はげかつらの哀しい日々



 年齢不詳。
 これは広告に携わるギョーカイ人にとって、必要な外観だ。若いうちはヒゲを生やして風格づくりに励む。で、白髪が増えてくると、短く刈り込んで目立たなくする。年相応に見られたくない苦労がいろいろとあるのだ。
 白髪は、まあいい。白くなった分だけアイディアひねり出した勲章、と見えなくもない。 天敵は、ハゲである。外人ならサマになる額の後退も、日本ではただの老化現象としか見なされない。ハゲはクリエーターにとって致命傷なのだ。
 ついでにいうと、広告業界には四〇才定年説というのがある。二〇代はがむしゃらに吸収し、三〇代で創造力を使いきり、以後は過去の遺産を小出しにして食いつなぐ。年をとったら、クリエーターはただの人なのだ。

 僕がかつて所属していた広告プロダクションに、Aというクリエーティブディレクターがいた。
 コピーライターとして若いときは活躍したらしいが、五〇代も半ばの最近はディレクションの仕事ばかり。彼もまた過去の遺産で管理職になって生き残っているクチだ。その彼が、人には知られていないと思い、社員のほとんどが知っている事実があった。
 カツラの着用である。
 三〇代の終り頃から次第に額が後退しはじめたらしい。しかし、ちょうどいい具合に、精度の高いカツラが、当時、売り出されはじめていた。A氏はさっそくそのユーザーとなった。それ以後、ヅラは毎日のみだしなみとなったのである。
 僕が入社したときには、もうカツラをかぶっていたらしく、まったく気がつかなかった。同僚のデザイナーにいわれて、そうなのか?と疑惑の視線を送るようになったくらいで、ヅラのデキの精巧さはなかなかのも、といってよいだろう。
 分け目に注目してみな、というアドバイスをもらって、たまたま相対したとき、髪の分け目に熱い視線を送った。
 なるほど。そこには肌色の地肌はなく、緑色のグリスでも塗ってあるみたいに脂っぽいメッシュ地があった。あそこに髪の毛が植えられて、それを被っているというわけか…。 打ち合わせの内容もそこそこに、妙に感心してしまったことを覚えている。
 それに、語り継がれているエピソードと同じ場面に何度か出くわした。
 そのエピソードは、こうだ。
 会社から歩いて三分程の中華料理店に部下と数人で昼食に出かけた。帰り、店を出ると雨が降り出していた。みなは走って帰ろうと口々にいう。しかし、ひとりA氏だけは「僕は雨は苦手なんだ。タクシーで帰るよ」といったという。そして、その通りタクシーを拾って戻ってきたという。
 カツラは雨に弱く、ひどく蒸れるらしい。その苦痛は並大抵ではないらしい。かといって、そう簡単には変えられない。だから、雨はカツラには天敵だというのだ。
 それを聞いていたから、あるときちょっと意地悪をしてみたことがある。
 クライアントからの帰りのことだ。電車から降りると小雨が降りはじめていた。会社までは途中ちょっと途切れるが、地下道がある。Aさんは「地下道を通っていこうよ」といった。でも、雨は霧雨に近く、かえって気持ちがいいくらいの降りだった。
「このくらい濡れていっても大丈夫ですよ」 一緒にいたデザイナーがいった。僕も、
「潜って行くより、上を歩いた方が早く着きますよ」
 などと調子に乗った。
 その当時、Aさんの仕事ぶりにはほとほと弱り果てていた。会社の偉い人にはハイハイと頭を下げ、クライアントにもハイハイと調子がいい。ツケが回ってくるのは、いつも現場の僕たちだった。
 その仕返しだ。という気持ちがなかったとはいわない。
 Aさんは弱り果てた笑みを浮かべながら、霧雨に打たれて僕たちと会社に戻ったのだった。その話を同僚たちに話して腹を抱えて笑ったのはもちろんのことだ。

 それから数年して、僕は会社を辞めることになった。本意ではないが、しがみつく価値もないと判断したからだ。四〇才定年説にしたがえば、無謀なフリー宣言ではあるのだが、なんとか生きている。
 Aさんは、会社の偉い人に「売り上げ売り上げ」と毎日のようにいわれ、もう制作にはほとんどタッチしていないらしい。いっそのことカパッと外して、営業にでも回ったら、ウケると思うのだが、余計なお世話ですね。

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