これまでの「今日のコラム」(2014年 10月分)

10月1日(水)   <群馬県の榛名神社・・・>
群馬県の榛名神社(高崎市)にお参りに行き、その後、伊香保温泉(渋川市)にまわり温泉に入ってきた。先ほど帰宅したばかりで十分に整理はできていないが、榛名神社周辺の写真を下に掲載してみる。榛名神社の社殿の創建は588年、現在の本殿等は200年以上前に建造されたという。建造者の気合いが直に伝わってくるような実に手が込んだ品格ある神社だ。私はこの神社には今日初めて参拝した。日本の中には私がまだ訪れたことのない名所が数知れずある。これから少しずつでも自分にとっての日本再発見を増やしたいなぁ・・。
  2014-10-01@榛名神社
 

10月2日(木)   <物言えば 唇寒し 秋の風・・・>
「物言えば 唇寒し 秋の風」。松尾芭蕉のあまりに有名な俳句であるが解釈はいろいろと分かれるようだ。非常に教訓的なとらえ方をすることもあるようだが、後世に誇張されたのか。芭蕉自身はそれほど直接的に”人の悪口を言えば後味の悪い思いをするよ”などと説教じみたことを詠み込むことはしないだろう。ただし芭蕉自身は「人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」を座右の銘にしていたというから、もの言い方、口の開き方について自戒して含ませるところはあったのかもしれない。それにしても芭蕉ほどの大御所であっても自慢をせずにまた他人の非難をしないことを自らに言い聞かせるほどに「口は災いの元」を経験したのだろう。上から目線の説教は聞きたくないが、ためになる話は積極的に聞きたいのは、いつの時代も変わらない。

九品仏浄真寺にて/息子の月命日で墓参
10月3日(金)   <最近購入したウォーキングシューズ・・・>
最近購入したウォーキングシューズが気にっている。足首の横ぶれがし難いとか履き心地もよいが、何より非常に軽くて靴の重さを感じない。しかしながら人間は勝手なもので余りに軽いので別の心配をしてしまう。こんなに脚力への負荷を少なくしていいのだろうか・・。登山家が日常生活の中で訓練をするために、あえて特別の錘(おもり)をつけて重い靴で歩く習慣にしているという話を思い出す。ウォーキングをする機会にはトレーニングとして少し重い靴を履き筋力を鍛えた方がいいのでないか。同じようなことは生活全般で当てはまる。苦労をなくそうと楽に楽にすることによって結局人間本来の能力を低下させてしまうことがあるのでないか。面倒だとか難しいとか苦しいといって負荷のかかる内容をみんな除去すると一日中ぼーと日向ぼっこをしている老人ができる。人は生きている限り適度な負荷が必要だ。“適度な”はなるだけ重い方がよい。ただし本人が重いと感じずに重さを楽しんでいれば、それがベストとなる。
ウォーキングシューズが軽い分、歩く距離を二倍にしようか・・。
10月4日(土)   <引越前に住んでいた家に・・・>
引越前に住んでいた家に置いてある不要となった家具・食器・衣服・電気製品・おもちゃ類などをリサイクルに出そうと訪問買い取りを依頼したところ、今住んでいない人からの依頼は受けられないと断られた。家はまだ売却した訳ではなく表札は私の名前がついたままだし鍵も持っているけれども、住所変更をしたため持ち主が本人であるという確認ができないという訳だ。自動車運転免許証の表の住所は以前のままだから本人が住んでいた場所であることは明白だが裏書きで住所変更されているから本人確認とならないという理屈。あまりに杓子定規でありすぎるとは思ったが、買い取り側のルールとして分からないことはない。世の中には長期の留守宅のものを他人が勝手に処分する輩もいるだろうし差し押さえを受けた物品を売却してしまう人もいるかも知れない。住民登録された「住所」がそれほど大きな意味を持つ。それにしても今のリサイクル業者には何かと”買ってやる”という視線があって気になった。再利用のシステムはまだまだこれから変わっていくべきものだろう。

10月5日(日)   <鮪(まぐろ)がスーパーで・・・>
鮪(まぐろ)がスーパーで特別セールされているので見るとカナダ産だった。他にノルウェー産の鮭(さけ)や米国産赤魚、ベトナム産白身魚など海産物には外国産のものが思ったより多い。国内産は北海道産、青森産、岩手産、静岡産など都道府県名が書いてあるが、鰻(うなぎ)は「養殖」とだけ表示されてる。「養殖」とされる鰻の養殖場はどこの国かは分からない。いまや輸入魚を敬遠していては食生活も成り立たないが、できれば日本の漁師さんを応援したいと思う人情がある。それにしても100円ショップで扱っている商品のほとんどは中国製。100円ショップだけではない。私のテニスシューズは中国製、ウォーキングシューズはベトナム製・・。魚介類と違うのは、基本設計(デザイン)が日本ということで、これだけでもよしとしなければならない時代になった。

10月6日(月)   <台風が東京を直撃・・・>
台風が東京を直撃。昨日から続く大雨がどれほど荒れ狂うか今朝からテレビの報道番組を見ながら警戒していた。確かに午前中10時〜11時頃には窓ガラスがガタガタとゆれて恐ろしいほど風が強まったが雨はそれ以前より納まり加減。その内、気がつくと雨風ともに急速に勢いをなくし12時過ぎには何と日が射してきた。台風一過の晴れ間をこれほど顕著に見たのも珍しい。午後1時過ぎに車で出かける時には風もすっかり止んで青空を見ながらの運転となった。ほんの数時間前には今日の午後の約束を中止しなければと思って迷っていたのは何だ。結果からみるとインターネットで今の地域に限定して5分ごとの雲の動きを予想するサイトが最も正確で役に立った。テレビの報道は全般に最悪を回避するために警告するのが主目的なので決して楽観的な予測はださない。市町村の避難勧告や避難指示も同じであくまでも安全第一。安全率を十分すぎるほどとる。今回のように意外に軽い台風直撃を経験すると、次からの予測や警告を「狼少年」として警戒が甘くなるのが怖い。

10月7日(火)   <今日のニュースは・・・>
今日のニュースは何と言っても日本人三名のノーベル物理学賞受賞が決まったこと。青色発光ダイオードの開発に関する業績が認められたもので、赤崎勇氏(85際)と天野浩氏(54歳)が世界で初めて青色発光ダイオードを実現したのに対して、その量産技術を開発した中村修二氏(60歳)も加わった三名が一緒に受賞した。中村氏は日亜化学工業の研究者の立場でサラリーマン研究者として開発した青色発光ダイオードの特許権をめぐり、会社側と裁判で争ったのは有名な話。中村氏個人に200億円の発明対価が裁判所で認められた後、会社を飛び出して今は米カルフォルニア大の教授の肩書きだ。とにかくも青色発光ダイオードの製品化ができたことから更に白色LEDが可能となり、LED照明により全世界に膨大な省エネ効果をもたらしたことには誰も異論はない。ノーベル賞の各部門の受賞者の発表はこれからしばらく続く。今年は日本人の受賞者が更に出るのでないかと予感がするがどうだろう・・。


10月8日(水)   <同じ人間でも、また同じ物品でも・・・>
同じ人間でも、また同じ物品でも、どの側面を見るか、何に焦点を当てるかで評価は全く異なる。人間の場合、経歴とか残した業績だけを見るのと生き様とか人間性を見るのとでは評価とか好みが真反対になることがある。茶碗とか椅子、おもちゃなど物品の場合には、新しさとか年代を基準にするのと形状やデザイン性をみるのでは価値が大幅に変わる。古いものを認める場合、錆がでたり汚れがあるものでも逆に”風情がある”と好まれる。骨董品はゴミとして捨てられてもおかしくない古い品物に美の価値を見いだしているものだろう。お宝になるかゴミになるかは見る人間によって全く違ってしまうことを、最近いくつかのリサイクル業者と付き合って思い知らされる。引越前の家に残してきた物品を処理しようと業者に見てもらったところ、ある業者では見向きもされなかったおもちゃ類を別の業者が目を輝かせて引き取ってくれた。既に自分の手元を離れたオモチャ、たかが玩具であっても、何か自分が認められたような気がしてうれしい。

10月9日(木)   <バスで「五本木」を通過・・・>
バスで「五本木」を通過しながら地名を考えた。五本木は目黒区(東京)の地名で室町・鎌倉時代に街道筋(いざ鎌倉のときに馳せ参じるための鎌倉街道)に大きな五本の樹木があったことで名付けられたとされる。全国的には港区の「六本木」の方がはるかに有名ではある。ちなみに引越後、私が今住んでいる地区は昔「中一ツ木」と呼ばれたようで(今は別の地名)、「木」のついた地名は多い。五本木の隣には「下馬」の地名がある。馬のつく地名もまた多く残っている。最近は「上馬」でバスを乗り換える機会が増えた。今日は五本木から柿の木坂を通り、バスを乗り継いだのは「駒沢」。これも馬だ。地名をみていると昔の街道筋を行き来する馬や自然が目に浮かんでバスも退屈しない。


10月10日(金)   <ご近所探索で今日は「氷川神社」・・・>
ご近所探索で今日は「氷川神社」(目黒区八雲)に行ってみた。前に渋谷区に住んでいた時には渋谷氷川神社には時々いったことがある。氷川神社というと埼玉県の大宮氷川神社を総社として、東京都と埼玉県の近辺に200社もの神社があるという。主祭神は須佐之雄尊 (すさのおのみこと)・稲田姫尊 (いなだひめのみこと)・大国主尊 (おおくにぬしのみこと)とか。中でも「八雲」の地名が「スサノオ」が詠んだ和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(=古事記に記載されている日本最古の和歌とされる/我が妻を籠もらせるために、ちょうど八重垣のような幾重もの垣を巡らすのはどう解釈するのだろう・・)から来ていると知って氷川神社には是非行ってみたいと思っていた。この神社はまた「癪(しゃく)封じの神」としてと参詣人を集め、栄えたと現場での説明にあった。癪に障ることでもあると、また行ってみようか・・。
帰宅後まもなく、いつになく美しい夕焼け空を目にしたので写真を掲載する。

  
2014-10-10 @氷川神社(目黒区八雲)      
10月11日(土)   <丁度、一ヶ月前にコンピュータ・・・>
丁度、一ヶ月前にコンピュータ(24インチの I-Mac)が突然故障し、その後
、新しいノートパソコン(MacBook Air13)を買ってソフトの更新やテスト・調整を行ってきたが、今日、ノートパソコンと合わせて、デスク上で大型モニターを使えるようにセットして、コンピュータ関連の整備は一応完了した。その間、故障した方のコンピュータを何とかモニターとして復元できないかと試みたが結局は廃棄と決めた。今回、インターネットで調べて、初めてコンピュータを無料廃棄してくれる業者に委託する方法をとってみたが、これが実に簡単。指定のヤマト運輸を使って着払いで発送するだけで終わりだ。梱包の手間はかかるが、梱包に空きスペースがあればコンピュータと関連のない不要品を入れておいても廃棄してくれる。更に運送会社に電話すると2時間もしないで引き取りに来てくれた。何でもモノを捨てる時に”モッタイナイ”気持ちが抜けきらないが、今は処分するのにもお金がかかる。無料で廃棄してくれるだけで有り難く思える時代となった。
10月12日(日)   <引越前まで住んでいた家・・・>
引越前まで住んでいた家に残して来た古い家財道具が軒先に山積みされたままなので
整理に出かけた。来週火曜日頃に、東京方面に台風が接近するとの予報。正にその日に廃棄物処理業者にすべてを処分してもらう予定なので先ずは台風対策で屋外に置いてあるもので取り込める分を家の中に運んだ。今日は妻も同行したところ処分を決断したはずのもので妻が家に持ち帰りたいというものが次々とでてくる。姿を見れば愛着がよみがえるのは私も同じで、一度は廃棄するとした昔の陶芸作品を持ち帰ることにしたり、捨てる予定だったタオルの束を車に積んだりしてしまう。・・人間社会では「モッタイナイ」とか「モノを大切に」をやり過ぎると消費が落ち込み景気はよくならない。新陳代謝が必要なのは人間も同じで、「お年寄りを大切に」を間違えると老害が発生し若者の出番がなくなり社会は沈滞する。何事も”ほどほどに”は言うは易く行うは難し・・。 
2014-10-12@代官山のレストランにて
10月13日(月)   <O脚改善プログラム・・・>
O脚改善プログラムを今日体育の日からスタートさせようかと思いついた。
以前のコラムに書いたことがあるが、毎朝6時25分からのテレビ体操(ラジオ体操+α)の時間に鏡で自分の姿を見ながら体操をやってみると自分の無様さに気がついて愕然とした。テレビの中のお姉さんたちのすらりとした美脚と比べると自分の脚はまぎれもないO脚でみっともない。O脚はスタイルとかプロポーションだけの問題でなく運動機能にも影響する。これまで鏡に映る我がO脚を毎日自嘲的に眺めるだけであったが、インターネットで調べているとO脚を改善するやり方を教えてくれるサイトがあった。例えば私は夜の歯磨きをする時間に自己流のストレッチをするのを習慣としていたが、この際、両膝をくっつけるように屈伸するだけでO脚改善の一つとなる。この種のちょっとしたことを続けていくのは悪くはないだろう。来年の春あたりに鏡に映る脚が少しは変化しているだろうか・・。
10月14日(火)   <古い家財道具一式・・・>
古い家財道具
一式を廃棄するのに立ち会った。台風一過で晴れ上がったが風が強い天気の下、引越前の家中に残してあった家具や電気機器、食器や洋服、布団に至るまで、リサイクルできるものは既に持ち出し済みなので、全てをまとめて廃棄業者に引き取ってもらった。かなりの分量であったが業者の小型トラック二台に要領よく1時間余で全てを積み込んだ。既に今の新居に引越済みであるので生活に必要なものは残していないはずであるが、見覚えのある懐かしい品々が次々に運び出されたりバリバリと壊されたりするのを見るのは心地よいものではない。あえて何も見ずにモノがなくなった部屋の掃除をしたりしていた。何もなくなりすっきりとした部屋の中を眺めながら、さすがに感無量。50年以上住んだ場所とも本当におさらばとなる・・。
10月15日(水)   <今朝6時からのNHK教育テレビ・・・>
今朝6時からのNHK教育テレビ「スーパープレゼンテーション」は面白かった(先週水曜日夜10時からの再放送)。話し手は米国MIT(人工知能研究所)に在学中MaKey MaKeyなど実にユニークな遊び道具などを創った発明家ジェイ・シルバー氏。とにかく彼の楽しそうなプレゼンテーションを是非見てほしい(=ここ)。導電性のあるものなら何でも音楽のキーボードにしてしまうMaKey MaKey(=ここ)も買ってみたくなる。番組の解説者が後で語っていたがジェイ・シルバー氏はMITのLifelong Kindergarten研究グループにも所属していたという。幼稚園は遊びながら学ぶ場所。創造性には遊びながら学ぶ姿勢が重要というところにも共感する。子どもは教えられなくても遊びの中で世の中にないもの、見たこともないものを創りだす。ただし、誤った指導や教育を受けるとモノマネしかできなくなる。クリエイティビティー(創造性)を育むのは自由な環境しかない・・。
10月16日(木)   <テニスボールが塀を越えて・・・>
テニスボールが塀を越えて外に飛んでいってしまった。私が素早く高さ2m以上ある
塀を乗り越えて外に飛び降りてボールを拾い、また塀を乗り越えて戻ってくるとプレーをしていた女性が”すごい運動神経!”といって褒めてくれた。考えてみると30才、40才の若い人は確かに塀を乗り越えることなど余りやらない。ボールをあきらめるか時間をかけてぐるりと回り塀の外まで行くかのどちらかだ。運動神経が鈍いからではなく、塀を乗り越える行動が頭にないのだろう。70を十分過ぎた歳であるのに無意識で直ぐに塀を乗り越えてしまうのは子どもの時からの遊びの習慣から来ていることに気がつく。田舎で育った私は家の周りに塀が巡り回されており、塀の上を歩いて家を一周するのが遊びの一つだった。子どもの頃と同じように今も遊んでいるのが何かおかしい。足でも骨折すると”年甲斐もなく”と笑われるのは必至で、塀を乗り越えるのはもう止めようと思うのはいつもやってしまった後での話だ。
10月17日(金)   <二子玉川・・・>
二子玉川にバスで行ってみた。二子玉川は東京の神奈川県寄り、多摩川の側に発展した世田谷区の
地名。現在もなお再開発が進行中で、いま東京の中でも最も活気がある地域の一つと見られている。有名である割に私は二子玉川駅に降りたことはないし周辺を歩いたこともなかった。今回目黒区に引越して来たところ、二子玉川行きのバスが家の側を通っているので妻と探索に出かけた次第。超高層のマンションやショッピングセンター、ブランド店満載のデパートなどをお上りさん気分で楽しんだ。都心と全く変わらない質を備えながら、多摩川の河川敷や緑地、原っぱなども生活圏にあるところが「ニコタマ」の強みであろう。記念に写真を撮ったら、間違えて白黒となってしまった。それも余りニコタマらしさが表現できなかったが「今日の写真」として掲載する。
 
2014-10-17 @二子玉川にて
10月18日(土)   <「聞き上手」でありたい・・・>
「聞き上手」でありたいと心で思っていてもそれほど容易にはできない。こちらは一生懸命に耳を傾けていても妻からは相づちも打たず全く無視していると非難されたことは一度や二度でない。本当に聞き上手な人は話し上手でもあるのだろうが、こちらが下手な話をした後に、黙ってじっと聞いていた相手から思いがけない言い方をされたことがある。「それで、あなたは何が言いたいのか?」、「あなたが言いたいことはこういうことか?」・・など。あえて話題の人物を傷つけないように婉曲な言い方をすると、人によってはこういう言い方で返される(この確認はビジネスの会議用かも知れない)。じっくり聞いているように見えても相手が決して「聞き上手」とも、また「話し上手」とも思えなかった。会話の中での「詰問(きつもん)」は信頼感のある質問とは異なり愉快なものではない。会話で問題なのは話し手が悪意はなくても知らずに相手の感情を逆撫ですることがあることだろう。全く他人事でなく我が身を疑れ・・。
10月19日(日)   <世の中「ない」方がいいもの・・・>
世の中「ない」方がいいものが山とある。今日、私がない方がいいと思ったのは、NHKテレビの日曜美術館で作曲家・千住明さんが画家・ホイッスラーの絵画につけた伴奏音楽。米国生まれで人生の大半をロンドンとパリで過ごしたというホイッスラー(1834〜1903)は「シンフォニー」とか「ノックターン」など音楽用語を絵画の題名につけていることもあり、絵に相応しい音楽として編曲されたベートーヴェンやショパンの曲がバックに流れるのだが、これが耐えられなかった。毎度思うのだが、絵画鑑賞時には音は不要だ。音がない空間で絵を見ると想像力が次々と広がるのに対して、音楽が流れていると絵を見る集中力が阻害される。絵画にお仕着せの音楽は邪魔である。私がいくら自由に集中して絵画を味わうために「音楽」はない方がいいと思ったとしても、一方で音が「ある」方が絶対的にいいと信じているテレビのプロデューサーや作曲家がいることも確か。まさに世の中いろいろ、真反対の価値観がまかり通る。今日の日曜美術館はテレビの音を消して画面だけを見た。
2014-10-19 ダリアの花が部屋に加わった
10月20日(月)   <母方の「家系譜」が・・・>
母方の「家系譜」が引越後の片付けをしている時にでてきた。27年前に母が亡くなったときに廃却されそうになったものを引取ったものだ。当時は内容を細かくみることはなかったが今回その時に捨てられていたら永遠に誰の目にも留まらなかったと思うと何か愛おしくなって中身をチェックした。私は母方の祖父(明治13年生)はよく知っているが、今からさかのぼること約300年、江戸の元禄の時代から祖父へのつながりはドラマチックでもある。家系譜があっても特別に役にも立たない、お金にもならない、価値があるものでもない、他人に誇れるものでもない。けれども、ほんの少しDNAが関連する祖先たちの活動がなければ私は決してこの世に存在することはなかった。多くの人たちの歴史の下に自分の生命が成り立っていることを教えてくれる。「家系譜」は保管して母方の親戚にも写しを配布しようと思うようになった。
10月21日(火)   <IHクッキングヒーターで・・・>
IHクッキングヒーターでクリームシチューを作った。引越前の家ではガスの調理器で何度も作ったことはあるし、料理は何も難しいことはない。けれども、今日は引越後少し落着いたので自分でIHを使用してみたのだが、戸惑うことばかりだった。「慣れ」の問題だと分かってはいるが、”ガス”が懐かしくなるほど新調理器には苦労させられた。マニュアルもなく妻に教えられもせずに一人でとにかくも使ってみるだけ。トライアンドエラーで少しは覚えたけれど、とてもマスターしたとは言えない。慣れないけれども炎を使わない誘導加熱(Induction Heating=IH)による電磁調理器には興味がある。確かに老人がガスコンロなどで調理をするのをみると火が衣服に燃え移らないかとヒヤヒヤすることがあるが、IHの場合は安心だ。これからは、もっともっと自分でIHヒーターを使いこなすようにしたい。苦労はしたけれど今日のクリームシチューは特別に美味しく味わうことができた・・。
10月22日(水)   <「数楽アート」・・・>
「数楽アート」に取り憑かれている。「数楽アート」とは数学の2変数関数が描く軌跡に沿って板を加工し、それを格子状に組上げて作った立体オブジェ。・・といっても分かり難いので、実物映像を見て欲しい(=ここ/商品ラインアップも面白い)。制作技術として数値制御やレーザー加工の技術に加えて匠の技があってはじめて可能となるアートである。この数学派生のアートを生み出したのは東京‐大田区の大橋製作所という元は板金工場であったところ。どんなにすばらしいアートであっても道楽で終わってしまうものは数知れないのに「数楽アート」は商品として成り立っているところが、またすごい。以前私の陶芸作品でも一部に数学的な要素を取り込んだことがあるが、まだまだ数学を応用した新しい分野が開けそうな予感がする。
10月23日(木)   <朝から冷たい雨・・・>
朝から冷たい雨。テニスに行くことは元より諦めて、代わりにやるべきノルマ仕事に励む。朝食後、バスで約40分かけて渋谷へ。渋谷駅前から歩いて宇田川町を通り抜けて渋谷区役所まで。区役所内の都税事務所でやることを済ませて、また駅前に戻りバスで40分ー帰宅。昼食までは続いて部屋片付け。昼食後、書類のスキャン作業と画像処理、更にメール作業。その後、お客さんとの打ち合わせが1時間30分ほど。そして続けてケーブルテレビ関連の工事業者と打ち合わせおよび工事。夕方になってもまだ雨は降り続いている。・・このような一日。振り返ってみると身体を動かしてはいるけれども、頭を使う内容がないなぁ・・。
10月24 日(金)   <人間の欲望について・・・>
人間の欲望については既に語り尽くされているようにも思えるが、年齢を重ねると従来と違う見方を自覚することがある。仏教では、食欲、性欲、名誉欲、金銭欲、睡眠欲の5欲が人の苦の元となる煩悩を引き起こすとして悪いこととされた(睡眠欲は怠惰を増長させると見られたようだ)。本能のままに生きることを戒めた教えは分かるとして、それでは人間は何が好きで生きるのか。苦の源を断ったとして何が面白くて生きるのか。私の周辺で70歳を過ぎて相手を打ち負かそうと争う勝負事は嫌になったとテニスも止めてボランテイア的な役に専心する人がいた。褒められようとか、よく思われようなどの気は一切なく、金銭にもこだわらない。そう、歳を取ってから自分のためというより、他人の喜ぶことをするのが生き甲斐とする人が意外に多いことに気がつく。他人のために尽くすという欲望もまた人間の本能のどこかにあるのでないか。仏陀は煩悩を捨て悟りを開いた後に何をしたか。やはり他人のためになることをした・・。
2014-10-24 空を反射するテーブルにて
10月25日(土)   <「秋の幸サラダ」・・・>
「秋の幸サラダ」から最後の「サンマ土鍋ごはん」まで、陶芸教室の秋の食事会にゆったりと浸って今帰宅した。陶芸はまだまだ初心者のつもりでいたが、はじめて轆轤(ろくろ)を体験をする人と話しながら自分は10年以上の経験があるベランであることを自覚する。確かに一緒に始めた仲間で陶芸家として活躍している人もいる。けれども陶芸は始めてからの年数で優劣が決まるものではない。今や本当に初心を持って意欲的に取り組もうとする人に刺激を受けてやる気を呼び起こす立場となった。心機一転となる食事会であった。
2014-10-25 14種類の野菜からなる「秋の幸サラダ」
10月26日(日)   <柿食えば 鐘が鳴るなり・・・>
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。誰でも知っている正岡子規の句。この俳句は明治28年(1895)10月26日に奈良旅行に出かけた子規が法隆寺の茶店で一服して柿を食べた時の情景を詠んだものとされる。この時、子規は28歳、この年にも結核で喀血している。子規は本当に柿が好きで、柿を詠み込んだ俳句は多い。少し引用してみよう:「渋柿は 馬鹿の薬に なるまいか」(明治29年/29歳)、「柿喰ひの 俳句好みしと 伝ふべし」(明治30年/30歳/”我死にし後は”と記し、死を覚悟している)、「胃を病んで 柿をくはれぬ いさめ哉」(明治32年/32歳)、「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」(明治34年/34歳)。そして明治35年((1902年)9月に35歳になる直前に亡くなった。柿の句だけでも壮絶な闘病生活が垣間みられる。・・私も柿は大好きだ。スーパーでは柿も高価だが今日はひとつ子規を偲んで柿を食べよう・・。
10月27日(月)   <このところテニスに通うのに田園都市線・・・>
このところテニスに通うのに田園都市線を利用してきた。東京‐渋谷駅ー二子玉川駅を結ぶ新玉川線が拡張されて渋谷駅から神奈川県の中央林間駅を結ぶトータルの路線が田園都市線と呼ばれる。最近は更に渋谷駅から東京メトロ半蔵門線へ直通運転されるようになり非常に利便性がよくなった。ところが、この田園都市線の朝のラッシュの混み方は尋常ではない。今朝も私は駒沢大学駅で田園都市線に乗り渋谷駅を経由して次の表参道駅まで行った。その先、地下鉄銀座線にまた乗り換えたのだが、今日もまた田園都市線では足の踏み場もない,押し合いへし合いの世界。はじめは特別に電車が遅れたせいかと思っていたら、この路線の朝の混雑は有名で私鉄の中でも知られる恒常的なラッシュ地獄の路線であった。そこで今日の決断=次回からはテニスには自転車でいく。たとえ時間がかかっても、通勤、通学のためラッシュで苦労している人々の中にラケットを担いで加わることはない。早速に自転車の経路を調べ始めた・・。
10月28日(火)   <赤瀬川原平さんが亡くなった・・・>
赤瀬川原平さんが亡くなったと報じられている。1937年生まれで77歳だった。前衛美術家などと呼ばれたが私も何かにつけ刺激を受けた。既存の価値やセンスにとらわれずに自分の目で面白いものを見つけ、創造することを貫いた人。決して権威面するところがなく「ナンセンス」の価値を発見する姿勢が私は好きだった。いつも次には何を見せてくれるだろうと期待を持たせてくれたし、これからが彼本来の「老人力」を見せてくれると思っていたのに・・。逝くのは少々早すぎる。合掌
2014-10-28am6:10朝陽を浴びる高層ビル
10月29日(水)   <久しぶりに「今日の絵」を更新・・・>
久しぶりに「今日の絵」を更新して「mieuへの絵手紙/桔梗」を表紙に掲載した。ニューヨークに住む孫娘のmieuに私がはがきの裏に絵を描き、妻が表の半分に便りを書く絵手紙だ。最近流行の絵手紙は絵の面に大きく文字を挿入するのが一般的のようだが、文字のない絵でも絵手紙と言っておこう。それにしても、このところmieuが元気がないので心配している。成長する段階でいろいろなことがあるよ、と勇気づける絵を描きたかったが、出来上がってみると暗い絵となってしまった。ごめん。次は明るい元気な絵にするから・・。
昨日の朝陽を浴びる高層ビルに続き、今日もまた早朝の写真を掲載する。am6:07分頃の写真。数分後には反射の具合が一変するので、水曜日の朝6時からのNHK教育テレビ「スーパープレゼンテーション」を見る合間の一瞬に撮影をした。
<明日は一泊旅行の予定にてコラム休みます>

2014-10-29
10月31日(金)   <箱根に一泊旅行・・・>
箱根に一泊旅行をして先ほど帰ってきた。妻の姉夫妻との気楽なドライブ旅行。それも秋の紅葉を求めて走り回ることもせず箱根の仙石原近辺のみでゆっくりとした時間を過ごした。昨日の昼食はオーベルジュ・草庵(=ここ、宿泊施設を備えたレストラン/ただし、宿泊は別とした)。ここで食事をするだけで非日常の開放感に浸れた。今の季節、仙石原の名所である斜面に広がるススキの草原には行ったが後は宿で温泉三昧。今日訪れたポーラ美術館もまた東京とは別世界の空間を提供してくれた。美術館のサイト(=ここ)のムービーの中で曰く:「人生でこんな一日があってもいいのでないか」。そんな一日であった。
 
2014-10-31 箱根・仙石原のススキ      ポーラ美術館
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