SUMISIN NEWS ON THE SPOT
AND ANALYSIS
「I WON'T DISCUSS THE DOLLAR.」
と論評を拒否したことは、同市場でのドル売りを誘いました。この定例記者会見は毎日行われているもので、特にドル問題を取り上げる趣旨のものではありません。記者の質問に対してのものです。
この会見の後、レーガン大統領は午後1時30分から産業界首脳を前に主に財政赤字削減問題について発言しましたが、ここでも具体的な形でドルについての発言はありませんでした。
日本や西欧でのドルの下落とその株価や債券相場、さらには世界経済システムへの影響に懸念が強まっているのに、米政府の公的な立場にある二人が論評を避けたということは、
これまでのべーカー財務長官のドルに対する発言を総合すると、「米国は、進んでドルを安くする努力をしてはいない。しかし、景気悪化への配慮から、専らドル相場を現状に維持するために、措置(具体的には金利の引き上げなど)を講ずることはしない」(11月17日テレレート 23:16GMT)というもの。いわゆるドル安容認論といわれているものです。
とすればポイントは、株でも、債券でも、金利でもドルを原因として下げたときに、どこで米国がドル安のデメリットを耐え難いと判断するかです。
フィッツウォーター報道官の発言に関する報道では、ロイターとテレレート(161、NRHE)で微妙な違いがあります。ロイターがレーガン大統領の「ドルがこれ以上下落することは望まない」という2週間前の発言を引用している点です。ただし、このレーガン大統領発言は、イスラエル首相との写真撮影の際、記者の質問を受けるという受動的な形でしゃべったものであること、この直後にホワイトハウスが訂正する形で、「確かにドル安は求めてはいない(NOT
SEEKING)が、米景気の後退も困る」と修正していることからも、たいして重要なものではなかったと判断されます。
政府の重要な政策変更がある時は、世論をサウンドするリーク戦術以外は、責任者が能動的な形でその方針を明らかにするのが自然です。
筆者の観(感)から言えば、今アメリカはドル安が株安、債券安、金利高の原因になりつつある事態を懸念をもって見つめつつも、まだ動く時にあらずと考えているのではないでしょうか。
これが、今も続いている「住信為替ニュース」の第一号です。初期の表題は、「SUMISIN
NEWS ON THE SPOT AND ANALYSIS」でした。10号まで続いて現在の呼び方、表題に変更。「(表題が何を意味するか)わかりにくい」という声があったのと、「為替」の一言がなかったためです。為替カスタマーの課長として多くの顧客を抱えるなか、「基本的な情報はファックスで」という発想でした。電話の相手は一人が限度。ファックスなら一度に多くの人に届きます。それにしても随分昔ですね、87年というと。ブラック・マンデーが87年の10月19日。100号が1988年の5月17日。500号が1990年3月16日。そして1000号が1993年5月14日。結構長い道のり。
当時私とともにこのニュースを支え、第一号に登場した面々は今(96年5月現在)は、以下のようなところで活躍しています。
佐藤(仁)=ニューヨーク支店でディーリング
植松=結婚して矢島に改姓、現在は金融法人部
大泉=香港支店でディーリング
幡部=年金運用部長
松永=企業情報部調査役
平山=市場金融部調査役
佐々木=ロンドンを経て年金運用部調査役(外物担当)
今西=ロンドンを経て資金証券部で為替担当
佐藤(博明)=ニューヨークを経て資金証券部で円債担当
福山=海外事務部
となっている。 (この部分96年05月30日作成)
ycaster@gol.com