これまでの「今日のコラム」(2015年 1月分)

1月1日(木)    <明けましておめでとう・・・>
明けましておめでとうございます! 年が改まるだけで何か気分が新鮮になる。ありきたりの挨拶ことばが当たり前に使えるだけでも有り難いと思うようになった。毎年は年賀状にその年の干支にちなんで絵を描いていたが、ことしは表紙に掲載したような羊の頭を左右に配置した「双羊尊」の写真を使用した。紀元前の古代中国で制作された本物の「双羊尊」を美術館に通って観察し、粘土で成形し窯で焼成して制作した陶芸でのコピー作品(2011年作)を並べた。・・さて、この未年はどんな年となるのだろう、自分ではどんな年にしたいのか。成り行き任せも悪くはないが、”一年の計は元旦にあり”も確か。この際、思う存分に”やりたいこと”を書き並べてみようか・・。
九品仏浄真寺に初詣&墓参り
1月2日(金)    <朝6時に起床・・・>
朝6時に起床、コヒーを一杯飲んだ後、6時25分からのテレビ体操をするいつものパターンで一日がスタート。2日は息子の月命日であるが昨日元旦の一番に墓参をしたので今日は他の事で動く。正月三が日は東京都内の道路が空いているので車の移動が楽で助かる。家に帰るとテレビで時々正月恒例の箱根駅伝や高校サッカーをちらちら見ながら家事仕事(?)。代わり映えしないが平穏な一日。「水仙いちりんのお正月です」(山頭火)。
1月3日(土)    <20人以上の来客・・・>
20人以上の来客で気の張った一日であった。リフォームした新居のお披露目も兼ねて大勢の親戚が集まってくれたのだが幼児、子どもらを含めた久しぶりのパーテイーに感無量となった。10年以上前に招待されてこの同じ部屋に私たちが子どもを連れて何度か訪れたことがある。その時の主人であった義兄も、子どもたちにお年玉を配ってくれた優しい義兄の姉も今はこの世にいない。そして、その子どもたちや孫たちが同じところで集っている。時の流れと言ってしまえばそれまでだが、まさに生々流転。時は絶えず移り変わっていく。最近は特に来客は有り難い事だと思うようになった。もちろん大勢でなく一人でも二人でもありがたい。人が時間を使い足を運んでくれることだけでもうれしいのに、大抵はいい刺激で元気づけてくれる。来客が面倒になったとき、人と会う事が嫌になったとき、それは老化の末期的状況と承知しておこう。
1月4日(日)    <巧言令色、鮮し(すくなし)仁・・・>
「巧言令色、鮮し(すくなし)仁」という言葉は確か中学生時代に覚えた。何となく口先ばかりうまいことを言う人は人徳がないように解釈していたが、今思うと孔子の思想の根幹をなす「仁」は単純ではない。真の愛情とか優しさ、根源的な愛を意味するとされるが「仁」の奥は深そうだ。正月であるのでこの言葉が出る前後の論語をひもといた。弟子の子貢が孔子に身を終わるまで、つまり一生行っていけるものを問うたのに対して、孔子はそれは「恕(じょ)=思いやり」と答えている。その後、有名な言葉「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」と続く。それに続いて冒頭の「巧言令色・・」が語られるのだが、「論語」はいいことを言っていると今更ながら思う。芸人と称する人が巧言令色を競い合うテレビでは、仁の雰囲気の人に滅多に出会うことができない。一方で現代でも「仁」の人は多くいることは確か。テレビも気分を変えて仁者にもっと語らせたらどうだろう。
1月5日(月)    <年初めのテニスで三連敗・・・>
年初めのテニスで三連敗した。40数年続けて来た正月のテニスでも新記録ではないか。連勝は記録もしていないがこれほどの連敗は記憶がない。その割に悔しさが余りないのはどうしてだろう。相手が相当に強く、接戦で敗れたこともあるが、時の流れに抗し難いという悟りがある。元より最近は勝ち負けにこだわらなくなった。一昔前にどうしても歯が立たない相手が歳を取って身体が動かなくなって、こちらは適当に相手に会わせながらプレーしたことが何度もある。今は反対の立場かも知れない。”いつまでも、あると思うな、ツキと勝ち”、もう一つ。”いつまでも、あると思うな、腕と足”。何だか侘しいなぁ。そういえば、テニスの帰途、自転車でタクシーと接触事故を起こしそうになり危機一髪でセーフだった。これほど危うかったことも初めての経験だ。いろいろなところで天から警告を受けている気がする。自重しなければならない・・。
1月6日(火)    <信じられないこと・・・>
信じられないことが起こる。昼過ぎに突如インターネットが使えなくなった。メールも使えない。何をミスしたのだろうと調べ始めた。通信関連が途絶えているのでWi-Fiの設定がおかしくなったのか、Webの設定データを間違えてインプットしたのか、単純に電源やコネクターが抜けていたり接触不良になったのか・・。思いつくところを何度もチェックしたが分からない。午後予定していたネットでの仕事は全くできなかった。夕方になってWi-Fiのランプが点滅しているもののOn-Lineのランプが点灯していないのでケーブルテレビを契約しているiTSCOM(東急ケーブルテレビ)に相談しようと電話をしてみた。ケーブルからインターネット(Wi-Fi)もメールも分岐して同じ契約をしている。すると”信じられないこと”に昨年9月分のケーブルテレビ代金が納入されていないとの理由でiTSCOMが通信を止めたことが判明した。10月以降、11月、12月は自動引き落としできっちり納入しているのに、9月分は自動引き落としの手続きの関係で未納となったようだ。はがきで事前通達したと言われるが、それにしても電話その他一切確認なしに突如回線をきられたのだ! iTSCOMがそんなことをするとは全くの想定外。iTSCOMは顧客との信頼関係をどう考えるのか。電話の後コンビニで納金したら夜になって通信は回復したが、iTSCOMから受けた仕打ちは決して修復されることはない。
1月7日(水)    <七草粥を食べる・・・>
七草粥を食べる習慣はないので今朝の食事もパン。それでもこの機会に春の七草を覚えているかチェックする。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、、スズナ、スズシロ・・、言えた。この程度はまだ耄碌していない(モウロクの字は書けないけれど)。朝食を済ませた後、正月飾りを外して廻った。正月に家にいた年神様とは今日でお別れ。・・最近短歌をはじめたといって、自作の歌をいれた年賀状を友人からいただいた。とても感じがよく羨ましくも思えた。このコラムでもよく俳句などを引用するが、本当は自作の方がいいだろう。今日はやはり「七草」の有名句:「七草やはかまの紐の片結び」 (蕪村)。もう一つ:「七草やあまれどたらぬものもあり」(千代女)。自作ならこんなになる:「七草や年神様と粥を食い」(本当なら「パンを食い」となるか)。
1月8日(木)    <片道40〜50分の時間・・・>
片道40〜50分の時間をかけて自転車でテニス場に通う。東京の目黒通り、駒沢通り、青山通りなど幹線道路を含む都心の道を走るので、行き交う歩行者、自転車、自動車を含む障害物に細心の注意を払い、事前に動きを予測しながら自転車を走らせる。この間、大袈裟に言えば人間の行動が無条件に他者の迷惑となることを感じながらペダルを踏んでいる。とにかくも自分が自転車で走るだけで周りに多くの迷惑をかけている。歩道を通る場合は歩行者とすれ違うときはできる限り距離をとるとか、車道を走る時は極力左側を通るとか、安全走行は当たり前としても、歩行者や自動車側にすれば自転車は迷惑であって存在しない方がいいに決まっている。他の自転車と接近すると自転車の横暴さが目について自分も同じ穴の狢(むじな)と自覚する。普通に歩いているときにはこのような感覚には絶対にならない。「存在しない方がよい」のは社会に何らかの意義を持たない老人も同類なんて言われると寂しいぞ・・。
1月9日(金)    <久しぶりに表紙に「mieuへの絵手紙」・・・>
久しぶりに表紙に「mieuへの絵手紙」の新作を掲載した。「奇妙なブロック」とタイトルをつけたが、このような”あり得ない図形”に凝ったのは10年以上昔だろうか。ブロックの配列などには新味はないが今回はとにかくも表紙の絵を更新するために孫娘mieu用のブロック絵を描いた。ブロックだけであると少々さびしいので新春のピンクの色を加えた。以前にもコラムで書いたかも知れないが絵手紙はその気になれば1時間ほどで描けるので、毎日何枚でも描ける。それができないところがその時々の事情を反映している。孫娘の住所と手紙の文章を書いてポストに投函するのは妻の役割としているが昨年描いた絵手紙が未だに発送できていないのが妻の現状。お互いに何かゆとりがない。絵手紙は描いたものの今日の私は珍しく食欲がなく体調もよくない。元気が出たら今年は従来の作風をぶっ壊して遊ぶつもりで次からの絵手紙を描こう・・。

1月10日(土)    <ウォーキングのついで・・・>
ウォーキングのついでというと申し訳ないが、昨日も、今日もウォーキングを兼ねて墓参りをしている。歩くと往復で1時間足らずの距離に両親そして息子の墓があるのでウォーキングには丁度よい。お墓のある寺には樹木が多く、寺の境内を散策するのもまた楽しい。今日は同じお寺の境内に母方の祖父母の墓もあるので、そちらにも廻った。軽い掃除程度しかしない墓参りであるが、息子以外に両親、祖父母を意識すると皆からやってもらったばかりで自分は何もできなかったと後悔の念が絶えなくなる。誰にどんな形で恩返しすればいいのか・・。そんなことを瞬間に思うだけでも生きる力のようなものが復活する。自分以外の他人に恩返ししなければならない・・。
 
2015-01-10 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて
1月11日(日)    <今日は恵比寿・代官山との決別・・・>
今日は恵比寿・代官山との決別をした。といっても、50年以上住んだ恵比寿・代官山地区からの転居をすませたのは昨年夏であり、今は新天地での生活を楽しんでいる。今日はこのホームページに残してあった恵比寿・代官山地区の情報関連のページを全て削除したのである。恵比寿ガーデンプレースのできる前にエビスビールの工場見学をしたのも懐かしい思い出だが、その後ガーデンプレース地区の再開発、代官山アドレスの建設経過など、その時々にこのホームページで写真を紹介してきた。いわば非常にローカルな情報提供で、それも過去のものになってしまうとサイトに残しておく意味がないと判断した。同時にコーギー犬のリンクも見直した。ホームページがスタートした1998年当時は元気だった犬たちもほとんどは虹の橋を渡り犬のホームページは様変わりせざるをえない。我が家にいた親子コーギーもすでに亡くなっているが、思い出のため犬関係のページはまだ残してある。生々流転。絶えず変化し続ける中でホームページも変わらなければならないと思う一方で、さびしさはぬぐい切れない。

2015-01-11 駒沢公園(東京‐世田谷区)にて

1月12日(月)    <今の気温はマイナス18度・・・>
今の気温はマイナス18度、とニューヨークに住む孫娘がブログ(下のLINK)に書いている。それと比べると東京では朝6時に起きて早朝のゴミ出しで屋外に出てもそれほど寒さは感じない。コーヒーを一杯飲んだあと6時25分から10分間のテレビ体操をするだけで身体は火照る(ほてる)。朝の7時頃には朝陽が東京の高層ビル群を照らしこの日の始まりを告げる(下の写真)。・・このところ気温が零下にはならなくても冬場には心して身体を動かすことを自分には言い聞かせている。少し無精をして腕や脚を長時間動かさないでいると覿面(てきめん)に間接の動きが悪くなり痛みが出る。これは昨年冬に肩や腕の関節痛で苦しんだ反省からきている。昨年は寒いからといって机上での読書やパソコン、絵描きなどばかりを続けたのが問題だった。雪が多くテニスにも行けなかったことと普段の運動不足が重なって見事に関節痛となったと分析する。事前の生活習慣でこの冬の身体はどうなるか。動け動けの実験開始だ。
2015-01-12


1月13日(火)    <明日から淡路島に二泊・・・>
明日から淡路島に二泊の旅行に出る。関西方面に行くのは本当に久しぶり。この一年余は特に転居前後の片付け仕事で全く余裕がなかった。今、直前になって旅行先の詳細の計画をしている始末。明日は京都にも立ち寄る予定だ。旅行にパソコンを持参するかどうかで悩んだ。ノートパソコンなので持っていくことは可能ではあるが、いろいろ考えた末に持っていかないことにした。非日常の勝手気ままな旅にするためにもコラムやパソコンのことを忘れたい。思い出すと2005年6月にニューヨークに行った時はお気に入りのMacのノートパソコンPower Book G4を持参して毎日アメリカから発信を続けた。その日にスケッチした絵を掲載したりしたパワーは懐かしい(=ここ=2005年6月コラム参照)。今回はコラムも完全お休み・・、ということで、行ってきま〜す。
1月16日(金)    <関西に旅行して・・・>
関西に旅行して先ほど帰宅した。・・と書いてしまったが淡路島から徳島まで行ったので”関西”に限るのはおかしいかも知れない。往路には京都で途中下車してタクシーでお寺をいくつか巡った。その後、新神戸でレンタカーを借りて明石海峡大橋を渡り淡路島へ。淡路島の洲本(五色町)で宿泊した後、昨日は大鳴門橋を渡り徳島の大塚国際美術館に行き、丸一日かけて美術館を見て廻った。この美術館については後日また書いてみたいが想像以上の質の高さに感動した。今日のところは下に写真を掲載して雰囲気だけを伝えたい。
 
2015-01-14宇治平等院                          東福寺
 
2015-01-15大塚国際美術館にて(システィーナ礼拝堂)    2015-01-16大阪梅田スカイビル
1月17日(土)    <阪神・淡路大震災から・・・>
阪神・淡路大震災から今日でちょうど20年。昨日は淡路島から神戸を通って帰ってきたが、各所で追悼行事が予定されている話を聞いたけれども20年前の痕跡を目にすることはなかった。淡路島の南端から鳴門大橋を渡りきった鳴門(徳島県)に大塚国際美術館がある<鳴門には大塚製薬の本社があり私もかつて打ち合わせのため本社を訪れた際お茶の代わりにオロナミンCをいただいた懐かしい思い出がある>。大塚製薬グループが17年前に開館したこの美術館(=ここ=参照)は世界でも類のないユニークなもの。世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたものが1000点余、その陶板複製技術が尋常でなくすばらしい。世界25カ国の美術館に収納されている宝物というべき絵画を複製する許可をとるだけでも大変なことであるが、陶芸をやる私としてはどういう技術でこれほどまでに完璧に色を再現して陶板に焼き付けることができるのか技術面で驚嘆しっぱなしであった。この美術館の名画は本物では許されない直近の距離で鑑賞することができるので馴染みの絵画の中にも多くの発見があるし、1000年,2000年を経ても変色したり劣化しないメリットも大きい。本物の名画が朽ち果て、仮に大塚製薬がこの世から消えてしまっても、この美術館だけが残り、世界遺産になる日が来るかも知れない・・。
1月18日(日)    <「ふたつの双羊尊」・・・>
「ふたつの双羊尊」についての講演会にいった。「双羊尊」は古代中国・紀元前13~11世紀(殷の時代後期)に制作されたとされる左右に羊の頭を配置した青銅器で、世界に根津美術館と大英博物館が所蔵する二体だけが現存している。今、大英博物館のものが根津美術館で特別展示中で、この希有な名品二つを並べて鑑賞できる。今日はこの方面の専門家(サンフランシスコ・アジア美術館館長)によって「二つの双羊尊」と「殷時代における揚子江流域の青銅器制作」についての講演会が根津美術館で開催された。昨年末に参加を申し込んでおいたので参加券を入手できた。私は2011年に陶芸で双羊尊を模写して制作した経緯があるので(=ここ=参照)双羊尊については特に思い入れが大きい。個人的には模様の解釈や相違点などよりも3000年以上前に精密な青銅器を造り上げた人類の技術力にただただ驚嘆する。<下の写真の左が大英博物館、右が根津美術館所蔵品/高さ各約45cm>

2015-01-18      ふたつの双羊尊               根津美術館の庭園

根津美術館の庭園
1月19日(月)    <今日、自転車で通った・・・>
今日、自転車で通った主なポイント(東京、南西部); 環七・柿の木坂ー学芸大学ー祐天寺ー中目黒ー代官山ー青山学院大学前-秩父宮ラクビー場<テニス場>ー青山通りー渋谷ー駒場東大前ー淡島ー下北沢<陶芸教室>ー三軒茶屋ー上馬ー駒沢大学前ー駒沢公園ー八雲。今日は午前中テニス、青山通りの店で昼食をとり、陶芸教室に廻ったもので、自転車では通り慣れたコースではある。テニスの格好のまま陶芸に行ったので教室の人からは”お元気ですね”と言われた。陶芸教室には珍しくボストン出身だというアメリカ人の若者も来ていた。直ぐに私の制作している粘土細工に興味を持って話しかけてくれて話が弾んだ。フランクなところがいかにもアメリカ人らしい。帰宅後、夕食前には風呂。こんな一日、今日は私の誕生日であった。健康に恵まれて誕生日を迎えることができたことに感謝。今日はWiiのバランス年齢計測で”マイナス54歳です”とでるだろうか・・。
1月20日(火)    <医者の不養生・・・>
「医者の不養生」という。知り合いの奥様が医者の旦那様のことをそういって嘆いていた。そのお医者様は「医者に殺されない47の心得」(近藤誠著)は本当のことを書いていると認めているそうだから十分に分かった上での不養生か。世の中には口先では立派なことをいうが自分の行動は別という人は多い。これは大昔から変わらない傾向なのだろう。思いつくだけで、「学者の不身持(ふみもち)」、「易者身の上知らず」、「坊主の不信心」、「紺屋の白袴」などなど。自己流で作るとすれば、「心理学者の心理知らず」、「作法の先生、人の気知らず」。作法とは本来他人の気持ちを思いやり相手を不快にしない心遣いであろうに、今朝のテレビでみた作法の先生は隣にはいて欲しくない人だった。古来、説教や舌先の一言が槍よりも人を傷つけることは周知。「口は是れ禍の門、舌は是れ身を斬るの刀なり」。
1月21日(水)    <確率的に非常にまれなこと・・・>
確率的に非常にまれなことが起こったので書いておこう。確率のバラツキを正規分布で表すといろいろな現象によく適合する。このとき平均から3σ(細かい説明は省く)以上離れた値のでる確率は約千分の三で、”千3つ”といわれるほど滅多に起きない現象ととらえる。前置きが長くなったが、昨晩、就床前にやったWiiのバランス年齢計測のウォーキングで左右のバランス50:50、100点満点の結果が出たのである。台上で20歩の足踏み(ウォーキング)をして左右のバランスを判定するのであるが、これまで1400日以上Wiiを続けているが初めての満点。正に1000回やって初めて得た結果だ。何も難しくない足踏みだが左右が全く均等になるかは身体のバランス能力というより確率の問題だろう。計測のもう一つは3つの数字が続いてでてくるところで真ん中の数字が最大の時に膝を折って回答する。一度表に出た数字が次に隠れてしまうので前の場面を記憶しておかなければならないが比較的易しい。昨晩はこれも満点だった。総合判定で実年齢マイナス54歳とでたのも初めて。マンネリ化してきたWiiの計測だが、こんなことがあるからまた続けてしまう。
1月22日(木)    <大型イチゴを一粒づつ・・・>
大型イチゴを一粒づつ入れて輸送する専用の容器が今朝のテレビで紹介されていた(同じ記事=ここ)。これは栃木の「スカイベリー」など超高級いちごの品質を劣化させることなく(傷も付けず)相応期間の輸送にも耐えられるように開発されたもので、フランスへの輸出試験を繰り返して効果が確認されたという。ただし、この容器だけで一個200円。フランスではこのいちごは一個1500円とか。こんな話を聞いていると、人間の食への欲望はそれほど際限がないものかと他人事ながら呆れてしまう。立派なイチゴは結構、美食も結構。それでも、少々傲慢過ぎないかと思ってしまう。ほんの少し前には貴族も殿様も口にできなかった豪勢な食事を日本中のほとんどの人が食している飽食の時代。一粒1500円のイチゴを入れる容器の四分の一ほど(つまり30分の一)の値段のイチゴでも十分に美味しいことに感謝である。今度余裕ができたらプランターを使って小さな小さなイチゴを栽培してみたい・・。
1月23日(金)    <久しぶりに有栖川記念公園・・・>
久しぶりに有栖川記念公園に立ち寄った。最近は港区南麻布にあるこの公園にもほとんど行くチャンスがなくなった。今日は二三日降り続いた冷たい雨がようやく上がり青空が見え始めたので、用事が終わった後地下鉄広尾駅の側にある名物ラーメン店で昼食をとり更に公園まで脚を伸ばしてみた。梅も桜もまだ花が咲く時節でないがゆとりの空間と樹々があるだけで贅沢な気分になる。その後帰宅して今日は「mieuへの絵手紙」として「蝋梅」を描いた(表紙の「今日の絵」)。寒い中でもひとり花を咲かせて芳香を放つ蝋梅は他にはない存在感がある。

 
2015-01-23 有栖川記念公園          
1月24日(土)    <「天の気」を感ずる・・・>
「天の気」を感ずるようになったのは昨年の夏に今の場所に転居してからのことである。それまでは都心の便利なところに住んでいたが「空」とか「太陽」とは無縁であった。陽光が入らなくても庭木や地面は見えた。けれども「地の気」を感じたかというと、そんなこともなかった。今朝みた東西の風景写真を下に掲載するが、今は空と太陽の光が織りなす偉大な「天の気」を感じる。更に、地球の大地のもつ「地の気」を同時に感じると言ってもよい。「気」とはエネルギーの源泉、パワーの源。ちっぽけな人間は「気」を分けてもらわなければ生きていけない。もちろん、これまでも意識はしていなくても目には見えない大自然からエネルギーを頂戴していたのは間違いないだろうが、今、天の気を目の当たりにすると、いただいたエネルギーで何をすべきか改めて考えてしまう。孔子は論語で「50にして天命を知る」と言ったが、まだまだ天命も分かっていない。
 
2015-01-24  左=西の空                右=東の空
1月25日(日)    <文章は下手な方がいい・・・>
「文章は下手な方がいい、粋ごのみがわざと着物をきくずして着るように」。こんなうれしいことを言ってくれたのは”レイモン・ラデイゲ”、1903年に生まれで、わずか20歳で早世したフランスの詩人・小説家だ(同時代のジャン・コクトーに見いだされ嘱望されていたという)。電子図書にしろ印刷した本にしろ読書すると間違いなく脳が刺激される。文章を書くこともまた少々は頭を使う。このところ本を読む機会がめっきり少なくなったとはいえ、テレビで芸能人がはしゃいでいる画面をぼーと見ているよりは本を読んでいる方がはるかに充実感があるのは確かである。と言いながら、錦織がオーストラリアオープンテニスで活躍する試合がテレビで生中継されるとやはりそちらを見てしまう。テレビを消した時、20歳で亡くなった詩人の対極にある人が書いた文庫本「ライカでショット!」(笹本恒子著/新潮文庫)を今読んでいる。この本を書いた笹本さんはカバーに「日本で初の女性報道写真家は、今年100歳、まだまだ現役」とあるように1914年生まれの現役写真家。100年近く前に20歳で亡くなった人、100歳で現役で活躍する人、それぞれと本を通して今の自分とがつながっている。
1月26日(月)    <古いアナログのテスター・・・>
古いアナログのテスターを愛用している。テスターとは交流、直流の電圧を計測したり、抵抗値や電流値を計測する計器。乾電池の電圧を調べたり、導通(断線がないかどうか)のチェックに使うことが多いが、今日も電池の電圧を計測しようとしたところテスターの調子がおかしい。これはテスターに内蔵されている電池が切れたのかと思ったが自分の電池の電圧を計測できないので、単三電池2個と9ボルトの電池1個を新しいものに入れ替えた。結果はこれだけで問題なく使えるようになったけれども、少々感慨に耽るところがあった。何しろこのテスター、私が中学生頃にラジオの組立とか電子工作をする際に使用始めたもの。半世紀以上使用してもまだ使える・・。最近はパソコンやハードデイスクなどを含めて寿命が3年、5年の使い捨て機器が多い中で、テスターメーカー‐SANWA(現在も継続している三和電機計測)の高品質を宣伝したくなった。
アメリカのニューヨーク市ではこの26日、27日には史上最大級の暴風雪が予想されて積雪が90cmに達する可能性があると報じられている。ニューヨークに住む孫娘の学校も休校という。娘家族も色々な体験をしながら暮らしている・・。

1月27日(火)    <寒椿 力を入れて 赤を・・・>
「寒椿 力を入れて 赤を咲く」 ( 正岡子規)。子規が詠んだように赤だけを力を入れて「mieuへの絵手紙」(水彩)の寒椿を描いた(今日の表紙に掲載)。孫娘mieuの住むニューヨークでは今記録的大雪で非常事態宣言がだされている。学校は休校となり役所や国連本部も閉鎖されているというが、国連本部の近所に住むmieuのブログを読むとそれほどの緊迫感はないので少し安心した。東京では今日日中の気温が14度まで上がったが明日はまた寒くなる予報だ。正に三寒四温。徐々に春が近づいている気配を感じる。・・冒頭「寒椿」の句に続いて、私の敬愛する寺田寅彦が寒椿の句を残していた:「かきおろす 柩や落つる 寒椿」(かきおろすとは何人かでかつぎおろす意)。もう一つ:「火のけなき 家つんとして 寒椿」(小林一茶)。

1月28日(水)    <千葉から友人夫妻が遊びに・・・>
千葉から友人夫妻が遊びにきてくれた。考えてみると彼とは高校生の頃に奈良に一緒に旅行に行ったことが付き合い始めたきっかけだった。大学での専門も仕事の傾向も異なるが50数年を経た今現在でも妙に話が合う。今日は自宅の庭に咲いていたといって、蝋梅、椿、梅の花をそろえて持ってきてくれた。先方から息子の墓参りもしたいと言ってくれて、はじめに九品仏浄真寺に寄り、お墓の花受けにも同じ花をお供え。こんな豪勢な花をお供えしたのは初めてかも知れない。家でも話が尽きず気がつくと夕刻。その間、愚痴の一つも出てこなかったのが爽やか。価値観が同じようでありながらも、自分にはない面で大いに刺激を受ける友人がありがたい。
2015-01-28九品仏・浄真寺
1月29日(木)    <今朝の東京は氷点下・・・>
今朝の東京は氷点下、分厚い氷塊が玄関先に落ちていた。スリップしないように注意しながら自転車を漕ぐこと45分。テニス場には常連がきっちりと集合している。寒い中でもいい汗流した後、帰路、根津美術館に寄った。美術館の中には入らず、「はじめての茶席」という催しに妻と二人分の参加を申し込む。3月末、桜の季節にこの庭園内の茶室で初心者、未経験者向けの茶会がある。これまでは「茶」は全く無縁な世界であったが、せっかくの機会なので参加を決めたのだ。これは昨日会った友人の影響もあるかも知れない。友人は柳宗悦(民芸運動の創始者)の色紙を持っている。その色紙にある「茶ノコトヤ事ナキ事ナルニ(宗悦)」の文章の解釈を友人は楽しくやってくれた。「事ナキ」は「無事」、つまり「自然のままで何も人為を加えないこと」と見るとか。「形式にとらわれない自由自在のお茶」、「美味しいお茶をいただく、ただそれだけのこと」となると私でも茶席に加わってみたくなったのである。
1月30日(金)    <早朝から雪・・・>
早朝から雪が降っている。朝9時頃、玄関周りの雪かきをした時に、人や車が通った跡がくっきりと残っているのが美しくまた面白く見えた。捨女の有名な俳句に「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと(田 捨女)」があるが、二の字、二の字と下駄の跡形が並んでいるのを見つけて喜んだ気持ちがとてもよく分かる。田 捨女は江戸時代に女流六歌仙としても活躍した歌人で、捨女の俳句としてよく知られているこの句は彼女が6歳の時に詠んだ句とされる。そういえば子どもらしい実に素直な句ではある。<ちなみに昭和の時代にジャーナリスト、政治家として活躍した田英夫氏は捨女の子孫であるという> 大人になっても子どものような感性を持っていた小林一茶はこんな雪を詠んだ:「うまさうな 雪がふうわり ふうわりと」。東京地方ではうまそうな雪が降ったのは午前中で、昼頃からはみぞれから雨に変わってしまった。
1月31日(土)    <今日は午後から根津美術館・・・>
今日は午後から根津美術館(東京‐南青山=ここ)での講演会に参加した。1月18日に続いての講演会で、テーマは「中国古代青銅器の動物意匠ー双羊尊を中心に」。前回と同じく、今、根津美術館に特別展示されている大英博物館所蔵の双羊尊と根津美術館が所蔵している双羊尊を並べての比較が面白い。前回のような通訳つきでなかったのでとても分かりやすかった(講師は泉屋博古館、廣川氏)。双羊尊については別の機会に書くとして、今日はいつもは掲載しない根津美術館の庭園の石仏と石灯籠の写真を下の掲載する。講演会の後、根津美術館から下北沢の陶芸教室に直行して、夕刻からは陶芸教室での新年会に出席。ここでもまた若い人との交流でリフレッシュできた。夜遅く帰ってきてからのコラム。今日も無事、お休みなさーい・・。
 
2015-01-31 根津美術館庭園にて
 
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