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第十五回「謡幽霊」
原作:「謡幽霊」
   (『自来也小町』より)
脚本:藤長野火子
演出:佐藤峰世
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[あらすじ]
 子供達が通りで遊んでいる。彼らは謡の声に足を止めた。陽炎の中、橋の上には
男が一人、座って謡を謡っている。
「あれ、謡幽霊じゃないか?」
 子供たちは恐る恐る近づいて行った。子供達は、男に睨まれ、腰を抜かした。吾
に帰ると、辻謡いは消えてしまっていた……。

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 子供を襲うと評判の謡幽霊がまた現れた。謡幽霊に睨まれた子供は命を落とすと
いう。それが今度は中ノ橋に現れた。早速、辰は謡幽霊を見た子供のところに行っ
た。
 辻謡の浪人が、とある長屋へ入って行った。子供の後を尾けての事だ。子供の入
った家に飛び込んで行った。刀に手が掛かっている。立ち向かう子供を、中にいた
親が止めた。
「竜之介どんで、ごわんな?」
 竜之介と呼ばれた男は、長屋にいた男に刀を向けた。

 林森が薮入りで帰ってきた。彼が更藤の隠居から聞いた話では、謡幽霊に睨まれ
た子供は祈祷師の雷光に見て貰えば命が助かるとか。「なにか臭う」と辰は、祈祷
師の所に行った。
 祈祷師は真っ赤な偽物。彼は別に謡幽霊とぐるではないという。だが会った事は
あると。その辻謡は、薩摩訛りだという。今にも人を斬りそうな目付きだととも。
「薩摩訛りか……」
 辻謡は父の仇を探していた。だが、ようやく見つけた男は仇ではない。本当の仇
は別の人間と知った彼は腹を切ろうとするが力つきて倒れてしまった。通りすがり
の男女連れが彼を助け起こした……。
 辻謡を助けた男は三桂という。表向きは将棋の指南だが実は博打打ちをやって暮
らしている。辻謡は三桂の妾とお互いの身の上を明かす。彼女は、彼が仇と付け狙
っていた男の娘だった。

 夜……。
 三桂の将棋指南所に、辻謡が礼にと訪ねた。同じ夜、駕篭かきのサブが、新シ橋
から屍体が投げ込まれるのを目撃した。屍体には、額に痣があった。着物からは将
棋の駒が出てきた。新シ橋のそばには三桂の指南所がある。辰が入っていくと中は
もぬけの殻だった。翌朝、三桂の妾宅に行ったが……。

                   (以下原作のネタバレになるので省略)


[みどころ]
 ・謡幽霊として現れた辻謡の生き方。仇を討つためにのみ生きた侍の人生を「悲
  劇」と見るか「侍はつまらない生き方だ」と見るかは見る者の心次第だろう。
 ・辻謡と三桂の妾との心の交流。


[原作との比較]
 原作の語り手は算治。彼と辰、松吉は江戸市中に出る謡幽霊を捜査していた。謡
幽霊が姿を消して暫くしたある夜、算治は新シ橋から屍体を投げ込むのを目撃する。
容疑者の三桂がおとなしく逮捕された頃、また江戸に謡幽霊が出た、というのが原
作の筋。辻謡の言葉は尾張訛りで、最後まで名前も、なぜ浪人になったかも判らな
い。
 原作では、最後まで謡幽霊と三桂との関係は判らない。テレビでは原作の「市井
の情」をメインにしたために、原作の謎が至って平板に出され、単なる「人情物」
になってしまった。また、辻謡の正体と浪人になった理由をはっきり描いてしまっ
たために、原作の「一途な男」というイメージが弱くなり、あまりにも時代劇のパ
ターンになった。原作の尾張訛りを薩摩訛りにしたのも、「幕末」のイメージを出
したいがための浅薄な小細工に見える。祈祷師は、原作では電行。これを雷光とし
たのは、この脚本家、漢字を読めないらしい。
 今回は脚本家も代わったので、今までの、時代劇を誤解したような脚本から脱皮
したかと思ったのだが、期待外れに終わった。
 時代考証について。現代語がドラマに入っても仕方ないとは思うし、江戸時代に
使われた言葉のみで脚本を書けと言う気もない。だが、サブ(駕篭かき)に向かっ
て、仕事を「サボる」はなかろう。サボタージュは立派な外国語だ。それと、屍体
の投げ込まれた「新シ橋」。これは「あたらしばし」と読むもの。「しんしばし」
とは、一体、何を考えて読んだものなのか。演出家にも最低限の勉強は必要であろ
う。


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