- 江戸で初めての上水道をつくった男 -

お菓子な旗本 大久保主水


<番外編3>浪曲『野狐三次〜木っ端売り』のなかの大久保主水


 いまでは浪曲を聞く機会が少なくなったが、まだ浪曲師は何人かいて、高座にも上がっているようだ。『野狐三次』という演目のなかに大久保主水の菓子が登場するという話を聞いたので探してみた。町火消しの三次の少年時代の話で、生活を支えるため棟梁から木っ端を仕入れ、売り歩くことにした。親孝行の三次の木っ端はよく売れたが、うまく売れない日もある。そこで、いつも残りの束を買ってくれる仕立屋の六兵衛のところに持ち込むと、お茶を入れてくれて・・・。


『野狐三次』(『講談名作文庫』・昭和二十九年刊行『講談全集』の文庫化)

六「おう、なにかうめえ物はねえか」
女「おまえさん、伊勢屋からもらった三棹入りの羊羹があるよ」
六「羊羹か、それを切って持って来ねえ、さあ三次や遠慮なく茶を飲みな」
三「ありがとうぞんじます、ええおやかたすみませんが、木っ端を一つ買ってくださいませんか、六束残ってしまいましたんで」
六「ああいいとも、おう、木っ端が残ってるそうだ、みんな買ってやんねえ」とこんなあんばいにほうぼうのうちでかわいがられております。
六「三次、羊羹を二つやろう、さあ食べな」


 というくだりがあって、羊羹は登場するがどこの羊羹とは言っていない。この演目を東家浦太郎が口演したCDがあって、それを聞いたのだが、そこでもどこの羊羹とは特定されていない。
 ところがYouTubeにアップされている東家一太郎『野狐三次〜木っ端売り』では、六兵衛は「ここにな、神田の大久保というな、御菓子屋さんの羊羹がある、これはおいしいぞ」(28分50秒)と三次に羊羹を奨めているのである。
これは、演じ手によって変わるのだろうか。師から弟子へと芸が伝承されるときに、受け継がれていく内容が変わったりするのかも知れない。同じ東家系統でも、大久保の羊羹という場合と、そうではない場合があるのかも知れない。

とはいえ、大久保主水の羊羹は基本的に徳川家の御用達であって、一般庶民の口に入るものではない。どういう理由で大久保の羊羹と紹介されるようになったのか定かではないが、江戸が終わって大久保主水が菓子司でなくなってからも、大久保の羊羹というものにステイタスがあったと見るべきなのだろうか。

(2018.06.21)

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