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浅野琢也の雑記帳9 2009年8月〜9月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web


2009年9月27日

 映画『Yatterman ヤッターマン』三池崇史監督2009年:を観た。実写版でアニメと
ヤッターマン1号・2号の活躍の分担が違っていた。背景のメカデザインやアイテム
に捻りが効いていた。骨のメカの元は2号が入れるアニメと違い1号がやっていた。
ここは違和感を感じた。ドロンボー一味3人の演技が良い感じである。それなりに
楽しめたがアニメの実写はデスノートやデトロイト・メタルシティーの原作に忠実な
感じとは、違った感じだった。インチキ商売の寿司屋にアニメのドロンボー一味3人の
声優が揃って会話をしているシーンは良かった。ぼったくり寿司に変わったのは残念。
アニメみたいに、あくまでペテン師っぽく騙して逃げるパターンは、壊してほしくなかった。
特撮として観ると三池崇史監督の場合は、私はゼブラーマンの出来が好きである。
ホラーでは、着信アリあたりの怨念が良い。クローズZERO2と同時期に両方を作って
いるのでクローズZERO2も観ようと思う。

2009年9月26日

 映画『怒りの葡萄』ジョン・フォード監督1940年:を観た。ジョン・スタインベックの
小説が原作である。気象の変化で開拓した土地を追われる小作農たちの悲惨な物語である。
刑務所から仮出所して家族の元に帰る途中、トラックにヒッチハイクして罪状を話す。
幸福の黄色いハンカチみたい感じだ。そして降りるとホームレスと化した顔見知りの
説教師と出会う。作物の収穫が減って住民は、オレンジの収穫の作業に雇われに
カリフォルニアに行ってしまったと聞かされる。自分の家族を探し新しい土地に向かう
が求人の何倍も貧農と化した人が集まり説教師が、ストライキをして生きる権利を
勝ち取ろうとしていた。切羽詰まった家族のため日銭の為に働くと、もみ合いになり
説教師の頭を弾みで棒で殴り死なせてしまう。そして桃(ピーチ)の収穫で賃金は
半分の最低にされる。金持ちはイザと言うとき団結できるが貧乏人は分裂する。
今の不安定雇用の時代と変わっていない。農務省が運営する小麦農場に移る。労働条件
は良いのに、警察を買収した企業が経営する農園に労働力を奪う目的で妨害するため人
が集まらない。仮出所のトム・ジョードは1人家族から離れ逃亡者となる。そして一家は、
綿花を摘む農場へ向かう。農家は、春に種を植えて秋の収穫を迎える。収穫の時は、人手
が必要になる。農園は、収穫の時だけ安く使える労働力を求めていた。豊作にするスキル
は必要なく作業員がほしいのがハッキリわかった。雇用の形態がブツ切りになるとスキル
は、身に付かない。農家は仕事だ、しかし収穫要員とは単純作業で仕事でなく労働になる。
職場で年長者が若者に仕事のコツを教えない。自分より能力が高くなると安く長く使える
若者が有利になるのがホンネだ。礼儀・作法といったコミニュケーション能力も新人教育
されない。そして基本的な事が出来ないまま無能のレッテルを貼って解雇されるのを黙認
する今の社会と『怒りの葡萄』は近い。今の時代に観て共感できるアメリカ版の蟹工船だ。
1940年のアカデミー監督賞の作品である。レットパージが始まりだした年の作品であり
チャップリンの国外追放とハリウッド10(テン)と呼ばれ仕事を奪われた脚本家や監督が
出た。アメリカで言論の自由が時代背景を考えるとスゴい映画である。

2009年9月25日

 映画『戦争のはらわた』サム・ペキンパー監督1977年:を観た。ドイツ軍と
ソビエト軍の前線の物語である。ドイツ軍の中隊の中に偵察(斥候)を任務と
するシュタイナー小隊の隊長が主人公だ。シュタイナー軍曹がソビエト少年兵
を捕虜にしてしまう。シュトランスキーが直属の上官になる。プロシヤ貴族で
南フランスで戦闘経験がなく、原題の鉄十字勲章を貰えていない。武勲がほしく
無理な要求をする。塹壕で敵と白兵戦になりシュタイナーが信頼していた
第2小隊長マイヤー少尉が戦死、シュタイナーも負傷し入院する。しかし治癒を
待たず自分の部隊に復帰する。『ワルキューレ』の将校用の病院と違い勲章を
付ける構造のパジャマでなかった。もしかしたら私の見間違えで、機能が付いて
いるものと思い込んだのかも知れない。
偵察に出たシュタイナー小隊とソビエト軍の女性だけの小隊の小屋で戦闘になる。
軍服を奪いドイツ軍捕虜の護送と偽りソビエト軍の哨戒線を突破、味方へ合言葉
”境界線”を伝え前線を進むが、シュトランスキーが無理な要求を断った仕返し
に敵の制服が混じっている理由て掃射される。生き残った2人の部下に小隊を任せ
シュトランスキーへの"借りを返し"に向う。ブラント大佐は若く優秀に人材に
戦後ドイツの復興を託しキーゼル大尉を脱出る。戦線離脱の準備をするシュト
ランスキーの所に行き、お前が俺の小隊だと言い鉄十字勲章の取り方を教えて
やると2人で敵に向かって行く所で映画は終わる。
「誰が為に鐘はなる」のラストは、戦場で味方を逃がす為の犠牲になり、国の為
・家族の為・君の為と誰の為に犠牲になるか考えるラストだった。

 映画『誓いの休暇』グレゴーリー・チュフライ監督の第34回アカデミー脚本賞
1961年・13回カンヌ映画祭コンペティション部門審査員賞などを受賞している作品
と両方を観ると視野が広がる。通信兵の若者が敵の戦車に襲われ、近くの対戦車砲
で2両も返り撃ちにする。将軍に褒美に何が良いと聞かれて休暇を貰う。
一時、帰郷する旅で様々な人と出会い、人間的に成長する。途中で他人に用事を
頼まれる。チェーホフ通り7番地に預かった石鹸2個を届けるが家は爆撃され
瓦礫の山になっていた。そこに子供がいて案内してもらい預けた男の妻と会い
子供と父親の所に行き、石鹸を父親に渡す。
出会いにより男と女・親子といった対応が若者から青年に変わる。そして時間を
使ってしまい母に顔を見せてスグに部隊に戻るために車に乗る。
最後に、生きていれば立派な大人になっただろう。という文字が入る。
ソビエト製の反戦映画である。昔、自衛隊の広報映画を見た。実家に帰る途中で
耕運機を修理して色々な資格が取れて役に立つとアピールしていた。
なんか流れが誓いの休暇のパクリに見えた。軍隊は、終身雇用では無い!
戦死しないで負傷する数が多いのは、交通事故に近いハズである。アメリカは
戦争対策でADA法(ADA=The Americans with Disabilities Act)は充実させ
ている。『障害をもつアメリカ人法』と言うだけある。そして大学進学を餌に
自国の若者を前線に送っている。日本は、国民が不安定雇用で低賃金で働いて
希望を持てず精神を病む状態である。5人に1人が精神病になる可能性があります
というポスターを役所に貼っている。その役所も臨時雇用の職員が働いている
始末である。今では自衛隊の倍率も高くなっているだろう。公務員で安定して
いる職場ではある。そんな事を考えさせる映画であった。
櫻の園のおかげで、会話の中の住所まで覚えた。誓いの休暇に出てきた
対戦車砲の型がケロロ軍曹のギロロ伍長がタマに使うものに近かった。
近いの休暇は、クエスト系ゲームを感じさせる流れの白黒の映画であった。

2009年9月22日

 2002年製作の『ピノッキオ』ロベルト・ベニーニ監督作品を観た。大人が子供の
役をやっているのがムリがある感じである。ゴールデン・ラズベリー賞の作品だけ
あってライフイズ・ピューティフルのロベルト・ベニーニの明るさがウザさに変わ
った。ウォルト・ディズニーの映画は、品質にムラが無いと改めて感じた。
ピンクパンサーのクルーゾ警部の息子として現在に蘇るらしい。喜劇役者として
は、活躍してほしいが監督も兼ねる・・・となると私は、引いてしまう。以外と
映画を観るのは、体力がいる。そして疲れが回復するのに時間がかかる。
毒になるか薬になるか観る映画を選ぶのは大変である。

 これまで平和を感じた映画として『華麗なるヒコーキ野郎』みたいに民族や
宗教の違いを超えて新しい技術開発にチャレンジするのは、楽しいものである。
公開できる部分は、公開して高めあう姿勢に好感も持てた。金持ち喧嘩せず。
冒険とスポーツそして名誉をかけた、それぞれのパイロットの人物像も楽しめた。
楽しむことを忘れて単に勝ったという結果と記録だけに偏りすぎているスポーツ
では、観戦する方の楽しみも薄れる。「負け犬」とは参加資格があるのに勝負から
降りるヤツの事らしい。闘って負けた者のことでは無い。闘って負けて
「俺は負け犬だ」というのは、半分はジョークが入っているのである。
スタートラインに立って勝負しないと「チキン」になる。バック・トゥー・ザ・
フューチャーで運命を変える時に出てくる言葉だった。
 『青い炎(原作は黒い家)』は、法が機能しない時、いかに生存権を守るか
という事を、問題提起してくれた。2003年公開で『蛇にピアス』の蜷川幸雄監督
作品である。

 『時計じかけのオレンジ』スタンリー・キューブリック監督の映画は、2009年
の今になって山積になっている社会問題を1971年公開。日本での公開は1972年4月と
予見している作品である。『2001年宇宙の旅』より21世紀に近い感じがした。
暴力が自然に涌いてくる不可避かつ不条理な社会が根底にある。アルコール依存症の
老人のホームレスの群れ。政務所の収容人数の過密化。因果応報による仕組まれた
主犯の死でスッキリさせてくれる。性器をモチーフにした現代アートに平和は無い!
嫌悪感と暴力を凶暴にする。フレッド・アステアを意識したグレーの服にステッキに
「雨に唄えば」とベートーベンの曲は、記憶に残った。『博士の異常な愛情』ではラストの
核兵器のキノコ雲のバリエーションで人類滅亡を感じさせてくれた。

2009年9月21日

 「クレヨンしんちゃん」の作者 臼井儀人(うすい・よしと・本名・臼井義人=よしひと)さん
が20日、遺体で発見された。51歳だった。場所は群馬県と長野県境にある荒船山
(標高1423メートル)の岩場で、19日に発見された遺体の検視結果、身元が確認された。
死亡推定時刻は11日午後で、死因は全身強打による肺挫滅(ざめつ)とニュースで発表
されている。登山中に滑落したらしい。昨年「櫻の園」の封切り前にアニメでコラボした
ので残念である。冥福を祈りたい。

 映画『ニコラ』【LA CLASSE DE NEIGE(雪の教室)】1998年・仏:クロード・
ミレール監督作品を観た。1998年 カンヌ国際映画祭審査員賞の作品である。
あらすじは、内気な少年ニコラ(12歳)は、溺愛気質の父親の影響で妄想の
世界へ逃避する(子供なので白昼夢と夢遊病気味と言うか想像力旺盛)。冬期林間学校
(スキー学校)へ参加したニコラは、級友のオドカンに医療機器のセールスマンの
父から子供の臓器売買の話を聞いた。ニュースでも知っていたため不安が増した。
そんな時、林間学校の近くで、ある少年が行方不明になった。過保護にニコラだけ
バスに乗せず自家用車で父が現地まで運転してニコラを送った。その父親の車の色と
犯行現場の不審な車の色がグレー。事件に関係していると妄想を抱いたニコラは、
オドカンにそれを話すが、少年が性的いたずらをされた死体で発見された。学校の
宿舎を訪ねてきた警官にオドカンが話した。「人魚姫」を愛する少し風変わりな
12才のニコラの心も吹雪く雪で凍てついてゆく・・・翌日、ニコラは先生に家まで
送られる。その移動中、テレビニュースで父が容疑者として逮捕されたのを見る。
同じ頃オドカンも先生に呼ばれて教員室でテレビに見入っている所で終わる。
父が犯人なのか誤認逮捕なのかも解らない終わり方が悲劇的なファンタジーの香りと
不思議な解放感を感じさせた。

闇の子供たち」を観て1000年前より人類は、残酷で凶暴になっているのかと
暗い気持ちになってしまう。遊園地で1人になった瞬間に子供をさらう描写はコワイ
がアニメ・ワンピースのシャボンディー諸島の遊園地で人魚のケイミーが人買いに
さらわれてオークションに出されるあたりの描写に通じていると感じた。

2009年9月12日

 映画『炎の人ゴッホ』1955ヴィンセント・ミネリ監督 出演カーク・ダグラスを
観た。ゴッホについては、説明はいらないだろう。医者のガシェと出会い芸術愛好家
でゴッホは「盲人が盲人を導くと二人とも溝(ドブ)に落ちる」と独り言を言うあたり
真を得ていると感じた。ゴーギャンは、道具を整理する几帳面なタイプ。ゴッホは
道具を雑に扱うタイプ。刀の手入れをしない武士と、手入れを怠らない武士では
スタートが違う。労働したことのないゴッホがゴギャーンに労働して絵を描く金を
得たと聞いて「自分の耳を切り落とす」まさに耳に痛い事を言われて耳を切り落とす
あたりは、なかなかヤルと思った。画商で仕送り(扶養)してくれている弟テオに
子供が生まれたあたりで自殺するタイミングを選ぶ判断力は評価できる。
「死に様」を決める洞察力もあり、生涯、純粋芸術家として生きられたと感じた。

 映画『バスキア』1996年ジュリアン・シュナーベル監督作品。参考までに観た。
27歳で死んだニューヨークのアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアの
伝記映画である。80年代にグラフティー(落書きアート)と葉書サイズの絵の
販売と飲み屋に飾られた絵に評論家が飛びつき、アンディー・ウォホールまで
理解を示し画商が群がり絵が売れる。アールブリュットでアウトサイダーアート
である。ヘロインの過剰摂取が死亡原因である。映画のはじめに美術界にはゴッホ
を見出せなかった負い目があり、必死に才能を探す。みたいことが書いているが
美術館の収蔵なんてキリンビールの缶を入れる段ボールだったり汚れたお絞りでも
良いらしい。ソースを、ぶちまけてテーブルに絵を描いたりするシーンと単なる
運の良い青年の人生が伝記になったみたいに見えた。こんな事は、インターネット
時代には、起こらない。違法な落書きをして逮捕されないようにネットで作品を
発表すれば誰かの目に止まるかも知れない。ただ、誰もが情報発信者なので自分の
所を見てほしい状態なので埋もれる。しかし発掘されるかも知れない。
美術館がヘロイン中毒患者の絵を収蔵するのは疑問である。芸能界みたいに
追放するべきなのではと言いたくなる。シャーロック・ホームズの時代はヘロインは
法規制されていなかったから仕方ない。しかし1980年代は違う。私もニューヨーク
に滞在していた。ピッツバーグにも滞在した。メトロポリタンやホイットニー美術館も
デザインの参考に見て回った。私は、リムジンを1日、4万でチャーターして街の概要を
覚えた。

 映画『キネマの天地』山田洋次監督昭和61年・邦画を観た。戦前の浅草と蒲田を
舞台にした映画である。ツルゲーネフ原作の「浮草」を日本の物語にした作品の主演
になるまでの話である。旅芸人の一座を引退した父と娘、脚本部に務めているスタップ
の大学の先輩を追う公安。先輩と思想犯で投獄され釈放される。別の部屋から聞こえる
「呻き声」が拷問で獄死を暗示させた。釈放されて撮影所に戻ると脚本部の上司から
「獄中で書いてきたと思った。」とツッコミが入る。治安維持法をテーマにした『母べえ』も、
山田洋次作品であるのに勢いが無く退屈に感じた。スキヤキ・ウェスタンジャンゴを観て
スキヤキを食べたくなったが、母べえもスキヤキを食べたくなった。キネマの天地と
深作欣二監督の『蒲田行進曲』に流れている。浅草に住む元、舞台役者の父なので
『笑の大学』も浅草の座付きの脚本家が検閲に作品を持って通うと訂正ごとに脚本が
良くなっていく皮肉が効いていたとかも思い出した。『浮草』 小津安二郎監督作品の
浮草とは、ストーリーが全く違った。
渥美清が演じる父親が「主役と言えば座長、座長の後取りは、1番旨い物食べて
いい服着て周りに大切にされながら磨かれてこそ、器量が付いて来る」というセリフ
があり観ている私が「それを言っちゃあ、おしまいヨ」と感じた。浮草稼業の前、江戸時代
あたりの旅芸人は、河原乞食と言われる程に大変、不安定だったハズである。

2009年9月11日

 映画『シンドラーのリスト』スティーヴン・スピルバーグ監督1993年アメリカ映画。
日本公開は1994年第二次世界大戦時のドイツによるユダヤ人の虐殺(ホロコースト)の中、
企業家でナチス党員でもあるオスカー・シンドラーが自工場のユダヤ人を結果的として
1,100人以上もの命を虐殺から救った事実の実話。
基本的にモノクロ作品 監督の「戦争を記録したフィルムはモノクロが殆どで、
その方が説得力がある」という考えによってパートカラーが採用された。
赤い服の女の子(シンドラーに心理的影響を与える)、蝋燭の赤い炎などが登場する。
パートカラーは黒澤明監督作品『天国と地獄』の煙突の煙がモチーフである。
酒をたしなむシンドラーにドイツの収容所長は『自制心は大きなパワー』だ。
と言った。ヒットラーは、酒を飲まない。ナチス党員のシンドラーは交渉の為に
酒を利用している感じであった。ヒットラーは、第一次世界大戦で毒ガスによる負傷
しており、当時、苦痛が少ない毒ガスを選んでいる。ガストラックはトヨタの看板方式
みたいに合理的だが苦しみが大きいため方法を止めている。自動車開発ではポルシェ博士
に技術料を払ったのは独裁者ヒットラーだけでソビエトのスターリンは踏み倒している。
この映画の監督候補にはビリー・ワイルダー、マーティン・スコセッシ、
ロマン・ポランスキーなども候補であった。スピルバーグは「血に染まった金は貰えない」
と、監督料の受け取りを拒否した。 当事者性が高い映画とは、このぐらいの気持ちを
込めて作られるから何度も見たくなる。イスラエルとパレスチナの問題は、今も続いて
いる。今まで、国家によって蓄えた財産を没収されたり「屋根の上のバイオリン弾き」に
見るように土地を追われた民族だけに、裸一貫(はだかいっかん)から財を作ることが
出来るように子供の教育に力を入れるジューリッシュ・マザーは、長い歴史と経験から
優秀な人材として生き延びられるようにする。スラム・ドッグ・ミリオネアでも、
生き延びるために経験から学んだ知識は、財産であることを教えてくれる。
社会経験の無い教職員の卓上の学問より深く重みがある。
 ただイスラエルも弱いパレスチナを攻撃している。まるで虐待の連鎖である。
非暴力・非服従のインドは、核保有国となり軍拡をしている。
イソップ童話に「クジラとイルカの喧嘩にハゼが止めに割り込んだ。ハゼに止められる
ぐらいなら死ぬまで闘ったほうがマシだとクジラとイルカは戦い続けた。」
平和は、安定と公平から生まれる。それには大きな力が必要である。

2009年9月10日

 映画『南京1937』呉子牛(ウー・ズーニウ)監督だがパッケージに
呉宇森(ジョン・ウー)製作と書かれている。日本公開1998年5月の
作品である。エキストラの数25万人。良く集まるものである。
どうも南京大虐殺について詳しくしらなかったが中華民国の首都が
南京だった為、南京に中国中から避難して人口が過密になった所に
日本軍が首都陥落させた。首都が陥落しても降伏で戦争が終わる程
簡単でない。戦闘訓練はしてもジュネーブ条約などの教育が行き届
いていない当時の日本軍が捕虜にすると食料を与えたりする義務が
生じる。補給が乏しいから捕虜の兵士から非戦闘員に女・子供まで
穴に入れて機銃で虐殺した内容であった。1995年に製作の中国・
香港・台湾合作のため誇張があるかも知れない。日本軍の兵隊を
製作国の日本語が堪能な役者に演じさせた為に微妙な発音で違和感を
感じた。これがレッドクリフなら違和感が無いのだろうと思える。
ヘルメットの型にしてもドイツ軍みたいで衣装が別の映画の使い回し
かと別の所が気になり集中して見られなかった。

2009年9月 9日

 映画『幸福の黄色いハンカチ山田洋次監督30年ぶりに観た。
30年の間に見ていたかも知れないが、当時は、試写会や封切りの
舞台挨拶は無く私が入っていた映画サークルに宣伝に来ていた。
この年は、角川映画がスタートして『人間の証明』の宣伝に
角川春樹社長まで来た年であった。私は10代後半だった。
 昔は、オレンジのファミリアの宣伝が気になったが劇中で1度ラジオ
を着けたとき流れるだけだった。ロードムービーであり退屈しない。
以外にラーメンとカツ丼の値段が500円と食品の値段が変わっていない
のに驚いた。話が進みあいのりした3人が素性を打ち明けるあたりも良い。
黄色いハンカチが交通安全をイメージさせる。ハンカチを作らないでダスキン
みたい物も連想してしまった。夕張の炭鉱住宅は、電気代が無料の時代があり
電気を着けっぱなしにする人が多く街が明るい時代もあった。
木造の二重窓で冬には窓にビニールを張って隙間風を防いだ。懐かしい。
亡くなった渥美清の警察官のメガネに髭、高級外車から降りて高倉健演じる
島にボンネットに顔を持って叩き付けられるタコ八郎のヤクザもボクサーだけ
あって鍛えている身体でバイオレンスシーンとしてスッキリさせてくれた。
近々ハリウッドでリメイクされる。どうリメイクされるか興味がわく。

 映画『あの夏、いちばん静かな海』1991年・北野武監督を観た。
聴力障害(聾唖)の若者が、サーフィンを始め、ひと夏の思い出を作る
ストーリーである。同じ障害の彼女が青年と海を見つめている。
セリフが最小限で、距離を置いて協力するカップルと周りのサーファー
仲間達の姿が静かで心地良い。こんなスポーツ映画もあるんだと感心した。
綺麗な海と日本ろう者劇団から出演者が出ている。大会でアナウンスを
聞き逃して失格してしまうなど、アクシデントがあるがストーリーは
淡々と進んでいく。ブルーリボン最優秀映画賞、ヨコハマ映画祭監督賞
を受賞した作品である。北野武が監督に徹しており、ビートたけしとして
登場しない。浜辺も音楽を聞きながらサーフィンをする感じでないのも
かえってスッキリ静かで良い。聾唖の場合は、携帯電話のメールで
コミニュケーションが取れる現在とは違う。1991年は2400bpsのモデム
でパソコン通信が普及した時期であった。1987年がパソコン通信元年で
ある。

2009年9月 8日

 映画『ワルキューレ』ブライアン・シンガー監督を観た。本格的な戦争
映画でありドイツ軍人によるレジスタンス活動という所が良かった。
ドイツ軍の制服は、傷痍軍人用病院の入院用パジャマに名誉の負傷の叙勲
が受けられる構造の「見返し」まで付いているのにビックリした。
人間の名誉欲を旨く愛国心に利用している。ヒトラー暗殺グループのドイツ兵が
「祖国かナチス党か?」というセリフも生きてくる。
昔の日本の医者は第二外国語が、ドイツ語だった。
パジャマまで再現した所だけでも衣装担当者はスゴいと感心した。
トムクルーズが会議の時は、眼帯を外して義眼を入れる描写も良かった。
大作映画『X-メン』『X-MEN2』『スーパーマン リターンズ』の監督だけあって
面白かった。
パジャマで思いだしたが『縞模様のパジャマの少年』マーク・ハーマン監督の
映画が上映中である。日本美術会にモチーフに『縞模様のパジャマの少年』の
絵を昔から描き続けている人がいて、作家の顔まで思い出した。私は観ようか
迷っている。

 映画『きみの友だち』(廣木隆一監督)伝えたいことは、分かるが病気や
障害の苦しみや悲しみを生活環境の設定などで表現できておらず、裕福な
家庭すぎてリアリティーにかける。青空が綺麗だけに空々しく感じた。
かえって『着信アリ』や『仄暗い水の底から』のリアリティーがあれば
観たことを忘れないような気がする。「歩く速度が同じだから」という
キヤッチコピーが良かったので見たが、残念、広報映画っぽい内容だった。
健康な障害者もいれば1週間連絡しないと孤独死する障害もある。
クローズアップすべき部分がヌケている。当事者性の無い作品は、内容が
薄い。

2009年9月 6日

 黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』1959年を観た。2008年の『隠し砦
の三悪人 THE LAST PRINCESS』樋口真嗣監督と比較すると、金の隠し方
やトリックが向上している。リメイクだが進化している。『クレヨンしんちゃん』
とのコラボも良かった。桜の園もコラボしたのだがヒットせず残念である。
実写の制服がアニメに二次元に戻って登場したのでデザインした私は、
自分がテレビに出ているみたいに嬉しかった。(私の場合は、身体を壊して
から顔写真は新聞やテレビ用の写真や映像は、断っている。)
新しい「隠し砦の三悪人」みたいに民・百姓に金の棒を
 これからは、組織やシステムより人間を大切にする平和な社会に変わる
ように期待したい。生きやすい社会で観る映画は、楽しめるだろう。
 その為に年金や医療といった社会保障制度の安定と公平が大切である。
「公害健康被害の補償などに関する法律」公健法と「東京都成人ぜん息
救済条例の施行」の格差など問題が多過ぎる。
底辺に近い所に不平等を意図的に作るのは、経済を利用したテロ行為で
ある。『ホテル・ルワンダ』では、いい思いをした種族の虐殺という内容で
あった。人間は自分と無関係な人々の境遇に対して、どこまでも無関心になれる。
そして自分の権利を奪った相手には、限りなく冷酷になれる。
政権交代で公平で適切な社会保障制度の修復に期待したい。

2009年9月 5日

 裁判員制度の広報映画「裁判員〜選ばれ,そして見えてきたもの〜」を
裁判所のサイトからインターネットで流されている。政府の広報なので
無料で見られる。事件を決定する時に「犯人が青森から出稼ぎに来て放火」
したことなので、青森県民が不快に感じている。東北出身にしろどの地方から
出稼ぎにした事にしても、外国から職を求めて来たという設定にしても
誰かが不快感を感じることが予見可能である。(予見とは予測のこと)
時代劇で「お白州(おしらす)」ものと言うジャンルもあり面白い。
「遠山の金さん」「大岡越前」に黒澤明監督の『羅生門』も含むことができる。
芥川龍之介の、『藪の中』は『羅生門』の原作である。登場人物の盗人
多襄丸(たじょうまる)『映画「TAJOMARU(たじょうまる)」
(中野裕之監督)』の予告編を見た。羅生門より登場人物が多い。
今月の12日公開である。私が思うに【法律と映画は知らないうちに
出来ている。】

『十二人の怒れる男』シドニー・ルメット監督や『12人の優しい日本人』
中原俊監督(三谷幸喜の戯曲で脚本担当)の作品からFOXチャンネルの
ザ・フラクテスにジャッジ・ジュディーと『法廷物』も面白い作品が
沢山ある。「オリエント急行殺人事件」に「親切なクムジャさん」と
いった擬似裁判による私刑まで巾ひろい。では、何故?広報映画に不快感を
感じるのか?まず憲法という枠組みの中で法律は、立法されなせればならない。
 国が憲法を守り国民に奉仕する。そして国民は法律を守り義務を果たす。
国家賠償の裁判が起こる状態に「不当判決」が出る三権分立が出来ない
構造の嘘と誤魔化しは、違和感を感じ不快感に変わる。それでは、
プロパガンダの力を持たない。つまり国体をなすには憲法遵守からが必要で
ある。商業目的の作り物の映画やドラマの方が現実を直視して、表現の自由が
機能している間は、「国家や政府にとって不都合な事実」に左右されない。
ドキュメンタリーとフィクションを融合させてリアリティーを創ることで
エンタティーメントの役割を果たしているからかも知れない。業界の自主規制
が強くなると、つまらなくなる事もある。そんな時は、ミニ・シアター系の映画
にハリウッドの大作が負けることもあるからネットの情報をチェックすると良い。

 政府の広報で年金制度のCMのキャンペーンから未納三兄弟と閣僚人事に影響まで
でたことをが思い出される。国策紙芝居に拳骨軍曹(ケンコツ軍曹)というのが
ある。足を負傷した拳骨軍曹を目を負傷した歩ける日の丸上等兵が背負い伝令に
走る話である。(ケロロ軍曹では無い)次は、何が起こるのか見当がつかない。

2009年9月 4日

FOX映画「タイタニック」の劇中でジャック(レオナルド・デカプリオ)
がブルーのダイヤを付けた裸婦を描く場面に使用されている絵は、
ジェームス・キャメロン監督が描いたものでデッサンする手が監督自身の
手だと「映画力がつく本」に書いていた。SCREEN公式認定となって
いる。ロードショーという月刊誌を学生の頃に毎月購読していたが今は
無くなったらしい。金子修介監督の「1999年の夏休み」で死んだ母の
アトリエに残されているヒレの大きい魚の絵は、誰が描いたのだろう?
パンフレットには載っていないと気になる。
後、シルベスタ・スタローンが自分で「ロッキー」の原案と脚本を書いて
映画化する先を探した話など興味深い話が載っていた。

邦画の場合、あまり取り上げられないみたいである。パンフレットを正確な
情報元にするのが良い。


2009年9月 3日

衆議院選挙も終わり政権交代した。政策が変わり国民生活にゆとりが出てくれば、
社会不安の中で観た映画と安心・安定した日々の暮らしの中で観る映画で注目したり
気になったりする部分が変わる。
作り手と観客、共に満足でき楽しく感じる映画を期待したい。
動くのが大変な状態であるが好奇心を原動力に社会の変化を見届けたい。

『ローマの休日』の影響でスペイン広場でアイスクリームを食べるのが禁止された。
1952年の夏に撮影されファシストとコミュニストのテロが起こる状態だったらしい。
『初恋』でコミュニストのテロリスト役をオードリー・ペップバーンが演じているのが
皮肉な気がした。体力が無くなると洋画の字幕を読むのが辛くなる。そこで邦画を
みる機会が増えた。

 夏休みは、子供向けに「あんぱんマン」の劇場版をやっていた。平和美術展の時に、
過去の出品者に、やなせたかし氏もおり招待券を、発送するべきと古くから(高齢)の
実行委員が話していた。多忙で来られなくてもハガキが暑中見舞いぐらいになる。
高知県に、やなせたかし記念館・アンパンマンミュージアムまである。
アンデパンダン展にも出品記録があったら歴史的資料かもしれない。
芸術家は、あまり他人を意識しないので研究は、キュレーターや美術評論家に
ゆだねるのが良いかも知れない。そう言う私は、映画評論家みたいにである。

2009年9月 2日

   <厚みもほほ同じ

「櫻の園」どちらも中原俊監督作品のシナリオです。
櫻の園1990年11月3日公開のシナリオと2008年11月8日全国公開のシナリオを
比べて見ました。首と背中が痛くて治療中なので、写真が手ブレしました。
関係者でも持っている人は少ないと思います。1990年版の写真集にシナリオの
内容が入っていたと思われます。集合写真とかがあって立派本です。
2008年版「櫻の園−さくらのその−」は、ノベライズ携帯小説になっています。
「櫻の園」オフィシャルビジュアルブックも出ています。撮影は 蜷川実花さんです。
シナリオは、非売品を運良く発掘して買いました。
DVDは、レンタルして観られます。ツタヤでは準新作になりました。
秋に櫻と書くと秋櫻(コスモス)ですが・・・春の桜を秋に見るのも一興、是非
ご覧下さい。                                   浅野琢也

2009年8月29日
 部屋を整理していると、全寮制中学を舞台に、過激派の爆破事故や社会主義革命
や合唱に情熱を燃やす1960年代終わりの全共闘世代の少年達の思春期を描いた
映画『独立少年合唱団』のパンフとチラシが出てきたので又、観た。2000年公開で
緒方明監督作品である。独立プロの作品で岡本喜八監督が出ていたので岡本作品と
勘違いしていた。気が付くと(1924年2月17日 - 2005年2月19日)と亡くなっていた。
30年前に岡本喜八監督や深作欣二監督のサインを貰っていて今も持っている。
パフレットとチラシ都内でも上映館が少なく希少品

この映画の時代設定では、白いトレパンが体操着だった時代である。数年して
ジャージが採用されるようになった。デットストックの白いトレパンが2000年に
まで残っていたのかと驚いた。


2009年8月28日

 最近、知人と映画の話をした。キル・ビルの話になったので主人公が日本で
戦うシーンの前に、口笛を吹くシーンがありメロディーがパゾリーニの「ソドムの市」
と同じだという話をした。劇中のビルのセリフに「サド」と入れるあたりが
附箋だったと感じた。「魅せる人の極意」ポプラ社の本で犬童一心監督が
「キル・ビル」は「ハニー・コールダー」というラクエル・ウェルチがポンチョを
着て、ガンベルトをして自分をレイプした男たちに復讐していくストーリだと
書かれていた。ゴーゴー夕張という制服キャラの制服は、定番の制服を衣装合わせ
でウェストを細めにした物らしい。制服提供元のコード服装さんから聞いた話と
パンフレットの解説を読むと間違いは無いと思う。
犬童監督といえば『メゾンド・ヒミコ』が良かった。たぶん「わが母の教え給ひし歌」
(A.ドヴォルザーク)の選曲もシブくて余韻を感じる作品である。.
「Mr.レディー 夜明けのシンデレラ」瀬川 昌治 監督 東宝 1990.01.20公開
(せがわまさはる監督は1925年10月26日生まれで、その後メガホンを取っている
かわからない )を思い出してしまう。従業員の老後を考えて老人ホームを
作る為に倹約して貯金する経営者の姿は、不安定な水商売の中に従業員の福利厚生
を考える良い事業主の姿があった。そして『メゾン・ド・ヒミコ』 は2005年公開
で、店を閉じて老人ホームの運営が始まり遺産相続や多様複雑な愛の形を見せて
くれた。関係ない映画だが、この2本を観ると理解がしやすい。
「グーグーだって猫である」は、死んだ猫のサバが人間の女性の姿で現れるシーン
で猫と人間の寿命が違う。つまり老衰で死んだのだから良くを言えば特殊メイクで
サバと会話をしているとサバが年を取っていく演出を期待した。名場面になりそう
だと思うが2008年は、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」も公開されており
難しかったのかもしれない。体調の悪い時に苦しみや苦痛から気を反らせてくれる
映画と体調を万全にして楽しめる映画みたいな分類があっても良いかも知れない。
連続して観るのが辛いので映画館から足が遠のいた。上映時間が正確に決まって
おり途中から観て、最後を観て、最初から観て観終わった所で退席するなんて事も
完全入れ替えで出来なくなった。映画館で夜を明かすなんて過去の思いでとなった。

2009年8月27日

 今年の夏は、温度調整が旨くできず体調が悪かった。体調が悪いから体温調整
が旨くできないのかも知れない。まず生命維持に最優先の呼吸器の治療。そして
苦しくて硬くなった筋肉を弛緩させる飲み薬を処方してもらったり手間である。

 日曜に映画『フレフレ少女』を観た。期待しないで観たので以外に面白かった。
応援団長を三年間、やりとげて硬派も卒業。お手軽な恋の結末も現代風の青春
映画らしかった。「少年よ大志を持て」なんて今の社会システムにそぐわないと
感じてしまった。「手の届く夢で満足しよう。」と言うか「夢は手の届く範囲に」
と若者達が自己規制しているのかも知れない。パラサイト・シングルしていた
世代の親が扶養困難になり不安定な派遣労働者になり派遣切りでネットカフェ難民
になる。この流れでは若いからとムチャできる状態でない。しかも外に出ると場所
を確保するのに、お金がかかる。映画をハッピー・エンドにするには人生の節目の
部分や目標を達成した所で「完」にするのが良いと改めて感じた。
 『フレフレ少女』制服は、定番の型のセーラー服にピンクのテープを上乗せして
特徴を出していた。コストを押さえる工夫を感じた。

 「ガラスの仮面」の単行本を読んだ。北島マヤのライバル、姫川あゆみ、が
練習中のケガで入院した所で次が気になる。「ガラスの仮面」は携帯電話の無い
時代に始まり中学から高校と7年間時間が経過したとなっていた。
次号で、姫川あゆみ のケガで障害が残らず回復するのか?障害が残ることで更に
才能が伸びるなんて可能性もある。ありとあらゆる可能性があるので楽しみである。
漫画の影響でないのに私までタイミング的に背中が痛い状態である。
この雑記帳を読んでいる人には、残暑見舞いを申し上げたい気分である。

2009年8月23日

 アニメ『スカイ・クロラ』を見た。軍事産業や製薬会社の国際企業によって
成長出来ず、長期の記憶を持つことが出来ないため経験値の増えないキルドレ
に戦闘をショーとして殺し合いさせて死んだらパソコンのOSと基本ソフトと
基本データのバックアップを人体にインストールして延々と同じ戦いをさせる
世界。この世界感に戦争の無意味さを感じた。ストーリーも単調で漠然とメカ
の動きを楽しむしか無かった。背景の絵の線がコストダウンの為か省略されて
おり黒澤明のパン・フォーカスの理念に真っ向から対峙することでつまらない
場面の中から面白そうな物を探す自由まで与えない作品であった。
 しっかり劇場パンフも、買ってました。
伝説のシベリア特急を最後まで見られた人は、持久力と忍耐力があるとまで
酷評されるが『イノセント』の原作に登場しないバトーが飼っている犬と
同じタイプの犬がラストにまで出ていいた押井守監督のベットを自作に登場
させたらしい。著作物の定義は思想・感情の表現にある。発明の定義は技術
思想の表現である。戦闘のモチベーションとしてのショーという設定の割りに
劇中で野球やサッカーのように誰も戦闘を楽しんでいるシーンが無かった。
つまり『戦争は、最大のショー』と言う人へ肩透かしを喰らわせたのかもしれない。
見た後で、こんなに興味を持つ物好きな客が戦争をテーマにした映画の興味
を喪失させる効果ある作品に感じた。戦闘を運営する企業のモチベーションに
興味はあるが『攻殻機動隊』の擬態みたいものだと勝手に想像すれば十分な
気がする。虚無を表現するのは、無感情なほど難しい。アニメの手法を使った
抽象的メディア・アートとして見ると良かったのかも知れない。
『リベリオン』2002年カート・ウィマー監督の近未来SF作品を思い出した。
ジョン・フォード監督の『ミスタア・ロバーツ』の補給物資の輸送船から終戦直前
に駆逐艦に転属した元の仲間から2通の手紙が届き「地味で単調な任務を継続で
きる者こそ真のヒーローである。」みたい内容が書かれていたのを思い出しもした。
もう一通は、沖縄海域で士官室でコーヒーを飲んでいる所を神風特攻隊に攻撃され
戦死となっていた。

2009年8月22日

『プライベート・ライアン』を観た。最初に大勢が戦死するシーンで始まり
体調の悪そうな兵士も同一行動を取る状態にリアル感を感じた。
移動で体力が消耗した所で戦闘となる訳だから補給が十分で休養も十分なら
戦いに参加する気力が持つかも知れない。観光旅行でエコノミークラスで
狭い椅子のために血液の循環がおかしくなり死亡する程であるから行軍や
移動の段階で戦場にたどり着けないのもありえる。
四人兄弟の全員が軍隊に入り3人が戦死したため生き残って戦場で戦っている
末の弟を親元に無事に帰還させるミッションを命じられた8人だがライアンの
想定外の反応に戦闘に協力し前線で多くが戦死する。

2009年8月20日

 映画『Annie』(アニー)を観た。1929年の世界恐慌のアメリカ・
ニューヨークが時代背景である。孤児院に預けられた少女アニーとアル中の
院長ミス・ハニガンや服役してきた弟との戦いや冒険などが入ったブロード
ウェーミュージカルで1982年のコロムビア映画である。
のちに1999年にディズニーのテレビ映画としてリメイクされているらしい。
1929年の格差社会と現在の格差社会を比較すると医療技術の進歩で、お金が
あれば延命できる疾病が増えている。
逆に、お金が無いと助かる人も助からないということである。
医療費の問題で受益者負担という名目で年々、本人負担が増えてきた。
保険適用外も視野に入れると大きな病気になった場合、治らない場合の生活費
と医療費を不安が無くなるまで節約して貯金するようになる。結果として経済
が循環しない。ほしい物は買わず必要な物も倹約して底値の時に買うようになる。
当然、可処分所得もなく有料の娯楽や文化にもお金は使われない。
人間は、恐怖や不安に対して過剰反応する。医療は生命に直結する。
家賃・ライフライン系のインフラの維持にも消費税がかかり安くない。
医療機関や福祉施設ぐらい水道代の減免があっても良さそうである。
収益を上げられない業種であるから職員と利用者に負担を求める結果になる。
医療・福祉の運営者がミス・ハニガン化してもおかしくない欠陥ある
社会システムを修正してほしいものである。素晴らしい映画を楽しんだ後で
結局、現実に引き戻された。去年の『闇の子供たち』は、残酷であった。
『さよなら子供たち(1988)監督: ルイ・マル 』はナチス占領下のフランスの
カトリック寄宿舎にユダヤ人の少年をかくまって処刑される校長みたいな
聖職者もいれば色々である。ルイ・マル監督が少年の時に目撃した実話
ある。自分の命をかけるべき事を、判っている。子供の命を未来につなげる。
目標したい生き方である。 今の日本の、少子化は孤児を作らない理性的な
判断を多くの国民が自己防衛として選択せざる得ない状況をあらわしている
と感じるのは私だけでは無いとおもえる。何かのセリフで「犬に服を着せ
たい」と夫に贅沢な暮らしをねだる場面がドラマか映画にあった気がする。
それを見て今の時代に生きる人の目標や夢まで貧しくなった気がした。

2009年8月19日

 ヒート・アイランド現象の影響で臨海部からの風が減ってエアコンの
電気代が高くなった感じがする。
暑い時に熱いサウナに入ると涼しく感じるが「喘息」で「呼吸器に障害」
がある状態では、自殺行為になるから熱い映画を観ることにした。
マリリン・モンローの『お熱いのがお好き』1959年のMGMの白黒である。
時代背景は、1929年の世界恐慌の年の冬のシカゴである。禁酒法時代の
アメリカでサックスとベース(チェロみたいな大きさ)を弾いている二人の
楽団員(ジャック・レモンとトニー・カーチス)がギャング同士の抗争の
殺人現場を目撃してしまい。女性だけの楽団からベースとサックスの
求人があり女性に変装して紛れ込む。
そしてフロリダのホテルの公演の仕事を得ると同時にギャングから逃げる
話である。寝台車で移動するあたりや教会を隠れ場にしたスピーク・イージィーに
酒を棺桶に入れて霊柩車で運ぶあたりギャング映画のコメディーで面白い。
季節が冬のシカゴから温暖なフロリダと言うのも良い。
逃げたフロリダでギャングの総会がありホテルの団体予約の名前が
イタリア歌曲愛好会と言うのも笑える。ちょっとマジック・アワーを
思い出した。マリリン・モンローの演技も良くなっていた。お金持ちと結婚
する。お金持ちの基準は、専用列車とヨット(クルーザー)を持っている人
とらしい。ジェームス・ディーンの『ジャイアンツ』のレアータ牧場を
思い出させてくれた。『ジャイアンツ』は自家用機まで出ていた。
『お熱いのがお好き』は、時代設定が30年前の世界である。現在、公開
されている映画も1970年〜1980年代が多い気がする。
モンローの映画としての傑作は「バス停留所」だと思うが夏の気分転換に
なった。『お熱いのがお好き』のラストで求婚したジョー・E・ブラウン演じる
大富豪ににウィッグを取り男性だと告白するが「Nobody‘ perfect」
(皆んな完璧じゃないよ)と表情1つ変えずニコニコしてハッピー・エンドで
ヨットに向かいThe Endとなる。

2009年8月18日

映画『E.T.』を観た。有名な映画になると名シーンがテレビで流れる
ため、いつのまにか、記憶の中ですでに観たつもりになっている。
今回は、2度目ぐらに思っていたら中身を観ていなかった。つまり初めて
みた作品である。ハロウィンにETを連れ出すシーンに、マスター・ヨーダ
が通りを歩いていたりETの宇宙船が迎えに来たときに攻撃しないで
送り出すなど安心して観られた。攻撃したら戦争の口実となり敵意ありと
なってしまう。ETの造形は、重力に耐えずらそうだが自転車を中に
浮かせる場面から重力をコントロールできる設定なので納得した。
裸なのは、ちょっと不思議である。なんらかの装飾で識別するハズだ。
そんな事を考えながら観た。

 チェ・ゲバラの28歳の革命を途中までみた。借りたDVDにキズが
入っていたので1時間だけである。さすがに疲れたので後日にしようと
おもう。喘息があるため発作を、おこすシーンがあるが音声をサンプリング
してゼイメイまでは作れなかったようである。キューバ革命だけに葉巻を
くわえているが緑のジャングルでの生活なので38歳の別れの手紙まで
生きられたのかも知れない。キューバは、医療費が無料で医師の数も多く
海外で働く医師も多い。マイケル・ムーアのシッコで9.11の被害者が
無料で治療をうけるシーンは、行き過ぎた自由主義経済への皮肉であろう。
健康は、何よりの財産である。臓器移植で助かるには、保険適用外の費用
がかかる。入院で差額ベットなどを考えると病人を抱える世帯にとって
医療費の工面が出来て生命が維持できる状態であるから絶対的貧困になる。
社会保険の本人負担を3割にしたことで日本の景気は、悪化したといえる。
健康で貯蓄があっても治らない病気を考えるとイザと言う時の医療費に
出来るだけの蓄えに使えるように蓄え続けることになる。発病して入退院を
繰り返す慢性疾患は、医療費がかかり続ける。
保険は「レイン・メーカー」という映画をみてから考えるとよいだろう。
日本は、労働災害を認めたがらない国である。戦死と戦没で遺族年金の
差が大きい。国民年金と公務員の共済組合の年金では4〜5倍の差である。
災害派遣や戦場で負傷した隊員や兵隊から医療費を取る国があったら
戦争自体できないだろう。             アサノタクヤ


2009年8月17日

<東京都成人ぜん息救済条例の施行による政策効果に関する調査>
なんて長ったらしいタイトルのアンケートが届いた。丁寧に「至急」と赤い
ゴム印まで押してある。で内容は、社会統計学で「普通」つまり平均的状態
に対応させている。つまり両極端な状況に対応してい。「取りこぼし」率が
大すぎる。東京経済大学の除本理史教授の研究調査班各位宛てに封書で
アドバイスの書類を送付しておいた。

 ゆとり教育での成熟学歴社会の世代には疑問を感じる。
これは大学の経済学部だけの問題でないようである。
他人事で済ませない。今年、自分の展示を終わらせて一息ついていたら
服飾系の大学院生がアンデパンダン展に商品にならない服を出したり
して展示がスムーズに出来ない。実行委員になった手前で手伝って
やったりした。最近は学歴も当てにならない。連鎖校OBのハズだから
必須項目として教わっているハズである。ディスプレイなんてチョロイはず。
サボって単位を取っていないのかと疑問におもった。自分が習った頃は
1人で全部出来ないとコンテストに出せなかった。工業用パターンに仕様書
を作成したら裁断と縫製だけ他人に任せられるシンプルなものもあったが
現在は、そこまでのスキルを要求しない体制になっている。
マクドナルド・プロレタリアート的になってしまった。研究者の場合は、ビブド
(ビブラート奴隷)なんて用語もある時代だ。
ファッションデザイナーを育成するには、四人で一人前のデザイナーを
育てるグループ学習の弊害を感じた。

 アンケートを作るには、制度やシステムのみ理解して作ると「取りこぼし」の
多いものになる。想像力があり物語として様々な事体を想定できる人が
いれば良い物が出来るハズだが、クリエイティブな人は、自分がリーターに
なったり、新しい道を開拓してしまうから残らないのが難点かも知れない。
アパレルの世界では、社会情勢を考慮してマーケティングの為、統計を取り
流行を予測・分析するのも企画担当の業務である。これもファッションビジネス科
として分離された。つぶしが利かないと危惧している。

2009年8月16日

 チャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」 1946年版 を観た。
何度もリメイクされている作品である。監督:デヴィッド・リーン
アカデミー賞2部門(撮影賞【白黒】、美術監督賞・美術装置賞)受賞
なので出来のいい年のものだと感じた。映画もワインの年みたいに
出来の良い年と質の落ちる年があるような気がした。
今年の秋に『Disney's クリスマス・キャロル』2009年11月14日が
公開される。新作なのでVFXが使われ幽霊が現れるシーンや
当時のイギリスの再現など興味深い。ディケンズの名作である。
イギリス議会の承認を受けた救世軍の社会鍋とか画面に登場しそ
うな話である。
「生命の崖っぷち」状態が、保有資産があっても医療費の負担増し
や「差額ベット」(差額室料)の保険適用外の部分に加えて臓器移植
と資産と生命維持の格差が生じている。そんな社会で安心して暮ら
せるか疑問である。一人の子供の心臓移殖が3億円となると難民の
子供にワクチンや給食などに使って大勢の命が救える額である。
他人の命と自分や家族の命の価値観が違うため生命の平等と
いう考えどころでは無い。医療を提供する側も受ける側も倫理観を
持たないとキリがない。国際的な法整備がほしいところである。
安楽死や尊厳死を求めて合法の国で最後の幕を引く人もいると
いう時代である。生命倫理について考える時代であろう。浅野 琢也


2009年8月13日

 09ノー・ウォー横浜展を観に神奈川県民ホールギャラリーに
行った。入場者が少なくて私は、見るだけにしている。
インスタレーションの大作が多いが各、作家個人で自分のHPなり
ブログでインターネットを使って画像をアップしないと勿体無いと
毎回、感じる。ブラスバンドの県大会も同じ会場なのでスゥイング・ガール
やブラブラ・バンバンみたい感じの団体さんが集まっていたが暑くて
入場料無料でも観に来る学生は少なかったようである。勝負の前は
美術展を観るどころでは無いから当然であろう。
 美術展に行く手前で帆船 日本丸の見学をしてきた。夏に船の写真を
撮影できた。
  
帆船はマストが高い。 中に入ると冷房完備

      
ブリッジの写真。面舵 取り舵 よーそろー 全速前進

今では、小さい船に見えるが当時の技術の結晶であろう。
昔は、パナマ運河に畝を大きさを合わせたらしいがパナマ運河の
拡張で巨大コンテナ船による大量物流が可能になったか、もうすぐ
可能になるらしい。今までオーバーパナマサイズの船も通れるらしい。

2009年8月12日

 「少年メリケンサック」を観た。昨年の「デトロイト・メタル・シティー」の
アニメとのタイアップが良かったので、面白さを感じなかった。
映画にするタイミングが悪かったのかも知れない。部分・部分は良く
出来ているが全国ツアーのロードムービー的な良さが無くもったいない
感じがした。研究材料として分析して観ると良いと思う。
つまらない人生を、面白く生きれる人は面白く感じるのだろうか?
どうも音楽は、専門外なので良くわからない。わからないから興味を
持ってしまう。「青春デンデケデケデケ」は、そんな私でも面白かった。
絶妙なタイミングでアンプを作ってくれるアマチュア無線家が同級生に
いるなど理にかなっていた。「波の数ほど抱きしめて」のミニFM局を
マジに作ろうと電波管理局に問い合わせたら、仲間の免許で局免とか
出せるけど「ソフト」(番組内容)の部分でムリだった。脚本家や放送作家
次第ということであろう。

2009年8月10日

 「戦場にかける橋」を久しぶりに観た。若い時に見た映画と経験を
積んで観る映画は、違うと感じた。コンビーフの缶詰めを食べるシーンが
ありコンビーフを食べて満足した。橋を作る労働に駆り出される捕虜が交渉
して設置できない地盤を指摘して適正な場所に自ら設計した橋をかける
話である。仕事と労働の境目は、自ら判断して成し遂げることである。
指示を待って動くのは、作業である。その点でも捕虜の状態で仕事として
橋を完成させる。その橋は、ミッションの為に爆破される。
捕虜の役で骨と皮だけに痩せるまで役づくりをするのは大変だと感心
する。古い映画を観直すと見落としていた発見ができる。
どの映画・演劇のセットや大道具も撮影後は撤収となる。残るのは元の
ロケ地や劇場である。どこかで引っ越しを繰り返すのが仕事みたいだと
読んだ気がする。太宰治・寺山修二・川島雄三の「さよならだけが人生さ」
に共感する年になったのかも知れない。若い頃みたい人との出会いは無く
友人・知人の中には、亡くなってしまう人が多い。昔と違い長距離電話の
高価な通信コストがかからない分、連絡は取りやすくなった。一方で
テレビのチャンネル数の増加などでコミニッケーションを取る為の共通の
話題を一致させるのが難しくなった。中にはインターネットで検索して
話題をチェックして合わせる人もいる。携帯電話でグーグルも使えるから
若い人は、要領良く使いこなせるとおもう。

2009年8月9日

 「西部戦線異常なし」を観た。1930年のアカデミー作品賞と監督賞を
受賞している作品である。自分のクラスの生徒を志願させる教員が劇中に出て
くる。戦争で誰かが利益を得るのか疑問に思う主人公。最後は塹壕から手を出して
蝶を採ろうとしてスナイパーに撃たれ力の尽きた手のアップで終わる。
第一次世界大戦では、科学兵器として毒ガスを使われて伏せていると塹壕に
まで充満した戦争である。これは映画には出てきていない。
ABC兵器のAはアトミック・Bはパイオ・Cはケミカルである。
「西部戦線異常なし」の日本公開は1960年である。今の時代に観ても
良く出来ている映画である。

2009年8月8日

 アルフレッド・ヒッチコック監督の「鳥」を30年ぶりに観た。
1963年に現在の環境破壊を暗示していたかのような感じがした。
鳥や虫に襲われても交渉の手段がない。「怖いですね。おっかない
ですね〜」が淀川長治の感想だったような気がした。
港町から二人が車で脱出して終わりで鳥が襲ってくる原因も駆除も
終わっていない。その後、どうなったのか解らないままである。
上空から石を落とす知恵まで付けたらどうなるのか気になる。

2009年8月7日

 裁判員制度がはじまったので名画「オリエント急行殺人事件」を観た。
12人の行動とエルキュール・ポアロの粋な報告書。
韓国映画「親切なクムジャさん」の私的制裁(敵討ち)を洗練させた感じ。
オリエント急行に乗っていた伯爵の顔と髪型がルパン三世のカリオストロの城
のラサール・ド・カリオストロ伯爵のモデルになったように見える程、似ていた。
ショーン・コネリーも「オリエント急行殺人事件」に出ていた。事件に車掌の
制服を使うなど今、観ても名作である。面白くない映画を耐えて観るのが楽しい
と一部のマニアにウケていた「シベリア超特急」は八作品あるらしい。
雑記帳では、衣装の話題を入れるように心がけているので、2005年11月15日に
紀宮清子内親王が黒田慶樹氏との結婚披露宴で着用したウェディングドレスが
『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインであり、劇中に登場する
カリオストロ公国大公家の継承者であるクラリス姫のウェディングドレスの
デザインだったそうである。

2009年8月6日

 映画「ウォーターワールド」を観た。マッドマックスの海洋版みたい感じ
だった。少女の背中に彫られた刺青地図を頼りにドライランド(陸地)を
捜すのだが・・・敵のタンカーを爆破には疑問を感じた。映画は、使う火薬の
量が多いとヒットするみたい事を何かで読んだ気がする。
特殊メイクや美術は、パイレーツ・オブ・カリビアンより先に作られた作品
なので応用していると感じた。
第81回 米国アカデミー賞 短編アニメーション賞 受賞の『つみきのいえ』も
地球温暖化による水位の上昇がテーマだが、家を積み重ねること・記憶を
積み重ねること・思い出を積み重ねることが、安定した生活と、ゆっくりと
した時間の流れで生きられるシステムがあると安心して観られる作品で楽しめた。

毎回、前に観た映画との関連性を、思い出してしまう。
ラストシーンで「ミスター・グッドバーを探して」と「氷の微笑」がオーバーラップ
したり「いつも心に太陽を」で「3年B組金八先生」を思い出したりである。

2009年8月4日

 映画「大阪ハムレット」を観た。昼は病院で介護職(ヘルパー)をして
夜は、酒場で酔客の相手をする三人の年頃の少年の母で未亡人を松坂慶子さん
が演じている。小学生で末っ子の将来の夢が「女の子になりたい」という
部分と不良気味の次男は、先生にハムレットみたいと言われハムレットを
読む。高校生の長男は恋人に大学生とウソをついたが自分の高校に教育実習
で来てしまう。しかもクラスの担当である。それぞれ問題を抱えながらも家族を
支える母の姿を見て女性は強いと改めて感じた。「母べえ」みたい感じである。
昔アルパチーノの「狼たちの午後」という映画があった。
「遊びの時間は終わらない」の銀行強盗の防犯訓練のストーリーの元だと感じた。
その中で犯人の恋人が性転換手術の費用がかかるなどの設定があったのを
思い出した。「大阪ハムレット」の場合は、小学校の劇で王子役を女の子が演じて
シンデレラ役を三男が演じた。なんか「ガチバン」みたいと思いながら観た。
ハムレットは悲劇である。他人の不幸を面白がるなんて人として良くない」
みたい次男のセリフは、ストレートに良かった。世の中が悪くなると努力して
どうにもならない閉塞感でジェラシー(焼きもち)からエンビー(不幸の道連れ)
へと人間は意地悪くなれる。巨匠「黒澤明」のベネチュア映画祭グランプリ受賞の
「羅生門」も観たばかりなので世界中の人の住んでいる地球が地獄より環境が悪そう
な気がした。「鬼も逃げ出す羅生門」なら「悪魔や魔王も逃げ出す地球」といえる。
『バフィー 恋する十字架』(Buffy the Vampire Slayer)というドラマでロサンゼルスの
ウルフ・ラム・ハーツ」のビルに地獄へ行けるエレベーターがあって同じ場所に到着
する皮肉なシーンを思い出される。特殊メイクの完成度が高いドラマであった。
とにかく「健全な世界で健康に暮らしたい」そんな事を考えて観たので疲れた。
芥川龍之介が今の時代にテレビや新聞やインターネットで凶悪犯罪に腐敗した
社会システムを目の当たりにして何を創作するのか興味を持ってしまう。
人を殺して裁きを受けても大して悪人と感じられないほどに異常な社会を見慣れて
しまい自分の感覚がマヒしないように「夢と希望がある作品」「優雅な気分になれる作品」
が評価され「他人の幸福を喜べる生活(生きること)に、ゆとりのある方向に政治の
力で社会の構造を正しくエンビーの心理まで底辺の国民を追い込まない流れに変えてほしい。
デーモンが複数になるとレギオンになるとは知らなかった。チャイルドが複数になると
チルドレンになるみたい感じらしい。ガメラ2に登場していた。ガメラの血が緑で
ビックリしたのと玄武(方位を守る亀)みたいな地球の守り神だとか怪獣映画は
苦手なので克服したい。

2008年8月2日

 実行委員として今年のアンデパンダン展の展評編集を、していた
滝平二郎さんの姿が会議の日に見えず訃報を聞いた。5月の終わり
だった。展評係り全員が間違って「たきひらさん」と呼んでいた。
正確には「たきだいら じろう」1921年 4月1日 - 2009年 5月16日)
切り絵作家であった。
 今年の春先には、プロ・ボクサーのWさんが他界してショックだった。
花形進氏と日本フライ級で2度戦っている。50戦25勝(9KO)
21敗4分とボクシング年鑑に記録が残っている人だった。
亡くなったのが納得できなくて一人暮らしだと知っていたが電話を
10回鳴らしたが、やはり出なかった。公害裁判で一緒に署名を集め
たり裁判の傍聴に行ったり意見陳述したり思いだされる。
平和であるハズの日常が寂しくなっていく感じがする。

                      



【映画】「櫻の園」(桜の園の公式サイトへリンクです。)
桜華学園の制服デザイン(2008年)上映終了
<前売り特典

ポスターの写真です。
使用している額は
桜の木を切って作った
ものとは違います。
(セーラー服「セーラーカラーの
前開きポレロとジャンパースカート・リボン」マスターパターン(洋裁の型紙)を担当
前売り券の特典のコラボポーチの発案とラッピングアドバイスまで担当
2008年11月8日公開。配給は松竹。監督は中原俊 さん 主演は福田沙紀さん。
キャスト 福田沙紀 武井咲 杏 大島優子(AKB48) 寺島咲  はねゆり 柳下大さん
主題歌:「若葉」スピッツ  さん 松竹・オスカープロモーション さん制作総指揮
当然・美少女クラブ31のメンバーも出演!
『櫻の園』が18年の時を越え、新たに“リ・イメージ”作品としてスクリーン(銀幕)に
よみがえりました。
桜の園−さくらのその−
2009年春4月3日DVD発売中です。



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