1998年8月16日(日)
■写真美術館-目黒/大崎-品川宿-品川
●「電子時代の新たなる肖像」写真美術館
久しぶりに恵比寿東京都写真美術館。ご存じですか? 写真専門の美術館ですよ〜。ガーデンプレイスの片隅にあるけど、ちゃらちゃらした人はあまりこないねえ。それでいいんだけど。常設展は静物写真。こんな名前の写真家(日本人)がいたの? てな感じ。メイプルソープの撮った花は、セクシー。ハンス・ベルメールの人形の写真は、いつみてもエロチック。うひゃ。欲しいな、1枚。企画展は「電子時代の新たなる肖像」。ま、たわいない仕掛けの写真とかビデオとか。でも、ひとつ。てるてるぼうず見たいな人形があって、その白い顔の部分にビデオ映像(もろ、顔)を投射するやつがあって、あれは、不気味だし笑えた。マットレスの下敷きになっている人形の歪んだ顔。ビデオの顔がなんか知らない言語(ドイツ語かな)をえんえんと話している。なかなかです。おもしろい。森村泰昌はすっかり大家になってしまった。
地下では、あいかわらずのトリック写真。でも、ふだんは予約制のワークショップに自由に参加できるコーナーがあった。といっても、いつもはスタッフオンリーの扉があいているだけで、どんどんお入りなさい、とやっているわけではないので、人がいない。だれも、入れると分からないから、入ってこないのだ。私も、係のオジサンに「入れますよ」と促されて入った。アナモルフォース(床に歪んで描かれた絵の中心に鏡面の筒を置くと、鏡面に正像が映るという仕掛け)を自分でつくる、というのがあったんだけど、正方形のグリッドに描いた絵を、歪んだグリッドに転写して・・・というのは、頭が混乱してしまう。あと、マイブリッジの分解写真を逆に動かすCD-ROMを見せてくれたり。しかし、お役所仕事。実際に人が作業したりすることを考えていないから、すんなりと馴染めない。きっと、館員が手作りでやったんだろうけれど、高校の文化祭レベルの企画で、いやどうも、こりゃこりゃだね。
●「目黒一茶庵」は、やっぱりお休み。「てんや」で天ぷら
写真美術館を出てガーデンタワーの前を通って目黒方面。昔はアメリカ橋を渡って、日の丸自動車教習所横を回り込んで貨物の踏切を渡って・・・というコースで歩いたんだけど、いまじゃ簡単に目黒方面にたどり着く。面白くない。けどしょうがない。目当ては、一茶庵の三色蕎麦。けど、やっぱりお盆休み。だよな。で、駅前にできたてらしい「てんや」に入る。「てんや」は初めて。興味はあった。素人が機械で揚げる天ぷら。そこそこいけているらしい、という評判。上天丼540円を注文。海老2匹。かぼちゃ。なす。ししとう。まず海老。べたべたはしていない。飯も、まずまず、かな。と進んでいく。が、口の中に広がる幸せ感が足りない。どうも、空虚だ。飯が、ぱらぱら。噛んでもうま味がない。タレは甘すぎないのだが、滋味がない。素気ないのだ。だんだん不幸せになっていく。やはり、540円。ネギとワカメの味噌汁も、物足りない。小さくても、豆腐! と思ったのだけれど。うーむ。
●品川宿の周辺をてくりてくり
暑い。東京は35度だという。うへ。目黒-大崎は電車。大崎から、江戸4宿(品川、新宿、板橋、千住)のひとつ、品川宿の探訪の予定。これ、最近読んだ「江戸東京を歩く 宿場」塩見鮮一郎の内容をなぞってみるつもり。実をいうと、品川近辺は、原美術館ぐらいしか知らない。京浜急行沿線はまったく経験なし。まして、旧東海道も。でも、きっかけがなかった。そこに、この本。実際に歩いている探訪記なので、それを拝借しようという魂胆。で、まずは大崎から山手通りを東に歩く。人気なし。でかいガラス張りのビルが建造中。1999年2月完成と外壁に書いてあった。だれが入るんだろう? いまどき。まあいい。居木橋。といっても、橋のイメージとはほど遠い。たんに、道路の下を目黒川が流れている、って感じ。で、この橋を渡って山手線と東海道新幹線のガードをくぐってしばらくすると、東海道本線のガード。その手前を左にはいると、墓地があります。
●沢庵和尚の墓は、つけもの石だった
狭い路地の奥に、三角形の墓地がありました。線路で分断されてしまった東海禅寺の墓地らしい。その東海寺を1639年に開いたのが、沢庵和尚だという。ふーん。沢庵って、あの大根の沢庵だよ。墓の設計は、小堀遠州なんだと。一角が竹の生け垣で囲まれて、入り口には閂がかかっている。でも、錠前はかかっていない。入ろうと思えば、入れる。寺の人に聞こうかなと思ったけど、社務所の入り口にカギがかかっていたのでやめた。文句いわれてもつまらん。墓石は、石の囲いの中に井戸みたいのがあって、その上にでかい石が載っているってもの。ふーん。よーわからん。加茂真淵の墓っていうのも、あった。囲いがあって鳥居をくぐるというでかい墓。直径30cmぐらいの石でつくられた台座の上に、これもでかい石がどてんと載っている。何も書かれていない。ふーん。よーわからん。それにしても、加茂真淵ってなにやった人だっけ? 国学者だっけ? よー知らん。もういちど沢庵和尚の墓を見ていたら、親子連れ散歩者現る。子供は小学校高学年の女の子1人。「こういう暑いときこそ、散歩だ! 地元の史跡をみるのもいいぞ!」「やだ、おとーさん、そーゆーの」「うるさい!」なんつって連れ出したのかな。子供には迷惑な話だ。
●汗だくの行脚はじまる
山手通りに戻り、東海道本線のガードをくぐって東へ歩く。右手、道路の反対側に公園が見えた。区立子供の森公園だという。ただただっ広い公園ではなく、内部が考えられてつくられている。小山があって釣り橋がある。コンクリでつくった樹木の上に小屋がある。周囲にはコンクリづくり彩色された恐竜が何体もある。こりゃ楽しそう。もちろん、ボール遊びができないけど。でも、隣接して野球場があるからな。人は誰もいない。水道で腕まで濡らし、顔も洗う。拭わずに歩き始めた。5分たたないうちに乾く。南へ向かって目黒川を要津橋で渡る。左手に、清光院という寺。人気なく蝉の声以外は静か。入って左手の奥に、大名のらしい背の高い墓石がぎっしり並んでいる区画があった。周囲はくずれた練塀に囲まれている。中にはいると、ふっ、と動くものがあった。猫。でも、どきっとする。豊前(大分県)中津藩藩主奥平家の墓所だって。墓石は88基あるらしい。どれが誰の墓かわかりゃしない。ただの死人の山だ。「天空の城ラピュタ」の廃墟を連想させる。墓石のひとつも倒れていれば、なお廃墟らしいけどね。おお、罰当たりなことをいってしまった。
●立入禁止の変な寺あり
なんか飲みたい。いや、アイスクリーム食いたい。でも、コンビニが近くにないぞ。国税庁の寮なんてのはあるが・・・。うぐぐ。清光院をでで、南下。突き当たって左折(東方面)する。と、少し人影の見える道路に出た。ゼームス坂の北のはずれに当たるらしい。まず、天龍禅寺へ。外壁が煉瓦塀。内部は、荒れていた。墓石が整然と並んでいなくて、むき出しの地面が広がっていたり、区画が曲がっていたり、どーも密度が低い。東京には珍しい荒れようだ。棕櫚の木が生えていたり、雑然としている。なんなんだ、この寺は? って感じ。もっと詰めて葬れば、墓地を新区画としてたくさん売れそうなのに・・・。余計なお世話、か。別段見るべきものなし。出る。隣の大龍寺。寺の区画を売り出し中らしい立て看板がある。が、路地の途中に「立ち入り禁止」の立て札。路地は私道で檀家、関係者以外立入禁止。立ち入った者には1万円の罰金を申し受ける。または警察に通報する。と書いてあった。ここの住職(経営者)は、おかしいんじゃないの? 立入禁止の寺なんてあるのか? 理解不能。どうせ見るべきものはないから、引き返す。ばーろー。ゼームス坂に出て、通りの向かい側の海蔵寺。珍しくも時宗らしい。南千住に吉原遊女の投げ込み寺で有名な浄閑寺があるけれど、ここは品川の投げ込み寺だとか。品川の遊女、品川沖津波溺死者、京浜鉄道轢死者、大震災横死者、その他無縁仏もまつられているらしい。その首塚が、墓地の入り口にある。コンクリづくりの納骨堂で、周囲にはたくさんの石仏が塗り込められている。後ろに回ると、納骨堂の扉。閂はあるけれど、カギがかかっていない。少し開いていて、隙間がある。うわわわわ。とても、開けてみようという気にはなれないです。
●丸橋忠弥みつからず
第一京浜(国道15号線)に出る。通りを渡ってすぐの願行寺。しばり地蔵があるという。なんかよくわからん。地蔵の首がとれていて、別の首がのっかっている。ほかにも、首だけがいくつも奉納してある。「江戸東京を歩く 宿場」によると、もともとは病人が地蔵をしばっていじめると、代わりに地蔵が苦しんでくれるシステムだったんだと。でも、最近は縄がないので、病人は取り外せる地蔵の首をもって帰り、治ったときには首を2つにして返すそうな。そーいや、私の田舎にもいぼを治す神社があったな。小さな小槌が奉納されていて、いぼがある人はそれをもって帰り、いぼを叩く。治ったら、小槌を2つ奉納するシステムだった。私の姉が、それで治った。まあいい。この寺、境内が広い。しかも、頭上になにか通っている。高速? のはずはないよな、と思ったら、京浜急行だった。電車の高架が境内を突っ切っている。だから、橋桁がどんどんどんと立っている。なんか、スゲーな。京急は寺の上を通ってんのか。ま、ぶった切らんなくて、よかったというべきか。
願行寺の向かいには、妙蓮寺の南門がある(正門は第一京浜に面している)。ここに、丸橋忠弥の首塚があると本にある。しかし、高札も案内板もない。墓石を遠くから舐めるようにして見たけれど、見つからなかった。もっと丁寧に見れば発見できたのかも知れないが。しかし、どーしてこの史跡に対するコメントを寺はしないのだろうか? 反幕府クーデターの首謀者だから? 一方で、地元出身の作曲家だか作詞家だかの銅像と墓石案内は、どーんとあるんだよ。その人の名前も知らないし、一度見て忘れたけどね。よく分からん価値観だ。
●三重の塔がほっとする本光寺
さて、第一京浜を挟んで妙蓮寺の向かいにある清光寺は、小さい寺。隣の本光寺と地続きなので、どこまでが境内かわからない。小ぶりな多宝塔があったけれど、これは清光寺のかな。本光寺のかな。忘れた。さて、本光寺。本堂よりも、三重の塔が見物だね。おもちゃみたいに小さいけど、風格があっていいな。でね、この本光寺。立入禁止の看板があった大龍寺の墓地と背中合わせに隣接しているんだ。でね、その境界線に、なんと鉄条網が張って合るんだな、これが。さーて。どっちの寺が張り巡らしたんでしょう? 想像するに・・・ですね。どういう経緯があったか知らないが、だから何ともいえないが、やっぱねー、寺ってーものはさー・・・なんてね。いいたくなるわな。
●入り口はどこだ? 隠されている細川宗家の墓域
本光寺を出て、目黒川を渡る。区の健康増進センターが建造中。で、ここの左手にちょっと不可解な問題ありなのだ。では、「江戸東京を歩く 宿場」から引用してみます。
(清光院の)奥平家墓域と目黒川を挟んだ対岸に、細川宗家の墓域がある。こちらは入り口が隠されている。ビジターに入り口を教えないようにと警察が近隣の人を指導している。
なーんてね。書かれていたらやっぱ、気になるです。で、目黒川ぞいに、そのらしきところに向かいました。工事現場が終わると、右へ出る道がある。でも、そのまま真っ直ぐ行く。民家が一軒。Kさん宅だ。その先は、左手は目黒川。右手は、ずーっと壁。この壁は、東海禅寺だろう。入り口はない。戻る。Kさん宅の前。庭があって、クルマが1台止めてある。奥は、緑が濃い。ここから入れそう。でも、Kさん宅の敷地を通らなければ入れない。ところが、その濃い緑のところに、区が立てたらしい史跡案内の看板がある。遠くて文字がよく読めない。うーむ。なんなんだ。人の敷地の奥にそんなものが立っているなんて。ふつー、あーゆーのは、私有地には立てないでしょう。誰でも歩いて近づけて、読めるところに立てるんじゃないの? 深い疑問がふつふつと沸いてきた。しかしなー。他人の敷地に不法侵入するわけにいかないしな。なんか、このお宅、ワケありの感じがする。とりあえず引き返し、工事現場横に入る道へ。ここは、病院があったりして隙間はなし。といっても、病院の駐車場の裏手が、深閑とした緑になっている。駐車場には立ち入らなかったので、入り口があるかどうかは不明。みちをそのまま行くと、山手通りに出てしまう。山手通りを歩く。その、墓地は塀に隠されていて、入り口はなし。というわけで、周囲には公然とした入り口はなし(東海禅寺の墓域と接している部分は探索していないので、こちらは分からない)。じゃん。怪しいのは、どこだろう。読んでいるあなた。興味があったら、行ってみましょう。なぜかは知らねど入り口が隠されている細川宗家の墓域。いったいそこには、何があるんでしょ。気になるなー。
●品川神社で富士登山
いや、疲れてきた。第一京浜を北上。品川神社がある。傾斜のきつい階段。途中、左手に富士信仰でつくられたミニ富士がある。で、登坂する。五合目からは溶岩の登山道で、クサリもついていて、ちょっと怖い。頂上には6畳ほどの平地がある。そこから、東京湾方面が一望できる。もっとも、海は見えなかったけど。なかなかよい富士山だ。これで、千駄ヶ谷鳩森八幡神社、大橋氷川神社につづく3つめの富士登坂成功である。下谷小野寺崎神社、本駒込富士神社は見るだけだったけど・・・。品川神社は、でかいようでそれほどでもない。ただし、老人の参拝は急階段、急坂で難しいだろうな。と、クルマでやってきた男2人女2人が参拝していく。わざわざ参拝のために来たみたい。信心深い人もいるもんですな。車道の坂を下りて、西に向かう。東海道本線横の権現山公園。ここから、沢庵和尚の墓があった場所が見える。鉄道ができる前は、つづいていたんだろう。赤ちゃんづれの親子。セミ。暑いので両手と顔を洗う。また拭かずに乾かす。この辺り、いろいろと寮や社宅がある。大手企業ってだけで、都心に安く住めるなんて差別だ! と、小さく叫ぶ。とほほ。たらたらと、新八ツ山橋を渡る。やっと見覚えのある通りに出た。石垣の向こうは、三菱開東閣。コンドルの設計した西洋建築だけれど、新入不可だからな。けっ。ええい。もう品川駅だ。5時だぜ。疲れたよ。