花咲ける騎士道」
2002年12月1日於シネリーブル池袋
 
ジェラール・フィリップ生誕80周年特別企画でした。
自分の中では何故か、「ジェラール・フィリップ様」とお呼びしてしまう存在。
本当は、全上映作品に通いたかった位なのですが、色々と多忙で日本で最終上映だという「花咲ける騎士道」を見に!
ずっと見たかった作品なのですが、一度も見られなかったのでウキウキと出かけました。原題は「ファンファン・ラ・チューリップ」。
お察しの通り、「ファンファン大佐」はここが出典です。(笑)
やー・・ま、内容はこれと言ってないのですが。
終始ジェラール大活躍!!な映画で、美女、スキモノのルイ15世、ポンパドゥール夫人や王女、仲間・・と、繰り広げられるラブロマンス一大活劇といったもので、最後には拍手をしたくなるくらい、メデタシメデタシ♪な、映画でした。
制服やスーツなどストイックなカッコをしていないジェラールが野山を剣片手に走りまわったりする姿はほぼ初めてで、(「オイレンシュピーゲルの冒険」で見た事はありましたが)まさに、『きゃ〜〜〜っカッコいい〜〜〜っvv』でした。
しかし、フィルムが古いため途中で画面がブッチ切れたのには笑いましたよー。
結局しばらく直らず、劇場内に明かりが(笑)!
係員の人が出てきて謝ってるし。
母曰く、昔の映画館ではよくあった事らしいですが。
いやはや。名作の上映ならではの、ちょっと面白い出来事でした。


チェンジングレーン」
2002年10月30日於ヤクルトホール
 
試写のチケットを貰ったので、行ってきました。見てもいいかなーと思っていたものだったので、ちょうど良かったです。
ベン・アフレックとサミュエル・L・ジャクソンのダブル主演。
お互いがそれぞれの重要な用件で裁判所に向かう途中、強引な車線変更(これはベン・アフレック演じる弁護士がしたのだけど)のせいで事故。そのたった数分の出来事がその後の彼らの運命を変えていく・・というある意味、ありそうな出来事を描いています。そして、偶然の再会、逆恨み、悪意の報酬・・・まー。これが、これでもかと言う位、延々と繰り返されるわけですわ。
ホント、しつこいって言うか、そんな事に神経すり減らしてるんなら、他にもっと自分が得する方法があるだろうと思うほど、お互いひたすら嫌がらせに終始するんですよー。まぁ、日常の中に潜む「悪意」ってやつにひょんな事で火が点いちゃうって事なのかもしれません。
その割には、最後の方ではなんだかお互いやりすぎて疲れちゃったのか、なんだか、ワケが分からないうちに和解してしまっていて、お互い人生やり直し、みたいなとっても疲れる一日のお話でした。

 

ウィンドトーカーズ」
2002年9/11於有楽町
 
予告を見たときに、友達と異常に盛り上がって見に行く事にしました。残暑の銀座は暑かったっす。
第二次大戦後半。サイパン島での米軍と日本軍の戦いがメインです。とはいっても日本軍側はまるで顔の見えない敵なんですが。日本刀振り回してアメリカ人を滅多切りにするだけの。
さて。そんな背景の中、コードトーカーズ(暗号通信兵)として活躍したナバホ族と米海兵隊の交流を描いた映画です。暗号の解読をなんとかして防ごうとした米軍が考え出したのが、非常に難解と言われるナバホ語での通信。訓練を受けたナバホの通信兵は担当の海兵隊員と行動をともにします。それは、コードトーカーズが敵の手に落ちるような場合は、射殺せよ。という事です。それが「任務」である以上彼らに深入りしない方がいいと、距離を置くニコラスケイジ演じる伍長。彼らの文化に敬意を払い、次第に心を通わせていくクリスチャンスレーター演じるオックス。人種偏見を持つ兵士などもおり、彼らの戦いの地、サイパンへ。主人公の一人であるヤージーというナバホは、快活で、あからさまな謗りにもユーモアで返す度量を持っています。けれど人を殺すことが出来ない、心の優しい人間なのです。そんなある日、戦闘の中でヤージーの親友ホワイトホースが日本軍にとらわれそうになります。彼の暗号技術を渡さない為に銃口を向けたオックスは、結局彼を撃つことが出来ず、身代わりに命を落とします。ホワイトホースは駆けつけた伍長に、撃ってくれと頼み、伍長は彼を撃ち殺します。
そして、ヤージーは悟るのです。自分の運命を。何故常に海兵隊が自分を守ってくれているのかを。・・・と、そこから先は反目や、和解、激戦・・とそんな進み方ですが。
監督はジョン・ウー。アクションはお手の物で、戦闘シーンの描き方などはさすがです。ただ・・どうしてもやはり日本兵の描き方が・・・まず顔がまったく見えない。もしかしたらエキストラでアジア人じゃない人も使っているからかもしれないのですが。撃っても打ってもバッタみたいに出てくるし、まるで虫けら扱い・・とても同じ血の通った人間撃ってるとは思えないほどのやられぶりでした。そうせ描くならもっと「撃たれて、苦しんで死んでいく。」ところを描いてほしかったです・・と、思ってしまうのは日本人だからかー。それと、これはパンフを読んで分かったんですが。コードトーカーズは朝鮮戦争まで活躍して、しかも任務が任務だけに世に知られることもなく、一切の名誉の対象となることもなかったそうです。やっと近年、勲章だかなんだかもらったそうで。その辺りの暗部にも映画で触れてほしかったなーと。これでは、活躍して最後に白人とも理解しあえて友情が生まれて、戦闘にも勝って、大団円。って感じでした。まぁ、いいんだけど・・そして、やっぱりニコラスケイジがどうしても好きになれない私でした。(なんで?って、英会話の先生に聞かれたとき『顔が嫌い!』と思い切り答えた私・・)


トータルフィアーズ
2002年8/31於池袋
 
友達が「一応」ベン・アフレックのファンだし、原作はあのトム・クランシーだし、あの「ジャック・ライアン」シリーズで、まだ若かりし日のジャックを描いているっていうし、前評判も悪くはないようだったし。と、「見ても見なくてもどっちでもいいかなー。」という友達に、「え?行こうよ!」と一緒に出かけたのは良かったのですが。
アタクシったら、今までどんな駄作を見ても、決して映画で寝たことなんかないこのアタクシが!寝てしまいましたさー・・・・いや、時間にしたらホントわずかですけど。それでも、映画見ながら寝たのが生まれて初めてだったので、自分的にびっくりしたですよ。
という事はつまり。まぁ、そういうわけですわ。いくら私が疲れていたからって、それでも寝てしまうって・・しかも、今も思い出そうとしても話がよく思い出せないし・・・共演のCIA長官を演じるモーガン・フリーマンが、すごくいい役だったのに死んでしまったのがかなり解せなかったり、とにかく前半がのろくてのろくて、しかもお話がちっとも進まなくって、それで寝てしまったらしいことは覚えていますが。
原題は直訳すれば「恐怖の総和」。冷戦時代の話ですから、お互いの疑心暗鬼や恐怖感が戦争を生む。という意味で作中でも、使われます。作中では、普通、普通は、これを避ける為にヒーローが活躍するのでは?と、思うのですが、ヒーローの努力空しく、ミサイルどっかん、アメリカの都市に直撃します。さすがにびっくりしました。でも最初からこのテンポで話が進んでいれば、私も寝ることなかったのなー。・・と、書いてからよくよくパンフを見てみたら、ミサイルじゃなくって、核だったよ、核爆弾!原子爆弾がアメリカ海岸部の都市を直撃だよっ!そういえば確かに映画中にキノコ雲が上がっていたシーンがあって、そのときはその異様な光景にうそ寒くなった記憶が・・。
でも、結局あまり印象がのこらなかったっていうのは。原子爆弾が投下された後の街が、私にとってはミサイル投下されたくらいの街にしか見えない程度の壊れ方だった事なんじゃないかと思います。主要人物は皆生き残ってるし、建物も残ってるし、ジャックは原爆投下後の町を元気に走り回ってるし。そうだねー、このままじゃジャック・ライアンは大統領になることもなく、原爆の後遺症で死ぬね。続編もなしってことか。(と、嫌味のひとつも言っておく)


エトワール
2002年8/18於Bunkamuraシネマ
 
マグリット展を見に行ったとき、ふとポスターを見かけて、確かどこかで評判を耳にしていたので、見てみようかとそのままハシゴ。内容の下知識はありませんでした。どうやらバレエを題材にしているらしいということだけ。
ドキュメンタリー映画でした。
パリオペラ座バレエの裏側にカメラを持って入り込んで、ただひたすらに関係者の姿を追った映画でした。「エトワール」とはパリオペラ座バレエの最高幹部の呼称で、「星」という意味だそうです。
バレエ団というのはどこもそうだとは思いますが、この歴史あるバレエ団も完全な階級性。芸術に関わるもの、表現者はなんと評価されようと関係ない、踊っていられれば幸せ・・なんていう事は決してありません。表現者、特にダンサーという生き物は競争の中で生きているのです。世界最高峰のバレエ団に居るという事、それは子供の頃、物心ついた時からすべての自由を捨ててひたすらに自分を研鑽し、上を目指し続けるという事なのです。インタビューに答えるエトワールたちは誰しも若く、20代そこそこです。しかし、彼らの言うことはこちらが驚くほど老成しています。子供らしさや甘えや暖かい言葉ひとつ許されずに、罵倒され自分自身を否定されて育つ子供時代。
「こんなところ、人間をゆがめるだけよ。」と言い放つエトワール。結婚や出産といった女性という性である事を捨てなければいけない事を憂える母親。舞台袖に飛び込んでくるなり息も絶え絶えに倒れこむダンサーたち。生徒たちに厳しい顔しか見せない教師たちや厳格な衣装部のスタッフ。けれど、カメラは批判でも礼賛するわけでもなく、ただ彼らを映し続けます。そこに感じられたのは、「尊敬」であったように私には感じられました。
もし、ほんの少しでも怪我をしたり体調を崩したりすれば、あっという間に次に控えている代役のダンサーがチャンスを掴みます。すべての舞踊手がオペラ座バレエの出身なわけでもなく、単純な年功序列でもなく、つい先日まで群舞に居た舞踊手も舞台監督が変わったことによって、突然エトワールに抜擢される事もあるのです。
ここには「弱者」の居場所はありません。
先に述べたように、この組織の人間味のなさや子供に対する厳しさを指摘するエトワールでさえ、“踊ることは決してやめない”のです。その孤独や自分に向ける自分自身の、そして他人の厳しさに耐えられない人間は、“去る”しかないのでしょう。
そこは選ばれた、そして自分で選び取った「星」たちの世界です。
最後、足の血豆が潰れ、抗生物質を飲みながら踊るエトワールに、監督がカメラのこちらから問いかけます。
「痛くないの?」
「踊っているときは忘れている。」



少林サッカー
2002年8/17於新宿
 
話題作でしたのでご覧になった方も多いとは思います。
えっと一応、『ワールドカップKOREA&JAPAN打ち上げ』と、いう名目で一緒にサッカー部のマネージャーやっていた友達と出かけてきました。
いや、何が打ち上げなんだと突っ込まれても困るんですが。
自分たちなりに、今回のワールドカップに対して何かしたかったんですよー・・・
いやー。上映が始まってずいぶん経っているというのに、未だ満員でした。そして、映画館が一体となって大笑いしたり、拍手が起こったりするのって、なんかいいですねー(爆)
前半が少し冗長な気もしましたけど・・こう、みんなでサッカーをするって決心を固めるまでが、ちょっと長くて、こんなに要らないよー。と思いましたが、こう執拗ないじめシーンとかは香港映画王道のお約束なので仕方ないのかな。まー、しかし。バカバカしいといえばもうこれ以上バカバカしい映画はなくって、頭空っぽになりました。監督が「キャプテン翼」の大ファンで、それで参考にしました。というインタビューにだけ、少し遠い目になってしまいましたが。えー。だってー。私、結構真剣にキャプテン翼好きでしたから。あれだって、あれだって、小学生編の頃はそんな化け物じみたサッカーはしてなかったのよ〜〜〜(><)。この映画を見て私が思い出したのは「アストロ球団」とか「コスモスサッカー」とか・・・あと、なぜか「ジョジョの奇妙な冒険」・・・いや、いいんだが。
ともかく、これだったらまたビデオとかで見て大笑いしたいですvホント。

 

ルーブルの怪人
2002年6/15於シネリーブル池袋
 
フランス映画です。原題は、「BELPHEGOR」。
元々は1926年にサイレント映画になり、何度も何度も映像化されてきたらしく、1965年のジュリエットグレコのTVドラマで大人気作に。フランス人なら誰でも知っているらしい話だそうな。あまり下知識なく見たのですが、もう少し、おどろおどろしい話かと思っていたら、妙にSFXが駆使されていて、オカルトちっくなお話でした。でも、舞台だけは重厚。
ルーブル美術館をまんまロケに使えるとはさすがフランス文化省。主演は、ソフィマルソーでした。最近彼女の映画を見たのは「アンナカレーニナ」で、その時は、ついにソフィマルソーもこんな役やるようになったんだなーと、しみじみ思ったものですが。今回はおばあさんと一緒に暮らす、人付き合いの少し苦手な、でも可愛い女の子を演じています。どこか、女の子って見えてしまうあたりがやっぱり彼女ですよね。
要は、なんちゅーか、西洋人の考えるエジプトとかおりえんたる〜な雰囲気とかピラミッドとか。そういうものをごった煮にした感じの映画で、多分もともとそういうお話なんだろうけど、こう・・アジア人の私から見ると、『何いってんだかなー。』と、いう感もありました。ミイラの霊ってあたりがすでに私には受け入れられない感性でしたけど、仕方ないんですね、きっと。
「怪人」はアマデウスに出てきた父親の亡霊にそっくりでしたがなー。お面が・・
でも、ルーブルっていう場所自体にはものすごく霊魂や亡霊がいそうですよね。
パリ市民の間で、ルーブルに亡霊がいるっていう噂があるのは、すごく分かります。だって、あれだけの権力闘争が行われた場所で、暗殺や陰謀が渦巻いていたところでしょー。どっちかっていうと、エジプト文明展示室のミイラが何かするっていうよりも、ルーブルに棲みついている過去の亡霊たちが跋扈するほうが現実味があるような気がする・・と、思った私でした。


ブラックホークダウン」
2002年5/26日於ワーナーマイカル板橋
 
アメリカの9.11テロ以降の新帝国主義とも言えるような風潮の中、この映画が世界で封切られた事に対して、誰かがテレビで、『TVニュースで星条旗を振り回すのも米国ならこういう映画を撮って公開するのも米国だ。』というような発言をしていて、ちょっと興味を持って見に行きました。ちなみに、LORでレゴラス役だった俳優さんが、事件の発端となる若い兵士を演じているそうな。前知識はそれくらい。お話は、1992年にソマリアであった、本当の事件。ソマリアの長い部族間抗争の中、軍部を握った権力者が海外からの援助物資を略奪し、いわゆる飢餓による攻撃・・を始めたことにより、世界が反応。米海兵隊と国連平和維持軍が入り、秩序をいったんは回復するも、国連軍にソマリアの軍事政権が宣戦布告。それでまぁ、アメリカが治安維持と軍の排除を目的としてデルタフォースと陸軍レンジャーというエリート軍を投入して、軍首脳の暗殺を企てるのだけれども・・?という流れです。実際にあった出来事なのでネタバレも何もないので書いてしまいますが、この作戦が、ものの見事にアメリカの狙い通りには行かなかったわけです。本当なら短時間で完了の任務がどんどん泥沼に嵌っていき、長期化し、市外戦へと流れを変え、命令系統の乱れ、現場と司令部の時差、市街戦の真っ只中を迷走する戦車、落ちるヘリ。それらをひたすら事実に沿って、特別な感情や戦場を美化することもなくひたすらに「戦場」を映し出し続けます。
その緊迫感や安全な空からいきなり市街戦のど真ん中に放り込まれた兵士たちの恐怖や、銃弾の音や爆発音。耳が痛くなるほどのその効果音。まるで自分が戦場にいるようで、固まったまま見入ってしまいました。ちなみに「ブラックホークダウン」とは文字通り、ブラックホークというヘリが落ちていくわけです。
映画の中では、ソマリの民兵はもちろん米軍の敵であるわけですが、彼らは彼らの政府を守ろうと戦っています。世界の、ソマリアの平和を願ってやってきたはずの米軍の若者たちが、ソマリアの市街に落ちたとたん、まるでハエがたかるように集まるソマリ族たちによってなぶり殺しにされるのです。結果、米軍きってのエリートであるデルタフォース、レンジャー、ともに死者19名。自らの血を流すことなく戦争に勝てると思っていた米軍は多大な犠牲を払ったと言えるわけです。
映画の冒頭で、逮捕されているソマリアの軍部の人間が、アメリカの尋問に答えて言います。
「これは、アフリカの問題だ。アメリカは関係ない。君たちは、来るべきではなかった。」と。
監督のリドリー・スコットも、公開された時期を考慮したのか、「これは観客に問いかける作品であって、答えを提供する作品ではない。」と言っています。まさに、問いかけられているのは私たちなのだと思いました。介入戦争のひとつの例が、提示されたのだと。ただ、片方では米軍の介入によって秩序を取り戻した国々があるのも事実です。色々、本当に色々考えてしまいました。飢餓で多くの人が苦しんでいるソマリアに介入していながら、米軍基地では有り余る食料を兵士たちが当たり前のような顔で食べているのもすごく印象に残りましたし・・・しかし、どちらにしても、先に述べたとおり、こういう映画を撮って公開するのもひとつの「アメリカ」なわけです。