これまでの「今日のコラム」(2014年 7月分)

7月1日(火)  <こんな資格を持っていた・・・>
こんな資格を持っていたのだ・・と古い書類を整理しながら中に紛れ込んでいた資格のリストを見つけて懐かしくなった。資格にもピンからキリまであって、私の場合は立派な資格など一つもない。運転免許の資格は現在でも役立っている唯一の資格。高圧ガス作業主任者とか騒音防止管理者のような資格は今は全く無縁であるばかりか、現役の頃でも資格を有効に活かしたことはない。世の中には趣味で資格を取得する人もいるが、何十の資格を持っていても役立つかどうかは別問題だ。それでも直ぐに役には立たない資格をとるのは面白いとは思う。栄養士や調理師もいい。気象予報士だって趣味の人が多いのでないか。犬の訓練士も資格がいる。仕事と密着していない資格をとることによって自分の世界が広くなるのは確かだ。資格とは別に「表彰状」が幾枚もでてきた。どんな表彰状か:「壮年の部<優勝>第七回フリーテニス大会・・」(昭和48年7月でした!)<念のため、フリーテニスとは屋上の狭いスペースで遊べるようにした昼休み用球技>。この種の表彰状も資格関連の書類も合わせて全て廃棄した。これからは新たな資格や表彰状を目指すことにしようかな・・?


7月2日(水)  <2日は息子の月命日・・・>
2日は息子の月命日で今日も墓参りをした。この墓には今は息子と私の父母が入っているが最近は事ある毎に父母や息子たちからの見えざる力を感じる。人はいくら努力をしても自分だけの力ではどうしようもないことが起こる。善行を重ねようが神にお願いをしようがある日交通事故にあうこともある。運命という定めは如何ともし難い。今月の中旬に延べ58年間も住んだ今の家を引っ越す事態となっているが、その転居先も信じられない偶然によって決まった。しかもお墓のあるお寺は今の家よりも近くなる。引っ越した後には散歩のついでに墓参が出来るかも知れない。今日はお墓を後にする時に”今月は中旬にまた来るから”と言い残して帰った。
 

2014-07-02 墓のある九品仏・浄真寺(東京・世田谷区)

7月3日(木)  <「傘寿(さんじゅ)」の年齢・・・>
「傘寿(さんじゅ)」の年齢が入ったニュース記事が目についた。いうまでもなく傘寿は80歳のこと。今日、天皇陛下の傘寿を祝う洋楽演奏会が皇居で開かれたというニュース。天皇陛下は1933年(昭和8年)12月23日のお生まれだから確かに現在「傘寿」だ(数え年だと81)。たまたま今日の午前中一緒にテニスをした仲間の一人はやはり「傘寿」だった。今日のテニスにも無理矢理引っ張り出したのだが運動するのが面倒だとかカメラが重すぎるので趣味の写真撮影を止めてしまったとか傘寿を迎えたのを機に急に弱気になった。陛下の超多忙をみると傘寿でも働き盛りに見えるのに・・。それにしても傘寿の10歳下、70歳を「古希」というのは何かズレを感じる。今や”古来稀なり”ではなく皆この歳を通る。90歳の「卒寿」や99歳の「白寿」は字面の遊びと思えばいいが昔と違うのは一般的にはもはや長寿は「お祝いごと」ではないこと。陛下の傘寿(さんじゅ)と同じようにお祝いをするには加齢だけでなく「祝うべき内容」作りが必要か・・。

7月4日(金)  <ラジオ体操・・・>
ラジオ体操を毎日習慣にしていることは前に書いた。正確にいうと朝6時25分から10分間のテレビによる体操で、木曜日は前半「ラジオ体操第1」、後半「ラジオ体操第2」をやるが、他の曜日には前半に「みんなの体操」(またはオリジナルの体操)、後半に「ラジオ体操」の1か2という組合せだ。ところが、このところ娘や孫娘が帰省してきて(引っ越しのための大整理の手伝いでもある)テレビのある部屋に寝ることになり、ゆっくり寝かしてやりたいので早朝はテレビでなく自分の部屋のパソコンでラジオ体操を試みた。パソコンでラジオ体操を検索すると多くの発見があった。まず何種類ものラジオ体操(第1、第2)あるいはテレビ体操をYou Tubeで見ることができる。しかもあるサイトではアクセス数が何と1600万回を越している(7年間にて)。一方で、You Tubeの動画の動きや音がスムースに行かないことが多い。パソコンかソフト(Safari)のせいか分からないが体操は音が飛んで途切れ途切れではうまくできない。You Tubeでラジオ体操をやるとテレビで体験する音楽やリズムが正しく継続することがどれほど有り難いか再認識させられる。それでも、何とか動くサイトを探しながら狭い部屋で手足がぶつからないように注意しながら体操を続ける。そして時には画面のお手本がなくても自己流で完結させる。その程度でもラジオ体操を終わる頃にはいい汗をかく。今も”ラジオ体操はいいよ”と機会ある事に人に勧めている。

7月5日(土)  <「くーちゃん」・・・>
「くーちゃん」が今引っ越し準備で取り散らかした我が家の部屋の中を走りまわっている。くーちゃんは「ヨーキープー」というヨークシャーテリアとトイプードルのミックス犬。娘がニューヨークから帰省する際に一緒に飛行機に乗せて連れてきた(デルタ航空利用)。事前の検疫の手続きは大変だったようだが飛行機では座席の下の入れ物の中で温和しくしていたし、成田の通関も全く問題なかったという。この犬、東京の我が家でとにかく元気いっぱい。頭が良くて娘家族が別行動で出かけても私のことも直ぐに覚えて家で楽しく遊ぶ。見かけはひ弱な小型愛玩犬に見えるが庭で全速力で走り回る姿を見ると狩猟犬並の抜群の運動能力を持っている。一般にミックス犬というと二種の犬のいいとこ取りがうまくいくものかと疑問を持つが、この「ヨーキープー」を見ていると本当にいいDNAを引き継いでいるようにみえる。抜け毛がないのも、この犬の良いところであるようだ。そういえば以前ニューヨークから送ってきたくーちゃんの写真を見て絵はがきを描いたことを思い出した(=ここ/2014-2月27日付け)。くーちゃんが東京に来て先ず行ったのが犬の美容院。今はこの絵よりももっと可愛くなってま〜す!

7月7日(月)  <忙中閑の箱根・・・>
忙中閑の箱根旅行。転居準備で家中のものをひっくり返した状態で娘夫婦の家族(ニューヨークから帰省中/犬のくーちゃんを含む)と母親、それと私たち夫婦、計6名プラス一匹で箱根に一泊旅行だ。娘家族にとっては本当に大サービスの旅行だった。何より犬のくーちゃんへのサービスでもあった。犬と同伴で宿泊できるホテル、レストラン、ドッグラン設備のある高速道路のサービスエリア、犬が同伴できる美術館などを娘たちが選んで計画したが、今はこれほど犬同伴の充実した宿泊や食事ができるのかと心底驚いた。昨日宿泊したところ(ドギーズパーク箱根)は犬と一緒に泊まれるというだけでなく食事が豊富で美味しくしかもサービスもいい。私たちにとっても満足度100%だった。今日の天気は生憎雨模様であったが霧に煙る風景もまた一興で存分に箱根を楽しんだ。芦ノ湖湖畔の成川美術館では犬をバッグに入れて同伴できる。今日は美術館から富士山が見えなかったので代わりに美術館にあった万華鏡の映像を写真に収めた。中の一つを下に掲載する。
 
2014-07-07 成川美術館にて、左は晴れたら見える富士山、右は今日のこの場所での霧
 
2014-07-07 成川美術館での万華鏡像    右は箱根の関所にて

7月8日(火)  <交通事故が減少・・・>
交通事故が減少を続けていることが話題になった。日本での交通事故による死者の数は昭和45年当時年間16000人余であったものが平成25年には4300人余と激減している。人口1300万人余の東京都で死者がわずか170人余となったのに更に限りなくゼロに向って活動しているのもすごい。ところが交通事故の発生件数はそれほど変わっていない。ということは車の安全性の向上、更に救急医療の進化の結果で死者が激減したと見るべきだろう。車のシートベルト着用にはじまり、セーフテイークッション、車体の強化、ブレーキ性能の向上、更に最近は衝突回避の技術など車両側の進化は留まることを知らない。一方でハードの安全性能がいくら向上しても運転する人間に問題があれば事故は起きてしまう。飲酒や薬で頭が朦朧としていたり病気で意識が途切れたりして運転することのないように運転者チェック機能はこれからの課題だろうか。高齢者の交通事故は決して減少していないことを見ると高齢者の適性評価も重要なポイント。運転者がヘルメットをかぶり”脳内診断”に合格しなければエンジンキーがかからないなんていう時代が来るかも知れない。
7月9日(水)  <カーテンを自分で選ぶ・・・>
カーテンを自分で選ぶ機会は人生でそれほどあるものではない。来週に迫った引っ越しを前にして今日は転居先の部屋にカーテンを取り付ける作業に立ち会った。今回はカーテン選びに専門のコンサルタントをお願いして、これまで縁のなかった別世界に触れて面白かった。はじめは自分たちの好みの柄をサンプルとしたが実際の広さや雰囲気の中で見ると柄が細かくて力がない。それではと色々な種類のサンプルを並べて比較するとカーテンの柄や色で部屋の気分ががらりと変わる。女性のコンサルタントの意見はさすがに説得力があり、私たちは今回は無難でおとなしいものではなく”元気になる”をコンセプトに各部屋のカーテンを決めた。今日の取り付け工事の結果、想像以上に楽しい環境が出来上がったのがうれしい。それにしてもカーテンがつくとリフォーム済みの殺風景な部屋から一挙に人が住む部屋に転換する。カーテンがあることで人間の生活が見える、そして人はカーテンの柄や色で明らかに心理的に影響を受ける。果たして転居後に”元気になる”ことができるかどうか、期待しよう

7月10日(木)  <転居ということは・・・>
転居ということは、住所が変わる、アドレスが変わる、電話が変わる、ケーブルテレビが変わる、インターネットが変わる・・。ただでさえ引っ越しのための分別整理に大忙しの今日、通信関連の変更手続きや一部の変更工事を実施した。新居で新しい電話番号の登録が完了した後に初めての電話を今の家に電話した。妻としばらく話して電話を置くと直ぐに大きな音で電話が鳴った。今度は家にいる妻からの電話だった。これで電話の確認はOK。テレビとインターネットは引っ越した後の設定となるので確認はまた後だ。インターネットを余りに当たり前で使っていると気にもしないプロバイダーの存在に気がつくのも、このような再契約の機会。何でも変わるということは「初心に返る」ことであり決して悪いことではない。通信でも知らぬ間に垢が積もり積もっていることがないとは言えない・・。

7月11日(金)  <立方体のコレクション・・・>
立方体のコレクションをどれだけ転居先に持って行くか悩んでいる。以前、立方体=正6面体=であれば何でも集めた時期があった。いわばサイコロ型でサイコロは勿論、ルービックキューブ(これにも色々タイプがある)、パズルの類(これは非常に種類が多い)、オルゴール、教育玩具などなど。材質も木製、金属製(黄銅、アルミほか)、アクリル、ガラス、陶器など多岐にわたる。昔、何がきっかけで立方体のコレクションを始めたか記憶が定かではないが、立方体はあらゆる立体の基本であり、上下、左右などに優劣の差がないことが気に入っていたことは確かだ。例えば長所とか欠点、性質などの相対する項目を上下に書き出してみると、上下を逆さまに変えたとしても同じことで表現される。たまたまの空間の位置には優劣はない。同じ面積6面で大抵の事象の特長やポイントを表せるも面白い。そういえば陶芸でも照明やパズルなどの立方体を作った。2008年に制作した立方体パズル(2008-4/16=ここ=参照)は私の陶芸作品の中で会心作の一つだ。全てを引っ越し先に持って行くことは出来ないけれども、新居では立方体をもう少し普段の生活の中で目に見える場所に置いてやりたい・・。

7月12日(土)  <「好事魔多し」・・・>
「好事魔多し」という。引っ越しすることを決して「好事」とは思わないけれども転居先が偶然に助けられてスムースに決まったことなど幸運が重なったので”気をつけろ”と自分に言い続けてきた。ところが昨晩家の片づけ最中に頭を床石にぶつけて大きなたんこぶをつくるという失敗をした。初めは床にひっくり返って1cmも盛り上がったたんこぶを押さえながら世も末かと思った。幸いにひっくり返ったまま患部を氷で冷やしているとこぶは引っ込んだし、意識も不自然なことはないので医者にも行かずに済んだ。まだ2〜3日は慎重に異常がないか注意するつもりではある。もし少しでも打ちどころが悪ければ一挙に状況が変わってしまうので、この程度で本当にラッキーだったと思う。家を新築したとたんに病気になるとか何か不幸に遭遇する話をしばしば聞く。幸不幸は紙一重。転居を前にしてただ”神に感謝”の心情である。

7月13日(日)  <今日はこの家での最後・・・>
今日はこの家での最後の日。明日引っ越しをする。幸いに隣りの目黒区への転居で距離的には大したことはないが、延べ58年間住んだこの地を離れる感慨はあってもいい。けれども今日はそんな感傷に浸る余裕は皆無で朝から晩までまだ分別整理作業を行っている。一番疲れているのは妻だろう。ニューヨークから娘と孫娘が応援に来ている。娘が妻が疲れているので元気になるようにとハイビスカスの紅茶を途中で入れてくれた。これは疲労回復にいいという。それに加えてアロマでこれも元気になる香りを部屋中に漂わせた。少しのお茶と香りでも何かやる気が復活するような気がするから効果はあるのだろう。とにかくもジタバタしても始まらぬ。成るように成る・・。

7月16日(水)  <引っ越し完了・・・>
引っ越し完了。一昨日は朝からヤマト運輸の大勢のスタッフが来て持って行くものと残すものを確認して、持って行くものは行き先の部屋番号の印をつけて手際よく梱包してくれた。どんな大物でも小物でも行き先さえ決まれば無駄なく素早く梱包するのは見事。夕方には全て運び出してトラックはそのまま基地で一晩過ごしたらしい。ただし指定した布団だけをその日に転居先に別に届けてくれた。こちらは配達時間に合わせて転居先で布団だけを受取り、荷物の入らない家で一晩を過ごした。翌日(昨日)朝から搬入開始。これも要領よく次々に開梱したかと思うと、本棚には本を、台所の戸棚には食器を入れるところまでやってくれる。まさに「らくらく引越」。そうはいってもこちらの都合で開梱はしないで置いてある段ボールは山と残る。今はどの部屋にも足の踏み場もないほどの段ボールがあふれている。今日になってインターネットもテレビも接続されて通信関係は軌道に乗ったが、引越が終わってからが整理作業の本番だ。引越経験者からは絶対に無理せず1年がかりのつもりで片づけなさいとアドバイスされた。脇にある段ボールの荷物を見てもアセラナイ、アセラナイといい聞かせながらのんびりと整理をはじめた・・・。
7月17日(木)  <久しぶりにラッシュアワー・・・>
久しぶりにラッシュアワーの電車に乗った。身体ごと押し込んでようやく乗車したのは何年振りか。朝の8時過ぎに引っ越してきた新居から駅まで歩いた後、電車でテニス通いを始めたのである。これまでは自転車でテニス場に通ったのが今日からは電車を乗り継ぐこととなった。乗り継ぎの駅が渋谷駅でこれが聞きしに勝る不便さだ。地下の5階に停車する東横線から地上2階にある銀座線のホームに行くのだが勿論エレベーターなど使えないし階段やエスカレーターは猛烈な混雑。過渡期とはいえ渋谷駅は難問を抱えている。それはともかく2週間振りのテニスで気分一新。このところ引越とか整理などで屋外で身体を使う機会はなかったので運動の有難さを今更ながら実感した。・・今日は新たなルートでテニスに通った以外に多くの初体験があった。引っ越してきた地ではやることなすことがどれもが新鮮である。引越とは無関係の事態進捗もある。時は確実に流れている・・。
7月18日(金)  <白日の下(もと)にさらす・・・>
「白日の下(もと)にさらす」とはよく出来た言葉だと感心する。いうまでもなく、一般的にはこれまで隠されていたことや公にされなかったことが世間の明るみに出ることをいう。最近のニュースでは号泣で名を馳せた兵庫県の県議が明るいところに出ると次々に悪事が露呈したのが、白日の下にさらされた典型だ。「白日」は本来は「照り輝く太陽」。太陽の下では何も隠せない。・・このところ転居によって太陽の威力を見せつけられる日が続く。これまでは薄暗い部屋の中で目立たなかった埃や汚れが転居後の明るい場所で一挙に見えてきた。同じ家具でもこれほどに変わるものか。太陽の下では清潔になるのは間違いない。一方で妻は洗濯物を干すと直ぐに乾くので感動している。以前の家では太陽はほとんど当たらなかった。”太陽の力って凄いわね”と妻が今更つぶやくのがおかしい。”太陽の光が豊富だと性質まで変わりそう”とも言っている。転居して明るい太陽を得られたことに改めて感謝!

7月19日(土)  <ゴミの収集のやり方・・・>
ゴミの収集のやり方が地域の間でもう少しは統一できないものか。同じ都内で渋谷区から目黒区と隣りの区に引越しただけでゴミ出しのルールが変わる。渋谷区ではプラスチック製容器、包装、発泡スチロール製品、ペットボトルのキャップなどは可燃ゴミ(ペットボトルは資源ゴミ)。ところが目黒区ではプラスチック製の容器や包装は資源ゴミとされる。卵を入れるパック類、カップ類、ふくろ類、発泡スチロール、トレイ類、ネット類、ペットボトルのふた類などは全て資源ゴミと明記されており、これらを資源ゴミで出さなければならない。更に渋谷区では古紙(新聞、段ボールなど)は資源ゴミであったのが目黒区では古紙は資源ゴミと別の扱いで地域が実施する回収とされる・・など同じ都内の区であってもお役所は他の区と関係なしにルール作る。日本全国ではどれだけルールが複雑なのか知らないけれども、日本人は原則としてルールを忠実に守るから役人は隣りの地域と調整しようともしない。ニューヨークから帰省している娘などマンハッタンではゴミ回収に可燃ゴミ、不燃ゴミの分別さえない一括したゴミ処理しか知らないので戸惑っている。日本に住む外人がゴミ出しで苦労するのがよく分かる。
7月20日(日)  <犬(くーちゃん)を連れてバスを乗り継いで・・・>
犬(くーちゃん)を連れてバスを乗り継いで引越前まで住んでいた家に出かけた。車は他の家族が使っているので一人で初めて犬を連れてバスに乗る。バスに乗る時にはバッグの中に犬を入れるが小さな犬なので全く問題がない。今日はバスの優先席に座っていたら後で杖をついたおばあさんが乗ってきたので席を譲った。犬の入ったバッグを抱えて70歳過ぎの自分が立つのに若干抵抗があったがおばあさんが先に降りる時に礼を言われ、それだけで気分が良くなった。元住んでいた家は未だ残物処理が終わっていない。娘は自分が生まれ育ったこの地に未練があるようで私たちが引越した後も実家(というか元の家)に布団だけを確保して孫娘と一緒に寝泊まりしている。転居先の家で夜遅くまで私たちの整理を手伝って、後で元の家に泊まりに帰るのはかなりの執念だ。私は一人で(犬もいたが)ガランとした部屋や庭を眺めているうちに今日は少し感傷的になった。それでも転居を決断した以降は過去を振り返らないようにしている。表紙に「転居通知用絵」を掲載した。渋谷や新宿方面がこのように見える場所に転居できたこと事態が感謝すべき奇跡だ。


7月22日(火)  <全てが新しく、初体験ばかり・・・>
全てが新しく、初体験ばかり・・、これは子供や若者の特権。だから元気があり改革の力が生まれる。引越のあと自分でも同じように昔と同じでない生活がパワーを生む源泉にできるのでないかと思い始めた。経験や知識の蓄積を唯一の誇りにしていると進化はない。初体験を求めるには従来の継続でないことを探すことから始まる。毎日のコンビニでの買い物でもそれが出来ることに気がついた。今は”新製品”が驚くほど多い。清涼飲料水、おにぎり、弁当、お菓子類など何でもいいから飲食したことがないものを購入して以前のものと比較してみるのも面白い。アニメや漫画、小説なども初体験の材料となる。夏目漱石や森鴎外に決して劣ることのない世界レベルまで質の高いアニメを意外に知らない。もちろんパソコンやスマートフォンの世界は常に新商品に事欠かない。私たちの周りには興味津々のものが満ちあふれているぞ・・。
<昨日はどういう訳かコラムをお休みした。 多分、夏バテか引越バテであろうか?>

7月23日(水)  <20数年前に自分でメモした・・・>
20数年前に自分でメモしたノートをみて感心するのは進化しないからか忘れっぽいからか。引っ越して来た後も不要品を処分しながら見つけたメモを一部書き出してみよう。A=たりまえのことを、B=んやりしないで、C=ゃんとやれ。これは、さすがに記憶に残っていた。「安全のABC」といって、この時期、はやった安全だけでなく何にでも応用できる名言だ。忘れていたのは、次のカキクケコ。カ=かっかするな、キ=きにするな、ク=くよくよするな、ケ=けんかするな、コ=こせこせするな。これは今まさに自分に言い聞かせたい言葉。モノの処分とか整理は家族でも思惑がそれぞれに異なる。こちらが”ときめかない”ものでも妻や娘が思い入れが大きいことがあれば逆もある。カキクケコを言い続けながら今日もまた少しづつ整理する・・。

7月24日(木)  <30度を超す気温、80%に近い高湿度・・・>
30度を超す気温、80%に近い高湿度、その上ほとんど風がない中で午前中はテニス。さすがに頻繁に休息をとり水を飲みながら無理をせずにプレーしたが、いつもにも増して大汗をかいた。仲間とは熱中症になっても、こんな蒸し暑さの中で運動するのが悪いと馬鹿者扱いされるなぁと話しながらもゲームを続けた。無理をしてはいないし、他人に勧めることもできないが、こうして大汗をかくと少々の蒸し暑さにも驚かないというメリットは自覚する。冷房のきいた部屋の中で一日中を過ごすより身体が鍛えられるとまではあえて言わない。やはりバカなことをしているのかも知れない。帰途の電車では車内の冷房がなんと有り難く思えたことか・・。

7月25日(金)  <「忘れられる権利」・・・>
「忘れられる権利」の言葉をよく目にするようになった。今日のニュースでは「米グーグルは、欧州でネット上の個人情報を削除する”忘れられる権利”が認められたことを受け、検索結果からおそらく10万件以上に上る個人情報を削除した」との記事がある。「忘れられる権利」(=right to be forgotten )は、インターネットにおけるプライバシーの保護として認知された権利であるようだが、確かにインターネットの情報検索サイトは極めて便利なツールである一方で、過去の望まない情報も含めて検索されるなど恐ろしいほどの力を発揮する。これまでは、報道の自由とか知る権利の名のもとに節度のない報道が幅を利かせ過ぎていた。インターネットの時代では自分の情報すらどの程度オープンになっているかを把握できい。過去のプライバシー情報の削除を要請できる「忘れられる権利」は当然であるように思える。それはそれとして、自分のケースを考えると権利を主張しなくても実質的には忘れられるものばかりだ。インターネット上で少しは意味を持って忘れられずに残っているものがあれば幸いか・・。
7月26日(土)  <ゆとりの有無・・・>
ゆとりの有無はこのホームページで今日の作品、今日の写真が掲載できているかどうかで顕著に分かる。我ながら最近の引越前後はゆとりがなかったと思う。今もなお引越後の整理は続くのでゆとりとは無縁だ。陶芸作品は丸2ヶ月新作がない。5月の終わりに陶芸教室で作陶展が開催されたが、その時以来陶芸教室にも行っていない。今晩、これから久しぶりに陶芸教室に行くことにした。陶芸をするためではなく食事会に出席するためである。これを契機に陶芸も再開したいし、少しはゆとりを取り戻したいと思いながら、「小玉スイカ」の写真を下に掲載する。今日もまた猛暑。強烈な日差しが照りつけるサンルームの天井に簾(すだれ)を設置した所、見事に暑さが和らぎ風を感じるようになった。その後食べた小玉スイカが実に美味しかった。
2014-07-26

7月27日(日)  <このところバスに乗る機会・・・>
このところバスに乗る機会が増えた。昨夜も陶芸教室での食事会にバスを二回乗り換えて行き、帰りも同じコースをバスで帰った。帰途は夜遅く、最終バスに近かったので乗り換える場所でバス停を探しているうちに乗り遅れないかヒヤヒヤした。バス停は往路と復路では道路の反対側ではなく随分場所が離れていることがあることを改めて知った。東京都ではシルバーパスが使えるのがありがたい。私も最近シルバーパスを手に入れたが、どこでも何度乗っても都内のバスは全て無料。時間さえ気にしなければバスには安心して乗れる。転居して今の所に来る前はバスにはほとんど縁がなかったが、調べてみるとバス路線は都内の隅から隅まで本当に充実している。バスを使ったオリジナルツァーが幾つも計画できるし、バスとウオーキングを組み合わせれば面白い小旅行が出来そうだ。今日は山梨県大月市で38.8℃を記録したという猛暑日。さすがに今日はバスに乗らなかったが、これからはバスが楽しみ・・。
7月29日(火)  <棺(ひつぎ)を覆って定まる・・・>
「棺(ひつぎ)を覆って定まる」のが人の評価といわれるが、色々な葬儀に出席した時に故人の人徳を感じるか、そうでもないかが顕著に現れるのは恐ろしいほどだ。東京・碑文谷のサレジオ教会で行われた遠縁のオバサマの葬儀に参列して生前のボランテイア活動や奉仕、豊富な趣味などが語られてイメージ通りの故人の姿が目に浮かんだ。90歳での大往生というと仏教言葉になるが、自分のやりたいことを存分にやり、かつ他人のために尽くして神のもとへ召された見事な生涯を感じた。このサレジオ教会は30年近く前に神田正輝と松田聖子が結婚式を挙げたロマネスク様式の名教会。私は初めて訪れたので内部の豪華で品格のある造作にも見とれてしまった。このような教会で棺(ひつぎ)を覆うことだけでも感慨深い。「死」とは悲しむべきことではなく神のもとへ帰り永遠の希望に向かって出発する喜びの時と言われれば、それもありかと思う。
7月30日(水)  <ピアノのオーバーホール・・・>
ピアノのオーバーホールを間近に見る機会があり、その完璧なまでの仕組みに改めて感動した。黒鍵36、白鍵52、計88鍵の標準的ピアノは歴史的に見れば100年も前(1900年初頭)には既に現代とほとんど同じ形態が完成されていた。その前の200年ほどの試行錯誤を経て完璧な形態になったとしても、それ以降100年以上現代に至るまで同じ構造、製法が踏襲されていること自体が凄いことだ。勿論、電子ピアノ式の現代独特の鍵盤楽器は存在するとしても、100年前に完成されたピアノの仕組みが変更されることはないし、演奏楽器としてのピアノの価値は変わらない。18世紀に製作されたバイオリンのストラディヴァリウスやガルネリウスが今も最高の名器とされるのとも似ているが、ピアノの場合は個々の出来映えでなく複雑な機構や材質が改善の余地ないほどに完成されている訳だ。下にハンマーの部分の写真を掲載する。繊細かつ完璧な機能は何か芸術作品を見るようで圧倒されてしまう。
2014-07-30

7月31日(木)  <不要品処理ビジネスは今後もまだまだ拡大・・・>
不要品処理ビジネスは今後もまだまだ拡大するだろう。引越前後を通じて最も頭を痛めているのが不要品の処理。「不要」と決断した後の処理がスムースに行かない。廃棄するものは有料で廃棄業者に頼んで「捨てる」ことはできる。小物であれば一般ゴミとして、不燃ゴミ、可燃ゴミ、資源ゴミなど分別をするのが面倒ではあるが捨てることはできる。問題は捨てるにはモッタイナイものをどうするか。新品同様の食器、陶芸作品、趣味のコレクションなど人によっては十分に楽しんで使っていただけるものの処分に困る。インターネットのオークションで欲しい人を募るのも手間が大変。骨董的な価値があるものであれば値踏みして引き取りますというところもあるが、雑物の場合、ほとんどは廃棄の運命となりそうだ。日本中では膨大な数の隠れた価値のあるものが捨てられており、一方で大喜びでもらってくれる人がいるのに、それを結ぶ接点がない。フリーマーケットやバザーなどのスタイルで手間をかけずに気楽に参加できる所がないものか、なお調査中だ・・。

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