これまでの「今日のコラム」(2014年 12月分)

12月1日(月)    < 今日から12月・・・>
今日から12月。師走と聞くだけで慌ただしい。昨夜からの雨でテニスはお休みとなったが、朝から夕暮れ時まで外出続きで丸一日忙しく過ごした。それもお役所や銀行周りで趣味的な行事は一切なし。それでも久々に以前住んでいた街を通るとほんの数ヶ月前にあった店がなくなって空き地になっていたり新しい店ができていたりしているのを目にして諸行無常を強く感じた師走のはじまりだ。久保田万太郎の俳句に「この橋もことしかぎりの師走かな」とあるが、「この店も今年限りの師走かな」である。俳句といえば、師走の句にはやはり独特の雰囲気がある。「いそがしく時計の動く師走かな」(子規)、「別の間に違ふ客ある師走かな」(虚子)、「街は師走の広告燈の明滅」(山頭火)。
下の「今日の写真」は「街は師走のクリスマスの飾り」というところ。
2014-12-1@代官山アドレスにて
12月2日(火)    < 今年最高の紅葉・・・>
今年最高の紅葉に出会ったのは今日のお墓参り。息子の月命日の今日は雲一つない晴天となり墓のある九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)の樹々は鮮やかな色を見せてくれた。紅葉(銀杏の黄葉もいれて)を見るたびに思うのは、紅葉の美しさは光に左右されるということ。同じ葉でも光の加減で全く印象が異なる。凡庸と思っていた葉が光を浴びたとたんに素晴らしい輝きをみせたり、逆光の葉が何とも美しく映えていたりする。「最高の紅葉」は今日の快晴と太陽の角度の御蔭と思わなければならない。葉っぱ自身は何も変わらないのに光の方向や強さによって人が勝手に評価を変えるは、相手が葉っぱでなく人間であっても同じだなと思う。同じ人間でも何をどう見るか、見る角度、視点によってどうでも変わってしまう。人間の場合も、脚光を浴びていなくても、その人以上の内容を持った人たちが陰に山ほど隠れているのは確かである。
 
2014-12-02 @九品仏浄真寺(東京‐世田谷)にて
 
12月3日(水)    <知人のブログが予告もなく・・・>
知人のブログが予告もなく突如中断されて一ヶ月以上になる。知人といっても言葉を交わしたことはなくメールのやり取りもない人なので、ほとんど他人ではあるが、10年間以上、ほぼ毎日更新されてきたブログを欠かさず見ていたので少し心配になってきた。2〜3日の間は旅行にでも行ったかと思った、1週間〜2週間の休みだと海外旅行かと思った。それ以上に更新がないとなると可能性としては先ずパソコンのトラブル。それにしては後の立ち上がりが遅い。そうすると体調不良か、病気か。余程の緊急事態でなければブログの一行くらいは書けるだろうに。・・ブログとかコラムの連載は案外に中断の際に「お知らせ」がやり難いものであると改めて思い知らされる。私のパソコンが故障した際にはコラムの改訂どころかパソコンデータを如何に確保するかが大問題であった。更にパソコンの内容は全て本人のみしか管理できないので、もし私が急に入院でもしたらコラムは説明されることなく中断されたままになる。インターネットの世界には今現在元気に生きているものと今は動くことのない過去の記念物とが混在している。
12月4日(木)    <昨日午後1時22分4秒に・・・>
昨日午後1時22分4秒に小惑星探査機「はやぶさ2」を搭載したロケットが打ち上げられた。今も順調な飛行を続けている。秒単位の打ち上げ時刻を正確に守り予定軌道に投入する技は正に感動的だった。ハヤブサ2は52億kmの旅で、小惑星を探査した後、2020年にまた地球への帰還を目指す。科学や技術を越えて夢を与えてくれるプロジェクトだ。初代の「はやぶさ探査機」は2003年に打ち上げられた時点ではそれほど話題にならなかったが、2010年6月に60億kmの旅を終えて地球に帰還した時には大騒ぎとなった。私も涙が出るほど感動したといえば言い過ぎか。「はやぶさ」のようなプロジェクトはロケット打ち上げ、衛星本体、その他諸々を総合した組織力がなければ決して成功できない。そこには組織の中で大喧嘩しながらLEDを開発し独りノーベル賞で報われるといった人とは真反対の優秀な人たちが日夜心血を注いで働いている姿がみえる。はやぶさ2が地球に帰還するとき私は喜んでコラムを書くことができるのか、あるいはこの世にいないのか。わが軌道の先は何とも分からない・・。

12月5日(金)    <「藍屋」で親戚の夫妻と・・・>
「藍屋」で親戚の夫妻と軽い昼食を共にした。気楽な外食ではあるが藍屋は靴を脱いで座敷に上がるスタイルで和食をいただくレストラン。他の外食とひと味違った気分で食事ができる。2階にある藍屋の下の階には「ジョナサン」があったが、藍屋は混雑していたのにジョナサンは空いていたのが印象的だ。藍屋もジョナサンも同じ「すかいらーくグループ」であり、「ガスト(ステーキガストも)」や「バーミヤン」、「夢庵」など外食の有名どころが軒並み同じ「すかいらーくグループ」である。「すかいらーく」の名前は私などには懐かしいが、昔は100数十店舗あった「すかいらーく」の店は今はゼロ。しかも現在は「すかいらーくグループ」は完全に米国の投資ファンドの資本下にある(株式の90%以上が外資)。外食大手のマクドナルドも低調が伝えられるなど、最近は外食産業も決して楽ではないようだ。店でメニューを選びゆったりと食事をとるときには、深くは考えぬようにしているが外資でなければもっと店を応援するのにと思ったり、どうしても雑念が入る・・。
12月6日(土)    <久しぶりに東京都庭園美術館・・・>
久しぶりに東京都庭園美術館を訪れた。庭園美術館は約3年間の大修理を終えて先月末にリニューアルオープンしたばかり。この美術館は旧朝香宮邸をそのまま展覧会場としたユニークな美術館として知られる。アール・デコ建築の代表格として東京都の有形文化財にも指定されている建築をリニューアルしたところで現在は「アール・デコ建築をみる」のテーマで展覧会が開催されている(=ここ=)。リニューアルの経過がビデオで紹介されているところもあり興味深かった。ラジエーター(暖房器具)の覆いが損傷していたので鋳物から制作し直して古い部分とロー付けで結合するなど地道な修理も紹介されていた。朝香宮邸とは別に新館も改装され、これがモダンアートの展示場になっているのもうれしい。・・今日は都内でこの冬一番の冷え込みだったが、庭園美術館のすぐ横にある自然教育園にも寄った。ここでも師走の紅葉がまだまだ美しい。
 
2014-12-06 庭園美術館にて
 
2014-12-06 自然教育園にて
12月7日(日)    <朝のテレビ番組で・・・>
朝のテレビ番組で「身体によい」とされていることにも注意が必要と事例が紹介されていた。栄養過多を心配するあまり肉などタンパク質を減らしすぎて逆に低栄養で健康を害するとか、毎日2リットル以上の水を摂取しなければならないというのも(特別な事情以外)もっと少なくて十分など。健康に関する”学説”はしばしば変わる。私が子どもの頃には運動中に水を飲むのは厳禁だったが今は適度に水を補給しなければならない。多くの人は医者の意見に忠実に従う。けれども医者にも見解が分かれるケースがあるのに私たちは医者を選べない。医者が公の場で健康に関して話をする場合には違う意見を持った医者も同時に参加させて欲しいものだ。どちらにしても自分の身体は自分が責任を持つ。医者の世話にならないのがベストかも知れない。
今日の写真は先日に続き歩いて墓参した九品仏浄真寺での紅葉。
 
2014-12-07 @九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)

12月8日(月)    <理屈より感性で・・・>
理屈より感性で取り組んだ方がいい結果が得られるものは多い。芸術の関連、絵画や音楽などでも基礎をがっちりと習得した後には感性を発揮しなければその人独自のものは出てこない。競馬など賭け事でも感性が勝つことがある。理屈で馬券が当たるのであれば苦労しない。一方で世の中には理論・理屈にずば抜けた才能を持っている人がいて、その人たちにとっては感性などただの”カン”であって、筋を通した理屈しか信頼できない。両極端の人を除いたとしても人には理屈系と感性系があるように思える。こんなことを書き始めたのは、今日のテニスで自分はどうみても感性系だなと思ったからである。テニスでも色々と頭を使う。けれども自分の場合、考え過ぎると結果が良くない。本能に任せるというか身体が動くままに瞬時に反応する方がよい。人生も考えた計画通りに進み終える人もいるだろうが、余り面白味はない。何が起きても感性で反応して後は天命を待つか・・。


12月9日(火)    <作品というのはおこがましいが・・・>
作品というのはおこがましいが、表紙に「ピアノ部品工作」の名でhandicraftを掲載した。以前ピアノをオーバーホールをした際に取り替えた部品をいただいて工作したもの。工作といっても部品を組み合わせただけだ。ピアノの弦を叩くハンマーとか鍵盤からハンマーに力を伝える中間の部品など実に精巧に制作された部品ばかりなので、何にどう使うかはアイデイア次第。今のところ下に掲載する人形型も含めてオモチャ系を2〜3作った。ハンマーは88鍵分あるのでまだまだ遊べる・・。
   2014-12-9 ピアノ部品工作 (handicraftコーナー参照)
12月10日(水)    <人がこの世に生きていることだけでも・・・>
人がこの世に生きていることだけでも奇跡といえる。しかも不足することなく食事をして、時に飛行機とか高速列車など驚異的な乗り物を利用することもできるし、スイッチ一つで部屋は暖かくもなる。信じられないほどの幸運に恵まれている上に、周囲を見渡せば、面白いことに溢れているぞ。・・・こんなことを連想したのは、今朝6時からのNHK教育テレビ「スーパープレゼンテーション」(先週夜の再放送)をみた後での話。プレゼンテーターは30代半ばの青年でタイトルは「サイコーな人生を送るための3つの秘けつ(The 3 A's of awesome)。彼は「1000 Awesome Things」というブログでベストブログ賞を受賞したのだが、その内容は自分の身の回りでほんの「小さな幸せ」・「小さな喜び」をとらえるといったもの。何でも不平をいい粗探しをするタイプの対極にある彼は何でも前向きに取り組む。いくつかの信号を青が続いて横断できただけでも”ラッキー”と思える感性が多くの共感を呼んだのだろう。それにしてもプレゼンテーションが何と巧みであることか(=ここ=)。
表紙の「今日の作品」には昨日に続いて「ピアノ部品工作C」を掲載した。頭の部分を昨日のLED電球から白熱電球に変えただけ(E17口金サイズの電球は自在に交換できる構造)。

12月11日(木)    <迷惑メールにうんざり・・・>
迷惑メールにうんざりしていた。この3〜4日前からケイタイのメールに急に迷惑メールが大量に入りだしたのである。一日に20件以上同じようなパターンで飽きもせずに繰り返し送り込まれるので削除するだけで大変だった。そこでインターネットで調べて、今使っているauの迷惑メール対策のマニュアルに従って「迷惑メールフィルター機能」を付けようとしたが、今度はauIDとかパスワードが分からない。そこで昨日近所のauショップまで出向き、女店員さんと相談しながらパスワードもとりなおして「フィルター機能」を設定した。その後、24時間を経過したが見事に迷惑メールがこなくなった。迷惑メールフィルター機能万歳!! それにしても不当に邪魔をされない平穏な生活が何とありがたいことか・・。
12月12日(金)    <野沢菜の蕪(かぶ)・・・>
「野沢菜の蕪/mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を表紙に掲載した。久しぶりの”mieuへの絵手紙”。少し気楽に、こんな目の前にある素材を描いてもいいだろう。この蕪は先月信州にリンゴ狩りに行った際に、野沢菜の収穫も体験して、後で「菜」の下にある「根(蕪)」を合わせて持ち帰ったもの。家で根のまま放置していたらいつの間にか新しい葉が生えて来ていた。水もやらず一切面倒も見ないのに立派な葉を伸ばしてくる生命力には感動する。我が家の台所には同じような蕪が袋の中でゴロゴロ転がっていた。妻は気がついて直に蕪料理に取り組み始めた。野沢菜蕪はどんな味になるのだろうか・・。

12月13日(土)    <陶芸教室にはこれまで自転車・・・>
陶芸教室にはこれまで自転車で行っていたが今日はバスを使った。自転車では運動にならないという理由。バスの場合、途中で乗り換えて二系統を使う。今日は最初はバスに乗り、後の分、三軒茶屋から教室(下北沢方面)までを歩いて運動とした。かなりの速歩で歩くと10数分で教室に着いてしまう。帰りも同じコースを歩いた。行きは乗り換えバスに追い抜かされずにほぼバスに乗った場合と同じ時刻に教室に着いたし、帰りはバスを待つよりも確実に一台早く次のバスに乗ることができた。何より脚が自転車を使うよりもはるかに爽快で元気になった気がする。余りに脚が調子いいので、自転車より歩き、バスより歩きで、行動パターン全てを見直そうと思い始めた。
今日の写真は最近いただいた「ポインセチア」。もうすぐクリスマスですね・・。
2014-12-13
12月14日(日)    <知人の通夜・・・>
知人の通夜にいって先ほど帰宅した。亡くなる直前まで元気に仕事をしていたという62歳の男性。東京ドームの設計などにも携わったドームの専門家で最近は日本最大の航空機用ドーム工場の建設に取りかかっていたとも聞く。予防医学が進化したといっても何時突然の病魔が襲うかは誰も予測できない。ただただ合掌・・。
今日の昼には義兄の墓参りをした。墓参りをする時、掃除道具を持っていきお墓を清掃をするのが習慣になっている。今日も妻とゴムの手袋をして汚れを掃除した。お墓は谷中(東京‐台東区/上野の近く)のお寺にあるので、お墓参りのついでに谷中の独特の街並みを見ながら散策するのが非日常の楽しみでもある。
墓参りと通夜とのダブルヘッダーの中で我が身も何時あの世に行くか分からぬだけで決して例外ではないことを思う。その割には深刻に悩むことはない。いつお呼びがかかるか、ケセラセラ・・。
2014-12-14 @東京‐谷中にて
12月15日(月)    <歳を取ると感動がなくなる・・・>
歳を取ると感動がなくなるというけれども、そうではない。人によっては、あれも見た、これも食べた、あそこにも行った、この本も読んだなど、ほんのわずかな経験を元に何でも知っている気になる人も確かにいる。こういう人にとっては初めて体験する感動が希薄になるのだろう。幼児や子どもは何でもが初体験で好奇心でいっぱいだから感情が揺すられる。こどもでも3歳、5歳、10歳とそれぞれの段階で吸収するものが次々と出てくるから停滞することがない。しかし、考えてみると老人も同じことがいえる。60年の人生を経た人もその先の人生は初体験。70歳でも、80、90歳でもその人にとっては初めての年齢を体験することになる。老人になって5年前、10年前には分からなかったことが納得できるのが感動の源であろう。初めての年齢域を楽しめるようになりたい・・。
12月16日(火)    <重要な請求書が見つからなくなり・・・>
重要な請求書が見つからなくなり家中を大騒ぎして探した。普段は決して手出しをしない妻の机周りも細かく探したが見つからない。夕方になって半分諦めて発行元に問い合わせるしかないと思っていた矢先に、ついに発見した。一番始めに妻がこの封筒の中にあるはずの請求書がないといった封筒の中に当たり前で入っていたのだ。私も間違いなく何度も繰り返してこの封筒の中を点検した。二人の目で一度や二度でなく何度も調べたのに封筒の中の狭い空間に鎮座している書類がなぜ認識されなかったか未だに納得がいかない。「ない」に決まっているという先入観念で実際の物を見ていないというのは簡単だが、それも程度問題だ。探し物は一番ありそうなところにあるといいながら封筒の中を何度覗いたことか。口先で解ったようなことを言ってみても頭脳は全く働いていなかった。これは笑って済まされないショックである。目で見る認知機能について謙虚に反省し対策を考えなければならない。
12月17日(水)    <表紙に今日の作品「まゆ最中・・・>
表紙に今日の作品「まゆ最中/mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を掲載した。人様からいただいた菓子箱を見つけて中身を見ると包装が可愛らしい最中が入っていたので、早速3つ並べて描き孫娘mieuへの絵手紙としたもの。自由が丘にある「蜂の家」の「まゆ最中」というと地元では昔から名物菓子として有名だと妻が教えてくれたが、私は初めてみた(サイト紹介=ここ)。左側のオレンジ色の包み紙には「胡麻」、右側のグリーンのものには「柚子」の文字がある。真ん中の紫色の包み紙は開いて繭型の中身を出したが、紙には「黒糖」とある。絵には描かなかったが他に「小倉」、「白つぶし」があり、それぞれ「あんの種類」を表している。描いた後の楽しみは当然試食。餡(あん)の味が実に上品で美味しい。繭の形も丁度食べやすい大きさ。さすがに名菓と言われるだけある。mieuちゃんは絵を見るだけで味わえなくて残念ね・・。

12月18日(木)    <北海道は猛吹雪・・・>
北海道は猛吹雪、名古屋でも積雪23cmなどのニュースを聞きながら快晴のもと東京‐神宮でテニス。風もほとんどなく”北海道の人には申し訳ない”が休憩時の会話であった。東京でも今朝は零下の気温となり自転車でテニス場に来る途中は手がかじかんだ。所々に氷ができているとはいえ楽しく身体を動かす場所があることに感謝。
家でも晴天の陽を受けてポインセチアが眩しい。赤い部分を裏から見ると明らかに花ではなく「葉(苞<ほう>)」であることが分かるので写真を撮った。
2014-12-18 ポインセチアの赤の裏表(同じ苞の部分)
12月19日(金)    <先週の日記・・・>
先週の日記にブランクがあるので書き込もうとするが何をやったか思い出せない。今週はかなり行事が多く時間ごとに特別の内容で日記は埋まっている。先週は忙しくはなかったために逆に焦点が定まらないのか。台所の棚を工作したり、年賀状の案を考えたり、掃除をしたり、買い物の荷物持ちで外出したり、確かに何かで時間を割いているとしてもまとまった成果が見えないとどこで何をやったか記憶が怪しくなる。それにしても日記であるのにその日に書かないのが問題であろう。毎日欠かさずにやるのは、朝のラジオ体操、夜のwiiを使った身体計測。それなのに日記の習慣がないのはおかしいと反省する。今日の日記は書き終わったが記録として久しぶりに訪れた渋谷・NHK前の風景写真を掲載しよう(アイアシアター&右端は国立代々木競技場の一部)。
2014-12-19 
12月20日(土)    <今日は東京駅が開業して100周年・・・>
今日は東京駅が開業して100周年を迎える日だという。1914年(大正3年)12月20日に駅舎が竣工して東京駅と名付けられ、この日から東海道線は新橋駅発ではなく東京駅発となった。開業の式典には当時の総理大臣であった大隈重信が出席して、「・・太陽が中心にして光線を八方に放つが如し、鉄道もまた光線の如く四通八達せざるべからず・・」と祝辞を述べたとの記録がある。大隈の予想に違わず大発展した東京駅であるが、この機会に100年という歳月を考えると”わずか100年”で社会はこれほどまでに変わるのかと驚嘆する。身近なところでも1914年はそれほど大昔ではなく、私の父はハイテーンの年齢、母にしても4〜5歳だ。その後100年間の鉄道、自動車、航空機の発達は子どもの夢をはるかに越えるものではないか。人間は本質的には変わらないとしても、環境や道具は激変する。ニューヨークに住む孫娘が50年後にどんな乗り物に乗っているか、更に50年後、100年を経た乗り物はどうなっているか、想像するだけで頭の訓練になる・・。
12月21日(日)    <近頃、なぜか父のことを思う・・・>
近頃、なぜか父のことを思う。父にとって私はどんな存在であったのだろう。私は父から叱られた記憶がない。けれども褒められた記憶もない。そして考えてみると父と一対一で真面目に相談したり話し合った記憶もない。進学とか旅行の相談も母親との話の後で承諾された。家族で海水浴に行ったり食事行ったこともあるが多くの兄弟と一緒の付き合いであった。私は父が45歳のときの子どもで家に兄姉が三人いたので特別に目をかけるべき子どもでもなかったのだろうか。父が引退して80歳を過ぎた頃からはウイスキーの晩酌によく付き合った。この時もたわいもない会話しか記憶にない。晩年には父を背負って病院に連れて行った思い出はあるが話はしていない。母親との交流の密度と比べると父親との付き合いは何か薄く寂しく思える。翻って(ひるがえって)、今の私も生きている内に、奥様には感謝の気持ちとか褒め言葉を口に出して言っておかないと”叱られてばっかり”と大誤解の記憶が残るかも知れないと危機感が芽生えて来た。以心伝心は容易ではない。今晩のNHK大河ドラマ「軍師勘兵衛」(最終回)で如水が「お主に感謝しているぞ」、「お前が妻でよかった」などと言った。ドラマでなくてもこんな言葉を残しておかなければ・・。
12月22日(月)    <今日は冬至・・・>
今日は冬至。東京の日の出が6時47分、日の入りは16時32分。一年で一番夜が長い、ということは今日を底として昼の時間が増え続ける始まりの日になる。その意味から、古代中国では冬至が一年の始まりとされた暦があり、弱った太陽が復活するお目出度い日であった。今年の冬至は特に19年に一度の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」と呼ばれる特別の冬至。今日の月は新月で、太陽の出ている期間とともに、月もまたこれ以上暗く、悪くはならない、明日からは明るく上昇するという二重にめでたい日とされた。・・今晩はこれから「グレゴリオ聖歌による降誕・夜半のミサ」にいく。元来、クリスマスは冬至が意味する「太陽の復活」の祝祭とキリストの降臨が結びついて今の時期になったする説もある。このところ毎年「グレゴリオ聖歌によるミサ」に参加しているが今年は初めて妻がグレゴリオを歌う立場となった。今年の聖歌は聞こえ方が変わるかも知れない・・。
12月23日(火)    <今の家に引越して来てからまだ半年・・・>
今の家に引越して来てからまだ半年であるので毎日の太陽の動きがいつも初体験である。前の家は都心ではあったが太陽とはほとんど無縁の日陰暮らしで陽光を気にすることもなかった。今の家では日の出、日の入りの時間から方角に至るまで毎日のように変化するのを見るだけで興味津々。昨日の冬至を境にこれからまたどのように太陽の位置が変わってくるのか・・。今の時期は起床する6時頃はまだ真っ暗。6時25分のラジオ体操の時刻に明るくなりはじめて日の出は6時48分頃だ。部屋に朝陽が射すのは太陽がビルの上まであがった7時30分頃になる。夏に引越して来た時点では想像もしなかったが最近は朝陽が本棚の中まで届き、中に飾ったミニュチュア人形に照明が当たったように輝くのでびっくりする(下の写真)。「日常」という言葉があるが太陽の動きとしての毎日は決して同じではない。変化するのが常であって、しかもそれが大きな周期になってまた元に戻る。太陽と向き合う時間がとても貴重に思えるこの頃である・・。
2014-12-23
12月24日(水)    <クリスマスの時期のイルミネーション・・・>
クリスマスの時期のイルミネーションは今や全国中至る所で華やかさを競い合っている。少々贅沢すぎるのでないかとか、省電力に逆行するのでないかと言いたくなるほど盛んである。そんなことをいいながら、今日のクリスマスイブには六本木・東京ミッドタウンのイルミネーションを見て来た。最近のイルミネーションは何と言っても色彩のバランスがいい。昔の派手な色だけで目を引くタイプがないのはうれしい。東京ミッドタウンのイルミネーションは2000uの芝生広場全体で光の動きを演出しており壮観だ。ここのイルミネーションは明日まで。この時期だけの光の贅沢で多くの人が元気になるのは確か。大いなる平和も実感できる。今日の写真は、東京ミッドタウンのイルミネーションに加えて、帰途に立ち寄った目黒川沿いの桜の樹に青色発光ダイオードを取り付けたイルミネーション「青の洞窟」も掲載する。
 
2014-12-24 @東京ミッドタウンにて          上には東京タワーが見える
 
204-14-12-24 @ 東京ミッドタウンにて      右は中目黒にて
12月25日(木)    <クリスマスとは・・・>
クリスマスとは言うまでもなくイエス・キリストの誕生を祝う祭。ベツレヘムの街で宿に泊まれずマリアはイエスを馬小屋の飼い葉桶に寝かせたとか、東方の三博士が星に導かれてイエスを礼拝にきたなど、幼児の頃に聞いた”物語”を私は懐かしく思い出す。日本ではキリスト教とは関係なく年末のイベントとしてクリスマスはにぎわいを見せるが、欧米では十字架にかけられて処刑されたイエス・キリストが死後三日目(日曜日)に復活したことを祝う復活祭(イースター)の方が重要な祭りとされる。復活祭は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」で年によって日付が変わる(3月〜4月の日曜日)。私は信者でもないので勝手な解釈であるが、復活やイエスの死後教えを広める上で大きな役割を果たしたのが女たち(マリアたち)と弟子たちであるところが面白い。復活後のイエスに会ったとされるペトロ、ヤコブなど十二使徒、パウロらがもし活動しなければキリスト教の布教はなかった。宗教者に限らず歴史に残る人物の多くは弟子や弟子でなくてもその人物をよく知る第三者によって後世の人に伝えられている。これからの世界でどのような媒体が後世に人物像を伝えていくのか興味深い。
12月26日(金)    <年の瀬がいよいよ・・・>
年の瀬がいよいよ押し迫った。昨日まではイルミネーションのもとでクリスマス気分であったのが今日になると一挙に年末モードになる。今年は転居後の片付け作業を切れ目なく続けているが、年末を口実にしてまた整理や掃除がはかどれば言うことはない。お客さまを招待すると部屋が片付くという。お客さまは部屋が心地よくなるためにも有り難いもので、同じように正月が来るから家が片付く。掃除をしても飾りをしても誰も来ないし喜ぶ人もいないから何もしないと言う人がいる。それならば自分のためと思えばよい。何もしないよりも口実を作ってでも実行するに限る。80歳を前にして義理の年賀は止めると年賀状を出すことを一切止めた知人がいる。そのとたんに覇気がなくなり老化が急速に目立つようになった。義理でも義務でもなく年賀状は趣味の世界であろう。今日はそんな趣味で半日を過ごした。「尻餅を つきてよろこぶ 師走(しはす)かな」(北村季吟)。
12月27日(土)    <三軒茶屋(東京‐世田谷区)が・・・>
三軒茶屋(東京‐世田谷区)が近しくなった。夏に転居してきた後、下北沢にある陶芸教室に行く時には必ず三軒茶屋を通るからである。自転車を使う場合は道中一番の繁華街が三軒茶屋で、バスの場合も三軒茶屋でバスを乗り換える。最近は三軒茶屋と陶芸教室の間は歩くことにした。今日は教室からの帰途、三軒茶屋まで歩いてきて時間があったのでキャロットタワーの展望台に上ってみた。人参色をしたキャロットタワーはこの地区では抜きん出た27階建て。我が家からも遠方にキャロットタワーが見えるが、三軒茶屋の方向が直に分かるランドマークとなる建築物である。26階にある無料の展望台からは残念ながら我が家の方向(南方)をみることはできなかったが、北方向、新宿方面はよくみえた。このような超高層のビルから東京の街を見下ろす時に、広大な無限とも言える建物群の中にささやかな我が家が隠れていることを改めて気づかせてくれる。それは隕石が落ちてこようがミサイルが飛んでこようが飛行機が落下しようが、確率的に我が家に落ちる可能性を心配することはないという妙な安堵感をもたらす・・。
 
2014-12-27 三軒茶屋キャロットタワー26階より
12月28日(日)    <陶芸の新作が完成した・・・>
陶芸の新作が完成したので表紙に写真を掲載した。「数楽オブジェ1」のタイトルとしたが、ネタは10月22日のコラムで書いた(=ここ)「数楽アート」からアイデイアをいただき、陶芸でオブジェを制作したもの。そこでも書いたように、数値制御やレーザー加工技術を駆使して数学の2変数が描く軌跡を加工したものがオリジナルの数楽アートであるが(=ここ=参照)、こちらは手作りで曲面を削りだして下部には建物の入り口や窓風な模様をつけた。内部は空洞としており、中で香を焚くと上部の穴から煙がでるような使い方もできる。曲面の美しさはとても金属加工にはかなわないので陶芸では歪んだ不確実な味を求めると言い訳をしよう。
暮れも押し迫った今日、「東京都23区内で最も古い木造建築」をみてきた。目黒区の碑文谷(しばしば買い物に行くスーパーが碑文谷)にある円融寺境内の「釈迦堂」である。釈迦堂は室町時代初期に建造されたもので重要文化財にも指定されている。このお寺はユニークで大晦日に「除夜の鐘プロジェクションマッピング奉納」と称して釈迦堂に「プロジェクションマッピング」を投影するという(詳細=ここ)。残念ながら大晦日の夜中に行くのは無理かな・・。

2014-12-28 円融寺・釈迦堂
12月29日(月)    <現代の生活の中には誰々の発明と・・・>
現代の生活の中には誰々の発明と特定されないけれどもでも極めて重宝しているものが多い。昔は活版印刷の発明者はグーテンベルグ、蒸気機関車の発明はジェームス・ワット、初めての飛行機はライト兄弟とか教えられた。エジソンは白熱電球や蓄音機など多くの発明品で名を残した。時代とともに発明は独りの天才や特別な人物によって創りだされるのでなく組織の力によって推進されるようになる。人工衛星にしても人類初の月面着陸にしても個人の成果とされることはない。生活を一変させた集積回路(IC)の技術、更に、パソコン、インターネットなども然り。多くの先駆者が競い合いながら総合的な技術力を勝ち取った(組織の中で成功した青色ダイオードが独りの成果として評価される奇妙なこともあるが)。身の回りの細かいことを見れば見るほど私たちは名もなき人が創りだした便利な発明品に囲まれている。私はトイレにいく度にウォシュレット(温水洗浄便座)の性能の良さに感激する。これが世界中の人にどれほど快適感を与えていることか。TOTOさんの開発担当者に感謝である。
12月30日(火)    <大竹 伸朗さんという現代美術家・・・>
大竹 伸朗さんという現代美術家の作品作りをテレビで見てファンになった。現代美術家の中でもベテラン(年齢は私より14〜15年下)であり、世界中で活躍する知る人ぞ知る芸術家である。段ボールやチラシなどガラクタを貼付けたコラージュからバカでかい建造物まで領域を決めずに衝動的、直感的に生命力ある作品を造り上げる。私がテレビで見たのは宇和島の工房で絵を描くところで、筆を動かすまでは、何を描くか、何をするか、一切考えないというやり方。事前に綿密に計画を立てたり、知識で武装することなく自由に創造性を発揮するのは容易なことではない。彼がただ世の中で見たこともない何かを造り上げようという制作態度、それと生命力に満ちた作品群が好きだ。
今年の年末は転居して来た新天地にいるのでどこにいっても初体験ばかりだ。今日の写真(下)「奥沢神社」(世田谷区奥沢=ここ)にも初めていった。散歩で立ち寄ったのだが、ここも発祥は室町時代にさかのぼる古いお寺である。
2014-12-30奥沢神社
12月31日(水)    <大晦日はやはり特別な日・・・>
大晦日はやはり特別な日である。この日ほど時間の経過を確実に感じる日はない。片付けや大掃除、正月の用意をしながら、やるべき仕事やりたい内容とは一切おかまいなく時間が過ぎていくことに気がつく。何もしなくても年は明ける。ふと、この世が終わり続いてあの世に行くときも同じ感覚でないかと閃いた。行き先が冥土であろうが黄泉の国、また天国であろうが、旅立つ時には待ったなし。もっとやりたいことが山ほどある人もやるべきことをすっきりと片付け済んでいる人も時間とともに間違いなく旅立つ。そう考えて大晦日にジタバタすることを止めた。明日、新年とともにまた新たな門出ができるだけで十分にうれしい。今年は自分たちにとって初めての転居など大変革の年であったが振り返ればただただ幸運に恵まれた。この一年を感謝するのみである。
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