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第六回「泥棒番付」
原作:「泥棒番付」
(『びいどろの筆』より)
脚本:松平繁子
演出:片岡敬司
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[あらすじ]
神田・天庵。照月は、今年も潅仏会は店を休んで浅草寺に行こうなどと考えてい
た。と、絹が店に飛び込んできた。客が、早く暖簾を出してくれとのこと。
「どこの腹っぺらしか知らないけど、遠慮なく入ってもらったらいいじゃないか」
店を開くと、客が雪崩を打って入ってきた。
* * * *
大入り満員の天庵では、千両長屋の人たちまで駆り出して客を捌いている。この
盛況は、天庵が味番付で西の大関になったからだった。
夜、天庵のそばを通った辰は乞食の母子を見る。辰が声を掛けると母子は逃げて
行った。子供が落とした守り袋を残して。
気になった辰が天庵の裏口に回った。覗くと照月たちが縛られている。三人組の
強盗に襲われて、売上を洗いざらい持って行かれたのだった。照月が言うには、賊
の一人は上総訛りがあったとのこと。そこへ能坂が現れた。
「やはり、ここもやられたようだな」
東の大関を張った「ひげ新」に押し込みが入ったので、ひょっとしたらと思って
見廻りに来たのだという。
「これじゃあ、味番付じゃなくて泥棒番付だ」
早速、番付作者の頓鈍が自身番に呼ばれた。盗人の手引きをするために番付を作
ったのだろうと言われた頓鈍は、この番付に凝らした趣向を辰と能坂に話す。番付
は「おもらいさん」達の間での人気で付けているのだ。能坂は一応は頓鈍を帰すが、
三日の内に犯人を挙げろと辰に命じた。
東の関脇・割烹茶の市に出向く辰。そこで彼は昨夜会った乞食母子がいた。茶の
市に張り込んでいた頓鈍によると、彼女が番付の種の一人であるという。その乞食
は上総から出て来たそうだ。長屋で辰は乞食の子供の落とした守り袋の中を覗く。
中には上総木更津村の所書きが入っていた。
潅仏会の朝……。
茶の市の隠居所が襲われた。有り金を残らず持って行かれ、隠居の利兵衛が殺さ
れた。屍体を見つけたのは下働きの栄で、休みを貰って実家に帰っていたのだが、
朝一番で帰ってきて屍体を発見したのだと言う。屍体のそばには「五大力サ」と書
かれた半紙があった。
「ものを書いていたところを襲われたようだ」
辰は松吉を上総に走らせたが……。
(以下原作のネタバレになるので省略)
[みどころ]
・乞食の母子と、なぜ彼らがこういう境遇に身を落としたか。原作にはないが、
人の、人に対する思いを見せられる。野村真美の演技もうまい。
・辰が真相に気付くところ。夫婦の心の交流を描いた場面かと見ていたら、解決
の手掛かりになるところ辺りは、なかなか上手い演出だと思う。
[原作との比較]
原作は夢裡庵先生捕物帳の一遍。探偵役は頓鈍が務める。そういう意味では、こ
の作品で一番損をしたのは頓鈍だろう。原作ではこの次の話で照月と頓鈍は所帯を
もつのだが。原作では照月は本郷天庵の主人。番付に載ったのも強盗に入られたの
も本店である神田天庵となっている。
一種のダイイング・メッセージを扱った佳作である「泥棒番付」であるが、今回
も脚本家は無神経なことをしてくれた。屍体の側にあった「五大力サ」を、辰は
「五大力」と読んでいる。なぜ「五大力」ではなく「五大力サ」なのか、これが事
件の重大な鍵になる訳で、その辺を全く考えてない脚本であろう。まさか現代人に
は「五大力」がなにか解らないだろうと考えているのだろうか? 原作では解らな
い人でも「五大力サ」が奇妙であると感じるように工夫してある。こういう工夫が
出来ないようならなまじな脚色などしないでもらいたい。この脚本家のパズラーに
対する感受性のなさには呆れるしかない。まあ、途中何度か別の形で手掛かりを示
しているので、一概に悪口をいうのもどうかとも思うが。
それと、原作で描かれた「なぜ手掛かりが残されたか」というロジックが全く描
かれていなかった。これは、ひょっとしてテレビ特有のあの問題が絡んでいるのだ
ろうか。
時代考証について一言。例によって重箱の隅をつつくことになるが、冒頭で照月
が「もうすぐ春ですねぇ」という。江戸時代は旧暦を使ってたことを、まさかこの
脚本家は知らないのだろうか? 今の暦に直すと潅仏会が行われるのは五月の中旬
から下旬と考えて間違いない。花見も終わって、それこそ春もまん中という時期の
筈。いくらなんでも勉強してなさ過ぎる。
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