『出世証文』
「菓子屋の餡焚きなんぞはどうだね、少しは骨が折れるが、その代わり給金がいゝ。丁度老舗の好い所から口がかゝって来ているんだが」
「結構です、是非差し向けてください」
「神田の千代田町で、大久保主水様という立派なお菓子屋さんだ、名前を訊いただけでも分かるだらうが、由緒ある家柄で、御先祖は立派なお武家だつた。お出入り先は大抵大名かお旗本。広い江戸に数ないという店だ」
「江戸には煉羊羹というものは、無いようで御座いますね」
「そんな物は無えよ、羊羹は蒸しにきまつてらァな」
「お国自慢をいふ様で変ですが、大阪の東の淡路町に駿河屋という店がありまして、そこが煉羊羹の元祖です。先祖は紀州の駿河町から出たとかいふことで、それは/\随分繁昌して居ります。上品な味で、歯茎や上顎に着かず、江戸の方にも口に合ひさうに思ひますがね、一つ試しにお拵へになってし何うでせう」
「篦棒め、江戸ッ子はそんなものは喰はねえや」
『北越雪譜』
寛政のはじめ江戸日本橋通一町目よこ町字を式部小路といふ所に喜太郎とて夫婦に丁稚ひとりをつかひ菓子屋とは見えぬ●(たけかんむりに、隔)子造にかんばんもかけず、此喜太郎いぜんは 貴重の御菓子を調進する家の菓子杜氏なるよし。奉公をやめてこゝに住し、極製の菓子ばかりをせいして茶人又は宮家のみあきなひけり。さて此者が工風とてはじめて練羊羹と名づけてうりけるに 羊羹本字は羊肝なる事芸苑日鈔にいへり 喜太郎がねりやうかんとて人々めづらしがりてもてはやしぬ。しかれども一人一手にてせいするゆゑ、けふはうりきりしたりとてつかひの重箱空しくかへる事度々なり、これ余が目前したる所なり。
(2018.06.05)