これまでの「今日のコラム」(2014年 11月分)

11月1日(土)   <専門家の危うさ・・・>
専門家の危うさについては何度か触れたことがある。道一筋で相応の専門家となることは、どのような分野にしろ望ましいのは確かだろう。法律、医学、経済、工学、コンピュータなどの大枠を想定しても専門とは更に際限なく細かな分野に分かれる。生涯をかけて非常に狭い範囲での専門家となったとすれば当然ある種の誇りが生まれても不思議ではない。ところが、その専門は時間の経過とともにあっという間に過去のものになる。不相応な誇りを持っていた人に限って歳を取ってから挫折や疎外感で惨めな思いをして精神に異常を来すこともある。反対に、私が知っている元専門家でも老後に多方面で活躍する人は皆多くのことに対して好奇心が非常に旺盛であることに気がついた。ただの一本道だけでなく周りの景色にも興味を持ち他の道にも立ち入ってみる。お金や栄誉を求める一本道と違って面白くなさそうであれば別の道を覗くのも簡単。何より誰からも強制されない気安さが大きいのかも知れない。好奇心は歳を取ってからこそ必要なのでないか・・。
11月2日(日)   <息子の月命日で・・・>
息子の月命日で墓参り。転居の後、墓のあるお寺が近くになったので気楽に墓参りできるのがうれしい。最近は先祖代々の墓なんぞ意味がなくなってきた。長男のみが墓とともに家を継ぐ思想には私も馴染めない。今の墓は父母がつくり、その中に父母と共に息子も入れてもらっているが墓の所属は長兄から今はその長男となっている。長男には男の子がいないので将来どうなるか知らない。墓は今生きている人のためにあると墓参りの度に思う。私たちの今の心情として息子の墓参り、そして両親の墓参りをできる墓があることは有り難い。けれども自分たちの墓には固執しない。共同の墓地であろうが樹木の中だろうが構わない。今日もそうであったが、墓参りをする時には自分の墓周りだけでなく隣近所の墓周辺をかなり広く掃除をする習慣ができてしまった。”墓守”もまたやりがいのある仕事に思えてきた・・。
 
2014-11-02 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)
11月3日(月)   <「塩」は太古の昔から・・・>
「塩」は太古の昔から人類が生きるために欠くべからざる貴重な栄養源であった。ローマ時代には給料を塩で払ったというし、キリストは山上の垂訓の中で「あなたがたは地の塩である」と例に塩を用いた。キリストは目立たぬ存在であっても塩の隠し味が料理を美味しくするように社会のためになり腐敗を防ぐ役割をする人々を「地の塩」として励まし、そして「地の塩」であると同時に「世の光」であると説いた。・・今日、文化の日にあわせて毎年発表される叙勲のニュースをみると、つい「地の塩」を連想してしまう。お役人がある基準のもとに選定した叙勲者は当然のことながら既に地位も名誉も得た人たちで、地の塩とは対極にある。せめて叙勲者のみなさんが世の光となるかどうか見守ろう・・。それにしても最近は減塩、無塩と塩は悪者にされ過ぎている。人間は塩なしには生きられない。どんなに有効なものでも”過ぎたるは及ばざるがごとし”は塩に限らない。
2014-11-03海岸のようにみえる東京風景
11月4日(火)   <東京に60年近く住んでいるが・・・>
東京に60年近く住んでいるが都内でも一度も訪れたこのない所は多い。高級住宅街として有名な田園調布もその一つだった。今日は初めて自転車で田園調布まで行ってみた。駅前から放射状にのびる並木の通りなどをゆっくりとサイクリングしていると、欧米の小都市を散歩しているような高揚した気分になった。下にかわいい田園調布駅舎(復元版)の写真を掲載する。何より駅の周りに人が少ないのには驚いた。暗くなると駅から住宅まで寂し過ぎるのでないかと余計な心配までする。更に自転車を走らせて多摩川の河川敷へ。今日は下見だが多摩川には多くのサイクリングコースがあり、その気になれば何十キロも自転車を走らせることができる。新たな可能性へスタートと言っておこう。
 
2014-11-04 田園調布駅舎                     多摩川河川敷
 
今日はおまけで、透明花器に菊 & 月
11月5日(水)   <美しい日本語の歌を伝えたい・・・>
「美しい日本語の歌を伝えたい」という演題で由紀さおりさんの講演を聴いた。日経ホール(東京‐大手町日経ビル)で開催されたチャリテイー講演会。来週66歳となる由紀さおりさんが49年間に及ぶ歌手生活を振り返り、これからの歌手人生を通して伝えたいことを語る。時にユーモアを交えて1時間半の間飽きさせることのない話術には本当に感心した。いくら舞台慣れしているとはいえ「話」だけで聴衆をこれだけ引きつけられる人はそういないだろう。由紀さんが言っていたが最近の音楽は歌詞よりもリズム重視で、専ら「目」にアピールする。目をつぶって耳だけで中身を吟味して、感じる重要性はとてもよく分かる。美しい日本語、美しいイントネーションを伝承するのを応援したいが、実際に良きサンプルを聴くチャンスはそれほど多くない。
 
2014-11-05 皇居前にて                     東京駅前にて
11月6日(木)   <早朝の喫茶店でキャラメルコーヒー・・・>
早朝の喫茶店でキャラメルコーヒーを飲みながらKindleで本を読む。今日はこんな贅沢を味わった。なぜか? 家が引越したのでテニスに行くには猛烈なラッシュアワーの電車を乗り継がなければならなくなったことは以前のコラムで書いた。その時、次からは時間がかかっても自転車でテニスに通うと決心をした。今日は初めて自転車でテニス場まで通ったのである。バスと電車を使うときよりも30分ほど早く家を出て、時に霧雨に見舞われたりしながらも自転車を走らせてテニス場に着いたら何と時間が早すぎて誰も来ていない。そこで喫茶店で20分ほど時間をつぶしたという次第。結局は自転車でも1時間足らずで通えることが実証された。帰路は時間を気にしないので更に楽しめる。あえてメインの自動車道路でない住宅街の細道を選んで進み、方向が分からなくなるとi-Phoneの地図機能(GPS)を使って位置を確認する。そんなことをしていると新しい近道が見つかった。自転車に乗って移動すると他にも東京の隅っこに沢山の発見がある。
11月7日(金)   <コンピュータの外付けハードデイスクが突如・・・>
コンピュータの外付けハードデイスクが突如カチャカチャと異音を発しはじめて、次に再起動するとコンピュータで認識しなくなってしまった。丁度2ヶ月前のコンピュータ本体の故障に引き続いてのトラブル。インターネットでハードデイスク故障修理のサイトを探して、今日は半日掛りでハードデイスク復旧の業者との折衝を試みた。無料での診断結果、復旧は可能。ただし修理費(見積り)は○○。金額は私が予定した額の5倍から10倍なので、今のところ復旧は諦めた。改めてハードデイスクにどのようなデータが保管されているかを考えると、絶対になくて困るものはない。数年間のデジカメの写真データなどもあるが過去の写真を見る必然性はほとんど皆無。不要と割り切ればそれで済む。今日の教訓:本当に必要なデータはHDの更なるバックアップをとること。HDは故障すると承知すること。HDを使わぬときは電源を切るか、コンピュータから取り外しておくこと。・・「今日の写真」は築地本願寺(東京‐中央区)。HDの修理業者のオフィスが築地本願寺のすぐ隣であったので、お参りに行ったが、親鸞聖人さまの力を持ってしてもHDを容易には復旧できなかった・・。
2014-11-07築地本願寺にて
11月8日(土)   <今日は下北沢にある陶芸教室まで・・・>
今日は下北沢にある陶芸教室まで自転車で行った。転居した後、バスを乗り継いで教室に通っていたが、一昨日、テニス場まで自転車で行ったのに続いて、初めて自転車を使ってみたのである。所要時間は30分ほどで明らかにバスの乗り継ぎより短縮された。バスの場合には待ち時間があるが自転車は無駄がない。逆に自分で自由時間を作ることもできる。今日は途中の三軒茶屋で下に掲載したように道標の写真を撮ったりして遊んだ。東京‐世田谷区の三軒茶屋は国道246号線(=玉川通り/昔の大山街道)と世田谷通り(昔の登戸道)とが交差するあたりの町名。江戸時代に大山詣がブームで賑わっている街道筋に三軒の茶屋が並んでいたことに名前の由来がある。今の「三茶(さんちゃ)」は都内でも有数の繁華街の一つ、自転車で通過するのは歩行者と自動車双方に迷惑をかけるのでその内バイパス道を見つけなければならない。
2014-11-08 三軒茶屋にて
11月9日(日)   <ヒイラギ(柊)の樹に・・・>
ヒイラギ(柊)の樹に小さな花の蕾がつきはじめた。鋭い尖った鋸歯状の葉が特徴のヒイラギは葉の刺(とげ)で怪我をすると疼(ひいら)ぐことから名前がヒイラギとなったと解説されているが漢字の「柊」もまた読み難い字だ。それでも人名で柊さんもあるので読めなければ失礼か(知人に冬木<ふゆき>さんがいる、名前は多様!>。ヒイラギというとクリスマスの木を連想するがクリスマスの飾りはモチノキ科の西洋ヒイラギでモクセイ科のヒイラギとは別種だ。下に掲載した写真は転居した今の家の玄関先にあるヒイラギ。”邪鬼の侵入を防ぐ”そうだから多いに期待しよう。「柊の 花から白く こぼれ落つ」(中村草田男)。花が開花すると中央からこぼれ落ちるように雌しべが垂れ下がる。

2014-11-09 ヒイラギ     右は花器の花(背景は曇り空)
11月10日(月)   <昨日の日曜日・夜・・・>
昨日の日曜日・夜、NHKホールでモーリス・ベジャール振り付け・演出の<第九交響曲>を見た。「東京バレエ団創立50周年記念シリーズ」とも謳われているように東京バレエ団そしてモーリス・ベジャール・バレエ団のバレエ、音楽はイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団(指揮はズービン・メーター)、更にベートーべンの「第九」であるから独唱と大合唱団が入るという豪華版。かなり前ではあるが、不朽の名作として語り継がれるベジャール振り付け、ジョルジュ・ドンがバレエを踊った「ボレロ」を見た時の感動は今でも忘られない。モーリス・ベジャール(1927〜2007)もジョルジュ・ドン(1947〜1992/エイズで亡くなったことは広く知られる)も今はこの世にいない。調べてみるとベジャールは1964年に「第九交響曲」を制作(初演)している(ボレロは1961年)。まさに「50周年記念」に相応しい。これからは「第九」を聴くとベジャールのバレエが目に浮かぶことになりそうだ。
 
2014-11-10 色づき始めた神宮外苑の銀杏
11月11日(火)   <自画像を描いた経験・・・>
自画像を描いた経験がなくはない。10年以上昔、絵を描き始めた頃に鏡に映った自分を描いた記憶はある。最近は鏡の中の自分を見ると老人の醜悪な部分が目についてとても自画像どころではない。それでも顔をよく見ると、いつの間にか兄弟と似た部分が目立つので、これ又とても絵筆をとる気にはなれない。古来、画家は自画像を多く残している。レンブラント(1606〜1669)は油彩画、エッチングを合わせると生涯に描いた自画像は百点を越えると言われる。何故それほど多くの自画像を描いたか。当時王侯貴族の肖像画を描いたり宗教的な絵の中に人物像を描く機会が多くあったとして制作上新しい試みや工夫をしてみるのに自画像が自由にできる練習台として絶好であったと説明されるとなるほどとも思う。写真がない時代にまるでアルバムのような自画像は貴重だ(=ここ)。更に時代をさかのぼり、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1512)がどんな顔をしていたかは自画像(=ここ)で見ることができる。日本では北斎の杖を持った全身像が自画像とされる程度で自画像を描く文化はなかったようだ。明治以降には日本の画家も西欧の絵を学ぶ過程で自画像を描いた。ナルシシズムではなく自分を第三者としてありのままに見つめる意味で自画像を描くのも悪くはないかも知れないが、やはり今の自分にはできそうにない。
11月12日(水)   <久しぶりに東京ミッドタウン・・・>
久しぶりに東京ミッドタウンに行ったのはよいが、朝の10前だったので通路には全てシャッターが降り、トイレにも行くことができずに困った。ガレリア3Fのサントリー美術館は10時オープンで、「高野山の名宝」展をみた。”高野山開創1200年記念”と謳われている。空海は唐で真言密教を学び帰朝した後、即位した嵯峨天皇の厚い信頼を得て弘仁7年(816年)に高野山に密教道場を建立した。以来、平安、鎌倉、南北朝、室町、(戦国)安土桃山、江戸の各時代を経て、更に現在に至るまで1200年の高野山の歴史は途絶えることなく続いた。<来年2015年4月、5月には高野山で大々的に1200年記念大法会が開かれる=ここ>その間、高野山では大小70数回の火災に見舞われたというから、各種の名宝が今この目で見られること事態、奇跡的と言ってもよい。私としては大好きな制多珈童子をはじめとする運慶の傑作・八大童子像にも会うことができた。800年、1200年前の人たちの創造した質の高い遺産に接することのできる幸せに感謝。
11月13日(木)   <寄生虫を知ると・・・>
寄生虫を知ると生物に対する世界観が変わる。・・そんな名プレゼンテーションをYou Tubeで見ることができる(=ここ)。私は昨日水曜日朝6時からのNHK教育テレビ(スーパープレゼンテーション/本放送は1週間前11/5水曜日午後10時放映)で見た。寄生虫は他の生物に頼って生きていくか弱い存在と思っていると大間違い。動物は自分の意思だけで行動しているのでなく寄生虫に操られる動物の事例がいくつか紹介される。コオロギの体内に入り込んだ寄生虫はコオロギを自殺に導くし、ネズミは体内の寄生虫によって猫に向かっていくように操られるなど動物のマインドコントロールをする寄生虫の存在まで明らかにされている。・・私が住んでいる目黒区には世界唯一の「目黒寄生虫館」がある(=ここ)。そこの名誉館長である亀谷了さんが「寄生虫館物語」という本を著している(文春文庫)が、この本の中にも驚愕の寄生虫の話がでてくる。普段は目にすることはなくても寄生虫もまた地球上の生態系の中で存分に生きている・・。
11月14日(金)   <好きな漢字一文字・・・>
好きな漢字一文字を書くように頼まれたら何を書くか。そのような依頼を受けたことはないけれど、想像するだけで案外に面白い。漢字は字面で色々とイメージが広がる。恐らく中国人が感じる漢字のイメージとは随分異なるのだろうが、日本人として何を書くか。例えば、ありきたりだが、「愛」、「真」、「徳」、「心」、「美」。思いつくままに、「風」、「月」、「花」、「雪」、「光」。こういうのもいいかな:「無」、「空」、「道」、「仏」など。書いているうちにまた思いつく。「寂」、「天」、「生」、「円」・・。雰囲気を変えて、「金」、「宝」、「力」、「勝」。最後は、「一」とか「夢」に戻ってくる。・・こうして書き出した結果を見ると、ハッとする文字が見当らないか。これから漢字を見る時に一文字で更に魅力のある文字を探してみよう。
11月15日(土)   <土曜日には陶芸教室・・・>
土曜日には陶芸教室で陶芸をやる。今日は夜も陶芸教室の仲間と食事を共にした。元の仲間で今は陶芸家として活躍している若い女性を応援する会でもあった。彼女が日本だけでなく世界を活躍する舞台としているのがうれしい。・・「今日の写真」として、現在製作中の陶芸オブジェを教室で今日撮影した写真を掲載する。”数学アート”の曲面を粘土で作ったオブジェ。実用的には香炉用の容器としてできるように考えた。この写真を撮っていると即座に形の不完全というかお粗末な箇所が目についた。撮影後に修正を加えたりしたが、ファインダーを通してみると気がつくものが何故その前に分からないのか、我ながら見る目の甘さが情けない。
2014-11-15素焼きに出す前の陶芸作品
11月16日(日)   <陶芸作品「一輪挿し」・・・>
陶芸作品「一輪挿し」<出窓用>を「今日の作品」として表紙に掲載した。引越後、集合住宅の階段部分に出窓があり、これまで自分の陶芸作品を展示してみたが、窓の外が明るく階段室は暗いので作品の正面はほとんど見えないことに気がついた。そこで逆光でも何かアピールできる作品を作ってみようと試みたのが今日掲載した”出窓用の一輪挿し”。表紙の写真は正面が明るい場合のもの。実際の出窓に飾ったときの写真を下に掲載する。今回はとりあえず有り合わせの花で雰囲気を見たが、花のシルエットまで気を配れば、また違ったニュアンスが出せそうだ。どんなものでも(人間でも)光の当て方一つで見方がガラリと変わる 。 白日の下にさらすと粗が目立つので闇の中の方がいいものもある。考えてみると<出窓用>のタイトルを外して、どこでも使える一輪挿しオブジェとすべきだったかも知れない・・。
 
11月17日(月)   <最近は40〜50分ほど自転車で・・・>
最近は40〜50分ほど自転車で移動することが当たり前になった。今日のテニスにも自転車で通う。都会の道路は単純な道一本でなく多くの選択肢がある。今日も初めての道を選んで”大正解”と喜んだ。地図で見る最短コースが必ずしも時間が最短とは限らないところが、また面白い。都心では大部分の歩道を自転車で通ることが許されているので、歩道を通ることも多いが極力人の多い道路は避ける。それでも人とすれ違ったり人を追い抜いたりする。その時に自転車側として一番注意すべき危険な歩行者は、正面を見ずにスマートフォンやケイタイを見ながら歩いている人、それとイヤホーンで何かを聴きながら歩いている人だ。歩きながら自分だけの世界に浸っている人は結構多いことを知った。そうはいっても、歩道を走る自転車は歩行者にとっては危険な邪魔者、そして自動車の運転者にとっては車道を走る自転車はこれ又うるさい邪魔者。自転車族は謙虚でなければならない。
11月18日(火)   <すずめのお宿緑地公園・・・>
「すずめのお宿緑地公園」の名前につられて i-phoneの地図を見ながら初めて訪れてみた公園を「今日の写真」として掲載する(下左)。東京‐目黒区・碑文谷にある区立の公園だ。昔、この竹林に無数のすずめが住み着き、朝早く何処へか飛び立ち夕方になると群れをなして帰ってくるので、「すずめのお宿」の名がついたと説明されている。竹林のの所有者が亡くなった後、国のものとなり区が管理するという決まりパターンの公園。いかにも役所の管理ですという形式的な冷たさを感じてしまうのは如何ともし難いのか・・。この公園から歩いて数分歩いたところサレジオ教会(下右)があるので、ここにも行ってみた。この教会は正式にはカトリック碑文谷教会といい、30年ほど前に神田正輝と松田聖子が挙式したことなどでも知られる。この教会は外部から見るだけで何か存在感がある。土地や建物、設備など何でも同じだが義務でメンテナンスを行うものと、少しでもいいものにしようと個人的な愛情が注がれたものはどこかで違いが現れてしまう。
  2014-11-18
11月19日(水)   <朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや・・・>
「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」。引越後の家は片付いていないけれども、「友」が家に来てくれて楽しい時間を過ごした。食べて話をするだけで芳醇な時を感じさせてくれる友は有り難い。冒頭の論語では次の文章が続く:「人知らずしていきどおらず、また君子ならずや」。君子かどうかは別にして、人が自分をどう思うかをいちいち気にすることはない。何より腹を立てることはない。価値観が類似しながらもお互いに刺激しあえる友人をいつまでも持ち続けたい・・。
今日の写真は早朝にビルの谷間から差し込んだ陽光で一瞬輝いたオモチャ類。
2014-11-19
11月20日(木)   <先週、83歳で亡くなった俳優、高倉健さん・・・>
先週、83歳で亡くなった俳優、高倉健さんほど評判のいい人を知らない。私は高倉健さんの映画をほとんど見たことはないし、実際に接したことはないのでコメントする材料は何もないが、報じられているものだけで人間性が分かるような気がする。大抵の人は死後に毀誉褒貶が半ばして噴出し、どちらかというと「毀」と「貶」が突出するものだが、高倉健さんは死後一週間しても追悼番組が続々と組まれたり、各界の人から惜しむ声が絶えない。健さんを語ったキーワードをピックアップしてみると、義理、人情、気配り、気遣い、寡黙、優しさ、気高さ、不器用な信念、自らを律する美学などなど・・。最近はテレビで横柄にはしゃぎ回る芸能人に辟易することが多いが、健さんのような「スター」がいたことだけでもホッとする。大竹しのぶさんが語っている:「神様のような人が本当の神様になってしまった・・」。合掌。
11月21日(金)   <夕方、駒沢公園まで散歩・・・>
夕方、駒沢公園まで散歩で行ってみた。1時間も歩くつもりであると色々と新しい場所を探索できるのが今の所に引越して来てからの楽しみでもある。ある時、この近辺に「沢」がずいぶんと多いことに気づいた。駒沢の名前は明治時代に馬引沢村の馬を「駒」とし、周りの野沢村、深沢村の「沢」を合わせて「駒沢」としたと由来が説明されている。野沢や深沢は単独でも現在の地名となっているし、自由が丘の隣には奥沢がある。北沢もあるし、私の陶芸教室は下北沢だ。東京には渋谷、千駄ヶ谷、四谷、鴬谷、更に谷中など「谷」のつく地名も多い。そういえば、駒沢は世田谷と谷の区でもあった。
<明日は小旅行のためコラム休みます>
 
2014-11-21駒沢公園にて
11月23日(日)   <信州に一泊のドライブ旅行・・・>
信州に一泊のドライブ旅行をして先ほど帰ってきた。メインは上田・菅平インターから菅平方面に少し行った真田氏ゆかりの地近辺でのリンゴ狩り。私たちと、義理の兄夫妻、甥の夫婦とその子どもたちで合計200個以上のリンゴをもぎとってお土産とした。その後に野沢菜の収穫(50円/1kg)、更に温泉三昧と非日常を満喫。何よりも穏やかな晴天に恵まれた幸運を感謝である。
 
2014-11-23 リンゴ農園                     上田城址
11月24日(月)   <真田十勇士・・・>
真田十勇士を子どもの頃愛読した。真田幸村に仕える猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、筧重蔵など昔は十人の名前を覚えていたものだ。昨日、一昨日と信州の真田の里に滞在したが真田家の歴史に「十勇士」はでてこない。大正時代に刊行された立川文庫の創作物語が「真田十勇士」と聞かされて少々ガッカリする。元よりヒーローとしての真田幸村も後世に作られたものらしい。生前の資料では幸村の名はなく、父真田昌幸の次男「信繁」が後に幸村の名で伝えられた。関ヶ原の合戦では昌幸、信繁の親子は西軍(石田三成方)につき上田城に籠り徳川秀忠率いる東軍の大軍をかわした。昌幸の長男信幸之はこの合戦では東軍の徳川方についた。信繁(幸村)はその後大阪冬の陣で活躍、最終的には大阪夏の陣で徳川に破れ命を落とすが、家康をぎりぎりまで追いつめたとして歴史に名を残した。歴史物語がどれだけ史実に合致しているかは別として私には真田幸村はやはり名武将のイメージが定着している。
11月25日(火)   <シクラメンの鉢植え・・・>
シクラメンの鉢植えを妻と買いにいった。東京(大田区)でもシクラメンを専門に育てている農家がある。広いビニールハウスの中にはシクラメンが満杯。シクラメンだけでこれほどの種類があるのかと思うほど多くの花が咲き誇っていた。シクラメンの原種は地中海沿岸のトルコ、イスラエル地方であるが花の品種改良が進められたのはドイツだという。明治時代に日本に伝わった後、例のごとく日本での品種改良はまた凄まじかった。元々は香り成分のないシクラメンに「シクラメンのかほり」の歌につられて「芳香シクラメン」まで開発された。シクラメンの花期は長く冬の花の代表格であるが、俳句では春の季語とされるそうだ(冬季語ともされる?)。「シクラメン 花のうれひを 葉にわかち」(久保田万太郎)、「部屋のこと すべて鏡に シクラメン」(中村汀女)。・・ 今日購入したシクラメンは引越後の今の家で初めての冬越えとなる。春まで元気に咲き続けてくれるだろうか・・。
2014-11-25

11月26日(水)   <銀座の画廊で・・・>
銀座の画廊で知人(女性)が個展を開いているので見に行った。時間に余裕があったので彼女と話をしながらいつになくゆったりと絵を鑑賞することができた。以前国立新美術館でのグループ展で見たことのある200号の大きな絵もあったが、個展の場では別モノのように生き生きと見えたのは新発見だった。周囲にはその人だけの作品が並ぶ個展では他の異質な絵画に邪魔されずにその人本来の絵画の雰囲気が発揮されるのか。画廊の中で一つの絵を遠くから鑑賞しながら徐々に近づいていくと、同じ絵が次々と新しい景色に変化する魅惑的な絵の醍醐味も味わった。絵画は場所を選ぶ・・。帰途にはやはり銀座のギャラリーで陶芸作家の作陶展が開催されていたのでフリーで見せてもらった。ここにもまた滅多に見られない意欲的な作品が並んでいた。銀座のギャラリーは刺激の宝庫である。
今日の写真は一足早い銀座のクリスマスデコレーションなど。
 
2014-11-26@銀座  右は銀座和光のショウウィンドウにて


11月27日(木)   <都内では紅葉が見頃・・・>
都内では紅葉が見頃を迎えている。テニスの時に見える神宮外苑の銀杏並木は真っ黄色。今日も自転車でテニス場まで来たので帰りに南青山の根津美術館に寄った。展覧会を見るというより、この美術館の庭園で紅葉を見るためである。庭園は期待通りに紅葉真っ盛り。しかも今日から普段は「立入り禁止」の庭園内にある茶室4棟の周辺にも入れる特別の期間であった。今回初めて茶室の前にある水琴窟の音を聴いた。今開催されている展覧会は「誰が袖図」(案内=ここ)。「これは誰の袖なのか」と呼ばれる江戸時代の絵画を特集した比較的地味な内容だ。この美術館に来ると必ず常設展示されている「双羊尊」に会う(中国で紀元前13世紀頃制作された青銅の器/私は2011年に同一形状を模写して陶芸で制作した=ここ)。そうだ、来年の干支は羊。「双羊尊」を表紙にした根津美術館の2015年カレンダーを買って帰った。

2014-11-27 根津美術館の庭園にて
11月28日(金)   <今日は特別の日・・・>
今日は特別の日。以前住んでいた家と場所が今日を境に完全に他人のものとなった。元よりずいぶん前に引越を完了し、今や新生活を楽しんではいるが、私は結婚してから40数年、延べ58年間住み続けた地である。ある種の感慨が湧くのは禁じ得ない。それでも最早過去のことを未練がましく言うつもりもなく、ここで前向きの生活のみを考える機会ともなる。ふと気がつくと、このホームページ自体がかなり「過去」にこだわっている箇所がある。犬の思い出である「コーギーリンク」はいいとして、「恵比寿代官山情報」や「ショウウィンドウ」などは古い。作品は過去のものでも作品であるが、古い地域情報は削除しようか。この際、ホームページも見直すつもり。さあ、心機一転、新たな創造のある生活へ進もう・・。
11月29日(土)   <備前土を使って陶芸・・・>
備前土を使って陶芸をやっている。オブジェ風の作品で特に用途は考えていないが、何に使うのか問われれば香炉とでもいう。香を焚いて煙を立ちのぼらせることはできるだろう。今日は概ねの外観が出来上がったオブジェの約1.5kgあった重量を駄肉を削り1.0kgまで下げた。今、陶芸教室では東京で素焼まで完了させた作品を岡山の窯元に送り地元で本焼成を完成させる「備前焼」が計画されている。これに応募しようとして備前土で制作している次第。窯で焼くための焼成費は通常縦横高さの寸法で決められるが、備前の窯で焼成する今回は重量で値段が決まる。つまり100g当り450円と定められているので、このままでも、1.0kgで4500円かかる訳だ。備前焼は釉薬を一切使わないので窯の中での灰のかかり方、自然の炎の結果でどのようになるかは分からない。一つとして同じ仕上がりにならないのが魅力である。この際は、費用にこだわらず備前の窯で焼成できるチャンスを楽しみたい。
11月30日(日)   <今朝のNHK教育テレビ・・・>
今朝のNHK教育テレビでみた「俳句」の時間が爽やかであったので書いてみたい。毎日、朝6時25分から35分まではNHK教育テレビの体操の番組で、私はテレビに合わせて体操をする習慣となっている。日曜日にはその時間の前後に「NHK短歌」と「NHK俳句」の番組があるので、成り行きで短歌や俳句にも親しむ。一ヶ月の中でも毎週、選者が変わるので選者の個性がでて、これも面白い。今日、第4週日曜日の俳句の選者は稲畑さん。この番組では出演者数人が先生とともに俳句を作り、作者を伏せてそれぞれがよいと思う句、よくないと思う句、を投票する場面がある。今日は作者をオープンしたところ、最もよくないとする票を集めた句が先生のものだった。そして先生の評としては、よいとする評を一番集めた句を最下位にした。俳句としては典型的で欠点はないが余りに典型的すぎて作者の工夫や感動が見えず面白くないとの評。そういえば、何人かが”よくない”とした先生の句はハッとする革新性があって私は好きだった。先生自らが名前を隠して自分の作品の評価を求めるフェアなやり方は気持ちがいい。私は稲畑先生を応援する。
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