2004年3月18日(木)
健康診断

久しぶりに病院、近所のTクリニックに行った。区の健康診断で40歳になったお祝い?に、節目検診とかで何だか、いろいろ検査してもらえる。眼圧検査とかの検査では、眼球にいきなり風がバァとか当たって、びっくりしてるうちに終了。ここ2年程、病気知らずでTクリニックに言ったのは、サーズが真っ盛りの時にイギリスに行く為、先生に医療用マスクをおねだりに行って以来だ。先生と話しているうちに検査は、あっという間に終った。最後の血液検査で久しぶりに自分の血を見て、なんだか不健康な色に見えた。なんだかドロドロしていそう!最近の食生活は、単身赴任のオヤジ化しているので要注意なのだ。病気では無いと思うが、食生活の偏りは絶対に数値にでてしまうので、きっと改善しなければならない。とりあえず、寝る前に瞑想とレイキをミックスして、寝ている間に内臓が綺麗になるように心がけてはいるが、そんなマヤカシで内臓は綺麗にならないかも。ま、後は結果待ちのみ。でも、結果を聞くまでは、今日もビールと大好きなピーナッツをたくさん食べて、おまけに焼き鳥も食べてしまおう。ピーナッツといえば、最近すごく美味しいピーナッツを見つけて、今まで食べていたのは何なんだ!と思うくらいの特別なヤツなのだ。でも、より一層食べそうで怖い。夫いわく、リスとかナッツを食べる動物以外で私みたいにナッツを食べる人、生物は見たことがないと言われた。ちなみに彼の家族は全員ピーナッツが嫌いなのだ。なんて、カワイソウな人達!と皆な分食べているのです。

2004年3月14日(日)
疲れたぁ!

ホームページのリニューアルに没頭!外はとっても良い天気で外出日和。でも、この部屋は朝日から夕日まで一日中、明るいのとベランダからはレインボーブリッジも見えて、すがすがしい。お化粧をしなくても大丈夫な?夕方まで待って、紫芋チップスとミルクを買いに出かける、と言っても外出時間は約10分!メイはず〜と太陽の動きに合わせて動き、寝場所を変えていた。What a wonderful life!!!余りにも日記が短くて、写真にコメントが書けない!夏のイギリスでの一枚、夫の大事な愛車でパブに行きました。

2004年3月13日(土)
テニス

月曜日から金曜日まで、よ〜く働いた自分を休ませてあげようと、ゆっくりと静かな朝を楽しんだ。今日は、部屋の掃除をして居心地のいい部屋にしようと、まず洗濯から。洗濯でも掃除でも、自分の周りが綺麗になるのは気持ちいいものだ。今日は本当に天気が良く、絶好のテニス日和。月に2,3回の土曜日に集まってテニスをする。集まるメンバーは高齢の方々で、上は75歳のジイサンで40歳の私はこのメンバーの中では、子供同然だ!私も75歳になった時、彼の様にテニスをしていたいと思う。60代に見えるくらい若いし、テニスもかなりの腕前。1年前に比べると私の腕も上がったらしく、それなりにゲームが楽しめるようになった。2時間テニスを楽しんでから、帰宅し掃除の再会。夕方までには、スッキリと掃除完了で気持ちもさっぱり。この気持ちいい空間で次の瞑想のテープの翻訳をしようと思ったが、あまりにも気持ちの良いテープで瞑想に誘導された後、睡眠に入ってしまった。テープが終わったカチッという音で目が覚めた。前回の翻訳の時も一緒だった。当たり前だが、寝てしまっては翻訳はいつまで経っても終わらないのだ!

眠りは大事だよ。
ネルコハ、ソダツ

2004年3月12日(金)
Welcom!
今日は嬉しい来客があった。通信講座の受講生で福岡在住のSさんが娘さんと一緒にアトリエに来てくれた。いつも、名前と作品だけしか分からない人と知り合えるのは楽しいものだ。仲のいい母娘は見ていて、本当に羨ましい。私も若い時に1人でも生んでおけば、今頃隣でビーズを通してくれていたに違いない!と後悔してみたりする。その後は、何年か前に取引のあったアートショップのバイヤーのTさんとも久しぶりに再会。3年前の作品と現在の作品が進化していると感想を述べてくれて、なんだか自分が褒められたように嬉しかった。
2004年3月10日(水)
実りの一日

今日は久しぶりにアシスタントをしてくれるOさんがアトリエに来る日。なんとなく暖かくフワフワした感じの彼女は可愛いと思うし、安心感がある。ここの所、自分のケチクササを感じて消化不良の気持ちを、優しく聞いてくれた。いつか、この霧が晴れる様に成長しなければ!とも感じた。今日は瞑想のワークの日。それも新しいワークの初日で、今日の瞑想に使われるテープの翻訳は私がしたものだった。この翻訳をするにあたっても、なんだか消化不良の気持ちがあったのだ。でも訳は自分でも納得のいく内容に、仕上がったと思う。新しい瞑想ワークとはいえ、メンバーが前と同じだったので、なんだか安堵を覚えた。それに、なぜが急に一体感を感じた。それに、妙にみんなの顔が前よりも明るく感じた。その部屋にいたメンバー全員が部屋が明るいとか、同じような事を言っていて不思議だった。私が訳した瞑想のテープは最後の方だった。自分の訳なので、まるで自分の子供の発表会の様に、ハラハラ、ドキドキ、そして誇りに感じたりした。そんな事を思っていたので、瞑想に入るのは中途半端だったけど、自分の心の中にあった「?」や「ケチクササ」にはさよならを告げる事が出来るべく、納得の回答を得る事が出来た。おかげで、心が明るくなり足取りも軽く、いつものごとくTさんと居酒屋に行き、美味しい料理とお酒で楽しむ。なんだか、1日にいろいろなドラマがあった充実の日だった。このワークの為のテープがあと5本と片面がある。なんだか、翻訳をするのが楽しく感じてきた。

鏡よ鏡、この世で
ケチクサイのは
だぁ〜れ?

Not me, !!!
と言える様に
成長したい!

2004年3月8日(月)
東京生活再スタート

タイトルが大げさな気もするが、なぜかそんな気持ちなのだ。やはり、自分の部屋で目覚めるのはいいものだ。夫が単身イギリスに行ってからは、夫との遠距離恋愛を楽しみながら1人暮らしのマンション生活も楽しんでいる。運河沿いの角部屋のこの部屋はベッドに朝日がサンサンと降り注ぎ、朝だよ〜!と身体が目覚める。でも、太陽の心地よい暖かさで朝なのに、お昼寝モードに入る事もある。週末はこれで、二度寝をする事が多々ある。部屋もホコリも、洗濯物も溜まっているが、見なかった事にして、ゆっくり朝を過ごしてからアトリエに出勤。テキパキと仕事をして、気持ちも引き締まる。今日は池袋のカルチャースクールでシルバークレイのクラスの日なので、有楽町線に揺られて池袋に向かう。サンシャインシティでクラスの前にふらふらするのが好きだが、ついつい必要ない物を買ってしまう。2月のクラスからほぼ1ヶ月ぶりのクラスだ。このクラスは20代から50代の12名で男性2名と女性10名の楽しいクラスだ。私もかなり楽しんでいるし、生徒達もそれぞれ楽しんでいるようで教える事が好きでは無いと思っていた私にとって、このクラス、生徒達との出会いで教える楽しさを学ばせてもらった気がする。今日も楽しい2時間は、あっという間に過ぎた。9時半頃、愛猫メイをKさん宅に迎えに行く。親切なKさん宅で、この日は夕食を頂く事になっていた。テーブルには、母の手料理といった感じの夕食が並んでいた。どれも、すごく美味しかったのと1人暮らしの今、仕事が終わって夕食がテーブルに並んでいるなんて、夢の様な嬉しさだった。メイはコタツでくつろいでいたが、私の声を聞くとゴロゴロ喉を鳴らしながら、めったに鳴かないメイには珍しく、ミャーミャーいいながら、甘えてきた。ペットホテルに預けた時とは違い、落ち着いていて痩せてもいなかったのでKさんには本当に感謝。美味しい夕食と楽しい会話で、気が付くと深夜になっていた。心地いい疲れとメイを連れて、帰宅して久しぶりにメイと一緒に眠りについた。

ペットホテルは
この箱に入っている
感じ。
やっぱ、箱より
コタツがいいなぁ。
By Mei Kelly

2004年3月7日(日)
広島Day5 - Last Day

東京に比べて時間がゆっくり流れているせいか、広島での5日間はすごく長く感じた。去年の10月に京都に行った時も同じように感じた。イギリスに行った時もそうだった。多分、空の広さというか空間も関係している様な気がする。広島も京都も目線に空が広がっている。もちろん、たまにビル等もあるけど東京の空は見上げない限り、空と建物の分量が同じか、空が少ない事も多々ある。そんなわけで、ぐっすり寝て朝が来た。朝はどこにいてもあっという間に来る。夜、眠れない人達が多い中、私というといつでも、どこでも、ぐっすり意識が無いくらい寝てしまう。隣に寝ていたはずの、いとこはもう起床。あわてて下に下りていくと、母といとこがダイニングで朝ごはんを楽しそうに食べていた。私には、「そこにパンもあるし、ごはんもあるよ。好きなものを食べなさい。」と放し飼いだったくせに、綺麗なコーヒーカップとソーサーまでつけて、楽しそうにオシャレな朝食をとっている。ちょっと、大人気なく嫉妬を感じた。私だって、お客さんなんだぞ!みたいなシンプルな嫉妬だ。そのまま2階に上がり、着替えてお墓参りの準備。もうすぐ、叔母も来るしいいや、と気を取り直して下に再度下りると、朝食タイムは終了していて母がいつもの様に、勝手に好きなものを食べろと言った。食べる気もしなかったので、コーヒーを飲んでいると叔母が来た。母、叔母、いとこ、私と4人で話しているのだけど、私だけういている。母も叔母もいとこを最大におもてなししようという心があるけど、私はどこかケチクサク、自分がおもてなしされたい!と感じていたからだろうか。結局、お墓参りはもう1組の叔父、叔母とも合流して、冠婚葬祭の勢いで親戚と付き合った。大阪のいとこは正しい日本人式に各親戚に菓子折りを持って来ていた。私はそんな事、考えてもいなかった。なので、挨拶ごとに肩身が狭かったりもした。でも、そんな事はどうでもいいのだが、自分がこんなにケチクサク嫉妬してりするという事に、驚いたり、ガッカリしたのだ。結局、めったに行かない観光客向けの「お好み村」に行ったりと一日を終えて、最終便で東京に戻った。この日もすごく寒くって雪がちらついていた。空港リムジンに乗ると、叔母が寒い中バスが出発するまで見送ってくれた。携帯メールで「寒いから、もう帰って。ありがとう。」とメールをしたら叔母が「さすが、気遣いの真美!でも残念。バスが出るまで帰らんよ。」と返してくれた。やっと叔母を独り占め出来た様な気がして、子供の様に嬉しかった。またもや、飛行機は揺れたが無事、東京到着。10時ころになり、猫を迎えに行こうと電話したら、「今日は疲れたでしょう。明日でもあさってでも、うちはいつでもいいよ。」と預かってくれたご主人の暖かい言葉。お言葉に甘えて、家に帰る。やっぱり、自分の家は落ち着くなぁ!と等分、出張も旅行も遠慮したいと思う今日この頃。

やっぱ、空の
無限大な感じがいい。
高層ビルに
乗っ取られた
東京の空は
カワイソウ。

2004年3月6日(土)
広島Day4

今日も寒い。4時半に寝たので頭がぼーっとしたまま目が覚めた、というのも恐ろしい程の音量で灯油を売るトラックが近くに駐車している様なのだ。なんとか無視して寝ようと思っても、無視できないくらいの音量で覚悟を決めて起きた。母はすでに起きていて、夜なべした人の様ではなく元気だ。雑貨屋を営んでいる母は、今までは、ただお客さんに娘の作品自慢をしているだけだったが、昨夜の経験からか、お客さんに難しさなどを語っているのを聞いて、可愛いなぁと微笑ましく思った。お昼頃、叔母のうちに行って経理のお勉強。しかし、行くと模様替えの相談を受けて、それなら今すぐやろう!と家具を動かし1時間後に終了。その後、私の不得意分野の経理のお勉強。秘書をやっていたころ、事務所の予算報告等をしていたものの米軍基地での事で、全て英語。日本の経理は漢字が沢山並んで、読めない!かなり日本人離れした問題が沢山!それでも、親切丁寧な叔母の説明で、なんとか帳簿はつけれるかなぁ?と思えるところまでになったので、勉強終了。今夜は10年ぶりに大阪のいとこにも会う予定。叔父の計らいで私の40歳のバースデー祝いをしてくれる事になり、みんなでホテルのラウンジでステーキディナーをいただく。叔父と私は共通点も多く、私の大のお気に入りの人だ。ちょっと自己中心的でわがままだけど、人一倍繊細で憎めない人なのだ。叔母が結婚しなければ私と叔父は会う事も無かったかもしれないわけで、叔父と親戚になれた事と叔母に感謝!なんでも叔父夫婦は今、コンピューターの学校に行っていて、ブラインドタッチの練習をしているらしい。確かにキーボードを見ずに、キーを打つというのは理解出来ている様なのだが、叔父は目を閉じて口も一文字にふんばって、ブラインドタッチの練習をしているのだ。なんともピュアで笑ってしまった。私が「別に目を閉じなくてもいいのに。」と言うと「でも、先生がキーボードを見るな言うたんじゃ!」でも、先生はまさか目を閉じるとは思っていないはず。なんだか生真面目な叔父の一面が出ている気がして笑えた。東京に住んで7年、広島に変えるとほぼお客さん化している私も、今回は大阪のいとこがいた為、なにげにローカライズしていた。しかし親戚というのは不思議で10年会わなくても、普通に会話が出来て違和感を感じなかった。明日はみんなで楽しい、お墓参り!

親戚は、どこかが
同じ色で
繋がっているのかなぁ?

2004年3月5日(金)
広島Day3

今日も寒い、ちらちらと雪。午後から叔母の家に1泊の予定で行く事にしていたら、電話があり義父の緊急手術の為、予定変更になった。では友達に連絡を、と思ったが実家にいる事にした。なんだか、心地よい疲れを感じて眠くなった。きっと、東京にいる時は頭に中にやらなければいけないリストがあるけど、広島にいる間は頭も空っぽにして、のほほんっと過ごすのもよいかと、昼寝をした。数時間して携帯メールが入り目が覚めた。夜もゆっくり母と夕食をとって、朝の4時頃までフィモを使って、母に作品創りを教えた。もともと器用な母は手際は良いのだが、人の説明をきちんと聞かずに作業を進める為、何度同じ事を教えても毎回違う事をしてしまうのだ。自分が人の話を聞かないのは棚に上げて、私がすぐ怒るから怖いとか言う。憤慨だ!結局、めんどくさいなぁ〜と思いつつも、これも親孝行だと思い朝まで付き合った。ようやく、私の作品がどのような工程で出来上がるかを理解できて大変さが分かってもらえたのは良かった。今まで、簡単にあれこれ作ってと頼んで悪かったと謝ってくれたりした。でも、作るのは楽しいので大変だとは思わない。ただ新しい分野のクラフトだから、1人でもこのクラフトの大変さや奥の深さが分かってもらえるのは嬉しい。今までは広島に帰っても友達と飲みに行き、夜中まで帰らない事が多かった私が丸1日、実家で母と過ごした事をすごく喜んでくれたのも今日1日のおまけだ。

島Day3
2004年3月4日(木)
広島Day2
東京でのバタバタの生活から一転、のんびりモードの広島。身体もそれを知っているのか何だかダラ〜として動きたくない。動きたくないもう一つの理由は、とにかく寒い!マンションと違って一軒屋は寒い、ましてや季節外れの雪まで降っている。なんで、家の中で息が白いのか!母は雪だるまの様に服を重ね着して、「そんなに、寒くないよ。」そりゃ、外にいるくらい着込めば寒くないだろう!!!お昼までダラダラして、1月に亡くなった友人Kさんのお墓参りと言うか、お骨参りをしにKさん夫婦のやっている、デザインオフィスに何年ぶりかに行った。お骨と写真、慰霊というよりはポスターの様な生き生きとした生前の彼女の写真が多くのお花に囲まれていた。1月13日からすでに2ヶ月以上も経っているのに、すごい量のお花がどしどし届いていた。ふと、自分が死んだら人々から2ヶ月後にも、私の事を想いお花を持って来たり送ったりしてくれるのだろうか?と、彼女に尊敬の念を送った。14年前、私がマネキン会社にデザイナーとして就職した同時期にインテリアコーディネーターだった彼女が旦那さんのTさんと、会社を立ち上げてた。その頃は仕事でもプライベートでもよく会っていた。14年前すごーく広く感じていたオフィスも今では従業員も物も増えて狭くなっていた。それだけ、この14年間がんばって仕事をしてきたのだろう。あの頃は、そんなに忙しくもなかったので、よくコーヒーを飲みながら話したものだった。特に私とTさんは気が合い、何時間も話したものだった。そのTさんに、どんな言葉を掛ければいいのか、分からないままオフィスを訪れたが彼は仕事で外出していた。気を利かせてスタッフの女の子が彼に電話を入れてくれて、私に電話を渡した。似合わないお悔やみの言葉などやめて、いつもの自分で行こう!と「久しぶり、元気?」と電話に出た。彼はすごく嬉しそうに「来てくれたんじゃね、ありがと。時間大丈夫じゃったら、待っとって。もし、スタッフが出払ったら留守番しとってくれる?」と言った。すごく懐かしかった。私はよく仕事の合間、ここに来てスタッフが出払うと留守番していた。その電話から30分ほどして彼が戻って来た。想像していたより、晴れ晴れとした表情の彼を見て、彼ら夫婦は魂で繋がっているのだと感じた。3時間くらい話して、やはりその通りだった。すごく辛い時期を過ぎたら、なんかスゥ〜と楽になる瞬間が来て彼女が近くにいる感じがしたという。これこそが本当の魂の繋がりだ!と二人で盛り上がった。周りにいた人達は「魂の繋がり?何それ?」と言っていたが、私も彼も何だか大切な事をシェアできて嬉しかった。夫婦というのは死ぬ時に、その人で良かったかどうか分かるという話を聞くが、特に残された方には、辛さを乗り越えた時に違う形の幸せが訪れるのだと思った。実際問題、子供がまだ10歳だし現実は大変な事が沢山あると思う。でも、彼女の面影があるGちゃんは必ずTさんの心の支えとなるはず。共通の友達のオジサンJさんにも久しぶりに電話をしてみた。彼はオジサンだけど私の事を「頼りになるから、大好き!」と言っては私とつるんでいたのだ。彼と話すのも6年ぶりくらい、「もしもし、」と言うと「あれ?まみちゃん?」とすぐ分かってくれたのが嬉しかった。彼は奥さんを亡くしたTさんに「奥さんを亡くしてすぐは哀愁がただようから、女の子にもてるでしょう!いいねぇ〜。」と不謹慎な事を言い、彼を飲みに誘ったらしい。いかにも彼らしいしTさんは、そういう風に今まで通り振舞ってくれるのは助かった、と言っていた。結局、今回は日程が合わず皆なで飲む事は出来なかったけど、次回は暖かい広島で動き回るぞ!と心に決めた。でも、3月に雪が降るとはルール違反だ!この日は大好きな親友、Yさんとインド料理を食べて、楽しい夕食だった。

いつも心に
いろいろな色の
お花があればいいな

2004年3月3日(水)
広島Day1

約1年ぶりに広島に帰郷。ここの所、気流が不安定なのか飛行機は揺れるものだ!と思うくらいガタガタ揺れる。今回も無事に着陸して、山の中にある広島空港に降り立った。いつもは、ここからバスに乗るが、今回はペットの猫メイを連れて帰る予定だったので、兄の迎えに来てもらう事になっていた。考えてみたら、今まで私から兄に電話をして何かを頼むと言うことが無かったせいか、すごく嬉しそうに了解してくれた.。そんな兄にドタキャンするのはかわいそうになって、最終的に猫は東京でお留守番になったが、迎えに来てもらった。兄と2人で話す事もめったに無いし、車の中での会話を楽しんでいた。高速を抜けて、郊外の広い道路を走っていると若い母親2人とそれぞれの2人の子供4人が歩道を歩いていた。そのうちの3歳くらいの1人の男の子がジグザグに走っているが、母親はおしゃべりに夢中。兄と二人で「車道にでも飛び出したら大変だね。」と話ながら気を付けていると、ちょうど兄の車が横断歩道を抜けようとした時に、その子が飛び出して来た。兄がスピードを落としていた事もあって、右によけたものの右斜線の車と接触事故を起してしまった。あのまま急ブレーキをかけると後ろの車に追突されて、男の子もひいてしまったかもしれない。あの時点では右斜線に逃げるしかなかった。男の子は驚いて歩道に引き返したが、横断歩道の白い線の3本目まで出ていた。3本目といえば車道の中央だ。母親はうちの兄の車が止まるまで気が付かないくらい、お喋りに夢中だった。幸い、誰もけがをしなかったが、もし兄が普通にスピードを出していたり、注意していなかったらあの子をひいていただろう。警察を呼んで、事情調書を書いたりと1時間半くらい足止めになった。警察は本当にアンポンタンなオジサンと若者の二人で、「3歳の子を責めてもしょうがないから、後は二人で話し合ってね。」と軽く言った。後の二人とは兄と接触事故に巻き込まれた相手の運転手の方。私はええぇ!そんなの無い。だってあの子が飛び出さなければ事故は無かったし、どうしようもなかった兄だけが加害者にされたのだ。こんなのを許すから、当て逃げされたい人や、中には自分の子供を車道に押して、お金をとろうとしたりする人まで出てくるのだ。ここで私の怒りはピークになり、警察官に機関銃の様に質問というか、尋問を始めた。アンポンタンのオジサンはたじたじになって自分は保険屋では無いとか、意味の無い返事をして余計に私を怒らせた。「あなたと話しても時間の無駄のようですので、管轄の警察署に連絡して話させてください。」と迫ったところで、兄に止められ攻撃を阻止されてしまった。でも、私がうるさく言ってなければ兄は加害者で終わったし、あの母親も今後もっと子供に気をつけるだろうし、あの子も何かを学んだかもしれない。で、なければ次はひき殺される可能性だってあるのだから。「ま、誰もけがもしてないし、良かった。」と軽く言う事態では無かった。今、考えても車がすごくスローモーションで右にカーブして、男の子すれすれによけた感じだった。ひかれていない方が不思議なくらいだった。母を心配させない様に、電話連絡して自宅に戻った。せっかく久しぶりに兄とドライブだったのに、散々だった。心優しい兄は、関係した全ての人達を「可哀そう」と言っていた。しかし、そんなあなたが一番、気の毒よ!と私は思った。結局、こんな感じで1日目は始まり、その日は5時から仕事の打ち合わせがあったので、母の手料理でお昼を楽しみ、広島市内へと出かけた。夜はお気に入りのお好み焼き屋で夕食を済ませて、親友のやっているバーに仕事関係の人達と行って、ゆっくり楽しんだ。私と親友のYさんは良く似ていると言われて、2人一緒に座っていても間違われる。でも、そんなに双子の様にそっくりなわけではないので、すごく不思議。それに彼女に似てるといわれると嬉しい。彼女と会えるのは広島に帰って時のメインの楽しみなのだ(^^)。

東京でお留守番。
優しい家族と一緒に
リラックス。
男三兄弟の家で、
女の子のメイは
可愛がられたらしい。
三男の達也君のベッドがお気に入りだったそうだ。

世渡り上手なヤツ。

気まぐれ日記 3月

1月の日記

2月の日記

トップページに戻る