生活

 この街は、田舎町にしては珍しく、バスのシステムが比較的しっかりしているようです。がんばれば、車なしで生活できるとか、聞いたことがあります。ほとんどが大学構内に向けて路線が設定されていますから、大学に通う人は、近くにスーパーやショッピングモールがあれば、本当に車は必要ないかもしれません。

 先におよその人口構成を書きました。気になる日本人の数ですが、私は大学関係者でないので実際の数がどのくらいなのか、全く知りません。というのも、ここに滞在している日本人のほとんどが学生を含めた大学関係者なのです。その家族を含めて相当数が滞在しているようです。IJAという日本人会も存在するそうなので、興味のある人はメンバーの方に声をかけてください。メンバーになるといろいろと情報が入ってくるようです。

 日本食レストランが1件だけあります。寿司や刺身を始め、そば、うどん、天ぷら、どんぶりもの、すき焼きなど、一応の日本食は食べることができます。値段は、こちらに来た当時は「安い」と感じるかもしれませんが、そのうち金銭感覚が円からドルになると「ものすごく高く」感じます。その他、韓国系のレストランでも日本食を出すところがあるようですが、まだ、行ったことがありません。

 食料品は、日本独自のものは、韓国系のグローサリストアに行けば大体手に入ります。カリフォルニア米も数種類あります。自分の好みの銘柄を見つけるまで、いろいろ試すとおもしろいでしょう。また、とうふ、しょうゆ、インスタントラーメンなどは、日本食ブームのおかげか、普通のアメリカのスーパーで取り扱っています。期待できないのが魚介類です。サーモン、キャットフィッシュ、ロブスターなどが中心です。ツナもおいている店と場合がありますが、ステーキ用です。ほとんどが変色しています。刺身にする勇気はありません。海鮮物専門店では予約をすると、刺身用の魚の入荷を知らせてくれるところもあると聞いたことがありますが、詳しくは知りません。どうしても魚中心の食事にしたい場合は、なんとか情報を仕入れてください。また、シカゴ郊外のアーリントンハイツにあるヤオハンまで行くことで、日本らしい生活を送ることができるかと思います。ヤオハンに対する依存度は人によって全然異なります。日本人だけでなく、韓国人や中国人もヤオハンを当てにする人が多いようで、2週間ごとに買い物に行くという強者、1ヶ月に1回という人もいれば、私のように、1年以上いて、まだ2回しか行ったことがないという人もいます。アーリントンハイツには、多くの日本人が住んでいますから、その他にも、多くの日本のものが手に入ります。

 アメリカの新聞は、一部のメジャーな全国紙を除いて、基本的に地方紙が主流です。地元の情報だけは、すごい細かいことまで入手できます。

 医療システムなんかも日本とは勝手が異なります。基本的に「ホームドクター」を一人決めて、とりあえずその人に見てもらってから、専門医に紹介されるようです。私たち大人の場合は、滅多なことでは病院へ行くことはないかと思いますが、小さなお子さんを抱える方は、まず、ホームドクターを決めて下さい。決まっていないと、予約から診療まで数日かかることもあるそうです。

 電話会社は、基本的にローカル用の会社と長距離用の会社が別です。長距離は大手3社などから選択できますが、ローカルは現在のところ1社独占です。自宅でもインターネットに接続する必要がある(というより、使わないといろいろと不便です)人は、距離によって電話料金が異なりますから、アクセスポイントが、市内通話領域内にあり、しかも自宅から十分近いプロバイダを選ぶ必要があるかと思います。もしかしたら、大学関係者の方は、大学がプロバイダの役目を提供しているかもしれませんが、私はわかりません。

 銀行郵便局も朝早くから夕方遅くまであいています。日曜も窓口を開けている銀行もあるくらいです。スーパーもほとんどが、24時間営業です。とても、生活のしやすいところです。

 治安はいい方だと思います。しかし、一応アメリカです。シカゴから悪い奴らが進出してきているとの情報もあります。そしてここは保守的な土地です。ほとんどの人は他の人種に対して特別な意識を持っていないと思われますが、ごく一部、私たちに対してあからさまな差別をする人がいるのも事実です。いろいろな人がいるのがアメリカです。でも、それは私たち日本人が「外人」という言葉を何の抵抗もなく使用するのと、意味合い的には変わらないでしょう。

※他のページへのリンク先は、ほんの一例に過ぎません。銀行、長距離電話会社、病院、新聞社など、選択肢はまだまだあります。

[ 生活の詳細ページへジャンプ ]

街の概要

交通アクセス

生活

気候と季節感

その他


Champaign - Urbana は
こんな街です
にもどる


最終更新日:
December 1, 1997