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第十六回「講釈連続殺人」
原作:「経師屋橋之助」
   (『びいどろの筆』より)
脚本:松平繁子
演出:六山浩一
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[あらすじ]
 川面に舟が浮かんでいる。船頭は、棹を置くと手拭いを取りだした。手拭いが男
の首に絞まる。
「橋之助は更に、渾身の力を込めて締め上げます。不意を突かれた権五郎、凄い力
で振りほどこうとしましたが……」とうとうぐったりとしてしまった。橋之助、妻
の仇の権五郎を渡しに引き上げ、鯵切り包丁で止めを……。
 講釈『経師屋橋之助』の一場。

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 潮入中州で屍体が見つかった。首を豆絞りの手拭いで絞められた上に鯵切り包丁
で腹を刺されている。『経師屋橋之助』の講釈と同じだ。殺されたのは左内町の炭
屋・菊花屋の旦那。前夜、寄り合いの帰りに殺されたようだ。
 屍体を確認に番頭夫婦がやって来た。「誰かに恨まれちゃいなかったか」と能坂
が訊いたが、番頭の妻は、菊花屋は「仏」と呼ばれた程の人間で、恨みを買うなど
「とんでもない」と言う。
 『経師屋橋之助』を語っているのは、今、「むら咲亭」に出ている神田伯馬。辰
はその夜「むら咲亭」に行った。楽屋へ入ると、中では男が、女に話しかけている。
「用立てた金子が、積もり積もって七両二分と一朱。よもや忘れた訳じゃあるまい。
……お前さんじゃ埒が明かないんだよ。師匠はまだかい!」
 辰が中に入ると、男は出て行った。女は伯馬の女房。辰が待っている内に神田伯
馬が入ってきた。伯馬は、講釈の前には誰にも会わないと言い、楽屋を出て行った。
 辰は女房に、伯馬がいつから『経師屋橋之助』を語っているかを訊く。伯馬は五
年前から、一と月置きくらいに語っていた。
 同じ夜、伯馬の女房・百合は、さっきの男に会った。彼は百合に迫ってきた。

 翌朝……。
 百本杭に女ものの長襦袢を着た男の水死体が引っかかっていた。前夜、伯馬が語
った『経師屋橋之助』強請の場での殺しと同じ手口だ。と、屍体を見に伯馬が現れ
た。芸のために殺し場を地で行ったのかと問い詰める辰。だが伯馬は仕事の後、吉
原へ行ったという。
「講釈師・伯馬、本気で洗って見る必要がありそうだな」
 男十郎の話によると、先代の神田伯馬の語っていた講釈の筋を変えて語ったので
今の伯馬は先代の客が離れていったという。「一つ、伯馬に仕掛けてみるか」辰は
言うが……。

                   (以下原作のネタバレになるので省略)


[みどころ]
 ・男十郎と辰が酒を酌み交わす。その時の、所帯を持つ辰と持たない男十郎の結
  婚観の違いを見るのも面白い。
 ・伯馬夫婦。夫婦愛について考えさせられる。


[原作との比較]
 原作は夢裡庵先生捕物帳の一遍。探偵役は林森。謎解きは本郷天庵で行われる。
原作での殺人は最初の一つのみ。『経師屋橋之助』そっくりの殺人が行われ、席亭
「むら咲」の神田伯馬の講釈が大入り満員の所から話が始まる。「むら咲」の主人
は鈴木辰三郎といい、「辰」シリーズの「夜光亭の一夜」(テレビ題名「蒼い瞳の
疑惑」)での語り手。伯馬は、あくまで脇役に過ぎない。原作は一種の「見立て殺
人」ものであり、なぜ講釈の殺し場と同じ殺され方で殺されたかという謎が中心と
なっている。その「なぜ」が犯人を指摘する手がかりにもなる。そして、そのため
にこそ殺人は一つきりである必要があった。
 ではテレビは、というと、原作のそういった工夫を理解できていないと思えてし
まう。連続殺人にするのは、まあ構わないであろう。そして、脚色でつけ加えた殺
人に説得力を持たせようとするのも理解できる。だからといって、原作の伏線を全
く無視してしまい、原作の部分のパズラーとしての骨格を骨抜きにしてもよいとい
うことにはならないだろう。原作での「なぜ」を、あまりにも軽く扱っている割に
は、脚色部分の「なぜ」はあまりに通俗的過ぎよう。以前の作品でも感じたが、こ
の脚本家、パズラー特有のアクロバティックな論理・動機を理解出来ていないとし
か言いようがない。どうせ原作から離れるなら、いっそ「見立て連続殺人」に徹し
て、全く別の話にしても良かったのではないだろうか?
 細かいことではあるが、「むら咲」の名前。なぜわざわざ「むら咲亭」にしたの
だろうか。「割菊」の時には「割菊亭」としなかっただけに、単に「解りやすくし
た」だけとも思えず気になる。
 時代考証については、特に問題と思えるところはない。ただ、「とんでもござい
ません」には相変わらず引っかかるが。それと、冒頭の舟。講釈では「屋形舟の船
頭」なのに、映像では猪牙ではなかったろうか?


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