これまでの「今日のコラム」(2015年 3月分)

3月1日(日)  <表紙に「今日の作品」・・・>
表紙に「今日の作品」として「mieuへの絵手紙/ケーキ」(水彩)を掲載した。こんな書き出しでコラムを始めるときが一番幸せ・・。他人が何と言おうがささやかな「作品」を紹介するだけで今日が代え難い日となる。好き勝手な意見を書いてみても”それがどうした”で10年前に書いたとしても大して代わり映えしない。人を批判しようとすると大抵は自分がそっくりそのままだったりする。自分のことを棚に上げて評論家になるのも大変だ。孫娘mieuチャン宛てに絵手紙を描くのが一番楽しく、目に見える成果となる。・・今日から弥生・三月。正岡子規にこんな句がある:「面白さ皆夢にせん宵の春」。春宵一刻値千金の春がそこまでやってきている。面白い夢を見るようにしよう・・。

3月2日(月)  <息子の月命日・・・>
息子の月命日で墓参りをした。How time flies.来月にはもう七回忌を迎える。4年前には三回忌を予定していたが直前に東日本大震災が起きたので中止した経緯がある。今年は七回忌をやるつもりだ。墓のある寺の境内ではいま梅が見頃。これが一ヶ月後には確実に満開の桜に代わる。けれども決して去年と同じ桜ではない。「歳月不待人」。二度とない今この瞬間を眼(まなこ)をしっかり開いて楽しもう・・。
 
2015-03-02九品仏浄真寺(東京‐世田谷区) にて
 
3月3日(火)  <ゆとりとは何・・・>
ゆとりとは何だろう。お金の余裕、 スケジュールの空白、自由になる時間、ノルマがないことなど色々あるだろうけれども「ゆったりとした気分」がなければゆとりがあるとは言えない。お金も時間もノルマもどこまでを余裕の有無とするかの線引きはなく専ら個人の気分で決まる。・・今日、妻が「mieuへの絵手紙」の文章を二枚分書いて投函した(絵の部分を私が描き、妻が文章を書きNYに住む孫娘のmieuへ手紙を出すことにしている)。何と今日ポストに入れた分を含めて9枚も絵手紙が妻のところで滞っていた。昨年の12月から一枚も出せずに3月3日を迎えてしまった訳だ。私たちは昨年今の地に転居してきたが表面上はともかくとして何かと「ゆとり」がないとは感じてきた。特に妻は頑張りすぎて「ゆとり」がなくなっているのは傍目(はため)からも分かっていた。私の場合、陶芸作品のアウトプットは今年になって一つも出ていないが、絵手紙はそれなりに描いているのでまだ余裕は見られる。ゆとりのバロメーターは不要不急の作業に表れる。妻が絵手紙を書けたことでチョッピリゆとりが戻ったと歓迎しよう。今日は寒い寒いと言いながら池上梅園に梅を見に行った。「梅が香に追ひもどさるる寒さかな」(芭蕉)を実感しながら見事な梅と甘酒に酔った。以前は毎週のように訪れた池上方面に来たのも3ヶ月ぶり。これもゆとりの一つ・・。
 
2015-03-03池上梅園(東京‐大田区)にて
 
3月4日(水)  <初めて田園調布まで・・・>
初めて田園調布まで歩いて行ってみた。最近は1時間でも2時間でも歩くことは平気、さらに歩くことに快感さえを覚えるようになった。前に一度自転車で行ってみたことがあるが田園調布の正面駅舎を見たのは生涯二度目だ。田園調布は東京の南西の端、大田区にあり、その南西には多摩川、更に多摩川を越すと神奈川県の川崎市となる。高級住宅街としてのイメージがあるが、私などは駅の周辺ですら車も人も少ないのに驚かされる。渋谷や原宿のにぎわいと比較することはないが少々さびしすぎる。買い物客が来るところでもないのだろう。駅舎にあるスターバックスでコーヒーを飲みながら周囲を見ると自分以外10名ほどが皆女性。何か場違いな老人がうろついている雰囲気だった。一休み後、また早足で歩き続ける・・。
 
2015-03-04田園調布駅<車も人もいないぞ!>
3月5日(木)  <戦艦武蔵・・・>
戦艦武蔵がフィリピン沖の海底1000mで発見された(3/2公表)。戦艦武蔵はレイテ沖海戦に参戦する途中米軍機の集中攻撃(50〜70機の波状攻撃)を受け昭和19年(1944)10月に撃沈されたが正確な場所は不明であった。海中に埋没した武蔵の探索を推進したのはビル・ゲイツ氏と共同してマイクロソフトを創業したアメリカ人、ポール・アレン氏(1953〜)。彼は今はマイクロソフトとは関係なく、数多くの事業を経営しながらアメリカンフットボールのオーナーや多くの財団の運営者となり、また博物館事業、慈善事業分野でも活躍する世界的な大富豪である。どういう動機か分からないけれども8年もの歳月をかけて海中に沈んだ武蔵を見つけ出した。戦艦武蔵というと私は昔読んだ吉村昭(1927〜2006)の「戦艦武蔵」(1966年発刊)を思い出す。戦艦大和が製造されたのは呉海軍工廠(広島)のドック内であったが、続けて建造された戦艦武蔵は長崎の造船所の船台で周囲の丘や対岸から戦艦を製造していることを遮蔽するために如何に苦労したか、一枚の設計図面の機密保持がどれほど厳密であったかなど武蔵の製造段階からはじまる武蔵の全歴史を著述した名著だった。戦後70年となるこの年に戦艦武蔵が海中で確認されたのも何か運命的なものを感じさせられる。
3月6日(金)  <毎日でも”今日の梅”・・・>
毎日でも”今日の梅”が掲載できる時節である。今日は駒沢から世田谷の住宅街の梅を見て回った。はじめに駒沢公園に行って、たまたまゲートボールをやっている人たちがいるのでプレーに見とれていると若いお姉さん(おばさんでない)が”やってみませんか”と誘ってくれた。テニスもやっているしやることが多いのでとお断りしたが、しばらくゲートボールについて話し込んだ。いままでゲートボールを身近に見たことはなかったけれどボールを打った時の音の爽快感は格別だ。80歳を過ぎてテニスができなくなったらゲートボールをやろうか?
脚の向くまま気の向くままに世田谷の住宅街を歩きながらも、「野の道や人行く方へ行けば梅」(正岡子規)の句のように人が梅へ案内してくれる。大抵は「家一つ梅五六本こゝもここも 」(子規)と昔も今も変わらない。
 
2015-03-06 左は駒沢公園内      右は旧家(三田家)跡<世田谷区の管理地>
今日の梅
3月7日(土)  <日本の神話に出てくる神々・・・>
日本の神話に出てくる神々は何とも人間的というか、人間の本能的な性質がむき出しで出てくるのに辟易することさえある。神話とは古事記や日本書紀にでてくる国づくりの物語だが実は私自身神話にそれほど詳しくない。学校では古事記も日本書紀も教えてはくれなかったので断片的に自分で習得するしかなかった。・・こんなことを書き始めたのは、去年から住み始めた住所が「八雲」であることから短歌の起源とされる有名な歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」(古事記&日本書紀に記載)を毎日暗唱して忘れないようにしていることに関連する(短歌や俳句の暗唱はノートレによい!)。この短歌は「スサノオノミコト」が出雲でヤマタノオロチを退治した際救い出した姫を妻として新宮を建てたときに詠んだ歌とされる。スサノオはイザナキ、イザナミの子で天照大神の弟。父イザナキノミコトの言うことを聞かないで泣きわめいたりして追放され、姉の天照大神(太陽神)がいる高天原に立ち寄ろうとする。このとき天照大神は弟のスサノウが自分の国を奪いに来ると思い武装して彼を迎えた。スサノウは誤解を解くため誓約を交わして高天原に滞在する。それでもスサノウは田を荒らしたり御殿に糞尿を散らしたり悪行の限りをするので天照大神は天の岩戸に立て籠ってしまう。高天原から追放されて出雲に向かう前のスサノウはかなりのワカランチンであった。・・「八雲立つ・・」を口ずさみながら、こんな神話に思いを馳せる。
3月8日(日)  <マンデルブロ集合・・・>
マンデルブロ集合について知らなかった。数学者のマンデルブロが提唱した”発散しない複素数列”が作る集合と定義されている(=ここ=参照)が、「フラクタル幾何学」の基幹をなす集合と知って納得した。フラクタルは比較的最近に本を読んで勉強したが(もちろん私が学んだ学生時代にはこのような数学理論は存在しなかった)、フラクタルの理論もマンデルブロが提唱したものと知った。ニューヨークに住む孫娘mieuは中学生であるが学校の友人と”マンデルブロ集合が美しい”と盛り上がっている話を聞いたのが「マンデルブロ」を調べてみるきっかけだった。数学が好きな女の子であるが受験とは関係なく中学生の友達同士で複素数を話題にできるのは恵まれた環境と言えるだろう。孫娘に追い抜かれて行くのもまた幸せというべきか。私のできることは「今日の絵」として表紙に掲載した「mieuへの絵手紙/マンデルブロ集合(ペン&水彩)」を描くぐらい。「マンデルブロ集合」はコンピュータで描かれているもので手描きではとても本来の美しさを表現しきれないことが描いてみて分かった。

3月9日(月)  <芸術は長く人生は短し・・・>
「芸術は長く人生は短し」という。本来は・・だから勉学に励もうという趣旨であろうが別のことを考えた。現代は猛烈な勢いで変革している。わずか100年前の明治時代に現代のインターネット、GPSを予想すらできなかった。そのような現代でも歴史の遺産というべき芸術を学ぶ人は多い。ところが歴史に名をなした芸術家の遺産を学ぶだけでは決して自分を歴史に残すことはできない。学んだ後の進化・変革がなければならない。俳聖といわれた松尾芭蕉の俳句をいくら学んでも一生かけて足下にも及ばぬ。絵画でも同じ。狩野派の日本画や古典主義の絵画を学ぶだけで一生かかる。200年、300年前の音楽を学ぶ場合も同じだろう。ところが教える方の教師は生徒と関係なく教えるのが一生の仕事である。そこで教師を乗り越える、突き破ることが長い芸術を造り上げるには不可欠となる。種田山頭火は自由律俳句をつくり、多くの現代俳句が生まれた。ピカソやマチスも学んだものを捨てて新たな歴史を作った。時代の変革は学んだ教師を乗り越えるところに生まれる。
3月10日(火)  <「話し方」は難しい・・・>
「話し方」は難しい。ほんの一言が人間関係を悪化させ争いの元となることもある。一方で「話し方」に気をつけるだけで生活全般が明るくなったり人生が楽しくなるのも確か。会話には相手がいるから「話し方」の中でも「聞き方」がポイントだ。聞き上手な人と会話するのは楽しい。こんなことを書いているのは自分が話し下手、聞き下手との自覚のもとに未だに気遣いをしているからである。もう40年以上も前の話であるが勤め先の上司から「あなたは何か言われた時に”いや〜”という癖を直した方がよい」と忠告されたことを今も忘れない。自分では全く気づかなかったが無意識の一言が相手は否定されたように受け止めてしまうと知った。反論したい場合でも、「そうですね、けれども・・」、つまり、”Yes, but"を習慣づけた方がよいと教えられた。これは40年を経た現在でも会話の際に気をつける一つだ。確かに会話の際にこちらが何を言っても決して”そうね”の一言がない人は話しづらい。意見が相互に違うのは当然として違う意見を認める意思表示が必要だろう。そうかといって、「お前の言うことは正しい、それでも・・」と上から目線で同意されたときの不快感も経験した。言葉一つ、やはり「話し方」は難しい。
 
2015-03-10 am6:15 左は東京西北西に雪山  右は東京東北東風景
3月11日(水)  <3.11 東日本大震災から4年目・・・>
3.11 東日本大震災から4年目を迎えた今日、震災とは関係なく知人(親戚)の夫妻が家に来てくれた。「朋(とも)有り、遠方より来たる。また楽しからずや」(論語)というが、今日は遠方よりでなくごく近所からの客人。よく考えてみると両夫婦で合うのは30数年ぶり、じっくり語り合ったのは初めてかも知れない。それも「また楽しからずや」。地震発生時刻の2時46分頃にも話し込んでいたが、3.11が意識になかった訳ではない。震災のことを決して忘れることはないし為すべきことも忘れない。その上でパワー溢れる友朋との出会いがありがたかった。私の場合、相手から元気をいただいたかどうかは創作意欲がわき上がるかどうかの単純な判定方がある。新しいインスピレーションが脳裏をウロウロしているぞ・・。
3月12日(木)  <今年初めて表紙に陶芸の新作品・・・>
今年初めて表紙に陶芸の新作品を掲載した。”数学が趣味”という80歳を過ぎてもお元気に活躍されている知人にヒントをいただいて制作した「平行四辺形4枚だけを使った花器」である。このような形状の花器は私が知る限りでは見たことがない。先ずは試作的に仕上げの柄など好き勝手な模様をつけてみた。ところが、この花器、写真の取り方が非常に難しい。ほんの少し目線を変えると全く異なった姿に変容する。陶芸コーナーには上面、下面から撮影した写真も掲載したが下部から見ると花器の内部が一点に集合する形状である。粘土で成形する段階では制作は非常に簡単。同じ形状の平行四辺形を4枚そろえて接着させるだけでできてしまう。粘土の種類や釉薬、模様を変えると全く違ったイメージにもなる。平行四辺形の陶芸への応用はまだまだ先がありそうだ。
今日の午後、谷中に義兄の墓参りに行った。今日の写真として谷中風景を掲載する。谷中には何度行っても新しい発見がある。
 
2015-03-12 谷中にて 左右に枝垂れ梅
3月13日(金)  <「目の保養」・・・>
「目の保養」という言葉があるが目を通して贅沢を満喫し本当に心が豊かになった。あるお宅にお邪魔したのであるが、柿右衛門の花器、有田焼の大皿、浜田庄司の角瓶など美術館でしか見られない作品群が居間の片隅にそっと飾ってある。日本の陶芸品以外に世界中の工芸品が各所に無造作に並べてある。壁にはこれも外国物の絵画。床のペルシャ絨毯だけでも何時まで見ていても際限ないほど細かでユニークな文様が目に入る。正に「目の保養」とはうまい言い方だと納得した貴重な経験だった。ただし、「目の保養」というものの、目から入った情報で脳はゆったりと休むどころかおおいに興奮したのでないか・・。
今日の表紙には昨日紹介した陶芸作品の花器にスイートピーを活けた写真を掲載する。

3月14日(土)  <表紙に今日の作品として「備前焼・香炉」・・・>
表紙に今日の作品として「備前焼・香炉」(陶芸)を掲載した。今日陶芸教室に行くと入り口の飾り棚に見覚えのある奇妙なお城があるのに気がついた。かなり以前(昨年末かな?)に教室で岡山・備前の窯で焼成するイベントの募集があった。備前土を使って造形して教室で素焼きを行った後にそれを岡山まで送り、登り窯で焼成してもらう計画だった。教室では電気窯を使うが、登り窯の場合、実際に木材を燃やして高温にするので火や灰の加減でどのような味が出るか分からない面白さがあるので、一品だけを制作して応募した。ほとんど忘れかけていたが、それを本日はじめて目にした訳である。城型(猫型かな?)をした香炉(内部で香を焚き煙が上部の穴からでる)として使用できるが好き勝手に作ったオブジェのようなもの。上部の針状の突起など破損せずにつながっているし、灰の加減も上出来か。今日は家に持ち帰ることなく、まだ教室に飾ってあるので教室内の雰囲気を入れた写真をもう一枚下に掲載してみる。今日の陶芸教室では米国人男性が二人、英語で陶芸のことを議論していた。
2015-03-14 陶芸教室にて
3月15日(日)  <半日、身の回りを整理したり不要品の処分・・・>
半日、身の回りを整理したり不要品の処分をした。昨年引越をしてきた時に選別せずに何でも持ってきてしまっている。一年がかりで片付けるつもりであるが、少し手を付けるだけで色々な面が見えてきた。先ず何をもって不要品と見なすか。昔購入した機器のマニュアルや使っていない電気部品の接続コードなどは即捨てる。以前は見るだけで心が”トキメイタ”オモチャや本が今はそれほどの愛着がなくなっていることもある。時代の変遷とともに実用的にはほとんど意味がなくなったものもある。引き出しの奥から方位磁石(コンパス)が二つ出てきた。昔は貴重だったが今は方位を見る時にはi-phoneを使えば十分に間に合う。昔の丸形コンパスに愛着はあるが処分した。一方で他人から見るとほとんど価値のないように見えるもの、欲しければ100円ショップでも買えそうなものでも捨てられない。所詮は自分の周りを身軽にする程度の処分しかできないが、好きなものは必要品と解釈しようか・・。
3月16日(月)  <神楽坂のお宅に招待されて・・・>
神楽坂のお宅に招待されて楽しいひとときを過ごした。70〜80歳過ぎの三夫婦の集まりとは思えないほど皆の話題が豊富。今も新しいことに興味を持ち好奇心が旺盛な人生の先輩たちに接していると私などはまだまだ若輩であることを思い知らされる。それにしても人の出会いとは不思議なもの。予想もしなかったつながりが出会った後で判明したり思わぬ助けを受けたりもする。シナリオのないドラマを楽しめるのはただ”神に感謝”である。
神楽坂(かぐらざか)は東京・新宿区の町名で今日訪れたお宅も「坂」の直ぐ側にある。近くの赤城神社の写真を下に掲載する。

2015-03-16 神楽坂・赤城神社
3月17日(火)  <夕方、新しい自転車が配送・・・>
夕方、新しい自転車が配送された。インターネットで注文したのがほぼ一ヶ月前。うっかりして、なんと一ヶ月の納期と知らずに注文してしまった。今時、自転車にしても即納できるところはいくらでもあるのに・・。タイヤが破裂してしまった前の自転車はとうの昔に粗大ゴミで処分済だ。とにかくも自転車が届いたのはいいが、組立をしなければ使用できない。戸棚とかスチール机などインターネットで購入した商品を何度も組み立てたがどれも極めて精度よく確実に組み立てることができたのに、このたびの自転車は最も単純なペダルの取り付けのネジがうまく組めない。MADE IN CHINAのせいとは言いたくないが少々お粗末。家で組立てる商品は100%の完璧さが要求されるのに。この辺りをどう解決するか。問題は残るが自転車を組立てるチャンスは滅多にないと、組立そのものは楽しんでいる。
3月18日(水)  <お寺で墓参り・・・>
お寺で墓参りをした後、神社で厄よけのお祓いをする。続いて夜はミサ曲のコンサートに行くとまではやらなかったが、固いことは言わずに何でもよしとする日本スタイルが好きだ。神社は久しぶりの明治神宮。相変わらず外人が目につく。御苑の中の「清正井」(きよまさのいど)にも行ったが一時”パワースポット”として人気になった時期ほど人はいないが今もきれいな湧き水が流れていた。・・神社、仏閣、寺院何でもありの思想は食事にも反映されている。今日の朝食はパンに野菜、ハムなど、昼は人と外食でうな丼、夜はカレーライス。そういえば、寝る時は床に布団を敷いてパジャマだ・・。
 
2015-03-18 九品仏浄真寺(東京・世田谷) &明治神宮(渋谷区)

3月19日(木)  <新しいものを手に入れると・・・>
新しいものを手に入れると新しいことを覚える。一昨日(3/17)のコラムで書いたようにインターネットで自転車を購入して組立てたが、この自転車は形だけはロードバイク(価格は安いママチャリ)でタイヤは細く(700C)ハンドルはドロップハンドル。これまで普通のシティ自転車しか乗ったことがなかったので戸惑うことばかりだ。先ず教えられたのが自転車のタイヤに空気を入れるバルブの種類が、英式(ENGLISH)、米式(AMERICAN)、仏式(FRENCH)の3種類あること(=ここ=参照)。今回手に入れたロードバイク型は仏式であり、これまで大事に使っていたシティ型用(ママチャリも同じ)空気入れ(英式)が使えない! ロードバイク型のタイヤには仏式用の空気入れでゲージで圧力をみながら高めの空気圧を入れなければならないと知った。事程左様(ことほどさよう)に自転車といっても多種多様で奥が深い。ロードバイクで都心の道路を”ゆ〜くり”走るためにも準備期間が必要となりそうだ・・。
3月20日(金)  <落語家・桂米朝さんが亡くなった・・・>
落語家・桂米朝さんが亡くなった。享年89歳の大往生。昨年亡くなった長兄が旧制姫路中学(現在の姫路西高)で米朝さんと同窓だったと聞いていたので姫路出身の私としては何となく親しみを感じていた。落語には特に詳しくはないが唯一と言っていい程好きな落語が「はてなの茶碗」。この落語も米朝さんが復活させた古典落語とされる。私は陶芸でお茶碗や仕掛けのある容器を作ったことがあるが、落語をもじって「はてなの茶碗」と称していた。実際に見かけはどこも悪くないのに水漏れをする茶碗があるのが”やきもの”の面白いところだ。今日はこの桂米朝さんの落語「はてなの茶碗」をYou Tubeでみて楽しんだ(=ここ)。
3月21日(土)  <駒沢公園の東脇・・・>
駒沢公園の東脇の自由通りを北上、駒沢大学駅を迂回して北東にはしる玉川通りへでてから渋谷方向へ、次ぎに混雑する三軒茶屋交差点も迂回して真北の下北沢方面へ・・。今日、家から陶芸教室への道を新しい自転車で走った経路である。先ずは仏式ノズル対応の新しい空気入れ(ゲージ付き)でタイヤに所定の空気圧まで空気を入れた後、出陣。はじめ、車のほとんど来ない道路に歩行者用の白線が描いてあるところがあったので、前輪、後輪が白線内を連続して走ることができるかチェックした。これは以前からやっている自転車コントロールの自己診断の方法だ。丁度、平均台の上を歩き、飛び跳ねるのと同じ感覚で、白線から外れる事なく続けて走ることができれば合格とする。今日は新しい自転車で遠出する初日であったので特に慎重を期した。それなのに帰路はもう新しい自転車であることを意識しない。慣れとは恐ろしい。これからは毎回”白線チェック”を義務づけようかと思うが・・。
3月22日(日)  <鉢植えで難しいのは肥料や水・・・>
鉢植えで難しいのは肥料や水の与え方という。転居してきてから私も少し鉢植えの面倒を見る気になってきたが、初心者には植物の種類によって何をどの程度が適正なのか未だによく分からない。先日も植木の専門家から水のやり過ぎは根腐れするからと注意された。水を切らすと可哀想だからと一生懸命に気をかけているのが裏目に出る。植物を育てるのであれば失敗するのもよい。失敗を教訓にして修正すれば次にはうまく行くに違いない。植物の不可思議を見ていると人間を育てる場合は植物に輪をかけて複雑、微妙であろうと今更ながら思う。よかれと思って何でも与え過保護にすると根腐れする。むしろ少なめの栄養で育てばたくましくなるかも知れないが栄養不足では困る。大きい外敵から守られながらも自由放任であった我々の時代とは今はまた環境が違うだろう。それでも既に子育てとは無縁になった気楽な立場ではあるが、「与え過ぎは根腐れする」という植物向けの言葉はグサリと心に響く。
3月23日(月)  <年齢は見かけでは分からない・・・>
年齢は見かけでは分からない。テニスでしばしば一緒にプレーをしていた人が私より若いと思っていたら今日話をしていて年上だと知った。後期高齢者とはどうしても思えないパワーテニスをやる。一方で私より年上と決め込んでいた人が年下だった。テニスのプレーだけを見ていると80歳を越えているとはどうしても思えない人とゲームをやることもある。テニスでは一般的にパワーや脚力は年齢とともに衰えるが接近戦での反射神経は若い頃と同じである。80歳過ぎて記憶能力が衰えていても反射神経がすばらしい人を見ていると人間の能力の不思議さを思う。
今日は新しい自転車でテニス場まで行き、帰途、以前住んでいた場所まで廻ってみた。コンクリート4階建てであった住居は見事に解体され更地になっている。「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」(ご存知、方丈記より)
3月24日(火)  <意外性を楽しむには・・・>
意外性を楽しむには行き当たりばったりがよい。新しい自転車のならし運転をかねて何も計画せずにいくつかの場所を初めて訪れた。それが思わぬ古墳と出会ったり(野毛大塚古墳/世田谷玉川野毛町公園内)、等々力渓谷の近辺でも等々力不動尊や日本庭園など知らなかった名所を発見する。そうそう、途中でみた都立園芸高校の銀杏並木も素敵だった。いずれも自動車では通れない狭い道に面している。自転車散策を始めると東京だけでも対象は無限。欲張らずに次には桜の中をゆっくりと走ろうか・・。
表紙に掲載した「徳利」(陶芸)はプレゼント用に制作した小物。新規性はないが最近制作したこのような小物はまだ沢山あるので順次掲載してみよう。
 
2015-03-24  野毛大塚古墳   右は等々力渓谷側の日本庭園
 
等々力渓谷にて

3月25日(水)  <ラナンキュラスの花・・・>
ラナンキュラスの花を妻が買ってきて数日前から玄関に飾ってある。ラナンキュラスは種類が多く、赤、白、黄色、ピンク、オレンジ、紫など色も豊富であるが、入手したのは下の写真のような八重のタイプ。きれいに整った八重の花びらはバラとはひと味違った神秘的な美しさがある。原産地はヨーロッパからトルコなど西アジアというが一昔前には日本では今ほどポピュラでなかった。ラナンキュラスの別名が「花金鳳花(はなきんぽうげ)」で金鳳花科の花とされるが、小さな黄色の5弁花を咲かせる金鳳花とは素人目には同種とは思えない。・・こんなラナンキュラスに魅せられて、今日は「サカタのタネ」(横浜の種苗会社)のガーデンセンター(=ここ)に行った時にラナンキュラスの鉢植えを買ってしまった。球根タイプの鉢植え、この春以降も花を咲かせ続けられるだろうか。
2015-03-25 ラナンキュラス
3月26日(木)  <はじめての茶席・・・>
「はじめての茶席=桜を待ちながら=」という催しに参加した。根津美術館の庭園内にある茶室「披錦斎(ひきんさい)」(=ここ)での茶会で参加条件が”未経験者向き”になっていたので申し込んでいた。10数名のグループで和菓子の頂き方から薄茶の飲み方、茶道具の見方など初心者向けに丁寧な解説を受けながら茶席の雰囲気を味わう。私にとって文字通り「初めての茶席」を体験して予想以上に得るところが多かった。細かくは書かないが素朴でかつ高度な美意識を持った茶の世界はインスピレーションの宝庫である。・・今日は実のところ茶席に出る前にはテニス。その後着替えて茶席にのぞみ、その後また夕方には「グレゴリオ聖歌による”神のお告げの祭日”」というミサにも出席した。このミサはキリストが12月のクリスマスに誕生する9ヶ月前にマリアが受胎告知された記念日のもの。信者でもない私が聖歌を聴きながらただ身体を休めていただけであるが、これもまた茶会に続いて別世界に浸った得難い時間であった。
 
2015-03-26 根津美術館 ・茶室披錦斎   右は、 聖心女子大学聖堂(ミサ会場)
3月27日(金)  <表紙に陶芸作品「角枡(かくます)」・・・>
表紙に陶芸作品「角枡(かくます)」を掲載した。新規性はないがプレゼント用に制作したもの。10年ほど前に同じような枡を制作したと思って陶芸コーナーを調べたが見つからなかった。人にプレゼントしたのかも知れないが何に使っているのだろう。「角枡」は大きさは丁度一合枡と同じ程度であるが、使い道は定めない。一合は一升の十分の一。一升が1.8リットルだから一合は0.18リットル。我が家ではご飯を炊くとき二人分のお米がこの程度であるが今は一合升でお米を計ることもない。日本酒をこの角枡で飲むこともないとすると、小物入れとして使われるかも知れない。そこで気がついたのだが、名前に「枡」を使うと容量を計測する容器がイメージされる。「杯」を使えばそれだけで”酒を飲むための容器”のイメージとなる。何に使用されてもよいが「角杯」として人にプレゼントすることにしようか・・。

3月28日(土)  <”サクラ咲く”・・・>
”サクラ咲く”土曜日。東京では桜の開花宣言がでたものの一昨日には花はほとんど目につかなかった。それが今日となると至る所で桜、桜。毎度のことながら花の開花の正確さ・不可思議さとともに人間が造り上げた暦の偉大さに感動する。「今日の写真」は当然「桜」であろう。ところが昼間には写真を撮りそこねたので「夜桜」写真とする。下に掲載したのは高井戸駅(東京‐杉並区)脇の神田川沿いの桜。桜の間からお月さんが覗いている。花とは関係なく高井戸駅のすぐ側にあるイタリアンの店での夕食を誘われて高井戸まででかけた時のもの。「花より団子」と食事を満喫したが「花」も見事だった。
 
2015-03-28 高井戸・神田川沿いにて
3月29日(日)  <桜は毎年同じ・・・>
桜は毎年同じように咲くけれども花見の場所は変わる。昨年夏に今のところに引越してきたので今年は家の近所の花見も初体験。東京の世田谷区を縦断して目黒区から大田区へ至る呑川(のみがわ)という川があるが今は呑川緑道となって桜並木が続いている。今日は家から歩いて呑川緑道の桜並木、さらに宮前公園の桜などローカル色の濃い花見を楽しんだ。場所は変わっても花を愛でることができることだけでも感謝である。
表紙に今日の作品として「カップ」(陶芸)を掲載した。これもまたプレゼント用として制作したもの。単純なカップを久しぶりに作ったが、これはこれで楽しかった。もし人が喜んでくれるものであればその人のために作るのが一番やりがいがある。
 
2015-03-29  呑川緑道の桜並木  右は花海棠(はなかいどう)&ヒコバエ

3月30日(月)  <”今日の桜”・・・>
”今日の桜”を今週は続けてみよう。花見を口実に歩くと新しい発見がある。昨日は呑川緑道を世田谷区方面に歩いたので今日は逆方向の目黒区方面へ歩いてみた。桜並木を見ながら緑道を歩いていると際限がないので途中で緑道から外れた道路を進むと趣きのあるお寺や神社に出会う。神社仏閣もまた桜で華やいでいる。
 
2015-903-30 呑川緑道にて
 
立源寺(りゅうげんじ/東京‐目黒区)  右は自由が丘にて
3月31日(火)  <今日は初夏を思わせる・・・>
今日は初夏を思わせる陽気。妻は外出の際半袖だった。義兄の墓参りに出かけたのだが今は絶好の花見時。谷中霊園を通り、各所のお寺を巡ったがどこでも桜が満開だ。谷中は上野公園と違って桜の下で飲み食いすることは許されていないので花見といっても歩きながら花を愛でるだけである。谷中霊園の南端辺りで桜の写真を撮っていると、一人のおばさんが墓地の桜なら多摩霊園の方がはるかにいいですよと教えてくれた。谷中霊園には桜だけでなく有名人のお墓も多いのですよ、と反論はしなかったが、世の中には満開の桜に感激している時に他を勧めるご親切な方がいる。
 
2015-03-31 谷中霊園にて
 
谷中・天王寺にて
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