******************************
第七回「辰巳菩薩」
原作:「辰巳菩薩」
   (『鬼女の鱗』より)
脚本:松平繁子
演出:佐藤峰世
******************************
[あらすじ]
 椿の木の下。
 庭にいた女の子がふと上を見上げた。椿の花が咲いている。木の上には男の子が
いる。男の子は椿の花を手折った。
 女の子はしゃがみ込んで、地面に落ちた椿を拾った。

      *       *      *     *

 深川に設けられた吉原の仮宅。そこから出てきた男が天庵で鉄五郎と話をしてい
る。男は柳橋の呉服問屋・和泉屋藤三という。鉄五郎に相談というのは、女のこと。
花魁を身請しようとしたが断られたというのだ。
「そりゃあ、お前さんが思っているほど相手は思っちゃいねえ。花魁に騙されてい
るのじゃないのかねぇ」
 そんなことはないと和泉屋は、自分の昔のことを語りだした。
 七年前、彼は花魁に命を救われたことがあるのだ。
「金に困って、もう死ぬしかないと思っていた私に五十両のお金を貸してくれたん
です」
 当時、手代をしていた彼は吉原で得意先の接待役をしたことがある。その時の相
方が紅山という花魁だった。その花魁に入れ上げ、店の金に手を付けたのが五十両。
それを花魁が救ってくれたのだ。

 千両長屋。鉄五郎は辰に、紅山に間夫がいないかどうか探ってくれるよう頼む。
辰は紅山に会っている時、花魁が外に呼び出された。暫くすると隣の間から話し声
が聞こえてくる。店の金の三十両に手を着けた男に、紅山が融通すると言っていた。
「これからは、わちきに会いたい気持ちも押え、真面目に奉公して立派な店の主人
となっておくんなまし」
 紅山が辰に言うには、彼女も二十五、年期が明けてもとても堅気ではやって行け
そうもないから年期を結び直すというのだ。紅山の行いに辰は首を傾げる。
 一と月後……。
 今度は鉄五郎が店に来た。そこへ辰が今は芸者・小兵衛となった紅山を舟遊びに
連れ出す。船頭は宇八という男。舟遊びの帰りに夜鷹蕎麦で辰は宇八に会った。小
兵衛のことを訊こうとすると彼はどこかへ行っててしまう。その頃、鉄五郎は藤三
の身請け話をしたが、やはり断られる。
 その夜、小兵衛が屋形船の中で殺された。和泉屋が早速駆けつけて来た。小兵衛
は「柳橋の旦那」に呼ばれて店を出て行ったのだった。船頭の宇八はそれ以来姿を
消している……。

                   (以下原作のネタバレになるので省略)


[みどころ]
 ・紅山と辰の最初の会話。吉原ということで「助六」をやっている。しろうと芝
  居風な小林薫のツラネ。成田屋を期待しない限りは、結構楽しめる。
 ・全編を貫く椿のモチーフ。これが事件を解決する鍵にもなる。


[原作との比較]
 原作では藤三が語り手を務める。謎を解くのも藤三。この話では、辰は全くの狂
言廻しに過ぎない。
 原作では、吉原で接待した夜、紅山と話をしていると地震が起こり、その時に彼
女を助ける。それで仮宅通いが始まるということになっている。テレビでは辰が盗
み聞きした紅山の科白も、もともとは藤三に言った科白。地震の部分を原作通り映
像化したら、さぞかし迫力のある画面だったろうと思うのだが……。
 この話では、誰が小兵衛を殺したかというのは全く重要ではない。誰にも優しく、
しかも身請けを頑なに拒む紅山という女性を描くことに狙いがある。この短篇を読
み終えたあと読者には一人の女として紅山が心に残るであろう。
 ではテレビは、というと、「この脚本家の描く人情なんて、この程度のものか」
とでも言わずにはおれない出来である。原作に出て来る紅山の動機が現代人には納
得出来ないだろうとでも思ったのだろうか、それこそ誰でも考えそうな、通俗的な
理由にしてしまっている。確かに椿のモチーフは面白いと思う。だが、それが小賢
しい小手先のみの技になってしまっているのも否定できない。
 原作での藤三の思い出話の代わりに辰と鉄五郎を配したため(これは、テレビで
は辰が主役でないといけないという理由にもよるのであろうが)、全体に紅山とい
う女性のイメージが希薄になってしまった。あまりに「時代劇テレビ」させようと
して、原作の良いところを台無しにしてしまっている脚本だとしか言いようがない。
 時代考証について。「辰巳芸者」ということでつい羽織を想像してしまった。で
もこれはテレビが正しい。幕末には深川の芸者はもう羽織を着なくなっていたから。
それより、多少気になったのは松吉の注進。「筋違橋」を「すじちがいばし」と読
んでいたが、確かあれは「すじかいばし」ではなかっただろうか?


ストーリィガイドに戻る
第八回へ