山村一蔵


東京大学医学部へ


医学部ドイツ語教師となる

宮古島の建碑の仕事を終えた一蔵は、翌明治10年、東京大学医学部教師に復帰している。ただし、文部省に籍があったかどうかは不明である。官員録などに一蔵の名前をまだ確認していない。『東京帝国大学五十年史』第五章 医学部 第三節 「教職員の異動」に、明治10年度の教員表一覧がある。明治10年は医学部が開設された年であり、教授18人中ドイツ人は11人、日本人は7名である。さらに日本人の助教が7人、日本人教員が9人列挙されている。山村一蔵はドイツ語学の教員で、教員9名中2番目に名前が挙がっている。また、川上正光はドイツ語学助教で、これも7人中2番目に名前がある。



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