これまでの「今日のコラム」(2015年 7月分)


7月1日(水)  <パリの北20数kmのところに・・・>
パリの北20数kmのところにオーヴェル=シュル=オワーズという村がある。画家ゴッホゆかりの地として知られるがパリの絢爛豪華な宮廷遺産とは対照的なのどかな田舎の村の雰囲気がとても好ましかった。この地はゴッホが人生最後の2ヶ月ほどを過ごし、自殺を図った所でもあり、ゴッホの墓はここにある。小さな村を巡ると親切な案内パネルが随所にあり、ゴッホが描いた建物や風景を作品と見比べながら見ることができた。生前は描いた絵画が一枚も売れなかったというゴッホの御蔭でこの小さな村が賑わい潤っている・・。この村から西へ50kmほどの場所には「モネの家と庭園」として有名なジベルニーがある。ここは駐車場が満杯、モネの家に入場するにも長く並ぶなど、大混雑であった。世界的に著名な画家は死してなお長い間故郷を活気づけている。

2015-07-01オーヴェルの教会(ゴッホの描いた絵はオルセー美術館に展示)


7月2日(木)  <木曜日の午前中は・・・>
木曜日の午前中はテニス。途中で雨の降りが強くなって中断することもあったが小雨の中で3ゲームフルにプレーすることができたので言うことはない。なでしこジャパン(女子サッカー)の試合をみるのでテニスは休みますとメールで伝えてきた仲間がいるが、英国チームに2-1で勝利し、なでしこのW杯決勝進出が決まったとの情報がテニスの最中に入った。今朝テニスのウィンブルトン大会で錦織圭が2回戦を棄権すると発表したことがテニス場でのもう一つの話題であったことは言うまでもない。先月後半は旅行のためテニスができなかったので久しぶりのテニス。や〜、身体を思い切り動かすのは本当に気持ちがいいですね〜!!
2015-07-02 我が家のベランダの植物
7月3日(金)  <バーニャ・カウダのこと・・・>
バーニャ・カウダのことを書いた覚えがあるので調べると4月9日のコラムだった(=ここ)。陶芸で「バーニャ・カウダ」用の容器を製作するという宣言であったが、その後何もフォローしていない。実際には5月に陶芸でバーニャ・カウダ用の容器が2個完成している。作品の一例にも掲載せず何より一度も使用していないのが現在の陶芸低調の象徴のようにも思える。このところ陶芸については全く進展がない。一時、尺八(縦笛)を製作しようと検討してきたが、まともな音を出すのは至難の業で中途半端に着手できないので止めた。パリでル・コルビジェの思い切りの良い数々の製作物(本来の建築に限らず、絵画、彫刻など)をみて大いに刺激を受け、自分の好きなものをもっともっと製作しよう思ったところだ。そこで陶芸への巻き返しを狙って、先ずは表紙に「バーニャ・カウダ用容器」を掲載。そして少々季節外れながら家での食事に「バーニャ・カウダ」をリクエストした。明日には自作の容器(土鍋と同じ耐熱性あり)をローソクの火で熱して美味しいバーニャ・カウダの料理が食べられるか・・。

7月4日(土)  <雨が小降りになったところで・・・>
雨が小降りになったところで九品仏浄真寺へ墓参りに行った。息子の月命日は一昨日であるので二日遅れの墓参。お寺の境内はすっかり緑が濃くなり樹々からは大粒の雨粒が落ちてきた。墓の掃除が済んだ頃には雨は止んでお線香も炊けるようになった。墓参りでどうということはないが最近は自分の意志ではどうしようもない運命を考えると先祖でも亡き息子でも誰にでも感謝あるのみと思う。先日の海外旅行からも無事に帰ることができたが一つ事故があると生活がどうなったか分からない。お寺ではいつも自分のヒストリーを考えさせられる。
昨日コラムに書いたバーニャ・カウダが夕食となったので写真を掲載する。陶芸で製作したバーニャ・カウダは一応うまく使えたが、ロウソクの火加減がもう一息改善の余地があることが分かった。それでも味は申し分なしだった。
 
2015-07-04 九品仏浄真寺   右はバーニャ・カウダ

7月5日(日)  <じゃんけんで負けて・・・>
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」。これは今朝のNHK俳句の時間(教育テレビam6:35~7:00)に選者の池田澄子さんの昔の作品として紹介された俳句で、聞いたとたんに気に入って覚えてしまった。NHK俳句はたまたまラジオ体操(テレビ体操)に続いて日曜日に限り放映される番組で何となく毎回見るけれども特に選者について関心を持つこともなかった。それがこの句を知ったとたんに池田澄子さんに興味を持った。1936年生まれであるとか口語的な現代俳句が得意なども知った。冒頭の句には蛍に対する深い愛情やハッとする視点を感じたが、たった一つの作品でその人の全人格、考え方などが伝わるのは恐ろしいほどだ。彼女はこんな句も詠んでいる:「屠蘇散や夫は他人なので好き」、「着ると暑く脱ぐと寒くてつくしんぼ」。NHK俳句の見方が変わりそうだ。


7月6日(月)  <パリに残された古代ローマ遺跡・・・>
パリに残された古代ローマ遺跡を先日パリ滞在時に訪れた。古代セーヌ川沿いにはケルト人(ガリア人)などの部族が住んでいたが紀元前1世紀頃にはローマ帝国の支配下にあった(パリの中心部シテ島付近にはパリシー族がルテティアという集落を作っていたという)。現在のパリ・クリュニー中世美術館の横にはローマ時代の共同浴場跡、少し離れたところには「リュテス闘技場跡」と呼ばれるローマの遺跡が残っている。円形の闘技場跡は今は公園として使用されており、訪れた時には子どもたちがサッカーをして遊んでいた。それにしても改めてローマ帝国の大きさを思う。今日のニュースは専らギリシャの国民投票の結果。EUの中でギリシャの動向が注目されているが、巨大なローマ帝国の長期間にわたる巧みな統治とつい比較してみたくもなる。
7月7日(火)  <今日は小雨の中を・・・>
今日は小雨の中を知人宅に出向き、庭で鍬を振りかざし本格的な整地作業を行った。大汗をかいたことは確かだが、これはただの自分の記録。・・「金を狙う」、「狙うは十両」と恐ろしい字面が並んでいるが「金(かね)」の話でない。前者はサッカーの女子ワールドカップで準優勝したなでしこチームが成田空港に帰国した際、佐々木監督が語った「金メダル」のこと、後者は大相撲で「イケメン」琴恵光が話した「十両の地位」のことである。ニュースならば説明はいらず十分に分かる。・・とこれは今日のニュースで感じた話。このような日常で何を記すか、深くは考えずにただコラムを続ける。今日は七夕であるので、七夕の俳句を一つ選抜:「七夕やおよそやもめの涙雨」(正岡子規)。
7月8日(水)  <パリのオペラ座は・・・>
パリのオペラ座はガルニエ宮とも呼ばれる。ガルニエはこの建築物の設計者シャルル・ガルニエの名である。先日のパリ旅行の際にオペラ座の見学の後、夜のオペラ公演を見ることができたが、今、写真を整理しながらガルニエについて新たな逸話を知った。1860年にナポレオン3世を称える記念的建造物としてオペラ座の建設計画が決まり設計が公募され、採用されたのがガルニエの設計案。この時ガルニエ35歳であった。(ガルニエは若い時にローマに留学しギリシャなども巡り古代建築に心酔していた) オペラ座は1862〜1875年の建設期間を経て完成。豪華絢爛たる内装、外観にいろいろ意見が出たようだが”ガルニエ様式”で押し切った。華やかな落成式のときガルニエは招待客ではなく一般人として高い入場料を払って参加したという。それにしても設計者ガルニエの名が歴史を経て建築の名として残っているところが興味深い。
 
2015-07-08  オペラ座(ガルニエ宮)   右は劇場内部

7月9日(木)  <2020年東京オリンピック・・・>
2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建替え工事費が高すぎるとモメている。この一連の騒動をみていて私は昨日コラムに書いたパリのオペラ座のことを思った。オペラ座はたかが音楽やオペラを公演する場として王宮以上の絢爛豪華、贅を尽くしたガルニエの設計案が採用されて完成までに実に10年以上の歳月がかかってしまった。この間、ガルニエは金箔を張りつめるところを一部金の塗装にするなどコストダウンに努めはしたが当然財政的に苦しかったのは間違いない。工事の途中で地下水が止まらないなどアクシデントもあった。しかもフランスの財政はゆとりがあるどころか普仏戦争に敗れるなど危機的な状況であった。それでも着工から13年後にオペラ座を完成させ今は大いなる遺産として世界中から観光客を集めている。経済性、実用性のみを追求した建築は団地のごとくその場限りの消耗品となる。今、歴史遺産として価値のある形で残っているものはほとんどが権力者(殿様、宗教を含めて)がその場の経済性を無視して作り上げた無駄の中にあるといえば言い過ぎか。個人的にはザハ・ハデイット(英国在住の女性建築家)設計のスタジアムを見てみたいが、歴史遺産にして稼ぐ方策はないものだろうか。


7月10日(金)  <体力低下を思い知らされた・・・>
体力低下を思い知らされた日であった。久しぶりに雨が止み薄日もみえる天気になったので、今週の火曜日に続いて車で出かけて草取りと整地仕事。鍬(くわ)の使い方も慣れてきたので大きく振りかぶって土を掘り起こす。ヤブカラシ(薮枯らし)やドクダミ、その他名も知らぬ雑草が地中に縦横無尽に根をはやしている。隣接した桜の樹からのさばってきた根には鍬も負けてしまうのでノコギリで切る。そんな体力仕事を2〜3時間やっただけで後がいけない。知人宅でお茶をごちそうになり休んでいると右手が攣ってきた・・と思うと左手も。更に身体全体の動きがぎこちない。自分では決して無理をしていないつもりであったがこのザマ。日頃いかに筋力を使っていないかが露呈した。テニスで遊んでいるといって過信してはいけない・・。

7月11日(土)  <久しぶりに陶芸教室・・・>
久しぶりに陶芸教室にいき”土いじり”。ところが今日は2時間ほどで止めて帰宅した。途中でどうしても集中できないのでリタイアを余儀なくされたのだが、無理をして続けることはない。今回はこれまで制作したことのない複雑な構造の粘土作りを試みた。昨晩床の中でいろいろと作戦を考えてそれなりの準備をしてのぞんだが、見事に失敗で思うようにできなかった。その場で今まで考えつかなかったアイデイアで制作したところうまくできそう。その代わり、今日制作した試作品相当のブロックを後8個作らなければ目的の完成品ができない。・・ということで、出直し、長期作戦に切り替えた次第だ。面白かったのは”机上の空論”というように頭の中で考えたやり方は現物(柔らかい粘土)をいじりながらの工夫にはるかに及ばないということ。現物、現実を知らずに理屈だけ並べてみても役には立たないとまたまた教えられた。


7月12日(日)  <中国人の「爆買い」・・・>
中国人の「爆買い」の話を聞くことはあっても実際に目にしたことはなかった。けれども先日パリ旅行の際にパリの有名デパートで「爆買い」に遭遇して聞きしに勝る現場を見た。パリ全体の店がセール期間に入ったときであったがブランド品を中心に手当たり次第買い込んだ大きな買い物袋をいくつも抱えた中国人が十人や二十人ではなく入れ替わり立ち代わり引きも切らず交錯する。孫娘にささやかな記念品を見ようとした我々はとても近づける雰囲気でなく早々に退散をした。フランスの一般のお客さんもほとんど見かけない。「爆買い」は日本の銀座や秋葉原での話と思っていたら大違い。中国人は世界中で猛烈な買い物をしているようだ。確かに店にはお金が落ちる、有難いお客であろう。それにしても何かがおかしい。中国という国の体制からみても一部の超金持ちが世界を飛び歩いている図が分からない。バブルと言われて久しいが”泡”の中をいつまで泳ぎ続けのだろう・・。


7月13日(月)  <都心で最高気温34.2℃・・・>
都心で最高気温34.2℃になった今日の午前中、久しぶりのテニス。 当然、熱中症にならないように気をつけながらも懸命に戦う。なぜ猛暑の中で戦うのか、自分でも不思議に思う瞬間があるが、人生も同じなどと言い訳をする。実際、人生、深くを考えずにいろいろな種類の闘争を続ける。相手は自分であることもある。勝敗にこだわることは全くないが、その時間が楽しいからベストを尽す・・。
任天堂社長の岩田さんが55歳で亡くなられた。岩田氏はゲームソフトのベンチャー企業から任天堂にヘッドハンテイングされ42歳で社長になった。Wiiの開発などゲーム開発でも伝説的な人物(父親は室蘭市長を何度も勤めた人)。糸井重里との交流も深く「ほぼ日刊イトイ新聞」では特集を組んで哀悼の意を示し、岩田氏との対談を掲載している(=ここ)。余りに早い死去。経歴を含めて亡き息子を連想してしまった。合掌
2015-07-13久しぶりに夕焼けをみた
7月14日(火)  <昨日に続き今日も・・・>
昨日に続き今日も猛暑。先週までは雨ばかりで久しく陽光を浴びることもなかった。まだ梅雨明け宣言はないが間違いなく夏の到来だ。春ー夏ー秋ー冬と四季が確実にやってくるのが日本という国の特性であると今更ながら思う。季節を表す「季語」を入れることを約束事にした俳句が成り立つのも四季のある日本の特別な文化であろう。詩歌をつくると自然にその時の季節が詠い込まれる。そして季語に表面上の言葉以上の時間や空間を感じる。文化や感性は環境で育まれる。ただ暑い暑いというだけでなく自然環境には大いに感謝して、暑さを吹き飛ばそう・・。「しばらくは瀧にこもるや夏(げ)の初め」(松尾芭蕉)
7月15日(水)  <今日は記念すべき日・・・>
今日は記念すべき日。1年前の今日、現在の住居に引越をしてきた。とにかくも新居で大過なく1年を過ごせたことを祝おうと夕食は特別に妻と近所のフランス料理店にでかけた。前の住居には私は延べ58年間住んだこともあり引越は大決心であった。結果的には「大過なく」ではなく幸運が重なり良いことずくめで1年が経過した。真夏に住み始めて、夏ー秋ー冬−春と、それぞれのシーズンを初体験。太陽が季節によってこれほど変化に富んでいるのかと感動したのも現在の場所に引越してからのことだ。たまたま今日の夕焼け雲が”アイスクリームを舐める犬”に見えた。こんな雲を楽しめるのも今の場所。毎年7月15日を感謝の日としようか・・。
7月15日<黒い雲は南方の台風の影響か>
7月16日(木)  <早朝に激しい雨音・・・>
早朝に激しい雨音で目を覚ました。木曜日はテニスの日だが、これほどの豪雨だとあきらめがつく。テニスの代わりに今日は先日のフランス旅行のアルバム作りをやった。最近はデジカメ写真をパソコンに取り込むとそのままで一昔前のように印刷をしてアルバムを作ることがなくなってしまった。けれども今回は違う。旅行に一緒に行った親戚・家族が喜ぶならとアルバム制作をやっている。写真はPhotoshopのソフトを使って加工してA4サイズに貼付ける。写真ごとにサイズや形を決める手間がかかるが好みをだせる。今はもっと簡易なアルバム作りがあるとは思うが、私はPhotoshopを外せない。今日頑張ってやったのでようやくA4サイズで64枚の原版が出来上がった。印刷も先ずは順調に進行中。雨の日もまた何かははかどる。
7月17日(金)  <刃ものの傷はなおるが・・・>
「刃ものの傷はなおるが、言葉の傷はなおらない」と日めくりカレンダーにあった。まさに「トラウマ」のことを言っている。トラウマとは「心の傷」。「心的外傷」と訳されることが正式のようだが、「心的」も「外傷」も専門家が命名したような言葉で個人的には好きではない。「トラウマ=trauma」は古代ギリシャ語の「傷」を意味し、心理学者のフロイトが精神的な傷の意味で使ったので広く普及したようだ。トラウマは幼児期の虐待やいじめ、災害など特別な事例も多いだろうが、ごく一般的な人が「心の傷」を負うのは「言葉」である。誰でもが子どもの頃に受けた教師の一言を一生涯覚えていたり、大人になっても相手の一言で傷ついてばかりいる。大抵は相手が”傷つけた”などとは全く思ってもいない。反対に自分がグサグサと相手を傷つけているとも思わない。逆に考えると「傷」は自分を被害者にすることで傷口を大きくしていることもある。被害妄想でいると何でもが傷になる。言葉の傷を与えないように気をつけるのは勿論だが、自分の受けた傷を直すには”忘れること”でないか。自分も加害者かもしれないと思い、受けた言葉をただ忘れる。そうすると「傷」はなおるに違いない・・。
7月18日(土)  <鉄は熱いうちに打て・・・>
「鉄は熱いうちに打て」という。この若いうちに鍛えろという諺は鉄の鍛造作業では実感のこもった言葉である。1100~1250℃に熱した鉄を冷えて固くなる前に打つことにより粘りのある強い鉄ができる。陶芸で粘土をいじっていると、やはり作業のタイミングを考える。カップの取っ手を本体に接続するなど別体の粘土をくっつける場合には粘土が乾かない時期を見計らってやらなければならない。タイミングを間違えると破断したり割れが発生する。教訓として「少年老い易く、学成り難し」も同じ人生のタイミングのことを言っているが、最近私は人間の行動のタイミングは安易に決めつけてはならないと思うようになった。人間の場合、自分で固まってしまうことなく柔軟性を維持していれば歳を取ってからでもいくらでも”叩きがい”がある。「打つ」ことによって若い頃よりもはるかに鍛えられる事例をいくつも見ている。人間が鉄や粘土と異なるのは固まるかどうかがその人次第であること。自分が完成された固いものと誤解しなければ何歳まででも鍛えられるのでないか・・。
7月19日(日)  <バランス年齢20歳です・・・>
「バランス年齢20歳です」とまた言われた。続いて「実年齢のマイナス54歳です」とアナウンスしてくれる。毎日、ただ習慣として継続している任天堂のWiiを使ったバランス計測、テレビ画面を使ったテストの話だ。テスト台に乗った状態で、バランス計測と称して日々内容が異なる2種類の計測を行なう。その組合せによって得意、不得意があるが、今日のテストは、一つは重心を移動させて次々に表れる標的を時間内にいくつ倒せるかを計るもの、もう一つは1から9までの数字が画面上にランダムに表れて、4より大きな数字の場合のみに重心を移動させて撃墜するというもの。Wiiの計測はもう数年続けているので2番目の計測などは先ず満点がとれる。苦手なのは片足で立って重心の変動を指定の幅以下に抑えながら30秒続けるテストや重心を狭い中央部に維持したまま手に持った道具で数字に当てるテストなど。それにしても余程失敗してもマイナス10歳、普通はずいぶん出来が悪い時でもマイナス40歳ほどにはなる。これでは年齢査定の意味がないし有難味もないと言いながら毎日続けるのはやはり巧くできているのか・・。
7月20日(月)  <今日は「海の日」・・・>
今日は「海の日」で休日。月曜日はテニスの日だがウィークデイ会員であるので休日にはプレーできない。その代わりに以前から何度か準備をしてきた人工芝の敷き詰を95%完成させた。人工芝を敷くためには雑草を除去して整地する前準備が一仕事。それさえ終われば先ずは除草シートといって日光を通すさない黒いシートを地面に仮止めしてその上から人工芝を敷く。今回は1m幅で長さが10mのロール芝を使った。除草シート、人工芝、それに留め具などはインターネットで容易に入手可能だ。自分の住んでいる場所ではない狭い庭であるが、草ぼうぼうであった庭がスッキリとした空間に変わった。作業の後知人(親戚)宅で飲んだビールは格別。気持ちのよい汗とはこういうものかと思う。
7月21日(火)  <陶芸教室の仲間・・・>
陶芸教室の仲間にもいろいろと変遷がある。陶芸を始めた男性で茶碗や皿などを制作していたが、奥様からもう食器は十分といわれて以降作品を家に持ち帰ることができずに別宅に置いていた人がいた。年末に保管していた陶芸品を燃えないゴミで処分したというから哀れである。実際に家に置き場がなくて陶芸を止める人は結構多い。20年も陶芸を続けてきたベテランの男性は山登りを始めたことを理由に教室に来なくなった。男性でも女性でもよくあるケースは食器から花器、置物など好きに制作をしてきて、ある時からもう制作するものがなくなったといって中断してしまうこと。これは展覧会など発表の機会をうまく設定しない教室としての”動機付け”のまずさもありそうだ。趣味で絵を描くサークルをいくつか知っているが毎年1〜2回の発表会を目指して絵を描く人たちが普通だ。展覧会があると描く対象がないなどと言う暇はないのだ。今日、陶芸教室でまたまた役には立ちそうにないオブジェを制作してきた。展覧会で誰かに見てもらう当てもなく、とにかくも制作したものを家に持ち帰ることが許されるだけでも感謝しなければならない。
7月22日(水)  <小泉八雲のこと・・・>
小泉八雲のことをもう少し知りたくなった。今朝6時からのNHK教育テレビで小泉八雲の「日本の面影」が紹介されていた(第三回/再放送)。西欧人には理解できなかった”日本人の微笑み”について日本人でも思いつかない視点で見事なまでに八雲は分析している。悲しい時の微笑みを「究極の克己心にまで達した謙譲」や「他人への気遣い」のあらわれと読み解く八雲の感性はどこから来たのか。番組では「相手の立場になりきる」資質といっているが普通の西洋人にはできない。小泉八雲というと英国人ラフカディオ・ハーンの日本名で日本を世界に広く紹介した人物程度しか知らなかったが、なかなかの苦労人でもあったようだ。1850年ギリシャでアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。幼少時にアイルランドに戻るが父母は離婚。イングランドで学ぶ途中16歳のとき左目失明。家は破産して退学、その後フランスで学んだ後に19歳でアメリカへ渡った。来日したのは1890年、39歳のとき。1891年小泉セツと結婚、1896年日本に帰化、小泉八雲と名乗る。1904年狭心症のため東京で死去(享年54歳)。こうしてみると経歴だけを連ねるよりも、やはり遺産というべき著作を読まなければと思う。
7月23日(木)  <表紙に今日の作品・・・>
表紙に今日の作品として「ユニコーン/mieuへの絵手紙」(ペン&水彩)を掲載した。今日、木曜日はテニスの予定であったが朝から小雨。それではと久しぶりにmieuへの絵手紙を描いたもの。先月パリを旅行した際に訪れたクリュニー中世美術館で見た「貴婦人と一角獣」というタペストリー(つづれ織り)に描かれた絵柄を参考にして描いた。六枚のタペストリーにはユニコーン(一角獣)一頭と若い貴婦人が描かれているおり、六枚それぞれに六つの感覚を表現するという手の込んだ作品群が原版だ。実は旅行に同行した孫娘mieuはこの「貴婦人と一角獣」の前で長時間動かなかった。味覚・聴覚・視覚・嗅覚・触覚などの感覚が表現されていることを大人に解説しながら絵に見入っていた姿を思い出す。そんなmieu宛に三頭のユニコーンを配した絵手紙は少々気が引ける。「貴婦人と一角獣」が制作されたのは15世紀末。一角獣(ユニコーン)は額の中央に長い角が生えた馬に似た伝説の獣。ライオンの尻尾、ヤギのあごひげが特徴で長く鋭い一本の角は強靭で象をも一突きで倒すとされた。獰猛なユニコーンは唯一人間の若い娘さん(処女)に弱いとされて乙女の膝の上に頭を乗せて休んでいるユニコーンがよく描かれたようだ。今回の絵手紙は絵はがきより大きなサイズになったので定形外郵便として送らなければならない。

7月24日(金)  <午後、陶芸教室にいく・・・>
午後、陶芸教室にいくのに自転車でなくバスを使った。三軒茶屋までバスで行き、その後、陶芸教室まで歩くと適度なウォーキングになる(バスでは5駅ほどの距離)。家を出る時には雨の気配さえなく雨の予報もなかったのに、歩き始めるとパラパラ雨が降り始めアッという間に本降りになった。陶芸教室に駆け込むと今度はピカピカ、ゴロゴロが始まり、猛烈な雷雨となった。最近経験したことのない直近での雷鳴が続く。その内に突然教室の電灯が消えた。10分ほどで停電は復旧したが東京で停電は極めて珍しい。後で聞くと落雷で電車も運休したという。夕方、家に帰る頃には雨も上がり何事もなかったように穏やかな日暮れ。テレビでは気象予報士のおじさんが局部的な気象は表現し難いですねと平然としている。雨も雷鳴も局部的で片付ける気象予報士はいらない。<今日の写真にはこの日粘土の削りに入った花器型オブジェの写真を掲載。写真を撮った時刻に雷鳴が轟いていた>
2015-07-24@陶芸教室
7月25日(土)  <暑が続く今日描いた・・・>
暑が続く今日描いた「無題の絵はがき/mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を表紙に掲載する。この絵はがき実はまだ完成とはしたくないが、未完成図を掲載するのもいいことにした。いま改めてこの絵を見ると真夏の暑い最中に描いたのは分かるが清涼感はない。いっそもっとゴタゴタしても面白いと思うが整い過ぎている。抽象画にしても直線ばかり目立つ・・とか何でも言える。それなら自分の好きなようにやれよ・・。”未完成品”というならば早く完成品をだせという声が聞こえる。明日の日曜日に完成させるから今日はこんなところで・・。
   2015-07-26 掲載分
7月26日(日)  <朝、6時25分からのテレビ体操・・・>
朝、6時25分からのテレビ体操をする時に室温は30℃を越していた。テレビに合わせて体操するだけで汗をかき朝食前にシャワー。東京都心で35.8℃を記録した昼頃には猛暑の中ベランダで配管のペンキ塗りをして、その後シャワー。夕方には他の用事に合わせて自由が丘のスーパーまで歩いて買物に行き、帰宅した後シャワー。その間に、昨日掲載した「mieuへの絵手紙」を改変した(表紙に掲載)。こういうものは加筆した箇所の理屈を言っても始まらない。加筆前と後を並べてどう見られるか・・。描いた本人は深く考えずにただ本能に任せて手を動かしただけ。もし、明日も描き続けると際限なく変わって行くかもしれない。どの時点を完成とするかが好みで決まり、 加筆して良くなるか悪くなるかが何とも判定できないのが絵の面白いところでしょう。 <今日の作品は上に掲載>

7月27日(月)  <芥川賞を受賞した「火花」・・・>
芥川賞を受賞した「火花」(又吉直樹著)を読み始めた。10日ほど前に本屋で購入しようとしたら”売り切れ”の張り紙があり、”次の入荷は25日以降の予定です”とあった。25日を過ぎてまた本屋に行ってみると入荷した本が既に完売していた。いま読んでいる本はその後一冊だけ残っていた本を購入したもの。凄まじい売れ行きだ。以前、芥川賞の受賞作を文芸春秋で読んだとき退屈で途中から読み進めることができなかった経験がある。純文学小説には警戒感もあったが今度の又吉作品は面白く読めそうだ。今日の午前中は熱中症に注意をしながら猛暑のもとテニスで汗を流したが、午後は冷房の効いた部屋で「火花」を読んだ。冷房の中でいい本を読むと何事にも代え難い贅沢な気分になる。これからも一気に読了すことなどせずに毎日少しずつ読み進める真夏の贅沢時間をとりたい・・。


7月28日(火)  <カードを大整理・・・>
カードを大整理した。少し気分的に余裕が出てきた証でもあろうか。一年前に転居してきて未だ片付けていないものは沢山あるが自分のカード類もその一つだった。カードと言っても種類が多い。普段サイフの中に最低限の乗り物カードや銀行カードを持ち歩いているが、机の中にしまい込んでいたり財布に入りきらなくて一時的に置いているカードを合わせて並べてみるとものすごい数になる。正確に数えもしなかったが50枚は下らない。それ以外に古い名刺類も整理の対象とした。枚数が多い割にほとんど使わないテレホンカードを先ず思い切って処分した。まだ度数が残っていても構わず捨てた。銀行カードも最新のカードと一昔前のカードがだぶっているものをその場で退会届けの電話をしてカードを切り刻んだ。Suica専用カードもまだ持っていたがSuica以上の機能があるカードを使っているので処分(駅に持ち込み)。その他家電量販店のカードも何枚もだぶってもっているとか病院のカードなどなど実に多くのカードの囲まれている。今日のところは第一ラウンドで、また次に整理をする機会を設けなければならない・・。
今日の写真は昨週(7/24)に掲載した製作中の陶芸と同じもの。陶芸教室での途中経過を写真に撮った。
2015-07-28陶芸教室にて
7月29日(水)  <先のことなど分からない・・・>
「先のことなど分からない」。そう開き直ればまだ可愛げがあるが”気象予報士”が外れた予報の言い訳ばかりするのは無様だ。ある気象予報士が今年は台風が予想外に次々にやってきたため当初の見込みが外れて猛暑が続くと解説していた。事後の理由付けは誰でもできる。別の気象予報士は”天の気”だから正確に分かるはずがありません、と白状していた。これは正直でいい。先のことを”読む”専門家は多いが確率と可能性を予測するだけで誰も先のことは分からない。政治体制がこの先どうなるか。ソヴィエト連邦の崩壊を予測した人を私は一人だけ知っている。株価がどうなるかを世界中の専門家が予測しているが当たれば苦労しない。競馬の予想で大部分の人は損をする。自分の命のことさえ”読めない”。「先のことなど分からない」から「なるようになる=ケセラセラ=Whatever will be, will be.」とドリス・デイが歌ったのは60年も前のことだった。(You Tubeで久々にドリス・デイの歌を聴いた=ここ)。いつの時代でも過ぎ去ったこと、これから先のことをくよくよ考えてもしようがない。「なるようになる」と割り切って自分の思う道を進もう・・。
7月30日(木)  <木曜日のテニス・・・>
木曜日のテニスは3週間ぶり。先週、先々週ともに雨でできなかった。木曜日にテニスをするグループは年寄り組なのでただでさえ猛暑日には欠席者が増える。今日は通常のメンバーは揃わず初めての若手と組んでプレ−した。相手の組も普段は対戦しないメンバー。パートナーの技能や相手の球筋、くせなどが分からない時にはいつもにない緊張感がある。暑さや流れ落ちる汗でときどき集中力が途絶えることはあったが、2時間余を楽しく、面白く、そして無事にプレーできたことに感謝。
日めくりカレンダーの30日分:「自分は手も出さないで人のやったことに口を出すな」(荒了寛)
7月31日(金)  <今日、7月31日はクラーク博士・・・>
今日、7月31日はクラーク博士(1826〜1886)が生まれた日。クラーク博士は明治初期の「お雇い外国人」の一人で今でも北大の構内にある「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」はクラーク博士の残した言葉として知られる。長年札幌農学校の指導に当たっていたのかと思っていたがWikipediaによれば日本に赴任していた期間はわずか8ヶ月であったようだ。それにしては後世に多くの影響を与えた。明治の時代には西欧に”追いつき、追い越せ”のスローガンのもと多くの外国人先生を招致した。クラーク博士は短期間だったが日本の文化に心酔し日本に永住してしまった外国人も少なくない。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)やコンドル(建築家/辰野金吾など創成期の日本人建築家を養成した)なども然り。美術部門ではフェノロサの影響は計り知れない。いま考えると実に良い先生方に恵まれたと思える。昭和期ではあるがナチスに追われて来日した建築家ブルーノ・タウトが日本人が意識していなかった桂離宮の美を発見して世界に広めたこともよく知られている。全く異なった文化圏から来た人を感動させるものを造り上げていた日本の先人たちを誇りに思う。
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