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10/21

「応援してほしい」ってのが、好きじゃない。人から言われるの
も、自分が言うのも。運動会の応援は好きよ。息子に応援してく
れと頼まれなくても大声を張り上げてしまう。でも応援って責任
を伴うものもあって、その場合、なかなか無邪気にできるものじ
ゃない。どんなに好きな相手でも、応援できないことがある。

もうずいぶんと昔のことなのに、忘れられなくて幾度となくあち
らこちらで書いているんだけども、ある人から突然絶交を言い渡
されたことがある。ファックスが来て、そこには「傷つきました。
今後一切の、電話、ファックス、メールをお断りします」って、
確かまあそんなことが書いてあった。

もちろん私だって、そのファックスに傷ついた。
でも傷ついていても仕方がないので、相手は何に傷ついたのかを
考えた。思い当たる節はあった。当たってるかどうかはわからな
いけど、彼女が作っていた機関紙みたいなのの定期購読を中止し
たこと。

その冊子は確か年間購読料が1000円くらいだったかな。苦痛にな
るような金額では決してなかったし、文章も上手だし、なかなか
よく作っていたとは思うんだけど、でもどうもだめだった。
たぶんそれが「彼女の活動の支援者向け」の内容だったからだと
思う。どうしようもなく居心地が悪かった。

でも、私にとってはそのことと、彼女との付き合いをやめるって
こととは結びつかなかった。私は私なりのやり方で彼女を応援し
ていたし。私が相談に乗れる部分では役に立ちたいと思っていた。
それとこれとは、ぜんぜん別問題だと、購読停止を思い立った時、
手紙を書いた。私なりの考えを説明したつもりだったけど、もし
かするとその手紙がさらに彼女を傷つけたのかもしれない。

「応援してほしい」ってのは、ある種の暴力だと思うんだ。
彼女の活動を誰かがものすごく非難したりして、それがあまりに
も理不尽だったら、私は私のできる限りのことをして彼女をかば
うと思う。彼女の活動に共感はできなくとも、個人的には好きだ
ったから。でも、「応援してほしい」は違うと思う。助けること
はできても応援することはできない。その違い、たぶん彼女にと
っては、というよりも世の中の多くの人にとってはあまり重要じ
ゃないことなのかな。

私の友人のライターが、雑誌で何かを書いた時に「おもしろかっ
た」って感想を編集部あてに送ってほしいと言ってきたことがあ
ったんだけども、私の言う「応援する」ってそういうこと。
それはできないよ。
でも、友人のライターが「最近仕事減ったんだ」って言ってきた
ら、必死になって仕事、紹介するよ。その人に向いていそうなも
のを懸命に探してくる。
これって「助ける」ってこと。

私は、他人には「応援してほしい」なんてたぶん言わないし、思
わない。私は、ひとりでやっていくもん。
絶交した彼女と付き合いのあった頃、彼女は私に「れんちゃんは
孤高の人だから」と言ったことがあった。
たぶん彼女は私の性格をよく知ってたんだと思う。知ってて許せ
なかったんだと思う。
私は間違っていない、とずっと思い続けていたんだけど、論理的
に説明できないこと。彼女は私のことが嫌いだったんだな。
ようやく事実が受け入れられた。

 

9/23

Jazzの有名トランペッターが、覚せい剤所持で捕まった。
「2年間続いたラジオのレギュラー番組が打ち切られて、定期的
な収入が断たれたり、仕事面で人間不信に陥り、覚せい剤を使っ
てしまった」んだそうだ。

毎日が勝負!なフリーランスは、下手なことをすると、あっとい
う間に仕事がなくなる。それが精神的にやはりとてもきつい。
仕事相手との信頼関係、と言っても、それは「実力あって」のこ
とで、なければさっさと見捨てられてしまうよね。
仲がいいからという理由で「落ち目だけど、最近仕事がなくて困
っているみたいだから、使ってやろう」って人はいない。

いつだったか、あるライターが、単行本を出した時に「その本を
売るためなら、土下座して靴をなめてもいい」と言っていた。
私は、本を出したとしても、それはしないと思う。それで本当に
売れるならしてもいいけど、そんなんで売れるほど甘くない。

だから、その人のつらかった気持ちはすごくよくわかる。
でも、あまりにありきたりだけど、それは、結局のところ仕事で
見返すしかない。
仕事で見返すことができない、というのはつまり才能がない、と
いうことで、それを職業として成立させられない、ということ。
もちろん、見返すだけの才能がなくても、別の方向性で勝負する
ことも可能だと思う。仕事のランクを下げるのもひとつの道。
昔は家庭画報の表紙を飾っていたけど、今はチラシモデルです、
でも、悪くない。本人がそれを認められるかどうか、それが問題
なわけで。いろんな方法を模索して、それでもとにかく「この仕
事を続けたい」とがんばったら、それはきっと道が開けると思う。
「そこまでして、仕事をもらえなくてもいい」と思うなら、それ
はそれ。

で、私はどうよ?
なんとか、やっていけているのかしら。
実のところ、精神的なアップダウンはかなりある。
「まずった。あの原稿、へたくそだ」とどどっと落ち込むことも
あるし、忙しすぎて手が回らず、やや雑になって相手をむっとさ
せてしまうこともある。
逆にヒマなときにしまりのない文章しか書けないことも。
でも、もちろんうまくいってるのもある。
うまくいって、それで信頼関係が成り立つか、というと、「あん
なにがんばったのに、これっぽっち?」逆にギャラが安くて、び
っくり!だったりなこともあって、本当に落ち着きのない職業だ。

世間は、年功序列よりも成果主義というけれど、それは相当きつ
いと思う。能力のあるなし、がそのまま収入に結びつく。
能力のある人ばかりじゃないし、能力のある人だけが楽しく過ご
せばいいわけじゃない。そういう成果主義とは無縁の世界へ、抜
け出してしまえたなら、またそれはそれでいいとも思う。
抜け出したくても抜け出せない(稼がなくちゃ食べていけない)、
自分ではそこそこだと思っていたのに、成果が認められなかった、
勝負して負けた・・・そのあたりにいる人が世の中には多いんじ
ゃないかな。そのトランペッターのように、がんばってたのに結
びつかなかった時ににどう対処するか。
でも何かのきっかけで、自分ではまったくわからないまま、うま
くいくこともある。

私もそういうぎりぎりの世界で、がつがつ買い物をしながら、精
神の安定をはかっているであることよ。ってのは言い訳だけど、
とにかく。とてももろくて壊れやすくて、見えにくい階段を踏み
外すことなく上っていかなくちゃな、と思う。ひとつひとつを確
実にこなしていけば、たぶん何かがある。
成果主義の結果、信じる気持ちが強くなる。
だって信じるしかない。

そろそろ買い物をやめなくては、破綻する。
でも、あとブーツとベルトを買わねば・・・。

 

9/20

今日、子どもの運動会があって、私は自分の子どもが赤組か白組
かすら知らない、行き届いていない親なのだけれども、私の子ど
もが、あんなにも屈託なく走り回っているのを見て、涙が止まら
なくなってしまった。

子どもたちの犯罪について、世間はいろいろと言うけれど、私は
そんな犯罪を目にするたびに、うちの子が将来絶対にそんなこと
をしでかさない自信はないな、と思ってしまう。
うちの子、って2人いるけれど、上の子の方。

子どもの犯罪で、親を責めるのは、それはしごくまっとうなこと
なんだろうか。私は、下の子しか、育てていなければ、きっとほ
かの大人たちのように、親を責める気分になったと思う。
でも、この上の子を育てていると、親の無力さを痛いほど、泣き
たくなるほど、感じる。
この子の個性に、私はまったく関知できない。
一時期、「他動」かな?と思ったこともあったけども、そうじゃ
なく、単純に個性やら本能やらが強いみたい。

長嶋茂雄と宅間某の違いはなんだろう?と思う。
何を馬鹿な、と思うかもしれないけど、私はとても怖い。この子
は、一歩間違うと、壊れる。
私は、母親として、いろんな場面で肩身の狭い思いをしてきた。
たくさん頭を下げたし、でもその中で精一杯自分の子どもを守っ
たつもり。
たぶん2人の違いは、夢中になれるものを見つけたかどうかだろ
うと思う。私は、全力で彼がそれを、みつけて、力を注ぐ手助け
をしてやらなくてはならない。
あの無邪気な笑顔を守ってやらなくてはならない。

優しくしようと思っても、ぜんぜんできず、いつも結局は怒鳴り
散らしてしまう、かなり失格な母親なので、そんなことよく言え
るな、と思う身近な人間はたくさんいるであろうが、行為が伴わ
ない分、心で強く念じなくては、いけないんだと思う。
私があきらめたら終わりなんだ。

 

9/5

浅井健一熱が復活。
彼のために何ができるだろう?とは、もはや思わないけれど、な
ぜこんなにも彼は、私の胸をさわさわさせてくれるんだろう。
彼の持つ何が、私のところに届くんだろう。

浅井健一くんと出会ったのは、1991年の「hi fashion」9月号。
Yohji Yamamotoのショーのモデルとして登場していた。
今思えばつくづくすばらしいショーで、Comme des Garcons と
のジョイントで行われ、ものすごいスケールとレベルだった。
(「Hi fashion」によれば。)

モデルはすべて素人。といってもただものではなく、『イージー
ライダー』のデニス・ホッパー、『眺めのいい部屋』のジュリア
ン・サンズ、『ヴェルヴェット・アンダーグランド』のジョン・
ケイル、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のジョン・ルー
リー、『YMO』の細野晴臣、高橋幸宏、吉田カバンのデザイナー吉
田克幸などなど(当時吉田カバンはそう有名ではなかったが)。
ミュージシャン、俳優、ラッパー、ジャズマンなどなど、総勢50
人以上の男たちが集まって繰り広げられた。
そこにBlankey Jet Cityの3人は登場したのだ。

って、見たわけではないんだけども、雑誌に載っていたその写真
に、なぜだか私はとても惹かれた。
その写真、別に何が素敵と言うわけではないんだけど。ぜんぜん
ないんだけど、この人たちって何者?って。

でもその後すぐに聴いてみたわけではなくて、そのまま、それっ
きりにすること10年近く。
で、唐突にアルバム『ロメオの心臓』購入。

♪彼女は目を閉じて夢を見たりしない

という歌詞にやられてしまったのであった。
とはいえ、すべてのアルバムを買い集めるほど、音楽的にやられ
たのではない。ただ、浅井健一くんの持つ世界、というのになん
だかものすごく惹かれた。

少年性とか、破滅的とか、孤高とか、怒りとか、正義とか、いろ
いろと人は言うし、確かにどれもあたっているようにも思うけれ
ども、私は少年ぽい男性なんて、別に好きじゃないし、孤高の香
りに惹かれるってのもない。ましてや正義も怒りもどっちもそん
なのはうそくさい。
私が好きなのは、そういうんじゃない。そういうんじゃないけど、
うまく言えない。うまく言えないけど、すごく深いところで、こ
の人をいとしく思う。音楽的にはわからないけど、というと、そ
のいとしさもうそくさいが、でもまあわからないけど、好きなん
だよ。全部。

マサムネの「この10年で一番よく聴いたアルバム」リストに、ブ
ランキーの『LOVE FLASH FEVER』を発見したときは、ちょっと嬉
しかった。ジュディマリのTAKUYAが浅井健一くんのことソンケー
してると聞いたときもまあ!と思った。
マサムネの音楽もTAKUYAの音楽も好きで(ある意味、ブランキー
よりも好きで。だってわかりやすい)、ああでも浅井健一くんを
評価している人が作った音楽なんだ、と思うとどこかで何かが通
じ合ったような気がした。

浅井健一くんの魅力のひとつは、自分の魅力をきちんと把握して
ないところ。把握してない、ように私には思えるところ。
自尊心は強い人だと思う。でもマーケティングがうまくない気が
する。マサムネもTAKUYAもマーケティングがしっかりしてる。マ
サムネなんかはさらにセルフプロデュースがうまい気がする。そ
れは「ビジネスがうまい」という意味ではなく、「そういう才能
がある」という意味で。浅井健一くんは、そのあたりがちょっと
でこぼこしてる。

街はずれ
ビルの屋上からオレンヂジュースに透かして
景色を見る
見わたせば
ガソリンスタンドのネオンが
いつもよりずっと悲しく見えるのは
どうしてなんだろう

ボロボロの車を オンボロの車を手に入れて
手に入れて
行き先知れずのチューインガムを噛んで
そよかぜに誘われて
朝が来たら パンをかじり 
黒いブーツで 灰色の空の下へ旅立つのさ

僕の心を取り戻すために

浅井健一くんの詩には、アメリカがある。
憧れでも、憎しみでもないアメリカ。でも時に憧れ、時に憎むア
メリカ。その距離感がものすごく好き。そういう距離のとり方が。
瞬間の思いを大切にしているところが。

あいかわらずCDはすべて持っていないし、今後もすべて買いそ
ろえる予定はないし、でもたまには買って、たまにはライブにも
行こうと思う。
そして彼がずっと幸せであればなあ、と思う。

 

8/22

お金の遣い方というのが、私にとっての人生のテーマなんだろう
か。なんか非常にだっせーって気がするが、気にしていることは
事実。

私は、結婚相手に財力を求めてはいなかった。ぜんぜん気にして
いなかった。でもそういうのんきさを今思えば見抜いていた夫の
両親は「れんちゃんにサラリーマンの家庭を運営できるか」って
ことをとても気にしていた。

結婚前、私はお金のあれこれで、体調を崩した。
夫は結婚前の半年間海外に留学していて、私は結婚式のあれこれ
を夫の父に相談しながら進めていたんだけど、夫の父は、とにか
くお金にとてもシビアだった。というかたぶんそれが普通なんだ。
でも、私はこれまでそういう付き合い方に慣れていなかったので
とても戸惑った。
とにかくなんでもかんでもすべて折半だった。その場その場でき
ちんと。それがとても苦痛で、現像した写真をもらっても、うん
ざりした。「ああ、またお金を払うのか」って。

結婚式って、厳密に計算すれば、花嫁にたくさんお金がかかる。
もちろん夫の父は厳密に計算して、私の側はたくさんお金を払っ
た。おまけに私の側は関西からたくさん人を呼んで、その人たち
の交通費や宿泊費も負担したので、相当な出費だった。
打ち合わせのたびに、私には3万円近い交通費がかかった。何も
かも折半にするなら、それも折半していただけないでしょうか。
普段の私なら、そんなこと思いつきもしないのに、そこまで考え
た。でも言えなかった。そして体を壊した。

結婚指輪を2人で買いにいって、その帰りに夫の実家に立ち寄っ
た。無邪気に両親に指輪を見せたところ、夫の父の口から出た言
葉は「れんさんにお金をもらったか?」だった。
もし仮に、夫が出してくれていたとしても、それがなんだという
の? だけど心配に及ばず、夫はそんな父親の息子なので、きち
んとしている。私みたいにぼんくらじゃない。
その指輪のお金は、私のカードで買った。
でも、夫は「ああ」と曖昧に返事をしただけで、私のカードで買
ったことを、父にきちんと告げてくれなかった。
それは、象徴的な出来事として、その後ずいぶんと私の中でくす
ぶり続け、結婚1年で結婚指輪をなくしたとき、正直なところ、
ほっとした。

夫の父と、今は仲良くしている。
この前はフランス料理をごちそうした。
嫁は今や父よりも、自由に使えるお金がたくさんある。
父は徹底して私にお金にシビアになるよう叩き込んだかもしれな
いけれど、ぜんぜん身に着かなかった。

お金って、必要な分が必要なだけ、あるものだと思う。
のんきだ。でもそれが私の哲学だ。
私たちは、そろそろ一戸建てを、という年齢に達している。
田舎者の私にとっては、「一戸建て」って普通のことなので、あ
らまあ、私ってば一生マンション暮らしをするのかしら、と思う
と、ありえないーという声が響いてくる。
でも今はどう考えても無理だ。
もちろん、私が徹底して節約に励める主婦ならば話は別。でも、
そういう種類の主婦じゃないし。
でもまあ、今、それで必要十分な生活をしているのだと思う。
そして例えば、一戸建てに住んだほうがいい状況になれば、きっ
とどこかで何かが巡り合って、お金が手に入るんじゃないかしら。
どこから? そんなんわからんけど。
稼ぎ頭の夫の生命保険にも入らず、子どもたちにコツコツと貯金
することもなくのんびり暮らしている私たちだが、ぜんぜん心配
していない。
「お金に苦労したことがないから」という人もいる。正解。
でももう、開き直るしかない。

 

7/25

金銭感覚がゆるすぎるのが、悩みといえば悩みで、買い物依存症
なのかもという疑い(自分に対する)にもとても煩わされていた
私なのだけれども、どういうわけか、物欲が消えた。

金銭感覚がゆるすぎるのも、買い物好きなのも、仕事を始めた理
由の一つに上げられると思う。お金に細かい男性ならば、ぜった
いに私を妻にはしないだろう。
そういう意味では夫に感謝しているんだけども、とにかくモノを
安く買うって才能がまったくない。

スタンプ券とか絶対にたまらないし、クーポン券とかすぐになく
すし、モノの値段がぜんぜん覚えられないから、値段を見ても、
それが安いのか高いのか、判断がつかない。醤油とか、サラダオ
イルとか、トイレットペーパーとか。
ミスタードーナッツで全品100円になるサービス券をもらったのに
もかかわらず、財布に入れ忘れたまま買い物に行き、定価で買っ
たことは数知れず。昨日は、車のドアに手をかけた途端、そうだ、
クーポン券!と思い出し、駆け足で家に戻って、券を見つけ出し
たところ、一昨日で期限が切れていた。悲しかった。

子どもの美術教室で、月謝を払った時、「最初のひと月は、体験
ってことで、無料なんですよ。でも、支払ってもらってたみたい
で、僕も今気付いたんです。だから今月の月謝はいいです」と言
ってもらったのに、もう手渡していたので、ええ、そんな古い話、
もういいですよー。とお金を返してもらわなかった。先生が「い
やあ、でもみんなそうしてるし」と言ってくれたのに、子どもに
話しかけられて、相手をしているうちにそのまま忘れてしまった。
返してもらう気がなかったので、何日もたってから、「あ!」と
思い出した。そして落ち込んだ。もっとお金に執着したほうが、
いいのでは? 「おつりの3円」をいいわよ、と言ってるのではな
いんだもの。

夫の妹には子どもが3人おり、うちには2人。お年玉の取り決め
として幼稚園児1000円、小学生2000円ってことになっているけど、
妹は、いつもうちの子たちにお年玉以外に靴下を一足ずつくれる。
たぶん互いの合計金額が同じになるようにとの配慮だろう。
しかし、今年の正月、私はその金額を勘違いしてしまい、幼稚園
児と小学生に計8000円あげてしまった。うちがもらったのは取り
決めどおりの3000円。あとになって自分が金額を間違って記憶し
ていたことに気がついたけど、あんなにも丁寧に、互いの負担が
均等になるように配慮してくれる妹の気遣いとくらべ、私のルー
ズさはなんなんだろう。自分の主婦としての能力の低さがなんだ
か本当に致命的で、悲しかった。

いいかっこしようなどという気はまったくない。
ブランド物に興味はないし(いいものならば買うけど)、
ないんだけども、どうしようもなくヌケてる。

編集者と食事に言っても、もちろん男性とデートしても、メニュ
ーを見た時にどうしても自分が食べたいものしか、選べない。
でも一応一般常識として、相手がご馳走してくれる場合は、遠慮
して安いものを頼んだほうがいいんじゃないか、という気ぐらい
は働く。どういう態度に出るかというと、「私がおごるね!」と
にこやかに告げ、好きなものを頼むというやり方。
ちょっと品がない。

ところが!
物欲が今、ぜんぜんなくて、相変わらず金銭感覚はゆるいけど、
買い物依存症チックな買い方はまったくしなくなった。
今日も書店に行ったけど、新しい本を見ても、ふうん、という感
じ。「家にある本、読まなきゃな」なんて。
先週末にブックオフに行った時も、「ここにある本はたいてい図
書館にもある本だよな。借りればすむか」とやけに冷静な思いが
頭をめぐった。
私が私じゃないみたいだった。
私は、生まれ変わったのかなあ。
たまたまかなあ。
でもとにかく精神衛生上とてもいい感じ。
というか、酔ってるし。自分に。

 

7/11

私は、フリーで仕事をしており、その仕事なりの大変さがある。
大変さの大小は、仕事によっても違うし、同じ目にあってもへこた
れる人とへこたれない人がいるし、そもそも大変さなんてのは、比
べるものではないだろうと思う。

いつだったか、うちに「子どものための英語教室を始めるんです」
と女性が訪ねてきたことがあった。その人が教えるらしかったんだ
けれども、用意したチラシには、無料の体験レッスンを行う日と申
込先の電話番号が書いてあるのみ。
「みんなで楽しく英語を学びましょう」と言われても、無料の体験
レッスンに子どもを連れて行く気にはなれなかった。
彼女は、近所を一軒一軒まわっていたようだけど、当然小さな子ど
もがいない家もあるだろうし、かなり効率が悪かったんじゃなかろ
うか。無料体験レッスンですら、実現しなかったのではないかしら。
仕事ってやっぱり大変だと思う。
でも、そこでくじけちゃったら終わりだし、「何がいけないんだろ
う?」って懸命に考えて、今度はこうしてみよう、ああすればいい
のかも、とトライしていくうちに身についていくのではないだろう
か。もっとヒキのある、いいチラシを作って、ポスティングすると
か、あるいは、大手のフランチャイズとして始めるとか、あるいは、
知り合いの子どもだけを集めて(それが一人でもいいから)、とに
かく始めてしまうとか。
まあとにかく、なんでもあきらめた時点で終わるってことだ。

時々、「応援してね」オーラを強く発している人がいて、それに
ついて、私はとても戸惑う。
「資格試験にトライしようかと思って」と聞けば、「うわー、すご
いじゃん、がんばって!」と心から思えるのに、仕事に関しては、
なんでだか、そう単純に頑張れ〜といえないものがあったりする。

例えば、まるまる「才能」が売り、のような仕事の場合。
近所で、週に一回アレンジしたドライフラワーを売っている人がい
た。特に知り合いでもなんでもなかったんだけど、前を通りがかっ
たので、「ほー」と思って、見てみたら、どうもセンスがよくなく。
ううむ・・・と思ってしまって声が掛けられなかった。
それがもし、友だちだったらば?
「がんばって!」とはやっぱり言えないよなあ。

 

6/7

結婚するなら、カメラマンか船乗りだ、と思っていた。
いくつくらいの時だろう。
カメラマン、と言ってもその頃の私が想像したのは、世界を駆け回
るような、カメラマンというよりは、写真家という種類の仕事をし
ている人。
ふだんは離れて暮らすのが、いいと思った。
いつも一緒にいられなくてもよかった。

♪優しくなくていいよ
 クールなまま近くにいて

そう思う。
近くにいてほしいのは、固体としての距離じゃなくて、心の距離。
ベタベタしなくてもいい。映画は1人で見るほうが好きだし、1人
で過ごす時間も好きだ。
フレンチレストランにだって、1人で行ける。
でも、いつも私のこと、思っていて欲しい。
星を見ながら、「どうしてるかな」って思い出して欲しいし、
街で素敵なお洋服を見かけたら、「似合いそうだな」と思って欲し
い。
「シャッターを切る瞬間、ファインダーの向こうに君が見えたよ」
などと、言ってもらえたら、しんみりとでもとても深いところで
うれしい。

私にだけわかる言葉で、話しかけて欲しい。
私にだけ見える光を、撮って欲しい。
心が通い合う状態。
それがどういうものなのか、よくわからないけれどとても憧れる。

村上春樹の小説の主人公は、人に対してうまく心が開けない。
『国境の南、太陽の西』のハジメくんも、そう。
愛している。妻のことを愛しているけど、うまく愛せない。
深いところで交われない。
島本さんが現れる。翻弄される。旅に出る。
迷う。悩む。一生懸命、考える。
そして、島本さんとわかりあえるかもしれない、と思った瞬間、
島本さんは、いなくなる。
島本さんは、心の開き方を教えてくれたのかもしれない。

大切にしたいこと、失いたくないもの、欲しいもの。
昔は、本能で、直感で、それだけで判断できた。
でも、もう私は、考えることは、やめられない。
考え続けていると、本能を忘れそうになる。
うまく心が開けない。

『国境の南、太陽の西』を読んで、泣きたくなったのは、ハジメ
くんが、考えて、考えて考えて、そして、心を少し開いたから。

私も、幸せになりたくて、いつもいつも考えているよ。
本能だけで突っ走れた、そんな時代はもう私にはこない。
考えて、一生懸命考えて、それでも、何かを始めたい。
やめるために考えるんじゃなくて、進むために考えるんだから。

 

4/27

人と人とはわかりあえない。
昔からそう思っていたわけじゃない。

N.Y.のことを思い出すと、なぜか悲しい気持ちになる。
ビリー・ジョエルの歌を聴いても、ウッディ・アレンの映画を見て
も、Dean&Delucaが表参道にできると聞いても、泣きそうになる。

N.Y.は、結婚後すぐに1年間暮らした。夫は外資系企業勤務(日本
における外資。つまりアメリカのオフィスにはアメリカ人ばかり)
だったので、日本人妻同士のわずらわしいお付き合いなどはなかっ
た。でも誰も知り合いがいなかった。私にとっては。
学校に行くでもなく、ただ専業主婦として、異国の地に存在すると
いうのは、とてもハードだった。
おまけに英語がうまくない。
彼らは、語学力イコール教養と見る面があって(そりゃ、当たり前
よね。つまり語学力のない専業主婦に、ジュリアーニ市長の政策に
ついてどう思うか質問しても仕方ない)、私は本当に街から置いて
きぼりを食らってるような、そんな感じだった。
もちろん、毎日毎日出歩いてはいたし、それなりに楽しそうにして
はいたけれど、でもつまらなかった。今、思うと。

夫は、出張が多かった。
日曜の夜に出て、金曜日の夜に帰ってくる。
もちろん出張のない週もあったけれど。

夫の両親にマメに手紙を書いた。
とても喜んでくれた。でも、それは「息子の様子」がわかるからで
あって、私がどんな気持ちでどんな暮らしをしているか、というこ
とについては、関心がなかった。これまた当たり前だけど。
自分の両親にはまったく手紙を書かなかった。
だって、楽しいことなんて何もなかったから。

N.Y.のスーパーで砂糖を買おうとした。
でも、どこにあるかがわからない。探した。日本ならば調味料は、
だいたい同じあたりにある。でもない。わからない。
誰かに尋ねればいい。でもなんていうの? Where is sugar? そ
れってバカすぎ。なんて言うんだっけ? I'm looking for sugar.
でいいの? そんなことでおろおろする。旅人としてならばまった
く物怖じしない私が、レジデントとしていると、戸惑いの連続。英
語がへたくそだってばれたらいやだ。それに何より、砂糖を探すく
らい自分でできなきゃ、暮らしていけないよ。
そんな葛藤に心を痛めて、スナップルのグレープフルーツジュース
だけ買って、家に戻る。
夫、夕方だというのにまったく火の気も匂いもない家に帰宅。
妻は、ひざを抱えてソファで涙ぐんでる。
「ばんごはん、ないよ。作れなかったの。砂糖がなかったから」
いいよ、じゃあ外に食べに行こう。
私から目をそむけて、明るく言う夫。
役立たずの私はいたたまれなくなる。

つまらなかった。毎日、つまらなかった。
MoMAでモネを見て、SOHOのカフェで友だちに手紙を書いて、サラ・
ローレンス大学に通って、イタリア語を習いに行って、ボランティ
アで観光ガイドをした。
でも、つまらなかった。
夫はずっと優しかった。
でも、心は通い合わなかった。

私は、なんのために、N.Y.にいるんだろう?
愛する男性と暮らしたかった。
ただそれだけのことだったのに。

夫が好きなのは、元気な私だ。明るくて前向きで親切な私のことが
好きだ。
泣いている私は、見たくない。
泣き止んでから、僕のところに来てね。

ベッドでもソファでも、泣いた。
最愛の人は、私の寂しさに寄り添ってはくれなかった。
私の相手をしてくれたのは、窓から見えるイーストリバーだけだっ
た。

夫が悪いわけじゃない。
たぶん、恋愛も、結婚も、男性も、そういうものなんだ。
自分にとって理解可能なものしか、見ない。

人と人とはわかりあえない。
そう思うようになったのは、N.Y.に暮らしてからだ。
こんなにも好きになった人と一緒なのに、どうしてこんなにもつま
らないんだろう?
夫が悪いわけじゃないのに。
夫は、確かに私のことが好きなのに。
なのに、こんなにもさびしいって、どういうこと?
N.Y.を見ると泣きたくなる。
あれが、結婚生活の始まりだったから。

『アメリ』を観た夫が、「アメリって、れんちゃんに似てるんだ」
と言った。
この人、まだ私のことが好きなんだ。

 

4/14

自分がぜんぜん更新しないくせになんだけど、きちんと自分の決
めたペースで更新できるのってすごいな、と思う。
そういう人は、プロアマ問わずいっぱいいて、そういうサイトに
行くたびに、ほんとえらいなあ、と感心する。
ゆるゆると更新を続けるページには、それに呼応したよさが漂う
し、きちきちと更新を続けるページには、それに応じたよさがあ
る。
いやなのが、次回更新は4月10日、なんて告知しておいて、まった
く更新の気配すらただよわせなかったりするところ。
いやなのは、単純な怠惰さじゃなくて、決めたことを守らない怠
惰さ。守れないなら、告知するなと思う。
まあつまりスタンスの問題。
それが一応プロの書き手で、自分の出版物とリンクさせてるサイ
トで、それで次回更新が守れないって、なんじゃそれ、やる気あ
るんかい、と思ってしまう。
まあそれはきっと忙しさが理由なのではなくて、迷いがあるので
しょうよ。

と、言葉にしてみたのは、山本容子さんのHPをのぞいたことが
きっかけ。彼女なんて、それはそれは忙しいと思うけれど、更新
日は守っている(ようだ)。
単純に頻度の問題じゃないと思う。
月に1回でも、週に2回でも守れない人は守れないし、守る人は
守る。

私はこれまで、成功している人の抜け目なさってのが好きじゃな
かった。そんなのよりも迷ったり悩んだりする様が見える中途半
端な(悪い意味じゃなくて)生き方のほうに共感してた。

でも最近、うまくいっている人に漂う凛としたものに惹かれる。
苦労知らずなのではなくて、苦労を苦労と思っていないから、う
まくいくんだろうね。
山本容子さんもそうだし、ユーミンもそうだし、江國さんもそう
だ。やろうと決めたことをやりぬく潔さというか、凛々しさとい
うか、そういうの、かっこいいよな。

自分が決めた道をまっすぐ進もう。
それは、私の人生をトータルで見て、どういうことにつながるの
か、ほんとさっぱりわからない。いっぱい人を傷つけるのかもし
れないし、巻き込まれる人(例えば夫や子ども)は災難なのかも
しれないし。
でも、このところ、なんとなく、私の人生は第三期に突入したな
あって感じる。第三期。意味不明だけども。
つまり、迷っているヒマはないということ。

 

4/5

仕事で茅ヶ崎に行った。車をびゅんととばせば1時間かからずに
到着した。その後、海沿いを走って、葉山へ。
こういうドライブってのが、私にとっては、まさに80年代って感
じよね、と思った。80年代というか、学生時代というか。

夫と知り合ったのは90年代。
よく一緒にドライブもしたけれど、「なんかさ、ドライブするっ
て時に、いきなりユーミンのテープとか持ってくる女って、こえ
えよな」と言い出したのには驚いた。
私、持って来る女なんだけど。

ユーミンは、今となっては、スキともキライとも言えない、微妙
な感じなんだけど、でも無性に聴きたくなるときがある。
言葉の選び方が、「音楽」ぽくてそこがすき。
浅井健一くんの詩は、文学としても読める。
ユーミンのは、文学としての深みはないように思う。
でも、だからこそ実感が、こもっているような。
その実感ってのは、マスコミやら、社会やらが見せる幻想のなか
にどっぷりひたった実感というか。

きれいなところだけを抜き取って描いているような部分もある。
でも、よくよく読むと彼女の詩は、かなり暗い。
私は、ある意味、中島みゆきの詩よりユーミンの詩のほうが暗い
と思う。

あなたは来ない、といじいじ歌うみゆき。
あなたが来なくたって、私はもとからこの海が好き、と強がるユ
ーミン。
素直にいじいじ出来るほうが強いんじゃないかと。
強がるのは、自分が弱いからではないかと。

消灯飛行という曲があって、この状況描写がとても好き。
状況じゃなくて、描写が。
美しいと思う。でも暗い。愛されていないから。

♪忘れえぬこと、忘れるために 努力はいるのね
 二度と結べない糸なら たぐりはしないわ

川景色という曲も好きなんだけど、

♪じっとしてね、ちょっとだけ 光と風 揺らさずに
 恋が消えてしまったら この景色も消えるから

 ときめいてね ときどきは 私のこと 考えて
 恋がすぎてしまっても この川辺を走るなら 

というのが、なんかやはり。
幸せと不幸せのすきまをうまくついているよねと。
うまくいっているときの不安感と切なさがしみじみくるもの。
好きなものを失いたくない。
でもいつか失うんだろうな、
って。

男の人って守ってくれる存在だよね、と言うと、
「れんちゃん、恵まれすぎ」と笑われた。
恵まれてはいないの。ぜんぜん。まじで。
なんというか、「守ってくれる存在だ」と感じているのは、私の
本能。
でも、現実は違うの。そんな人はひとりもいない。
守ってくれようとしたところで、守りきれない。私は私だから。
守ってくれようとして、あれこれ言われるのも、実のところ、う
ざい。いいのほっといて、私はひとりで大丈夫。

でもなんだかな。出会えないものだからこそ求めるのかな。
出会えないとわかっていて、それは男性に問題があるのではな
く、私に問題があるからだから、それはもう今後も確実に出会
えない。

♪優しくなくていいよ クールなまま 近くにいて

言葉にすれば、簡単なんだけどね。

 

 

2/26

さっき数えてみたら、私が今年チョコをプレゼントした男性は10
人だった。ぜんぶ義理。
でもまあ、私としては、それぞれに、それぞれの思いを込めて、
渡したつもり。「物」は同じでも、「気持ち」はぜんぶ別。

反応は、おおむねみんな温かかった。
「あ、さっき、すみません、どうも。や、なんかびっくりして。
でも、ありがとうございます」
とわざわざ電話してきてくれる人もいたり、私も別にそれでどう
こうと思っているわけではないので、
「ああ、いえいえ、そんなそんな」てな感じで。
でも、義理であれなんであれ、喜んでもらえるととてもうれし
い。
それだけのこと。

が。
私がばらまいたチョコの1つに、かなり後悔した。
もうまじで。
返してって感じ。

バレンタインをとうにすぎてはいたけれど、以来はじめて会うん
だったので、チョコを持っていったのだ。
そのチョコはバレンタインのついでに買った自分用のチョコで、
今年のバレンタインを振り返るに、やはりみんな喜んでくれる
し、貴重な最後のひとつではあるが、まああげちゃおうか、また
自分のは買いに行けばいいんだし、という軽い気持ちだったんだ
けれども。

でも昨日たまたまその人に会ったので、「食べてくれました?」
と軽い気持ちでたずねたら、「あ、僕チョコ食べないんですよ」
とおっしゃった。げ!まーでもそれはありうる話だし、責める気
はなく、というか、そんなことすら知らないで無邪気にプレゼン
トした私が悪いんだと思う。

しかし、そのあとがいけない。
「編集部でみんなにまわして食べてもらいました」と言われた。
いやーこれがかなりショックで。
まだキャバクラのおねーちゃんにあげました、と言われたほうが
よかったろうよ。

なんというか、私は小さな心の交流、みたいなのが好きなんだ
よ。
あとくされもなく、ふとその瞬間だけ、じわっと喜んでもらえれ
ばあとはどうでもいいんだよ。
そんなことで、自分の名前を売ろうとも、そんなことくらいで仕
事を増やそうなどとも、さらさら思っていないのですよ。

そんな面倒くさそうに、編集部でまわしました。ってなあ。
旅行に行って、温泉饅頭買ってきて、部内でまわすような女が、
私はいちばんキライなんだよ。
単なる義理チョコではあるが、
「ちょっとした親切心」として受け止めてもらえたのではなく、
「単なる社交辞令」と取られたことが、ショックだった。

ってことで、痛恨の最後の一箱なのであった。
もうやらん。

 

 

2/11

一年位前だったと思うのだけれど、友人に「れんって感情の表現
がすっげえ豊かで、そこがよかったのに、愛想笑いするような女
になっちまったんだな」と言われ、そうとう傷ついた。
確か、この日記にも書いたと思うんだけど。

その時期だったか、夫にも言われたわけだ。
「昔は、天真爛漫だったよね。無邪気で怖いもの知らずだったよ
ね」と。

それはまあ確かに、私のよい部分だったのだと思う。
一年前はその失われた部分について、とても悲しい思いをした。
大人になんてなりたくなかった、と。

しかし思う。
もう私は、そんな簡単には自分をさらさないよって。
毎日、にこにこして、怒らず、さわがず、イライラせず、嫉妬も
せず、嘆かず、泣かず、悲しまず、人と接したいと思う。

子どもの頃、私はよくしゃべる子どもで、思春期を迎えるまでは
母に何でも話した。母に言いにくいことは父に言った。二人への
話を足せば、たぶん私のすべてがそこにはあった。
思春期を迎え、親には話せない事柄が増えた。
友人と話をした。交換日記をして、電話で話して、授業中に手紙
を回して。
その頃は、その友人がたぶん私のほぼすべてを知っていたのでは
ないかしら。 
大学生くらいになって、彼氏とよべる人ができてからは、その人
に全部話した。以降、代々の彼氏に話し(代々ってそんなにいな
いけども)、その役割を夫が引き継いでくれた。

しかし、だ。
もう、私は誰にも何にも話さない。
これまでは原稿を書くたびに、夫に読ませていた。
私の書いた文章が印刷されるたびに、また読ませていた。
今日はどこへ取材に行き、誰と会うのか、全部話していた。
しかし、もう話さない。
夫に話さないかわりに、誰か別の人に話しているというわけでは
なくて、もう誰にも何にも話さない。
そう。
この歳になってようやくうちに秘めるようになったのだ!
まあ!

天真爛漫な自分が好きだったんだと思うわよ。
たぶんそこには、子ども時代の楽しい思い出が詰まっていたんだ
と思うわよ。

今私は、表面的には、心おだやかな女である。
はしゃがないし、さわがないし、はじけないし、口が堅い。
「本当の私はこうじゃないの。誰か私の本当の姿を見て」
などとは、思わない。
そんなもん、他人に見せてたまるかい。

大人の世界に突入して1年。ようやく大人な自分を受け入れる
ようになった。
バリバリ闘うモードである。
ぜったい勝つよ。勝つまでやめないよ。

 

1/15

こんな時期になんだよ、と思うが、今年は12月20日までに、年
賀状を書こうと思う。だって本当にこれじゃあ社会人失格だも
ん。まだ返事を書いていないみなさま。本当にすみません。
見捨てないで、なんてことは言いませぬ。
来年は必ずや1月1日に届く年賀状を書いて見せます。

しかし、その前に果たさねば成らない課題は、確定申告である。
昨年は夫が見るに見かねてやってくれたが、今年は「自分でや
ってね」と先手をとられてしまった。

確定申告と年賀状。
なんか、一生悩まされそうな気がする。

 

1/13

あれよあれよと新年が明けた。
というか、もう1月も半ばなのね。

あいかわらず、いろいろなことが起こり、いろいろな迷いや悩
みや怒りや悲しみや喜びを感じつつ、なんとか生きている。
まあ、そんなもんだ。

しかし、仕事はもう少し減らしたほうがいいかも・・・と今ご
ろ思いついた。
なんというか、忙しいことが快感になってない?
それって、間違ってない?

スローライフがよいのでは? という迷いではない。まったく。
そうじゃなくて、もっと一つ一つをかっちりまとめたほうがい
いのでは? そうしないと進歩しないんじゃあ? という迷い。

今、来る仕事はほとんど請けていて、それはまあ、これまでず
っと仕事をしてきた編集者で、みなそれぞれに「この人と仕事
がしたい」と思える人たちなので、喜んでやらせていただいて
おりましたのだ。

が、限界もやっぱりあるわな。量的なものと質的なもので。
そのあたりをじっくり考えながら進まないと、これは大変なこ
とになるんじゃないか。

フリーで仕事をしていると、あらまーずいぶんとバカにされた
もんだなーとがっかりすることもあれば、大切にしてもらえて
ありがたいこっちゃなあ、と思うこともある。
大切にしてくれる人とだけ仕事をしていればいいのかというと、
それはまた難しい部分がある。

自分がどうなりたいか、ってのはやはり大切だ。
ってことで、相変わらず目標は、年収1000万でござるが、一時
停滞してでも学ばなくてはならないこともあるぞよ。
ってとこだな。

 

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