原典を読む 7.デュヴィヴィエの手紙(1790年)
フィデル・デュヴィヴィエ(Fidelle Duvivier:1740-1817?)は、現ベルギーのトゥルネー(Tournai)出身の絵付け師で、英国と欧州大陸で多くの磁器窯を渡り歩き、風景画や人物画などで優れた作品を残しました。今回は、そのデュヴィヴィエが1790年にダービー窯の経営者ウィリアム・デュズベリー2世宛てに書いた手紙を読みます。不明な点が多いデュヴィヴィエの、ある時点での確たる足跡を知ることができる数少ない文献として有名な手紙です。この手紙の原本は今では所在不明ですが、Llewellynn Jewittが自らの著書"The Ceramic Art of Great Britain"で引用しており、その後も多くの研究者により転載・言及されています。
ちなみに、この手紙によるデュヴィヴィエの「就活」は、どうも成功しなかったようです。彼が雇用された記録もありませんし、彼の特徴ある絵付けが施されたダービー作品も見当たりません。1790年頃にはダービーには優秀な絵付け師が多く集まっており(コラム11参照)、デュズベリーとしては外部絵付け師に発注する必要性をあまり感じなかったのではと考えられています。
底本:Llewellynn Jewitt"The Ceramic Art of Great Britain" Vol. II (1878), p.97
原 文 仮 訳 Hanley green, the 1 novebr 1790, Mr. Dousbery, Sir, - take the liberty Addressing you with a few lines, as mine Engegement in the new Hal Porcelaine manufactory is Expierd, and the propriotors do not intend to do much more in the fine line of Painting, therefor think of Settling in new Castle under lime being engag'd to teech Drowing in the Boading School at that place, one School I have at Stone, so as to have only three days to Spare in the week for Painting, which time Could wish to be employ'd by you preferable to eany other fabricque, because you like and understand good work, as am inform'd my painting now to watt I did for your father is quit diferent but without flatering my Self, Hope to give you Satisfaction, in Case you Schould like to inploy me, Sir, - your answer will much oblige your Humble Servant, Duvivier P.S. the conveynance would be much in fevoir for to Send the ware to and from as ther is a waggon Every week from darby to new Castle ハンリー・グリーン<注1>にて、1790年11月1日
デュズベリー様
拝啓、貴殿に若干申し述べさせていただきます。私のニューホール磁器会社での契約期限が切れ、経営者は上質の絵付けをさらに行う意図がないので、私はニューカッスル・アンダー・ライム<注1>に腰を据え、彼の地の寄宿学校と、ストーン<注1>の学校でも絵画を教えることにしているため、絵付けに使えるのは週のうち3日だけですが、その時間で、他のどんな工場よりも、貴殿に雇用していただけることを希望します。というのも貴殿は上質の作品を好まれ、理解されているとお聞きしているからです。私の現在の絵付けは、私が貴殿の父上の下で行った絵付け<注2>とは大きく異なっており、うぬぼれるわけではないですが、貴殿が私を雇用されたいとお考えなら、満足していただけるものと考えています。ご返信いただければ有り難く思います。
貴殿の忠実なるしもべ
デュヴィヴィエ
追伸:運送については、ダービーからニューカッスルへは毎週ワゴンが出ていますので、製品を行き来させるには好都合です。
<注1>ハンリー・グリーン、ニューカッスル・アンダー・ライム、ストーンはいずれもスタッフォードシャーにある地名。ニューホール社も同地域のシェルトン(Shelton)にあった。
<注2>デュヴィヴィエは、1769年10月に、ダービーで4年間働く契約をウィリアム・デュズベリー1世と締結している。
(2014年8月掲載)