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interview2

私たち東京スコラカントールムは、2011年1月28日に、第53回定期慈善演奏会『没後400年のビクトリアと19世紀ロマン派のモテット』を開きます。今回は団員から募ったプログラム案を再構成し、ビクトリア、メンデルスゾーン、リスト、ブラームスの曲を演奏します。なかなかの難曲ぞろいで、練習も四苦八苦しています。前回に続き、青木先生に練習後2回にわたり直撃インタビューをさせていただきました。

ロマン派の音楽について 

——今回のプログラムは、没後400年のビクトリアと19世紀ドイツ・ロマン派の音楽がテーマです。まずはロマン派の音楽について伺います。演奏家としての先生は古楽のイメージが強いですが、もしかしてロマン派がお好きですか?

ロマン派がというより、ブラームス、メンデルスゾーン、ラインベルガー、大好きです。そうじゃなかったら練習であのテンションで振りません。暑いのに(笑)。ああいうロマン派に特有のサウンドが生まれるのって非常に面白いですね。だからこそすごく好きです。振っていて出てくるものも面白いけど、歌ったら全然違う感動を味わうことができると思うから、許されるなら指揮ではなくて歌う側にまわりたいと思うくらいです。

♪プレイヤーにゆだねられた隙間

ブラームスやメンデルスゾーンの音楽には、まあラインベルガーも含めたいですけど、バッハにはない隙間、プレイヤーにゆだねられた部分があるんですよ。
この時代の音楽は、基本的にはディナーミクが決まっていて、ここでクレッシェンドとか、そこでデクレッシェンドしてここでリタルダンドとか、ここでピアノになるとか、作曲家自身の手で楽譜に書き込まれてあります。でも書いてある割には隙間が多いんです。感覚的なものなんですが、何か幅がある感じがします。書いてあるディナーミクをどういうふうにどこまで表現するかはプレイヤーにゆだねられています。

例えば、メンデルスゾーンのAus tieferの3曲目。練習番号CとDの辺りに出てくるフレーズで、クレッシェンドしてアルトがいいところ歌ってすごく盛り上がるところ。2箇所にまったく同じ形のクレッシェンドが書いてあります。でも、そのふたつのクレッシェンドの意味は、まったく違うと思います。1回目は、歌い上げたい和音を使ってグッと自然に盛り上がるようにできていて、そこですっとsubito pにすることによって、レンジの幅を作る。2回目は、書いてないとクレッシェンドできないような音型になっています。ということは、2回目はそんなにクレッシェンドしなくても良いのでは、と私は感じ、解釈します。そうすると、その次のpの意味っていうのは、もう一度少し小さくするだけで良いとか、そういう解釈ができます。バッハでは、こういう作業や解釈はできない気がするんです。

♪スコラが歌うロマン派:バッハとロマン派の音楽

スコラは前回の演奏会でマタイを演奏し、バッハをちゃんと掘り下げてきました。バッハやバロックの音楽について触ることができたメンバーでその先の音楽に触れ、勉強できるのは大きな意味があります。前回ああいうマタイの演奏をした我々がブラームスとかメンデルスゾーン、リストに取り組むとどうなるかというのは楽しみだな、と思っています。

——ということはやはり、「マタイの次」っていうところをすごく意識されているのですか。

はい。ブラームス、メンデルスゾーン自身も、古いものを勉強しているわけですね、きっちりと。その上でああいう音楽を作っています。これを前提に考えると、再現する我々もやはりそちらの視点からの勉強っていうのが絶対必要です。その意味で、スコラがマタイをやった直後にロマン派の音楽に触れることができるっていうのは非常に意義があることだと思います。あれだけのバッハの演奏ができる我々が、その次のグループであるロマン派の音楽をやれるっていうのは、普通の合唱団にはできない発見があるんじゃないかなって強く思います。どういう音楽が我々にできるかといったら、まだまだ未知ですけどね。

もっとも、自分が歌う時には、ロマン派だからとかルネッサンスだからとかバロックだからとか、そう大きな違いはありません。グレゴリオ聖歌なども勉強しているせいかもしれないけれど、結局全部がつながっているとしか感じないんです。それがどのように表記されているか、表記されていることに対して自分がどのように違う解釈を見つけるか、の差しかないかもしれませんね。
もちろん、音楽史の勉強から得られる枠組みから学ぶところはあります。でも、実際に自分が歌おうと思った場合には、ロマン派とバロック時代で発声の仕方、歌い方、歌い回しは、違っていたとしても、音楽の組み立て方とか作るという作業自体は、どの時代でもまったく一緒なんですよね。

 

団員のつぶやき

今回の演奏会テーマの一つである『ドイツ・ロマン派の音楽』は、教会音楽の「非典礼化」の流れにとっては、大きな画期ですね。そういえば、リサイタルという言葉をはじめて使ったのは、リストだそうです。テーマに沿ってプログラムを組む(リサイタル)というのは、聖務日課とは離れて演奏会を実施するということですね。スコラは、時代や国や宗派にはこだわらず、幅広い作曲家をとりあげる一方で、「典礼」「聖務日課」にはこだわっていますので、その意味でもドイツ・ロマン派の音楽は特別ということになるのかもしれません。

それと関係して、個人的にとても興味があるのは、ドイツ・ロマン派の教会音楽が、誰に向かって歌う音楽なのかという点です。ルネサンスやバロックの音楽では、自分と神様の関係の中で歌っていますね。合唱・ポリフォニーであっても、みんなでお御堂の中、塔の中で歌い、声が混じり、神様に届ける音楽なわけです。それが、宗教改革以降は、典型的には平場にいる人達(会衆)に向かって歌うようになりましたね。スコラの演奏会では、49回演奏会の時に取り上げた英国テューダ朝の音楽では、この二つが交錯していて、とても面白かったです。

メンデルスゾーンやブラームスの教会音楽では、これらを様式的にも精神史的にも消化し、一度外側に向かったものが、もう一度内側に向いてくる。しかも、その時に向いた内側(自我)は、以前のものとは、当然違うわけで・・・。このあたりが、音楽史的なレッテルとは異なるかもしれませんが、広い意味でロマン派のロマン派たる所以かな・・という気がしています。

 

○ビクトリアについて

——プログラムもう一つの柱のビクトリアについてうかがいます。幕が上がって最初に演奏するのがビクトリアですよね。

当時はこういう風に歌っていたんだろうなと知った上で、自分たちのビクトリアができたらいいなぁと思います。まったくそれを知らずに、自分たちがやりたいように作ることも可能だけれども、当時こんなスタイルで演奏していたんじゃないか、こういう風に歌っていたんじゃないかと知っているだけで、やっぱりその裏にあるものは全然違うと思うので。私自身がスペインのルネッサンスを勉強する機会がなくて、なかなか未知の世界だったりしますが、積極的に取り組みたいと思います。

♪ポリフォニーの初心に帰る

ビクトリアは、「初心に帰る」がテーマではないでしょうか。純粋なポリフォニーは、最近やってないような気がします。こういう音楽は、純粋に声で表現するとか、純粋に裸で音楽ができるかどうかという意味で、難しいですね。一方で、初心・原点というわりには曲がちょっとマニアックなので、プログラムとしても、面白いと思います。

いずれにしても、純粋にポリフォニーをもう一度確認し合唱する、いわばアンサンブルをする勉強ができたらいいと思います。まずは声を合わせるということをやって、アンサンブルというのはどういうことかというのを思い出すということです。思い出すといっても,意図して思い出すものではなくて、時間をかけて作り上げていくものだと思います。1月の演奏会のためにアンサンブルを作るという感覚ではなくて、それを一つのステップとしてその先にグループとして進むことが、すごく今大切な気がします。

♪声のみでつくるアンサンブル

——「アンサンブルを思い出す」ということですが、マタイにしてもテ・デウムの時もアンサンブルしているつもりではいたのですが・・・

いわゆる縦のラインを合わせるといったことはやっていたと思います。でも、その中のフレーズの受け渡し方や、一つひとつのフレーズの歌い方、それが合った瞬間の形の作り方とかなど、基本的なことですが、大切です。バッハの音楽であれば、楽譜通りに演奏すればとりあえず、なにか見える気がします。でも、ビクトリアのように、すごく単純で隙間の多い音の中で、一つの音を合わせていく、しかも声だけで音楽の形を作っていくということは、アンサンブルにとってとても重要です。

そのためには、楽譜に書いてあるからこうしなくてはいけない、こう書いているからこう歌わなくてはいけないとか、そういうことを超えて、お互いにいい形で音楽と裸で向き合って、その人が素で楽譜を見て歌いたいものを出し合う。その上で、パートの中で合わせ、パート間でぶつかりあう。もちろん、回数を歌うことで解決する部分もありますが、隣の人と合わないから自分はこうやって変えてみたり、こういう歌い方もあるんだと感じたり。それは妥協になるかもしれないが、良い妥協であれば、前に進めます。そして、最終的に私と合唱団としての音楽をどういう風に積みかさねて、形に、絵にするか・・・ということができると面白いと、練習で思います。

——ビクトリアのO magnumで、青木先生が譜面台につっぷしたことがありました。なにが悪かったのでしょうか・・・自分たちでも合ってなかったと感じましたが。

いわゆるアンサンブルという以前の問題でした。音は正しかったんですけど、要はそれぞれの歌いたいタイミングで歌っているだけなので、tuttiが合わなくて・・・特に最初の2小節。全員のテンポが違ったんですよ。音は修正すればなんとかなりますけど、単純なフーガのところでずれたから。ポリフォニーは無理じゃないかと思ったくらいでした。

実はビクトリア以上に壁にぶつかっているのが、リストのロザリオですね。リストの楽譜と内容と音楽が一致しなくてすごく困っています。2曲目にある受難のエスプレッシィーヴォを考えた場合に、合唱団としてそれをどういう風にとらえるのか、どのように作るのが良いのか、確信が持てていません。もしかしたらそれがテンポを動かすことなのかもしれないと考えましたが、それは違うのではないかという意見ももらいました。精神論的には受難の中でテンポを早くすることに抵抗があるのはよくわかりますが、団としてのエスプレッシィーヴォのためのテンポもあると思うので、まだ解釈に時間がかかります。

どれが正しいというのはないんですよね。リストは楽譜の中に目に見える文字情報が多くて、視覚的に左右されることがあまりにも多いんです。そういう意味ではルネッサンスは書いてないからいいですよね・・・っていうのも変ですけど。だからビクトリアの楽譜がモダン譜で発売されて、ディナーミクが書かれているのが非常に悲しいですよね。現代のプレイヤーを信頼してないってことですから。当時はその楽譜で歌えて、音楽ができたわけですから。でも当時のプレイヤーより今のプレイヤーが劣っているかと言ったら決してそうではないと思います。それは今の環境がそういう風になっているだけです。あまりにも最初から情報を与えなきゃいけない、書いてある通りに歌わなくてはいけないという教育なのです。

♪スコラの声を作る

——ビクトリアでポリフォニーの初心に戻る中で、スコラの声という点ではいかがでしょうか。

正直なところ、声だけを取り上げるとまだまだ厳しいところではないでしょうか・・・声作りはとても大切なことですが、それだけを取り上げると、練習が非常に難しいものになります。今、それを違うところで補うってことはやろうとしているんです。バランスを取るのは非常に難しいです。もちろん声作りをやらなくてはいけないのですが、両立のためにはどうしたらよいのか。難しいけど、できる気はしています。
そういう難しさは心地よい苦しみではあります。自分自身が鍛えられるというのが自分の中では一番近い言葉かなって気がします。すぐにはそれが生きないかもしれないとけれど、ここでやったことがこの5年後10年後に絶対何か・・・生きてくるものがあると思います。

それから、声づくりという点では、現在定期的に実施している浦野・藤崎先生のボイストレーニングに、大きく期待をしています。両先生のレッスンは、それぞれまったくねらいの違ったものですが、今のスコラにとても大切な、そしてなにより良質の機会です。是非、積極的に活用していただきたいです。

♪伝えたい「歌う心」

——ボイトレで楽しいのは、声を出す楽しみ。身体が鳴るよろこびですね。

身体を鳴らして声を出すというのは、誰にとっても重要なことですが、特に年齢を重ねるにつれ、重要度を増しますね。誰でも若いころは、強いて努力や自覚をしなくてもできたことが、年齢とともにできなくなります。ですから、若いころのままの感覚で歌い続けていると、壁にぶつかってしまい、先に進めなくなります。声が出なくなってきたことを自覚してらっしゃる方は、現在のボイトレの中で、声を出すときの身体の使い方や、身体を鳴らすことを是非体感してください。若い人はもちろんですが。

それに加えて、自分たちが何十年と積み重ねてきた音楽人生を次の世代に伝えることができるといいなぁと思います。練習の時でも、それ以外でも、歌う心というのが伝承できるといいなぁと思う。そうすると合唱団としてもっともっと大きく成長できるし、合唱団としての本来ありかたじゃないかと思う。30年の時を刻んだスコラが、この先何十年と継続し、発展していきたいと思うならば、それを伝えることが必要ですし、スコラという団体にはできると思います。
歌い手として加齢による衰えを自覚するのは、すごく勇気がいることです。でも、歳を重ねたからこそできること、しなくてはいけないことに取り組んでいただきたいですね。

 

○練習場面から

パート別に円になって歌ってみる

——一度、メンデルスゾーンで円になる練習をしましたが、あの時はどうして音が落ちなかったのでしょうか?お互いによく聞こえたから自信がついたのか、正しく聞こえて自信がついたのか、聴こうとしなくても聞こえてきてくれて、余計に合わせやすくなりました。

あそこまで音程が良くなるとは思いませんでした。最初はパートごとに分かれて、次にそれをミックスにしましたね。多少崩壊しても良いかなと思って試してみましたけど、効果は思った以上でした。パートで輪になって歌うと、他の人の声が聞こえるようになるのも事実ですが、それ以上に、自分が変な音を出したくないというふうに気持が変化したことの方が大きいと思います。

——先生に向かって歌っている時は、無責任にというわけではないけれど、とりあえず自分がだめでも誰かが歌ってくれるかなという気持ちがどこかにありましたが、皆と輪になると皆に聴かせる風に,働きかけるつもりで歌いました。

前に出る気持ち

そうですね。その主体性という点で、ルバートの時の皆さんの反応がとても面白かったです。普段は必ず指揮者を見てくださいと指示しているところだったから、振り返って私に助けを求めた人と、自分たちでなんとかしなくちゃと思った人がいましたね。結果、私が何も示しませんでしたから。
ああいうところは、ひとりひとりがもっとずうずうしく前に出られるといいと思います。気持としては「自分に合わせろ」という風に歌うのも大切です。とはいってもスコラは技術委員やパートリーダーがしっかり機能していますから、団員として出にくいところはあるかもしれません。でも、各自が主体性をそれぞれに出しながら、方向性を共有できるというか、空気を作ることができるようになるとムチャクチャ面白いと思いますよ。

その意味でも、今の練習で私は「自分だったらこうやって歌うのに」というのをあまり出さないようにして、皆さんから出てくるのを待っています。一回歌っちゃうとそれを真似しようとする作業になってそこからなかなか脱皮できず、先にいくのがとても難しくなりますので。実は、マタイの練習の時に、そのことを感じました。そこで今回は、「ここはいい旋律ですよ」ってとにかく言って、そこからそれぞれの団員なりに「いい旋律なんだ」って思って先入観で歌えばちょっと変わる部分があると思っています。次のステップに行くためには、もっと合唱団の方から出てきて欲しいなと思っています。

——真似をしてしまう、っていうのは耳が痛いですが、やっぱり真似から入るっていうところはあるように思うのですが。

もちろんそうですよね。きっかけを与えるというか、まったくゼロから求めるのではなくてね。真似から生まれてくるものはあると思います。歌い手でもある自分の指導の最大のメリット・特徴は、歌って聴かせることができる点にあるとは思っていますので。
ただマタイの練習で、「自分だったらこうやって歌う」と聴かせた結果、頂上が決まってしまってそこを目指してしまい、一度できたイメージを壊すのがすごく難しい作業になったことがありましたので、今は期待をしつつ、ちょっと我慢をしています。

——先生に「自分ならこう歌う」と聴かされて、こういう風に歌いたいなぁと思っても、そう簡単にはできません。ではどうやったら歌えるかというのを教えていただきたいと思います。例えば「音をブツブツ切らないで」という時。先生が、ただ言葉でおっしゃるだけではなくて、歌ってくださると、音を次の音に預ける感じが良くわかります。次の音に行く時にプツンっと切るんじゃなくてこうしながらこうして、っていうそれがすごく良くわかって、それでちょっと気をつけてそういう風にするとダメが出ないから、良かったのかな~みたいな感じです。

そうか~やっぱり必要なんですね・・・

——そうです、必要です。やっぱり良いイメージが植え付けられるっていうか、すごく都合が良いけど、お手本じゃなくても、合唱団が歌っている時に一緒に先生が声を出していると、それだけでなんか急にうまく歌えたような気持ちがします。ロマンチックな言い方をすると、魔法がかけられるんですかね。一緒に歌っていただくことによって、あ、こういう空気感で歌うんだ・・・とか。

なるほどね・・・

 

○アンセルモのお御堂の響き   

——最後に、今回の演奏会の会場の聖アンセルモ教会のお御堂について、カペラなどで知り尽くしてらっしゃる先生に伺います。どんな響きの会場でしょうか?

ルーズな響き、ぽあとした響き。アンセルモはムラのある響きです。響いている音もあるし、響いていても響いていないように聞こえる音もある。建物とあわない音があります。天井が平らなためかもしれないし、2階・サイドの天井が低いためかもしれません。
難しいですが、工夫によっては自分たちの音楽を何十倍にもふくらませることができます。祭壇の広さなど制約もありますが、その中で工夫・調整をしてみたいと思っています。箱の鳴らし方の点では、ビクトリアと、ブラームスでも違うと思うので、リハーサルの時にいろいろと試してみたいと考えています。

とはいえ、アンセルモでこの人数・プログラムというのは、幅が広い割には、選択肢が狭いのが悩ましいけれど、楽しんでやりたいと思います。パートの配置などでも工夫できますよね。男声を後ろに、テナーを後ろにとか、STBA とかいろいろ考えてみたいです。
スコラのサウンドと合うかどうかは、まだ分かりません。今のところは、まだ練習の中でアンセルモを想定した試みはしていませんが、リハでは工夫・調整したいです。自分たちの音楽の良さをいかす箱の使い方として、絶対できることはあると思います。

オルガンとの関係の問題もありますね。会場の中でちゃんと聞こえるのは、一点だけなんですよね。オルガンが後から聞こえてきますし、指揮も鏡越しですから、手を身体の外に出して振らなくてはいけないですし。ただ、オルガニストの米沢陽子さんはアンセルモを良くご存じの方ですから、信頼して演奏しましょう。

——それと、暗いですよね・・・アンセルモ。電気の容量の都合でランプの増設はできないそうですし・・・

暗い〜〜やっぱり暗譜ですね。

2010年11月13日

編集後記

「ロマン派ってなぁに・・・」、「ビクトリアの音楽を味わうためには、どうしたらいいの・・・」。素朴な疑問からインタビューは始まりました。透けて見えてきたのは、指導者としての青木先生の誠実さと苦悩(心地良い苦しみ!)と合唱団への大きな期待でした。2回にわたるインタビューは、脱線し、戻り、また脱線し、また戻り、さらに脱線し、脱線し・・・とてもとても楽しいものでした。次回は、ご一緒にいかがですか? (Ma)

 

♪バックナンバー

第1回 ♪特別企画!青木先生直撃インタビュー!!
わたしたちにしかできないマタイ受難曲とは・・・

 

 

 

 

 

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時には身振りを交え、時には言葉を選びながら、熱く語る青木先生。練習後のインタビューは2回、3時間半に及びました。

 

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「先生!ロマン派って何ですか?」

 

interview2-4

合宿にて・・・男声がアンサンブル体感中・・・
「音をカウントしないっ!!」

 

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河口湖付近の紅葉

 

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スコラが第4回ドイツ・ヨーロッパ旅行で出会ったネウマ譜。ウィーン ノイブルク修道院所蔵の古い羊皮紙の祈祷書。

 

interview2-7

ロザリオ


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アンセルモの響きを、自分達のものに!

 

 

 

 

 

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