痔になってしまった。
 コタツでワ―プロをカタカタと打っていて「あれ、尻がイテエな・・・」とか思って、正座をしたり尻の位置を変えて座ったりを繰返したがヤッパ何かへん。で、尻を触ってみると、肛門に突起物。突然のことで狼狽し、不安に陥った。
 手元にあった『名医が気になるこの病気』全3巻というのをひもといた。これは池袋駅前「盛明堂書店」(もうないけれど)という古本屋で買ったもので、ときどき眺めては不安と恐怖を駆立てられているという「こんな病気にかかったりしたら、イヤ!」というオソロシ本なのだ。割とやさしく書いてあるのでよくわかり、よくわかるからこそコワイ本なのである。
 それを読んで痔には切れ痔、イボ痔、痔漏というのがあるのがわかった。しかし、俺の痔がどの痔なのかはよくわからない。だからこそ、不安はいやましにつのり、悪い方へ悪い方へと想像はたくましくなっていった。
 血は出ていないから切れ痔じゃあないだろうが、この痔漏というやつは切らないと治らないとかいてある。もしこれだったらどうしよう。痔の手術は死ぬほど痛いと聞いているし、そんなんなったらもう・・・と考えていると鼓動は激しくなり、めまいを感じて絶望感すら覚えるしまつ。さらには、痔から発見される直腸癌、肛門癌もあると書いてあったりするもんだから、もうダメ。頭はパニックになってしまった。
 パニックのまま土日を過ごし、月曜の朝、おそるおそる肛門を触ってみると、まだまだいました突起物。はち切れんばかりになってプクプクしてる。さて、この中身は血か、はたまたリンパか何かなのだろうか・・・考えるだに恐ろしい。
 で、意を決して保険証を手に出かけたのでありました。『名医が気になるこの病気』の中で“痔と肛門癌”について書いている、Aという人の病院が通勤途上の市ケ谷にあるのだ。
 駅から5分ぐらい。ビルは個人病院にしてはわりと大きいが、入口は人気が無くて病院というイメ―ジとはかけ離れている。下足番(いやホント)のオバサンがいて「受付けは上です」という。ぺたぺたとスリッパの音をたてて2階へ。ロビ―は広いのに閑散としている。俺は窓口へ行って保険証を差出した。すると受付のオバサンはこともなげにこういうのだ。
「うちは保険は扱ってません」
「げげっ!」
 こりゃあスゲエとこへ来ちまったい。俺の表情に気付いたか、オバサンは
「・・・でも初診料は2500円だから診てもらうだけ診てもらえば」
 と、軽くいうではないか。しかし、この2500円というのは、保険を扱っていないにしては何となく安く感じられて、
「はあ、じゃあ・・・」
 と応えてしまう。心の中は、とにかく診てもらわねば。そうでなくては話は進まない。ここが駄目ならじゃあどこへいくんだ・・・なんだもの。
 というわけで、俺は診察カ―ドを書いて提出した。しばらくして問診と相成った。ある日突然尻に突起物が出来たこと。痛くもかゆくもないけれど気になるってこと。血も出ない。不安だってこと・・・。仕事は何してる? って聞くから広告会社でコピ―ライタ―っていうのをやっている、ていうことも。それと、既往症について。
 問診が終わると看護婦に隣の部屋へ行くようにといわれ、促されて診察室へ。オバサン看護婦が無表情にいう。
「ズボン脱いでこの上のって。あっ、もう少しお尻前出して・・・そう、はい」
 産婦人科の診察室はかくあるや、と思わせるような診察台で、仰向けになって寝て、両足をやや開きがちにして足受けに載せるのである。赤ん坊がおしめをしてもらうときのような格好だ。看護婦は、その格好の俺のパンツをグイとズリ下げ、いや、ズリあげ(?)、わずかの間ののち元にもどした。このとき、オバサン看護婦はなにをしたのだ? ただ、見ただけなのか? 何を? 何のために?
 その看護婦はそのあと医師が俺を診察するまでの間、ちょくちょくやって来た。そして、診察台に寄かかったり、ため息をついたりした。たまたま(?)別の看護婦が来たのだが、診察台に寄りかかったまま同僚と馬鹿っぱなしをはじめた。
「あんた、それいいじゃない。似合うわよ。そういうほうがあってるわ。うん」
「そぅお・・・」
 なんていいながら手持ちぶたさ左手の指が診察台をコツコツいわせていたと思ったら、足受けから下ろしていた俺の足首をいじりはじめ、撫ではじめ、しまいにゃあ握っちまった。こっちは診察前で緊張していて、あたかも判決が下される前の被告人。足首を握られたぐらいじゃあ微動だにするものではなかったのだけれどさ。
「似合ってるわよ。あたしも買いにいこうかなぁ」
「安かったのよ、これ」
 そんなふたりの会話が、下半身パンツひとつで診察台の上で仰向けになっている俺の耳に入ってくる。心はあせる。医者はまだか!
 看護婦がいなくなると、隣の部屋からボソボソとほかの患者との問診の声だけがB.G.M.になる。ドクンドクンという鼓動が大きくなり、天井の合板の模様が強調される。その模様のパタ―ンが何センチ間隔ぐらいかを検証したり、同じ模様が天井にいくつあるのかを数えてみたり。いまの自分が自分じゃあないみたいで、何で俺、ここにいるのかな、って考えたり、ちょっと浮遊感覚に陥ってしまった。
 そんな歪んだ空間を蹴飛ばすように医師が突然のように現れた。パンツはペロンとめくられる。いま見てるんだ・・・と思っていると、
「コピ―ライタ―っていうのはひらめきが大事なのかな・・・」
 という医者の言葉を聞いたところで、俺は突然尻の穴に異物の浸入を感じた。火箸を差し込まれ、そのまま突上げられたみたいだ。恥じらいもなくオオッ、オオッ、オオオッオッ、オッツ、ォオォオオッオツ・・・っと声を上げてしまう。尻の穴の中で火箸が激しく動く。指か? 何だ? 意識が頭皮を飛び出して天井へいったみたいだ。   
「・・・ひっ、ひっ、ひらめきって、いっいっ、いうより、オオッ、ォオツ、ォオォツ・・・あれ、あの、オッオッオッ・・・」
 この異常事態に、それでも返事を返そうというこの俺のいじらしさ。
 さて、肛門内波状攻撃は二度三度あった。
「はい、いいです。降りてください」
 と看護婦にいわれても、下半身から力が抜けてしまったままだ。肛門内にまだ異物感があり、なにか挟まったままに思える。足を動かすと肛門が破れそうで、股はガニマタ、すぐに動かせない。
 やっとのことで診察台からズリ降りた。息もたえだえでゆっくりジ―ンズをはく。なんともはや情無い姿であるよなあ・・・と思いつつ、がに股前傾壁を手で這う姿勢のまま診察室をでた。外の椅子で再び名前を呼ばれるのを待て、といわれたけれど、座わるいう単純な行為がいかに大変な行為か、よ〜くわかった。とてもドスンと座れない。右手で椅子の背もたれを握り、ゆっくりと腰をクッションに当てる。尻圧力は肛門に刺激があるんじゃないかととてつもなく心配になる。ああ、肛門の周りが熱い。
 10分程して問診された所へ呼ばれて、行った。
「コピ―ライタ―って、どういったような仕事をしてるんですか」
 とか、痔とは関係のないことを聞く。?と思ったが答えないわけにはいかない。適当に「オ―ディオやビデオ、ロボットなんかの広告もするし、この間はCTスキャナのカタログなんかも作りましたよ」とかなんとか応えると医者は、
「うむ、やっぱり言葉を大切にする仕事だから・・・」と、痔とは関係ない話題で感心したりする。「うむ・・・あの、あなたさっき『治るんですか』って質問したけどね、この、イボ痔っていうのは人類が立って生活するようになった結果おこってきたもので、誰でもがかかる可能性があるわけなんだよね。犬とか猫は痔にはならない。立っていることによって肛門に血が集まってしまうわけで、しかも、座る生活をするから血行が悪くなって血がたまる。静脈りゅうだね。これが、今あなたがかかっているイボ痔だ。だからこれは、治るとか治らないとかいう問題じゃあなくてね、ある意味で仕方のないことでもあるんだよね。・・・あの、虫歯にならないためには、どうしたらいいとおもう?」
「・・・ん―と、歯を磨くことですかねぇ」
「うん、それもあるけどね、人間、物を食べるから虫歯になるんで、食べなきゃならないの。痔もねそれと同じ。人間、立って歩かなければ痔にならないの。でも人間、食べないわけにはいかないでしょ。ま、いうなれば避けられないものなんですよね。遅かれ早かれ誰だって痔になるわけで、それが生きている内にでるかでないかの違いだけなんだ。だから、心配しないで。君だからいうんだよ」
 君だから? ん? あ、そうか。俺が不安神経症だっていったもんで、しかも、症状に対してナイ―ブな反応を示したもんだから、とくとくと説明しているのかな? 勿論そのおかげで不安が随分和らいだことは否定しない。随分と楽になった。これは本当だ。
 俺は先生に(おっと、先生になっちまったぜ)ありがとうございます、といってロビ―でまた名前の呼ばれるのを待った。

 名前を呼ばれて俺は受付けの窓口へ行った。それまで何をしていたかっていうと、ちょっと離れている場所に座っていた年のころ22、3歳の女の人をぼんやりと見ていたのだった。別にその子がカワイイとか色っぽいとかいうのじゃまったくなくて、最初に彼女が来たとき受付でいっていた言葉が耳に入ってしまっていたからだった。
「あのう・・・5年前に手術したんですけれどォ・・・はい、ここで・・・」
 う―む、そうか。5年前に手術していて再びまた悪くなるなんて可哀そうだなあ・・・。そうだろう、恥を忍んで恐れにおののきながら再度この病院の門をくぐったことだろうなあ・・・。「また切る」とかいわれたら悲惨だろうなあ。若いのになあ。俺みたいに、やっぱりあのベッドに乗せられて、足あげて、ズボッ!って指突っ込まれて、ウッ!とかうめき声出すんかなあ・・・。などと失礼なこと考えてた次第。
 看護婦は俺にこういった。
「こちらが座薬。一箱◎◎◎◎円。二箱で50個ね。使いかたは知ってますね」
「いいえ」
「毎朝排便後とお風呂のあとお尻の奥、このぐらいね(と、人指指を示した)、入れてください。排便後はお湯でお尻を洗うようにしてね。それからこれ、軟膏もでています。お尻の痛みを和らげるものです。こちらは一つ◎◎◎◎円。初診料と合せて8700円になりますけど、どうなさいますか」
 まるで「金がないんだったら仕方がないね、買えなくても」そんないいかたをされたような気がした。
 そうか、保険ならこの十分の一、870 円でいいのになあ・・・。しかし、ここではそうはいかねえ。かかった費用は全部自分で出さなきゃならんのだ。まいったぜ。
「はい。それで結構です」
 そう答えていた僕でした。・・・それはさておき、尻を囲むようにしてふんどしみたいのされていたのだけれど、それはどうするのかなって思って聞いたところ・・・
「あ、それはお尻が直接当たらないようにしてあるものだから当分しておいたほうがいいでしょう」
 とか言われてしまうしまつ。ええい、ままよ!尻に詰物されて、若干ガニ股歩きで僕は病院を後にしたのでありました。いやあ、まいったまいった。

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