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第二十回「忍び半弓」
原作:「忍び半弓」
   (『自来也小町』より)
脚本:松平繁子
演出:佐藤峰世
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[あらすじ]
 正月。鳥追いが二人、薬種問屋・伊勢屋の前で喉を聞かせている。それを見なが
ら男十郎が店に入って行った。「あんないい声で口説かれたら、どんな気分だろう
なあ、番頭さん」彼は番頭に言う。番頭は手代に金を渡し、鳥追いに渡すよう命じ
た。男十郎が薬を貰い、番頭と話していると、番頭の胸に矢が突き立った……。

      *       *      *     *

 正月の町を歩いている辰と松吉。そこへ鳥追いと駕篭が通り過ぎた。と、男十郎
が走ってきた。鳥追いと駕篭を追いかけていたのだ。辰は松吉に後を追わせた。
 相生町の自身番で男十郎と能坂が屍体の見聞をしている。番頭は心の臓を射られ
たのか、すぐに息が絶えた。射られた矢は長さ九寸二分で、普通の矢に比べて遥か
に短い。その弓を持った者を、もう捕まえてあると男十郎は言う。さっきの鳥追い
だ。鳥追いの持っている胡弓の弓の長さと矢の長さが丁度合う、第一、胡弓ならそ
のまま持っていても誰も疑わない、と。それを聞いた鳥追いは笑いだした。彼女は
弓を男十郎に渡す。
「この胡弓を弾く弓は、弓の形はしていますが、糸は馬の尾の毛だ。それで矢を射
たら、一遍で糸が切れちまいますよ」
 この長さの矢は半弓で射られたものに相違ない。半弓には駕篭から射る駕篭半弓
がある、駕篭が通らなかったかと能坂は言う。確かに駕篭は通った。そして、その
駕篭を担いでいたのは辰の長屋の住人だった。
 駕篭を見た手代によると、駕篭は左から右に行ったという。もし駕篭から射たと
するなら、弓を持つ手は逆手になる。そこへ駕篭かきが入ってきて、両国広小路の
酒木屋という矢場まで行ったという。乗せたのは矢場女だと。矢場女なら逆手で弓
を持っても不思議はない。手代の話によると、番頭は昔、矢場の女に惚れて通い詰
めたことがあるという。
 駕篭に乗っていた女・滝は殺された番頭と訳ありだったということ。辰に男十郎
は、手証を固めているところだと言う。

 番頭の通夜……。
 伊勢屋に男十郎が訪ねて来ると、鳥追いが線香を上げたいとやって来た。男十郎
の計らいで、彼女達は店に入って行った。
 翌朝、伊勢屋の前で手代と鳥追いが話していた……。

                   (以下原作のネタバレになるので省略)


[みどころ]
 ・算治を元気づけようとする辰一家。「いかにも」テレビシリーズの雰囲気では
  あるが、やはり見ていて心温まるものがある。
 ・ようやく照月と頓鈍が所帯を持つことに。やっと原作に追いついたことになる。


[原作との比較]
 原作の語り手は男十郎。事件の発端はほぼ原作通り。原作に出てくるシャクシャ
インを出さなかったのは、放映後のトラブルを避けたためか。原作では、男十郎親
分はこの話にしか出てこない。また、原作の最後にほんの少しだが夢裡庵が出てく
る。
 『辰』のドラマでは、まづ事件の発端が紹介されたあとでオープニングタイトル
となるが、今回はその番組構成が裏目に出てしまった。と、いうのは、原作で番頭
が殺されるまでにシャクシャインが登場し、番頭の昔惚れた女の話が出てくる。そ
れが、事件の起こったあとで、鳥追いの胡弓、アイノの半弓、矢場女の逆手という
筋道の伏線となっており、また、滝の話や原作の最後の部分にしても、番頭が堅い
理由が冒頭で話されているからこそ生きる訳だ。最初の三分ほどで視聴者を引き込
むこの構成も、時としてドラマの足を引っ張るということだろう。
 原作での眼目は、凶器消失のトリックと滝のエピソードであろう。それと、(あ
る意味での)意外な犯人である。犯人像とトリックについて、原作では最後に辰が
男十郎に説明するまで、読者にも明かされていない。これは男十郎が語り手である
以上当然ではあるが、その結果としての解決の鮮やかさが印象に残る。テレビでは、
辰の事件解決の経過を見せようと、途中で事件のからくりや凶器を見せてしまって
いる。だから大詰めでは捕物以外に見る物がなくなっている。脚本家の演出法のま
ずさが出てしまった感がある。また、構成上難しかったとはいえ、滝のエピソード
を削ってしまったのは頂けない。犯人の行動を描くくらいなら、もう少し工夫して
滝と番頭とのいきさつを映像化して欲しかった。今回は妙な脚色をしていないので、
その辺、脚本家を認めるが、原作のどこを削ってどこを残すか、という点になると
やはりセンスを疑ってしまう。
 時代考証について。まづ気になったのは半次の科白。「矢場の女なら弓が上手い。
逆手で弓を引くことも」というような意味の科白だったが、とんでもない。矢場の
女は、客の手をとって弓を引くために、常に逆手で弓を引くのだ。だから原作でも
逆手と聞いて矢場の矢取り女が怪しいと男十郎が気付き、そこから滝が見つかる、
という段取りになっている。この辺、脚本では、なにを勘違いしたのか理解に苦し
むような変更になっている。それと、これはよくある間違いなので、一概に脚本家
を責める訳にはいかないのだろうが、算治が寺子屋を開くという部分。江戸では
「寺子屋」とはいわず、「手習師匠」といっていた。『菅原伝授手習鑑』に「寺子
屋」の場があるのは、これが上方で出来た人形浄瑠璃だから。些細なことではある
が、テレビでよく見る間違いなので指摘する次第。


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