「英多の流れに耳を洗い、湯の郷の灯に眼をうるおす」
間山仁王院安養寺
昔、勝南間山(現美作町上相でJR林野駅の北西8キロ)に聖徳太子によって開かれ、用明元年(西暦586年)用明天皇の勅願寺であった間山高福寺は幾多の星霜と兵火によって西の高野と称された大伽藍は裏微に任せる所となったが、その命脈を継いだのがこの安養寺である。
はじめ梶並川沿いの沢村に建立されし後、林野村に移る。承久の頃、後鳥羽上皇の隠岐にお遷りの時、この寺にお憩いのことは文献に存するところであるが、今はこれを偲ぶよすがもない。
慶長元年(西暦1596年)の頃、森忠政、津山の国主となつて林野城址の麓に別荘を営み豪華な蓬莱枯山水、鶴亀の庭園を設ける。於千姫ここに病を養い湯郷に湯冶する。
その途、安養寺本尊11面観世音・如意輪観世音を祈るを常とする。元禄6年8月6日没す。別荘の地を安養寺に寄贈せんことを遺言する。よって安養寺は元禄10年(西暦1697年)この地に移り今日に至る。庭園の遺構大方は存し往時を偲ぶに足り、日本の名園に数えられ識者保存の要を唱うところとなる。境内の白木蓮の老樹あって春ともなれば清楚な花を開き於千姫の余香を思わす。また南天樹に工を加えた枕二基が残っているのも哀れで瑞雲院殿亨岩雄嵒全祥大姉への回向を誘うところとなっている。寛文3年(西暦1663年)空真上人の代、森内記公、霊場の衰退を歎き書を京都仁和寺に致されるところによって直末寺として令旨を仁王院と号することとなり真言宗御室派(総本山仁和寺)となる。
古くより会陽が行われ、地方として名高い行事である。旧暦正月13日(現在は2月第2土曜日)夜半に行われる裸祭りで本尊は11面観世音菩薩(国の重要文化財指定)を祀る観音堂福窓から投下される2本の真木を奪い合うのは壮観である。真木を授かりし者を福男といい、真木の納まるところを祝い主といって、第3土曜日曜日に観音会式に連なり近郷近在の参詣者で賑わう。境内の仁和寺より戴いた山林、領には金毘羅大権現宮の鎮座があって広く信仰の的となっている。また、裏山の88ヶ所は旧暦3月21日弘法大師縁日(御影供)をはじめ善男善女の巡拝に格好な道程になっている。また当寺は法界院で遷化された旭信上人(帰庵)の誕生の寺で幼少の頃ここに育ち、今も昔の思い出を懐かしむ者も多く「無我」の大きな條福は心有る者へ話しかけられているようである。
雪に月に花に自然の恵みが多く心の憩いの場として勝れた境である。
観音様は観世音菩薩または観自在菩薩というのが正式のお名前で西方極楽の阿弥陀如来の慈悲のご化身である。
多くの仏像の中でも観音様は古来一番漬親しまれ、最も霊験あらたかな仏像で時には慈母のように。時には救世主のように、時には打出の小槌のように私たちに幸せと福分を与えてくださいます。
旧国宝の重要文化財
化仏(本面頭上の仏)11面をもつ11面観音で妙智、除病、滅罪の利やくあらたかで古来近郷の信仰があつい
総高1,085mmの立像で桧の寄木造りで流麗の相はよく藤原地代末期の様式を残し恵心僧都(942~1017)の作と伝えられる。
桃山時代(森氏居館時代文禄、慶長初年の作庭)池庭には石橋をかけ立石を多く用い小池庭ながら豪華である。小堀遠州流と伝えられる当代の代表作の一つとされている。
観音堂(旧国宝11面観音)
大師堂(播磨、美作七福神毘沙門天霊場)
持仏堂(弘法大師、阿弥陀仏像)枯山水庭園(小堀遠州作)仁王門鐘楼堂裏山88ヶ所(金比羅鎮守堂、子安地蔵、粟嶋大明神)美作大観音、水子地蔵、千姫ゆかりの白木蓮
いつの世も、福の神は庶民の強い味方です。ましてや最近のように不景気が長引けば、たくさんのご利益と元気をさずけてくれる七福神めぐりも、気分転換には良いのではないでしょうか。
毘沙門天は四天王の一人であります。鎧を着ているところに特徴があります。また多聞天とも呼ばれます。漢字で書くとまったく別の神様のようになりますが、毘沙門はすべてのことを一切聞きもらさない知恵者という意味です。毘沙門天の妃といわれる吉祥天と一対で祀られています。
七福神の中では戦い・勝運の神さまで、いろいろな夜叉や使者を統率して、仏法を守護し福徳を授ける神さまです。特に、戦勝を祈願する神として武士階級の人々の信仰を集めました。
家内安全、交通安全、学業成就、厄除け祈願他 それぞれのお札、お守りもあります |
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美作之国(美作市)寺院 安養寺・長福寺・大聖寺・岩倉寺
金比羅大権現 当病平癒 お札授与します。
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