これまでの「今日のコラム」(2015年 6月分)

6月1日(月)  <テニスコートが開くのを待っている時間に・・・>
テニスコートが開くのを待っている時間にたまたまメンバーの男女が本気で言い争っているところに遭遇した。男性が女性のことを「おばさん」と呼んだのに対して女性が失礼だと反発し、そのまた言い方に男性の方がキレて言い争いになったようだった。男性はどう見てもお姉さんとは呼べない女性に非常に親しみを込めて「おばさん」を使ったところ思いもしない反発を受けた。男性は逆に怒って、”ばばあのくせに何を言うか”・・。たわいのない話で、そこにほんの少しでもユーモアのセンスがあれば笑い合って収まったのに・・。言葉というのは話す本人の意図と関係なく人を傷つける。「口は災いの元」と言われるが、善意であろうが相手のことを思っての言葉であろうが真反対に解釈されるから恐ろしい。かの松尾芭蕉の座右の銘とされる言葉:「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」。芭蕉ほどの大先生でも余程痛い目にあったとみえる。


6月2日(火)  <今日は息子の墓参り・・・>
今日は息子の墓参りをした後、義兄のお墓にも行った。息子の墓のある九品仏浄真寺(世田谷区)には歩いて行き、その後、電車を乗り継ぎ日暮里(上野の隣)へ。台東区谷中にある瑞輪寺に義兄のお墓がある。今日が息子の月命日なので以前からこのような予定にしていた。息子は先の4月に七回忌を済ませたが義兄は間もなく三回忌を迎える。お墓参りをするとやはり故人と周辺の人、いろいろな出来事が頭の中を駆け巡る。自分としては”まさか亡くなるとは思いもしなかった”と後悔ばかり。後悔先に立たずで、今更であるが、では代わりに何ができたのか、そしてこれから何ができるのか。・・谷中の街を訪れると毎回何かの発見がある。下の写真(右)は谷中で見つけた模様。
 
2015-06-02 九品仏浄真寺                    谷中にて
6月3日(水)  <「秀」の漢字は・・・>
「秀」の漢字は「実るほど頭の下がる稲穂かな」の状態を表しているという解説を読んだ(高橋政巳著、感じる漢字/扶桑社)。秀の字の上半分は穀物が実り穂先が垂れている様子を表し、下半分は「耳ぶた」でふっくらと膨らんでいることを意味するとある。穀物が豊かであることが「優れたこと、秀でたこと」であった訳だ。私が気に入ったのは「禿」の字は実った穀物が地面に抜け落ちる様子を表したというもう一つの解説。「禿」の下半分は抜け落ちることで、実った状態があったからこそ「禿」になる。だから最初から作物ができなかった場合は何というか、そう「不毛」となる。”うまい”と感心してしまったが、私は不毛ではなく、元「秀」であったよ・・。
6月4日(木)  <原始時代の人は・・・>
「原始時代の人は、その恋人に花輪を捧げることによってはじめて獣性を脱した」。これは岡倉天心の「茶の本」の中にでてくる言葉(「茶の本」は英語にも訳されて今も世界中で読まれているという)。”花輪”を引き合いに出すまでもなく人間は獣と違って、食べるため、生きるため以外の余計なことに手を出す。無用と思われるものに興味を示し力を注ぎ込むのが人間の特性でもある。縄文人が制作した土器の飾りなどを見ていると実用のために作らされたのでなく楽しんで作ったとしか思われない。天心は続いて、「彼(原始人)はこうして粗野な自然の必要を超越して人間らしくなった。かれが不必要なものの微妙な用途を認めたとき芸術の国に入った」と書いている。ただ人間が好きなこと、楽しいことをやった結果が芸術と呼ばれることもある。何事も、無駄とか、役に立たぬと決めつけることだけは止めねばならぬ。
6月5日(金)  <庭の草取り・・・>
庭の草取りをした。といっても自分の庭はないので親戚の家まで出かけて行き庭の草取りをしたのである。草取り仕事は嫌いではない。草取りをする度に植物の旺盛な生命力を見せつけられて、いわば格闘技を楽しむような感覚で草取りをする。タンポポは可愛いなどと言って放置するとあっという間に1mほどの背丈になっている。ドクダミもほんの短い期間にどこにでも侵入し広く地面を覆っている。ヤブガラシ(薮枯らし)もどこからか進出し樹々の上の方まで蔓を伸ばしている。こうした繁殖力の強い植物を目の当たりにすると人間は必死に植物と戦わなければ負けてしまいそうな危機感さえ覚える。植物との戦いの中で人間は食物を見つけ栽培する技を会得したのだろう。今日は草取りの後、両腕にかぶれが出てしまった。それから手袋の上から鎌で手の甲を怪我してしまった。植物側も一矢を報いたとつぶやいているか・・。
6月6日(土)  <今時のお坊さんは・・・>
今時のお坊さんは「般若湯」などと言わずに堂々とお酒を飲んでいるのでないかと想像するがよくは知らない。仏教の「不飲酒戒」の戒律は恐らく酒を飲むことによって自分を失うことを心配したのであろう。酔って人が変わることがなければ特に禁止する理由はない。先日、フランスとヨーロッパで修道院に寝泊まりしたりカトリックの神父様たちと食事をしたとき、昼間から必ずワインやビールがでた。修道院では自らのブドウ畑でワイン作りをするところもある。それにしても神父様たちは昼間からよく飲む。中にはお酒に弱い人や酒癖のある人がいるに違いないのに戒律で縛ることはない。仏教の僧侶にしてもカトリックの神父にしても自らをコントロールできる範囲では酒は”百薬の長”である。仏教の「不殺生戒」もまた現代では無視される戒律なのだろうか。生き物を殺さない、肉も魚も食べない僧侶は今時稀であろう。キリスト教の戒律(律法)でいう「人を殺すな」」は分かるが全ての生き物に対する不殺生」は容易ではない。せめて無用な殺生は止めようとは思う・・。
6月7日(日)  <今日は谷中のお寺で・・・>
今日は谷中のお寺で義兄の三回忌が催された。以前書いたことがあるが、義兄には生前言い尽くせぬほどお世話になった。亡くなった後もままだお世話になり続けている。死んでしまえばそれまでよ、という考え方もあるが、最近は死んだ後にこそ人徳が表れるように思うようになった。「人は棺を覆って定まる」。生きている時の経歴、地位、名声、思惑など一切が関係なくなって真価が表面にでる。義兄についても死後一段と人徳を思い知らされながら今もって感謝感謝である。・・今朝のNHK日曜美術館で扱われた「ピーター・ドラッカー」もまた生前は経営学の学者としての認識しかなかった。10年前に「断絶の時代」の著者が亡くなったと思いはしたが、まさか彼が日本美術の熱烈な愛好家であったとは! ドラッカーが収集した室町時代の山水画、禅画、文人画などをみるとその審美眼にも驚嘆する。経営学者のドラッカーさんよりもはるかに親しみを覚えるようになったのは確かである。
6月8日(月)  <約40分かけて自転車でテニスにいく・・・>
約40分かけて自転車でテニスにいく時に”無理しない無理しない”と自分に言い聞かせながらペダルを漕ぐ。そうしないとすぐに図に乗る(or 付け上がる)ことを自覚しているからだ。今日は”無理しない”と言いながら、アレ、これは英語では何と言うのだろうと考えてしまった。「無理な」はunreasonableだがこの意味ではないな。impossibleでもない。Take it easy.や、Take care.ともチト違う。”急ぐな”、”スピード出すな”、一刻を争うな”から、”注意しろ”、”相手に譲れ”、”安全第一”、”間隔をとれ”、”信号を守れ”とでも言いたいのだろうが、"無理”という日本語が分からなくなってきた。これからは、”安全、安全”とか、”注意、注意”とつぶやくか。何より、走行中には、こんな余計なことを考えず周囲に集中することこそ必要でした・・。
6月9日(火)  <今日感動したことは何・・・>
今日感動したことは何か、直に答えられる人は幸せに違いない。感動なんて人それぞれ、百人が百通り、皆異なる。つまり、感動は発見である。極めて些細なことでも感動になるし、気がつかなければ世の中、面白いことは何もない。今日はノルマ的な仕事はそれなりに進んだのであるが、何か面白いことが見つけられたか・・。一つは鳥居に巻き付いた藁の大蛇(下の写真)。前にも見たことはあったが今日散歩途中で再会すると思いの外インパクトがあるので感動した。この大蛇がいる奥沢神社(東京・世田谷区)では江戸時代から「大蛇お練り神事」が行なわれる。藁で作った大蛇は厄よけの守護神である。もう一つは単純に夕焼け。雨が上がり遠くの山々も見える。下に写真を掲載したが、見ていると一瞬のうちに色が変化する。似たような夕焼けはあるにしても夕焼けも一期一会である。
 
2015-06-09
6月10日(水)  <最近は極めて簡単に写真・・・>
最近は極めて簡単に写真が撮れる。いつも携帯しているスマートフォンで高い解像度の写真を撮ることができるし、専用カメラの機能も格段に進化している。手振れ防止機能などで素人でも奇麗な写真が撮れる。それにしても撮影した膨大な量の写真をどう整理するのだろう。パソコンに画像を取り込み、写真用のソフトで整理するのが普通だろうか。パソコンではスライドショウなど連続して写真を見ることも容易だ。ただしパソコンの中に収納されたアルバムを見て楽しむチャンスが何回あるかは疑問だ。・・先月、国際グレゴリアン大会参加の旅でフランス、ベルギーを旅行した際の写真の整理がようやく終わった。妻の要望もあって印画紙に印刷するやり方でアルバムを作ったのだが、A4サイズの印画紙が53枚の大アルバムになってしまった。印画紙のアルバムは適時ページをめくって懐かしむことができる。文字で解説が記入してあるところもパソコンの画像とは違う。一方で紙のアルバムは長い年月の間にトータルとして蓄積される容積=収納スペースがばかにならない。世代が変わると以前のアルバムを保持することは不可能だ(倉持ちの家でもなければ)。しかし、考えてみるとパソコンデータでも親のデータを子が引き継ぐことは先ずあり得ない。所詮、私たちは後世まで引き継ぐ写真データーを持ち得ない。少々さびしい結論であるが個人の写真は個人の歴史の中で用を済ませるものと承知しよう・・。
6月11日(木)  <毎日、NHKテレビ・ラジオ体操・・・>
毎日、NHKテレビ・ラジオ体操をやる習慣は続いている。テレビのラジオ体操という言い方は妙だがテレビ番組の正式名称にも”ラジオ体操”が入る。私の場合、朝の6時25分から35分まで。テニスだけでは身体の左右が偏るので、一度ラジオ体操をやってみたところ非常に具合が良くなったので止められなくなった。何よりテレビで体操をみせるお姉さん方のスタイルや動きが美しい。最近はテレビ体操の前後に、両足を広げたり狭めたりするトレーニング(マシーンで約100回)、身体を仰向けに倒して腹筋を鍛えるトレーニング(ワンダーコアで約20回)、それに4kgのバーベル2個で腕力運動を加えている。いずれもかなり古いトレーニングマシーンで昨年転居した際に売却しようとしたが、この種のマシーンを捨てる人が多く値もつかないと言われて持ってきたものだ。これも今のところ毎日使っている。自分のことだから先はどうなるか分からない。何年継続できるのか、”継続は力”となるかどうか・・。

6月12日(金)  <人はパンのみにて生くるにあらず・・・>
「人はパンのみにて生くるにあらず」。これは聖書の中でイエスキリストが言った言葉として有名であるが、正確にはイエスと悪魔の議論の中で「”人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる”と書いてある」と旧約聖書・申命記8-3の言葉を引用してイエスが語ったエピソードが記されている(新約聖書:マタイによる福音書4−4)。今日は聖堂の中のミサの場で神父様からこの言葉がでた。信者ではない私はそれはそれで分かるけれども、応用編を考えた。「人は××のみにて生くるにあらず。○○で生きるものである」。それぞれに何を挿入するかでその人の生き方がでる。××○○は生涯同じであることはないし、もちろん正解もない。人の年代や時々の価値観で変化するのが当然だろう。こんな言葉を聞くだけで非日常の気分になって公園でしばし自然を眺めた(下)。
 
2015-06-12 有栖川公園(東京‐港区)にて


6月13日(土)  <玄関の植え込みにヤマボウシの白い花・・・>
玄関の植え込みにヤマボウシの白い花が咲いている。白い花と書いたが花弁のように見える4枚の白い部分は植物学的には蕾を包んでいた葉、苞葉(ほうよう/全体は総苞)と呼ばれるようだ。それでも今は「白い花びら」にみえる。ヤマボウシの名は中央の坊主頭に4枚の白い頭巾をかぶった山法師に見立てたとか。都会では同じような種類のハナミズキの方が馴染みが深い。ハナミズキは別名アメリカヤマボウシ。大正時代にアメリカから渡来した際、山法師に似ていたのでアメリカヤマボウシの名がついたという。ヤマボウシ(山法師)の俳句を調べてみると、こんなのがあった:「山法師咲けば近づく旅のあり」(稲畑汀子)。来週また旅行にでかける。何かと慌ただしい週末である。<表紙にmieuへの絵手紙”ヤマボウシ”を掲載>


6月14日(日)  <とにかくも家の外に出て動く・・・>
”とにかくも家の外に出て動くこと”を人に勧めている。年齢を重ねた大先輩たちを見ていて老化防止ではないが家に閉じこもることなく外界と接することが元気の源と思うからだ。ところが他人には分かったようなことを説教する割に自分はその通りの行動ができていない。今日は半日家の中にいて沈滞してしまったのでまず道路掃除で身体を動かした。続いて所用を作り新宿まで出かけると気が晴れてパワーが湧いてきた。他人に言っていることを自分でも実行するとこれほどに爽快感がある。理屈をいっても実践がなければ何にもならないと我ながら思う。まさに”言うは易く行うは難し”であるが、歳をとればとるほど「外」に出ることが肝要であることをもう一度自分に言い聞かせよう。そういえば寺山修司の言葉を思い出す:「書を捨てよ、町へでよう」。
 
2015-06-14 新宿・都庁にて
6月15日(月)  <テニスをやるとその時の体調が・・・>
テニスをやるとその時の体調が判別できる。膝、肘などの関節の調子、脚力、腕の力、スタミナ、反射神経の働きに至るまで詳細がプレーをしているとチェックされる。そうかといって、勝敗は体調の善し悪しとは必ずしも一致しないところが面白い。ダブルスのプレーであるので組合せ、相性で勝敗は変わるし、体調がよくてもミスすることはある。勝ち負けとは関係なく今日の自分の体調を診断すると数年前に左ひざの痛さを我慢しながらプレーしていた頃と比べると明らかに改善している。パワーテニスができなくなって久しいがその代わりパワーのある相手のボールを受けるのが楽しくなった。身体の動きも以前より軽くなった。毎日のラジオ体操と自己流の筋トレが好結果をもたらしていると勝手に解釈している。反対に、もしトレーニングを止めればあっという間に”劣化する”ことにもなる。さらに「命」の調子となると”あんなに元気だった人が・・”という事例は数知れない。自戒の意味で和歌を入れておこう:「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集)。

6月16日(火)  <「離見の見」・・・>
「離見の見」は世阿弥の風姿花伝の中にでてくる言葉として知られる。世阿弥は演技論として舞台に立つ役者がひとりよがりの演技となることを戒めて自分の演じる姿を客観的に見ることを説いた。自分の姿を外に離れて見る「離見の見」の考えは演劇や芸術分野を超越して今はビジネスなどを含めたあらゆる分野に応用できる名言となった。考えてみると世阿弥が生きた600年前と違って現代はビデオでも映画でも客観的に記録する機材には事欠かないが、それでも多くの人が名言とするのは”独りよがり”から脱出するのが今も昔も変わらず難しいということだろうか。最近の脳のメカニズムの研究では人には「優越の錯覚」があり、自己評価が第三者評価(平均)より何割か高く錯覚し、それで脳内に快楽物質がでるという。優越の錯覚が崩れると人は鬱状態に陥りやすくなるというから自分を客観的に見ることも容易ではない。・・だから、でもないが、毎朝鏡で自分の無様な姿を認識しながらラジオ体操をする・・。


6月17日(水)  <”行ってきま〜す”・・・>
”行ってきま〜す”。明日早朝の飛行機でフランスへ行く。今晩は羽田空港近くの宿。娘の家族(娘夫婦、孫娘それに東京から娘の義母が加わる)との家族旅行だが皆で一緒に旅をする機会は生涯を通じてもそうあるものでない。今回のチャンスを大切にしたい。今現在、孫娘は学校のオーケストラの一員として親と離れてイギリスを旅行中で間もなくパリで合流する。この孫娘、初めてのヨーロッパ旅行なのに自分のブログを更新している。私も見習ってノートパソコンを持参することにした。Wifiの様子も分からないので果たして現地でコラム更新ができるかどうか。とにかくも有難い世の中になった。行ってきま〜す・・。
2015-06-17パリ土産を先に掲載


6月18日(木)  <現地時間午後12時35分に無事パリ・・・>
現地時間午後12時35分に無事パリに到着した。エアフランス航空で羽田から12時間、東京との時差が7時間ある。この日に先ずやったことはニューヨークに住む娘がアレンジしてくれていたパリの短期借家の確認。モンマルトルのアベス通りに面した趣あるアパートだった(下の写真)。このアパートをベースに今日パリに着いた日本組(娘の義母と私たち夫婦)と明後日合流するアメリカ組(娘夫婦と子ども<私の孫娘>)がパリ生活をする。6人が生活するにはホテルに宿泊するより安価であるが毎日食事を作り、清掃もしなければならない。幸いWi-Fiは完備しているのでこのようにインターネットがつながる。宿を確認したあとは地下鉄とバスのフリー切符を買うためにアベスの地下鉄駅へ。さらに早速その切符を使って地下鉄に乗り美術館のフリー切符を買いに行った(これも娘がネットで事前予約をしていたもの)。あれもこれも新体験で、前回お任せの観光旅行をしたのと大違いなので愉快。
2015-06-18 パリの借りアパート
6月20日(土)  <今朝の7時30分頃、娘家族と・・・>
今朝の7時30分頃、娘家族とパリのアパートで予定通り合流することができた。娘夫婦と孫娘の3名は昨晩イギリスから夜行バスでドーバー海峡を渡りパリまで来たのでほとんど眠っていないといいながら元気に朝食を共にした。落着いたところで今日は一般観光コースにはないパリ北東部のラ・ヴィレット公園地区へ行った。この辺りはごく最近再開発された地区で科学産業シテイーとかミュージックシテイーがある。今年完成したというフィルハーモニー・ド・パリというコンサートホールでの音楽会に娘たちが行き、男組は切符が予約できず周囲を見学するだけになったが。世界的建築家ジャン・ヌーベルが設計したこのコンサートホールは外観が超ユニークで、この建築物を外から見ているだけで時間を忘れるほど興奮した。(他に直径36mの巨大な球形映画館で3D映画みたり、いろいろと楽しんだ)。パリには歴史遺産以外にも興味深いものに満ちている。<コンサート会場の雰囲気=ここ
 
2015-06-20 フィルハーモニー・ド・パリ       運河
6月22日(月)  <モンマルトルのアパートを昼前に退室・・・>
モンマルトルのアパートを昼前に退室しなければならないので明け方サクレクール寺院近辺をまた散歩した。わずかな時間でも八百屋さん、果物屋さん、クリーニング屋さんと馴染みがあると故郷を去るような別れの気分になる。次のアパートというか下宿先への引越はそれなりに大仕事。今度はルーブル博物館へ歩いて行ける距離の街中のアパートで、これも娘がインターネットを駆使して探し当ててくれたもの。今は新しい住まいで、新しWi Fiを使ってこのコラムを書いている。昨日は蚤の市に行ったりパンテオンを見学したり、今日も引越後にルーブルを中心に動いたり・・。とにかくも毎日よく歩く。パリの地下鉄は乗り換えでも相当に歩かされる。さて、明日はどこにいこうか・・という自由度の多い旅行がいい。
  
2015-06-22 パリにて

6月24日(水)  <昨日はノートルダム寺院・・・>
昨日はノートルダム寺院、オペラ座見学、夜はオペラ座でオペラを見た。今日はレンタカーを借りて郊外のヴェルサイユ宮殿見学、その後車で2時間ほど走り世界遺産のシャルトル寺院へ行くなど観光は楽しく順調。連日夜遅くまで動くいている・・。
 
2015-06-24 オペラ座の舞台(左)   シャルトル寺院(右)
6月26日(金)  <モンサンミッシェルから・・・>
モンサンミッシェルから車で数時間、無事パリへ戻ってきた。世界遺産モンサンミッシェルは”さすがで大満足。夜10時前にレンタカーを返却。11時過ぎに部屋で夜食。昨25日はノルマンデイー地方の一角オンフルールという町に泊まった。この港町が実に情緒があり大当たり。オンフルールの前にはレンタカーでゴッホの住んでいた村とかジベルニー(モネの家)などを訪れたがどこもが”来てよかった”であったのがうれしい。
2015-06-26
6月30日(火)  <昨晩、無事にフランスから帰国・・・>
昨晩、無事にフランスから帰国。今日は朝6時25分からのテレビ体操もやりいつもの生活パターンに戻る。今回のフランス旅行は娘家族がアレンジしてくれたスケジュールにのってかなりの強行軍であったが一般の観光旅行にはない様々な体験もできた。感謝感謝である。人はなぜ旅をするのか、ふと考える。これまでに見たことのないものを見る、知らない世界に触れる、好奇心・・いろいろあるだろうが、”観光しました”だけではつまらない。”それでどうした・・”。子どもや若い年代の人は別世界に触れるだけで生涯忘れられない貴重な体験を得ることは間違いない。問題は老人のケースだろう。年寄りが旅行体験の後、どう変われるか・・。非日常によって日常は変わるのか。他人事ではなく、何かこれまでにない新たな挑戦ができるのか注目しよう。
 
2015-06-30 凱旋門上からみたパリ風景  右は夜のエッフェル塔

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