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第十七回「伊万里の杯」
原作:「伊万里の杯」
(『鬼女の鱗』より)
脚本:松平繁子
演出:吉田雅夫
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[あらすじ]
千両町。井戸端会議に花が咲いていると、若い娘が辰のところへ訪ねてきた。辰
は今出かけていると柳がいうと、娘はそのまま帰ろうとする。
そこへ辰が帰ってきた。娘を見ると辰は、そのまま彼女を長屋の外へ連れて行っ
た。思わず後を追う柳。長屋を出ると、辰と娘が寄り添って歩いているのが見えた。
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ももんじ屋では客が猪の鍋をつついている。その店から若い男が出てきた。彼は
懐から青い杯を取り出した。
翌朝。柳の父の法事の打ち合わせにと、辰と柳が捕台寺に出かけた。寺の長念和
尚はももんじが好物という人間。その捕台寺では、夜な夜な幽霊が出るという。辰
と柳は寺に着いたが、辰はすぐに裏の墓場へ行ってしまった。柳が追いかけると、
辰は先日の若い娘と話している。
「もういやです。こんな所でこそこそと。いっそ死にたい」
「早まっちゃいけねぇ。いいね」辰は娘に言った。柳は一人で長屋に帰って来た。
ももんじ屋。辰はそこの若い男を呼び出した。勇吉という名のその男に辰は、娘
のことで話があると言った。勇吉は、
「親分さんの話は、聞かなくとも判っております。おあきさんに近寄るな。違いま
すか」言い捨てると店に戻ってしまった。
その夜。捕台寺の裏であきと勇吉が会っていた。
法事の朝……。
辰の一家が捕台寺へ墓参りに来ていた。と、墓地で屍骸が見つかった。白装束の
女。寺の小僧は、夜な夜な出て来る幽霊にそっくりだという。辰が屍体を見ると、
あきだった。そばに、青い陶器の破片があった。
自害したうように見えたが、鉄五郎は「綺麗すぎる。ためらい傷一つない」と言
い、裏がありそうだという。あきは、呉服問屋・秋島屋の一人娘で、最近、気に染
まない縁談が持ち上がったとかで、辰に相談していたのだった。彼女には好き合っ
た幼なじみがいたが、お互いの親が犬猿の仲。捕台寺でこっそり逢い引きをしてい
たのだという。辰はももんじ屋に行く。
ももんじ屋では勇吉が三日前に家出していた。辰が主人に、あきが死んだと言っ
ている所へ、勇吉が屍体で見つかったと知らせが入った。
勇吉は、土左衛門となって見つかった。屍体の指には切り傷があった。死ぬ前に
出来たものだった。勇吉には腹違いの弟がいた……。
(以下原作のネタバレになるので省略)
[みどころ]
・秋津屋の内儀の口から語られる杯の由来。
[原作との比較]
原作の語り手は捕台寺に寄宿する坊主の西契。謎を解くのは納所坊主の了英。も
もんじ屋で買ってきた牛の肉で一杯やった翌朝、裏の墓地で屍体が見つかる。死ん
だのは安岡秀幸の妻・あき。その後、大川端浜町河岸で水練の稽古納めで水屍体が
見つかる。死んでいたのは瀬戸物問屋・今利屋の息子の勇吉。原作の眼目は、この
二つの死が思わぬ所でつながって行くところにある。そして、読後、事件の真相を
知った読者はしみじみとした感情を味わう。最後の一行など、忘れられぬものとな
ろう。
テレビはというと、「妹背山」か「ロミオとジュリエット」か知らないが、真相
の部分の心理が、至って安易なものに書き直されている。これは「雪の大菊」や
「死者の調べ」(原作「目吉の死人形」)などでも感じたが、江戸時代の道徳感を
前提にして普遍的な人間像を描こうとする原作での心理を、現代人の心理に変更し
てしまっている。その結果、現代的にはなったが普遍性を失い、時代物としても不
自然なものになってしまった。この脚本家には、原作者描くところの心理の綾は全
く理解できていないとしか言いようがない。
また、原作のパズラーとしての側面もこの脚本家は無視してくれている。あの真
相のためには、あくまで、あきは武家の妻女でなければならず、辰が二人の間を歩
き回ってはいけない。また、「書かないことで描いている」いくつもの手がかりを
これ見よがしに出してしまっているため、パズラーとしての興味がすっかり殺がれ
ている上、真相の解った後での読者の心に残る「人の心」まで薄める結果になって
いる。
脚色の上で設定がいろいろと変わるのはしかたない面があるが、今回、なぜかも
もんじ屋だけは残していた。これも理解に苦しむ。「幕末」の風俗には猪鍋が最適
とでも思ったのだろうか? あと、気になったのが辰と勇吉の会話。あきと逢い引
きしているなら、当然、辰のことも少しは聞いている筈。誤解するにしてもああい
う誤解のしかたは絶対にしないと思う。あと、これも重箱の隅をつつくような点だ
が、頓鈍が照月を口説く時の「てんてれつくとんどん」だが、テレビでは「自来也
小町」で、二人を指してからかう言葉として千両町で使われているように描かれて
いる。ほぼ一人の脚本家の手になるシリーズものとしては、無神経の謗りは免れま
い。
時代考証について。勇吉の弟が、異国に行って修行したいと考えている事になっ
ているが、長崎で修行するならともかく、この当時、海外渡航は禁止されていた。
吉田松陰のような志士ならともかく、当時の一般人が海外渡航など考える事すらな
かったと思える。この辺は時代考証というより日本史の基本的な知識の問題だが。
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