これまでの「今日のコラム」(2015年 9月分)


9月1日(火)   <月が改まって今日から9月、長月・・・>
月が改まって今日から9月、長月。今年の8月の初旬は近来にない猛暑が続いたが後半は雨が多く気温が低かった。今日もまた雨。涼しくなったせいか、このところ急に「Mieuへの絵手紙」を描き始めた。今日掲載した「太陽」は”なんじゃ”と言われるかも知れないが、以前にも描いたことがあるとか、幼稚園生の絵か、何の意味か、などと一切構わず描いて、すぐに自分で宛名と文章を書いてニューヨークに住む孫娘のMieuへ投函してしまった。いつもは文章と宛名書きは妻の役目だが、今回はhigh schoolへの進学祝いとして出来るだけ早く「太陽」を届けたかった。一度、こういうデタラメな絵を描くと次々にもっとデタラメを描きたくなるから不思議だ。そういえば以前にはもっと思い切りの良い絵を描いていたのに最近はおとなしくなりすぎているような気もする。思う存分に過激にしたつもりでも他人からは”代わり映えしない”と見えてしまうのが絵を描く常識人の悩みか。やはり小品といえども絵画は奥深い・・。


9月2日(水)   <朝からの激しい雨が止む・・・>
朝からの激しい雨が止むと昼前には青空が見えてきた。午後、汗ばむほどの陽の光を浴びながらお墓参り。2日は息子の月命日である。お線香や鋏など墓参の準備に抜かりはなかったがお寺で売っている献花が一対1800円であるのには驚いた。近くのホームセンターでは一束300〜400円相当で売っている普通の花なのに。ともあれ雨上がりでほとんど訪れる人もなく墓のあるお寺の境内は静寂。緑の中で深呼吸した。そういえば今日は妻の誕生日でもあった。何をプレゼントしようか遅まきながら考える・・。
今日のニュースは五輪エンブレムがデザイン盗用問題で白紙撤回されたこと。私の意見としては決断が遅すぎたが当然とみる。五輪のエンブレムが盗用か否かの話でなく、デザイナーの佐野某さんの他の多くの作品で”パクリ”が認められた以上”こちらは違います”では済まない。今回ほどデザイン業界の実態を如実に教えてくれた事件はない。彼が勤めていた博報堂の影響も大きいのだろう。デザイナーが多くの人にアピールして稼ぐ宣伝や効率のいいシステムに浸りすぎている。
 
2015-09-02 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて
9月3日(木)   <紙に「山水図/Mieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「山水図/Mieuへの絵手紙」(水彩)を掲載した。根津美術館が所蔵している江戸時代後期の画家「谷文晁(たにぶんちょう)」の描いた山水画の模写。もちろんはがきサイズにイメージだけを描いたもので模写と言えるほどのものでもない。もっとも江戸時代に谷文晁が描いた山水画にしても実際に見た風景でなく中国の古画を模写したものではある。「学ぶ」は「真似る」からはじまると言われるように模写することによって一筆一筆、一つの点に至るまで原作者がどのように気合いを入れたかが本当によく分かる。そのような学ぶ期間を卒業してから次に何をするかが問われるが厳しい創作への道だ。”五輪エンブレム問題”であらためて知らされたのは今の時代、模写する素材が余りに簡単に手に入る一方で、パクリも即座にチェックされるということ。インターネットで世界中の画像情報が瞬時に入手できるのは本当に驚くばかり。マネ(模倣)をマネー(商売)に結びつけてはならないと今更言うのもおかしいが・・。

9月4日(金)   <大抵のことでは意気消沈しない・・・>
大抵のことでは意気消沈しないことだけが”年の功”かも知れない。今日、陶芸教室でこの二ヶ月ほどただ一点に集中して制作してきた大型の作品が未だ粘土の段階であるのに大きなひび割れを起こしてしまった。落胆していても何も始まらないので出来る範囲の修理をやり後は成り行きに任せることにした。いつもながら失敗を恐れていると新しいことが何も出来なくなると慰める。気分転換に「今日の写真」(下)を撮った。ベルギー土産で買ったモビール。風のわずかな動きで同心円の輪が微妙に変化するところが面白い。中心部の円盤を自分で球体に入れ替えようかと考えたがまだ実行はしていない。円盤だから光に変化が出るので、このままの方が良いかも知れない。

2015-09-04モビール
9月5(土)   <湯上がりに飲むビール・・・>
湯上がりに飲むビールに心の底から幸せを感じるようになったのは最近かも知れない。もともと、一人で酒を楽しむタイプではない。親しい人と一緒にお酒を飲むのは大好きだが、”一人酒場で飲む酒は〜”の世界には馴染めなかった。それが今、湯上がりのビール一杯で本当にこれ以上ないほどの満足感を味わう。お金持ちの人が高級な料理を食べているところを見ても全く羨ましいとは思わない。多分ビール一杯ほどの幸せ感もないのでないか。昔の一般の庶民は虐げられて可哀想だったといった歴史感を持つ人もいるが一般庶民は今の人と同等には幸福感があったと思える。昔の殿様も決して食べられなかった贅沢な食材を毎日食べて肥満になりながら不満ばかり言っている現代人は昔の人より幸せとは言い難い。・・9月にビールの話題になってしまったが今日は気温28℃で蒸し暑くビールが格別だった。湯上がりビールはこれからも秋風が吹こうが雪が降ろうが最高の幸せをもたらしてくれる・・。
9月6(日)   <”女性は強い”・・・>
”女性は強い”などと今更いうのもおかしいが、今日なんとなく本屋に立ち寄り、並べてある最近の本を見ていると女性の強さ、元気さを痛感させられた。昔懐かしい名前の著者が軒並み女性。それが揃って年齢を重ねたことを誇らしげに謳い揚げて元気一杯に見える著作だ。元NHKアナウンサーの下重暁子さん、アアこんな人がいたな〜と懐かしかったが「家族という病」を出版した彼女はまだ79歳と若い。御歳97歳の家事評論家吉沢久子さんは「ほんとうの贅沢」について著書で説く。曾野綾子さん(作家)は間もなく84歳におなりだが相変わらず元気に著作活動を続けている。私もファンの一人である美術家・篠田桃紅さん(1903年生まれ)は「103歳になってわかったこと」という本を著している。著作が専門である瀬戸内寂聴さんは93歳におなりだが最近は口数も増えている・・。それにしても男性群はなぜか影が薄くみえるのはどうしてだろう・・。
表紙に「能舞/Mieuへの絵手紙」(ペン&水彩)を掲載。Mieuは昨日15回目の誕生日を迎えた。今回は私がはがきの表の文章も書いてMieuが在住するニューヨーク宛に投函するばかりにした。きっと芯は強くても優しい女性に育ってくれるだろう。

9月7(月)   <今日も朝から激しい雨・・・>
今日も朝から激しい雨。月曜日のテニスの日に限ってよく雨が降ると僻む(ひがむ)。テニスの代わりに今日は徹底的に床掃除に励んだ。台所や洗面所、寝室などリノリウム材やフローリング材の床には専用のスプレーを使用。居間の絨毯には蒸気の出る掃除機を使って汚れを落とす。掃除をやりだすとどんどんエスカレートして止まらなくなり、気がつけば大汗をかいていた。部屋掃除をすればテニスに代わる運動になる。雨が止んだ昼頃、部屋で寝転んで外を見ると雲がどんどん流れていた。「ころりと寝転べば空」(種田山頭火)は草むらにでも寝転がって詠んだのだろうが・・。
9月8(火)   <「SPRZ NY」というロゴ・・・>
「SPRZ NY」というロゴがある。SURPRIZE NEW YORKの造語でアートでニューヨークを驚かせようというプロジェクト(=ここ=参照)。興味深いのは、これがニューヨーク近代美術館(MOMA)とニューヨークのユニクロとがコラボしたプロジェクトであること。一年ほど前に始まったプロジェクトのようだが、アンデイウォーホール、キースヘリング、草間弥生などMOMAが保有しているモダンアートの名品をユニクロのウェアやグッズにプリントした商品は確かにインパクトがある。下の写真は入手したウェアに付いていたコースター(ジャン=ミシェル・バスキア<左>、キース・ヘリング<右>)を並べて撮影したもの(バックは食卓用のマット)。我が家の近所にもユニクロ店がある。次には是非「SPRZ TOKYO」を期待したい・・。
2015-09-08 ユニクロとMOMAのコラボ品
9月9(水)   <「コマ絵1/Mieuへの手紙」・・・>
「コマ絵1/Mieuへの手紙」(コマ&水彩)を表紙に掲載した。コマ(独楽)の芯の部分がマジックペンになっていて独楽を回すと芯の軌跡が描かれるオモチャをいただいたので、早速「Mieuへの絵手紙」に使ってみたもの。色は4色を選べるが今回は紫としてみた。独楽の芯の軌跡がどう動くかで渦巻き状の形状になったり円形になったりする。成り行き次第でどんな図形ができるか分からないところが面白い。世の中に間違いなくたった一つの模様が次々に出来上がるのは快感だった<今週はコマ絵シリーズを更新して掲載の予定>。
今日は台風18号(東海地方に上陸、日本海に抜けた)の余波で東京でも朝から大雨が降ったり、突如止んだりの繰り返し。夕方の5時30分頃、大雨が降っているのに西の空には太陽が見えるという珍しい現象があったので写真に撮った。
 2015-09-09pm5:30 この時大雨の真っ最中
9月10(木)   <50年に一度と言われる大雨・・・>
50年に一度と言われる大雨が降り続き鬼怒川の堤防が決壊。自衛隊のヘリコプターが孤立した人々を懸命に救出しようとする様子をテレビが放映している。よくみるとNHKと民放の3〜4社のヘリコプターが自衛隊機のまわりを取り囲んで飛び回っている。もちろんテレビのヘリコプターは救助とは無関係。必死に手を振る被災者をアップでとらえて報道するだけだ。このテレビ画面を見ていて昔見た写真を思い出した。難破した船が沈没しそうになって助けを求めている人の姿をリアルに撮影して「受賞」した写真。人が死にそうになっているところを写真を撮る時間があれば手を差し伸べて助けてやれよ、と言いたかった。テレビ局の何機もの野次馬的ヘリコプターよりももう一機の救助ヘリコプターの方がどれだけ人のためになるか・・。
「今日の表紙」に「コマ絵2/Mieuへの絵手紙」掲載。<昨日のコラム参照>

9月11(金)   <11日は親しかった義兄の月命日・・・>
11日は親しかった義兄の月命日なので都合がつくときには墓参りに行く。義兄には分かっていただけると思っているが、実のところは墓参を口実にして墓のある谷中の寺や街、上野近辺を巡ることを楽しみにしている。今日は大雨があがり久しぶりの太陽を浴びながらの谷中散策。上野の国立博物館(平成館)で開催中の「クレオパトラとエジプトの王妃展」(=ここ、9/23まで)にも行った。3000〜4000年も前に人類が作り上げた精緻な造形物をいま日本(東京)で目の前にすることが奇跡のように思えて不思議な感覚になった。しかもエジプトの遺産は世界中に分散して保有されているので、今回の展覧会でも世界11カ国から200点近い展示物を借用してきている。諸々の歴史物語は後世に脚色されて真実は不明であるとしても歴史の造形物そのものはまぎれもない事実。現物を見ているだけで長大な時の流れに圧倒された。
「今日の表紙」には「コマ絵3/Mieuへの絵手紙」を掲載。台紙に傾斜を付けて独楽(こま)を流して模様を作った。<9/9日のコラム参照>

9月12(土)   <花壇で咲いていたペチュニア・・・>
花壇で咲いていたペチュニアの花が一昨日の大雨ですっかり落ちてしまったのに、今朝見るともう次の花が開いている。花の蕾がバケツの水を浴びるような猛烈な雨をかわして一日経って花を咲かせたのだろう。その生命力は感動的だ。ペチュニアの隣の青いサルビアは花が小さくて同じ雨でも花を落とさないところもすごい。今朝はサルビアの花に蝶がとまっていた。蝶もまた激しい雨をどこかでかわしていたのだろうか。幸いにも大雨の被害は最小限(一部の雨漏り程度)だったことに感謝しつつ被災地に何かしら援助をしなければならないと災害のニュースを見ながら思う・・。
今日の表紙に「コマ絵4/Mieuへの絵手紙」を掲載。コマ絵シリーズはこれで終わりとします<9/9コラム参照>。
   2015-09-12 左=サルビア、右=ペチュニア
9月13(日)   <ヴァイオリンとピアノによるデュオ・・・>
「ヴァイオリンとピアノによるデュオの楽しみ」というコンサートにいった。姪がヴァイオリンで出演したのであるが、気合いのこもった素晴らしい演奏会で大いに音楽を楽しんだ一方で音以外に色々な思いが脳裏をかすめた。彼女は3人の子どもの母親、長男は今年もう大学生になった。彼女が子どもの頃からよく知っているが最高の音大を卒業した後も着実に進化し50歳を過ぎてもリサイタルを開く。若い頃のネームバリューで先生業だけを続けるのは楽だが、子育てをしながら鍛錬を欠かさない。彼女の家族がみな応援に来ているのもうれしい。これに母親や父親が来ることができたらどんなによかっただろうに・・。名演奏の背後には本人の他に、夫や家族、両親、教師、友人など多くの人の人生が絡み合っている・・。
表紙に「九品仏にて/Mieuへの絵手紙」(水彩)を掲載した。墓のある九品仏浄真寺の本堂を描いているうちに、前にも描いたことがあることを思い出して調べると2012年(6/28)に鉛筆画を描いていた(=ここ)。

9月14(月)   <老人は誰でもが老人という人生・・・>
老人は誰でもが老人という人生の初体験しながら生きている。私は老人というと80〜90歳以上の人をイメージするが、老人といっても決してワンパターンでなく千差万別の個性があるのには驚かされる。先日テレビで文化人類学者でシルクロード研究の第一人者とされる加藤九祚(かとう きゅうぞう/93歳)さんのインタビュー番組をみたが、そのお歳で”○○のような人になりたい”と抱負を語った。これからやりたい仕事を語る人はいるが更に精進する人間像を話できる人を知らない。何歳になってもベテランとか権威とか一切思うことなく前だけを見ている人が確かにいる。今日はテニスでたまたま80歳を十分に越したお年寄りとゲームをした。この辺りは非常に微妙な感慨を持ってしまう。何年か先に同じ格好の自分を鏡で見たくはない。といって今でも鏡を見ると大同小異なのでないか。やはり、どこかで引退をしなければ・・。真に他人のためになっていることだけが引き際を考えなくていいのかも知れない・・。
9月15(火)   <昨日のコラムの日にちを間違えて・・・>
昨日のコラムの日にちを間違えて15日(火)と書いていた。誰からも指摘してされずに15日のコラムを書こうとして気がついた。時々こういうことがある。今日15日火曜日は特別の火曜日となった。といって大した”特別”でないが、火曜日に初めてテニスに行ったのである。テニスはこれまで月曜日と木曜日に決めていたがウィークディならばいつでも行くことは出来る。最近、テニスの運動量に少々不満を感じていたので新天地を求める境地で火曜日に参加した。幸いに20年ほど前に一緒にプレーしたことのあるグループが一人足りないところだったので加えてもらった。やはり同じレベルのいつもとは違う人とプレーすると大いに緊張する。もちろん気心の知れた仲間と遊ぶのもいいが、他の人と接するのも楽しい。テニスに限らずどんな分野でも時には自分の知らない別世界に接して刺激を受け続けたい・・。
 
2015-09-15今日の写真は花壇の植物を撮影

9月16(水)   <iPhoneに「COCOLOLO(こころ炉)」というアプリ・・・>
iPhoneに「COCOLOLO(こころ炉)」というアプリを入れて時々の心の状態をチェックする。このタイプのアプリは余り信用しないのであるが、妻がやってみると傍目にもくたびれきっている時に大きなストレス状態を見事に検出したので自分でもやって見始めたのである。やり方はiPhone(スマホ)のカメラの目玉に指を当てて約30秒間計測するだけ。カメラが血液の輝度変化をとらえて心拍のゆらぎを検出して心身の状態を判定するという。まず気持ちの状態が、のんびりか、ぐったりか、ストレス気味か、中間的に理想に近いかを判定する。理屈としては交感神経と副交感神経のバランスがいいのを理想としている。さらにストレスとリラックス度の比率やトータルパワー(元気度)を表示する。今日は渋谷に行くバスの中で計測してみると、ぐったりしたリラックス状態でトータルパワーが極めて低くでたので愕然とした。考えてみるとお腹もすいている。確かに元気がないので昼食をとってまた計測してみると、パワーは標準並みに回復した。私の場合はいつもストレスよりリラックスが多いがトータルパワーが高くならない。しばらくは自覚する調子と計測結果の相関を見てみるつもりだ。


9月17(木)   <表紙に「桔梗/Mieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「桔梗/Mieuへの絵手紙」(ガラスペン&水彩)を掲載した。はじめにガラスペンを使い”山葡萄(やまぶどう)”色のインクで輪郭を描いたので紫色の桔梗にはならなかった。最近は絵手紙の本文の方も自分で書くので(以前は妻が担当)調べると、桔梗は英語ではballoonflowerとか(Chinese)bellflowerというようだ。”balloon"はもちろん蕾(つぼみ)の状態だろう。桔梗は日本では秋の七草にも入り非常にポピュラーだけれどMieu(孫娘)のいるニューヨークで見ることが出来るのかどうか知らない。balloonが英語の呼び名に入るように日本でも桔梗は蕾の特徴が注目されるところが面白い。俳句の例:「桔梗の花咲く時ポンと言いそうな」(加賀千代女)、「むっとして口を開かぬ桔梗かな」(夏目漱石)。

9月18(金)   <Backjoyという商品名の「骨盤サポートシート」・・・>
Backjoyという商品名の「骨盤サポートシート」を使い始めたところ非常に具合が良くて気に入っている。椅子の上に置いて使用するのだがパソコンなどの作業の後明らかに以前よりも腰への負担が軽減されたように感じる。米国で開発されたものを東急ハンズで販売しており、価格もそれなりに高い(GOOD DESIGNマークもある)。それなのに、よく見るとこれもまた”Made in China"だった。今時、そんなことを気にしていると生活できなくなる。最近導入した人感センサーは信じられないくらい安かったが中国製ですぐ故障した。帽子や運動靴、100均商品などMade in Chinaは周囲に溢れており、品質云々ではなく何が起きても安いからしようがないとなる。今はもうBackjoyが長持ちしてくれることを祈るばかり・・。
9月19(土)   <このところ陶芸の成果がない・・・>
このところ陶芸の成果がない。陶芸コーナーの新作掲載も2ヶ月以上滞っている。理由の一つは9月4日のコラム(=ここ)で書いたように製作中だった大作が粘土を乾かす段階で割れを生じてしまったこと(制作過程の形状は7/24,7/28のコラム欄=ここ=に掲載)。廃棄するのでなく本焼成で割れてもその後補修することも考慮に入れて少しずつ進捗させてはいるが時間がかかっている。粘土での割れの原因については自分なりに分析はできたが修理後完成させるまでの道程はまだ長い。大物の陶芸を1〜2週間に一度手をつけるのでなくもう少し手軽な作品造りを頻繁にやればいいのだが、その意欲が湧かない。今はただ時が来るのを待つのみ。その内に黙っていてもやりたくなるのだからと、秋らしくなったベランダの植物を愛でている。
2015-09-19
9月20(日)   <彼岸花の時節・・・>
彼岸花の時節となった。今日、目黒区から世田谷区奥沢方面の呑川緑道を散策すると至る所で彼岸花に出会うことが出来た。彼岸花は毎年のことながら見れば見るほどユニークな花だと感心する。彼岸花の別名もいくつあるか分からないほど多い。曼珠沙華はいいとしても死人花、幽霊花、毒花、狐のかんざしなど可哀想なほど悪く言われ放題。また、葉がある時期には花は咲かず、花が咲く時には葉は見えないという特徴があるので余計怪しげに見えるようだ。どちらにしても花自身には全く責任はない。今日は珍しく白い彼岸花も見かけた。俳句では「曼珠沙華」で詠われることが多いようだが、いくつか引用させていただこう。「秋風に枝も葉もなし曼珠沙華」(正岡子規)、「曼珠沙華あれば必ず鞭うたれ」(高浜虚子)。今テレビなどで大活躍の夏井いつきさんの次の俳句の方が曼珠沙華に対する愛が感じられるので好きだ;「あしもとに日のかがやける曼珠沙華」。
 
2015-09-20
9月21(月)   <今日、9月の第3月曜日は「敬老の日」・・・>
今日、9月の第3月曜日は「敬老の日」で祝日。この20〜30年で「老人」の位置づけは大きく変わったにもかかわらず敬老の日、老人の日はなくせない。法律で祝日とした趣旨は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」とされた。昨日、総務省で発表された資料によると「日本の65歳以上(高齢者)の人口は2015年9月15日時点で3384万人となり、総人口比は26.7%」とある。4人に一人が高齢者の社会で”老人を敬愛し長寿を祝う”もあったものではない。老人が希少であった頃ならともかくわがまま勝手な老人が数の力を持ってくると社会として活気がなくならないかと心配になる。老人は余計な口出しをせずに後進に場を譲ることが第一だろう。いずれにしても日本ではこれまで経験したことのない面倒な老人を抱えた社会突入している。我が身も”面倒”な一員であることは言うまでもないが・・。
9月22(火)   <今日の表紙に「パイナップル/Mieuへの絵手紙」・・・>
今日の表紙に「パイナップル/Mieuへの絵手紙」(ガラスペン)を掲載した。 実は昨日のコラムで国立新美術館で撮影した写真を掲載しようとしたけれど、どうしてもサーバーが受け付けないので文章だけにした経緯がある。サーバーの容量の問題があるかも知れないので今日はサーバーに残っているけれども使用していない不要な画像を時間をかけて大量に削除した。それにしても我ながらホームページの末端にはまだまだ未整備のところがある。例えば、以前は「恵比寿・代官山」のテーマも多かったが昨年転居したので今は全て削除した。けれども一部に「Ebisu-Daikanyama」のリンクが未だに残っている。こうした欠陥はまだ修正しきれないが先ずは画像の廃棄だけは進めた。このホームページでは画像の容量も極力少なく操作をしているけれど”塵も積もれば”で容量が過大になるのか。さて、今日のパイナップルがPUTできるかどうか。Let's try!

9月23(水)   <墓参りにいく道の途中で・・・>
墓参りにいく道の途中で妻が真っ赤なカンナの花を見つけた。妻は子どもの頃に千葉で見たカンナの印象が強烈だったという。たまたま千葉県出身の”女性の情念を詠む前衛的な句風”と言われた俳人三橋鷹女(1899〜1972/明治32〜昭和47)が詠んだカンナの俳句を見つけた。「老いしと思ふ老いじと思ふ陽のカンナ」、「鉄を打つ一瞬カンナ黄に眩み(くらみ)」。これは鷹女にしてはまだおとなしい作品に見えるが、鷹女には他に「老い」を詠んだ激しい句も多いので引用させていただく。「夏藤やをんなは老ゆる日の下に」、「老いながら椿となって踊りけり」、「老婆の祭典 紅茸に魚糞を盛り」、「老後とや荒海にして鯛泳ぐ」。また鷹女62歳の作とされるこんな句も:「墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股はさみ」。・・女性は昔から強かった・・。
2015-09-23九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて
9月24(木)   <毎日1〜2分感謝する時間をとる・・・>
毎日1〜2分感謝する時間をとると人生が変わるという。これは多くの心理学者や脳科学者、コンサルタント、医者が推奨する生活習慣でもある。人生を肯定的に評価できるようになったとか幸福感が高まったとか、睡眠時に適応すると熟睡して体調が好転したとか色々な表現で人が変わった事例も示される。同じことをポジティブにとるかネガティブにとるかで真反対の人生観になることは確かで、プラス思考の源流として感謝の時間をとることには私も大いに共感する。けれども世の中それほど素直な人ばかりではない。感謝なんて現状肯定で変革するには感謝していられないと思う人もいるようだが、変革する行動自体が十分に感謝の対象となる。自分一人で生きている訳でないと気がつくと至る所ありがたいことばかりでないか・・。
9月25(金)   <先日、Wiiを使った計測が・・・>
先日、Wii(任天堂の家庭用ゲーム機)を使った計測が開始から1700日と表示された。毎日就寝前にバランスWiiボードの上に乗って体重の計測(BMI=Body Mass Indexで表示)とバランス年齢計測を習慣としているだけであるが、4年半を越す年数を重ねた感慨が湧く。最近はバランス年齢が20歳になったとか40歳を越したとかで一喜一憂することもなく計測具のクセが分かるようになった。このボードで優れているのは何と言っても重心の計測機能でないかと思う。両足を広げて立っていても微妙に重心がズレる度合いを検知するし、片足立ちの時にはフラフラする様子が見事に表示される。食後直ぐに計測するよりしばらく胃の中の食物を消化させた後に計測する方が重心が収まりやすいことまで自覚させられる。強いて次なる課題を挙げるとすれば片足立ちで重心を安定させることだろうか。ちなみに両足で立つ場合は目を閉じても十分に安定するけれども、片足の場合目をつむると30秒間はとても立ってはいられない(Wiiでは片足で目を閉じる計測はないが)。年数を経たWiiであるがまだまだ活用させていただきます・・。
9月26(土)   <朝8時にテレビをつけていると・・・>
朝8時にテレビをつけているとNHK連続テレビ小説「まれ」の最終回が始まった。最後ぐらいは見ようかと一瞬思ったけれどいつもの通り他の番組に変えた。我家ではスタート時に何回か見たことはあるが、ある時から「まれ」の時間になると他のチャンネルに変える習慣になってしまった。積極的にチャンネルを変えたのは最近では「純と愛」以来かも知れない。NHKの朝の連ドラは何となく見始めると毎日惰性で見てしまうところがある。それが見るに耐えられずチャンネルを変えるのは出演者の責任ではない。先ず原作と脚本の出来映え・質が悪いせいといって間違いない。選ばれた素質のある主演者がひどい脚本で芝居をやらされて可哀想に思えてならないこともある。人には好き嫌いが異なるから原作や脚本の絶対評価はできないが視聴率は案外に的を得ている。ニッカウィスキーの創業者とその妻をモデルとした「マッサン」や村岡花子の半生を原案とした「花子とアン」など高視聴率であったドラマの脚本は揃って重厚でよくできていた。テレビを消さないで済む8時の連ドラが欲しい。
9月27(日)   <二子玉川で遊んだ・・・>
二子玉川で遊んだ。二子玉川は東京の南西に位置し、すぐ隣の多摩川を渡ると神奈川県。都心からは離れているが(といっても渋谷まで急行電車で11分)都内でも稀な大規模な再開発が進められている地区だ。今日は曇天のもと初めは五島美術館を訪れて「秋の優品展<宗教と美術>」をみた。この美術館は庭が素晴らしいので庭を巡っていると富士山を眺望できる場所から二子玉川の高層ビル群がみえた。歩いても行ける距離であるのでついでに二子玉川まで行くことにした。先月8月に楽天が地上30階の高層ビル「二子玉川ライズ・タワーオフィス」に1万人の移転を完了させたことが話題になったばかり。野次馬根性で散策しながら「二子玉川ライズ」(詳細=ここ)まで歩いたのであるが、再開発は想像を上回った大きな進展を見せていた。5800uの広大な日本庭園・帰真園(世田谷区立)などの環境(=ここ)の中に六本木ヒルズより洒落た店舗が並ぶ。今年出店した蔦屋家電も最新の代官山蔦屋よりも広くゆったりしている。東京の中にもこんな街が生まれる余地があったのだ!
 
2015-09-27 五島美術館の庭にて             二子玉川公園・帰真園

タワーオフィス群 (帰真園入口からみた風景)  二子玉川/にぎわいは新宿並み

9月28(月)   <今夜は十六夜(いざよい)の月・・・>
今夜は十六夜(いざよい)の月。昨日が十五夜で中秋の名月であったが今年は今夜の十六夜が満月であるという。ネットで調べると今日の月の出は東京でほぼ東の位置に17時40分頃、月の南中は真夜中の24時頃とあった。それではと東の空を見張り、満月を撮ったのが下の写真。残念ながら今のところ月面の模様をクリアに撮るには技能と機材が整わないことを思い知らされる。今日の夕日の写真を合わせて掲載するが、毎回太陽の写真も不満足である。夜の花火の撮影なども含めて写真技術の向上が一つの課題となりそうだ。いつの日かススキと団子を一緒に中秋の名月を上手に撮りたい。

9月29(火)   <27日のHNK日曜美術館で・・・>
27日のHNK日曜美術館で詩人まど・みちおさんの絵が取り上げられていたので、このことを書いておきたい。まど・みちおさんは一般的には「ぞうさん」などの童謡の作詞者として知られるが、多くの詩集を残した詩人。昨年104歳の生涯(1909〜2014)を閉じた。そのまどさんが50歳を越えた頃からある時期絵に没頭したという。「描いても描いても絵が描きたい。なんということだろう。」という言葉を残したそうだが、誰かに習うのでなく自らの感性で独自の抽象画を描いた。それは見事にまど・みちおの世界を造り上げている。テレビで紹介された絵に私は言葉もなく引きつけられた。本物を是非見てみたいと思った。他人にいいところを見せようとか展覧会に出そうとかいう雑念が一切なく、描きたいから描く姿勢がはっきりと分かった。本職の画家が描く大画面の絵画に辟易するのと大違いだ。テレビでは東京芸大の先生がまどさんの絵を評価していたので何故かホッとした。まどさんが故人でなければ大権威である芸大の先生は決して素人のまどさんの絵を褒めることはないだろうという先入観がある。まどさんの100歳の言葉とされる次の言葉がまどさんの抽象画の本質であるように見えた:「どんな小さなものでも見つめていると宇宙につながっている」。
9月30(水)   <「今日の写真」をまた掲載・・・>
「今日の写真」をまた掲載させていただく。今日やったこととか今日考えたことだけをこのコラム書くつもりはないが、今日の絵とか今日の作品であればともかく「写真」は余りに安易すぎるとは思う。理想を言えば俳句で「今日の一句」を毎日掲載すればカッコいい。毎日10句を作るのは俳句をやる人にはいとも簡単であるようだし、散歩に出た時などに俳句を作る習慣にすれば脳トレにもなるかも知れない。けれども私にはできない。多分、意識過剰なのだろうが、決まり事に縛られる文字列は苦手で敬遠してしまう。むしろ毎日自由な絵を描く方ができそうだ。初心に返って「今日の絵」を充実させようか。さて、「今日の写真」は久しぶりに晴れ上がった秋空のもと、駒沢オリンピック公園(東京‐世田谷区)近辺で撮影した。
 
2015-09-30 駒沢オリンピック公園にて
 
   西洋ススキ & 右は萩と黄花コスモス



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