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総本山仁和寺 間山・仁王院 安養寺 

発菩提心

お盆におくる5 安養寺住職 横田弘雲

お大師様の言葉
 
  自身に迷ふが故に、六道の波、鼓動し、心原を悟るが故に、一代の水、澄静なり。

 自分の心が迷っているから迷いの世界の波は乱れに乱れる。心の本源を悟れば大海といえども波は静かである(十住心論)
    
 振り子の論理というものがある。例えば時代の思想がどちらかに偏ると、必ず反対側の思想も勢い込んでくる。現代の霊異現象への高さも振り子の論理に当てはめれば、
なるほどと頷ける。文明が進みすぎた反作用で霊が騒ぎ出している。「不浄仏霊」といったおどろおどろしいのが、高度に進んだ情報社会の中で跳梁している。そのせいだ
ろうか、最近お盆の行事について形式に異常に拘り始めた。
 もともとお盆は、伝統的な祖霊信仰と仏教とがうまく溶け合ったものだった。天候異変の多い季節を前にして先祖霊にご帰還願って豊作を祈願するのと、先祖の生前の罪
障を滅じるために回向する仏教行事が一つになっている。だからお盆にしても、特別にどうしなければならないというのではなく、先祖を迎えて居心地良く過ごしてもらう普段
着の心遣いが仏壇の隅々に生きていれば十分なのだが、手抜かりがあったり間違えたりしたら、祟られるのが怖い。そこで形式に拘ってしまう。自分の心が迷っているから
である。不浄仏霊が先にあって怯えるのではなく、不安で迷う心が先にあって、それが成仏していない霊という幻影を作り出して、自分で怯えている。心細い気持ちで道を
歩いていると古縄をみてヘビだと怯えるのに似ている。現代の生活は機能的に便利になったが、同時に無駄も追放された。
 機能的には何の役にも立っていない空間で人は寛いだり、和んだりできる。芸能をはじめとして人間を開花したのも、そうした一見、無駄な空間だった。
 今は光を遮るもののない明るく機能的なガラスの館に住んでいるようなMPなのだ。そんな無駄な陰りが追放された暮らしの場に現代の不安が育っている。その中で心の
迷いを助長せずに、迷いをふっ切っていく。さしずめ密教は心の本源に向かう最も手ごろなコースである。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。

お盆におくる4 安養寺住職 横田弘雲

お大師様の言葉
 
  猛風雲を吹いて日光顕照すれどもまた始めて生ずるにあらざるが如く仏心の日もまたかくの如し。

 「相手とぶつかって光る個性」
    
 夏は海や山に出かけて太陽の子になる機会が多い。雲の切れ目からのぞく太陽のあまりに強さに戸惑うこともしばしばである。お大師様は身近な夏の体験を引き合いに
出して、人間には、もともと仏の心が宿っているのだと説いている。よく分かる例である。仏心をもう少し一般化して個性としてとらえてみたい。
 初めて人に会ったとき、洋服の好みやおしゃれの仕方、言葉の使い方などで人柄や個性を判断してしまう。安定した大人社会では特にそれが大切にされるが、人の個性
というのは、そんな外面で判断できるものではない。外面のきれいごとではすまない活力もあ秘めている。
 一歩、踏み込んで、相手の個性にぶつかっていく。雲の向こうにある太陽が、その人をその人らしくしている根源なのだから、雲を破った付き合いをする。それが密教流の
付き合い法だ。ところが最近、とくに若者を中心にして相手に深く入り込まない付き合い法が定着している。
 相手の中に入り込まないかわりに、自分の内面に入り込まれるのも好まない。お互いに殻に閉じこもってしまう。
大人たちは快いだけのマナーを大切にしてお互いの個性まで届こうとしないし、若者は初めから個性を内に閉ざしてしまう。これでは折角の個性が勿体無い。個性はその人
にしかないものだが、それは他の個性とぶつかり合うことで輝くものだから、雲のうちに包んでいては鈍ってしまうばかりだ。

お盆におくる3 安養寺住職 横田弘雲

お大師様の言葉
 
  自身に迷ふが故に、六道の波、鼓動し、心原を悟るが故に、一代の水、澄静なり。

 「自分の心が迷っているから迷いの世界の波は乱れに乱れる。心の本源を悟れば大海といえども波は静かである。(十住心論)」
    
 振り子の論理というものがある。たとえば時代の思想がどちらかに偏ると、必ず反対側の思想も勢い込んでくる。現代の霊異現象への高さも振り子の論理に当てはめれば、
なるほどと頷ける。文明が進みすぎた反作用で霊が騒ぎ出している。「不浄仏霊」といったおどろおどろしいのが、高度に進んだ情報社会の中で跳梁している。そのせいだろ
うか、最近お盆の行事について形式に異常に拘り始めた。

 もともとお盆は、伝統的な祖霊信仰と仏教とがうまく溶け合ったものだった。天候異変の多い季節を前にして先祖霊にご帰還願って豊作を祈願するのと、先祖の生前の罪障
を滅じるために回向する仏教行事が一つになっている。だからお盆にしても、特別にどうしなければならないというのではなく、先祖を迎えて居心地良く過ごしてもらう普段着の
心遣いが仏壇の隅々に生きていれば十分なのだが、手抜かりがあったり間違えたりしたら、祟られるのが怖い。そこで形式に拘ってしまう。自分の心が迷っているからである。
不浄仏霊が先にあって怯えるのではなく、不安で迷う心が先にあって、それが成仏していない霊という幻影を作り出して、自分で怯えている。心細い気持ちで道を歩いていると
古縄を見てヘビだと怯えるのに似ている。現代の生活は機能的に便利になったが、同時に無駄も追放された。

 機能的には何の役にも立っていない空間で人は寛いだり、和んだりできる。芸能をはじめとして人間を開花したのも、そうした一見、無駄な空間だった。

 今は光を遮るもののない明るく機能的なガラスの館に住んでいるようなMPなのだ。そんな無駄な陰りが追放された暮らしの場に現代の不安が育っている。その中で心の迷
いを助長せずに、迷いをふっ切っていく。さしずめ密教は心の本源に向かう最も手ごろなコースである。

救う者が救われる 安養寺住職 横田弘雲

4月の第2土曜日、日曜日に奈良の西大寺で、ちょっとユーモラスな大茶盛が開かれる。
着飾った女性が直径三十センチあまりの大茶碗でお茶の回し飲みをするのだ。
この寺を中興した叡尊が、今から七五〇年ばかり前の延応元年(1239)、修正会が無事に結願したお礼に鎮守の八幡宮に献茶し、そのお流れを参拝者に回したのが始まりだという。
 大茶盛は大釜、大茶杓、大茶筅とすべてがジャンボ。顔をすっぽり大茶碗のなかに入れるようにして戴いてお隣へ。これで一年間、無病息災といわれる。
華やいだ茶会のうしろで、端然と坐った叡尊像の目が澄み切っている。叡尊は真言密教の修業をし、西大寺に入ると戒律の復興をめざして真言律宗という新宗派を開いた。といっても取り澄ました清僧でなく、忍性という頼もしい弟子とともに弱者救済に成果をあげた。叡尊が戒律を大切に救済の理念を高く掲げれば、忍性が持ち前の行動力で実施に移していった。
 弱者といえば身寄りのない人、貧困に苦しんでいる人、からだの不自由な人、治る見込みのない病人たちだった。まだ人権が守られない時代にあって弱者は、社会から無縁の場所に住んで、ますます苦境を深めていた。叡尊ははその場所に宿所を築き、食物を与えることにし、忍性がからだの自由を失った病人を背負って運んできた。その場所は奈良だけでなく、鎌倉にもおよび、数も増えていった。
 弱者を救済するとなれば、とかく救ってやるという意識がちらつくのだが、叡尊は自分を弱者と同じ立場の無縁者と位置づけていた。だから幕府の周辺から資金援助の申し出があっても、弱者を社会から、無縁の場所に追い込んだ者の援助は、受けないといういさぎよさだった。
それだけでなく弱者は文殊菩薩が仮に姿を現したものだから、供養させてもらえるのはありがたいことだ≠ニ弱者に合唱しながら救済を続けていった。
 日本も福祉が行き届きだしているが、どうしても救う側の優越感と救われる側の権利意識がちらつく。
茶会といえば、足るを知る℃ソ素さを大切にするが、西大寺の大茶碗は大茶碗を使うことで発想を転換して窮屈さのない茶会を実現した。叡尊の救済事業も、救うことでこちらが救われるという心境の見事な転換によって、大きな成果をあげるのだった。


お盆におくる2 安養寺住職 横田弘雲

万霊の安全無事を祈って・・・
もうすぐお盆がやってきますが、お仏壇やお墓に、お花やその他の供物を供えることを<手向け(たむけ)>と言います。
手向けとは、もともと旅の安全を祈願するためのはなむけ、つまり餞別のことでした。遠くへ行ってしまう人に別れの記念の贈り物を差し上げる。それを、はなむけ、餞別と言っていました。贈り物はお金や品物だけとは限らず、詩や歌や、優しい言葉でもよかったのです。昔は道、道路は安全な所ではありませんでした。徒歩や馬やかご、人の善悪、貧富様々な老若男女が通り、すりに財布を狙われたり、暴れ馬に蹴っ飛ばされたり、道路では次々と事故や事件が発生しました。同じことが何百年も繰り返されてきたのです。旅立つ人に、心のこもった品や思い出に残るような歌を手向けることは信心にもつながりました。お盆やお彼岸には、先祖の精霊が親族の元に帰ってくるとされています。昔からお盆に迎え火や送り火を焚き、家の門前を明るくするしきたりが今日受け継がれてきていますが、これもまた十万億土をへだてた別の世からの長い旅路の安全を祈るための手向けの習わしと思われます。夏には怪談話しがつきものですが、お化けについての昔話には、行きどころのない精霊が旅人にとりついて悩ますのも少なくないのです。行き倒れた人や道ばたでなくなった動物などはまともに葬られることなくいつまでも迷い続けると信じられていました。道路は、旅人にとって恐ろしくて危険な所とされていたので、化け物が出るとかたたりがあるという言い伝えのある場所、特に山道や峠などが迷っている霊を供養するところとなっていたのです。
<手向け>と<峠>は発音が似ていますが、学者によると二つの言葉は同じ意味を表していたらしいということです。生命のあるもののことを、仏教では有情(うじょう)といいます。有情は生きている間も死後も果てしない旅をしているようなものです。お互いに迷わず、焦らず、弛まずに旅を続けなくてはなりません。皆さんが墓前、仏前に手向ける一杯の水、一輪の花、一首の歌は旅の安全無事を祈る信心の表れなのです。是非、手向けをしてくださいますように。

盆の語源はどこから・・・?
お盆の言葉は梵語のウランバナを音訳したもので、ウランバナとは倒懸(逆さまに吊り下げる苦しみ)のことで、亡き先祖をそのような苦しみから救うための供養が盂蘭盆会(うらぼんえ)です。
古代日本語の『ボニ』(先祖の供物をのせる器).イラン語の『ウルヴァン』(魂)が語源とする説もありますがどちらも先祖供養と関わりがあるようです。

先祖とはどのような存在なの・・・?
先祖といっても自分にとって身近に感じるのは父母か祖父母せいぜい二代か三代まででしょう。しかしこれを遡(さかのぼ)って計算すると十代前は千人を超し、二十代前は百万人を超え、三十代前になると十億人以上になるといいます。一人の人間の命には二つの命が宿っています。すなわち父母からいただいた命です。
この命を計算すると膨大な数になり天文学的数字になります。もし一度でも、その繋がりが切れることがあれば現在の自分はないわけで、この命がいかに稀有なものかを自覚したいものです。先祖を大切にすることは自分を大切にすることに繋がっているということがわかるでしょう。

お盆の先祖供養ですることは・・・?
十三日の夕方は迎え盆です。この日は各家で先祖を迎える為に迎え火を焚きます。この火は先祖の御霊を家まで導いてくれる役割を果たしているとも、燃やした煙にのって先祖が懐かしい我が家に戻ってくるためともされています。帰ってきた先祖が休む場所が精霊棚です。棚には果物季節の野菜などまたキュウリ(馬の形)やナス(牛の形)を供えるのは、馬に乗って早く戻って欲しい牛に乗ってゆっくりあの世に帰って欲しいという願いが込められています。

ご先祖様には何が必要なの・・・?
来るときも帰るときも先祖は火が必要とされています。お盆の期間中に一家でお墓参りをします。このときに卒塔婆を建てるとよい供養になるとされています。
十六日の夕方には送り火を焚いて先祖が道に迷わぬように照らしてあげましょう。安養寺の灯篭流しも送り火の一つで、お飾りや供物を舟に載せて川に流してあげます。
送り火で有名な行事といえば京都の『大文字焼き』長崎の『精霊船』などが代表的です。

お盆の始まりはいつから・・・?
諸説あるが、七月一日を盆の開始とする地域(特に関東地方)が多いようです。この日を『釜蓋朔日(かまぶたついたち)』『釜蓋あき』すなわち地獄の釜の蓋があく日とされて、お盆の始まりとされていたようです。
七日盆とは『七夕(たなばた)』をさしておりこの日を『七夕盆』とか『盆始め』と称してお墓掃除や仏具磨きをしていたようです。
関西より西の地域はやはり八月がお盆始めとされておりこれは旧暦と新暦の違いからこのような風習が起こったのでしょう。

追善供養の心 安養寺住職 横田弘雲

心静かに故人を想い偲ぶとき・・・
 法事とは、読んで字の如く仏法のことで、仏の教えを意味するものと言える。
 現在では一周忌とか三回忌など、故人の追善供養の行事を法事と呼んでいる。当たり前のことであるが、自分の現在あるのは先祖があってのことで、その先祖の報恩に感謝して営まれるのが法事という仏事、即ち善行である。
 在りし日の故人を想い、心静かに法事を営み、ご先祖様の恩に報いたいものです。
 では追善供養の意味を考えてみると、追善とは正式には追福修善といい、故人のために生きている者が善い行いを修することである。故人が迷わず成仏できるように生きている者が力を貸してあげる。それが追善供養即ち法事の目的であるといえる。
 法事は故人の冥福のために行う行事で生きている者が行うことができる最大の善行とされているが、一般の人が疑問に思っている中の一つに『あの世は本当にあるのか』『読経の声はあの世に届くのか』という質問をよく受ける。無信心な人間だと思う人もいるかも知れないが素朴な疑問だと思う。それでも、この供養の儀式が昔から続いているのは何故か?それは、この世にある人の故人への強い想いではないだろうか。成仏して欲しいと思う祈りの心だといえる。まして故人が自分の身近な人、或いは大事な人だった場合あの世でも幸せになって欲しいと願うのは当然だと思う。
 追善供養は追善回向ともいい、回向とは、自分の行った善行を他人のためにさしむけることで、『回』はめぐらす、『向』はさしむけるを意味している。したがって法事の供養は、その功徳を自分が受けるのではなく故人にふり向けることだといえる。
 ところで、『七分獲一』という昔の言葉がある。これは故人に対して熱心に追善供養しても、故人はその功徳を七分の一しか受け取らず残りの七分の六を生きている人に回してくるという教えである。
 したがって法事を修するということは自分のためでもある、といえる。
 法事は仏道を学び、仏さまとの縁を結ぶ得難い機会でもあるといえるでしょう。

観音信仰 安養寺住職 横田弘雲

世の中に種々の姿を表して 救う衆生の限りしられず
 我々信仰の中で多くの人に慕われている仏様に観音さまがおられます。西国三十三番をはじめ各地方でも霊場があり、また本尊さまに観音さまを祀られている寺院も数多くあります。
観世音菩薩は、その名前が示すとおり世の中の状態や人々の声を聞き、たちどころに苦しみ悩みを救い私達を取り巻いている悪事災難を除くことを御誓願としています。姿を種々に変化して自由自在に時と場所に出現されて救済行を行ないますから観自在菩薩ともいいます。このような自在な救済行を施されますには三十三のお姿があるとされ、それが三十三所札所の起こりとなっています。観音さまのお姿と功徳を一つ一つ書いたものが観音経というお経であり、皆様ご存じの般若心経も観音さまの覚りとその救済行を説いているお経です。
お観音さま≠ニ親しまれて信仰を集めているのは何としてもあの母性的な優しい慈悲をお姿全体に表して衆生を愛護する御誓願によるものからでしょう。

安穏快楽 安養寺住職 横田弘雲

何事もないことの幸せ
 私たちは、お仏壇やお墓の前で合掌するとき、それぞれに思いを込めてご先祖様に話しかけます。近況報告、お願い、自分の過去についてのお詫びなど、その他その表現のしかたは色々だと思いますが、一口で言えば万人共通ご先祖様の御霊が常に安らかでありますように、また、現世の親族一同も幸せでありますように、ということになるのではないでしょうか。
 仏教の目指すところは心と体が大安楽を得ることであります。大安楽を普通の言葉で言えば最高の幸せということです。『安楽』とよく似た言葉に『やすらぎ』『快楽』『歓楽』『悦楽』『享楽』などがありますが、仏教では人が死後に行く浄土のことを安楽世界、安楽国土などと言います。あまりむずかしく考えずに、安らかな心地よい状態と解釈していいでしょう。安楽に対して快楽という言葉は、とかく悪い意味で使われがちです。『快楽をむさぼる』という具合に。
 しかし、仏教では快楽を『けらく』と読み、物質的な満足がもたらす楽しい状態だけでなく精神的な満足をも含んで『快楽(けらく)』と言っているのです。
 だから、ろくに働きもしないで、毎日遊びほうけているような様を快楽だと決めつけているわけではありません。そこで『安穏快楽(あんのんけらく)』という仏教用語も用いられています。在家の方々にとっては、安楽とか、快楽とか、疑問のある言葉よりも『安穏(あんのん)』の方が誤解を招くことが少ないでしょう。『安穏』とは、仏教の考え方に従えば安らかで平穏無事なことです。
 『現世安穏(げんせあんのん)』というように用います。悪いことが起こらない。昨日も今日も、何事無く家族一同つつがましく過ごし、明日もそうでありますようにまたいつまでも幸せが続きますように願うことが現世安穏なのです。それでも、悪いことなしの暮らしでは物足りない。良いことばかりいっぱいある人生なんてつまらないではないかと不満を持つ方もおいでになるでしょう。ところが、仏教ではもっともっと果てしなく良いことばかりを貪り、追い求めることこそが、迷いの原因、不幸の原点であると考えるのです。
 新しい年を迎えるにあたって、皆さんはご先祖様と自分の家族の安穏を願って合掌なさいますか。それとも、良いこといっぱいの暮らしをお願いになさいますか。


誓願 安養寺住職 横田弘雲

『いつか来た道、今また歩む。今度は迷わず真っ直ぐに』
 「今度こそは」と思っても、同じ様な過ちを繰り返す、私たちの人生。それはまるで、双六で、振り出しに戻る賽の目を出したようなもの。思わず「ついていない!」とぼやきたくなります。でも、双六と人生は違うもの。運、不運だけで判断してはなりません。
 確かに順調な人生を歩んでいる人を見れば羨ましくなります。でも順調すぎるあまりに他人の苦労が分からなくなったり、土壇場でやり損なうこともありますね。吉兆禍福(きっちょうかふく)は、それぞれの受け取り次第、受け止め方によって、その後の人生展開は大きく変わるものです。だから人間、どんなときでも希望を失ってはいけません。『誓願』を持って生きることが肝心です。
 誓願とは、神仏に正しく生きることを誓い、謙虚にその御守護をお願いする心。この心構えこそが、本当の運を開く道。
 そうすれば、今まで回り道や脇道だと思っていたことも、そうでなかったという結果が出てくるでしょう。
 神仏さえも、私たち衆生を救わんとの誓願を立ててくださっています。これに応えて、人生を前向きに真っ直ぐに歩みたいものです。

人間の心の宝 安養寺住職 横田弘雲

仏・法・僧について
 今から千四百年前、我が国では初めて憲法が発令せられ、国の政治理念が確立された。聖徳太子の十七条憲法である。
 太子は仏教の研究家としても有名であり、大和の法隆寺また大阪の四天王寺などのお寺の建立などで知られ、仏教の教えによって、平和な国家を作ることに努力されたから和国の教主と仰がれている。
 戦前戦後を通じて、日本の紙幣には太子の尊像が使われていた時代があり、世界の都市でも最も珍重がられているのが太子の壱万円札である。
 このように古今の政治体制の変化にも変わりなく、太子が尊敬されているのは何故だろうか。それは聡明なお方であったとともに、十七条憲法の第一条に『和を以て貴しとなす』と平和を第一義とされたこと、第二条に『篤(あつ)く三宝を敬え、三宝とは仏法僧これなり』と人間社会の基本を仏さま・その教え・それを実践する社会、この三つを国民道義の中心とされたことに他ならない。
 現在の日本では仏教は一宗派の如く取り扱われているが、元来、仏教は釈尊の時代から特定の一宗派ということでなく、全ての人間に通じる人間の宗教である。
 その内容は昔も今も変わらず、人間の行くべき道、人類の教えであるから、宗教団体の域を超えた真理というべきものである。その教えの基本は仏法僧を尊ぶことである。
 これが人間の心の宝であるから三宝という。物の価値を表す紙幣を手にする度に心の宝を思い起こして頂ければ、物心両面の宝物が身につくことになる。
 とは命の尊さを表す。
 とは教法の尊さを表す。
 とは仏の教えを実践する人々を表す。

お盆におくる1 安養寺住職 横田弘雲

空海の言葉・・・
師に二種あり。一に道、二には俗。真俗離れずと云うは我が師の雅言(がごん)なり。「性霊集(しょうりょうしゅう)」

意味・・学ぶべき師に二種ある。仏道の師と一般学問の師である。仏の教えと世間の教えを共に学べというのは私の師の正しい見識である。

 四月は転勤、人事異動の季節である。新しい出会いがあり、新しい上司を迎えたりもする。人間関係の輪が大きく広がると同時に、付き合い方を考える時期でもある。
 この言葉は空海が天長五年(八二八)京都に綜芸(しゅげい)種智院を開くときの趣意書の中にある。当時、学問といえば地方の国学、中央の大学と、貴族が同族の子弟養成のために開いた私立学校しかなく、広く一般に門戸を開いた学校としては綜芸種智院が日本で初めてだった。それだけに空海は人材の育成に強い意欲をみせた。
 特に師の大切さを指摘する。「師」は狭い意味の教師ではなく、上司、先輩など広い意味で自分を引き上げてくれる人と受け止めたい。まず、「その道の専門分野でよき師を持て」という。自分の仕事や研究の領域に関して知識と習熟した技術を学べる師である。
 しかし、空海の真意はもう一人、「専門領域外の師を持つこと」の大切さにある。自分に直接かかわることについては否応なく学ぶことがあっても、異なった領域のことになると、なかなか師についてまで学べない。それをよしとしていない。
 仏道を学ぶ者でも世間一般のことも併せて学ぶことの大切さを説く。そうしないと、専門のことについては細部に至るまで詳しくても、一般のことは常識程度にもわきまえてないという偏りができてしまう。つい同じ領域の仲間だけで固まりがちで、どうしても他の領域との交流を避けるようになる。すると仲間同士で思考も発想も同じになって、飛躍とか展開がしにくくなる。領域外の師を持つことで、その弊害が少なくなる。
 いま異文化との交流が盛んに叫ばれている。国ごとにそれぞれの文化があるのを体験するのは友好の第一歩だし、こちらの固定観念を破って新鮮に生きるきっかけにもなる。



間山 安養寺

〒707-0041
岡山県美作市林野48

TEL 0868-72-0229