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12/24

実は、ちょっとくじけている。
まあ、いろいろとあって。

当たり前のことなんだけど、私のすべてを知っている人はいな
い。内面じゃなくて、仕事。単なる。
今日、どこで誰と何をしているか、全部知っている人はいない。
今、誰とどんな仕事が進行中か、全部知っている人もいない。
今日は、この出版社のあの編集部、そのあとあの雑誌の取材し
て、うちに帰って、そっちの雑誌の原稿書き。てな具合。
全部、全力投球。
実のところ、自分の中では、さりげなく優先順位をつけてやっ
ているときもあるけれど、ぜったいにそれを外には出さない。
「この仕事を一番大事にしていますよ」って。

ちょっと今、それに疲れているところ。
とはいえ、それはフリーの宿命さ。
この山は、いつかぜったいに越えねばならぬ山。
だったらば、今日越えてしまおう。
くじけそうな気持ちをひきずりつつ、えいっとふんばる。
でもちょっとつかれる。

森瑤子の世界は、とても好きだけれど、私にしっくりくるのは、
矢野顕子の『HI,HI,HI』という歌。

♪わたしのすがたを みていてほしいの
 あなた

 よくがんばるから ほめてほしいの
 わたし

 あなたがいるから わたしはうれしい

「あなた」がね、今の私にはいない。
でも、たぶん私が今、目指しているのは、「あなた」なしでも、
生きていける「わたし」になること。

がんばる。
がんばることが、けっして幸福には結びつかない気もするけれ
ど、がんばる。

 

12/23

♪美しく実る稲穂に
 愛を知る
 夢も終わるころ

と、マサムネがうたうのね。(『稲穂』)
そして、私はほんと? と思う。
夢が終わるころ、愛も終わるんじゃないの?
マサムネ、結婚してみて。
それで10年過ごしてみて。
それで、本当にそんなことが言える?

ってなんかこれじゃあ、ワタクシの結婚生活がうまくいってい
ないみたいだけど。
そんなこともない。
ないけれど、ともに歳を重ねていくうちに芽生える愛、という
ものを実感はしない。

愛というのは、難しいよ。
私と夫は、たまたま結婚適齢期に知り合って、恋に落ちて、そ
れなりに、だけども特別に、盛り上がって、そして結婚した。
それは、巡りあわせだと思う。

そして、今、別の人と出会って、恋をすることは可能でも、10
年後には、やはりまた、ぴったりでなくなるんだと思う。
たぶんね。

人はある瞬間、この人が自分にとってもっともしっくりくる人、
と思うんだ。それが恋だ。
でもそれは、「これまで出会った人の中で」なのよ。
そしてそれは、「今の私に」なのよ。
そのことに気づいた時に、愛を知る、と言えるのかなあ。

そこんとこ、どうよ。マサムネ。

 

12/19

そんなことを書いてはみたものの、実際のところ、家事論争っ
てのが、好きではないと思う日もある。
家事、と思うとまあ、うんざりもするけれど、人に自分のこと
をやってもらうと、うれしいよね。
重い荷物を持ってもらったり、コーヒーを入れてもらったり、
駅まで車で迎えに来てもらったら、うれしい。
重い荷物くらい自分で持ててもうれしい。
そのことに、男も女も関係ないけど、男と女の間で発生する
「やってあげる」関係というのは好きだ。
一緒に歩いているときに、重いドアを開けてくれたら、それが
たとえ仕事相手の男性編集者だったとしても、5秒くらいはぽ
っとする。これが、不思議なことに女性編集者だとぽっとはし
ないわよ。申し訳ないけど。

この前、ナンバープレートが盗難にあって、再交付に行って来
た。新しいプレートをもらったときに、係の若い男の子が「自
分で付けられますか?」と聞いてくれた。
「ええーっと、はい。たぶん」と大人らしく答えたんだけど、
「やりましょうか?」とまた言ってくれて、しみじみうれしか
った。(夫はロンドン出張中だし。なのに、盗難にあって、泣
きそうだったから余計に。)
これがまあ、女性の担当者だったらば、そんなことは聞いてく
れなかったかもしれないし、聞いてくれたとしても、私もただ
そっけなく「できます」としか答えなかったであろう。

依存しあう関係は好きじゃないし、恩を売ったり買ったりする
のも大嫌いだし、できれば自立した人間でありたいと思ってい
るけれど、男の人に優しくしてもらうってのは、やはり大切な
ことだと思う。異性間のなんとなく温かい気持ちの交流っての
は、好きだな。
だからまあ、私もときどきは、優しくしてあげようと思ったり
など。
これが日常の色気ってものなのだ。

 

 

12/1

このところ、毎日働いている。仕事をしない日はない。
請求書を書くだけの日もあるが、とにかくまったく何もしない
日はない。
今週末は、もっとどっぷりと仕事がしたかった。
週末にがんばれば平日がかなりラクになる。
しかし、なんとなく雰囲気としてそれが許されない感じがある。
誰が許さないかというと、夫だ。

夫は私に何かを強制することはなく、干渉することもなく、家
事も自分の手が空いている限り(空いていることは少ないが)、
かなりマメにやる。
私が死にそうな顔で原稿を書いていれば、黙って晩御飯も作る。

しかし、最近は彼も忙しい。無言で「れんちゃんだけ忙しそう
な顔をするなよ」というプレッシャーをかけてくる。
私と夫は、ケンカをしない。
無言のプレッシャーを無言で押し返すだけ。
平日の家事のほとんどを分担しているんだから、週末の家事の
ほとんどをあなたが負担してもいいと思うわよ。

夫は普段、私に「悪いな」と思っている。
育児、家事を私がかなり負担しているから。
昔は、負担しつつ会話も多く、なんでも報告していた。
私は、こんなにも家事、育児を負担をしているのよ、と伝えた
かった。しかしもう伝えるのも面倒だ。
「今日、小学校の参観日だったのよ」すら言わなくなった。
子どものお迎えを頼むことも、今はほとんどなくなった。
不可能だということを、夫の仕事振りを見て悟ったから。
ベビーシッターさんに頼んで私が引き継ぐ。
夫が帰ってきた時点で家庭は普段どおり。

独身だった頃、仕事以外に家事や育児をこなす自分を想像でき
なかった。時間はどこから出てくるのかと思った。その頃、家
事といえば自分のハンカチのアイロンがけくらい。クリーニン
グすら、母が出してくれていた。

結婚している女性が、黙って家事や育児をこなしている姿を、
尊敬というよりは、なぜ?という目で見てきた。
なぜ、怒らないの?
男の人は、仕事に100%力を注げるのに。
自分には絶対に無理だと思っていた。
第一私は、家事に関してはかなりのろまだし。
(仕事との両立は無理。)
第二に怒りっぽいし。
(ケンカは避けられない。)
理解ある大人の女になんか、なるものか。
夫に対して、母親的な女なんて最低だ。

私と夫が家事・育児の分担に関して、これまでまったくケンカ
しなかったのは、夫が私に「悪いな」と思う気持ちがかなりあ
ったことと、私が必要以上にいばらなかったからだと思う。
いばるほど、がんばっていなかったというのもある。

しかし近頃は、私を上回る勢いで夫が忙しくなってしまった。
2人のバランスが崩れた。私もオレも忙しい。

なんでこうなっちゃったのかなあって思う。
夫婦が、じゃなくて、私が。
私は夫の忙しさを理解してしまっている。
物分りのよい妻にななんて、なるつもりは全然なかったのよ。

ためしに先週、夫の晩ごはんを作らなかった。
夫は毎日11時頃帰ってきて、1人分の晩ごはんを作って食べて
いた。私は先週、比較的暇だったのに。
平等というのは、嫌いだ。ありえない。能力も考え方も身長も
体重も性格も好物も趣味も生い立ちも違う私と夫の間に、どん
なふうに平等を成立させるのか。
というよりも、そもそも平等にこだわるのがいやなのよ。平等
でありたいなどとはまったく思わない。

しかし、私は不満だ。
すっごく不満だ。
毎晩、仕事でへとへとになって帰ってきて、晩ごはんを作らね
ばならない夫は不憫だ。そんなプチ・ストライキで私のイライ
ラは解消されない。
夫に不満があるんじゃない。
世の中のシステムに順応している自分がものすごくいや。

 

11/26

頑張ること。
たぶん、すごく好き。
夢中になっているその感じが中毒的に好き。

陸上競技をやっていた頃、私はものすごく努力家だった。
(周りはそう見ていなかったような気がするけど、それはこの
際関係ない。)
努力家だったけど、結果だけで勝負するのが好きだった。
結果より経過が大事とは、思えなかった。

走っていた頃の私の努力は、知識不足で見当違いなのもあった。
だけど、あの時「全国大会で優勝しよう」と心に決めて、その
ためにはどんな苦労も乗り越えよう、とがんばったことは(そ
してそれが叶ったことは)私にとってすごく財産なんだろう。

がんばり方がわからなくなることがたまにあるんだけど、あの
頃のがんばりがまだ心に生々しく残っていて、要は夢中になる
ってことだな、と思い返す。
例えば、私は誰かから、「毎晩練る前に腹筋をやりなさい」と
言われたら、本当に毎晩やった。毎晩毎晩ずっとやった。
それが普通だと思っていたし、みんなやっていると思ったから、
さぼるなんて思いつかなかった。
「さあ、寝よう」と布団に入ってまどろみかけた時に思い出す。
あ、腹筋するの忘れてた。迷う。寝ちゃえ。思い出さなかった
ことにして明日後悔すればいい。
でも、さぼれば私は私の目標を放棄することになる。
どうするの? ここで寝たら、私は私の目標を放棄することに
なるよ。
例えば、電車で絶対に座らないとか、朝は6時に起きるとか。
それができないと、もうがけっぷち。挽回は不可能。
そうやって自分を追い込んだ。逃げるなんてこと、私は私に許
さなかった。必死だった。すべてのことに。

最近よく、がんばりすぎなくていい、と言うでしょう。
あれが嫌い。
もちろん、その助言に救われる人はいると思う。
いっぱいいると思う。

でも私は、がんばりすぎるのが好きだ。
誰も私の努力を知らなくていいの。そんなの当たり前。
努力って、自分に向かってやるものだから。

今は、陸上競技ほど結果は明確じゃない。がんばり方もムツカ
シイ。でもそういうギリギリのところでがんばるっての、いい
よね。なんか、そう思う。
最近、とても無邪気に、がんばろうと思える。
傷つくことも多いし、辛いことも多いし、時々泣いているけれ
ど、でもなんとなくそう思う。

 

 

11/19

可能性と限界について、最近よく考える。
私はこれまでの人生で、限界について考えたことがなかった。
限界があるということを知らずに生きてきた。
といっても、じゃあ空が飛べたかと言うと、もちろんそんな
ことはない。要するに明らかに無理なこと以外のすべてに可
能性を感じていたのだ。なんと屈託のない人生。
江國さんだったか、子どもの頃はつまらなかったと、何かで
書いていたような記憶がある。大人になったから、1人でお
酒も飲みに行けるし、飛行機にも乗れるって。
私の場合は、「いつか」きっと私は1人でお酒を飲みに行った
りできるようになるんだろう、と考えているのが好きだった。

最近考える限界とは、例えば、私は今のままじゃ、1000万も
稼げないんだな、とか。
例えば、身も心もとろけるような恋愛を、もしかするともう
できないのかもな、とか。
例えば、青山の庭付き一戸建てに住むのは無理なのかも、と
か。早く気づけよって感じだけど。

限界を意識するようになって、現実の世界をきちんと見るよ
うになった気がする。これは無理だけど、これならできるっ
てのがわかるから、具体的にがんばりやすい。

で、相変わらず、目標は年収1000万である。
今の条件では無理だと言うことがわかったけれど、今の条件
を変更すれば、可能だと思うから。
だけど今は、とりあえず今の条件の中でやれるところまでや
ろうと思う。そうしないと、次につなげないから。

昔、母がよく「あんたはほんまに策士や」と言っていた。
彼女は、私が10代の頃からよく、かわいくないだの、策略家
だの、そういうところが嫌い、だの言った。
たぶん、彼女が言いたかったのは、娘は世間の人には、愛想
がよくニコニコして純粋そうで「本当にいいお嬢さん」など
と思われているけど、私はあんたの意地汚いところを知って
るでってことだったのではなかろうか。

でも、お母さん、私はそういうところを隠しているつもりは
全然ないわよ。人に知られたくないと思ったこともない。
だけども、それは個人が胸の深いところで必死になって考え
る種類のものでしょう。他人からは見えないのよ。
一緒に暮らしていたあなたは、たまたま見えてしまったかも
しれないけれど。

私はこれまで無限の可能性を秘めた子どもだったんだけど、
これからは、ドロドロの業を持った大人になろうと思う。
母が否定したその部分ともっと仲良くしようと思う。

人間関係における可能性と限界についても考える。
人と人とはわかりあえない。
だけども、愛し合いたい。
村上春樹の「国境の南、太陽の西」は、それをうまく描いて
いるから好き。「ノルウェイの森」は、限界の方ばかり目に
付いてしまうから辛かった。

年収1000万円は、条件を変えれば可能だと思えるけれど、身
も心もとろけるような恋愛は、もうたぶんむりね。

 

11/15

スピッツのコンサートに行ってきた。
よかった。とてもよかった。

私は、ひそかにスピッツのファンクラブの会報のライターを
ねらっていて、だけどもそれは、ひそか過ぎるというかつま
り、何にも具体的には努力してないんだけれど(実際にライ
ターをなさっている方、ご安心ください)、マサムネの歌声
を聴きながら、あーやっぱ、ミュージシャンとライターとし
て出会っても仕方ないよなあ、と思ってしまった。
やはり、1人の男と女として出会わないと。
ってそしたら、なんかあるんかい・・・ないよね。うん、わ
かってる。それが妄想であることくらいはわかるほどに大人
ではあるんだけど。

だけど、マサムネにはやはり、愛されたいと思う。
彼の愛情はとても居心地がいい。
それはきっと、彼の愛情が何も強制しないからだと思う。
ファンに対してもそう。「掛け声が小さい!」とか、「立つ
な!」とか、言うわけがなく、ただただいつも「よかったら
聴いてください」的な謙虚さでもって歌う。
聴きますとも!

まあだけども、現実の生活で彼がどんな恋愛をしているのか
は知らない。当たり前だ。知りたいとも思わない。
案外すごくマッチョなのかもしれない。
ま、それはそれ。

そして、私の愛する人、浅井健一君が大変なことになってい
る。ロッキング・オンの編集長を殴ったとか。
その経過説明がロッキング・オンに出ていた。
理由がどうであれ、殴るのは良くない。それはそう。
しかし、今回のロッキング・オンのやり方はないだろう、と
思った。
そもそも両者はAJICOのあたりでもつれた。
だが、双方歩み寄る努力をしていたらしい。それが、JUDEの
出した二枚のCD評に、浅井健一君がハラを立てて、そんな
ことに発展した。
CD評に激怒して殴る、という、そんな単純な図式ではない
のだけれど、ロッキング・オンの記事ではそうとしか、わか
らない。

ロッキング・オンはどんな意図を持って、あの記事を掲載し
たんだろう。「読者の判断を仰ぐ」とあったが、「暴力には
屈しない」という雑誌としての態度を表明したかったんだろ
うか。
しかしな、そんなの当たり前でしょう。
青臭いよ。
その一方で、広告には屈するでしょう?
継続的に広告を入れてくれている事務所のミュージシャンは
叩けないでしょう?
お金には屈しているのよ。
広告がないと雑誌が成り立たないのは私もわかってる。だ
からそれについてはとやかく言わない。
お金に屈していながらも、心までは浸されていないよって、
そんな気持ちは、どこかにあるでしょう。
黙ってその気持ちを持ち続けているでしょう。
大人の世界でやっていくには、そうするより他ないじゃない
の。

(JUDEは、そのCD評が出た号に広告を入れていたらしい。
だけどももちろん、浅井健一君は、お金で好意的なCD評が
もらえると信じた挙句に裏切られたと怒っているのではない
と思うし、広告を取りながら、好意的ではない評を載せたロ
ッキング・オンがお金に惑わされずに真摯なCD評を載せる
雑誌ってことでないと思う。)

記事は、あまりに短絡的で幼稚だ。
あんな形で事の成り行きを公開するなら、警察に通報すれば
いいと思う。司法の判断にゆだねたら、殴ったほうが悪いこ
とは明らかになります。それが今の社会でしょう。
もともと、ミュージシャンが評論家を殴るなんてのは、よく
あること、と言う人もいる。いちいち警察に通報していたら
間に合わないと。そのあたり、私はわからない。
わからないけれど、何かを書かれて、むっとする人は多いだ
ろうということは想像がつく。
それでも、いい関係を成立させる、というのが、書く側のプ
ロとしてのあり方よね。
浅井健一君といい関係を保ちたい、と編集者として考えたな
らば、ことが起こって、一月もしないうちに雑誌の記事にし
て、読者に告知してしまうことの危険性を考えなさいよ。
いい関係なんて、時間をかけてゆくリ築いていくものでしょ
う。そんな短期間で、浅井氏側からの返答はない、って、あ
んたあほか。
「暴力には屈しない」
「ミュージシャンとはいい関係を築きたい」
それは、黙って実行するしかないと思う。
その姿勢は、きっと誌面に反映されるよ。
わかる読者にはわかるよ。
時間はかかるかもしれないけれど。
それが雑誌として最も核にしたい部分ではないの?

今回のやり方はあまりにヒステリックだと思います。

 

10/31

もう限界です、って泣きたい気分。
泣きたい、泣いて終わりにしたい。
昨日も2時間しか寝ていないよ。
明日は5時に家をでて、撮影だよ。
撮影が終わったら、猛ダッシュで家に帰って、また仕事だよ。
仕事、仕事、仕事。

くじけそうになる。逃げたくなる。
だけど。
だけどいつも、ここで力が出る。
負けたくない、ってアクセルを踏む自分がいる。

私は、ずっと前を見ていたい。
振り向きたくない。休みたくない。
前へ前へ前へと進み続けたい。
ここで終わりになんかしたくない。
今日はつらいけど、来年の今日は、同じ仕事を笑いながら
こなせるようになっていたい。
前に、行きたい。どんどん前に行きたい。
子どもを犠牲にしても、毎日、買ってきたお惣菜を食べて
いても、友達を巻き込んで、あれこれ情報提供をお願いし
て嫌われてしまっても、それでもやはり、前に進みたい。

泣きながら、前に進んで、もっともっともっとって、
走り続けて。
走り続けて、疲れ果てて。

そして
私が向かう先には
たぶん
何もない

そこは
ただの
月に照らされた
砂漠

 

10/19

♪別にいいよ
 君にあげる
 俺のすべて
 それっていったい何なのか
 わからないけれどね

浅井健一君の新しいバンド「JUDE」のシルベットとい
う曲を昨日ミュージックステーションで聴いたんだけど、
あ、もしかして、これ、よいかも。と思い、今日早速買っ
てきた。
そして、完全にいかれてしまいました。
私は、この人のために何ができるだろう? と本気で考え
てしまった。

私は、浅井健一君が、世の中の、1人でも多くの人に認め
られるお手伝いはできない。それをどう受け止めるかは、
人それぞれだから。その思想は、私の根幹をなしているの
で、誰彼かまわず、ではなくて、人を選んでお勧めするの
だとしても、やっぱりできない。

しかし、例えば、浅井健一君が音楽に打ち込める環境を作
るお手伝いとか、そういうの、できないだろうか? 
と、まじでまじで、考え込んでしまった。
実は、文章を書く能力よりも、事務能力に自信を持ってい
る私としては、事務所の事務員とか? 
電卓打つの、相当早いわよ! 礼状書きなんかもOK。
電話番? いやな取材申し込みを相手の気を悪くしないで
断ることなら、かなりうまくさばけるわよ。それはもう!

と、まあ、それくらいにのめりこんで聴いていて、今、た
ぶんシングルリピートで50回くらい聴いたところ。

詩で言うならば、私は、YUKIちゃんよりも、マサムネ
よりも、中原中也よりも、浅井健一君が好き。
恋愛対象になるのかならないのか、それはもうぜんぜんわ
からん。

♪朝までやりまくる
と歌われると、まー浅井君たら、(たしか)38歳なのに、
大丈夫なのかしら、きゃー! くらいは考えますけど、で
も、恋する気分がわく暇もないくらい、あるスポットにき
ゅーっと私の気持ちは押し込まれてしまったのであった。

マサムネは、弱いけど強い。
浅井健一君は、強いけど弱い。
マサムネには、愛されたい。
浅井健一君は、愛したい。
マサムネは、なだらかな坂をゆるゆると自転車で下ってい
くがごとく好きになる。だんだん好きになっていく感じが
心地よい。今でも、私は、まだ好きになっていく過程を楽
しんでいる。だけど、もう坂を上るつらさなんて味わいた
くない。スピッツのない世界は考えられない。
浅井健一君は、小さな落とし穴。
まっすぐすとーんとおむすびころりんのように、必然と偶
然を兼ね備えて、落ち込んだ。
12月のツアーのチケットも買った。
ラブ。

作品と言うのは、それが写真であれ、音楽であれ、小説で
あれ、作った瞬間、それ独自の人格を有すると思う。
だから、例えば、「雑誌のインタビューで、浅井さんは、
あの詩は、○○だと言っていました」なんて、作り手の意
図を正しいことのように言うのってほんと、ばかくさいと
おもう。浅井君がどういうつもりで作ったかということに、
私はほとんど興味がない。
彼に聞きたいことも何もない。
私は、その曲をただ受け止めて、ひとりで聴いていたい。
私の思いを誰とも共有できなくていい。
私なりの感じ方を、ひとりっきりでどんどん深めていきた
い。

♪心はずっと
 このまま
 旅の途中さ

 

10/10

昨日の日記を書いて、私、疲れてんだな、と思った。
体調もここんとこすぐれない。どこがどう悪いというので
はなく、全体としてすっきりしない感じ。

疲れの原因は、仕事だ。
といっても、この仕事がいやだ、あの編集者と合わないっ
てんではなく、なんとなく、あー疲れた、と。
例えば、仕事を断って、旅に出るとか、あるいは家でゆっ
くりするとか、そういうのもいいのかもな、と思ってみた
りはする。昔の私なら、そうしていたと思う。

だけども、そんなことをしても解決しないと、今の私は知
っている。答えは、暇な時間にふわっとわいてくるもので
はないから。探し物は、のんびり散歩している道の脇にこ
ろがっているような種類のものではないから。

毎日の仕事をひとつひとつ着実にこなして、ねじをきりきり
っと巻いて、巻きつづけて、その先に見えてくるものを待ち
たい。
ねじを無理やり巻きつづけても壊れないだけの強さが、今の
私にはあると思う。

もうひとふんばりだ。
がんばろう。

 

10/9

♪「おかしいよ」と言われてもいい
 ただ君のヌードをちゃんと見るまでは
 僕は死ねない ♪

と歌う「ラズベリー」という曲が好きで。
なんか、すごく励まされる。
そんなこと、言われたい、と思うのではなくて(いや、ち
ょっとは思うかも)、そんなことを生きる理由にするとこ
ろがものすごく他愛なくていいなあと。くすって笑える、
その他愛なさこそ、人生よね、とか。

今は、「ミカンズのテーマ」が気に入っている。
♪実は、恋も捨てず ♪

ってのがいい。
実はって。
なんか、ちゃっかりした感じに救われる。
これも、くすって笑える。
笑った瞬間、気がラクになる。

そういう、ほんのちょっとの気持ちの余裕って、すごく好
きで、南の島で開放的な気分に浸ってーというロングバケ
ーションよりも、ほんの一瞬のくすっていう笑いが、大切。

 

10/3

ビリー・ホリディの「BODY AND SOUL」を購入。
ジャズは、これまでにもなんとはなしに聴いていて、だけ
どビリー・ホリディは、「苦手」とレッテルを貼っていた。
どうも魂が入りすぎていて、怖かった。
関わりたくない気がしていた。

彼女の人生をよくは知らないけれど、この孤独感はアメリ
カ人だなあと思った。マリリンモンローやカポーティに共
通するものがある気がする。

栄光と破滅。喝采と罵声。
栄光を掴んだけど幸せじゃない。破滅の中に安堵がある。
喝采を浴びているのに不安はぬぐえない。罵声を浴びると
胸の底に明かりがともる。
人生は矛盾だらけで、でも矛盾こそが人生で。

最後のアルバムで、I'll never smile again. と歌っ
た彼女。
「死ぬときに、ああ自分の人生は幸せだった、と思いなが
ら死ねる人生」がいいと思う人もいるようだけど、私はい
や。
「死にたくないよ。まだやりたいことの半分もやっていな
いの。死にたくないよ。まだ死ねないよ。もっと生きたい
よ」って悶絶しながら死ぬ方がいい。

彼女は、もう生きる力はなかったんだろうな。

私は、私の人生に満足している。
私は、私の人生を誇りに思う。
ええ、いい人生でしたとも。
今、とても幸せです。

くだらない。
彼女は、死の瞬間、安堵したと思う。
人生を振り返ったりしなかっただろう。

「私はもう2度と微笑まないでしょう」
そして、彼女の人生は終わった。

 

10/2

電車で隣に座っていた男の子が、お母さんに説教されてい
た。電話で。19歳くらいだろうか。予備校にでも通ってい
るんだろうか。専門学校かな。

なにやら、その男の子が、お母さんに「もうこれからは夜
のごはんはいらない」と、言って家を出たらしかった。

お母さんは、懸命にがなっていた。
一緒に食べましょうよ、とか、うちで食べなさいよ、とか、
じゃあどこで食べるの?とか。

息子は、だって、その方が(お母さんが)ラクでいいかと
思ったんだよ、と口を尖らせて言っていた。

会話の9割は、お母さんがしゃべっていた。
でも、息子は携帯を握り締めて母の愛を手のひらで感じて
いた。電話では、「うん」しか言っていなかったし、彼が
しみじみ「ボクって、母親に愛されているんだな」と感じ
ている風でもなかったが(そんな事を感じるには彼の日常
は平和すぎる)、でも、親の愛情って、それでいいんだな
としみじみした。

「かまう」ことが時に大切なんだよ。
息子は、何考えてんだか、さっぱりわからない存在だけど、
それでもかまわず、はたらきかける。関わりを持つ。持と
うと努力する。

「もう大人なんだから」と電話をしなかったら、あの子は
もう2度と家でごはんを食べなかったかもしれない。
山手線の電車の中で、家からかかってきた電話を無視せず
取ったんだもん、彼だって、お母さんとつながっているこ
とが嬉しいんだよ。うぜえって、心の表面では思っている
かもしれないけど。

親にできることってそういうことなんだな、と思った。

 

9/25

忙しぶる人が嫌いだった。
だって、そういう人ってワガママなんだもん。
そういう人に限って、他人の時間には無頓着だし。

私は、今、そういう人になっていないだろうか?
「忙しい」といって、人との待ち合わせに遅刻したり、返事
を書かなかったり、きちんとお礼をいわなかったり、喜びを
伝えなかったり、していないだろうか?

大切にしたいことが、たくさんありすぎる。

 

9/8

私のこれまでの電脳生活での優先順位は、1メールの返事、
2BBSのレス、3HPの更新だった。ずっとかなりきっちり
守っていた。メールの返事を書く前に、HPを更新すること
などなかったし、BBSのレスより先にHPを更新することもな
かった。
HP→不特定多数の人が読むもの(時に自分のためのもの)
メール→特定の人へのもの
というわけで、私にとっては、メールの方が優先順位が高
いし、それをきちんと守りたいと思っていたのだ。
人によっては、どうでもいいことかもしれないけれど、自
分の中の決まりごととして。
ところが、ここに来て、とんとメールの返事を書かなくな
ってしまった。ここに来てって、うーん…もう半年とか、
1年とかの範囲で。
それまでの私のメールパターンと言うのは、出す→返事が
来る←また出す→で一段落、というのが常で、たいていの
人には自分からメールを書いていた。回数でいうなら、相
手の2倍のメールを書いていたのだ。
今は、どうなんでしょ。
私が返事を書いていないから、ストップしてしまった関係
って、けっこうある。

仕事をしていて、忙しくて、そのことが、私の中の色んな
ことから突出してしまって、時々バランスを崩しそうにな
る。若いときなら、とっくにまいっていたと思う。
去る人、出会う人。失うもの、得るもの。
仕事に夢中ってのは、読書に夢中、マサムネに夢中、テニ
スに夢中ってのとは、ちょっと違う。消耗の仕方と度合い
がね。
「忙しい」を理由に、いろんなことを放棄している。
じっくり考えること、気を配ること、ごはんを一生懸命作
ること。

しかし、私の忙しさはねずみ花火のようなもんだと思う。
目指すものがない。
それなのに、立ち止まれない。
ずいぶんと発火時間の長いねずみ花火である。

 

8/23

最高に忙しかった日。
久々に電車の中で原稿を書いてしまった。
そして取材。東村山まで行ったのだが、武蔵大和と東大和
を勘違い。がーん。あわてて武蔵大和へ向う。
で、タクシーを使ったら、所持金が限りなくゼロに近づく。
やばい。家に帰れない。編集者にこっそり「おかね貸して」
とお願いせねばなるまい。ううむ、はずかしい。と思って
いたら、編集者、先に帰ってしまう。あら〜ってことで、
今度会う予定のない、カメラマンに貸してもらう。
人にお金を貸してもらうって、何年ぶりでしょ。
36歳にもなって、1000円のお金に困っているなんて。
しかも今日は、36歳最後の日よ。

そして家に帰ってきて、またまた原稿書き。
せっせせっせと書く。
ふと見ると、ファックスが届いている。
なんだろ? と思ったら、あらまあ、来週コメントをいた
だきに行く先生が、大学の場所をファックスで送ってくれ
たみたい。・・・と!!! ぎゃー。
早稲田の先生なのだが、わたしゃ、てっきり高田馬場だと
思ってました。「電話でもいいですよ」と言われたのだけ
ど、「会ったほうが話も弾むし」と考えたのは、それはも
ちろん馬場だと思っていたからです。
それがなんと、小手指駅からバスで20分、バスを降りてか
ら広いキャンパスを歩き回って、研究室に到着するにはき
っとさらに10分の場所。まじっすか。
先に言ってくれよ!って先生に罪はありません。
面白い先生であることをのぞむ。

今週、かかりきりになっていた特集は2班に別れて取材を
していたんだけど、スペシャルイベントが、遠征取材。
私、てっきり自分が行くものと思っていた。編集者からも
言われたし。でも結果としては、別のライターが行く事に
なり、私は都内を朝から夜まで。編集者の日記(公式HPの)
を見てみたら、遠征班は、なーんと12時新宿集合、18時に
は、都内帰着。まじ? 都内を走り回っていた私は、朝の
8時に家を出て、もどったの9時。

どうも時給が悪すぎる。
自分が悪いんだけど、もうちょっとなんとかしないと、と
考えながら37歳になった。
要領の悪い36歳にさよならしたいが。
ま、じょじょにね。

 

8/6

仕事は楽しいけれども、つらいです。
校了と文字校と入稿とアポ入れと取材が重なって、てんや
わんや。しかし、校了まできているというのに、そういう
ことを言い出されても困ります。早く文字数、くださいね。
取材の申し込み、さんざん待たせて断るなんてひどいわ。
地色のついた囲みは、ファックスだと見えないです。
は〜。

 

8/2

BOOK OFFに立ち寄った。
この前行ったら、素樹文生さんの本が「サ行」のところ
にあって「マ行」の棚に移すかどうか、相当迷った挙句、
「マ行」に移して帰ってきた。

「サ行」は平積み「マ行」は棚差し。間違っているのは
「サ行」、本当の名前はもとぎふみお。
平積みの方が売れる可能性が高いのか、正しい名前のと
ころに入れた方が探している人にとって有効なのか。

今日行ったら、なかったわよ。よかった。

 

8/1

なんか、最近仕事が楽しい。
うまくいっている仕事ばかりではないし、好きなものもあ
れば、苦手なものもあるんだけど、この「充実感」っての
はどこからきてるんでしょ。
誕生日が近いからかな。

でも、いいことばかり起こっているかというと、そんなこ
とはない。まったくない。
車には、どんどん傷が増えている。同一人物の仕業かなあ。
うすーい傷が、あっちにもこっちにも定期的に増えていく。
滅入るといえば、滅入る。
どんな思いでそんなことを続けるんだろう?
その行為でその人は、気持ちが晴れていないってことなの
かしら。続いているわけだから。
それとも、気が晴れる一瞬というのが存在して、それでむ
しゃくしゃすると、そういうことをしにくるのかしら。
それともそれとも、夫の母が言うとおり、私が誰かに妬ま
れている?
警察に届けた方がよいのかなあ。

そんな中で、さらに一つ、うぐぐぐーと思うような出来事
が。ちょっとひどいなと思う。が、そういう人だったのだ
と思うしかない。
携帯の番号とメルアド、消しといた。ばいばい。

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