは失っていないので決してプライドを傷つける言動をしてはいけないと言われる。プライドとは「自尊心」とか「誇り」の意味とみると、経験の積み重ねから得られる自信とか誇りは誰でもが持つべき大切なもの。けれども一方で過度の誇りや自尊心はプラスにはならない。自慢、尊大、うぬぼれ・・、自分の考え方のみが正しいと思っている人は大抵プライド過剰で他人から敬遠される。微妙なのは”確固たる信念”とただの"ネガティブプライド”との差が自覚し難いところだろう。認知症の人が、自分が現役の頃にはこの方面の専門家だったから指図されることはない、お料理に関しては長年の経験があるから大丈夫・・と言えば、それは静かに認めてあげよう。けれども現実に生きるならばプライドに凝り固まることなく柔軟に考え方を変える道をとりたい。すると一挙に世界が広がることもある。
5月30日(金) <原宿・竹下通りにいくと・・・>
原宿・竹下通りにいくと若々しいエネルギーに脳が興奮するのは間違いない。週末だから混雑するのではなく、平日の夕方であってもラッシュアワーのように肌が触れ合うばかりの人の多さ。歴史的建造物もなければ特別に観光の目玉がなくて一商店街だけでこれだけの集客をするパワーはただごとではない。昨夜は竹下通りの直ぐ脇道の通り、「ブラームスの小径」にあるレストランで開かれたクラシックの音楽会にいった。竹下通りの賑わいとは異質の「ブラームス」であるが、この小径にはブラームスの胸像があり、竹下通りが有名になる以前から45年間もブラームスが小径を見続けている。会場の「ジャルダン・ド・ルセーヌ館」(サイト紹介=ここ)でははじめにブラームスの誕生した5月に合わせたフルコースの食事、その後世界トップクラスの演奏家によるブラームスに関連した音楽演奏(ヴァイオリン&ピアノ)。贅沢な時間を過ごした余韻に浸りながら1分歩くとまた竹下通りに戻っている。何だか全てが夢の中のようだった・・。

5月31日(土) <都内で自動車を運転すると・・・>
都内で自動車を運転すると自転車が邪魔でしようがない。といっても、いつもは、テニスに行くときも、陶芸教室に行くときも、今日のように渋谷に買い物にいく往復も自転車を使うので、自転車は立場が代わった自分の姿でもある。ルールに従えば自転車は車道の左側を走る。車では自転車を大きく避けて追い抜き先に行くが信号で止まっていると追い抜いた自転車が信号を無視して先に行くからまた抜き返す繰り返し。狭い道路だと自転車が邪魔になって走れないこともある。私だって自転車の時には狭い道の信号を無視することもあるから他人のことは云えない。また、自分が自転車で"特別に許可された"歩道を走るときには歩行者が自転車に道を譲る気配もないと文句を言う。歩行者にとっては自転車は邪魔の極みだというのに。「他人は自分を映す鏡」。いつも他人さまに迷惑ばかりかけているのは自分であった・・。
2014-05-31 庭の紫陽花を切って活けた

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