これまでの「今日のコラム」(2015年 8月分)


8月1日(土)   <世の中の 重荷おろして 昼寝・・・>
「世の中の 重荷おろして 昼寝かな」(正岡子規)。適度に冷房のきいた部屋で昼寝をするのは”極楽”の気分である。ところが冷房なしではとても昼寝もできない。子規に限らず昔の人は冷房なしで当たり前に夏を過ごした。熱中症にならぬように注意されたこともないだろう。芭蕉の俳句をみても暑苦しい句はなくむしろ清涼感のある夏の句ばかりある:「暑き日を海にいれたり最上川」。現代の夏の特別な暑さはコンクリート造りによるところも大きいようだ。今の我が家は最上階なので熱せられた屋上コンクリートの熱がいつまでも続く。朝6時前に起床して居間の室温を見ると32℃を越しているし、昼間に寝室の温度を見ると何と37℃であった。冷房はいまや不可欠な設備と心得て冷房のお世話になる。それでも猛暑の日中に街を歩くこともやっている。「飲みたい水が音たてていた」(山頭火)。


8月2日(日)   <絨毯の模様・・・>
絨毯の模様を細かく見て感動してしまった。これまで絨毯の模様などほとんど気にすることなく毎日踏みつけていた。たまたま今陶芸で制作しているオブジェ風花器にどんな模様を付けるか思案中。自分流の抽象模様を考えてはいるがもう少し変わったアイデイアがないか模索していたのだ。そんなとき、ふと足下の絨毯の図柄が目についた。何枚かある絨毯の図柄はそれぞれに面白い。中でもペルシャ絨毯の図柄を見始めると止まらなくなった。樹木や花を抽象化したもの、幾何学模様を組み入れたもの、花瓶をイメージしたものなどを巧みに文様として取り込んでいる。見るだけでなくトレーシングペーパーに写し取って改めてみると更に細かいところの図柄が見えてくる。目玉を二つも持っているのに普段は何も見ていなかった訳だ。自分のすぐ直近にある宝の山ほど気がつかない・・。

8月3日(月)   <猛暑の中のテニス・・・>
猛暑の中のテニスでもいろいろなことを試みる。今日は専ら如何に体力を温存するか、如何に疲労を少なくするの工夫。必要なところ以外ではエネルギーを消耗しないことがポイントである。これまでの経験では人は体力がある間はそれが継続できるものと思って使い過ぎる。ある限度までいくと身体が思うように動かず、そこでセーブしようとしても手遅れで元に戻らない。体調がいいと思う時に押さえ気味に動くのは案外に難しい。今日のテニスは受け身のプレーに終始したが最後まで身体は動いたし結果も良かった。持久力といってもトータルのエネルギーが大したことがないので「省エネプレー」に頼るのが一番である。なに〜、あなたのお金についても同じだろうと。その通りかも知れない・・。


8月4日(火)   <東京都心で観測史上初めて・・・>
東京都心で観測史上初めて5日連続の猛暑日(最高気温35℃以上)を記録したことが今日のトップニュース。気候以外に特別の話題がないのは天下太平の証だろう。こんな日でも外出するとそれなりに面白いものに遭遇する。まず東五反田で発見したのが馬の彫刻。東京デザインセンターという比較的新しいビルの脇の階段の正面に見事な馬の像が見えた(下の写真左)。その手前にイル・カヴァロ(II Cavallo/お馬さん)というイタリアンレストランがあるので、そのシンボル彫刻のようであるが正確には分からない。それにしてもこれまで全く知らなかったインパクトのある馬の像だった。その後、九品仏浄真寺に息子の墓参りに行った。月命日を二日ばかり遅れてしまったがいつものように墓参り&墓周辺の掃除。かえり際、寺の境内で「鷺草(サギソウ)」の花に出会った。この花は咲く時期が限られるため少しでもタイミングがずれると花は見られない。サギソウは世田谷区の区花であり九品仏浄真寺のサギソウは特に大切に管理されている貴重な花でもある。いずれも珍しい出会いが猛暑を忘れさせてくれた。
  
2015-08-04 馬の彫刻             九品仏浄真寺にて(下がサギソウ)
8月5日(水)   <生死のことを考えて・・・>
生死のことを考えてもどうなるものでもないが、現代の統計数値で生死をみると無力感を覚えることがある。この夏の猛暑続きで一週間で25人もの熱中症での死者が出たとマスコミが大騒ぎしているが、統計では日本での死者の数は年間約127万人(平成26年)。単純計算で一週間に2万6000人の人が亡くなる。当然のことながら熱中症で亡くなる人はほんの一部に過ぎない。日本の場合、新しく生まれる人は年間約100万人であるので人口減が心配される。一方、地球上の70億の人口に目をやるとゾッとする。大雑把に見れば世界中で一日に(!)20万人の人が生まれ、15万人の人が亡くなる。日本の全人口ほどの人数が何年かすると新たに増える勘定だ。どうも猛暑の中で地球の将来を思うより熱中症にならない算段だけをしている方が精神的によさそうだ。
8月6日(木)   <脚は二つあるから用をなす・・・>
脚は二つあるから用をなす。この当たり前のことを有難いと実感しながら自転車のペダルを漕ぎ続けた。自転車で長い上り坂を走る場合ギアチェンジするのでそれほど苦労せずに登りきるのが普通だったけれども今日は違った。朝からの強い陽射しと暑さのためか自転車での上り坂はかなりきつい。脚の筋肉を感じながら必死に坂を上っていると、脚を交互に使うからこそ自転車を走らせることができると理解したのである。急な上り坂では脚の筋力の限界まで踏み込み、一瞬後にはもう片方の脚へ移動する。このとき前に使った脚の筋肉は一休みできる。一瞬の休み休みを繰り返しながら両足の筋肉は重負荷にも耐えることができる。手や耳、目なども身体には二つあり一つでも完全ではないが一応の役割をこなす。けれども脚は一つだと用をなさない。ただのウォーキングでも二つが必要なことは同じ。筋肉を交互に休ませるメカニズムは正に造化の妙であろう。
8月7日(金)   <ケイタイを使おうとするとすると「高温注意」・・・>
ケイタイを使おうとするとすると「高温注意」の表示が出た。スポーツバッグのポケットにiPhoneを入れたまま運動をしてiPhoneを取り出した時の話である。その下に「iPhoneを使用するには温度が下がるまでお待ちください」とあり温度が下がるまで使うことができなかった。こんなことは初めてであったので調べてみた。iPhoneの場合”許容可能な動作温度”が定められている。通常の使用環境温度範囲は0〜35℃、保管温度範囲は−20℃〜45℃である。今回は保管温度の上限45℃を越えたために「警告メッセージ」が表示されたものと思われる。今日は東京都心で最高気温37.7℃となり今年一番の暑さとなった。都心で8日連続の猛暑日(35℃以上)であり、猛暑日の連続記録を更新したという。猛暑の時にはケイタイも使えなくなることがあるぞ・・。
8月8日(土)   <暑さの中で以前読んだことのある本・・・>
暑さの中で以前読んだことのある本をとりだしてページをめくっていると新鮮に思える箇所があったので書いてみよう。「脳にいいことだけをやりなさい」(茂木健一郎訳、三笠書房)の中に、「人間の脳は一日に6万個の物事を考えていて、その95%は前日も前々日も考えていたこと」とあった。問題なのは「その習慣的な考えの80%がネガティブなもの(マイナス思考)」。だから「プラス思考」は努力をしなければ身に付かないという話。実際に人は10の褒められたことより一つの批判されたことをいつまでも記憶している。被害妄想まででなくても真実とはほど遠い思い込みで悲劇のヒロインになりたがる特性がある。そこで脳を丸め込んでも(これは私の表現)ストレスの少ない脳にする必要があるという訳だ。具体的には「とりあえず感謝してみる」とか「人を許す」とか「瞑想する」など。夜眠る時にその日一日の感謝するべきことだけを思い出す習慣にすると脳はパッピーになり元気が出るとはよく言われる。猛暑であるからこそビールがこれほどに美味しい、これ感謝。
2015-08-08 今日の夕日
8月9日(日)   <谷中の瑞輪寺に墓参り・・・>
谷中の瑞輪寺に墓参りにいく。義兄の月命日は11日であるので2日早いがこだわらない。今日はこのところの猛暑が少し収まったものの気温はまだ30℃以上あった。墓参の後、日曜日の谷中の街を散策。続いて千駄木から地下鉄千代田線で表参道へ。青山学院のアイビーホール青学会館で開催された演奏会を聴きに行った。81歳になる妻の兄が合唱に加わりバッハの「ロ短調ミサ曲」を歌ったのである。バッハセミナー受講者の100人近い合唱と器楽であったが統率がとれた力強い演奏。ミサ曲で歌われる「キリエ・エレイソン(主よ 憐れみたまえ/主よ、憐れんでください)」の深い意味は実は理解していないのだけれど音楽として十分に楽しめた。それにしても80歳を越して迫力ある大声をだせる兄には脱帽。
 
2015-08-09 谷中瑞輪寺  &  谷中風景
8月10日(月)   <夏休みの特別講習でコンピュータサイエンス・・・>
夏休みの特別講習でコンピュータサイエンスを受講した孫娘Mieuがとても楽しかったと話をしていた。孫娘はニューヨークに住む中学生。9月から始まるハイスクール(現地)の授業で一年間のコンピュータサイエンスを受講する必要があるが、この夏休みに5週間の集中講義にでて試験に合格すれば単位がとれるシステムがあり受講したという。孫娘の学校では宿題の提出など生徒と教師とのやりとりは全てi-Padの通信を使い、メモや記録を含めて紙のノートは一切使わないという。その割に教師や仲間とはずいぶん丁寧な議論や意見交換がなされているようだ。夏期講習というと日本ではほとんど受験のため。暗記して模範解答を知るエキスパートとなっても将来正解のない問題に対処できるかは分からないなどと理屈を言わず受験優先だ。一方ではコンピュータという現代の道具の仕組みを知り、自分で道具を作り遊んでみる。受験と関係のないこのような夏講習の方を私も選択したい。

8月11日(火)   <朝10時の開店と同時に・・・>
朝10時の開店と同時にシャッターが開くのを待ってホームセンター(島忠)へ。植物への自動水やり装置の部品を予定通り手に入れて、続けて自動車のガソリンスタンドへ。セルフのガソリンスタンドであるが店員さんの世話になって割引支払。朝から自動車での行動を始めたのはお盆休みの直前で東京都心の車の数は激減していると予想したからだ。思惑通りに道路には車数が少なく走りやすい。思惑が外れたのは今日の暑さ。暑さのピークは過ぎて少しは過ごしやすいかと期待したのに今日も都内は35.5℃の猛暑日だった。午後も外出して数時間水も飲まずに身体を動かして過ごし、家に帰ったらぐったりしてしまった。やはり水分補給を忘れるべからず。今日、8月11日は来年から「山の日」の休日となる。「平日会員」である私なんぞは来年のこの日にはおとなしくしなければならないか・・。


8月12日(水)   <家庭菜園の自動水やり・・・>
家庭菜園の自動水やりに凝り始めた。水分センサーを供えた自動給水装置は先月の海外旅行のときに威力を発揮して、留守宅の菜園ではしっかりと植物が育っていた。基本的には一日二回のタイマー設定などで十分だが給水の分布や数をベストの状態にするべくテストを繰り返しているのだ(現在給水ノズルは8個から10個)。不在のときに限らず普段でも自動給水の方が確実。それでも在宅のときには土の具合と植物の状態を観察しながら必要に応じて水をやる。まだ試行錯誤の最中であるが、このような菜園を作り植物を育てる初めての経験にいささか苦笑気味である。一年前に現在の場所に転居する前は、一階の自分の家で庭もあったが、共同庭の制限があったため菜園作りは一切やらなかった。今は借家であるが自由に菜園作りができる。自由にならない自分のものより自由になる他人のものの方がはるかに嬉しい・・。
8月13日(木)   <久しぶりに根津美術館・・・>
久しぶりに根津美術館(東京・南青山)を訪れた。今日は朝から雨が降ったり止んだりでテニスは諦めた。その代わりにと出かけたのが前から行きたいと思っていた根津美術館。開催中の展覧会は「絵の音を聴く**雨と風、鳥のさえずり、人の声」(9/6まで=ここ)。絵を見て「音」を想像するというテーマが面白かった。絵を見て自分で自由に想像を膨らます中で「音」までも取り入れると確かに世界が更に広がる。昔の中国で家に横たわりながら山水画を鑑賞し山水に遊んでいるが如く想像しながら楽しむ「臥遊(がゆう)」の言葉が紹介されていた。「身を横たえて想像で遊ぶ」ことを覚えた。まさに涼しげな絵画の中に入り込んで想像するだけで暑さを忘れる。
 
2015-08-13  根津美術館入り口 & ロビー
 
根津美術館庭園にて<予報に反して午後には雨は降らなかった>
8月14日(金)   <お盆休みを旧盆・・・>
お盆休みを旧盆(月遅れのお盆)としたのはどうしてだろう。今日は旧盆の中日、お盆休みの真っ最中。毎月、息子の月命日に墓参りをしているけれども、今日も世田谷の九品仏浄真寺の境内にある墓にお参りをした。一方でお盆の時期に先祖の霊が戻ってくるのを迎えたり送り出したりという習わしを忠実に守ることはしない。形式にとらわれず気持ちとしては年間を通して祖先や息子の霊とつながっている。今日は同じ境内にある母の父母、つまり私の母方の祖父母の墓にもお参りをした。母方の祖父は寺田寅彦とも交流のあった理学者であったが私は寺田寅彦全集を譲り受けるなど大いに影響を受けた。祖父のことを思い出すのもやはり「お盆」のためか。最近は何かと「諸行無常」を感じることが多いがその中に全て「因縁」がかかわっている。
 
2015-08-14 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて  右の百日紅(サルスベリ)も境内
8月15日(土)   <東京・目黒のブドウ園・・・>
東京・目黒のブドウ園で妻がぶどう狩りをして土産に沢山のブドウを持ち帰った。昨年今の場所に引越をしてきた時には知らなかったが家から歩いて行けるほどの距離でぶどう狩りをできると教えてくれる人がいた。今日、妻が誘われて行ってみたのだが、駒沢オリンピック公園のすぐ側にブドウ農園があるとのこと。私の方はインターネットで調べてみると目黒区には2カ所、世田谷区には何と8〜10カ所もぶどう狩りができる畑があることを知った。東京で収穫したブドウは少々高価であったがとても美味しかった。
 
2015-08-15 目黒のブドウ     右は我が家の日日草
8月16日(日)   <野球のテレビ中継・・・>
野球のテレビ中継は真夏の風物詩のようである。今日行なわれた甲子園での高校野球第三回戦は四試合ともに一点差という珍しい試合展開だった(4-3で秋田商、仙台育英、興南が勝ち、1−0で関東一が勝ち)。それはともかく、テレビの前で野球を見ていると以前からカメラワークが非常に気になってしようがない。プロ野球中継でも全く同じであるが、ピッチャーの投球時にピッチャーのほぼ背中の位置からキャッチャー方向のアングルで撮影している。おそらくは外野の一番奥の席から超望遠レンズを使っているのだろう。確かにこのアングルならばホームベースを通る球筋やキャッチャーの動向がよく分かる。けれどもこの画像は実際の野球場では決して見ることのできないもの。そして現場でみるピッチャーの剛速球は感じられない。野球を見る醍醐味はサードベースとか一塁ベース側の観客席でピッチャーが投げ込むスピードを感じることである。勿論バッターが打った時の打球の速さもテレビではほとんど感じることができない。カメラをサードベース辺りに設置しているとスピードがそのまま表現できると思うのだがどうだろう。ワンパターンに微細なストライクゾーンの球筋ばかりを追うことを止めてテレビ中継の独自アングルをもっと工夫して欲しい。
8月17日(月)   <国宝・曜変天目茶碗・・・>
国宝・曜変天目茶碗をみてきた。今朝は朝から土砂降りの雨。迷うことなくテニスはできないので代わりにサントリー美術館(東京‐ミッドタウン)に行ったのである。開催中の展覧会が「国宝・曜変天目茶碗と日本の美」(9/27まで、案内=ここ)。曜変天目茶碗とは室町時代に唐物として珍重された天目茶碗の中でも大小の星のような斑紋と美しい光彩を放つ最高峰の茶碗である。不思議なことに同じような茶碗は中国にも残っておらず世界で3つしか確認されていない。その全て、三点が日本にある(いずれも国宝に指定)。陶芸の長い歴史の中で釉薬や焼成の条件を変えて曜変天目の模様をだそうと試みられているが成功していない。いまサントリー美術館で開催中の展示物は曜変天目茶碗(写真=ここ)を含めてすべて大阪の藤田美術館所蔵品。もちろん、曜変天目茶碗も興味深かったが、私としては快慶作の「地蔵菩薩立像」に感動した。決して大きくない像であるが、実に繊細なで品格がある菩薩像だ(写真=ここ、あるいは=ここ)。雨の日は雨の日でまたたのし・・。

2015-08-17 東京ミッドタウンにて
8月18日(火)   <表紙の「今日の作品」に「家紋/Mieuへの絵手紙」・・・>
表紙の「今日の作品」に「家紋/Mieuへの絵手紙」(水彩&ペン)を掲載した。今時「家紋」とは何事か・・。先日、陶芸の仲間の知り合いがオーナーをやっている創作和食風の店で開催された陶芸仲間の食事会に参加した。その店の名刺や店内の案内板に「家紋」が印刷してあり、見覚えがある家紋だと思ってじっくり見ると我が家の家紋と全く同じであることに気がついた。「丸に剣片喰(けんかたばみ)」といって「剣」とクローバに似たハート型の葉に特徴がある「カタバミ」を組み合わせた家紋だ。といっても父母がいる時には家紋の入った箱などを見たことがあるが今現在家紋の入ったものを引き継いだことがない。兄弟姉妹の誰かが持っているかも知れないが最早家紋とは無縁である。それにしてもこれは娘や孫娘にかつての家紋を示すチャンスかも知れないと「Mieuへの絵手紙」を描いた。「剣カタバミ」の家紋は日本の中でも比較的多い家紋の一つのようだ。ハート形のカタバミの葉を三つ均等に配し均整のとれた人柄と知力を示し、カタバミが非常に繁殖力が強いことから家運隆盛、子孫繁栄の縁起を担いでいると言われる。「剣」は男子とか武家の象徴であろうか。こうしてあらためて家紋を描いてみると我が家は継続する「家」を持たないと複雑な気持ちになる。

8月19日(水)   <準決勝の4校が全て 東日本勢・・・>
準決勝の4校が全て 東日本勢という珍しい事態となった高校野球。いずれも評判の名門校が今日激突したが結果的には打撃で注目されたチームが卓越したピッチャーを有するチームに大敗した。先ず高校一年生にして身長184cm、体重97kgという巨漢バッター清宮がいる早実(西東京)は仙台育英(ピッチャー佐藤)に0-7で完敗。一方、ナイジェリア人の父を持ち50m走6秒をきるという俊足の好打者オコエ瑠偉を擁する関東一(東東京)は152kmの速球で評判の投手小笠原のいる東海大相模(神奈川)に3-10で大敗。いずれも予想外の大差なので負けたチームも未練どころではない。けれどもこの惨敗は長い目で見ると清宮やオコエにとって神が与えたとでもいうべき貴重な体験となるだろう。負けることで従来よりの飛躍が期待できる。
8月20日(木)   <「目黒寄生虫館」・・・>
「目黒寄生虫館」を訪れた。今日、木曜日は先週に続いてまた朝から雨。今週月曜日も雨だったので、このところテニスができない。その代わりにでもないが以前から知人に勧められていた「寄生虫館」に行ってみたのである。今住んでいる所と同じ目黒区の大鳥神社の側にあり何度も前をバスで通るのだが、これまで行くチャンスがなかった。目黒寄生虫館(=ここ)は「寄生虫を専門に扱った世界でも唯一の研究博物館」と紹介がある通りユニークな博物館だ。この博物館は医師で生物学者(寄生虫学の世界的権威)の亀谷了(かめがいさとる/1909〜〜2002)さんが1953年に私財を投じて設立したもの。亀谷さんの著書「寄生虫館物語」(文春文庫)の副題に”可愛く奇妙な虫たちの暮らし”とあるように、寄生虫への愛情に溢れているところが微笑ましい。寄生虫は寄生する相手の生物(宿主)を離れては生きていくことができないので宿主に致命的な害を与えないとされる。長さが8.8mの巨大なサナダムシの標本が展示してあったが、これは人間の腸内に寄生していたもので駆除されるまでに人体は深刻な影響を受けていなかったという。他の生物の体内に宿る以外に生きていけない生物の数々を見ていると「生き物」の不思議を思う。
8月21日(金)   <有栖川宮記念公園・・・>
有栖川宮記念公園(東京‐港区南麻布)には何度も訪れたことがあるが、有栖川宮についてはそれほど関心を持ったことはなかった。今日、所用で広尾に行ったついでにこの公園に立ち寄り、園内の「有栖川宮熾仁親王銅像」の説明をみて興味を持った。更に調べてみると知らないことばかりで面白い。有栖川宮熾仁親王(たるひとしんのう/1835〜1895)は幕末の動乱時に京都の公家の中では長州と縁戚があることもあり長州系攘夷派の急先鋒であった。長州が朝敵となった時には謹慎させられるが生き延びた(ちなみに徳川家茂の正室となった「和宮」と熾仁親王は婚約していたという)。そして大政奉還後、薩摩・長州藩を主体とした明治新政府が樹立された後には復権し、旧幕府勢力と新政府軍が戦った戊辰戦争では西郷隆盛らに補佐されて大総督を勤めた(西南の役では新政府軍の総司令官として西郷隆盛を盟主とした反乱軍を鎮圧する運命)。・・このような親王の広大な屋敷跡がいま都心に残っている。

2015-08-21  有栖川宮記念公園にて
8月22日(土)   <先日、宮本三郎記念美術館・・・>
先日、宮本三郎記念美術館(世田谷区奥沢)に行ってみた。宮本三郎(1905〜1974)は戦時中は従軍画家として藤田嗣治や小磯良平らとともに南方戦線へ派遣された。戦後は一転して小説の挿絵を描いたり花や裸婦、芸能人など幅広い対象を描き人気画家となる。この美術館で特集していた展覧会が「写真家との対話」のテーマ。宮本三郎が”表紙構成”をした「カメラ毎日」とか「アサヒカメラ」などの雑誌が展示してあった。画家である宮本三郎は絵を描いたのでなく「構成」しただけで写真は早田雄二とか木村伊兵衛など専門の写真家が撮影しているのが今の感覚では信じられない。写真家の地位がそれほどに低かったのか画家のネームバリューが高かったのか・・。今であればどんな写真家だってやるような構成を筆を使わずに画家がやったのを見て、それならば私だって絵や陶芸の作品でなくて”構成写真”を掲載する手もあるぞと思いついた。下に写真を掲載してみたが、さすがに「今日の作品」とはできず「今日の写真」とする。
 
2015-08-22 左はテーブルマットとビールマットの組合せ
8月23日(日)   <「精霊の守り人」・・・>
「精霊の守り人」(上橋菜穂子著)を読み終わった。単行本での初版が1996年の本を最近の文庫本(新潮文庫)で読んだのだから随分と”遅ればせながら”であるが、上橋菜穂子はこの「守り人」シリーズで2014年国際アンデルセン賞を受賞したり、2015年の「鹿の王」で本屋大賞を受賞するなど大活躍中だ。この名著を今更コメントするつもりはないが、とにかく物語の展開がテンポがよく読みやすい。また決して一つの部族や地域に偏重しない人間の歴史に対する優しい視点や深い洞察にも心打たれる。私はたまたま先日「寄生虫博物館」を訪れて寄生虫の本も読んだばかりなので(8/20コラム参照)、第二皇子を宿主として精霊の卵が産みつけられて成長していく過程がまさに「寄生精霊」そのもので興味10倍だった。これからもっと上橋菜穂子さんの本を読んでみたくなった。
8月24日(月)   <速読で脳をトレーニング・・・>
速読で脳をトレーニングすると剛速球も打てるという話がある。テレビや本などで宣伝されているのをみて私もテニスに取り入れてみようと思った。今更ピッチャーの投げる150キロの剛速球を打ちたいとは思わないが、最近のテニスでスピードボールに対する動体視力が弱くなってきていると自覚する。速読は目を緊張させて素早く動かすと同時に内容を脳が把握し記憶するものであろう。そうするとテニスの場合でも動くボールを集中して見ると同時に一瞬にして腕や身体がどう反応すべきかを脳が判断する力をトレーニングするのに速読の技術は絶好でないかと直感した。速読のトレーニングはできていないが今日のテニスでボールを見る目の動きと脳を結びつけるように意識するだけでも効果があることが分かった。動体に対して目が集中してついていくと同時に視野も広くなる。これからの速読トレーニングが楽しみになってきた。
8月25日(火)   <京橋の画廊で開催・・・>
京橋の画廊で開催されている友人のグループ展を見に行った。現役をリタイアした人が集まって油絵や水彩など絵画を趣味として描いているグループが毎年京橋の同じ画廊で展覧会を開く。中にはi-Padを使って描いたコンピュータアートを大きく印刷して出展する人もいるなどプロの画家の展覧会にない多様な内容でいつも楽しめる。今日は友人だけでなく久しぶりに友人の奥様や20年ぶりの知人にも会うことができた。その知人は絵は描かないが何年間も古文書の解読を趣味で続けているという。それぞれの生活ぶりを聞いているだけで、こちらも元気をいただく。展覧会での興奮の後に、久々に京橋から銀座まで歩いた。伊東屋さんは全面改装、松屋の外観が一変、5丁目のライオンビアホールは建替え工事中で消滅など、目に映る景色がみな物珍しく新鮮・・。
 
2015-08-25 京橋界隈
8月26日(水)   <本屋さんの将来・・・>
本屋さんの将来を心配したことがある。Kindle本(アマゾンの電子ブック)など電子書籍は本当に便利でどこでも読書を楽しめるので本屋さんは成り立たなくなるのではと思った。ところが今日、自由が丘の本屋さんに寄ってみると、そんな心配は吹っ飛んでしまった。とにかく本の種類が多く活気がある。種類だけならば電子書籍の方が多いかも知れないが、本屋さんでは検索するのでなく目の前で現在どんな本が出版され、読まれているかを見ることができる。それにしても新刊書の数が多い。ものを書く人が今どんなことに興味があるのか本屋さんに行って本のタイトルを見るだけで分かりそうだ。著者も多岐にわたり本の題名を見ているとどれもを読んでみたくなる。少し前には品切れだった芥川賞受賞作「火花」(又吉直樹著)は今日は山積みになっていた。私が買った「火花」は読了した後、いまはニューヨークの娘宅にある。今日は迷った末に結局今年の本屋大賞を受賞した「鹿の王」(上橋菜穂子著)を買った。
8月27日(木)   <「今日の写真」(下)は・・・>
「今日の写真」(下)は今朝の5時45分頃朝陽を受けた居間で撮った。このように朝陽が映るのは今の時期しかない。さて、今日は午前中テニスで汗を流した後、自転車で45分かけて帰宅。昼食後にこの居間で少々非日常の体験をした。といっては大袈裟だが、ただテレビを消して本格的なスピーカーでクラシックのCDを聴いただけである。一年前に今の家に引越してきた時に前の家ではできなかったスピーカーシステムを一生懸命に作り上げた。けれども居間でくつろぐ時にほとんどCDを聴くことをしなかった。普段はあまりに”音を聴く”習慣がなかったので何か随分贅沢でゆとりのある時間に思えたのは意外なほどだった。午前中に存分に運動したから一層音が別世界のように感じられたのかも知れない。これからもテレビを消してCDを聴こう・・。
2015-0-27朝陽
8月28日(金)   <創作意欲は・・・>
創作意欲は気候が快適になれば湧き出るものではなさそうだ。芸術の秋といって秋がくればやる気が出るのなら苦労はしない。このところ猛暑が去り、過ごしやすい気候となっているのに我ながらもどかしいほど創作に集中できない。言い訳をしても始まらないが、転居してきて一年経っても家の中の整理ができていないので今になって不要品の処分だとか片付けばかりに時間を取られている。陶芸や絵を描く仲間の人を見ていても、”断捨離”だとか老後を考えて身辺整理をするなど特別の片付けを始めると、とたんに創作がストップしてしまうケースが多い。「創作」は世の中の必需品を制作する訳ではないから、無駄を承知で制作に励まなければ新しいものは生まれない。それと「創作意欲」もまたバイオリズムに似た周期的なリズムがあるようにも思える。このリズムは周囲の刺激で呼び起こされることもある。いまは、”外に出て”、”良いものを見て”、”人に会い”、刺激を受けることが必要なのではと思い始めた・・。「整理を止め、外に出よう」(寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」のモジリです)。
8月29日(土)   <食べきれないバジル・・・>
「食べきれないバジル」を今日の写真として下に掲載した。ガンバって作ったベランダの菜園にいまバジルが育って真っ盛り。このところ毎食バジルを採って食卓に加える。先日はクックパッドでみてバジルソースにも挑戦したがまだまだバジルの葉はなくならない。ベランダ菜園では食用と分けてのゾーンを作り、そこではいま日日草が咲いているのでこれも掲載した。雨模様の中、これから陶芸教室へ行き、夜は教室で食事会の予定だ。帰りは遅くなりそうなので今日は早々とコラム更新。
 
2015-08-29 食べきれないバジル & 日日草
8月30日(日)   <料理を自分で作る・・・>
料理を自分で作るとなると「クックパッド」が頼りになる。何年か前にしばらく妻が旅行に行った時にはグッチ裕三の料理本とかレシピのでている料理の本を参考にしたものだ。それが今は専らネット情報、中でも「クックパッド」を愛用している。昨夜は陶芸教室の食事会があり、笠間から来た御大の先生から自分の畑で収穫したという「オカワカメ」を土産にいただいた。私は「オカワカメ」を食べたことがなく、もちろん料理の仕方も知らない。今日は早速にクックバッドで調べてオカワカメで”ウマウマおつまみ”を作った。海のワカメのようにネバネバ、ヌルヌルしており栄養価が非常に高い野菜「オカワカメ」、別名「雲南百薬」はとても美味しかったよ。
表紙の「今日の作品」に「モンサンミッシェル/MIeuへの絵手紙(ペンと水彩)」を掲載した。モンサンミッシェルは孫娘、Mieuの家族と一緒に訪れた思い出の場所。

8月31日(月)   <今日はアナログ的な仕事・・・>
今日はアナログ的な仕事で成果をだせた。朝からまたまた東京は雨。テニスを諦めて急遽電気スタンドの修理に取りかかったのである。居間で使っている電気スタンドはデザインが気に入り30年以上愛用しているがライトがつかなくなっていた。配線が切れているのは間違いないがどこかが不明。細かく分解してスイッチやソケット、接続部分など断線しそうな箇所を順次点検したが問題なし。最終的には配管内部の貫通コードが途中で断線するという信じられない不良を見つけたが、この際活躍したのがアナログのテスターだ。以前にも書いたことがあるが、これは中学生の頃から使っているもの。修理もまたアナログ的で半田ごてを使い電線を半田でつないで直した。メーカーに修理を依頼したらコードを全て交換することもせずに新品交換となるだろう。こういう機会があるごとに苦笑するのはいま家庭で行なっている修理などの技能は全て中学生頃に遊んだ延長ということ。現代はコンピュータでもゲームでも、何でもいいけれどもやはり子どもの頃には存分に遊んだ方がいい・・。
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